稲葉 白兎プロローグSS


 稲葉白兎は裕福な家に生まれた。
 英才教育を受け、帝王学を学び、青春を潰し、将来は財政界を背負う人間になると期待されていた、不自由のない暮らしではあったが自由を感じる生活では無かった。
 十七歳の頃、白兎は逃げだした、自分の心の支えだったモノが無くなり、家を飛び出したのだ、これが初めての逃走だった。
 それからの三年間、彼は逃げ続けた、逃走を続けるための逃走をした、逃げる為に車を盗み、逃げる為に金品を盗み、逃げる為に魔人となった。
 そして何時からか指名手配され懸賞金も膨れ上がり、三年という短い期間で彼はこう呼ばれるようになる――『逃走王』と。





 俺の手には一枚の緑色に光るカードがあった。
 都内某所のラーメン屋、口コミでそこそこ有名店なり収入も安定してきている、そんな俺に来た、VRカード!
 あのC3ステーションからDSSバトルの参加の誘い、優勝すれば5億の賞金に願い事を叶える権利、そして名声が得られる夢のような大会。
 俺の所に来たのも必然と言えば必然かもしれない、今回の大会は“最強”を決める大会ではなく、大会を盛り上げるだろう魔人に配られると聞いた、ならば俺は最高の人材だ。
 富士山の樹海で11年間ラーメンと戦い、身に着けた三大ラーメン格闘術の一つ『ラーメン骨法』と俺の魔人能力『ラーラーメン』で太陽神ラーの力をこの身に宿し戦う全く新しく、そして誰もマネできない俺だけの戦闘術、これだけでも会場を盛り上げる事間違いなしだろう、しかし、俺にはまだ奥の手である『ラーメン骨法十三奥義』本来なら一つの奥義を取るだけでも十年の歳月をかけ、そして今までに四つ以上の奥義を体得したものは皆無と言われた十三奥義を俺はこの年で全て使える、地獄のような日々だったが手に入れたものは大きかった、どの奥義も派手で度肝を抜く業ばかりだこれで盛り上がらないわけないだろう、そしてさらに俺には禁じ手『うどんバーリトゥード』がある。師匠にはあまりにも危険すぎると止められたが、俺を止められなかった師匠が悪い、この禁じ手を手に入れる為だけに同門の奴ら全てを殺めてしまった…………後悔はない。
 そうだ俺なら今回のDSSバトルを最高に盛り上げる事が出来る、むしろこの大会が俺の為にあるようなモノだ。
「く、くふふふふふふふふ」
 笑いがこみ上げてくる。
 そこにガラガラと店内に客が入る。今日入る初めての客だ、俺は気持ちを切り替えてカードを厨房に置きカウンターに向く。
「よっち! やってる?」
 チャラチャラした男が入ってきた、男のクセに女みたいにカチューシャで髪を留めて、腰にはウエストポーチ、言動からもそういう雰囲気が漂う、どこでも見る俺の嫌いなタイプだ。
「いらっしゃい、どうぞ」
 それでもにこやかにカウンターに案内して、男はメニューを眺める。
「んじゃあ、しょうゆラーメンで」
「あいよ、醤油ラーメンね」
「あーあと、ネギは少なめにしてくれるかい、ネギが多いとほら、雑草みたいな臭いするじゃん? 俺っちアレが大嫌いでさー、ネギラーメンを頼む奴の気が知れないね、薬味なんだから少しいいのさ少しで、それとトッピングでチャーシューとたまご、麺は堅めでスープは濃い目ね」
「あ、あいよ」
 ラーメンにそこまでこだわりがあるわけではない、だが提供している味のベースも知らずに濃いめでと注文するのは流石に俺でもムッときてしまう、それに俺、ネギラーメン好きなんだけど。
 だが文句も言えない、こういう客こそ店が変な態度を取ればSNSで大炎上、お店が悪くなくても悪評が広まり、たちまちお店も火の車なのだ、やっと軌道に乗ってきた店をこんな所で潰すわけにもいかない。俺は注文の通りラーメンを出す。
「うっひょーうまそー!」
 出したラーメンをうまそうに男が平らげていく。あんなに美味しそうに食べるならSNSに上げてくれねえかな。
 男が食べてる間ラーメンの仕込みをしていると、声を掛けてきた。
「トイレって何処かな? 食ってすぐってのは申し訳ないけど、これも生理現象なんで勘弁してほしい、ちなみにトイレは洋式かい? 洋式ってフタがあるじゃない? アレが閉まってる時ってすごく怖いと思わないかい、俺っちってば開けたら何かあるんじゃないかっていつもビビッていつもゆっくり開けてしまうよ」
「そこの角だ、洋式だが、さっき使ったからフタは開いてるよ」
 他に客がいないからと言って堂々と飲食店でトイレの話はやめてほしい、他の客がいたらつまみ出してた所だ。ん? この男、こんな赤い目をしてたっけ? 汁が目に飛んだか? まぁいいか。
 男は「サービス行き届いてんじゃーん」とか言いつつトイレに向かっていった、早く帰ってくれ。
 俺には明日開催されるDSSバトルの事で頭が……ってあれ?
 おかしい、さっき置いていたVRカードがない!? 
 厨房の下、周りをくまなく探す、ない! ヤバい! あれが無いと出場が出来ない、俺の夢が、全てを取り戻すチャンスが!!
 死に物狂いで俺はトイレに向かう。俺以外で店内にいたのはコイツしかいない、コイツが盗った可能性がある!
 トイレを数度ノックする、反応がない、さっきまであんだけお喋りしといてダンマリかよ! とドアノブを見ると鍵が掛かっている事を示す赤ではなく青になっていた。 まさか!!!
 急いでドアを開く、中には誰もいなかった。
「嘘だろ……」
 だがどっから出たんだ、そんな出ていく場所なんて……あ!
 裏口が開きっぱなしだった。
 最悪だ、VRカードを盗られてしまった……そういえば。
「食い逃げもかよぉ」
 俺は脱力してその場に座り込んだ。
 その後もカードの捜索を続けたが見つからず。そして俺があの男が指名手配されている『逃走王』と知ったのは一週間後のDSSバトルの放送を見た時だった。





 DSSバトル会場。そこに稲葉白兎がいた。
「いやー、これでも俺っち指名手配の有名人だから出場できないとか思ったけど“大会中の身柄は保証する”なんて驚いた、やっぱ日ごろの行いが良いからだな、うんうん、まぁやりようはいくらでもあったし、警備員何人居ようが逃げれる自信はありまくりだったんだけど、さすがは大企業さんは余裕が違いますな!」
 白兎は歩き出す、これから始める予選に向かって。
「しかし最初は雑誌で知ったけど、こういう事もあるんだな、これからどうしようかな? なんてもう決まってるか俺っち『逃走王』だし」
 白兎は規定の場所で、VRの世界へと落ちていく。視界が広がる。
「さーて! 正真正銘、正々堂々、逃げ切ってやろうか!」



 この物語は何処まで行っても逃走劇。
最終更新:2017年10月14日 19:50