ウィル・キャラダインは勇者ゆえに

 ウィル・キャラダインは勇者である。かつて世界を荒らした悪竜を倒した父を持ち、慈悲深い母に大切に育てられ、15になった日に選定の剣を抜き、頼りになる仲間たちと共にゴブリンの群れを倒し、海を荒らすクラーケンを誅した。

 鍛え上げられた体は彫刻のよう、涼しげな瞳は絵画のよう。吟遊詩人たちは千年先であろうとウィルの栄光が残るよう朗々と伝説を歌い上げる。

 一大叙事詩とでも言うべき大冒険の末に、遂にウィルは魔王を倒し世界に平和をもたらした。冒険の途中に出会った異世界から来た巫女、アリス・ティーナカは平和を祝う宴の席でウィルとの結婚を望んだ。

 本来ならば婚約相手は神託により選ばれるのであるが、アリスならばと誰も反対はしなかった。あとで一応迄に行われた神託においても両者の結婚に対する反対はなく、何の問題もなく家庭を持つこととなった。

 勇者ウィル・キャラダインの冒険はひとまずの区切りを迎え、あとは愛する者との平和な日々が待っている。そのはずであった。


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 ウィルとアリスは穏やかな日々を共に過ごした。アリス・ティーナカは本来のアリスの世界ではタナカであったが、発音の問題でティーナカと名乗っていた。

 そのアリスであるが、平和な毎日のはずなのに、時折不安そうな目をする。何かにおびえるような、何かに追われるような、そんな目をする。

 常人であれば気付かないであろう一瞬の憂いであったが、ウィル・キャラダインは勇者であるゆえに、些細な悲哀の気配に気が付いた。そして勇者であるゆえにその憂いをそのままにせずアリスに直接尋ねることにした。どんな事情があるにせよ、真摯に向き合えば解決できると思っていたからだ。事実ウィルはそうやってすべてを解決してきた。

 「アリス。君は何を不安に思っているんだい?」

 夜も深まる就寝の時間。寝室で愛する夫から突然問われてアリスは戸惑う。

 「…急にどうしたの?不安なんてあるはずないじゃない」

 そう口にするものの、アリスは明らかに狼狽している。仮に勇者でなかったとしても彼女の言葉が嘘であると容易く気が付いたであろう。
 何も言わず、ウィルはアリスの眼を真っすぐに見つめる。どこまでも深い青色の眼。アリスが話してくれると、偽りを述べるはずがないと信じ切っている無垢な瞳。

 しばしの時が過ぎたが、観念したようにアリスが言葉を紡ぐ。

 「…ねえ、ウィル…。貴方は、私を愛してくれている?」

 今にも泣きだしそうに、迷子になった子供のような表情でアリスが問う。ウィルには何故アリスがそんな表情をするかが分からない。ただ心の底から真摯に応える。

 「私は君を愛しているよ」

 その答えに安心するそぶりもなく、アリスは問いを重ねる。

 「じゃあ、王国の人たちを貴方は愛している?」

 またしても答えが分かり切った問い。それでもウィルは心から答える。

 「当然、私は王国の人々を愛しているよ」

 怯えの色をますます濃くし、アリスは三度問いかける。

 「貴方は、この世界を愛している?」

 ウィルにとって、もはや愚問というべきレベルであったが、それでも真剣に答える。

 「ああ、私はこの世界をどうしようもないほどに愛している」

 唇を震わせ、その問いを投げるのが正しいかどうしようもなく逡巡しながら、アリスは問う。

 「…世界に向ける愛していると、私に向ける愛しているは一緒?」

 今度こそ、その問いの意味がウィルには分からなかった。彼にとって答えは決まり切っていた。

愛に区別があるわけないじゃあないか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 心の底からウィルは答える。何一つ澱みのない瞳。深い海を思わせる青色が、只管にアリスを傷つける。ぼたりぼたりと涙が零れ落ちる。アリスはその答えが来ることを承知していた。この世界の人間は、みな穏やかで、優しく、博愛に満ちている。その一方で執着を知らず、嫉妬を知らず、こだわりを持たない。

 執着に満ちた世界から来たアリスは、博愛以上を求めた。ウィルの前でその執着を求めるのは、はしたないと思いながらも、誰よりも特別な愛を彼女は求めた。

 「ねえ、ウィル。私は貴方が大好きよ。一目見た瞬間■に落ちたの。一目惚れってやつよ」

 聞きなれない単語が一つあった。その単語はこの世界にない単語だったため、ウィルには聞き取れなかった。

 「本当に、貴方さえいれば何もいらないと思った。貴方と一緒にいさえすれば、世界はどこまでもキラキラと輝いて、元の世界も元の家族もいらないほどに貴方に夢中だった。■が私の中にあふれていた…」

 一呼吸おいてアリスが続ける。

 「貴方に愛されていることは幸せよ。でも、自分でも我儘だって分かっているけど、貴方が私に■したわけじゃないというのが、ただただ寂しいの。どうしようもなく不安なの…!」

 泣きじゃくり、肩を震わせるアリスを優しく抱き寄せる。いかに勇者と言えど、知らない感情に対処するすべはない。アリスは聡い女性だ。今日感情を吐き出したことで、明日以降は変わらず平和な日々に戻れるだろう。そのはずだった。


◆ ◆ ◆


 ウィル・キャラダインは勇者である。それゆえに、愛する者の悲しみをそのままにしては置かない。魔力を絞り、彼女の世界をのぞき込む。彼女が元の世界への帰還を求めれば、いつでも戻せるように空間魔術を磨いていたのだ。

 何か彼女を理解する方法はないものか。それは奇跡か偶然か運命か。ウィルは見た。木下が愛に関する宣言をするところを。

 これに参加すれば、アリスの世界の愛を理解できるかもしれない。彼女の不安を取り除けるかもしれない。

 ウィル・キャラダインは愛に満ちている。慈しみに満ちている。どこまでも真摯で、全ての命に感謝し、愛を与えることを惜しまない。その一方で、愛憎を知らぬ、情愛を知らぬ、嫉妬を知らぬ。そして何より【恋】を知らない。

 「これに参加すれば、君の望む愛を理解できるだろうか」

 愛を知るが恋を知らない男。絶対勇者ウィル・キャラダイン。改めてアリスに恋するため、愛するため。ラブマゲドン、参戦。
最終更新:2018年11月20日 08:06