刈谷 融介プロローグSS


「面白くないなぁ、そういうことされちゃうの」

開口一番であった。しかし言葉とは裏腹に、鷹岡集一郎の表情は屈託のない笑みのままだった。

「せっかく残虐婦女暴行殺人ストリーマーのキルヶ島シャバ僧にVRカードを送ったのに、君がボコボコにしてカードも奪いとっちゃったんだって?しかもうちの諜報部も返り討ちにしたそうじゃないか」

刈谷融介もまた、困ったように笑みを浮かべているだけであった。この怪人物はなぜか自分に対して露悪的に接する。気疲れはするが、彼に会うのは必要なことだと感じていた。

「申し訳ありません。こちらにも、やむにやまれぬ事情がありまして。念の為、社長に直接DSSバトル出場の報告に伺いました」

全く同じタイミングで寿司を口に放り込む。箸を進めなければ難癖をつけられるし、下手に食事をしていたら反論のために口を開くこともできない。刈谷にとって会食というのは面倒極まりないものであった。

「ふふ。事情か。そんなものないくせに」

醤油をたっぷりとつけた大トロを咀嚼しながら鷹岡は言う。ここはC3ステーション内の私設会食スペース。彼はあぐらをかきながら、対面で正座している刈谷を見据えていた。

「そのようなことを申されましても」
「じゃあ聞くけど、君が変えたい過去ってなんなの?」
「秘密でございます。恥ずかしい話ですから」
「だーかーら、そんなものないんでしょ?僕をなめてもらっちゃあ困るよ」

機嫌を損ねたように眉をひそめている。どうせポーズにちがいない。人を見透かしたような態度は気に入らないが、それを顔に出すわけにもいかない。刈谷はあいまいな笑顔を浮かべ続けた。しかし、それが鷹岡のいたずら心を刺激したようであった。

「君さあ、今は社長だった頃の秘書と同棲してるんだってね。笹原砂羽さん。親の借金がかさんでソープに沈められたあと、薬物乱用で逮捕。更生施設から出てきたのが三年前だっけ?
そこは嘘でも、彼女の過去を変えるためですとか言ってあげたら良いのに。なんたって幼い頃からの友人でもあるんだろう?」

鷹岡は言葉を続ける。

「なのに刈谷くんったら、ぜーんぜんそんな感じしないんだもの。彼女とは体だけの関係なのかい?」

天ぷらをかじり、カチャリと箸を置く。


その瞬間には既に、刈谷を襲おうとしたC3ステーションの私兵たちは全員昏倒していた。贅を尽くした食事は全て吹き飛ばされ、襖は裂け、畳はひっくり返っている。


「すっげ」

轟音と暴虐の嵐は一瞬で止まっており、鷹岡のつぶやきがやけによく聞こえた。彼は畏怖や警戒ではなく、純粋な興味の視線を向けているように見えた。

「ははぁ、ビルの中に和室だなんて凝ったことをするものだと思っていましたが……。こういうことのためでしたか。流石、鷹岡社長は用意がいい」

刈谷はいつの間にか立ち上がっていた。足元に四人、少し離れた位置に二人。しめて六人を叩きのめしたことになる。あたりには銃弾に食事、飛散した襖の一部や木片などが散らばっていた。

「箸を置く音が合図だって分かってたのか」
「いえ、それは全く気が付きませんでした。わざとマナーを守っていないようでしたから、音を立てるのも不自然ではなかったかと」
「そっか。じゃあ、これはどうやったんだい?」
「秘密、とは申しません。私は少々、人から何かを借りるのが得意なのでございます」
「借りる」

鷹岡は繰り返すように、借りるという言葉を口にした。

「私はこの能力を『貸借天』と呼んでおります。
例えば今は、運動エネルギーをこちらのみなさんからお借りしました。すると相手の動きが止まるわけですから、怪我をすることもないという寸法でございます。そしてお借りしたものは、私が自由に使わせていただけるのです」

四人の私兵は刈谷に向かって上下左右から飛び込み、残り二人は銃撃を放っていた。刈谷は彼らと銃弾から運動エネルギーを借り、それを使い風の如き速さで反撃を行なったのである。

「キルヶ島もそれで?」

鷹岡は笑顔を崩していなかった。それも当然だと思う。自分もいつのまにか、えらく笑顔が上手になったものだ。

「彼からは、短い時間ですが心臓をお借りしました……しかしあれはダメです。地味ですからね。試合では使えません」
「なるほど、ね。実力は十分ってわけだ」
「ご理解いただき光栄です。ときに鷹岡社長」
「なんだい?」

「他人の秘書についてとやかく言うのは感心致しません。私もつい、貴方の秘書にちょっかいをかけたくなってしまいます。
どうも近頃、進藤さんはご家族と不仲なようでいらっしゃいます。社長も気にかけてあげてはいかがですか?」
「へぇ、僕を脅すんだ?」
「いえそんな、めっそうもない」

鷹岡はトントン、と口元を指差した。

「きみ、こういうときはしてやったり!って感じで笑うんだね。うんうん、そっちの方が僕好みだ」

口元に手を当てる。迂闊だった。元どおりの柔和な笑みを作り直す。

「実際、君にはいろんな意味で期待してるんだよ。いろいろ手際もいいし、今日は超強いってことも分かった。こんなにあけすけに接するのは君だけなんだぜ?僕、いい人みたいに振る舞うの本当はもっと上手なんだからね」
「ええ。学ばせていただいております」
「言うねえ!やっぱりそれくらいの方がいいよ」

鷹岡は立ち上がり、刈谷を改めて正面から見据えた。

「しかし、なるほど。君の経営が恐ろしいほど順調だったのはヨソからいくらでも資本を借りることが出来たからなんだねえ。それだから君は空虚なのか。ズルをしたみたいで、成功体験を喜べない」
「私にはわかりかねます」
「そういうことにしておくよ。うん、今日はもう家に帰るといい。きっと君を心配してるだろう」
「鷹岡社長。お互い、秘書のことは大事にしたいものですね」
「だーかーら。思ってもないことを口にしないでくれたまえよ、刈谷くん」

鷹岡集一郎は、おどけて言った。

「君は、僕が秘書をこれっぽっちも大事にしていないことくらい分かってるじゃないか。いや、僕なりに重用はしてるんだけどね。秘書を大事にしたいのは君だけなんじゃないのかい?」

刈谷はそれきり、振り返らずに部屋を後にした。

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「クソが!ボケ!死ねカス!!」
「ちょっとユースケ。物に当たんないでっていつも言ってんじゃん」

自宅。彼は帰宅して早々ゴミ箱を蹴り飛ばしていた。彼は社会性を求められない空間において、暴力的な感情を抑える能力が著しく欠けていた。

「あのタヌキ野郎ほんとうにクソムカつくんだよ!いつか殺す」
「なんであんたってそう『死ね』とか『殺す』しか言えないの?罵倒の語彙が貧弱よね」

笹原砂羽はじっとりとしたクマのある三白眼で刈谷を睨みつけた。そばかすやニキビの跡が多く、髪は縮れてあちこちに跳ねている。ゆったりとしたパジャマは何にも阻まれることなくストンとしていて、お世辞にも男好きのする風態とは言えない。

対して、自分はどうだろう。それなりのルックスに、ある程度の身長。筋肉質な体。どれも整形や骨格矯正などで手に入れたものだ。見た目が整っている方が、いろいろと有利だから。

「うるせーんだよ。夕飯は?」
「サバ缶」
「は?誰の金で暮らしてると思ってんだ、もっといいモン買って来いや」
「無職のくせにすごい自信ね。ご飯は炊いてあるから」

金だけはあるからな。そう言って刈谷は米を少なめによそった。どっかりと座り込むと、背中を合わせるようにして砂羽がくっついてくる。
細く、頼りない背中だ。体温も心なしか低く感じる。

俺は彼女をどうしたいのだろうと、ときどき考える。しかし決まって、刈谷は思考を止めてしまう。彼がどうしたいのか決まっていないのは、将来それそのものだからだ。

刈谷融介の家庭は、笹原家ほど困窮していたわけではない。しかし夫婦共働きであっても息子一人を大学に通わせられない程度には、そこらじゅうにありふれた低所得者だった。

『貸借天』を身につけてからは、金で頭を悩ませることはなくなった。そればかりか、たいていの問題は金があることで片付くことに気づいた。そのまま稼げるだけ稼いだが、急に虚しくなり、全て売り払った。

「ねえ、ユースケ。私、あなたのことが好き」

俺は俺のことが嫌いだよ。そんなことは言えなかった。彼女は打ち捨てられた青春を擬似的に体験しているのだ。
かつてどのような行為を強要されたかは知らないが、砂羽は性行為に対する忌避感が強い。そのくせ、手を握る程度のささやかな接触には露骨に喜ぶ傾向があった。
刈谷はそれを、男女関係を子供の頃からやり直しているのだろう、と判断している。そして大人しく付き合っている。お陰でもうすぐ三十なのに童貞のままだ。

そして最も手に負えないのは、そんな彼女を見守ることで自分の人間性を保っていることに目を背け続けていることだった。


夜。砂羽はどんな時期だろうといつも羽毛布団を羽織り、昆虫が木にとまるように刈谷にしがみついて眠る。そして汗をびっしょりとかいては起き、それを拭いてはまた眠っていた。
今もそうして目を覚ましたのだが、彼女はふといつもと違うところに気がつく。

「……起きてるの?」
「ああ」

「ねえ、やっぱりDSSバトルに出るの?」
「ああ」

「今までずーっと魔人だってことは隠してたじゃない。それでも?」
「ああ」

「……やめよう?」
「それは……」

「どうしても?」
「ああ」

「なんで」
「うるせえな」

「いいじゃない!二人でさァ、こうして——」
「うるせえな!」

それきり、砂羽は布団に潜り込んだ。

「おい、汗拭けよ。風邪引くぞ」
「……いいモン」
「モンじゃねえよ、もうすぐ三十路だろうが」

なにもかもめちゃくちゃになってしまえばいいと、ぼんやり考えることがある。建設的な未来を想像することが出来ないのだ。より正確に言うならば、衝動的にな破滅的行為に手を染めない自分が。

今回もそうだ。DSSバトルに参加することは、全くもって有意義ではない。むしろデメリットの方が多いとさえ言える。自分の能力が露見すれば、あらゆる人物は自分と商取引を行いたくなくなるだろう。

『借りる』という行為は信用を担保にするものだ。それを無視する能力は危険すぎる。そして単純に、強力すぎる。

DSSバトルにも不安が残る。VRカードは手に入れたが、魔人との戦闘で勝利するには非常に金がかかる。数億の資産がたった四回の戦闘で失われる可能性もあり得た。試合を盛り上げるために能力をある程度制限するならば、特に。

そして、それもいいかと何処かで思っている自分がいた。そうなれば、砂羽と暮らすこともできなくなるのに。

「起きてんだろ。着替えとけよ。向こう行ってるから」

そう言って薄っぺらい布団から這い出し、寝室を後にしようとする。他の参加者はどのような人物なのだろう。俺のような軟弱者は、やはりいないのだろうか。俺は彼らに感化され、少しは変わることができるのだろうか。そう思う。

「ねえ、ユースケ。私、あなたが好き」
「俺もお前のことが好きだよ」

「ダメ。思ってもいないことは、口にするものじゃないわ」

お前に俺の何が分かる。そんなことは言えなかった。
最終更新:2017年10月09日 20:15