幕間ss 【BAKED・EGG】
眼を覚ます。
痺れが残っているのか、四肢の自由は効かない。だが、横隔膜は規則正しく肺の空気を循環させ、少し弱々しいけれど、心臓の鼓動は確かにある。意識は明瞭、周りの音は良く聞こえるし、ベットのシーツを触ればちゃんと布を触っている感覚が指先にある。視野は少しボヤけているが、問題ないだろう、そのうち回復する。
生きている。
あぁ、生きているのか。
眼球をゆっくりと動かし、自分が病室にいる事、サラサラとまだ肌寒い風が窓から吹き込んでくるのを感じて、季節が冬だとを、順々に理解していく。
カーテンの陰に、ニット帽を被ったフワフワとした人形のように可愛らしい少女が、やはり人形のように、座ったまま寝ているのを見た。
彼女が誰なのかは、分からないはずなのだけれど。なんだかとても暖かくて懐かしい記憶が、頭の奥で薄ら薄らと泡のように浮かぶ。しかし、それは弾けて消える。
記憶が、無い。
日本刀と、御天道様と、自分が人斬りである事。
それしか覚えていない。
何故人斬りなのか、御天道様が何なのか、分からない。でも、記憶の一番深いところに刻み付けられているから、それだけは自分のアイデンティティとして知覚している。
それにすがりつかなければ、自分は何者でも無くなってしまう。
声が聞こえる。鮮明に、脳の一番奥に突き刺さるように。自分はこの声を待ち焦がれていた。
「……あぁ、兄さん、おはよう」
「……おはよう、でござる」
声を掛けた彼女の方が驚いていた。どうやら拙者は、長いこと気絶と覚醒を繰り返し、意識が無い状態が続いていたらしい(という内容のことを矢継ぎ早に伝えられたので、要約した内容を記しておく)。
それから拙者が彼女、『泉崎ここね』の兄であること。名を『泉崎清次郎』ということ。そして、人斬りとして人間を殺し過ぎた拙者が、異界の英雄や希望崎学園の生徒によって裁かれたこと。
拙者が人斬りとして、人の道を外れた鬼になった原因が誰のせいであるかを、聴かされた。
彼女は謝り続ける。声が枯れて、涙で顔を真っ赤に腫らせて。頭を撫でてやりたかったし、抱きしめてやりたかったが、身体は動いてくれない。
ただ、一言
「ありがとう」
人の道を捨て、修羅と化し、鬼に成り。愚かで見当違いで、ありがた迷惑な愛を注ぎ続けた不出来な兄を、こんなにも思ってくれて。ありがとう。
最後まで守りきれなかった、背負いきれなかった自分を、許してくれてありがとう。
「次に、あたしの前から居なくなったら、絶対に許さないからね」
「……承知したでござる」
御天道様は新たな天命を下す。自分にとって、後にも先にも、最後となる天命を。
焼け爛れて、ミイラの様に痩せ細った手を、柔らかい手は包んでくれる。
今度はきっと、最後まで隣に居よう。
ちょんまげ抜刀斎としてではなく、泉崎清次郎として。
刀ではなく、彼女の手を握って。
最終更新:2018年12月18日 00:59