狭岐橋 憂プロローグSS


親友を殺してしまったのは、去年のことだった。
小さい頃からずっと、引っ込み思案だった私を引っ張ってきてくれたカナちゃん。
魔人になった私のあんなあられもない姿を何事もなく受け入れてくれたカナちゃん。
他の子と喧嘩したときいつも味方してくれたカナちゃん。
彼女のことを考えると身が切られる思いになる。
始まりは、ただのなんでもないガールズトークだった。



「ヨシオカ君と別れた!?」

突然大声を出した私にカフェテリアの視線が集中する。
やっちゃった、と苦笑いで隠し、声を潜めて言葉を続けた。

「なんでよ、カナちゃん。あんな仲良さそうだったのに」

「なんでもかんでもないって! あの野郎、女をとっかえひっかえしてたのよ!」

「それはまあ……お気の毒に」

さすがにそういう経験はないけど、自分がカナちゃんの立場だったら嫌だなぁとか考えながらも、励ましの言葉を贈る。

「でも、カナちゃんならまたすぐいい人が見つかるよ」

私と違って彼女は交友関係が広く男友達も多い。
女子大だからそういう人脈は貴重で、彼女をパイプとして周りにはますます人が集まってくる。
私なんかはそういうざわざわした雰囲気が苦手で遠巻きに見てるだけなんだけど、
カナちゃんはそのあたりも弁えてて、隙を見つけては一対一で私にかまってくれる。
流石だなぁ、なんて。

「ま、愚痴なんて私らしくなかったか。あいつのことは忘れてとっとと次の出会いを探しますか」

カナちゃんもそう言ったことだし、この話は水に流すことにした。
それに私の知らない世界ではおそらくよくある話なのだろう。
恨むほどのことでもなく、そのうち笑い話のタネにでもなるのだろう、と。
しばらくもしない内にその男が私の中で「許せない」存在に変わるとは、この時はまだ思っていなかった。



深夜に突然渇きを感じて目を覚ました。
渇きと言っても喉じゃなくてその……下の方のことである。
私は魔人能力でサキュバスに変身できるのだが、寝ぼけて能力を使ってしまっていたらしい。
変身した時は尋常じゃなくお腹の中が熱くなって、鎮めるためにいろいろ恥ずかしいことをやってしまう。
今回は比較的自制心が効いてるみたいで、アダルトビデオショップにおかずを買いに行って、寮に帰ってからおたのしみしようという予定を立てた。

恥ずかしながら店員に顔を覚えられるほどに常連になってしまった店に入る。
ここのこの時間帯はシフトがいつも若いお姉さんなので能力が切れる心配がない。
どういうことかというと、私の能力『ジレンマインマ』は、男の人の近くだと働かないのだ。
サキュバスなのに男に近づけないって、普通逆じゃないかと思うだろうけど、そうじゃない。
普段自分でも認めるくらいおとなしい私が、本性はこんなえっちなことしか考えないモンスターなんだって知ったら、きっと男の人はドン引きしてしまう。
だからこの姿は男の人には見せるわけにはいかないのだ!
なんて断言してみたものの、例えばあそこにある監視カメラ越しなら見られたりするので完璧ではない。
魔人覚醒の時の私はきっとそこまで気が回らなかったのだろう。

棚に並べられた新作を物色する。
意外に思われるかもしれないが、サキュバスとなっても私は女性上位のものより男性上位のものの方が好みだ。
これには私の能力特有の事情が絡んでいるんじゃないかと自己分析する。
能力に目覚めてから、私は普段の姿の時にえっちな気分になることは全くなくなった。
カナちゃん曰くそれはそれで便利な特性らしい。
男女問わず突発的なムラムラの対処には苦労するとかいう話で、それと無縁な私が羨ましいとか。
ただ、そのせいで男の人とお付き合いしていてもうまく雰囲気を作れないため、行為に至ったことは一度もない。
たぶん、私の初めては無理やり奪われることになるんだろう。
そんな未来の自分と組み敷かれる女優の姿を重ね合わせ、淫乱な私は自分をいじめるのだ。

脱線が長くなってしまった。
とにかくさんざん迷って決めた一本に手を伸ばそうとしたとき、棚が急に遠くなった。
同時に視界がぼやける。視力が落ちたようだ。
どうやら能力が解除されたらしい。ということは近くに男の人がいるということ。
早く隠れなきゃ、最悪通報されてしまう。
なぜかって、普段の私の容姿だと、悔しいことにどうしても子供に見られてしまう。
高校生ならまだいい方で中学生に間違われることもしょっちゅうだ。
小学生はさすがにまだ言われたことがないので、そのことがギリギリの線でプライドを守っている。
それにしてもまずい。変身後に着てきた服がぶかぶかになってしまったので余計に勘違いされそうだ。
ひとまず足音とは反対の方向に回る。
どうしよう、度の入った方の眼鏡を寮に忘れてきた。今の派手な眼鏡は伊達だから意味がない。
ずり落ちそうなスウェットと歪んだ視界が私の足元をふらつかせる。

私がただ歩くだけのことに悪戦苦闘しているうちに、聞いたことのある声が後ろから聞こえてきた。
とりあえず棚の陰に隠れながら聞き耳を立てる。

「これがミユキだろ、でこれがカナ、それからこっちはジェシカ」

カナちゃん……? その名前が出た瞬間肩がこわばる。

「すげえ! これどうやって撮ったんだ!?」

「ふっふっふ、企業秘密だよカネコ君」

「こんなとこまで写ってやがる……」

盗撮? の話のようである。
でも、「カナ」なんてよくある名前だし……きっと違うよね。
私はカナちゃんが無関係であってほしいと強く、強く祈った。

「ヨシオカ、これ売ってくれよ!」

けれど残念ながら、この一言が決定打となった。
乱視で顔はよく分からないけど、全身の雰囲気、声、そしてヨシオカという名字。
カナちゃん……この男、サイテーな奴だったよ。



他の友達に協力してもらって、遠回しにカナちゃんから奴の住所を手に入れた。
決行の日。念のため前のビデオショップの時よりもっと夜が深くなるまで待った。
作戦としてはこう。
奴の部屋はマンション6階にあるが、変身した私には空からの侵入など余裕である。
ベランダから侵入し、ベランダの外まではサキュバスでいられるので、その力でドアをぶち壊す。
奴があっけにとられている間に写真を奪って表から逃げる。

「うん、やれる」

何を勘違いしてそうのたまったのか。
この時の私は全く冷静でなかった。
穴だらけの作戦。それに明らかな犯罪行為。
でも気にならない。ただ私にあったのは男への怒りだけだった。
こんなに逆上したのは生まれて初めてだったと思う。
変身した後も全く性的なあれこれが湧いてこない。

「よし!」

意を決して寮の窓から飛び出す。
誰かに、特に男の人に見られないようすぐに高度を上げた。
その日は雲が全く無く、ビルにさえぎられることもない満点の星空が頭上に広がる。
天然のプラネタリウムを眺めながら、空を飛べる能力があって得した、と率直に思った。
それで少し落ち着きを取り戻した私は、開放的な気分そのままに、眼鏡以外のすべての服を脱ぎ捨てた。
全く落ち着いているように見えない? いやいや、サキュバスの私にとって「落ち着く」とはこういうことなのだ。

ちょっとの間全身で風を味わった後、私は目標の建物を見据える。
高度はそのままに、マンション上空まで一気に突っ走った。
そして羽を畳んで急降下に入る。
15階、14階、13階、12、11、10。
階数を間違えないように数える。
そして9階に差し掛かり、そろそろブレーキをかけよう、そう思った矢先。
羽が、利かなかった。
いや、違う。
羽が、無かった。

「えっ!?」

間抜けな私の声は、あの男に聞こえただろうか。
よりによって、奴――ヨシオカ本人が、煙草を吸いにベランダに姿を現していた。
視線は落下する私に注がれている。
やめて、見ないで。
これじゃ、私、飛べない。
きっと自殺者とでも思ってるんだろう。実際、ほとんど自殺したようなもんだけど。
ベランダに誰かいる可能性を全く考慮していなかった。
ほんの少しでも頭を使っていれば思い至る可能性なのに。
後悔している間にも、地面は着々と近づいてくる。
もう一度変身しようと力を込めてみるものの、できないものはできない。
こんな形で死ぬなんて……。

「カナちゃん、ごめん!」



次に目を覚ましたのは、あの世ではなく、寮のカナちゃんの部屋だった。
活発な彼女らしい、物があふれていて、でもちゃんと整理された部屋。
私はベッドから身を起こそうとした。
その時、何かが左手に触れた。
それは大学に入学するときにカナちゃんと私で撮った二人だけの写真だった。
左下、ちょうど手で持つ部分がくしゃっとなっている。
そのことに私は言い知れぬ不安を感じる。
写真を眺めているうちにドアが勢いよく開いた。

「ユウ! こんなところに……大変だよ! カナが!」

肩で息をする友達の慌てた声。
私を探していたみたいでちょっと申し訳なくなる。
そのことに「ごめん」と言いかけた私をさえぎるよう、彼女は立て続けに叫んだ。
続く台詞は、さっきの不安が的中したことを告げていた。

「カナが、元カレのマンションで自殺したって!」



それからお葬式までのことはあまり覚えていない。
ただ、最後にカナちゃんのお母さんに教えられたことだけは、私は一生忘れないだろう。

「あなたにも隠していたみたいだけど、あの子、実は魔人だったの」

それに対してはあまり驚きはなかった。
あの状況で私が生き残って遠く離れていたカナちゃんが死んだのなら、何らかの魔人能力に違いない。
ただ、その能力は私にはあまりにも卑怯に思えた。

「大切な人の危機を察知して、身代わりになることができる能力よ。名前は――」

その能力名はズルすぎるよ、カナちゃん……。

「――『for you』」



私が全てを話し終えると、夢さんは紅茶を一口すすった。
彼女とはネットのサキュバス系魔人のコミュニティで出会った。『夢』というのもハンドルネームである。
コミュニティの創設メンバーの一人らしい。
オフ会で初めて会ったときになんだか底知れぬ大物感を放っていた。
それ以来個人的に連絡をとるようになり相談などにも乗ってもらっているが、この件を話したのは初めてだ。

「それが、ユウちゃんの変えたい過去……ね?」

こくりとうなずく。「過去を変えられるならどうしたいか」なんて質問には面食らったが、
彼女との付き合いも長くなってきたので思い切って話すことにしたのだ。
もう一度紅茶に手を付け、夢さんは再び口を開く。

「ところでユウちゃんはDSSバトルって知ってる?」

いきなり話題が変わるなぁ……と思いつつもう一つうなずく。
むしろ知らない人なんていないんじゃないだろうか。
初回から今まで、あの番組で伝説じゃなかったバトルなんてひとつもなかったように思う。

「じゃあ、『裏』の副賞については?」

今度は首を横に振る。噂はいろいろあるらしいが、私はそういうのを信じる質じゃない。

「実はここにその参加権がインプットされたVRカードが1枚あるの。
参加者には副賞のことは知らされるから、これを受け取れば、真実が分かるわよ」

夢さんは胸の谷間から取り出したそのカードを机に置く。
ここまでの話の流れから考えて、私はこれを受け取るべきなんだろう。
手を伸ばし、カードに触れようとする。
直前、夢さんは遠慮がちに私の手を掴んだ。

「ちょっと待って、ひとつ条件があるわ」

なんだろうと思ったけど、私にとってはどうってことのないことだった。

「コミュニティへの寄付……ファイトマネーに対して無理のない範囲でいいから、お願いね」

もちろんだ。それどころか全額寄付したっていい。
カードを取り、予想していたのと同じ報酬を確と『認識』した私は、できる限りの力強さで応えた。

「これで、カナちゃんを救えるなら!」
最終更新:2017年10月09日 20:11