葉隠 紅葉 プロローグSS


薄いカーテン越しの陽が差し込む。
ワックスが光を反射して、床のフローリングが輝く。

配置されたテーブル、椅子、その他の調度品にはホコリ一つない。
その何れもが、アンティークの気品と年季を備えている。

柱時計の音だけが鳴り響く。
午後の静寂。

珈琲の香りが漂う。
カウンターに置かれたカップは既に空だ。

一刻前より、この空間は一人の人物によって占拠されている。
その人物は今、壁際のソファでバイク雑誌を読み耽っている――

黒髪ロングのメイド服。
その風貌は、まさしく美少女。

しかし彼女……否、彼は男である。彼の名は葉隠紅葉(はがくれくれは)。
どこからどう見ても美少女にしか見えないが、生物学上は男だ。

葉隠紅葉は、この喫茶店《ルフラン》に住み込みで働く従業員である。
もっとも、半ば居候と化しているのだが。

というのも、珈琲を飲みにルフランを訪れる客は滅多にいない。
ルフランの客の目当ては、ずばり店主――マスターだ。

古今東西の政治・経済・軍事・魔人に通じているマスターに相談役を求めて、
古株の政治家やら有名企業の社長やらが店を訪れる。予約は数年先まで埋まっている。

当然、マスターと1対1の密談である。付き添いは不要。
お茶の差し入れすら必要ない。マスターが自分で淹れるからである。

よって、この店のウェイターの仕事は掃除ぐらいしかない。
誰もが羨む優雅な職場ではあるが、いかんせん退屈だ。

一応、突然の来客に備え――密談を邪魔させないための見張りという役割もある。
なので、いくら暇を持て余しても、勝手に店を留守にすることは許されない。

そのため、紅葉は妹の青葉(あおば)と交代で店番を全うしている。
現在は紅葉の番というわけだ。

それから数十分が経過して、雑誌を読み終えた紅葉はふと思いついたようにテレビをつけた。
画面に突如、スーツの中年男性が映し出された。

「皆さん、良いですか!!!! これは『最強』を決める戦いではない!!!!」

溢れ出す大音量。
アフタヌーンの静けさは、一瞬にしてぶち壊された。

「ゆえに!!!!」

スーツの男――鷹岡集一郎は、芝居がかった口調で演説を続ける。
大音量で。

この大音量は鷹岡集一郎の声がデカいせいではない。
テレビの音量設定に原因がある。

そのことに気づいたか否か。紅葉は、慌ててテレビを消した。
そして、奥の部屋に繋がる扉に目線を配った。反応はない。

紅葉は肩をすくめて、リモコンをソファに放り投げた。
後で怒られないことを、内心祈るばかりだ。

「音量戻すの忘れてたわ」

紅葉は昨夜、妹と一緒に《ヅタヤ》で借りてきたDSSバトルを観戦していた。
それは、糸目の神父によって残虐ファイトが繰り広げられた、放送事故と名高い回だった。

戦闘が始まってから始終、画面の8割がモザイクになっている
とんでもない試合だったが、紅葉はこれを大笑いして見ていた。

対照的に、青葉は「ないわー」といって早々に切り上げて寝てしまった。
彼女は今朝、口直しになるような試合を探すといって、ヅタヤに行ったっきり帰ってこない。

(そういえば青葉、なかなか帰ってこねえな)

寄り道しまくって帰りが遅くなるのはいつものことである。
しかし、それでも心配してしまうのが兄の性というものだ。

青葉に電話をかけるべきか。
しかし、反抗期真っ盛りの青葉は、心配されると露骨に煙たがる。困ったものだ。

紅葉がそうこう悩んでいると、奥の扉が開き、中から人が出てきた。
テレビで見たことあるような顔の男だった。

「あ!」

思わず声をあげる紅葉。
葉隠紅葉という男は、こういうところがある。

「おやおや。バレちゃったかな?」

男はかぶりを振ってみせた。
この仰々しい態度は、あのテレビCMの鷹岡なんとかに瓜二つだった。

「でぃ、DSSバトル見てます!えーっと、が、頑張ってください」

有名人を相手にすると緊張してしまう。
葉隠紅葉という男は、こういうところがある。

「はっはっは。こんなに可愛らしいお嬢さんに応援してもらえるだなんて、役得だなァ!
 もっとも、私はただの影武者で、ボスの代理に過ぎないんだけどね!」

鷹岡集一郎の影武者を名乗る男は、分かれの挨拶を早々に告げると、
店先に停めてあったトヨタ・センチュリーに乗って去っていった。

「紅葉くん……、コーヒーカップは使ったら元に戻しなさい」

いつの間にか部屋から出てきていたマスターが、
カウンターの向こうでカップを洗いながら呟いた。

「す、すみません」

バツが悪そうに目を逸らしながら、手先でエプロンをいじる紅葉。
見た目だけでなく、仕草まで美少女だが、男である。

「ところで、急なんだけど。お使いを頼まれてくれないかな?」

マスターの頼みは、紅葉にとって願ってもない提案だった。
ついでに青葉も拾ってこよう、と紅葉は思った。


~~~


夜のバイパス道路。
延々と奥に続いて途切れることのない、道路照明灯。

アスファルトを蹴って、漆黒のバイクが駆け抜ける。
ハンドルを握る男、葉隠紅葉は背中に掴まる少女を気にかけて、安全運転に努めていた。

「で、結局、お使いって何だったの?」

「何ー!?聞こえない!!」

掴まっている少女、葉隠青葉が話かけるも、すれ違う車の走行音に掻き消される。
そのとき、タイミング良く、前方の道路沿いに自販機の光が見えた。

「一旦、休憩するか」

彼はそう呟き、自販機の手前にバイクを停める。
後部座席の少女を持ち上げて、バイクから降ろしてやる。

「何飲む?」と紅葉が聞くと、青葉は「なんでもいい」。
自販機はブラックコーヒーを2本吐き出したが、青葉は気にせず飲み干した。

「で、お使いって何だったの?」

「これだよこれ」

紅葉はジャケットのポケットを探る。
それからしばらくガサゴソして、ようやく尻ポケットに”これ”があるのを見つけた。

「ふー、てっきり落としたかと」

紅葉はポケットから、緑色のカードを取り出した。
自販機の光で妖しく輝くそれは、目の前の少女を驚嘆させた。。

「じゃじゃーん!VRカードー」

VRカード。
かのDSSバトルへの挑戦権、あるいは招待状である。

「凄いでしょ」

「いや……まあ、凄いけど。どこで拾ったの」

「まあ……”いろいろ”あったんだよ」

 ◯

発端となったマスターのお使いは、ただの買い出しであった。
にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、豚バラ肉。

しかしその道中、奇遇なことに、鷹岡集一郎の影武者を名乗っていた男と再会してしまう。
彼は満身創痍で、救急車で運ばれようとしていた。

理由は様々だが、VRカードを求める者は多い。
そう、彼は何者かに襲撃を受けたのだ。

目撃情報を頼りに、彼のセンチュリーを襲ったというマツダのボンゴフレンディを探して
紅葉は町中を駆け巡った。

またその途中で、魔人同士の喧嘩に巻き込まれたり、
暴走族に絡まれたりしたが全員殴り飛ばした。

そして日が沈みかけた頃、ついにボンゴフレンディが停まっているのを発見する。
そこは、”あの”希望崎高校の駐車場だった。

かくして、決戦の火蓋が切られた。
乱れ飛ぶ拳。鉄球。炎。爆弾。トラック。ボンゴフレンディ。

熾烈な戦いの末、最終的にサッカー場が跡形もなく焼失。
回収したVRカードを手に、紅葉は影武者が待つ病院へと向かった。

「1……2……3……、3枚だけ!?」

「サッカー部員が持ってたのはそれだけでしたが……足りない?」

「うーん、売られたか奪われたか。どこかに流れちゃったんだろうなあ。
 でもまあ、いいか!」

彼は、これもまた『運命』だと言って、紅葉に3枚の内の1枚を渡した。
これが、葉隠紅葉がVRカードを手にするに至った事の顛末である。

まあようするに、
”いろいろ”あったのである。

 ◯

「で、そのカードどうするの」

「どうするって、そりゃあ……やるしかないだろ」

「ふーん。まあいいけど」

「なんだよ、言えよ!」

「もし里の連中にバレたら……ヤバくない?」

「……そうかもしれない。けど、姉貴の言ってた『世界を知れ』っていうのは
 里の追手に怯えて閉じこもることじゃあないはずだろ?」

「ふん。好きにしたら!」

そういって青葉は缶を放り捨て、先にバイクへ向かおうとして……足を止めた。
そこには、招かれざる先客が居たのだ。

「よお、ガキ。そいつのツレか?」

スキンヘッドに、デニムのジャケット。
生地にプリントされたエンブレムはいやに威圧的だ。

「さっきはよくもやってくれたなァ……エエ!?」

カワサキのNinja1000が蹴りつけられる。
ここでようやく、紅葉が振り返った。

「てめえら、昼間の」

VRカード捜索の道中で、殴り飛ばしてしまった地元の暴走族である。
気がつけば、既に周囲を彼らに取り囲まれていた。

「よくもまあ群れやがって」

「ブッ殺す!」

集団の中から、頭に包帯を巻いた男が一人飛び出してきた。
手にはコンバットナイフが握られている。

だが次の瞬間には、ナイフは根本から切断されていた。
それによって斬りかかり損ねた男を、紅葉が蹴り飛ばす。キリモミ回転しながら後方に吹き飛ぶ。

「あーあ。兄ちゃん、やりすぎ。死んだよアイツ」

兄に語りかける彼女――葉隠青葉の指先からは、水が滴っている。
MURASAME。水の刃を生成する能力。

「青葉こそ、パンピー相手に能力使ってんじゃねえ。危ないだろ!」

「「う、うおおおおおおおおおおおおお!!」」

半ば恐慌状態になった暴走族達がなだれ込む。
紅葉は青葉を庇いながら、手近な奴をボコボコにしていく。

全体の半数をシバいたところで、
周囲より二回り体格がデカいモヒカン頭が前に出てきた。

「死ね!」

驚異的な膂力――おそらく魔人によって、鉄パイプが振り下ろされる。
避けられぬと判断した紅葉は、能力を起動する。

「少しだけな」

装着しているグローブに、揺らめく炎が宿る。
そして無造作に、迫る凶器を受け止めた。

炎が燃え移る。
鉄パイプは一瞬で灰になった。

「嘘だろ……鉄パイプで殺し太郎の『超・鉄パイプ』が……!!」

この光景を目の当たりにした、存命の暴走族達は
蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

現場に残された死体とバイクを、紅葉は能力によって灰に変えていく。
そのままにしておくと交通の邪魔になるからだ。

「こんな雑魚じゃあ……燃えねえよなあ」

「燃えてるじゃん」

「青葉!そういう意味じゃない!
 お兄ちゃんの揚げ足を取るんじゃない!」

紅葉は、緑色に輝くカードを再び取り出して、眺めた。
未だ見ぬ強敵が、そこに映っているかのように。

「ところでさ」

青葉が、ヘルメットを紅葉に手渡しながら問う。
彼女は問わなくてはならなかった……おそらくは……今夜の夕食のために。

「結局、お使いはどうなったの?」

「? だからVRカードを………………あ!!」

にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、豚バラ肉。
この後、結局自分で買い物に行ったマスターに小言を言われるのだが、それはまた別のお話。
最終更新:2017年10月14日 20:06