SSその4

 「ジャーーーーッジメント!!」

 生徒会室にて、朗々たる声が響き渡る。名前のごとく大樹を思わせる大男、木下礼慈が『レジェンダリー木下』を発動させていた。

 「汝らの愛は~~…真実なり!祝福あれ!愛の名のもとに!幸いあれ!」

 茶髪ボブカットの女子生徒と、坊主の男子生徒が喜びをあらわにする。元からカップル同士とはいえ、やはり真実の愛を診断されるなどと言われれば緊張して当然だろう。

 ラブマゲドンが始まって一週間が経過していた。告知から開始までの1時間を利用し、賢明な生徒は学外へ脱出。学内に残っているのは、吊り橋効果を期待して愛を求める者、幸福を得たいカップル、マイペースを貫く奇人、諸事情で不幸にも参加せざるを得なくなった者たちだ。

 諸事情で不幸にも参加せざるを得なくなった者の代表格、調布浩一はほっと息をついた。

 「ウオー!良かった…!いやまあ、あの二人は幼馴染でラブラブと聞いていたから大丈夫とは思っていたが、それでも怖いもんは怖いぜ…」

 浩一のしていることはシンプル。木下生徒会長のそばに陣取り、告白しようとしている生徒が成功しそうなら静観、傍目にヤバそうだったら止める。それだけだった。

 なんせ浩一の『アンラッキーワルツ』は人の不幸を肩代わりしてしまう。告白の失敗が招く不幸は全て浩一に降り注いでしまうのだ。だからこそ告白の失敗を未然に防ぐ。

勿論真実の愛なんて浩一の眼で見わけが付くわけではないが、ラブマゲドンなんてけったいなものに挑戦しようというカップルには、あからさまに無謀なカップルも多々いる。

気弱そうな女の子を無理やり連れてきているチャラ男、恋に恋する状態で空回りしている女の子。恋は盲目とは言うが、第三者視点で見ると無謀なチャレンジをするカップルは存外いるのだ。

 それらを真摯に説得して止める。勿論一切聞こうとしない馬鹿チャラ男もいるがそれは自業自得だ。不幸ではないのでこちらに影響はしない。巻き込まれた女の子の不幸を肩代わりできると思えば、ちょっとくらいの不幸なら耐えられる。

 勿論、大丈夫だろうと思ったら駄目でしたー!なんてこともあるが、不幸が来るタイミングを知っているかどうか、気構えが出来ているかどうかは大きな差だ。

 (身を挺して不幸を肩代わりする俺に惚れてくれる娘もいるかもしれないしな!)

 70%の善意と30%の下心で浩一は説得を繰り返していた。そんな浩一をあきれ顔で見る男が一人。根鳥マオだ。

「こう、なんていうのかな。よくもまあそんなマジに説得できるよなァ」

「うるせー!見てる暇があったらお前も彼女の説得手伝えよ!」

 「冗談!俺はたださえ愛する娘が沢山いるんだ!これ以上『真実の愛』とやらの判定に不利になることができるかよ!」

 真顔で根鳥は誰にしようか迷っているなどとのたまう。

「クソ…これだから爽やかイケメンは!つーか、なんでお前ラブマゲドンに参加してんだよ!?お前要領いいし、上手く脱出だってできたんじゃないか?」

「…あ~、それ聞いちゃうか…。そこの生徒会長様に聞いてみろよ…」

 うんざりとした表情で根鳥は木下に話を振る。

「ふむ!根鳥君は色んな人物に気軽に愛しているなどと口にしていたのでな!真実の愛を理解してもらうために生徒会長権限で強制参加させたのだ!」

「うぉう…お気の毒さますぎるぜ…」

 気が付いたら参加させられていた浩一と、脱出の余地があったのに強制参加させられた根鳥のどちらが不幸かは議論の余地があるだろうが、なんにせよ二人ともラブマゲドンを無事に切り抜けるという点で意向は一致していた。

「正直な話、参加者は奇人変人か、告白成功に自信がある奴がほとんどだからなァ。同じような立ち位置の奴は貴重なんよ。」

「だったら説得を手伝ってくれてもいいんじゃないですかねえ!?」

 浩一はあからさまに失敗しそうなのカップルの説得を続けている。なおこのカップルは浩一の言葉に一切耳を貸さず、木下に偽りの愛の烙印を押され、

「は、はぁ!?俺っちの愛がに、偽物なわけねーっし!う、浮気なんかしてねーっし!」
「そそそそうよ!浮気なんかしてないし!」

と狼狽した挙句、こんなところにはいられないと学外への脱出を試みスナイパーあたるに射殺された。完全な自業自得。不幸にカウントされなかったことに浩一は胸をなでおろす。

真っ当なカップルは無事脱出。無謀なカップルは説得を聞き入れない時点で自業自得。もっと不幸を背負いまくることになると思っていた浩一にとって、やや拍子抜けと言っていいほどに穏やかにラブマゲドンは進んでいた。校内に少なからずいるはずの奇人変人の類も姿を見せない。

 俺にしてはついているなどと浩一は気軽に考えていたが、このように平穏に物事が進んでいたのには理由があったのだ。

…時間はラブマゲドン開始直後にまで遡る。

◆◆◆◆


 私は生卵。見た目は真っ白でつるりとしているかもしれないが、殻の中身はドロドロでぐちゃぐちゃ。脆く、頼りなく、曖昧な存在。

 だというのに、外面だけで判断し中身も見ずに平気で「君が好きなんだ」なんて語りかける馬鹿ども。私の胃袋はぐるりとかき回され、結果女子トイレで吐瀉物を巻き散らすことになった。

 ラブマゲドンが始まってからまだわずか3時間だが、私、泉崎ここねは何をしたらいいか分からず女子便所の個室に引きこもっていた。しばらく誰とも会いたくない。

 何も聞かず、何も見ず、世界を拒絶し閉じこもっていたかった。

 …だというのに、個室の扉を叩く音がする。コンコンと、淡々と、叩き続ける音がする。無視し続けてもその音は鳴りやまず、私の殻を叩く。コンコンと。コンコンと。

「ここにいるんでしょう?泉崎ここね?」

 ビクリと全身が震える。ガタリと大きい音が出てしまったので、動揺は扉の向こうの相手にも伝わっただろう。

「ああ、やっぱりそこにいるんだね。それさえ分かればいいんだ。それさえ分かれば。」

 カツカツという軽快な足音。本当に扉の向こうの人物は私の居場所を確認したかっただけのようだ。何故?どうして?このままここにいるのは危険?様々な疑問が私の胃袋を責め立てる。我慢しきれずに私は再び胃の中身を吐き出した。




 「確かに泉崎ここねは三階奥の女子トイレにいた。情報は正確ね。」

 鮮やかな御殿鞠模様の法被を背負った隻腕の美女、糸遊兼雲は待ち合わせ場所の用具倉庫にて語りだした。

 「当然だ。情報屋の情報を疑われてはたまったものではない。」

 対峙するは情報屋、平河玲。顔はニット帽とマフラーによって隠されているため表情は掴めないが、やや不機嫌な声色。

 「ああごめんなさい、腕を疑うわけではないんだけど、この情報は私にとって死活問題だから。」

 糸遊兼雲の能力、『万蕃儿演技大系・手引足抜繙自在鉄之帖』は人間の協力関係を操作できる能力だ。誰が敵になるか味方になるか分からない乱戦において、趨勢を操る極めて強力な能力である。

 ただしその精度は、兼雲自身で対象者を観察して得た情報の量に左右される。ラブマゲドン開始にあたり兼雲が真っ先にしたことは、平河玲とコンタクトを取り、マークすべき参加者を確認することだった。

 「誰の情報を得なくてはいけないのか、その対象はどこにいるのか…その準備ができていないと私の能力は十全に働かないから。」

 「前回のハルマゲドン陰の功労者、糸遊兼雲が自身の能力を明かしてまでの依頼だからな。しっかりと取り組ませてもらった。」

 「情報屋としての貴方は中立であると思ったから。…むしろまだ学内に残っていることが不思議。開始前に学外に出ることだってできたでしょう?」

 木下生徒会長がラブマゲドンの告知をしてから開催まで1時間の猶予があった。当然混乱はあったが、迅速に動けば学外に出ることは可能だったはずである。

 「…自分は情報屋だ。何かと戦うとか解決するとか、そういうのは本分ではない。単純に好奇心だよ。このラブマゲドンには色々な思惑が渦巻いていそうだ。情報屋として見逃すわけにはいかない。」

 「情報屋かくあるべし、だね。それとも叶えたい愛でもあるのかな?」

 一瞬、空気がピンと張りつめた。失言でもしたかと、兼雲に緊張が走る。一瞬零れた気を恥じるかのように、努めて冷静に平河が語る。

 「申し訳ないが、愛なんて形のないものを信じる連中の気が知れない。自分が信じられるのは情報。確たる形のある真実だけだ。それ以外のものなんて…信じるだけ無駄さ。裏切られるに決まっている。」

 深く聞くべきか否か。兼雲の逡巡を読み取り、平河の方から話を続ける。

 「なに、物語に出てくるかっこいいヒーローのような探偵になろうとしてなれなかっただけの話だ。情報を得れば得るほど人はリアリストになる。それだけだ。」

 それ以上は話さない。うっすらと覗く平河の眼は雄弁に意思を伝えてきた。

 「オーケー、それで十分だよ。確かな情報を持ってきてくれただけで満足さ。あとは、追加のオプションだけだね。」

 仰々しく肩をすくめる兼雲を真っすぐに見つめ、平河は言葉を紡ぐ。真剣に、心の底からの言の葉を紡ぐ。

 「何も問題はない。 糸遊兼雲は生徒会の目論見を砕き、平穏な日常に戻る。

 あまりにも漠然としている上に他者への干渉。気休め程度の『流言私語』であったが、兼雲にはそんな気休めがありがたかった。希望崎学園の猛者たちを、兼雲は手のひらで転がそうというのだ。不安などないと言ったら嘘になる。ほんの少し背を押してくれる根拠があるだけで、一歩を気軽に踏み出せた。

 「ありがとう。…私はラブマゲドンを壊す。…もし失敗したら、その時はうまく脱出する方法を考えておいてくれ」

「特に問題はないさ。 平河玲は無事にラブマゲドンを乗り切る。観察者としての己を貫き、誰にも関与せず関与されない。心配する必要はない。」

 少しも振り返らずに平河は用具倉庫を出ていった。一人残された兼雲は、綴葉装の冊子を取り出し、受け取った情報をもとに記述を始める。

【頁P】
◆朱場永斗@鬱:恋愛対象者殺害の恐れあり 危険
◆ちょんまげ抜刀斎:大量殺戮の恐れあり 極めて危険
◆泉崎ここね:自己防衛のため周囲を廃人化する恐れあり やや危険
◆嶽内大名:相互理解不可 分類不能
◆麻上アリサ:能力暴走中 危険

【頁C】
協力者:朱場永斗@鬱・ちょんまげ抜刀斎・泉崎ここね・嶽内大名・麻上アリサ
協力事項:無暗な暴力行為を用いず互いを監視し合う事。体育館にて待機。自身に危険が生じた場合は暴力行為もやむを得ない。

 すらすらと淀みなく記述をしていく。危険人物を封じ込め、その間に問題のない生徒には通常の手段で脱出してもらう。ラブマゲドンを潰すと決めたとはいえ、無暗に犠牲者を出すつもりはない。

 巻き込む可能性のある生徒がいなくなったのち、彼らには協力して生徒会に向かってもらう。【生徒会を潰せ】などという行動を強制することは難しいが、【生徒会へ向かえ】程度なら強制できるだろう。

 そして向かいさえすれば一癖も二癖もある集団だ。生徒会の思惑を台無しにする可能性は高い。

 「あくまで可能性に過ぎないけど。まあなんとかなるでしょう。」

 ガチガチに固められた計画ほど、一つの穴から瓦解するという事を兼雲はよく知っている。三週間もの時間をかけて開催されるラブマゲドンに対処するには、【巻き込まれる生徒がいなくなるまで危険人物には待機させ、機会を見て生徒会に向かわせる】程度の大まかなプランでいいだろう。どうせ不測の事態は起きるのだ。

 「さて、情報をもとに、彼らの観察に行きますか!」

 法被をばさりと翻し、魑魅魍魎共を手玉に取るための一歩を踏み出す。こうして、糸遊兼雲の計画は幕を開けた。

◆◆◆◆


 結論から言うと、兼雲の計画は想定以上にスムーズな滑り出しを見せた。危険人物のうち積極的に暴れる動機があったのはちょんまげ抜刀斎だけであったこと、その抜刀斎も早々にチャラ男、ビッチに対し天誅御免をしまくり一時賢者タイムに入っていたことが幸いした。

 希望崎学園の広い体育館で、危険人物たちは互いを監視しふらふらしている。平河玲のもたらした詳細な情報をもとに観察をすることで、兼雲の能力は120%の効力を発揮していた。

 「ああ、伝えたいのに、言葉があるのに…アノヒトガイナクテソバニイナクテツタエタイコトダラケデアイガワタシカラアフレテアノヒトカラアフレテ…」

 「ああー!拙者、天誅してえ!でござる!拙者をマークする不埒者ども!まとめてぶった切りてえけど!全員を相手にするのも分が悪りい!めんどくせえー!!でござる!」

 (なんで?なんで私こんなヤバいやつらの巣にいるの?最悪最悪最悪最悪!ああ気持ち悪い吐きたい!)

 「パン…ティー…。我が愛…我が抱擁…。」

「ウギョゴロンッシギャギゲゲーー!!」

 朱場永斗@鬱、ちょんまげ抜刀斎、泉崎ここね、嶽内大名、麻上アリサ。野放しにできない危険人物の無意識に兼雲の能力は滑り込み、互いに監視し合うという協力行動を強いる。

 ラブマゲドン開催から一週間。兼雲は危険人物の封じ込めに成功していた。彼らは日中は体育館でうろつき、夜は寮かねぐらか部室に戻る。

 当然油断していい相手ではないので、兼雲は定期的に体育館を訪れ監視を続ける。数多の魔人を擁する希望崎学園の体育館は非常に広大で、二階席三階席まである。三階席からなら万が一能力が解けて危険人物たちが暴走したとしても容易に逃走できる。そう考え兼雲は猛獣どもから距離を置き観察を続ける。

 (しかし、面白いほど私の思い通りに事が運ぶね。想定以上の幸運が来ているのかな?)

 我知らず笑みがこぼれる。あの化け物どもを自分の策略下に置くことを、快と感じるなという方が無理であろう。


ただ、この場において、その笑みは、下策中の下策であった。


  「天誅でござぁぁるぅ!!!」


 ほんの瞬きほどの間に、ちょんまげ抜刀斎が三階分の高さなど物ともせずに跳躍し、目前に迫って来ていた。何を間違えたかも気が付けないうちに、兼雲に狂人の凶刃が振り下ろされた。

 辛うじて身をよじり刃を躱す。本来であれば左腕があるであろう位置を一閃。隻腕であることがこの時ばかりは幸いした。

 まさに間一髪。一刻遅れで、脂汗がぶわっと兼雲の顔面から滲む。

 ちょんまげ抜刀斎の信条は、自由であること。縛られずに、天さえ許すならば斬りたい時に斬り奪いたい時に奪い喰らいたい時に喰らうこと。自らの自由を束縛する存在など、真っ先に天誅すべき存在だ。

 兼雲の笑み。三階席からの笑みを視界の端に捉えたちょんまげ抜刀斎は、見下されたと感じた。この狂人は、真っすぐに歪んだ狂人は、兼雲の微笑みに支配階級からの優越感を読み取ったのだ。それが正しいか否かは問題ない。

ただそれはちょんまげ抜刀斎を『万蕃儿演技大系・手引足抜繙自在鉄之帖』から解き放つには十分すぎるほどの激情となって全身を駆け巡った。

「拙者を支配しようとするとは気に入らないでござる!天誅してえ!」

 ラブマゲドン開始から一週間。ついに魔人同士の死闘が始まった。


◆『天誅』ちょんまげ抜刀斎 VS 『万蕃儿演技大系・手引足抜繙自在鉄之帖』糸遊兼雲◆


 勝てない!瞬時に判断をし、兼雲は脱兎のごとく駆け出す。前回のハルマゲドンにおいても兼雲は表立った戦いなどしていない。能力は全く戦闘向きではなく、身体能力も魔人としては決して高くない。むしろ低い。純粋な戦闘魔人であり殺しに長けたちょんまげ抜刀斎に敵うはずもない。

 (この場さえ離れれば!なんとかなる!)

 即座に冊子を手元に呼び出し、書き込みながら逃げていく。

【頁P】
◆調布浩一:能力『アンラッキーワルツ』 自己弁護のためとはいえ他人の告白をサポートしたり忠告したりする善人

【頁C】
協力者:調布浩一
協力事項:体育館の近くに来る

 神速の筆さばきで記述していく。身体能力が優れない兼雲の頼るものはこの冊子のみ。だからこそどんな状態であろうと記述だけはブレることがない。

 (善人の調布浩一であれば、そこまで能力のリソースを割かなくてもこっちに来る!あとはこんな狂人に襲われている私の不幸を被ってもらう!)

 全く予期せぬタイミングでちょんまげ抜刀斎に襲撃されたにしては素早い判断。適切な策略。

 だが兼雲は浩一の能力を全て理解していたわけではなかった。浩一の能力は確かに不幸を肩代わりする。しかし自業自得の行いまで肩代わりするほど万能ではないのだ。

 果たして、自分の意志でラブマゲドンに参加し、自分の意志で化け物どもに干渉し、自分のミスで襲われている兼雲は、果たして不幸と言えるのだろうか?

 『アンラッキーワルツ』は判定を下した。“否”と。糸遊兼雲の現状は自業自得であり、調布浩一が肩代わりすべき事象ではないと判定された。

  「追い討ち天誅!!」

 豪と、嵐のような刃の雨が兼雲に降りかかる。逃げに徹することで致命傷こそ負っていないが、体中に切り傷が彫られていく。赤い線が刻まれるたびに鋭い痛みが走る。

 (なんで?なんで不幸が肩代わりされないの!?)

 疑問符ばかりが兼雲の脳内を占める。何故『アンラッキーワルツ』が作動しないのか。何故ちょんまげ抜刀斎が急にこちらに向かってきているのか。何をミスしたのか。そんな諸々の疑問に対して考えるより先に恐怖が体を包み込む。

 「ヒャア!こそこそ逃げ回るのがうっとうしい!でござる!切り刻んでやるでござる!」

 前回のハルマゲドンで失った左腕が、もう無いはずなのに疼く。焼かれた半身がチリチリと苛む。ハルマゲドンの敵陣営による報復から生まれた痛みへのトラウマは、確かに兼雲の心身に深く刻まれていた。

 (いやだ!痛いのはいやだ!)

 窓ガラスをぶち破り体育館より脱出する。当然ちょんまげ抜刀齊も追ってくる。死への恐怖、痛みからの逃避で、兼雲は無様に地を這い逃げる。汗が、涙が、鼻水が、とめどなく溢れ、死にたくない死にたくないと呟きながら這いずる。

 兼雲の能力で体育館に近づいていた浩一と、付き合ってきた根鳥の前に転がりでる。

 「助けて!助けて!」

 必死に叫ぶ兼雲に浩一は駆けよろうとする。が、急に足が止まる。ちょんまげ抜刀斎の殺気に足がすくんでしまったのだ。その判断は正しかった。

 事実、ちょんまげ抜刀斎は近接戦において学園最強の域に達していた。天が自分を許しているから。何もしてこないから。その大義名分がちょんまげ抜刀斎を高める。自己暗示はますます強まり、どんどんと能力が尖っていく。ついぞしたことのない我慢を一週間していたのも反動となった。

 その一太刀は容易に鉄骨を断ち、その一跳びはビルを越え、その狂気は誰にも理解できない。殺気と暴威を渦のようにまとい、もはや一個の災害とでもいうべき域に達していた。

 ちょんまげ抜刀斎の獣めいたギラついた瞳がすっと細くなる。とどめを刺す気なのだと、浩一も根鳥も、何より兼雲も理解した。哀れ、糸遊兼雲はここで命を散らす。数秒ののちにすらりとした美しい立ち姿は無残に地に散らばる。それが分かっていながら誰も動けなかった。

 「…誰か…」

 こんなにも自分の声はか細くなってしまうのかと他人事のように感じながらも、最後の望みにかけて助けを虚空に求める。

 「…助けて…!」

 そんな懇願にまるで耳を貸さず、刃が横なぎに振るわれた。


「大・天・誅!!」


 頼りないほどに細い首が斬り飛ばされ、ごろりと転がる。



 そうなるはずだった。そうなるはずであった。

 ガギンと鈍い金属音。ちょんまげ抜刀斎の一刀は、西洋剣に阻まれていた。

 …その男は勇ある者ゆえに、助けを求めるか細い声を無視することなどできぬ。誰か助けてと乞われれば、その“誰か”になるため駆け寄る。常にそうしてきた。

 空間転移場所の屋上から、躊躇わず飛び降り、ギリギリのところで凶刃を止めた。

その男、 “絶対勇者”ウィル・キャラダイン。異世界より降臨。

 その姿はまるで狼藉を許さぬ天からの使者のようであった。


◆『天誅』ちょんまげ抜刀斎 VS 『絶対勇者』ウィル・キャラダイン◆


 「なんだお主!何ゆえに拙者の邪魔をするぅ!」

 突然の乱入者にも臆することなくちょんまげ抜刀斎は大上段の構えを取る。しかし、内心は大いに揺れていた。

 天が許さないときは自分が間違っている。ならば天が咎めないのであれば自分は間違っていない。お天道様に胸を張れる。異次元の理屈により迷いを捨て去るのが『天誅』最大の強み。

 (まさか、まさか本当に天罰が拙者に!?)

 自己暗示の殻が少しずつはがれていく。異世界人そのもののウィルのどこか浮世離れした佇まいは、天罰の代行者のように見えた。ちょんまげ抜刀斎の根幹が揺さぶられる。

 「待ってくれ。私は戦いに来たわけではない。剣を収めてはくれないか?」

 ウィルは女性の悲鳴と、振るわれる白刃。そのような状況に反射で体が動いただけにすぎず、殺し合いに来たわけではない。

 しかしちょんまげ抜刀斎はその言葉に耳を貸さない。貸してはならないのだ。ちょんまげ抜刀斎にとって目の前の男は天罰の体現者。この存在を認めてしまっては、自分が間違っていることになってしまう。

 今迄正当化してきた行いが、全てひっくり返ってしまう。本当は悪いことをしていたのだと、間違っていたのだと、これまでの道は獣道だったのだと認めてしまうことになる。

 それが彼には耐えられない。実は正しくなかった自分、ただの犯罪者である自分、そんなものに今さらなれない。なるわけにはいかない。…ならば、どうするか?ちょんまげ抜刀斎は即座に答えを出した。

 斬り捨てる。

 本当に天罰の代行者が来たのなら、拙者なんぞに殺されるはずもない。殺されたならばそれはただの人だ。天ではない。天は変わらず拙者を許してくれる。だから何をやったっていいのだ!何をやってもいいことを証明するために、目の前の男を斬るのだ!なんだただの人間じゃねえかと唾するためにも、斬って捨てねばならぬのだ!


 再び異次元の理屈を構成し、己を高め上げる。ウィルを殺す。その一点に向けて萎びかけた心に喝を入れる。

 (これは…魔獣か何かの類いか?)

 人間が出すには不自然なほどの荒々しい殺気を前に、ウィルも構えを取る。博愛精神の持ち主ではあるが非戦闘主義ではない。降りかかる火の粉は全力で払うのみだ。

 「君たちは下がっていなさい。危険だ。」

 かたや近接能力を磨き上げた生粋の戦闘魔人。かたや異世界で魔王を打倒した正真正銘の勇者。紛れもない強者同士。


 ピンと空気が張り詰める。静寂。呼吸音一つですら妙に大きく響く。ウィルの背に逃げた兼雲、浩一、根鳥の三人の方が呼吸が荒れてきた。汗がどんどん流れる。半面口の中はみるみる乾いていく。


 (―――まずい)


 妙に冷静にちょんまげ抜刀斎は思った。天から降りてきた男と闘うという状況自体が、『天誅』の能力を減退させていた。自分が戦っているのは人に過ぎない、天はまだ許してくれていると思い込もうとしても、どうしても目の前のウィルが只者に見えず、自己暗示が弱まっていくのだ。

 そう思うまいと意識すればするほど逆に自己暗示は緩んでいく。自己暗示にかかっていることすら気付いていなかったからこそ、ちょんまげ抜刀斎は最強足りえたのだ。


 (長期戦は圧倒的に不利!でござる!)


 しかし同時にウィルも困惑していた。自分の力が抜けていくのが分かる。異世界からの闖入者を、この世界は歓迎しなかった。異なる理を安易に持ち込まれることを是としなかった。万が一に備え持ち込んでいたたマジックアイテムは、この世界に入った時点で消え、剣一つしか持ち込めなかった。

 世界の修正力により、魔力もどんどんと抜けていく。ちょんまげ抜刀斎の大天誅を防いだのは、剣に込められていた魔力と自己に重ねがけした補助魔法のおかげだったのだが、その魔力が霧散していく。

 魔力がほとんどなかった幼少期に戻ったような気さえする。ならばこの肉体一つで立ち向かうしかない。果たしてそれで打倒できる相手かどうか。

 (長期戦は不利か…)

 奇しくも互いに同時に同じ考えに行きついた。すなわち、残された力を爆発させ、目の前の難敵を討ち果たすのみ。


 戦いを見守る根鳥の口から、ゼヒュッっと乾いた音が漏れた。それを合図にしたかのように、両者真正面から相手に必殺の一撃を振り下ろす。大地よ砕けよと言わんばかりに、足を死地に踏みいれる音が響く。


 刹那、ちょんまげ抜刀斎の脳天から鼻柱にかけて真一文字の血がびゅうと噴いた。ぐらりと、地に倒れると、もう何も発することはなくなった。

 一方のウィル。右の肩からわき腹にかけて夥しい血が流れていた。ほんの紙一重の決着。ちょんまげ抜刀斎がもう少し踏み込んでいたら。もう少し真っすぐ斬り付けていれば。

弱まっていく己に恐怖するのではなく、ウィルのように受け入れていれば。今頃地に倒れているのは絶対勇者であったかもしれない。

 ちょんまげ抜刀斎。最後まで自分の行いを正当化していた怪人は勇者の一刀により葬り去られた。ただ、このラブマゲドンにおいて、彼ほど自己愛を貫いた者は最後まで現れなかった。



◆◆◆◆


 「少年たち、大丈夫か?怪我はしていないかい?」

 大量の血をこぼしながらも、自分よりも他人を気遣う姿に、浩一と根鳥は完成された大人を見た。…そして、兼雲は、誰に届くともしれない助けの声を拾い上げてもらった糸遊兼雲は、胸に生まれて初めての温かさが灯るのを感じた。

 「ははは、ハイ!ぜ全っ然らいじょうぶです!」

 自分はもうちょっと冷静だったはずでは?そう思いながらも舌が絡まる。顔が熱い。動機が高鳴る。こんな気持ちは単なる吊り橋効果に過ぎない!死にそうだったところを、トラウマがフラッシュバックしているところを助けてもらったから好ましく思うだけだ!

 そう思っても胸の灯がどんどん熱くなる。暴力的な炎となり煌々と燃え盛る。

 「…うぐ」

 ウィルが地に膝をつく。他人の心配をしている暇がないはずの大怪我。少年少女たちが無事だと分かった瞬間安堵したか、意識していなかった疲労、痛みが一斉に襲い掛かってきた。

 「だだ大丈夫ですか!?」

 「…心配させて申し訳ない。だが私は大丈夫だ。…“癒しの術”」

 ウィルの左手にほのかな光がつく。その光を傷口に近づけると、ぼたぼたと流れる血がピタリと止まった。しかしそれだけであった。普段のウィルの回復魔法なら、問題なく動けるほどに傷を癒せただろう。しかし今の、世界に魔力を吸い上げられた状態では、流れる血をせき止めるので精一杯であった。

 肩口の傷は痛ましく、常人であれば痛みに転げまわってもおかしくない程だ。膝をつく程度で済んでいることの方が異常なのだ。顔全体に浮かぶ脂汗が、ちょんまげ抜刀斎の忘れ形見の威力を物語っている。

 「わわ…!安静にしなきゃだめですよ!調布!根鳥!保健室まで連れて行くよ!」

 「「お…おう!」」

 この場にいるのは全員三年生。根鳥も浩一も兼雲と面識はあったが、ここまでアグレッシブだと感じたことはなかった。傍目から見ればそのアグレッシブさの原因は丸わかりであったが、それを口にはしない常識が両者に備わっていたのは幸いと言えるだろう。


 保健室にてウィルの治療をする。まあ全員素人であるので包帯を巻き、ベッドに寝かせる程度であったが、しないよりは良い。

 治療の間、三年生トリオはウィルに矢継ぎ早に質問をぶつけた。どこからやってきたのか、そもそも誰なのか、何のために来たのか、何が出来るのか…。

 ウィル・キャラダインに誤魔化すだとか偽るだとかは発想にすらない。異世界で出会った友人たちに対し、全てつまびらかに話した。

 こことは違う世界から、空間魔術により渡ってきたこと。自身の名前、ウィル・キャラダイン。妻の感情を理解するために妻の世界に来たこと。この世界に来て魔力がほとんど抜けてしまったが、本来であれば大抵のことはこなせること。

 普通であれば夢物語と一笑に付される話だったかもしれないが、ウィルの存在が圧倒的説得力となり三年生トリオに染みわたった。間違いなくこの人は異世界の勇者であると実感できた。

 「私からも質問をしていいだろうか?」

 今度は逆にウィルから問う。おとぎ話から抜け出してきたような存在が目の前にいる非現実感にくらくらしながらも、三人は背をピンと伸ばしてウィルの問いに身構えた。

 「このラブマゲドンとやらは、真実の愛を確かめる催しと聞いたが…偽りの愛なんて存在するのだろうか?」

 その目はどこまでも真っすぐで、深く輝き、嘘偽りが何一つないことは出会って間もない三人でもよく理解できた。こりゃ奥さんしんどいわ、という言葉が口から溢れなかったことを、根鳥は自分で褒めたかった。問題の根深さが気まずさに直結し、微妙に空気が悪くなりそうだったので浩一が無理やり話を変えた。

 「あー、その、魔力が抜けちゃったって話なんですけど、大丈夫なんですか?」

 「心配してくれてありがとう。力が封印されたとか、そういうわけではなく、レベルが落ちたという感じだ。時間をおいて、鍛錬を積めば元通りに戻ると思う。」

 「…!ちょっといいすか!?」

 根鳥が急に会話に入りこむ。

 「万全であれば大抵のことはできるって言ってましたけど、移動系の魔法…そういうのも出来るんすか?」

 「?ああ。“飛翔の術”くらいなら使えるよ。」

 その言葉に納得した顔をする根鳥。

 「あ!いけねぇ!浩一!例の件に遅れちまうぞ!じゃあ、ウィルの旦那!安静にしといてくださいね!すぐ戻りますんで!」

疑問を挟む暇も与えず、浩一を廊下に引きずっていく。根鳥の目論見は分からんが、まあ兼雲はウィルさんと二人になりたいだろうと浩一はさして抵抗をしなかった。



 かくして廊下で男子二人が話し合う。

 「急になんだよ…」

 「良いこと思いついたんだけどさ、お前も協力しろ!」

にやりと、爽やかイケメンには似つかわしくない悪だくみ顔。

 「いやいやいや、中身も聞かずに協力できるかよ!何する気だお前。」

 「単純な話だ。あのウィルって人に、スナイパーあたるをぶっ飛ばしてもらおうぜ。」

 浩一の眼が丸くなる。上空に控え、学園全体を射程距離に入れる正体不明にして、生徒会の切り札、学園最強の呼び声も高いスナイパーあたる。浩一はあたるに挑むなんて発想すら持っていなかったほど、絶対的な強者。

 「だってあの人、本調子になれば空も飛べるんだぜェ?ウィルの旦那ならできるんじゃねえか?もし勝てなかったとしても、瞬殺されるとかはありえないっしょ。あたるの眼が旦那に向いている隙に学外に出ちまえば、真実の愛とやらに挑戦しなくていいし、ぬめぬめを食らう必要もないだろ?」

 「いや…そんな無条件にこっちの思い通りに動いてくれるか?」

 「無条件とか冗談!宇宙の全てはギブ&テイクで成り立っているんだぜ?」

 芝居がかった大仰な仕草。

 「俺たちはウィルの旦那がこっちの世界の感情を理解するのに協力する。リハビリも手伝う。で、旦那にはあたるを倒してもらう。まさにwin-win!ま、実際あたるは無差別殺人鬼みたいなもんだから、あの人の基準からみても打倒すべき存在じゃないか?」

 それはどうよと指摘をしたかったが、冷静に考えれば確かに悪くない手かもしれない。

「私も賛成!」

 「「うお!」」

 悩んでいるところを急に話しかけられ、びくりと体が跳ねる。いつの間にやら兼雲がそばに来ていた。

 「驚かせんなよ…ウィルさんはどうしたん?」

 「怪我がひどいから、すぐに寝ちゃったよ。まあ寝る前に、しばらく行動を一緒にしてこっちの世界を理解しましょ!って確約を取ったけど。」

 「うぉう…抜け目ねえな。というより旦那が疑わなすぎなのか?」

 「別にだましたわけじゃないしね。多分だけどあの人、悪意のある嘘だったら見抜くんじゃないかな。…多分だけど。」

 「あー、なんかそれ分かる気がするわ。」

 「私の目的はラブマゲドンをぶっ潰すことだからねー。ヤバい奴らの手綱握ってけしかけるよりよっぽど良さそう!」

 「ヤバい奴ら?」

 浩一の眉が狭まる。

 「そうそう、私を襲ってきた殺人鬼とかがいい例だけど、ヤバい奴らが学内で暴れないように調整していたのさ。どうやって調整していたかは…まぁちょっと内緒にさせて。それは私の命綱だから。」

 浩一は眉をますます狭める。眉間のしわが深くなる。

 「おや、そんなに私が能力を隠すのが気に食わないかい?でも浩一君みたいに能力をオープンにする人ばかりじゃないんだよ?」

 多少言い訳がましいかな?などと思いながらも自己弁護をする兼雲。しかし浩一はその弁護には全く興味を見せない。

 「ちょっと待てよ…そのヤバい奴ら、…今調整出来てる…?」


 「……あ」


 ちょんまげ抜刀斎に殺されかけた時に、能力の対象を浩一に切り替えた。てことは今、手綱握れてないじゃん。兼雲がそう思ったタイミングで、大音量の悲鳴が聞こえてきた。研究棟の大実験室からだった。



◆◆◆◆

 わはははは!恋は盲目!恋は盲目!よくぞ言ったものだと甘之川グラムは痛感する。「あいつとならどこまでも行ってもいい」なんて思いに翻弄されて、荒療治としてラブマゲドンに参加したはいいけれど!

 わはははは!“あいつ”がラブマゲドンに参加しないかもしれないなんて基本的前提すら、すっぽりと抜け落ちていたぞう!一目惚れの相手を見つけたというのに、あいつはギリギリで学外に脱出していましたとさ!その光景を目の当たりにした時の私の気持ちを5000字以内で述べなさいってなもんだ!

 …だっていうのに、あいつに、真実の愛を確かめ合う、心に決めた相手がいないだけマシだなんて、ほっとしてしまった!本当に私はどうしてしまったんだろうな!

 ああもう泣けてくる!普段はボサボサの髪を整えて、慣れないルージュなんか引いたりしちゃって、あまつさえクッキーなんか焼いちゃって!ああもう馬鹿みたいだな私!

 やけっぱちになって学内をうろつく。他に想いを告げる相手なんていないし。かといって捕らわれた校則違反者の愛なんて受け入れる気はないし。滑川ぬめ子の愛を享受する気もないし。スナイパーあたるの狙撃を逃れる自信もないし。

 詰んでるねコレ!ただひたすらに結論を先延ばしにするしかない現状にイライラするけども、それで状況が好転するはずもない。

 果たしてどうしたものかと悩んでいるところ、嫌な液体音が耳に入ってきた。ずるずると、ぴちゃぴちゃと、気色の悪い鳥肌の立つような音。

 甘之川グラムは気になったことをそのままにするタイプではない。音のする方に向かい、何があるか確認しようとする。暗い、暗い大実験室から液体音は聞こえるようだった。

甘之川グラムは無造作に扉を開く。…仮に60秒前に戻れるとしたら迷わず戻ることを選んだろう。どうして興味本位でこの扉を開いたのだろう。闇に光る瞳を見てそう思ったところで後の祭りであった。


◆◆◆◆


 ああ、ああ、頭が痛い。ズキズキズキズキと万力で締め付けられているかのようだ。

訳の分からない奇人変人に囲まれ、神経をすり減らしたことで、泉崎ここねの頭痛は最高潮に達していた。そもそも何故自分は律義に体育館に通っていたんだろうか?

 ぐるぐると思考が回転する。ガジガジと親指の爪を噛む。爪の白い部分はとっくに消え失せ、代わりに真紅の血がうっすらと滲んでいるがそんなことも気にせずガジガジガジガジと爪を噛む。

 木下生徒会長を暗殺してやろうと目論んでいたはずなのに、気が付けばグダグダ。胃の中身はぐちゃぐちゃで相変わらず吐き気が止まらない。

 どこかに引きこもって一人でいたいけど、トイレはよく分からない人に見つかってしまった。他に人気のないところがあっただろうか?

 ほんの少し考えて、大実験室ならあまり人が寄らなかったことを思い出す。得体のしれない薬品の臭いと、気色の悪い標本が揃っている大実験室は、愛なんてものを求めるラブマゲドンとは程遠いように思えた。

 それにここねは別段薬品の臭いが嫌いではない。生きている人間よりも物言わぬ標本の方がましだ。乱暴に大実験室のドアを開く。

 最悪だ。先客がいるみたいだ。チッと舌打ち一つ。しかしそこは最悪ではなかった。より酷い災厄が控えていたのだから。薬品の臭いが嫌いなら、こんなことにはならなかったのかなぁと、ぼんやり思うが後の祭りであった。


◆◆◆◆

 なんで私は体育館でうろついていたんだろう?悩み、くだらない思い、日常のふとしたこと。朱場はそれらをSNSで垂れ流す。

朱場永斗@鬱‏ @hayami 15秒
クソ臭い大実験室あんじゃん

朱場永斗@鬱‏ @hayami 38秒
誰もいないとこね~かな~!

朱場永斗@鬱‏ @hayami 55秒
ああもう最悪今なら死ねる 念だけで死ねる

朱場永斗@鬱‏ @hayami 1分
気圧差激しすぎ 低気圧なんて滅びろ!

朱場永斗@鬱‏ @hayami 2分
何がラブだバーーーカ!!嘘です嘘ですラブ欲しいです なんでもしますから(ん?)

朱場永斗@鬱‏ @hayami 2分
薬の量間違えた 死にてえ~(ガチ)

朱場永斗@鬱‏ @hayami 3分
またピアス増やそう


 画面も見ずにそれらを打ち込む。ブツブツと呟きながらひたすらに打ち込む。恋人づくりに参加したはずなのになんで私はこんなことになっているんだろう。

朱場永斗@鬱‏ @hayami 5秒
大実験室到着~!って人いるやんけ!

 SNS依存者の朱場の呟きはここからしばらく沈静化する。大実験室の化け物と遭遇してしまったからだ。大実験室ではなくて資料室にすればよかったわぁ!と呟く暇すらない。そんなことを思ったところで後の祭りであった。


◆◆◆◆


ぬらり、と大実験室の闇を這いずる者がいた。ぴちゃりぴちゃりと涎を垂らし、ズルズルと近寄ってくる。

その瞳はギョロリギョロリと音が聞こえそうなほどに激しく動いているが、その真意を図ることは誰にも出来ない。それを見た時三人の乙女は、この世には確かに相互理解不可の化け物がいると思い知らされたのだ。

その化け物はポツリと呟いた。

「パンティー‥」




◆『パンタローネの抱擁』嶽内大名
VS 
◆『林檎の重さと月の甘さ』甘之川グラム
◆」『論理否定』泉崎ここね
◆」『ヘイストスピーチ』朱場永斗@鬱



男子がもっともパンティーに魅了されるのはいつだろうか。言うまでもない。思春期真っ盛り、少年から青年への変貌期。中高時代に男子はすべからくパンティーに魅了される。

 たかが布一枚、などと野暮を言う者などいない。
 その布一枚のために青春を捧げる。
 見えたか見えないか、色はどうだったか、畜生スパッツじゃねぇか!はためくスカートに全身全霊で一喜一憂する。

 パンティーを愛しパンティーに愛された、マスターパンティーである嶽内大名も例外ではない。希望崎学園在籍時、当然のように心の底からパンティーを求めた。

 しかし、希望崎学園は跳梁の跋扈する伏魔殿。手を出すことが即命取りになるパンティー吊るしが徘徊している。嶽内とて命は惜しい。パンティーのために命を落としてしまったらどうしようもない。

――嗚呼、なんと脆弱な思考。惨めな負け犬。嶽内大名はマスターパンティーとして未熟であった学生時代を思い返すたびに死にたくなるほどの羞恥に襲われる。何故愛するものと自身の命を天秤にかけ、迷いもせずに命を選んだのか。

NO PANTIES NO LIFE

吾輩の、嶽内大名の愛はそこまで軽いものだったのか。

逃亡先として、嶽内は希望崎学園を選んだが、それはかつての弱い自分を克服するためだったのかもしれない。胸の奥底に秘められた願い。希望崎学園の生徒のパンティーと「交流」する。

ところがその積もった想いは兼雲によりおあずけを食らう。挙句の果てに能力の支配下に置かれたせいで一日最低十回は行っていた愛するものとの普段の「交流」すら封じられた。そうして訪れたのは深刻なパンティー欠乏症。

 身体は愛を、新たなパンティーを求め、暴走を始めた。もはや嶽内はパンティーを求める一個の修羅と化していた。言語機能は減退し、意識は虚空を移ろい、視線は揺れる。世界にはパンティーと己のみ。

 さあ「交流」の時間だ。邪魔極まるパンティー吊るしどもにはご退場願おう!

◆◆◆◆


暗闇に浮かぶ深海魚のような瞳。焦点が定まらずゆらゆらと揺れている。背に鳥肌が一斉に立つのを感じる。甘之川は自分が悲鳴を上げなかったことを誰かに褒めて欲しかった。

いつの間にか大実験室に来ていた女生徒二人にアイコンタクトを送る。泉崎と朱場。クラスは違うが学年は一緒だから名前くらいは知っている。

ふわふわのプラチナブロンドの泉崎と、ショートボブの巻いた紫髪の朱場。ガーリーな感じで正直あまり関わりたいと思ったことはない。

ただ、この得体の知れないヤツよりマシ!以心伝心。泉崎も朱場も同じ考え。協力しあい危機の脱出を試みる。

甘之川にとって大実験室は庭のようなもの。瞬時に部屋の照明スイッチをオンにし、相手の正体を明らかにする。

瞬間、長身痩躯、下半身を黒ジャージに包んだ男の姿があらわになった。長い手足を地に付け、蜘蛛の様な姿でこちらを観察してきている。

だらだらと垂らされた涎、焦点の合わない不気味な目、ぶつぶつとうわごとを繰り返す口。上半身には何も身につけず黒地の刺青。

どっかのジャンキーが学園に紛れ込んだか。一瞬そう思ったが、刺青の正体に気付いた時、意識が真っ白になった。


「「「ギャアアアアァァァアアー!!」」」

白衣の理系女子、甘之川グラム。
SNS依存のメンヘラ女子、朱場永斗@鬱。
不幸系否定少女、泉崎ここね。

境遇も性格もまるで違う3人の悲鳴はピタリと揃った。


「「「変態だぁーー!!!」」」

息を一つひゅうと吸う。

「「「変態だぁーー!!!」」」

 汗がぶわっと体中に吹き上がる。

 「「「変態だぁーー!!!」」」


皮膚の下にパンティー埋め込んでるぅ!?

無理無理無理無理!蟲とか爬虫類とか魚類とか、そういうのは全然平気だけど、これが大丈夫とか言えるのは乙女じゃないって!

ヤバくね?いくらなんでもヤバくね?完全に語彙が貧弱になってしまったことが恥ずかしかったが、泉崎も朱場も、こいつはやべぇという表情をむき出しにしている。いや本当になんだよこいつは?

 こんなやつを相手にするなんてまっぴらごめんだ。即逃げ出そうとするが、下半身の妙な涼しさに動きが止まる。…私のパンティー、動いてない?

 私は頭がおかしくなってしまったのだろうか。私の穿いてるパンティーが、まるで意志を持ったかのように逃げ出そうとしている。そんな馬鹿な。でも現実!見せてはならない乙女の花園が丸出しになりそうになっている。

 「うおおおぉぉぉ!?」

 急いでパンティーを抑える。見ると泉崎も朱場も顔を真っ赤にしてスカートの上から下着を抑えている。泉崎に至ってはうっすらと涙まで流している。

 『いや!』 『やめて!』 『近寄らないで!』

 泉崎は魔性の拒絶の言葉『論理否定』を嶽内にぶつける。こんな変態に論理感なんていらないだろうと、脳みそをプリンにする勢いで、明確な殺意をもって言葉をぶつける。至近距離からの全力の能力使用。いかな魔人と言えど赤子のような廃人になりかねない危険な技。

 『阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!!!!』

 朱場も『ヘイストスピーチ』を全力でぶつける。脳神経を焼き切る勢いで、膨大な情報を叩きつける。常人であれば数秒、魔人であっても数十秒で脳が破裂しかねないほどの情報の奔流が嶽内に襲い掛かる。

 学園屈指の言霊使いの同時攻撃。普通であれば眼球がはじけ、脳がショートしたうえで退行し、あっという間に物言わぬ死体になっただろう。


 だが生憎、嶽内は普通の真逆に君臨する男だった。


 求めるものはパンティーのみ。トランス状態に入った嶽内の耳には、もはやパンティーの声しか聞こえない。魔人能力とは認識の力。世界かくあるべしと固定し我を通す力。パンティーの声しか聞かないという偏屈な脳構造の嶽内に、乙女の声は届かなかった。聞かないから効かないのだ。

 「て、抵抗するな…パンティー吊るしども!その子たちの助けを求める声が、き、キキキキ!聞こえないのか!?その子たちは吾輩に助けを求めている!邪悪な牢獄から自由になろうとしているのだ!!」

 今の嶽内には泉崎の『論理否定』も朱場の『ヘイストスピーチ』も届かない。こうなれば抵抗しうるのは甘之川の能力、甘さと重さを変換し合う『林檎の重さと月の甘さ』だけである。

 (いやいや!こんなのと近接戦なんて嫌すぎるって!)

 もうこいつが求めているパンティーを与えてしまえば、この場は平穏に済むのではないだろうか。逃げようにもずり落ちそうなパンティーを支えながらでは逃げ切れるはずもない。乙女としての羞恥心と、この変態とやり合わなくてはいけない労力を天秤にかける。

 (私のパンティーだけで満足してくれるか分かんないからなぁ)

 泉崎と朱場を説得して、全員のパンティーを渡してしまおうか。消極的撤退を視野に入れ始めた甘之川に対し、嶽内がますます饒舌に言葉を浴びせ倒す。

 「パンティーとともに歩み!ヒヒ!文字通り常に一緒に生活している!吾輩はこの子たちを愛し!この子たちは吾輩を愛している!この学園では今何やら催し物があると聞いたが!ラブマゲドン?笑止千万!吾輩の純なる愛に比べ他の愛は須らく不純!時とともに移ろい歪む偽りの愛!吾輩に敵うべくもない!」

 甘之川グラムは天才である。数多くの賞を若くして受賞し、物事を極めて論理的に考えることができる。効率を考えるならば、パンティーをさっさと渡して立ち去ればいい。嶽内は生身の肉体には頓着しない様子なので、それでことは終わるだろう。―――だが、おお!恋は盲目!恋は盲目!

 「…今、この私の愛が偽りだといったのか?」

 乙女としての羞恥心の皿に、乙女としてのプライドが乗り、嶽内とやり合う労力の皿を跳ね上げた。天秤は完全に傾いた。徹底的にやり合うという方向に。

 「大丈夫かい!」

 凛と通る勇者の声。悲鳴を聞きつけて、ウィル、根鳥、浩一、兼雲も大実験室に飛び込んできた。

 変態一人、乙女が四人、少年二人に勇者が一人。場は混迷を極めていく。


◆◆◆◆


 「言ったがどうした?吾輩の愛こそが真実の愛である!」

 乱入者にも気にする様子なしに嶽内は続ける。

 (根鳥君、彼の言う愛とはなんだ?)
 (いや俺にも分かんないっすよ!ピンポイントでこんな意味不明なの聞かんといてください!)

 ふむ、と一つ間を置き、ならばとウィルは直接尋ねることにした。

 「そこの御仁、いきなりの質問恐縮だが、貴方の言う真実の愛とは何だろう?」

 (オイ馬鹿根鳥!ウィルさん空気読まず割って入っちまったぞ!?)
 (いや俺のせいではないだろ!)

 ウィルに悪意はない。純粋に嶽内の言う愛について詳しく聞きたいだけだ。だからと言ってこの空気に割り込むのは違うだろうと三年生トリオは思ったが止められなかった。止められなかったのだが。

 「どこの誰か知らないが引っ込んでいろ。」

 甘之川グラム。ウィルの方を少しも見ずに言い放つ。

 「今、この時、この場所は私とこの変態との問題だ。」

 142㎝の小柄な体が一瞬大きく見えるほどの気迫。有無を言わせぬ迫力が背中に満ちていた。さすがのウィルもそれ以上言葉を続けずに押し黙る。

 「おい変態。よく聞け。この天才、甘之川様は今、恋をしている。」

 周囲がざわつく。学園随一の天才の名はそれなりに知れ渡っている。色恋とは無縁そうな彼女の告白に皆驚くが、その真剣さに茶化そうとする者はいない。

 「あの人がいれば他に何もいらないなんて思っちゃて、心底馬鹿げている。精神病の一種かとも思い脳科学を突き詰めた。有名な恋愛論は片っ端から読んだ。いわゆるイケメンのアイドルを追っかけてみたりもした。」

 脳科学、恋愛論、アイドル。理知的な甘之川らしい多角的アプローチ。

 「だけど、結局この感情がどこから来るのか、何故来るのか、さっぱり分からなかった。」

 少し恥ずかし気に目を伏せ、それでも一気にしゃべる。

 「…私は処女だ。恋なんて初めてで、この胸に渦巻く感情が、本当の愛かなんて判断できないし、友達とそんな話したことないから比較対象もないし、この感情の向く先が人生で最高の相手かどうかなんて分かるはずもない。」

 皆黙っていた。嶽内すら、空気感に気圧され何も言わなかった。

 「…苦しいんだ。胸の中とお腹の底がぐつぐつ煮えたぎるようで、毎日自分が自分じゃなくなるような感じがして、でもそれが心地よくなってる。」

 ウィルは、初めて聞く感情表現の羅列に息をのむ。

 「何もかも分からないけど、悩むこと、それ自体が正しい愛のカタチなんじゃないかな…?なんて最近は考えている。でもそれはあくまで仮定で、正しいかどうか分からない。勿論間違っているかどうかも。」

 プフーッ!と大きく息を吐く。

 「だからこそ!この私の気持ちを偽りなんて言わせない!それを決められるのは私だけだ。この私だけが、私の愛に正否を下せるんだ!」

 もうこれ以上言うことはないというように、甘之川が拳を握る。それを合図に、嶽内がとびかかる。自身に埋め込まれたパンティーを動かして加速。一級の戦闘魔人と同等の速度を見せた。

 瞬時に甘之川の後ろに回り込み、パンティー乱舞により正しい愛を教え込もうとする。が、甘之川も瞬時に反応。後ろを取らせない。その早すぎる反応に嶽内の脳裏にわずかながら警戒信号が走る。暴走状態にあっても、歴戦のマスターパンティーとしての感覚が働いたのだ。

 『変態は後ろに回り込んだ。すぐに振り返って!』

 朱場の『ヘイストスピーチ』による高速の情報伝達。朱場は恋する乙女の端くれとして、甘之川を援護することに決めたのだ。パンティーを傷つけぬように戦う嶽内と、援護を受けて動く甘之川。戦闘経験の差を埋めるには十分な状況であった。

 一進一退の攻防が続くが、体力の差までは埋めがたい。よくまあそんな小さな体でというほどの動きを見せていた甘之川の動きが衰え、足がもつれる。その瞬間に嶽内は仕掛けた。

 が、それは罠。このままでは押し負けると踏んだ甘之川の仕掛けた罠。超速で迫る嶽内の顔面に、カウンター気味に白衣の内ポケットから薬瓶が投げ込まれる。顔面に粉末がぶちまけられそうになるも、嶽内は赤子を扱うような繊細な手さばきで瓶を受け止める。


パンティーを優しく扱う手腕が十全に生かされた。中身一つ溢すことなく薬瓶は嶽内の両手に収まった。カウンターを防いだ嶽内の笑みに、甘之川グラムも凶悪な笑顔で返した。


「…残念。一手間違いだ。」


薬瓶のラベルにはこう書いてあった。サッカリン。

その甘みは砂糖の主成分であるショ糖の700倍ともいわれる。高濃度では苦みすら感じさせる甘味の塊。糖度15の林檎に対して、約4700倍の甘味。嶽内が100グラム程度の薬瓶を手に取った瞬間、限界まで甘さと重さを逆転させる!

 「計算は得意かな?変換後の値は――1.4トンだ!」

 突然の超重量に、嶽内の両肩は外され、長身が前のめりになる。それに合わせて小柄な甘之川が懐に入り込む。

 「月までぶっ飛べええええ!!」

全身全霊のアッパーカットが嶽内の顎を砕き、壁を突き破って中庭まで吹っ飛ばした。

 「別に、あんたの愛が間違っているとか、私の愛の方が優れているとかいう気はないよ。…これはただ、私の恋心を甘く見たことへのケジメを取ってもらっただけだから。」


◆◆◆◆


 力を振り絞りつくし、足元から崩れ落ちる甘之川を、慌ててウィルが受け止める。

 「あー…私、意識失ったり夢見たりしてる?ファンタジー丸出しの勇者になんか受け止められてるんですけど…」

 「現実だよ。グラムちゃん。さっきのパンツマンよりはよっぽど現実感あるだろ?」

 根鳥が答える。プレイボーイの根鳥は才女と誉れ高い甘之川に声をかけたことがあるので、互いに面識があった。

 「あー、ネトリ先輩久しぶりデス。…どういう状況になってるんですか?」

 一言で説明するのは難しかったので、いったん全員保健室に向かい、そこで互いの情報を開示しあうことになった。



 「てことは何?私恋人探ししようとしてたのに体育館に通ってたの、先輩のせい?」

 「トイレノックしたの先輩ですか…」

 「うは、兼雲暗躍しすぎだろオイ」

 「ネトリ先輩もお疲れ様です。とっくに脱出してると思ってたので、ご愁傷様です。」

 「イケメンはさっさと脱出しててほしかったぜ…凡人のチャンスが減るだろよー!」

 「浩一、そういうとこだぞ。」

 ラブマゲドンが始まって一週間。皆知らず知らず緊張の糸を張っていた。頼りになる存在がいる安全な場所は、心を緩ませ、他愛のない話に花が咲く。

 一通り情報交換をした後、今後の方針について決めることとなった。

 「私たちはウィルさんと一緒に学内の治安維持をするつもり。そろそろ思い詰めて無理に言い寄るような悪漢も出てくるだろうし。治安維持がウィルさんの魔力回復にもつながるし、浩一の不幸回避にもつながるし。」

 「助かるわ~!いやマジで!」

 普段より一段と軽い受け答えをする浩一。この後兼雲が告げる内容が重くなり過ぎないように。

 「そして…そして、ウィルさんの力が戻ったら、スナイパーあたるを倒してもらう。」

 二年生トリオがざわつく。甘之川も泉崎も朱場も、スナイパーあたるをに敵対しようなんて考えてもいなかったから。

 「ネトリ先輩…それ、出来るんスか?あとそこの勇者さんは協力OKなんスか?」

 黙していたウィルが答える。

 「この場の治安維持には大いに賛成だ。無駄な争いは好むところではない。天空の敵の打倒は…まだ決めかねている。倒せるかどうかも当然分からない。ただ最大限の努力はする。」

 「ん~、まあ他に方法もないですしねえ。私はのりましょう。」

 甘之川に続く形で、泉崎、朱場の二人も協力を表明。保健室を拠点にして活動をすることとなった。

 「兼雲先輩、特に危険な協力を強制されるとかはないですよね?」

 朱場は一週間拘束されせいで、めぼしい恋の相手がもう学外に出てしまったため、不承不承、案に乗ることにした。

 「勿論。」

 「じゃあ私は基本自由に動いてますんで。特に迷惑はかねないようにしまーす。」

 朱場が部屋を出たのを皮切りに、いったん解散となった。


◆◆◆◆


 「フゥー!フゥー!」

 息を乱し、顎から血をぼたぼたと流しながら嶽内が地を這う。甘之川の一撃は痛烈ではあったが、脳内麻薬の出ていた嶽内を仕留めるには至らなかった。

 「吾輩の愛…パンティー…愛しい者たち…早く、早くパンティー吊るし共から解放してやるぞ…」

 恐るべき執念で嶽内は動きを止めない。滲み始めた視界を、ふわりと何か紫のものが埋めた。嶽内はすぐにそれが愛してやまないパンティーであると察する。

 「オオ!おお!」

 パンティー欠乏症が和らいでくる。まさに助け。

 「どう?落ち着いた?私のだけど」

 這う嶽内を見下ろすように朱場が立っていた。逆光で表情はうかがえず、何を考えているか推察は出来ない。嶽内の視点からは朱場の秘密の花園が見えそうであったが、朱場は気にする様子もなく堂々と立っている。

 「あ、ああ。落ち着いた。パンティー吊るしにしては殊勝な心掛けである!」

 「私の声、聞こえる?」

 「?ああ。聞こえるが。」

 それは良かったという朱場の呟きを最後に、嶽内の視界は裏返った。


 『吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽吽!!!』


 聞いていなくて効いていないなら、聞くようにすればいい。単純な話だった。どぼりと眼球から赤黒い血が噴き出し、嶽内は血だまりに沈んだ。

 「…私もさ、私の愛を馬鹿にされてそのまんまには出来ないんだよね。ごめんね、甘之川みたいに甘くなくて。」

 甘くない分、私のはかなり重いかも。自覚していても止められない。移り気だとか惚れっぽいとか言われても、その時その時で朱場の愛は本物で、誰にも否定させる気はなかった。


◆◆◆◆


 朱場が立ち去った後。ぼろ雑巾のようになりながら、どう見ても死者の様相を呈しながら、嶽内は動いた。

「あ‥あぁ、あ、あ、」

甘之川のアッパーカット、朱場の『ヘイストスピーチ』をまともに食らった嶽内は肉体、頭脳ともにズタズタになっていた。現在動いていることが不思議なほどの致命傷を負いながらも、ズルズルと地を這う。

嶽内自身にも自分がどこに向かっているか分からない。ただまだ終われない、こんなところで終われないという情念が嶽内の身体に鞭を打つ。

「‥愛している。」

それは誰にも理解されない情愛。

「‥愛しているんだ。」

それは己自身でもある情念。

(愛しているよ!)(私もよ!)(ずっと一緒にいたいわ!)(私たちが付いているよ!)

皮膚に埋め込んだパンティーたちが一斉に応える。誰もこの声が聞こえないという。当たり前だ。これは吾輩だけに話しかけてくれているのだから。

どのくらい這いずっていただろう。もはや意識は混濁し、もう間も無く命の灯が消えると、嶽内自身にもはっきり感じられた。

狭まる視界で扉を開く。なんの扉かも全く分からない。もう限界だった。


「愛しているよ」 (私たちもよ)


何万回も繰り返した「交流」。これが最後だとすると、もう少し洒落た言葉にした方がいいかとも思ったが、やはり愛しているしか浮かばなかった。

稀代の変人、パンティーマスターが最後に倒れた場は、生徒会室であった。


「ジャーーーーッジメント!!」


木下生徒会長のよく響く声が部屋に轟くが、嶽内にはもうどうでもいいことだった。


「汝らの愛は~‥‥」


―――もう何も聞こえない。静かな世界。

嶽内の死に顔はとても穏やかなものだった。こんな顔で最期を迎えるのは、おそらくとても幸せなことだろう。


◆◆◆◆

 「悪い!ちょっと持ってきてくれるだけでいいんだ!頼む!」

 根鳥が学外に電話をかける。通話先は告白を成功させ、正規の手順で脱出をした魔人空手部の友人だ。

 「学内で提供される食事は味気ないんだよォ~!甘いもんが食いてえんだよォ~!倍の値段で買い取るから!」

 「マジかよ!そこまでしてくれるなら持ってくわ!待ってろ!」

 かくして根鳥の友人は希望崎学園と外部の境界線まで来た。

 「木下会長にも確認したけどよ、正規脱出した奴は行き来自由らしいぞ。真実の愛を証明したのに、もう一度試されるなんてあってはならないし狙撃なんてもってのほかだとさ。」

 「いやそうは言ってもスナイパーあたるは怖いからなー。ほれ、菓子沢山買ってきたぞ。」

 「うぉー!ありがたい!一万円あればいいかな?」

 高校生にとって諭吉の重みは計り知れない。想像以上に割のいいバイトに、空手部は笑みを抑えきれない。空手部の中で、根鳥への好感度はさらに上がっていた。

 「それでさ、その代わりといっては何だけどさ、お前の力も貸してほしいんだ。」

 一瞬、空手部の瞳がグルグルと渦巻いた。『宇宙ヒモ理論』。好意の重さにより相手からあらゆる物を借り受ける能力。

 「しょうがねえなあー!何でも言ってくれ!」

 次の瞬間、先ほどまでの拒否はどこへやら、境界線をまたいで学内に入った。

 「いやなに、ちょっとスパーリング相手になってほしい旦那がいてね…」


◆◆◆◆


 「お見事だねぇ」

 「なんだよ兼雲、のぞき見は趣味が悪いぜ?」

 「いやいや、ウィルさんのスパーリングへの協力者をどんどんと連れてきてくれるからさ、その方法を知りたいと思うのは当然だろう?まあ大体の予想はついているけど。」

 兼雲は平河玲からの調査ファイルを思い出す。

【根鳥マオ】
決して悪人ではないが、操作系に類する能力の可能性が高い。ガードが固く条件は不明。本イベントにおいて能力の多大な悪用はないと思われる。

 「あ~、分かっていたとしても武士の情けで口にしないでくれよ?兼雲と一緒で俺も能力が生命線なんだ。」

 「分かってるよ。根鳥だって私の能力に薄々感づいても話すようなことをしていないからね、お互いさまでやっていこう」

 兼雲が自身の能力について触れた途端、常に笑みを絶やさない根鳥が一瞬だけ真顔になった。しかし次の瞬間には変わらぬ笑みを浮かべている。

 「能力ついでに聞きたいんだけどさァ、例の“調整”とやらにさ…麻上アリサって入ってる?」

 麻上アリサ。卓越した演技力が極まったことで発言した能力、『ハイ・トレース』により役を憑依させる。普段であれば全く危険がないどころか心優しい少女であるが、今は殺人鬼、殺杉ジャックを憑依されており極めて危険な存在と化している。

 「…何故?」

 「いやさあ、俺彼女のファンでね。なんか空手部の奴らに聞いても脱出したって聞かないし、学内でも見ないからさァ。」

 表情一つ変えずにぺらぺらと喋る。しかし兼雲には取り繕った薄っぺらい笑顔にしか見えない。見えないが、敢えて指摘するほどのことでもないと考える。

 「おっしゃる通りだよ。彼女は今、殺人鬼の殺杉ジャックの役に入り込んでしまってる。危険だけどウィルさんが討伐する相手かって言ったらちょっと違うからね。私が“調整”して体育館に通ってもらってるよ。」

 「あー!あのマッチョのチェーンソーがアリサちゃんかよう!うわスゲー残念!」

 保健室に戻ろうとする根鳥の表情はうかがえない。

 「ほんと、すげえ残念。」

 二度目の残念という言葉は、風にかすれて殆ど聞こえなかった。

◆◆◆◆

 「亀川部長―!どうすんですか!アリサちゃん戻ってこないじゃないですか~!」

 「うるせえぞ!部長にだってどうすることもできねえだろ!」

 麻上アリサの所属する映像部は、ここ最近ずっとこんな感じだった。ラブマゲドンに麻上アリサを置いてきてしまった罪悪感、主演のいない作品作りの停滞感、それらがストレスとなり空気感は最悪だった。

 ところがこの日は動きがあった。

 「麻上、無事だってよ!」

 部長の亀山が嬉々として部員に告げる。

 「マジすか!良かった~!考えたくもないですけど、もしかしたらスナイパーあたるに…とか思い始めちゃいましたよ。」

 「でもよく分かりましたね!どうやったんです?」

 当然の疑問に部長は笑顔で答える。

 「根鳥の奴がメールで教えてくれた!まだ役に没頭しているけど、とりあえず怪我とかはしてないらしい。」

 「根鳥さんも脱出できてなかったんすね。なんだか意外。」

 「えー、根鳥かよぉ、あいつ絶対麻上に気があるって!」

 久々の明るい情報に盛り上がる部員たち。それを満足そうに眺め、亀山部長は言葉をつなげた。

 「これで麻上が戻ってきたら、新作作れるな!」

 …静寂。

 「いや部長!ない!それはない!いくら何でも自分本位で気が早すぎ!」

 「ドン引くわぁ!」

 「そこまで責めなくてもいいじゃないかよお!もう麻上には脚本渡してあるんで、どんどん撮りたかったんだよお!」

 全員にフルボッコにされ半泣きの部長。果して麻上アリサは無事戻り、この喧騒を治めることができるのだろうか。


◆◆◆◆

 ウィルたちが保健室を拠点に活動を開始してから約二週間が経過していた。無理やりに愛を迫るものは成敗され、なかなか一歩を踏み出せないカップルたちは時間を味方につけて告白を成功させ、脱出を諦めたものはウィルたちに望みを託した。

 ウィルは生徒たちの望みを受け鍛錬を積み、力を少しずつ取り戻していった。人々の期待に応えるという点において、ウィル・キャラダインほどの適任者はいない。今までやってきたことをそのまま貫くだけである。

 告白するものもほとんどいなくなり、無茶をする者もいない。凪のような時間が学園を覆っていた。ただし保健室だけは妙な緊迫感に満ちていた。兼雲が緊張しながら問う。

 「いよいよ明日は12/24クリスマスイブ。明日の深夜12時にラブマゲドンは終わりを告げます。…ウィルさん、いかがでしょう。スナイパーあたるを倒してくれないでしょうか?」

 沈黙が保健室を支配する。ウィル・キャラダインはこの世界の者ではない。不干渉を選択し元の世界に帰ったとしても誰も責めない。むしろスナイパーあたると対決をするという事は命を落とす危険性すらある。自己の保身を考えるならば、スナイパーあたるとの戦いは何の益もない話だ。

 「…異世界の友よ。まずはこちらの世界について右も左も分からなかった私を、導いてくれてありがとう。心から感謝する。」

 がっしりした長身を曲げ、深々と礼をする。

 「正直に言うと、この世界には偽りの愛、間違った愛などがあると知った時、そんな世界を理解することは不可能だと思った。何故なら愛は不変で一つだから。人と人は互いに愛し合うものだし、愛には貴賤も区別もないものだから。…それが当然だと思っていたから。」

 どこまでも真摯に紡がれる言葉を、全員が固唾を飲んで聞きこむ。

 「しかし、妻の世界はここだったんだな…その世界を捨て、我々の世界で暮らすことに、どれほどの努力が必要だったか。どれくらい心を砕いていたか。…未熟な私は全く気が付けていなかった。」

 それは、勇者たらんと努め、周囲の誰もが勇者と奉るウィルの、久しく見せていなかった弱音であり、悔恨の表情であった。

 「怪人の自己愛に触れた。甘之川君の燃え滾るような愛の言葉を聞いた。元の力を取り戻す間も、様々な告白を聞き、様々な愛を見た。…それを見て、どうして愛が一つなど言えよう。皆が同じ愛を持つなど言えよう。私の世界が間違っているなどは思わない。ただ、妻を悲しませてきた。無理をさせてきた。それはどうしようもなく間違っていた。」

 力のこもった瞳で皆を見渡す。どこまでも不完全で、成長途中で、眩しい若者たちを見る。

 「私は妻の愛を理解すると誓った身。ここで過ごした日々で結論は出た。【愛とは、強制されるものではない。】…少なくともこの世界では。正解が一つではないからこそ、多様な愛が、多様な可能性を生む。故に、暴力で縛り付け愛を強要するこの催しは邪であると私は判断した。」

 全員がウィルの言葉の続きを待つ。

 「明日、上空の難敵に挑もう。皆、力を貸してほしい!」

 保健室が沸き立つ。廊下でそば耳を立てていた他の生徒も喜びを爆発させる。スナイパーあたるさえいなければ、無事に家に帰れる。学園最強の男はあまりに不明瞭で強大な存在だが、何とかできそうな説得力がウィルにはあった。

明日、ある者は皆に愛を強要し、ある者はそれを打破せんとし、ある者は想いを告げようとする。

12/24 クリスマスイブ 各人の想いが集結する。


◆◆◆◆

 「あー、ちょっといいですかー?」

 スナイパーあたる打破を目前に、根鳥が兼雲、浩一、ウィルに声をかけた。何事かといぶかしがる三人を前に、気にせず続ける。

 「ちょっと皆さんに、見ててほしいモンがあるんですよ。そこまで時間取らないんで、お願いします。」

 いつになく真剣な顔で頭を下げる根鳥。

 「なんだよ根鳥。前も言ったろよ、内容先に言えって。」

 普段の飄々とした顔はどこへやら。汗をだらだらとたらし、丁寧に言葉を紡ぐ。

 「あ、ああ、そうだよな。先に言わないとな…。じゃあまずは浩一。お前にはすげえ感謝してる。ありがとう。」

 唐突な感謝。疑問符を全開で浮かべる浩一。

 「俺は人間関係うまくやってるように見えるかもしれないけど、全部計算と打算で動いてる。利害関係がないと人は動かないと思っているし、思っていた。だからさ、ラブマゲドン巻き込まれて、誰頼っていいか分からなかったとき、打算抜きで一緒に行動してくれたこと。すっげえ嬉しかった。」

 自嘲気味な笑いを浮かべつつ続ける。

 「こんな奴いんのかって感じでさ、信じられなかったわ。かと思ったら兼雲は損得抜きで動くし、この学校で一番クールだと思ってたグラムちゃんの大恋愛はすげえ熱かったし、ウィルの旦那はどこまでも真っすぐだし。かっこつけて、八方美人で、打算で生きてる俺が、なんかすげえみっともなくてさ。」

 ハハ、と乾いた笑いを浮かべ頭を掻く。

 「本当はもっと早く行動すべきだったんだろうけど、まだどっかかっこつけててさ。このままじゃいけない、このままじゃいけないって思いながら最終日になっちまった。…ハハ、めっちゃだせえ。」

 うつむく根鳥。その頭を浩一がスパンと叩く。

 「お前、本当に馬鹿だったんだなあー。」

 「んな!そんなドストレートな!」

 浩一は真っすぐ根鳥を見つめる。どこかあの勇者のような気配が漂っていたが、それは気のせいだろう。

 「お前が打算計算で動いてるなんて、とっくに知ってたよ。でもお前といると楽しいから信じたんだ。特に理由もねえよ。」

 ポカンとする根鳥の頭を今度は兼雲が叩く。

 「行先は体育館、でしょ?もろバレだっつーの。」

 今度はウィルまでが根鳥の頭を叩く。

 「君は少し悩みが長い。もっと早く行動したまえ。」

 根鳥の眼から涙が一粒零れる。ウィルの旦那のげんこつとダメ出しが強すぎたせいだと根鳥は言った。そういうことにしておいてくれる友人に感謝をしながら、体育館へと向かった。


◆◆◆◆

「ウギョゴロンッシギャギゲゲーー!!」

 殺杉ジャックは人類の敵。人類の敵は疲れ知らず。恐るべきスタミナでどこまでも標的を追いかけ殺す。そういう役を憑依させた麻上アリサはどこまでも狂暴だった。

 意識は完全に役に乗っ取られ、殺戮・暴力・血しぶきのことしか考えていない。ガソリンが走っているんじゃないかと錯覚させるようなぶっとい血管に赤い肌。紛れもない化け物だ。

 「恋は盲目。よく言ったもんだよなァ。浩一はさ、あんな姿でも可愛く見えちゃうって言ったらさ、本当にどうしようもなくあの娘に惚れてるって言ったら笑う?」

 「笑わない。」

 即答だった。

 「ハハ、そうだよな。お前はそう言ってくれるって信じてたぜ。多分兼雲も、ウィルの旦那も、決して笑わないだろうな。そんな最高に素敵な人たちだからさ。見ててほしいんだわ。俺に勇気が出るように。」

 そう言うと、チェーンソーを振り回す巨漢に、根鳥は真っすぐに近づいていく。

 兼雲の能力で積極的に人を襲わない協力行動を取ってはいるが、射程距離に入ったら話は別だ。根鳥を標的と定めるだろう。それでも、真っすぐに、足をぶるぶると震わせながらも向かっていく。

 「麻上アリサさん。ずっと前から好きでした。本当は色々とカッコ悪いところのある俺ですが、貴方の前では正直でいたいと思っています。どうか付き合ってくれませんか?」

 打算にまみれた生活を続けていた根鳥の告白。愛は無限なんて嘯き、付き合う人間すべてに都合のいい笑顔を振りまいていた根鳥の真摯な告白。


「ウギョギャギャギャアアア!!」


 それを全く意に介さずチェーンソーが振るわれる。紙一重で交わしたが、左耳がズタズタになった。端正な顔を痛みにゆがめ、それでも根鳥は諦めない。

自分の言葉が薄っぺらいなんて俺が一番知っている!だったら行動で魅せるだけだろうが!

弓道部の副部長の肩書は伊達ではない。卓越するは動体視力。ギリギリではあるが麻上アリサの、否、殺杉ジャックの猛攻を躱し、少しずつ近づいていく。

怖い。凄い怖い。少しでも気を緩ませればミンチになることはグラムちゃんみたいな頭脳がなくても容易に計算できた。

「ハハハ」

恐怖からか、打算を捨てて馬鹿になっているからか。自然と笑いがこぼれてきた。

「ウハハハハ!」

何やってんだろうな俺は!もっと俺は要領がいい奴じゃなかったのか!?

「ワハハハハハ!!」

こんなことせずに、ウィルの旦那がスナイパーあたるを倒すのを待って、ちゃっちゃと学外に出てれば、明日の夜にはフカフカのベッドで寝れたのに!

「ウハ!ハハハハハ!ハハハ!」

でもそれじゃあよ!浩一や兼雲や、ウィルの旦那の目を、優しい真っすぐな目を、ちゃんと見れない男になっちまう!それは、それは何よりもかっこ悪いじゃねーか!!

体中に傷を負い、汗まみれ血まみれ。能力は全く役に立たず裸一貫で化け物に挑む。無謀にも向かってくる姿に動揺したか、ジャックの刃にわずかながらのブレが起きた。

 そのブレを根鳥は見逃さずに飛び込んだ。言葉が無理なら行動で。根鳥は相手が巨大な化け物だというにもかかわらず、壊れ物を扱うように、優しく、優しく抱きしめた。

 ガチャリと、ジャックが、否、麻上アリサがチェーンソーを落とす。傷だらけの肉体、スキンヘッド、顔面のペイント。それらは変わらず在るが、根鳥はそんなもの見えぬといわんばかりに、優しいキスをした。

 一秒か、二秒か。そこまで長い時間ではなかったのは間違いない。ただ見ているものにも、根鳥本人にも、どこまでも長く静寂な時間だった。窓の外にはちらちらと雪が降り始めていた。

 煙が根鳥の周りを包み、気が付いたら殺杉ジャックの姿はどこにもなく、可憐な少女が可愛い寝息を立てて寝ているだけだった。

 あんな情熱的な告白、もう一度できるかな?根鳥は幸せな心配をした。


◆◆◆◆

 「部長―。今日うまくいけばアリサちゃん帰ってくるんすよねえ!?」

 「無事だったらな。とりあえず俺たちにできることは祈るだけだ。今日はクリスマスイブ!神様も奇跡を見せてくれるはずさ。」

 部員の間に重苦しい空気。

 それを無理やり晴らすように話題をそらす。

 「そ、そういえば次作の脚本もう出来てるって言ってましたよね!?どんな話なんすか?」

 「ああ、シンプルなラブストーリーだよ。麻上君の能力が便利すぎるせいでギャップ狙いの役ばっかりやってもらったけどさ、純粋な【麻上アリサ】の演技にフォーカスしたいんだ。」

 「それいいですねえ!オチは決まってます?」

 「勿論!クリスマスの夜、二人は優しいキスをして終了さ!」


◆◆◆◆

 「ハハハ、超かっこわりい。泥臭いにもほどがあるぜ…」

 全力を振り絞り、結果を出した根鳥を、眩しいものを眺めるような顔で兼雲が見る。

 (次はお前だぜ)

 根鳥の目はそう言っていた。兼雲は無言で一つ頷いた。



 集団が移動する。中庭に待機する木下生徒会長と、滑川ぬめ子の前に勇者を筆頭に残った者たちが立つ。

 「ふむ!最後の駆け込み告白かね?」

 「違う。申し訳ないが、このラブマゲドンを潰しに来た。君の愛を尊重する精神は素晴らしい。だが、愛とは強要されるものではない。私はこれからスナイパーあたるとやらを打倒する。その宣言に来たのだ。」

 学園最強を倒すと堂々と言う勇者を前にして、木下生徒会長はにいと笑みを浮かべた。

 「フハハハハ!その選択!私もそれを尊重しよう!愛は強制するものではない!確かにその通り!ただし!それは真実の愛を持っているものに限り適用される理論!」

 グワッと、上空を指さす。

 「ならば示せ!自分の愛が正しいと!愛の強さで!生徒会の切り札を破って見せよ!その光景こそ!俺の求める景色である!」

 まさに今、上空に飛び立たんとするウィル。その服を兼雲がつまむ。ちょっと待って欲しいと留める。

 「どうかしたかね、兼雲君。」

 「すぐに終わります。木下会長!愛のジャッジを!」

 ここで!?と誰もが思ったが、兼雲は周囲を一切気にすることなく、ウィルの顔を見つめ告白をした。

 「ウィルさん、貴方に助けてもらった時から、ずっと好きでした。愛してます。貴方は私を愛してますか?」

 あの兼雲が、糸遊兼雲がここまで情熱的な告白をするとラブマゲドン前に誰が想像できただろう。その告白にウィルは真っすぐ答える。

 「勿論。私は君を愛している。」

 雪が降る。どこまでもしんしんと、静かに静かに雪が降る。

「ジャーーーーッジメント!!」

 木下生徒会長の声が不釣り合いに大きく響く。

 「汝らの愛は~~…真実なり!祝福あれ!愛の名のもとに!幸いあれ!」

 そのジャッジに、兼雲は涙をこぼす。その涙は果たして喜びの涙か。それとも。

 「もう一つだけ…聞いていいですか…私に言った愛していると、奥様に言った愛しているは…一緒ですか…?」

 今度こそ静寂が中庭を支配する。浩一は泣いていた。根鳥も泣いていた。兼雲の決意が痛いほど分かったからだ。そして…ウィルの答えも分かってしまったからだ。


 「…同じではない。同じ愛があるはずもない。」


 どこまでも残酷で優しい返答。ウィルは申し訳なさに包まれて言葉を紡ぐ。

 「確かに君を愛してはいる。しかし妻は、妻だけは違うのだ。私は彼女に…」

 続けようとするウィルの口を兼雲がふさぐ。

 「ウィルさん。貴方、最高に優しくて、かっこいいけど、女の扱いをもう少し覚えてくださいね。…その言葉は、まずは奥様に最初に伝えてあげて。…私なんかじゃなくて。」

 ボロボロと、堪えていても涙があふれる。

 「…フグッ!…そ、それと、女の涙を…見ないふりをするのも…紳士の嗜みですよ…」

 鼻っ柱を真っ赤にし、俯く兼雲。ウィルは彼女の想いを優先した。もっと言いたいことはある。伝えたい感謝の言葉もある。だが、これ以上は野暮になってしまうと、俯く彼女の背が雄弁に語っていた。

 「…分かった。では、私は行ってくる。勝とうが負けようが、おそらくここにはもう戻らないだろう。さらば!友よ!皆の幸福を祈る!…“飛翔の術”!!」


 絶対勇者、ウィル・キャラダインが飛んでいく。闇を切り裂き、光の尾をまといどこまでも雄大に真っすぐ飛んでいく。大海原を行く鯨のような。大空を舞う鷹のような。ゆったりとしながらも迷いのない動きでどこまでも空を駆け上っていく。

 その光は人々の想いを支える灯台のようであった。


◆◆◆◆

 「兼雲、フラれちまったなあ。覚悟は決めていたんだろうけど、見てるこっちもやっぱり悲しいぜ。」

 浩一は天に上る光を見ながら呟く。

 「でも、あそこで断る人だからこそ兼雲は好きになったんだろうし。ままならねえなあ。ああ~あ!結局俺も彼女出来なかったし、また平々凡々な生活かー。ま、不幸じゃないだけいいか。」

 根鳥の野郎が上手くいきそうなのに今さらながら悔しさがこみ上げてくる。と、いつの間にか隣に朱場が立っていた。

 「ああーあ、先輩も結局彼女作れなかったんすか?」

 「…悪いかよ」

 「別に悪く無いすよ。…ところで、私とかどうですか。あぶれもん同士で!」

 「うおうえええええ!!?」

 何この急展開!俺にも俺にもついに幸福が!?

 「ちなみに私、ずっとノーパンなんすよ…」

 ぬらりと爬虫類めいた目でこちらを見てくる朱場。…前言撤回!まだまだ不幸だ―――――!!


◆◆◆◆


 上空一万メートルにある建造物は、近づいてくるウィル・キャラダインを察知していた。巨大な帆船のようなものが、いかなる技術か、ゆうゆうと浮かんでいる。

 その甲板に立つはスナイパーあたるたった一人で学園の守護を勤めると言われている男。

 そう。言われているにすぎない。そこには、全く同じ顔、背格好の男が三人いた。

 「兄貴。何かこっちに向かって近づいてきてるぜ。どうする?」

 「希望崎学園から出たら狙撃することにはなっているが…上空の範囲は決めてなかったからなあ…意思確認が出来ねえのに撃ったらルール違反になっちまう。」

 「じゃあ五千メートル過ぎたらでいいんじゃないか?さすがにそこまで上がってきて戦闘の意志はないは無理でしょ。」

 「「OK兄貴!」」




 スナイパーあたるは三つ子である。『光陰矢の如し』を操る長男、スナイパーあたる。上空に待機する巨大建造物を『堅牢堅固』で生み出す次男、ビルディングたてる。学園を監視し、脱出者を即座に検知する『天網恢恢』の三男、ウォッチングみてる。

 彼ら三つ子は、幼少期からライフル競技メダリストの父親に厳しく育てられ、一流のライフル選手としての英才教育を受けていた。しかし才能があったのは長男のあたるだけだった。

 ことあるごとに父はあたるを褒め、たてるとみてるを罵倒した。

「なぜあたるのように出来ないのか。」「この出来損ないどもめ!」「同じ顔でも中身は雲泥の差だな!」

 あたるはごく普通に弟たちを愛していたし、たてるとみてるは将来きっとメダリストになるだろう兄を尊敬し、何とか追いつこうと頑張っていた。だから父の罵倒は悲しかった。

中学三年生、ある暑い夏の日のことだ。その日はあたるの体調がすぐれず、練習でもスコアが全然伸びなかった。逆にたてるは人生最高のキレ。自己ベストを大きく更新した。

 練習場に遅れて入ってきた父に、兄弟はスコアを見せた。父はすぐにこう言った。


 「相変わらずあたるは凄いなあ!それに比べてたてる!みてる!なんだその様は!」


 父はスコアしか見ていなかったのだ。

兄弟は打ちのめされた。あたるは、自分の存在価値は射撃しかないと思い込んだ。たてるは、もうどこか頑丈な箱にでも閉じこもりたいと思った。みてるは、父にもっとしっかりと見てほしいと思った。

三つ子の不思議なシンクロシティか、三人は同時に魔人能力に目覚めた。

父は兄弟をオリンピックメダリストにしたかった。しかし魔人が参加できるオリンピックはない。昔と比べ魔人差別が薄まったとはいえ、全くの平等などありえない。故に、兄弟が魔人となった瞬間、あっという間に興味を無くした。

兄弟は家を追い出されるような形で希望崎学園に入学した。魔人能力に目覚めて以来、父に名を呼ばれることはなかった。

親ですら自分たちを見てくれないなら。見分けてくれないならば。もういっそ一緒になろう。あたるは兄弟を抱きしめそう言った。俺は兄貴みたいになりたかったよ。たてるとみてるはそう返した。俺たち三人なら最強だ。魔人だらけのこの学園で、俺たちの名前を轟かそう。最強のスナイパーに、この学園でなっちまおう。

こうして『スナイパーあたる』は誕生した。三人の理想のスナイパーあたるを守るために、兄弟たちのなりたかった一番になるために。


◆◆◆◆

 「みてる!捉えたか?」

 「問題ないぜあたる兄貴!ここまで飛べる能力者がいるなんて意外だったけどよ、兄貴にかかれば一発だぜ!」

 「たてる!万が一に備えて守備は固めとけよ!」

 「当然だぜ!久しぶりの直接戦闘だ!派手に決めてくれ兄貴!」

 みてるとたてるは、兄の勝利を疑わない。事実あたるの『光陰矢の如し』は強力極まる能力だ。それをたてるが守り、みてるがサポートするのだから、大磐石であるといえよう。

 「OK…あと百メートル…五十メートル…十メートル…ファイア!!」

 いかに異世界の勇者と言えど、五千メートル先から光速で飛んでくる矢を避けることができるだろうか。防ぐことができるだろうか。そんなことは不可能である。奇跡でも起きない限り不可能である。


  それを可能にするのが勇者だ。ヒーローだ。人々の祈りを背負う者だ!


 平河玲が屋上で叫ぶ。勇者なら勝てると、ヒーローなら負けないと、『流言私語』をフル回転させて叫ぶ。かつて平河玲はテレビに出てくるクールな探偵に憧れた。ヒーローに憧れた。

しかし見栄を張り、意地を張り、ヒーローにはなりそこなった。それ以来勝手にヒーローに失望し、信じることをやめた。世の中には出来ないことがあるし、都合のいいヒーローなんていやしない。

「でも!それでも!」

情報屋として学内を観察していた。ウィル・キャラダインがちょんまげ抜刀斎を打倒するさまを、甘之川グラムが嶽内大名を殴り飛ばすのを、兼雲が、根鳥が、想いを告げるさまを見た。

くすぶっていたはずの心に火が灯る。奇跡は起きていいのだと夢を見てしまう。

「今日はクリスマスだ!奇跡だって起きるはずだ!やってくれ!ヒーロー!俺に、もう一度信じさせてくれ!  ヒーローは負けない!奇跡だって起きる!誰もがみんな!笑って!ハッピーエンドだ!!!


「!?」

 その瞬間、必中のはずの『光陰矢の如し』がウィルから外れた。平河玲の言葉は届いた。奇跡が一つ起きたのだ!


◆◆◆◆

 「な!?どういうことだ兄貴!?」

 「分からねえ!クソ!制約から外れちまった!」

 『光陰矢の如し』は1万メートル先でも当たる必中即死の光の矢を放つ能力。 物体もすり抜けるし標的以外は矢に当たっても死なない。無体極まる能力である。その代わり制約として、【同じ相手を二度撃つことができない】のだ。だからこそたてるで足場を整え、みてるに視界をサポートしてもらっていたのに。大磐石のはずだったのに!

 「やべえぞ兄貴!どんどん近づいてきやがる!戦うしかねえ!」

 「…無理だ。」

 「…あたる兄貴?な、なに言ってんだよ?」

 絶対の自信を持つ一射が外れたことで、あたるの心は折れていた。自分の存在意義は射撃だけなのに、それが外れた自分に何の価値があろうか。

 「ここまで登ってきて、しかも俺の『光陰矢の如し』を躱す奴が相手だぞ?たてる、みてる、お前ら勝てんのか!?」

 「……」

 沈黙は何よりも雄弁だった。

 「このまま奴がここに来たら、俺たち三人でスナイパーあたるを作っていたことがバレちまう。それだけは絶対に避けなくてはいけない…だから…分かるな?」

 三つ子故の直感。感覚の共有。互いに同じ答えに行きついた。

 「『スナイパーあたる』は誰にも負けない!」

 たてるが帆船にエネルギーを注ぐ。それをあたるとみてるが補助する。特攻自爆。向かってくるウィルを道連れにし、最後まで負けはしなかった伝説としてスナイパーあたるの名を見てる奴らの心に刻むのだ!!


 巨大な質量の帆船が、膨大なエネルギーを伴いウィルに向かっていく。帰り道も着地も考えないエネルギー消費は瞬間であるが圧倒的な破壊力となり、勇者を圧せんと迫りくる。


 その絶望の具現を目前に、勇者は笑みを見せた。


 ウィル・キャラダインは思い出す。かつてドラゴンと戦った時を。サイクロプスと戦った時を。空を飛び、地を駆け、自分よりも強大な化け物と戦っていた日々を。

 敵は強大な帆船。ドラゴンほどのスピード、鉄巨人ほどの硬さ、ゴーレムほどのエネルギー。しかし、どれも勇者の心をくじくには足りない。それならいけると決意が固まるだけであった。

 スナイパーあたる、ウィル・キャラダイン。共に最強の名を得たが、格上と戦ったことがあるか、自分の絶対の自信を持つ技を砕かれたことがあるか…。戦いの経験が大きな差となって表れた!!

 轟音、爆音、破壊音。耳を焼く大爆風。

 ウィルと帆船は正面からぶつかり合った。粉々に砕け散った。ウィルも深手を負ったが、決して飛べない程ではない。腕の一本や二本失う覚悟であったので、ついてたなとウィルは思う。

 (汝らの愛は~~…真実なり!祝福あれ!愛の名のもとに!幸いあれ!)

 ふと木下の声が聞こえた気がした。


◆◆◆◆

 敗れた。完全に敗れた。兄弟は絶望しきっていた。もうこの世に未練はない。

 だってもう、自分を見てくれる人なんていないのだから。唯一の存在意義であった能力まで粉砕されてしまったのだから。三人の目から光が消える。死ぬときは一緒だなと、手を取り合い墜ちていく。

 その三人に、地上から一条の光が飛んでいった。


『エターナル・フライ・アウェイ』(どこまでも、高く、遠く!)


 空を見上げる。大切な想い人がいる空を。

 そんな馬鹿な夢を見ないで、地に足をつけた見方をしなさい。しっかり現実を見据えなさい。周りの大人たちはそういうけれど、私は空しか見えない。

 あの人が空にいると思うだけで、そんな人と同じ空を見ているというだけで、いつでも世界は眩しくて、泣きそうになるほどに幸せだった。

 本当はすぐにでも飛んでいきたかったのだけれど、お仕事の邪魔になるかもと思うと飛んでいけなかった。万が一にでもこの恋が実らなかったらと思うと足先から凍るような不安を覚えて飛べなかった。

 不安と期待で胸がキュンキュン締め付けられていたけど、ようやく私は決意を固めた。ラブマゲドン、最終日、クリスマス。全ての仕事を終えたあたる様に、自身の全霊をかけて想いを告げるのだ。

 早くクリスマスにならないかしら。お願いだからクリスマスがまだ来ませんように。期待と不安がごった煮になる中、見つめ続けた空に、きらりと光りながら落ちてくる人影があった。

 「あたる様!?」

 それは直感としか言いようがない。彼を想い、彼を考え、彼を見上げ続けていたからこその直感。

 「今参りますわ!!」

 牧田ハナレが空を飛ぶ。真っすぐ真っすぐ光の尾をたなびかせて空を飛ぶ。

 ウィルのような雄大さはなく、どこか危うく、焦るかのような飛翔。しかしその一条の光は、見る者の胸に眩しい何かを灯すような、一切の打算のない青春の煌めきであった。

恋を、愛を、情熱を。グラグラとたぎる感情をエンジンに込めて爆発させる、どこまでも高く、遠くに向かっていく命の輝きであった。

 猛スピードで落ちる人影にごうごうと迫るハナレ。近付くことで、人影が一つではなく三つであることを知る。一瞬動揺したが、すぐに気を持ち直し救出に向かう。

 「あたる様―――!!」

 火事場の馬鹿力。三人を抱きかかえ、校舎の屋上に不時着する。全く同じ顔、同じ傷を負い、ぜいぜいと肩で息をする三人。ハナレはそのうちの一人に迷いもせず近寄り手を取った。

 「はじめまして。あたる様。わたくし、牧田ハナレと申します。不躾かもしれませんけれど、ずっと、ずっとお慕いしておりました…。突然の告白、失礼かもしれませんが、どうかお付き合いいただけないでしょうか?」

先ほどまでの不安、恐れはどこへやら。 真っすぐとあたるの眼を見て、ハナレは一世一代の告白をした。

 「…ど、どう、して…」

 自分を見分けることが出来るのか。親ですら興味がなかった自分たちの区別を、瞬時につけてきたハナレにあたるは心底困惑をする。


 「愛の力ですわ!」


 一切の疑念なくハナレは答える。愛の力。ラブマゲドンの番人を気取りつつも、愛の力なんてあたる達兄弟は信じてはいなかった。あるとすら思っていなかった。

 しかし現実、その愛の力が兄弟を助けた。いや、助けるどころではない。救ったのだ。自分と兄弟の境界があいまいとなり、期待と現実のはざまが朦朧とする中で、ハナレは愛の力であたるを掬いあげたのだ。

 自分でも意図をせず、あたるの頬を滂沱と涙が流れる。嗚咽が止められない。自分はもっとクールだったつもりなのに、とめどなく涙があふれてくる。

 ふと、たてると、みてるの方を眺める。二人は満面の笑顔で自分を祝福していた。

 (俺は、俺だけのあたるになっていいのか)

 あたるの想いを読み取るように、兄弟たちはうなずいた。

 (兄貴、もう好きに生きてくれよ)

 最強無敵。はるか上空に陣取る謎の狙撃手。生徒会の切り札。スナイパーあたる。その存在はこの日消えうせた。そこにいるのは長男に彼女が出来たことを祝福しつつも妬む、ごく普通の兄弟たちであった。


◆◆◆◆」

【ラブマゲドン:結果発表】
学外事前脱出者:50%
告白成功者:15%
狙撃死亡者:5%
スナイパーあたる撃破による脱出者:15%
校内戦闘による死亡者:15%

木下礼慈:告白成功者からの支持が高く、思ったよりは非難されなかった
滑川ぬめ子:卒業後木下姓になった
スナイパーあたる:牧田ハナレと交際
ビルディングたてる:校舎の損壊部分修復に一役買う
ウォッチングみてる:射撃をまた始める。今度は楽しくやれているらしい

平河玲:コートの似合う探偵を再度目指しとある私立探偵に弟子入り中

根鳥マオ:麻上アリサと交際開始。演劇部による妨害が凄い

朱場永斗@鬱:調布浩一を狙っているが最近避けられていると友達に愚痴をこぼす

牧田ハナレ:幸せになる

糸遊兼雲:何故かラブマゲドンの後から異性に告白されることが多くなった。流石に異世界の勇者様を追うのは乙女が過ぎると気持ちを切り替えている

ちょんまげ抜刀斎:死亡。最後まで天は自分に在りと信じていた

泉崎ここね:友達の恋の愚痴を聞かされているが、拒否するつもりはない

甘之川グラム:“あいつ”への告白はまだできずにいる。からかう根鳥をぶっ飛ばしたい

嶽内大名:死亡。詳細不明

麻上アリサ:根鳥マオと交際開始。弓道部の妨害が凄い

調布浩一:朱場のアプローチを、なんか違うと回避中。おまえそういうとこだぞ


そして…


◆◆◆◆


 王国に用事があると行って旅に出ていたウィルが戻ってきた。

 本当に心配だったけれど、あの人は万人を愛し、愛される人。それでいいのだと覚悟を決めたつもりでも少し寂しくなる。

 いつも通りの堂々とした立ち姿。ふるまい。…ただ、どこか表情が違うような。いつもよりも更に見透かされるような。

 「アリス。君に話があるんだ。」

 夜も深まる就寝の時間。いつだったか、ウィルの前で無様に泣いてしまった時と同じように話しかけてくる。

 「急にどうしたの?話って何?」

 いつも以上に真剣な表情。

 「私は君に嘘をついた。ずっとずっと嘘をつき続けていた。…今回私が向かった先は、君のいた世界だったんだ。」

 ぐらりと、頭を殴られたような感覚に襲われる。ウィルが嘘をつくなんて今まで一度もなかった。

 「私は君の悲しみを救いたかった。君の感情を理解したかった…。だから、危険だと、危ないと反対されるかもしれないと思い、王国に行くと偽って異界に行っていたんだ。」

 ウィルは戻れない可能性もあった。そう思うと足がどんどん冷たくなる。恐怖で振るえる。我慢できずにウィルを抱きしめる。

 「やめて!もう二度とこんな危険なことはやめて!」

 ウィルは私を抱き返した。そして耳元で囁いた。

 「すまない。嘘はまだあるんだ。私は嘘をつき続けていた。」

 恐怖におびえる私を真っすぐ見つめなおし、語りかけてきた。

 「危ないと反対されるから王国に行くと嘘をついたといった。…それこそが嘘だ。私は、君が元の世界に戻りたいと言い出すのではないかと不安だったんだ!」

 夫の、ウィルの、こんなに大きな声を久しぶりに聞いた。

 「君が元の世界への帰還を求めれば、いつでも戻せるように空間魔術を磨いていたなんて、自分にすら嘘をついていた!本当は、本当は、もし何かが起きて君が元の世界に行ってしまった時、連れ戻せるようになっていたかったんだ!」


 肩で息をしながら、ウィルが私の手を取る。うやうやしく片膝をつき、軽く手の甲にキスをする。


 「…俺、ウィル・キャラダインって言います。ずっとずっと好きでした。君を放したくない。ずっとそばにいて欲しい。…自分の気持ちにすら鈍感な俺だけど、もう一度、恋してくれませんか?」


 ぶわっと、意識せず涙があふれる。どこまでも強いと思っていたウィルの手が不安で震えているのが分かる。ウィルは特別だからと思い込んで、私も本当のウィルを見ようとしなかった。大泣きする私をウィルが強く抱き寄せる。


 「女の涙を見ないのは、紳士の嗜み…という事でいいんだろうか。」


…こうして、夫、ウィル・キャラダインは恋を知った。情愛を知った。私も彼をより深く知るようになった。だが、博愛の世界に恋を持ち込んでしまった。情愛を、嫉妬を持ち込んでしまった。


これがきっかけで、この世界に災厄が起きる可能性がある。全てが台無しになる可能性もある。人々が不幸になる可能性もある。

しかしそれはあくまで可能性に過ぎない。そしてその可能性はゼロに等しい。

なぜならば――――絶対勇者、ウィル・キャラダインがいる故に。


最終更新:2018年12月10日 01:03