《フルチン三刀流》万曲 蘿景 プロローグSS


月の光が照らすのは、短い草と転がる石、そして座り込む2人の男の姿であった。都市の光が無い中、しかし太陰の影は何物をも隠しはしない。

「そうか、その、何とかという大会に出るのか」
「ああ、命の危険も無いようだし、収入もある。誘われたなら、出ないってのは損だ」
「その言い草、主は勝つ気は無いのか?フルチン三刀流は最強である。滅多なことで負けはすまい」

男の片方、自称仙人は語気を強めて言った。彼はこのデタラメな戦闘術に関して並ならぬ思い入れがある。偶然山奥に迷い込んだ蘿景の世話をし、自らの持つ技術を修得させたのも、多くはこの強さを知る人間を一人でも増やしたいという強い執念からだ。

「いや、俺はただ心配なんですよ。やっぱり自分が狂っていて、居やしない妹の幻想を見続けて来たんじゃないか、という具合にね」
「良い歳してチンポコ振り回す奴が何を言う。狂人で結構、どうせお前は狂っているのだよ」
「なんて酷い言い草だ。これを修得するまでは山から出さん、このトレーニングをしなければ飯は出さん、なんて言っていたのは誰でしたか。全くこんな狂人に会ったのが俺の運の尽きだ。更生の機会が奪われたのかもしれないんですからね」

もう一方の男、万曲蘿景は笑いながら言った。世界を旅する中でVRカードを手にした彼は、自らを鍛えた師の元へ挨拶に訪れていたのだ。

「まあ安心せい。悟りを開いたこの儂が、主に妹がいたということを『知って』いる。少なくともその点で主が狂ってはいないと断言しよう」
「仙人サマには俺の能力も通じないしな、アナタが幻覚だって可能性も俺には捨てきれないんだよ。幻覚は妹がいたという根拠にならない」
「それは単に儂が貴様のそれを見るのでは無く、『知る』ことでのみ意識に取り入れているからである。仙人ならその程度造作も無い」
「ああ、だったら今度の試合で俺が勝てるかどうかを教えて下さいよ。フルチン三刀流が最強だから、というのでは無く。仙人サマの知っていることを話してくれれば良いです」

自称仙人はしかし首を横に振った。蘿景は大きくため息をつき、肩をすくめた。

「仕方がないであろう。この大会、不可思議な力が渦巻いておる。正確にはその力の出所を儂は知っているから不可思議とは言わんが、こればかりは儂にも内容も結果も知り得ないのだ。残念ながらな」
「もう良いですよ。そんな真剣にアナタを疑っている訳でもない。もう一つ悩んでいたのは、このような大会でフルチン三刀流がどれだけ通用するか、ということですよ」
「語るに及ばず。フルチン三刀流は最も合理的な戦術、故に最強也」
「具体的にどれぐらい強いんです?」
「儂が昔希望崎学園なる場所にいた頃は、様々な流派の相手に果たし状を送り、百度勝った。一度の負けも無しにな」

そう、この自称仙人、かつては希望崎学園の生徒であった。彼が知る限りの強敵に送った百状の手紙は、結局全て無視され彼の不戦勝になったというのが事実だが、これはどうでもいいことである。

「希望崎学園…… ダンゲロスか。今回のイベントもダンゲロスと名前がつけられていましたよ。そうだ、仙人サマは観戦しないんですか?」
「弟子の試合を見守りたいのは山々だが、儂はダンゲロスの名を好かぬ。あの場所には悲しい思い出が多すぎるからな。感傷的になってしまうのよ」

希望崎学園在籍時、フルチン三刀流に磨きをかけるべく授業をサボりすぎたかれは計三回の留年を経験し、クラスからも強敵からも存在しない人扱いをされたことがあるが、これはどうでもいいことである。
蘿景は自称仙人が本当に悲しい過去を持っているのだと表情から読み取り、彼の決断にも納得の姿勢を示した。

「分かりました。それでは俺はそろそろ行きます。これまでお世話になりました」
「……ああ、そうか。主の願いはそれであったか。もう会うことも無いかもしれん。それでは達者でな、フルチン三刀流は最強だということを忘れるでないぞ」

蘿景は立ち上がり、山を下っていく。それを見送る自称仙人の目に、涙が浮いていたのかどうか。太陰は知っていた。
高山特有の短い草が悲しげに身を揺らし、悲しい男をまた一人にした。
最終更新:2017年10月14日 20:01