この先DANGEROUS!! 不純異性交遊禁止!!
希望崎学園へと続く希望崎大橋に、今鮮血で血塗られた規制線が張り巡らされる!
◆ ◆ ◆
「きゃ、きゃああッ!」
薄暗い森の中に、絹を裂く様な悲鳴が響き渡った。女が1人、小柄な男に組み伏せられている。必死に落ち葉を掻くも逃がれられていない。
男はズボンを脱ぎ捨てた。その陰茎は木枯らしの中、湯気を放って屹立している。
「へっへっへ、悪く思うなよぉ~?お互い不幸にならない為だからなぁ~」
男は控えめに言って老け顔だった。
「や、やめ!やめて!」
「げぇっへっへっへっへっへっ、大丈夫だよ~すぐ気持ちよくなるからよ~。何たってこのオレ様はぁ!“レイプした女”をよぅ!“オレ様の恋人”に変えちまうんだからなぁ!!」
何とこの男、強姦魔は魔人であった!今までどうやって、この希望崎学園に潜んでいたのか!彼女は文字通り、身も心も犯されてしまうのか!?女のパンツが破り捨てられる!!……あぁ、誰か助けて!!
「なっ!ッッッう゛ぎゃあああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛!!!!!!」
突如強姦魔は絶叫した!仰け反る様に後ろへ倒れると、そのまま地面を転がりもがいている。よく見れば、強姦魔の陰茎には白い布!先程破けた筈のパンティーが絡みつき、陰茎をぎりぎりと締め上げているではないか!うっ血して痛そう!
「な…ッ何だ畜生!何をした!!」強姦魔が叫ぶ。
「不埒な男よ、よもやパンティーを破くとは…」
森の中から、もう1人男が現れる。長身痩躯、ジーンズ姿、剥き出しの上半身には剃り上げた頭から両肩、腕、胸、腹にまで入れ墨が…
…あれ、これって全部…
『『パンツじゃないかッ!!!』』
女は思わず叫んでしまった。強姦魔も叫ぶ。
「うむ、パンツだ。吾輩は嶽内 大名!パンティーを愛し、故にパンティーを極め、いつかパンティーとなる者なり!即ちパンティーマスターである!」
「「パ、パンティーマスター??」」
下着会社の宣伝かな?
「見よ、この体に埋め込んだパンティーは皆、生涯の伴侶として吾輩が定めた至高のパンティーたち!」
「「うめっ!?たちっ!?」」
「このエナメルの輝き!絹の滑らかさ!精巧で緻密な紋様の数々!」
「「………ッ!!」」
「パンティーとは破く物ではない…身に着ける物だ。空に太陽があるが如く、それがこの世の道理だぞ。下郎め!」
長身痩躯の男が背中を見せる。そこには男物のブリーフが貼り付いていた。男物のブリーフ!!
皮膚越しに透けて見えるパンティーを自慢されている。え、え、何?一体何が起こっているの?体の震えが止まらない。何かが犯されていく感じがする。
「ああ、いや別に貴女のパンティーを見下している訳ではないぞ?このパンティーもまた素晴らしい。大量生産品には違いないが、破けて尚貴女を守るべく戦い抜いたのだ。己がパン生を顧みずに、な。貴女が大事に穿いていなければ、吾輩の能力であっても流石にこうまでは出来なかっただろうて。」
嶽内は、女の肩にポンと手を置いた。
「貴女は……パンティーマスターの素質があるな…!」
「ぱッッ!!」
女は呼吸困難に陥っていた。強姦魔に至っては、目の前の狂気に耐えかねてか既に気絶している。羨ましい、女は心底からそう願った。
「さてと、吾輩はこ奴めを魔人警察に突き出してこよう。先程言った事が本当ならば、強姦を完全に隠蔽出来る恐るべき魔人だ。他の被害者も居るだろうて、そのケアもしてやらねばならん。警察にいい手土産となるしな」
こいつにケアされたら余計悪化するのではないか。女は茫然と去り行く2人の男を見送りながらそう思っていたが、大切な事に気付いて慌てて呼び止めた。
「……おーい!今は“ラブマゲドン”期間中だ!ここに魔人警察は来られない!」
「?何だその…ネーミングセンスが悪いのは?」
※ ※ ※
嶽内は強姦魔を縛り上げ、破けたパンティーを丁寧に土に埋めると、静かに黙とうをした。それから強姦魔のトランクスを畳んでポケットにしまう。女が口を開いた。
「…助けてくれてありがとうございます。嶽内さん、でしたか?私は平河 玲と言います。」
「あぁ、気にするな。貴女のパンティーが叫ぶ声を聞いたまでよ。」
あれ、この人もしかして私の事は比較的どうでもいい?…何かもういいや。
「とにかく、今は敷地から出るどころか、入る事さえ出来ません。」
目の前には、希望崎大橋。その橋の境界線には、脱出を試みた生徒と、外部から救助をしようとした近隣住民らしき遺体が転がっている。全て頭部を撃ち抜かれていた。
「……私は、このイベントの開催理由を知りたくて、ここに残りました。それで聞き込みをする内に、絡まれてしまって…」
「物好きだのう。」
「……学級では、調べ物係みたいな事をしていて……性、の様な物でしょうね。」
「ふむ、性か。ならば仕方ない。」
嶽内はそう呟くと、肩をごきりと鳴らした。両肩のパンティーが伸縮する。
「よーし。情報屋としての貴女に1つ、確かめて欲しい事がある。報酬は…そうさなぁ、吾輩が至高の下着を見繕う、というので如何か?」
「…分かった。では、ここからは対等に…という事でいい?…………でも報酬はいらない。本当にいらない。さっきの借りをちゃら、で良い。」
「そうか。似合いそうな紐パンがあるのだが…」
「……調べて欲しい事は、何?」
「ふむ。気になるのはあれだ。生徒会長の演説中に、万札を持った男がおったろう?」
『…レは諭吉を愛している! 諭吉もオレを愛している!だか……こから出せ!』
『言いわす…が……偽りの“愛”を俺に語った者は…「不幸」にな…ぞ』
『…ああ!オレの諭吉!諭吉ぃ~~~……!』
…映像を思い返す。不幸にも不幸になった、ある学生の事だ。これに何か?
「その男は「諭吉」を愛していると言った。だが、それは偽りの愛と見做された。さてこれは、諭吉を愛するという気持ちが嘘であったのか?それとも、愛する対象は、人間でなければ駄目なのか?」
成程、嶽内としては気になる問題だろう。元よりこの男に、人間は恋人の選択肢は無いだろう。彼はパンティーのみを愛し、そのの愛は本物だと信じている。平河的にもそれでいいよと思っている。だが、この“ラブマゲドン”では『生徒会長の木下』が判断基準なのだ。真贋の基準が所詮一個人の価値観に依るのなら、情報無しに臨むのは得策ではない。
「…直接本人に聞いてみる?」
「いや、応えてくれるとは思えん。そうであるならば、あの少年は諭吉を失わずに済んだ。」
そう、そして最悪の場合、嶽内は伴侶たるパンティーを失いかねない。それ故の、待ちの一手。
「今この敷地内で、吾輩と同じく無生物を愛する嗜好の持ち主を探して欲しい。居るのならば、そ奴を先に行かせて様子を見たいのだ。」
「……好みのタイプは“売れる”から、よく探るけど…流石に、無生物相手というのは聞かない。そういうのは、あまり明け透けにしないから。」
「そうらしいなぁ。」
「………とりあえず、調べてみる。まずは第一校舎に向かおう、生徒会室を見張りながら、SNSでそれとなく探ってみる。」
「心強い。そうだ、連絡先を交換しておこうか。これが吾輩の電話番号とメールアドレス、FacebookにTwitterのアカウントだ。Pixivもあるぞ。」
「え、あ、うん…」
いらねぇ。心底平河がそう思った丁度その時、校舎のある方向からサイレンの様な音が響いた。いや、これはサイレンというよりも…
「…遠吠え?」
「ふむ。場所は…第二グラウンドの方かな。懐かしいな、卒業以来だ。」
「先輩だったんだ…」
「まずは生徒会室に向かおうか。道中でここ数年の情勢について教えてくれ、生徒会と番長グループはどうなった?」
嶽内が率先して走り始める。その背中を追いかけながら、平河は少し考え、それから小さく声に出した。
「遠吠えは気のせいで、何事もなく生徒会役員室まで行けるだろう。」
呟き終えた所で、視線に気付く。先行した筈の嶽内が、いつの間にか隣に来て、こちらをじっと見つめていた。
「……な、何か?」
「いや。報酬の件だが…必要経費は別途支払わねばならんと思うてな。」
「それは有難いけれど。借りは借りだし、別にいらな…」
そう言いかけた時、平河は違和感に気付く。慌てて自分の下腹部を触ると、そこには先程まで無かったキュートな水色ストライプが存在していた。紐パンだ。
「やはり、差し上げよう。いつまでもノーパンではいられまい?」
めっちゃいい笑顔だった。…もう嫌だこの人。
◆ ◆ ◆
「み、み、見つけたわ!ちょっと待ちなさい!」
甘之川 グラムは、思わず声を上げた。校舎中を駆け巡り、言い寄る生徒を跳ね返す事18人。第一校舎の玄関口でようやく目的の人物に巡り合えたのだ。
それは、西洋甲冑を着込んだ大柄な男。彼の目前に立ち、その顔を見上げる。
「え、えーと…そ、そうだ!こんにちは、キャラダイン君。お、お時間はあるかな?」
「ノー、 急ギ デース。マタ今度ネー」
「ちょ、ちょっと待って!」
全く速度を落とさずに立ち去ろうとするウィル・キャラダインの足にしがみつく。不思議な事に、甲冑を着込んだ男はそこでピクリとも動かなくなった。
「アレ? アナタ トテモ 重イデスネー?」
「えーっと、そういう訳じゃないんだけど…こんにちは。甘之川です。」
「オー、アマノカワ! 初メマシテデース! ユー キュート!ベリーベリー チャーミングネー!」
く、何たるお世辞!甘之川は歯噛みした。2か月前、私が惚れたのはこんなにも軽薄な男だったのか!
甘之川は、目の前の男についてある程度調べていた。17歳。身長推定1メートル90センチ。推定体重90キログラム。常に甲冑を身に着けており、正確な数値は不明。出身地不明、少なくとも中世ヨーロッパに類似した文化圏とだけ。
彼は2か月前、突如今の姿で希望崎学園へと現れて、偶然出くわした甘之川は失禁した。その後駆け付けた魔人教師と戦闘になり、足元に広がる尿に滑って転んで気絶したのである。
警察の調べでも結局どこから来たのかは分からず、中には異世界から来たなどと言う者も居たそうだ。何にせよ、学園自治法の関係上、全ては司法機関でなく学園に委ねられる。結果、理事長の推薦によりウィル・キャラダインはこの学園の1年生となった。
あの日、この玄関口で出会ったキャラダインの姿。その異様さに失禁してしまったが、その後から胸の動悸が収まらくなった。訳の分からない感情に支配されたのだ。
「ソーリー、アマノカワ!ワタシ ヨージ アリマス。 今度オ昼シマショー!」
「な、何があるのかな?ごめんね呼び止めて。」
「チョウチョ デス。カワイイ、逃ゲテシマイマース。」
…う
「そ……その服、変わってるね!どこのメーカー?」
「メーカー ナイデス。 コレハ ロボ デス!」
……うぅ
「お、お昼食べた?このアップルパイ、余ってるんだけどどうかな?我ながら会心の出来だと思うんだけど…」
「ワォ! パイ ウレシーデス! 食ベタケド ベルバラ! ワーイ!」
……うぅぅ……
可゛愛゛いッ!!
可愛い!何だこれはもう、どうしてこんなに可愛いのだ!蝶を追いかけてるとか!両手をぱたぱたするのやめてくれる!?メーカーとメカをかけてロボですってか!?うるさい!もっと言って!それにパイ1つでそんなはしゃぐ普通!?その図体で甘党か!クるね!
あぁ、どうしてだ。冷静に見れば西洋甲冑着てる変人じゃないか。何故こいつの中身も知らないのに好きになってしまったのか。最初は吊り橋効果とかストックホルム症候群を疑ったが、どうも違うし…これでは外見だけで惚れたみたいじゃないか。いや落ち着け。甲冑のせいで顔なんて見た事無いぞ。幻覚まで見えるのか。助けて。
甘之川の思考がショート寸前に陥ったその時、キャラダインが何かに気付き、一層嬉しそうな顔で腕をばたつかせた。
「イトユー! グッドモーニング! 今日モ ステキ デスネー!」
「ウィル、落ち着いて。口に物を入れたまま喋らないで下さい。」
すたすたとこちらに向かってくるのは…鞠の描かれた法被を纏う、スラックス姿の女生徒。その姿に見覚えがあった。3年の先輩、糸遊 兼雲だ。糸遊は大きな火傷のある顔を歪ませて、大きく溜息をつく。
「いいですかウィル。ここは危険な場所だから来ないで下さいと言ったでしょう?どうやって寮からここまで来たの?」
「ワタシ 勇者! ドクヌマ ハ キキマセーン。ソレヨリ イトユー! カオ ワルイデス。カイフク・マホ カケマス?」
「顔色が悪いね…驚くから言い間違えないで…あぁ、せっかく追い払ったと思ったのになぁ…」
糸遊は「はぁ」とまた溜息をつく。そして隣の甘之川に気が付いた。
「こんにちは、甘之川さん。あなたも逃げ遅れ?」
「こんにちは。……私は、自発的に参加しましたよ。」
「え!?何で!?この唐変木ならともかく、あなたまでこんなイベントに!」
その唐変木のせいです。それよりも、凄く気にかかる事がある。
「あの…先輩。キャラダインさんとは、よく話します?」
「?よく話すっていうか……ここ何週間かは、ずっと一緒ですね。」
「え、一緒!?」
「ほら、彼、最近この国に来たでしょう?だから、日本語や基本的な事などを教える為に、勉強会を開いていたんですよ。私は国語担当で。」
「え、何それ聞いてない…」
「そりゃ、あなた程の才能を煩わせる案件じゃないですしねぇ。それに、この子ったらこの2か月で覚えたの、夜更かしだのゲームだの悪い事ばっかりですよ!?」
大袈裟に肩を竦める糸遊に、キャラダインも笑っている。より正確に言えば、キャラダインにびびって失禁までしている甘之川に頼むのはどうかという糸遊の判断だったのだが、それを知らない甘之川の表情は雨に濡れた子犬と同じだった。
「く、くぅーん…」
「甘之川さん、大丈夫?」「カイフク・マホ カケマス?」2人から甘い匂いがする。すげぇ吐きそう。
「ソウダ イトユー、 ラブマゲドン サンカ! 一緒 デス!」
「キャラダイン君も、自分から参加したの?」
「ハイ、“アリス”ノ為ニ!」甘之川は思わず噴き出した。
「な、何!?アリス?って名前?女の子だよね?ね?何ちょっと君、恋人居るの?」
「ツマ デス。 フサイ、ハニー、カップル、アベック、コンビ、ツガイ、アト エート…」
「きゃー何々!?あなた、そういう話1度だってしなかったじゃない!へー、結婚してるんだー!結構早いのね?隅に置けないわ~!」
糸遊は瞳をきらきらとさせている。今なら瞳で化粧直しが出来そうだ。しかし、キャラダインは肩を落とした。
「デモ アリス ションボリ デス。 アナタ ワタシ ニ 『コイ』 シテナイッテ。」
甘之川の心臓は跳ね上がった。糸遊は先程の不機嫌はどこへやら、すっかりうきうきとしている。
「『恋』を知らないってどういう事ですか?あなた何したの?」
「分カラナイデース。ワタシ 世界 スキ。 アリス スキ。 国ノ皆 スキ。 デモ、 アリス 泣キマス。何デ?」
「…あー、私もよく分からないけれど、聞く限り、それは焼餅でしょう。」
「ヤキモチ?」
「そう、焼餅…いやなきもち。あなたがよそを見ているのが、苦しいんですよ。」
「アリス モ 見テマス……ナンデ、彼女 ハ 泣クデス?」
この男にしては珍しい涙声に、何か言おうとして口を開いた糸遊だったが、先に言葉を発したのは甘之川だった。
「…仮定の話をしようか。もしもこの世界にある全てが、同じ重さの林檎しか無かったとして。君は、その内の1つを選ぶ時、どうする?」
後ろ暗い気持ちが胸をよぎる。
「ソレハ チカク ニ アルノ 取リマス。」
「彼女は今、自分がそうやって選ばれたんじゃないかって思っているんだよ。近くに居たから選ばれたんじゃないか、誰でも、どうでも良かったんじゃないかって。」
「……ドウデモ…ヨクハ……」
「君はかもね…君は、その人のどこが好き?どうやってアリスを選んだんだい?」
「ドウヤッテ…」
キャラダインは思い出した。選んだのはアリスだ。確定させたのは神託だ。彼自身は、何も選んでいない。確かに、彼女は近くに居た。だから受け入れたのか?村の幼馴染を思い出す。仲間の魔法使いを、格闘の師匠を、四天王の1人を思い出す。彼女たちはいずれも聡明で、思慮深く、魅力があった。戦いの後、彼女たちが言い寄れば…自分は受け入れたのか?
「…チガウ ト イイタイデス。……ドウデモヨクナイ ト イイタイデス。」
キャラダインは考えていた。全身は震え、両手を握りしめ、天を仰いでいる。そして、勇者は深い深い精神の奥底で古の知恵を解放し――
「…アリス ハ カワイイ デス!」
―なかった!キャラダインが選んだのは、ド直球!惚れたい相手に全力で惚気る事だった!
「顔 合ワセルト ニコリ スル! ゴハン 美味シイ! カイフク・マホ トクイ! ユビ先 ガ キレイ! イイ匂イ! 優シイ! ヤリクリ上手! タソガレテルノ キュート! 子供 スキ!……ホカノ 女 ナンテ メジャナイデス!」
思いつく限りの言葉で惚気る!慈しみに満ちた男には、これは結構きつい事!幼馴染とか仲間とか師匠とか尊敬する敵とかを全部悪く言っている気分だった!
だが、ウィル・キャラダインは勇者である故に、進む道は王道!つまりは力業だ!まだ惚気るぞ!
「ネコ ニ 話シカケル時 ニャンッテ 言ウ! チョット オンチ! コワイノ キライ! デモ ゾンビ ヘイキ! オ、オッパイオオキイ! ケガ スルト オコル! オコッテモ キュート! ワタシ ト ケッコン シテクレテ アリガトウ!?」
何かこう全身で、猛烈に気まずい雰囲気を醸し出しつつ、キャラダインは更に惚気続けた。その鎧の下では、半泣きであるに違いない。
「……分かった、分かったよ。そこまで言えれば本物だろうさ!」
全く、砂糖を入れ過ぎた巨大なアップルパイの様だ。―キャラダインの惚気を聞きながら、甘之川はそんな事を考えていた。こんなに重たくて甘い痛い物、理解云々以前に飲み込めない。そしてこれに苛立つ理由も―
糸遊がこの日何度目かの溜息をついた。だが、その顔は口角がひくひくと上がっている。
「…分かりました。ウィル。私も協力しましょう。但し後でアリスって子の話、もう少し聞かせて下さいな。異国の恋バナなんて、そう聞けないしね?」
ウィルは飛び上がった。着地と同時に足元のタイルが割れる以外は、まるで少年だ。
「イトユー! アイ シテ … マセン!アリス 一番! イトユー……ニ、二番…」
「わ、私は…」
「はーいはい。でも、私の指示には従って下さい。まず、差し当たってやる事は…」
だが、糸遊が何かを喋る前に、けたたましい大声が聞こえてきた。長く尾を引くその声は、野犬の遠吠えというにはあまりにも大きい。
「な、なに!?」
「第二グラウンドの方だな。…土煙があがっているよ。」
甘之川が指差す。驚いた糸遊の胸元で、携帯が震えた。緊急通信だ。発信者は…理事長じゃない。通話ボタンを押す。男の声だった。
「す、すまない。映像部の亀本ですが!これは、糸遊さんの携帯で当たってますか!?」
◆ ◆ ◆
生徒会役員室を目指す嶽内と平河だったが、途中平河が告白されたり、野生のパンダに襲われたりして、辿り着いたのは午後15時を回っていた。
役員室の巨大な扉には、大量の粘液がへばり付き、分厚い層を成している。そのぬめぬめには、『告白する2名以外立ち入るとぬめぬめ』と書かれた紙が何枚も貼りつけられていた。
「誰も来てはおらん様だな。平河殿はどうだ?」
「……駄目だね。どのフォーラムにも返答はない。気長に待つしかなさそう。」
「そうか。告白かぁ、実は吾輩からした事は1度も無いのだよ。平河殿はどうなんだ?どんなパンティーが好き?」
「お腹空いたなぁ…」
「そうだ、昼食もまだだったな。よし、手製のマフィンとFortnum&Masonを馳走しよう。」
「あ、ちょうちょ…」
「はは、そう急かすでない。…む?パンティーが2枚、トランクスが1枚…来たな。」
2人は振り向いた。生徒会役員室に通じる唯一の廊下。その曲がり角から、数名の男女がやってくる。甘之川、糸遊、キャラダイン…希望崎学園、服務規程違反の常習者たちである。
「ダレカ居マス!」
「平河さんだ。大丈夫、知り合いだよ。…あれ?」
「ま、待って下さい2人共、何でそんなに歩くの速いんですか…ん゛ッ!?」
女性2人の視線が、嶽内に集中する。そして同時に叫んだ。
「「“殺杉ジャック”だあああああああああああああああッ!!!」」
「“高身長”、“全身に終末的な魔改造”!間違いないです、電話で亀川さんに聞いた通りです!」
「生徒会にも通達しようとしただけだったが…こうなればやるしかあるまい!行くぞ、ウィ…キャラダインくん!」
「了解 デアリマス! カゼ・マホ “妖精の吐息は草の上に、雲の向こうに!”」
甘之川が水筒の中身―毒々しい着色の液体だ―を手のひらに溢すと、それは表面張力により球形を保ったままふわふわと浮く。そこにキャラダインが手をかざすと、突如風が吹き、勢い良く嶽内へと突っ込んだ!これぞ必殺!!エナジードリンクミサイルだ!!!
「ぬ、ぬおお!冷たい!べたべたする!」
超人的な身のこなしで初弾は躱するも、狭い通路で全弾回避は不可能だ。嶽内に何発も直撃し、甘い香りが広がった。
「……皆、待って!この人は危険人物じゃ…多分ない!少なくとも、その何とかジャックじゃない!勘違いだ!」
「ヒラカワサン 何カ イッテル?」
「可哀そうに。恐怖で錯乱しているのかもしれません。続けて!」
「や、やめんかパンティー吊るし共!マフィンが濡れるではないか!」
この22秒後、怒った嶽内は全員のパンティーをずり落とした。ウィル・キャラダインは素晴らしい光景を見た。だが話の筋には関係ないので割愛する。
◆ ◆ ◆
「なぁ加藤ちゃん、お願い!俺と付き合ってくれない?」
「先輩…」
校舎の3階、普段は使われていない空き教室に、甘い雰囲気の男女が居た。 男は根鳥 マオ。弓道部副主将のイケメンである。もう1人はその後輩の1年女子、加藤ちゃん。彼女の瞳には、今、根鳥がしっかりと映っている。
「ごめんなさい!先輩の事は、そんな感じじゃないっていうか!」
甘い雰囲気?知るか。照れくさそうに両手の指をいじりながらも、加藤ちゃんは一切首を縦に振らなかった。
「そ、そうかぁ…し、仕方ないなぁ…。いや~残念だな~。じゃあさ……代わりに、この事は秘密にしておいてくれない?フられたなんて、ダサすぎるからさ。」
今度は彼女の瞳にぐるぐると渦巻く銀河が見える。「分かりました!先輩も告白頑張って下さいね!」
そう明るく言い残し、加藤ちゃんは教室を去っていった。根鳥は机を叩く。
(くそ!大誤算だ!!俺の能力を使えば簡単な筈なのに…そもそも付き合うのに成功すらしないなんて……!)
根鳥は壁にうなだれかかると、そのまま頭を打ち付けた。額が赤くなっても、構わず何度も打ち付ける。
根鳥の能力は、好感度に応じてどんな物でも借りる事ができ、物でなくとも行動で示して貰う事も可能だった。だが、根鳥はこの時、心底自分の能力について勘違いをしていたのだ。
「不味いぞ、このままじゃ滑川さんにぬめんぬめんにされる…!俺の愛を独り占めされてしまう…!」
根鳥は再度、机に拳を打ち付けた。
「うぅ~ん、五月蠅いでござるなぁ~。」
「うえっ!?」
誰もいない筈の空き教室、積み上げられた荷物の裏から、のっそりと侍が現れた。時代錯誤のちょんまげに着流し姿。そして、その手には刀。
「な、何だよ!?」
「……………ん~?お前でござるか~?よーし天誅天誅」
「え?え?ちょ、ちょっと待って!」
「まぁ、告白に失敗して挫ける気持ちは分かるでござるなぁ。拙者も若い時分には、花を咲かせた物ですし。」
え、あ、や…やった…
「はい待った!天誅!」
きゃあああああああああああああっ!
◆ ◆ ◆
――私は生卵だ。殻を破る事なく腐って消える、不良品の無精卵――
コンコン。
ノックは続いている。恐怖で震える口を、少しだけ開いた。閉じたままでは、歯がカチカチと当たって、外の誰かにばれてしまいそうだったから。いや、鍵をかけてる時点で隠れる意味なんてないじゃないか。
あぁ、どうしてこんなに怖いんだろう。いつからこんな風になったの?昔はもっと人と付き合えた筈なのに。誰かを簡単に好きになって、告白だってしていた筈なのに。
コンコン。 許して、もういい加減にして。
そう思った時、私の頭から意識がはじけ飛んだ。そして、たった1つの思考だけが、霧散した意識の代わりに駆け巡っていった。
―――『大丈夫?』と。
気が付くと、目の前には白い天井があった。周囲を見回すとカーテンで覆われており、体の下には柔らかい感触がある。――あぁ、これはベッドだ。昼食後の気怠い午後に来る、見慣れた場所。保健室だ。
体を起こし、髪をかき上げる。そして眼前の人物に心底驚いた。
「きゃあッ!?」
我ながら可愛い悲鳴だったと思う。ショートボブの、目つき以外はステキな女の子。思わず突き飛ばしてしまい、彼女はカーテンの向こうに消えた
頭の中で、急いで拒絶の言葉を思い浮かべる。嫌、やめて、あっちに行って。私の使える、私だけの魔法。しかし、カーテン越しの人影はゆっくりと起き上がると、そのまま遠のいていった。あれ?
「ちょっと…」
咄嗟の事で、呼び止める言葉が思い浮かばない。布団を跳ね除け、カーテンを開く。揃えて置かれていた靴を履く。入口を過ぎようとしていた彼女は、こちらを肩越しに見た…気がした。
―――その顔は、少し拗ねていた。
またも、衝撃に脳を揺るがされた。何よ。あなたが驚かすから悪いんじゃない。足がふらりともつれ、尻もちを突きそうになる。最初の、頭の中を駆け巡った言葉を思い出す。あれのせいだ、やったのは彼女に違いない。…あれは、魔人能力だ。
関わらない様にしよう。魔人だなんて、普通の人間でも厄介なのに。なんて、自分の事を棚に上げて言うのもなんだけど。不愉快な痛みが走る。ずきん。
私は携帯を確認する。午後16時、1時間程眠っていたらしい。幸い頭痛以外に、あの吐き気やら悪寒やらは消えていた。もう行こう。どこへ?知らないよ。彼女の行く方とは反対へ行こう。行こうとした。その時だった。
「天誅でござるぅぅッ!!」
「ああああ!!」
大声がして、振り向くと彼女が吹っ飛んだ。階段から急に来た男の人にぶつかって、一緒に転んだのだ。すぐ後からもう1人降りてくる…刀を抜いた、侍だった。もつれて動けない2人にじりじりと詰め寄る。
「意外にちょこまかと動いちゃって、拙者もう疲れたでござる。これはもう天誅しないとでござるなぁ~」
「ひっ、ひえ!ちょ、ちょっと待ってくれよおい!」
「いやでござる。死ね天誅~。」
侍は刀を振り上げた。うそ、まってちょっと殺す気?彼女ごと!?
「い…嫌!嫌!嫌!」
侍に向かって、慌てて声を発した。助けようとした?違う。そんな訳がない。ただ、こいつが危ないヤツだって私の勘が言っている!
だが、これはやっぱり迂闊な行為だった。私は焦ってしまったのだ――侍は倒れなかった。こっちをじろりと見る。
「う~ん…今の言葉、「嫌だから」言ったって感じではなさそうでござるなぁ。どういう意味があるか…貴様、さては魔人でござるな?言葉の意味からして、おそらく効果は反発、遮断…萎縮…」
「な…」
「言語系の能力では相手の聴覚認識・距離が重要でござるが、聞こえたのに通じなかったという事は…効果範囲は会話の適正距離、大体2~3メートルって所でござるかなぁ~。」
侍はぶつぶつと呟きながら、こちらに切っ先を向けた。後ろで男の人が叫ぶ。
「お、おい!その子は関係ないだろう!いいのか、俺も魔人だぞ!」
「阿呆でござるか?挑発が見え見えでござるよ。」
侍は、私を見据えたままで喋る。
「お前が魔人なのはさっきまでの動きで分かるが…どんな能力であれ、使えるならとっくにそうしている筈でござるよなぁ。」
侍が消えた。気付くと目の前に迫る。鋭い突きだ、素人でも分かる――喉を狙っている。
「そして、言葉が引き金なら、喋らせなければ良いだけでござる。天誅!!」
「い…」
嫌、と言う間さえも無かった。刀に光が反射して、自分の姿が映っているのが見えた
正直、目で捉えられた事が驚きだ。魔人となっても大して体育の成績は上がらなかった
けれど、中々どうして私の動体視力も捨てた物じゃないんじゃない?とか、死ぬ間際に
馬鹿な事を考えて。あぁ、私は死ぬんだ、とゆっくり思った。
「うぴょっ!?」
でも。その刃は、私の首の真横を通り過ぎていった。というか、侍は刀から手を放し、頭を抱えている。
「て…て…てん…ててて……?」
…これは…
「……ッ嫌!嫌!嫌!大嫌い!私の目の前から消え失せて!!!」
「ッ!!…っだ、だぁぁぶぅぅぅっ!?」
侍は絶叫すると、その場に膝を突いて倒れこんだ。これは、私の能力だ。私には分かる。でも、どうして?私は、そもそも喋ってさえいないのに?
「……………」
その時、私は転んだままのあの子に気付いた。
「…あなた…なの?」
こくり、と頷く。声には出さず、「怪我はない?」と唇だけが動いた。
「あぁ~!朱場ちゃんじゃん!助かったよ。本当にありがとう!」
男の人が朱場さん?に近づく。彼女を助け起こすと、へらへらした笑顔でこちらにも近づいてきた。身構える。少し前の男子生徒たちを思い出す。
「君も、本当にありがとうな!俺は根鳥、2年生だよ。君はどこの組?」
「……」何で名乗らないといけないのか。
「あ、そうそう。朱場ちゃんは、俺と同じ魔人なんだよ。普通に喋るのキツいから、メアド交換するといいよ。」
そういって男の人は、彼女に促す。何故か自分の携帯も取り出した。私は交換するつもりなんてないぞ。
その時、彼女が男の人を見ているのに気付いた。長い睫毛は忙しなく揺れ、少し眠たげな目は潤んでいる。ほっぺたが少し赤らんでいるのはどうしてなのか。へぇ、好きなんだ。好きになったんだ。惚れっぽいね。
ずきん。
……もう分かっていた事だったが。あの子は、私を助けようとしてくれたんだ。だが、それがどうしたっていうんだ。そんな事、別に珍しくもないだろう。だから――私が考えている様な事なんて、ある訳がない!
◆ ◆ ◆
希望崎学園第二グラウンドから、敷地外へ向かう森の中では、告白が成功すると信じて疑わないアベックが1組!伝説の木の下で今、1発しけこもうとしていた―!!
「えへへ、まゆたんちゅっちゅ♡」
「うふふ、ゆー君むちゅっ「ブッキュラジャギャラグェアーッ!!」
だが!突如現れた希代の殺人鬼、“殺杉ジャック”に切り刻まれてしまった!やっt…何て事だ!
「チェーンソーノ断罪ヲ受ケルガ良イ、愚カナル人類共メ!!」
希望崎第一校舎が襲撃されるまで、後1時間!
◆ ◆ ◆
希望崎学園は東京湾のド真ん中に建築された、四方4キロメートルの巨大な浮島に立っている。この時期の海風は冷たく、容赦ない。
その中心地である第一校舎付近には、3件のコンビニー「ぬめリーマート」が建設されていた。“ラブマゲドン”開催期間限定の購買部支店であり、食堂では無料の炊き出しも行われているのだが、お菓子などの嗜好品はここで買うしかない。夕暮れ近い午後17時、店内は人で溢れ、外にも長蛇の列が出来ていた。
買い物を終えた学生たちが次々と出てくる。その中に、一際体の大きい、マフラー姿の調布 浩一も居た。両手に手袋を着け、熱々の大根、きんちゃく、ロールキャベツの入った容器を持っている。
「うぅ~、寒い。こういう時は、やっぱりおでんだよなぁ。安くて良かった~。」
ぬめリーマートは生徒会役員が運営しているが、園芸部とも協力し、学園敷地内で採れた野菜を使っている。地産地消万歳。
(後は、寝具のレンタルと携帯の充電器…どこでやってたかな?)
調布は次の予定を考えつつ、おでんの蓋を開ける。「あ!」後ろから来た生徒に肘がぶつかり、おでんの汁がこぼれた。手にかかる。「あっつぅ!!」今度は容器ごとひっくり返してしまった。コントか。夜の道におでんが散らばり、汁が側溝に流れていく。
「あ…あ…あぁ…」
振り返ると、コンビニへの列は先程よりも長く、3時間待ちの立て札が見えた。
「不幸だ……。いや、これでいいのか…」
がっくりと肩を落とし、せめて自分を慰める調布。最後尾に並ぼうトボトボ歩き始めた時、軽やかな鈴の様な声が耳に届いた。
「あら、調布君。こうも人が多いと、大変ですわねぇ?」
「…君は…」
黒い人だかりの中、調布を見上げる様にして、くりっとした2つの瞳が動いた。隣のクラスの委員長、牧田 ハナレであった。くすくすと笑いながら、右手のビニール袋を軽く掲げて見せる。中には品物が詰まっており、1本だけ細長い駄菓子のガムが袋から飛び出ていた。
「買い過ぎてしまいましたの。付き合って下さる?」
「え、あ、うん!よ、喜んで!」
あれ?ラッキー!調布は、少女の後を追いかけた。その動きは、図体に見合わぬギクシャクとした物だった。
※ ※ ※
2人は夜風を避け、校舎内で食べる事にした。第一校舎の2階と3階を繋ぐ階段の踊り場に腰かける。近くの教室の喧騒が聞こえてきた。場所のチョイスは牧田だった。
「炊き出しのメニューがあったけど、凄い豪華だったよ。国産牛肉入りのカレーだって…売り切れてたけど。」
貰ったチキンをもごもごと頬張りながら話しかける。美少女と2人きりで食事など人生初である、何か話題はないかと思考を巡らせていた。
「私は…お恥ずかしながら、コンビニを利用した事がありませんの。遠目に見かけた時、ついワクワクしてしまって。」
カップラーメンに入っている小さなエビを掬いながらニコニコと微笑み、そう話す牧田。見ている方までつい頬が緩んでしまいそうだった。
「牧田さん、コンビニ初めてなんだね。流石ご令嬢だ。」
「お金持ちのボンボンですわ。」牧田が言う。調布は慌てて弁解した。
「いや、今のは別に嫌味じゃなくて、えーと、本当に凄いなーって意味で…あれ、これも何か…」
「うふふ!分かってますわ、あなたがそんな事言う人ではないと知っておりましてよ?申し訳ありませんでした。」
「や、や~…うん、コンビニのご飯も美味しいでしょ?」
「えぇ。最ッ高ですわね!」
牧田はカップの容器に口を付け、残り少ないスープを一息に飲んだ。そんな何気ない仕草にまで品がある。今ここで廊下の照明を消しても、彼女だけは光り輝いて見える事だろう。だから、調布がぽつりと「綺麗だなぁ…」と呟いたのは、別段不自然な事ではなかった。
「あ!ち、これはちが」
「あら~、随分とストレートな口説き文句ですのね?これは意外ですわぁ。そういう事を言える人だとは初めて知りました。」
牧田は笑う口元を隠し、くつくつと揺れる肩を抑えている。調布の顔は真っ赤だ。教室からの喧騒が響く廊下で、牧田の笑い声だけがやけに透き通って聞こえる。
「えぇ…ですが、…私、心に決めた方がおりまして。その方にも、そう思っていただけると嬉しいのですが。」
…遠回しに振られた。本気で無かったにしても、ちょっとショックだった。が、そんな気持ちを目の前の少女にばらすのは嫌だ。調布は努めて明るい口調で言った。
「牧田さんの、好きな人って誰?」
「えぇ、それはあたる様ですわ!スナイパーあたる様!」
「へ!?生徒会の!?」
スナイパーあたる。希望崎学園の生徒であり、冷徹なスナイパーであり、ラブマゲドン開催期間中、この希望崎学園敷地内から出る事が出来ない最大の障壁だ。常時高度1万メートルに位置しているという。
「会った事あるんだー。てか人なんだ!俺、てっきり人工衛星か何かの名前だと思ってたよー。」
「えぇ、彼は立派な方ですわ。会った事はありませんけど…。」
「どういう事?」
「助けて頂いた事があるのです。あたる様に…あの日、私は命を救われましたの。」
牧田が遠くを見る。遠く、遠く、空の果てを。きっとその目は月ではなく、空に浮かぶ想い人を探しているのだろう。
「だから、私は…あたる様を、慕っております。告白をしたいと思っておりますのよ。」
何があったか、彼女は深く語らなかった。しかし、その表情は、頬を朱に染めたその顔は、ただただ美しかった。それだけに、気にかかった。
「…牧田さん、確か魔人だったよね?どうして、逢いにいかないの?」
牧田 ハナレは有名人だ、名家のご令嬢にして魔人。飛行能力の持ち主という事は、広く知れ渡っている。
「……ねぇ、調布君。このラブマゲドンは、学園敷地内に居る者全てが対象ですよね?」
「?うん、その筈だけど…」
「私は、それを聞いた時にこう考えましたわ。ならば対象は、…生徒会役員にも及ぶのではないか、と。」
調布は、先程のコンビニでの光景を思い浮かべた。店員は皆、至福の笑みを浮かべていた――
「開始前、生徒会長に確認しましたの。そうしたら、『そんな事は当然だ』と言われましたわ…例え生徒会役員であれ、この場に居るのなら真実の愛を見つけなければならないのだ、と。」
滅茶苦茶だった。だが、あの生徒会長なら言いそうな事だ。
「彼が高度1万メートルから動かずに、「脱走者の始末」という仕事を請け負っているのは、既に恋人が居るからでは…と。私、今朝まではすぐにでも飛んでいくつもりしたわ。でも、それに気付いてからは怖くなりましたの。もしも断られたら、と思うと、どうしても決心がつかなくて…」
牧田の持つカップ麺の容器が、小刻みに震えている。そして一言も喋らなくなった。
調布は、パックの緑茶をグッと飲み干した。そして立ち上がると、先刻の牧田に負けず劣らずの、にかっとした笑顔を見せた。
「大丈夫!必ず告白は上手くいくさ、何せ牧田さんは優しくて素敵な人だからね!君が振られるなんていう不幸は、俺が引き受けてやるさ!」
遡る事2時間前に考えた「カップルを出来るだけ成立させる」という、自分が不幸にならない為の算段。しかし今は、例え自分が不幸になったとしても、彼女だけは幸せにしたい、という決意が芽生えていた。――この想いの根源に思い至らぬ程初心ではない。
一瞬ぽかんとした牧田は、それからまた笑った。
「前から思っておりましたけれど、あなたって本ッ当に……お人好しなのねぇ。さぞ、女の子にはおもてになるでしょう?」
「いやぁ、全く縁が無いんだよ~。」
「…でも、はい。ほんの少しだけ……お言葉に甘えてる事にしますわ。ありがとうございます。」
「いいって事よ。そうだなー。まずは防寒対策だね。もっと厚着した方がいいと思うよー。」
――牧田が有名である様に、調布もまた有名な魔人だ。他人の不幸を肩代わりする、奇妙な能力。聡明な牧田が、告白して振られるのは“仕方のない事”であり、“不幸”などではないと気付かぬ筈もない。だが、今は調布の、懸命に自分を励まそうという気持ちが嬉しかった。
電球の明かりがちかちかと揺れる。窓から少し欠けた月が見えた。その窓に、話し合う2人の姿が映りこんでいた。
だが次の瞬間、窓に巨大な亀裂が走る。そして、凄まじい爆音と共に学園が揺れた。
宴が始まる。本編開始―【恋愛至上戦域ダンゲロス 殺杉ジャックvsラブマゲドン】!!
◆ ◆ ◆
「グッギャロガゲッエガガジャーッ!!人類絶滅!!」
「きゃあああっ!」
「な、何だ!?」
突如聞こえた怒号と共に、砕け散った窓ガラスが牧田に飛来する。
(運が良すぎると思った…!これが不幸だったのか!)
彼女を庇おうと調布が覆い被さるが、その真上からは砕けた天井が、数百キロの瓦礫となって降り注いだ。
その時!
「ソード・スキル! 英雄剣道一騎遊々! YAAAAAA!」
「ぬおおおおおおパンティィィィバリアァァァァァッ!!」
「そこにも居るぞーッキャラダイン君!嶽内さん!」
崩落の轟音と共に迫りくる瓦礫。それが2人を押しつぶす事はなく、まるで風に浮く木の葉の様に吹き飛ばされていった。調布が顔を上げると、そこには甲冑を着た騎士と形容しがたい何か、そして白衣の少女。まだ他にも数名居る。
「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
法被の女が心配そうな声を出す。近くにも、崩落に巻き込まれた人が居るらしい。
「あ、朱場ちゃん!ちょっと歩きづらいって!」
「…そうね。ひっつき過ぎ。こっち来よ?」
「ママー。てんちゅーでごじゃる~」
「……『よしよし、よくやったねぇ~うふふ可愛い侍ちゃん…』」
「うぴょっ」
男子生徒にくっつく女子生徒にくっつく女子生徒にくっつく幼児言葉の侍。侍は何故か気絶した。その周囲にある瓦礫は全て、粉末と言っていいレベルで切り刻まれている。
「すみません、助かりました。牧田さん、怪我はない?」
「……大丈夫、敵は進路を変えて向こうに行った。ここは、少しだけなら安全だ。」
「おい、話が違うじゃないか。“殺杉ジャック”は、こんな事出来ない筈だろう!?」
平河と一緒に周囲の瓦礫を軽々とどかしつつ、甘之川は悪態をついた。埃を被った調布をはたいていた牧田が、驚いた様に言う。
「“殺杉ジャック”!?まさか、麻上 アリサさんではありませんか?」
「知ってるのか。不死身で怪力、全身から生えるチェーンソー、IQは1兆8000億に弱点はエナジードリンク。だけど、校舎全体を一気に破壊するなんて無理な筈なんだ。」
「…麻上さんとは子役時代から面識があります。今回の映画も、一部牧田財閥が出資してますの。」校舎が揺れる。牧田は苦い顔で続けた。「以前、新作の台本を見せて貰いました。裏設定として、“攻撃を受ける度に短期間で進化する”とありましたわ。」
窓の外から、何人もの声と破裂音、甲高い悲鳴が聞こえる。外に居た生徒たちが応戦しているらしかった。
「…その設定までトレースしているのなら…既に弱点など無いかもしれないね。外の連中の攻撃さえ、逆効果だろう。」
そこに、天井の亀裂から嶽内が這い出してくる。平河は普通に階段から降りてきた。
「生徒会役員室は閉まっているな。平河殿が呼び掛けても、動く気配はなかった。」
「……外に逃げる事も、助けを呼ぶ事も出来ない。」
「理事長にも通じません。あの人が出ないとは考えられないのですが…死んでしまったのでしょうか…?」
「リジチョー 今日 グアム 行クッテ 言ッテタヨ。」ファック。糸遊 兼雲は激怒した。
断続的に衝撃が続いている。周囲が瓦礫で埋まる中、かろうじて見える外は噴煙と炎に包まれていた。外から、チェーンソーで何かを削る音が響く。それ以外の音は、もうしない。
「…ふむ、この周囲に居る者では倒せないな。だが、不死身を倒すのが魔人だ。平河殿、何か心当たりは?」
「そんな、殺すなんて!」
牧田が嶽内を見る。その声に、調布と糸遊も控えめに頷いていた。
「確かに、無用な殺生は好まんが…奴は危険だぞ。」
「わ、私が空まで皆さんを引っ張りあげますわ!私なら可能です!」
「無理だよ、牧田さん。例え重さを無くしても、全員を持ち上げる事なんて出来ない。大所帯になれば、空気抵抗も増すんだ。」
「デモ、立チ向カウ ダメ。 アイツ マ王 ヨリ 強イ。」
「え、え?ちょっとごめん、ヤバくね?い、泉崎ちゃん、何とか倒せない?」
「無理、近づけない。」
話し合っても、有効な手は何も思い浮かばない。だが、その状況で糸遊だけは黙々と組み立てていた。
「…皆さん、生年月日、血液型、星座、好きな人、食べ物とか、何でもいいので自分の事を詳しく。」
「お、俺は人間だぞ!それに、何で個人情報を教える必要があるんだ?」
「…ほう。見た事があると思っていれば、貴女はあのハルマゲドンの!活躍は、パンティー伝いに聞いておるわ!」
どうでもいいが嶽内は20歳!糸遊が参加した同じハルマゲドンに彼も参加していたのだ!顔の火傷とパンツでお互いに気付かなかったけど!
「観察力には自信があるの。ここに居る何人かが魔人であるのは分かりました、作戦もあります。だけど、まだ隠している人は教えて下さい。私は、皆で生きて帰りたいんです。」
「てんちゅう?」
「……糸遊さん。……その情報を、どう使うの?」
糸遊はにっこりと微笑んだ。古い本を取り出し、万年筆のキャップを取る。
「まずは、私の能力から披露しましょう。皆さんの力に、私の『 万蕃儿縁起体系・手引足抜繙自在鉄之帖』、を加えれば…
大丈夫、全ては運命的に上手く行くわ。」
◆ ◆ ◆
殺杉ジャックが、咆哮する。既に校庭には複数の血溜まりが出来ており、動く者は誰もいない。生きている者も、今は瓦礫の残骸や木々の裏に身を隠し、息を潜めていた。
「滅ビルガ良イ、汚ラワシイ人間共メエエエッ!!」
殺杉は、第一校舎に向かう。先程投げつけた無数のチェーンソー・カッターにより、既に建物は瓦解していた。だが、まだ無数の心音が蠢いている。人類殺スベシ。殺杉ジャックの頭には、その言葉しか浮かばない。
「おぉい!」
その時、拡声器の声が響いた。隠れていた者たちは、その声に一瞬身を竦ませる。だが、その主にすぐ思い当たった。――根鳥 マオ。
殺杉の向かう先、崩落した学園第一校舎の玄関口に、根鳥が立っていた。恐怖は震えているが、確かに2本の脚で立ち、殺杉の前に立ち塞がった。
「ええい心配するな、漏らしても綺麗に洗濯してやる!」
「ち、畜生!うおおおおおお!」
根鳥は叫んだ。拡声器を持ち、殺杉にも負けない、大きな声で、学園中に向けて叫んだ。
「皆ぁッ!!」
それは…開戦の狼煙でもあった!
「俺にパンツを貸してくれえええ!具体的に言うとパンツかブラジャーと靴下に肌シャ」『グッゲロゴロゲシャベヘェギャエエエエエエエッ!何ヲスル気ダ殺シテヤロウカアアアアッ!!』うぎゃあああああああああああああああッ!!!!!」
「えっ根鳥先輩、何を」
「パ、パンツを貸せばいいんですか!?」
「根鳥の為ならやるぜ俺ぁ!」
校内に残っていた動ける者は、次々とパンツを脱ぎブラジャーを外し始める!その1秒後、殺杉ジャックは全身からチェーンソーを生やして根鳥に飛びかかった!!。
「そこまでよ!」
「ギャッグァワラロロロロッ!?」
殺杉は根鳥に到達する寸前、後ろからの声に足を止めた。首をぐねりと捻じ曲げ、その声の先を見る。ショートボブと、ロングヘアの2人の少女。距離は僅かに3メートル、ジャックの超人的感覚を回避して、いつの間に近づいたというのか!?
「…殺杉ジャックは根鳥さんに気を取られて、後ろの動きに気付かない筈…!」
平河 玲の能力!『流言私語』である!!
「ドウヤッテ近ヅイタカ知ランガ死ネエエエエエッ!!」
殺杉のチェーンソーが唸る。背を低く構え、驚異的な反発力を生かして瞬時に距離を詰める動き!!
「…………」
だが2人の少女は臆さない。ショートボブの少女が肩を叩く。ロングヘアの少女は、小さく息を吸うと、いつもの気怠さと変わらぬ口調で――ぽつりと呟いた。
「…つう。」
その瞬間、殺杉ジャックの脳に無数の言葉が、怒涛の奔流となって到来する!本来の思考など、億万後年彼方に消し飛ばしてやるとばかりに!!
「嫌嫌嫌駄目駄目駄目死ね大っ嫌いチェーンソー怖い向こうへ行って向こうへ行ってキモいキモいキモいあちょっと距離近い息が耳に当たってる腕柔らかい目が綺麗名前の@ってセンス割と嫌いじゃないわよふわああああんごめんね突き飛ばして怪我してなあい声をかけてくれてありがとう心配してくれたんだよねありがとう睫毛長いね綺麗よ声をかけてくれてありがとうメアド交換してくれてありがとうちょっと連絡頻度多いけどあぁぁぁっぁあああああしゅきぃっ♡」
「ウッギョロゴロゲギャアアアアッ!!」
これぞ泉崎ここねと朱場栄斗@鬱の能力!『ヘイストスピーチ』×『論理否定』の必殺!!書いてて死にたくなる妄言の数々を受けた殺杉ジャックは膝を突く!しかし、殺杉のIQは1兆8000億!この攻撃を以てしても、殺杉の知能は東大生レベルに落とすのが精一杯――!!
殺杉は両腕を振りかぶる!両手首の先から小型のチェーンソーが生え、同時に手首が炸裂した!爆撃ではない、2人の少女目掛けて、チェーンソーを射出したのだ!その刃はアダマンタイトで出来ている――!!
「てんちゅう!」
だがその刃は、着流し姿の侍にあっさりと切り刻まれた。後ろで泉崎が、申し訳程度に手を振っている!それを見た侍は、心底嬉しそうな表情で「ママー!」と返した。そう!侍こと、ちょんまげ抜刀斎は!泉崎の攻撃を受け幼児退行している!その後、鳥の刷り込みと同じ要領で泉崎の事をママと思っている!パパはいない!ママが、頑張ってと言っているから、自分は頑張る!神の愛を受けた侍に――切れぬ物など無いのだ!
「ウギッ!?」
殺杉は、第3の腎臓を起爆させようかと考えた。原子炉と同じその熱量を持ってすれば……そこまで考えた時、頭が急に重くなる。指が1本も動かせない。――その眼前に、またも女が立ち塞がった。
「恋の痛みを知った私なら……その甘さだって、変えてやる。」
甘之川 グラムの能力!能力の拡大解釈版、『林檎の重さと月の甘さ』!!殺杉の脳は、夕飯を食べてお風呂に入った後――ぼんやりとこたつでテレビを観ながら横になる、冬の金曜日と同じ位重かった!!
「ギ…ギ…」
しかし、殺杉ジャックの体はまだ動いている。常軌を逸した殺意は、奈落の底に敷かれたお布団から何とかその精神を奮い立たせ、チェーンソーだけでもと動かしていた!体の四方八方から突き出したチェーンソーを支えに、その巨体が起き上がる!
「ギャ、ギャギャギゲ…」
ブウウウウウウウン!チェーンソーの刃が回転する。全身が膨れ上がった。これは先程も見せた攻撃、炸裂と同時に発射される無数のチェーンソー!!
その時、校舎の一角から数人の男女が現れる。玄関口でへたり込む、根鳥の下へ沢山の籠や、バケツに入れられた大量の…パンツだった!
「待たせたな根鳥!動けない奴からも取って来たぞ!」
「購買の替え下着もある!」
「さあ、先輩!この下着を使って下さい!何に使うか知らないけど!」
「あ、う、うん。俺もどう使うか知らないんだけど…」
「「「え?」」」
「うおおおおおおお、そりゃああああああああああッ!」
突如現れた人影が、全てのパンツを奪い取る。説明は要るまい、嶽内だ!その異形に、崩落した校舎のあちこちから悲鳴が聞こえる。
「えっ!?先輩が使うんじゃないんですか!?」
「ぎゃああ変態だあああああああ!」
「お前あれに渡すとか言ってないじゃん!最低だなマジで!」
「う、うわああああああああああ俺の好感度がああああああああ!」
根鳥 マオのシークレット能力!『宇宙ヒモ理論』!好感度の高い相手から、その好感度を下げずにどんな物でも借りられる能力!だが、又貸しした場合は話が別だ!!
「ふん、騒がしい。だが、最近の学生は良いパンティーを穿いているなぁ。よし、1人の先達として、吾輩が手本を見せてやろう!」
その瞬間、パンティーが渦を巻き、嶽内を取り囲んだ!
「私もうあのパンツ穿けない!お気に入りだったのに!」
根鳥にちくちく精神ダメージが行っているが関係ない!漢・嶽内 大名の能力!【パンタローネの抱擁】!! パンティーだけではない、ブラジャー・靴下・肌着まで!購買にあった新品も含め、総枚数2000着以上がその体を包み込み、絡まっていく!
「秘技……下着狼の構え!」
「ウッギャロゴロシュヘンタイェイギギャゲー!!」
そこに現れたのは、1匹の巨大な狼であった!
「来い…パンティーとはこう穿くんだ!」
※ ※ ※
「あぁ、あたる様…今、逢いに行きますわ…!」
そう思いながら、彼女は暖かさを感じていた。身に着けているのは、マフラーと手袋、学ラン、法被に毛糸のパンツ。あの場に居た者から借り受けた服だ。ぎゅっと手を握る。柔らかい、手袋の感触がある。調布から借りた物だ。……他愛ない夕食のお礼としては、勿体ない位の物を借りてしまった。
希望崎学園の上空を、まっすぐ上に向かって上昇する小さな影。もこもことした服装の牧田は、その能力『エターナル・フライ・アウェイ』によって急上昇し、現在高度6000メートルに達していた。
「私、頑張って告白しますわ…!例え、どんな結末に至ろうとも!」
それは、自分を勇気づける為―振られると分かって言った、あの少年の為に。その勇気に、自分は報いなければならない。目的地までの到着予定時間約33秒、残り時間…0秒!
「…どこ?ここにいらっしゃる筈ですわ…」
牧田が、高度1万メートルに到達する。これ以上上昇しない様に、能力のON/OFFを小刻みに切り替えつつ高度を保つ。まっすぐ上に来たのだ、ここにはスナイパーあたるが居る筈だ。
そして、すぐに見つけた。そこには確かに、あたるが居た。だが…それは。
「…嘘。」
そこには、回転するプロペラを有した巨大な飛行船があった。全体は酷く色褪せ、長年ここで浮遊し続けている事を物語っている。楕円形の気球には、赤く無機質な文字で「無人攻撃兵器ATARU」と書かれている。その隅には、小さく「牧田財閥」とあった。
「人工衛星か、何か…」
正確に言えば衛星などではないが、どのみちそこに居るのは人間ではなかった。
「……うふふ、何という事でしょう。あの時、私を守ってくれていたのは……誰でもなかったのですね。」
牧田が笑う。だがそれは、あの快活な笑みではなかった。笑いながら、止めどない涙が溢れた。その涙は、上空1万メートルの強風によって、遥か彼方へと舞い散っていく。
「……でも、言いましょう。ここまで来たのですもの、言わなければなりませんわ。」
例え、どんな結末に至ろうとも――だ。
「私は、あなたの事が好きでした。スナイパーあたる様、私を守ってくれてありがとう…」
牧田が、機体にキスをする。そして、銃口をぎゅっと抱き寄せた。
※ ※ ※
「牧田さん、大丈夫かな…」
調布は心配そうな顔で呟いた。その隣を、ぴったりと付いて走るキャラダインが笑う。今は甲冑を脱ぎ、剣のみを背負っていた。
「ダイジョーブ! 彼女 良イ カオ シテマシタ! チョウフ ガンバッタ!」
「正直沁みるよ…ありがと。」
希望崎大橋が見えてきた。平河から境界線について聞いている。逃げようとした学生の死体が散らばる場所、そこを1歩も超えてはならないと。
その地上最も危険なキルゾーン、希望崎大橋の向こう側に、6人の男が居た。希望崎学園、映像部の面々だ。
「おーい!こっちだ!私が亀川だ!」
「良かった、予定通りだ。俺が調布、こっちがキャラダイン君だよ。」
「ヨロシクネー」
8人の男たちは、境界線を挟んで立った。周囲には野生のコンドルが群がり、死肉を貪っている。部員の1人が悲鳴を上げた。
「…よし。では…いいのかな?」
「待って。約束の時間までまだある。」
男子魔人高校生である2人は、体格の良さと日頃の成果により足が速い。そこにキャラダインの能力、『絶対勇者』による旅の加護が合わされば、片道2キロメートルを数分で踏破するなど簡単な事だった。簡単な事なんだぞ。
「亀川さん、本当にいいの?少なくとも、そっちは安全でしょう。」
「いや。今回の失態は私の責任だ。何より、女性を見捨てて逃げたという事実が私を打ちのめすのだ。1人だけ安全圏など、御免被るよ。」
「…分かった。行こう。」
6人の男は、互いの顔を見合わせた。その足元の死線を、躊躇せず…一斉に跨ぐ。
※ ※ ※
「ぬ、ぬおおおおッ!」
布製の狼が破け、嶽内は地面に吹き飛ばされる。殺杉は無数のチェーンソーをここぞとばかりに射出した。嶽内は次々と避けるが、それだけで精一杯だった。
「ち、流石にノーパン主義者は分が悪いな…ッ!!」
「お、おい!泉崎ちゃん、朱場ちゃん、何とか出来ないのかよ!甘之川ちゃんも!」
「駄目だね。あいつの射程に入れない。それに、動きがかなり良くなっている…どうやら、耐性が付き始めている様だよ。」
「……私の改変も、通じていない。」
「てんちゅう……」
巻き込まれないように避難した根鳥たちは、最早遠くから見守る以外に出来る事がない。
「ゲゲギャギグロベットボロポゲー!!ドウヤラ万策尽キタ様ダナアアアアアッ!!」
殺杉が大声で笑う。肩をぽきぽきと鳴らした。その動きは軽快で、先程までの鈍さは見られない。足元の布切れを踏みつけると、赤く濡れたチェーンソーの刃を高々と掲げた。
「人類ハチェーンソーノ海ニ沈ムノダ!!ソレガ定メ!下ラヌ布切レ風情ナド、紙クズヨリモ簡単ニ裂イテクレヨウゾーッ!!グッウェジザャベロボゴオロロロロロッ!!」
「…ふん。これ以上、手を抜いて止められる相手ではない様だな。」
嶽内が呟いた。同時に皮膚がメリメリと隆起する。
「キ、キモ!!ソレハ何ダッ??」
「…パンティーマスターとは…人の身を守り、いつか穿き潰される者たち。万民を守護する番人を、更に慈しみ守る者たち」
嶽内の皮膚が張り裂ける。中から飛び出したのは、嶽内が身に着けていた、至高の伴侶にして最愛の恋人!パンティーと、ブリーフだ!!
「行くぞ!!」
「ヤッテミロ!!ゲッギャビョログッシュシャゲェェェエアアッ」
殺杉のチェーンソーが、この日最大の回転数を見せる!この希望崎学園で数多の血を吸った刃が、嶽内のパンティーを捉えた!だが…パンティーは刃に、しっかりと絡まった!
「ナ、何ィ゛ッ!?」
嶽内の全身に埋め込まれていたパンティーは、嶽内自らが技術の粋を駆使して織り上げた究極の一品!故に希代の戦闘破壊兵器が持つチェーンソーと言えど、そう容易く切れる物ではないのは自明の理!
「コ゛ンナぱんてぃぃ如キ斬リ裂イテヤルゥアアラ゛ア゛ア゛ッ!!!」
それでも殺杉のチェーンソーを完全に食い止める事は出来ない。ブチィ、ビリビリッと音だけを残し、無残にも引き裂かれていく。だが、嶽内は全身から血を流しつつ…ニヤリと笑った。
「…ふん。トランクスに、ブリーフか…来たぞ。」
「ギャギゲッ!?」
殺杉は慌てて振り向くと、僅か30メートル先に6人の男が立っている。その後ろには息を切らした調布が居て、キャラダインがそれを支えていた。
6人の1人、部長亀川が歩み出る。
「麻上、いや“殺杉ジャック”。もう終わりにしよう。」
「グ…グェギロヘヂュブヴォロヴア…」
「ぶ、部長、大丈夫ですかね…?」
「平気さ、麻上は台本をしっかりと読み込むんだ。」
亀川が、殺杉に触れた。不思議な事に、殺杉は動かない。ただ、その醜悪な表情は、戸惑いの感情だけを浮かべていた。亀川が、高らかに声を張り上げる。「殺杉!!」
「俺はお前とは付き合えない!ごめんッ!!!」
「ゾ、ゾンナ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!ギギギッゲギャアアッ!!」
そう叫ぶと、殺杉は顔面を覆い、その場で仰向けにひっくり返った。足元をじたばたさせ、全身から大量の蒸気を放出している。
――麻上 アリサ、能力名『ハイ・トレース』。芝居を演じる事で、その役になりきる変身能力。役が死ぬ状況になれば自動解除されるが、“殺杉ジャック”等の巨大な力を持つ存在に扮する事が危険であるのは言うまでもない。
だから、亀川たちは策を講じていたのだ。それは『裏設定』。麻上が危険な役を演じる時は、必ず「亀川部長に心底惚れているシャイなハートの持ち主」という設定を書き加えていた。
やがて湯気が収まる。もう動かない殺杉は、腐食した木の様にぼろぼろと崩壊した。中には、赤子の様に眠っている麻上が見える。……こうして希望崎学園を恐怖に陥れた希代の殺人鬼は、殺戮の末――失恋のあまりに、憤死を遂げたのだった。
◆ ◆ ◆
時刻は午後23時過ぎ、僅か数分で瓦礫が散らばる惨状と化した学園のグラウンドに、女性の声が響く。
「わーん先輩!無事でよかったぁ!」
「加藤ちゃん!」
駆け寄る後輩に手を振る。立ち上がろうとしたが、腰が抜けてどうしようもない。根鳥は頭を掻いた。加藤ちゃんが差し出した手を、そのまま借りる。
「今日は恰好悪い所ばっかり見られてるなぁ…パンツ、ごめんね。」
「いいんですよ。それに先輩、あの化け物相手に立ち向かったじゃないですか!」
「いや~、まあね。あれ?もしかして惚れちゃった?好感度上がっちゃった?」
「それはどうしようかなー?というか先輩、能力に頼らないで普通に告白すればいいのに。多分先輩、無意識に“永遠の愛”を欲しがってません?そりゃ好感度程度じゃねぇ。」
「えちょ待って、何で俺が魔人って…ていうか能力の詳細…」
「シークレット解除能力持ちですから。どうしよっかな~、皆に言っちゃおうかな~?」
「か、加藤ちゃ~ん…」
慌てている根鳥の姿を後ろから見つつ、朱場栄斗が口を大きく開いた。
「……ッ「はい駄目。朱場さん、静かに。」
後ろから泉崎に塞がれた。朱場栄斗はそれでももがいていたが、頭の中で言語が組み立てられず何も喋れない。妬みのあまり悔し涙を流す朱場栄斗を見て、泉崎もまたふくれっ面をしていた。
その後ろで着流し姿の侍が涙ぐんでいる。神が、他の人に夢中であんまり構ってくれない。侍は小さく、「てんちゅぅ…」と呟いた。
〇
「あ!来た!お帰りー!!」
調布が空を指差す。眠らない都市、東京の空は星が少ない。だがその月を背景に、ゆっくりと降りてくる人影を、しっかりと見つけた。牧田だ。
「調布君…」
「どうだった?上手く行った?」
牧田は、目を伏せたまま、静かに首を横に振った。
「いいえ、振られてしまいましたわ。」
「そっか~。…うん。残念だったね。」
「えぇ。…これ、ありがとうございます。お返ししますわ。」
巻いていたマフラー、手袋、学ランを渡される。調布は何も言わずに受け取った。彼女の体温が残っている。調布はそれを手に持ったまま、隣に居る彼女を見ないで言った。
「…冷えるね。」
「えぇ。冬はこれからですから。」
2人は無言で、欠けた月を眺めていた。やがてそれぞれ、崩れた校舎と簡易テントの方を見る。
〇
「…そうか。国に帰るのか…」
「ウン、“ラブマゲドン” 終ワッタラ ソウスル。」
グラウンドの外れに建てられた、簡易テントの下。負傷者の応急処置を保健医と保健委員の生徒が行っていた。甘之川は科学知識を、キャラダインは魔法を使って、その手伝いをしている。
「ハヤク、アリス ニ 会イタイ。 早ク、 『コイ』 ヲ 伝エタイ。」
「……なぁ、キャラダイン君。正直に言うよ。私は、心配なんだ。君にそれが出来るとは思えないんだよ。万物を平等に愛せる君に、『恋』は無理なんじゃないかって。」
意地悪だ、と思いつつも言う。心配しているのは本心でもあった。茨を踏みながら進む恋に、幸せなどあるのだろうか。
「例エ ソウデモ」
回復魔法をかけつつ、キャラダインは笑顔で言った。甘之川の、初めて見る笑顔だった。
「ワタシ アリス ヲ アイシテマスカラ。幸セ ハ 楽トハ 限リマセン。」
「そうか。」
私は、君に一目惚れした身だけれども――好きになった事は間違いではなかったよ、ウィル。
甘之川は小さく呟いた。キャラダインにそれが聞こえたかどうかは、知らない。
〇
「麻上さんは、すっかり憔悴しているから、このままで。」
「うむ、済まない。しばらく間借りするよ。」
糸遊が理事長からあてがわれている拠点の1つ。崩落した第一、第二校舎も見えるそこは、寂れた男子便所だった。あまり使われておらず、掃除もしていないが、3番目の個室からはその裏の隠し部屋に入れるのだ。内部は六畳一間と意外に広いのだが、麻上含めた映像部7人を匿うにはかなり狭い。
「別の拠点を確認してきますので、それまではここで我慢して下さい。あと、あまり外をうろちょろしないで下さいね。殺杉の正体、勘づいている生徒も多いんです。」
「分かっているとも。いいか皆、我々だけの命ではない!彼女も危険を冒して助けてくれているのだ!」
「「「「「はいっ!!」」」」」
返事の揃った男たちに、糸遊は微笑んだ。それから、まだ床に薄いシーツ1枚で寝かされている麻上へと、そっと法被を被せる。
「後で必要な物資は届けます。その時にでも、2人か3人に別れて貰いますが…麻上さんは信頼出来る女生徒を連れてくるので安心して下さい。……私が来るまでに、変な事しないで下さいね?」
「へ、へへへ変な事なんてすすすする訳ないじゃじゃないか!?」
「部長、落ち着いて下さい。すっげぇ怪しいです。」
「正直に言っちゃいなよ部長~、麻上ちゃんの事好きなんでしょ~」
「そ、それはお前らも同じだろうがあああああっ!!!」
亀川が部員の頭を叩く。部員らは狭い室内で麻上を踏んづける訳にもいかないので、やめろよーと言いながらただ受けるしかなかった。その様子を見ながら、糸遊は言った。
「…一応、理事長に蘇生能力者を探して貰っています。心当たりはある様ですが…もう、この学園で映画を撮る事は出来ないでしょう。」
「あぁ。皆でその話はしたんだ。転校するつもりだよ……俺たちが生きていれば、映画は撮れるからね。映画に終わりはあっても、映画製作は終わらないのだ!」
「そうですか。」
「…ところで、糸遊さん。あなたハルマゲドンの参加者だって?」
「えぇ、何か?」
「その体験談、聞かせてくれないだろうか?脚本に使えるぞ!何なら役者としても来て欲しいくらいだ、何せいつも人手不足でね!」
「え、えぇ!?わ、私がですか?無理ですよ!ほら、スタイルも良くないし!傷だらけだし!」
「スタイルなんて個性の内!傷も然り、気になるなら特殊メイクで隠せるぞ!」
「嫌!嫌です、いーや!」
「はっはっは、部長がフられてらぁ!」
明るい笑い声が、隠し部屋にこだました。麻上は「むにゃむにゃ、もう1回撮りましょう」と寝言をもらした。
〇
平河は、缶コーヒーを片手に、きょろきょろと周囲を見回している。その内、全身に包帯を巻いた男が瓦礫の上に座っているのを見つけた。
「……嶽内さん、コーヒー飲む?」
男は、痛みを堪えて彼女を見上げると、ふっと笑みを漏らした。
「うむ、頂こう。本当は紅茶派だが…流石に寒いな。今日は、こんなに冷えるのだな。」
平河は、嶽内の横に座る。隣の男の全身に、かつてあったパンティーたち。それらは全て殺杉ジャックに切り刻まれ、1枚も残っていなかった。互いにコーヒーを啜る。しばらく特に何をするでもなく空を見上げていたが、最初に口を開いたのは嶽内だった。
「……大丈夫?」
「未亡人になったのだぞ。しかもハーレムの崩壊、大丈夫ではないわ。」
「……依頼の件、だけど。騒動で情報が錯そうしていて、SNSが使えない。あなたと似た特殊嗜好の人は、見つけられそうにない。」
「そうか。依頼はキャンセルするぞ。全く、待ちの一手などとは…下らぬ事を考えたものよ。」
「……そう?……私は、妥当だったと思う。」
「いいや、違う。やらないより、やった方が後悔も軽いというあれだ。今の吾輩には、あの時告白に行けば良かったという後悔しかない。行っておれば、こうはならんかったかもしれんだろう?…それにな、今なら分かる。吾輩の愛は本物だった。認められたさ。だが…何もせず失った後では、な。」
嶽内は、空の缶を瓦礫の上にコツンと置く。
「ところで、平河殿。今、めっちゃスースーしておらんか?」
「…まぁ。」
平河はめっちゃくちゃスースーしていた。どことは言わないが。
「吾輩には今、計画がある。いいか、まず材料を調達する。そして手製のパンティーを作り、生徒会の連中に穿かせてやろうと思ってな。」
「……意味が分からない。意趣返し?」
「正直、パンティーを全て失った状況が辛すぎての。ひとまず、しばらくはパンティー作りに励もうかと。意趣返しはついでだ。あの連中に、吾輩のパンティー愛を逆に教えてやるのだ。」
「…そう。」
「貴女にやったカッサンドラ…青の美しい、ストライプが美しかった。」
「……そうね。無理やり穿かされなければ、少し可愛かったかも。」
依頼を受けるか断るか。平河がそんな事を考えていると…突如、風が吹いた。マフラーが外れ、風に流される。
「あ!」「ぬ?」「おっと!」
だが、そのマフラーは風下に居る生徒が取ってくれた。そのまま平河へ渡しに来る。
「はい、どうぞ。」
「……ありがとう。」
「ん?そっちの人は大丈夫?」
「うむ、全身の皮膚が裂けておるが気にするな。」
「それって大丈夫って言うかなー?保健室あるよ、あなたも怪我はな…うわ!」
またも突風。平河はマフラーが飛ばされないように首元を抑えるが、その時、相手の視線が自分の足元に向いているのに気付く。いや、これは足元というより…
「…あ」「ご、ごめん!」
相手はそう言ってそそくさと逃げ出した。
「…嶽内さん。」
「どうした、平河殿。」
「……依頼を受けるよ。ただ、報酬は前払いで。……急ぎ、パンツを1枚。」
あの人…廊下ですれ違う度に、結構素敵だなと思っていた人だった。うわーん!
――失った物は多く、それらを取り返す事は出来ない。しかし明日はまたやってきて、我らの人生は続くのだ。人生の恋人、欠けたハートのもう1つを探して――
恋愛殲滅、失恋完了。
【恋愛至上戦域ダンゲロス ―Love and Lost Piece―】 〈完〉