静寂を破り、芽吹いた夢(前編)◆aptFsfXzZw







 前触れなく。その弓兵は歩みを止めた。

「――どうした?」

 教会を離れ、物陰を転々と移動し、彼らの拠点へと帰還しようとしていたはずのアーチャーの様子に、アサシン――千手扉間の影分身が一体は問いかける。
 対し、気絶したままの自身のマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを抱えたまま、アーチャーは踵を返すと布越しに回答を寄越した。

「神の気配がした」

 その怨嗟が籠もった声に、アサシンは微かに眉を寄せる。

 今は魔力(チャクラ)を練っていない、とはいえ。感知タイプである己が何も察せなかった存在を、アーチャーが先に認識したという事実がまず、理由の一つ。
 おそらくは死後、微かにニアミスしただけだったアサシンとは違い、神々との距離が近かった世界に生きたアーチャーの方がよりその類に対して敏感である、といったところだろう。
 だが、彼という強大なサーヴァントの動向を御することで、聖杯戦争の進行をある程度コントロールするという当面の目的上、索敵能力で劣る部分があるのは無視できない不安要素だ。

 しかしより緊急の問題となるのは、もう一つの理由――その声に込められていた感情の強さだ。

「遠くはない。このまま滅ぼしに行く」

 そうして危惧した通りの言葉を、アーチャーはアサシンの前で紡いでみせた。
 確かな戦意と、それ以上の憎悪を漲らせて。

「えっ、ちょっと!?」

 臨戦のサーヴァントに対する戸惑いの声は、未だ意識を取り戻さないイリヤスフィールではなく、彼女が持つ意志を有した礼装から。
 それに取り合うことはせず、あるいは、一般市民が目の当たりにすればそれだけで昏倒は避けられぬような殺意を纏った復讐者に、アサシンは制止の声を掛ける。

「少し待て。同盟を忘れたのか? ワシらが効率の良い戦場を用意する手筈だ」

 アーチャーの赴くままの戦闘行為――それによる被害を未然に防ごうと、アサシンは説得を試みる。

「貴様と同盟を結んだのが先刻のことだ。ようやく形を整えようとしているところで勝手に動かれて、計画を台無しにされては困る。こちらは貴様の勝利に賭けるため、令呪まで使われているのだからな」
「困る、か」

 ぴたりと、アーチャーの歩みが止まった。
 だがその際、喉の奥でくぐもったような嘲笑が漏れたのを聞き逃すほど、アサシンも油断はできていなかった。

「――先程は、確かに私が浅慮だった。同盟を結んだ貴様らの目的を知りながら、火急でもない理由でそれに不都合な要求をしたのだからな」

 殊勝な言葉を並べたアーチャーだったが、その声の硬さがそこで一段、跳ね上がる。

「だが、貴様らの目的が最大多数の生還というのであれば――私の目的は我が忌み名を消し去ることと、もう一つ。神を名乗りし暴君どもへの復讐にある。それを阻むというのならば、貴様らと組む理由はない」

 殺意すら載せた通告に、今は返せる手札を持ち合わせないアサシンは押し黙るほかになかった。

「……そこまで言うならば仕方ない、か」

 教会で会話した時のアーチャーは、もう少し理知的であったが――今の彼は、それこそ暴力の行使を拒絶するマヒロのように、他者の意志が介入するための隙がない。
 大英雄の伝承には語られなかった一側面、神への憎悪を目の当たりにしたアサシンは、その事実を重く受け入れた。

 ……今は、言葉だけでこの復讐者を御せる状況ではない。
 諦観を抱いたアサシンは早々に思考を切り替え、次善の策に事態を推移させるべく歩みを再開した。






「ね、いっしょにあそびましょ?」

 昼下がりの公園。
 噴水を背に座っていたコレット・ブルーネルの正面にまで駆け寄ってきた幼い女の子は、そんな誘いの言葉を投げかけてきていた。

 淡い印象の少女に対し、どこか気にかかるものを覚えながらも――コレットは答えを返せない罪悪感に、浮かべる笑顔をぎこちないものに変えつつあった。

「ダーメだ。お姉さんたちはこれから忙しいから、な」

 そんな窮地に、助け舟を出すようにして割り込んだのは、隣に立っていたライダーだ。

「他のところで遊んで来い。ほら行った行った」
「えーっ、イジワルなおにーちゃん!」

 しっしっと手を払うライダーに、少女は可愛らしくその頬を膨らませながら、素っ気ない対応への不満を示す。
 それを見たコレットは、ライダーの服の袖をくいくいっと引っ張って、振り返った彼に首を振った。

「(ちょっと大人げないよ、ライダー)」

 念話でコレットに苦言を呈されると、少し表情を歪めたライダーは腰を屈め、できるだけ視線の高さを近づけて童女と対峙する。

「だいたいおまえ、知らない人について行っちゃ駄目だって教わってないのか? 家の連中が心配するぞ」

 そんなライダーの問いかけに、しかし少女はつーんとそっぽを向いて、無言を貫いた。

「おいこら、ちゃんと返事をしろ」
「やだ。おにーちゃん、イヤな人だもん」

 その返答に、微かとはいえ苛立っている様子のライダーの袖をもう一度引っ張って、コレットは何とか彼の怒りを制止する。

「あたし、おしゃべりするならおねぇちゃんのほうがいいな。やさしそうだから」

 そんなやり取りを目にしてか、少女はリクエストを口にした。
 しかし……褒めてくれたのに申し訳ないが、コレットはその要望には応えられない。

「……どうしたの?」
「悪いな。こいつは今、声が出せないんだ」

 不思議がった少女に、ライダーはとうとう真実を告げた。
 露骨にがっかりした様子を見せる少女の表情を、コレットから隠すかのように立ち上がったライダーは、その高い位置から声を降らせる。

「だから嫌でも、話をするなら俺を通せ――それで、大人の人とは一緒に来てないのか?」
「……おとなのひとじゃなきゃだめ?」
「そりゃ、その方が良いが……その大人のことが嫌なのか?」

 渋々と言った様子で応じながらも、暫し回答を迷う様子を訝しんだライダーが重ねて問いかけるが、しかし少女は首を振った。

「ううん。おとなのひとだったら、あたし、タタリのおじさんを待ってるの」
「一緒かどうか聞いたんだけどな……」

 幼子ゆえの少しずれた回答に、ぼそりとライダーが漏らした愚痴はおそらく、天使疾患で聴覚の強化されたコレットにしか聞こえなかっただろう。

「で、そのおじさんはいつ迎えに来てくれるんだ?」
「わかんない」
「……じゃあ大人じゃなくても良い。他に、この公園に一緒に来ている人は居ないのか?」
「いっしょに来ている『ヒト』は、いないわ」

 小さく首を振る様子に、コレットは再びこちらを振り返ったライダーと視線を合わせた。

「……おにーちゃんと、おねえちゃんは、ふたりだけなの?」

 そこに少女が、逆に問いかけを投げてきた。
 再び前を向いて、もう一度視線を戻したライダーと意志を確認し合ったコレットは、彼の「ああ」という声に同意するように頷いてみせた。

「じゃあ、ふたりはあたしたちとおんなじひとじゃないのかな……?」
「――?」

 謎めいた言い回しだった。
 その紫の瞳はどこか虚空に視線を回したかと思うと、続いてコレットとライダーの顔を順番に見つめて、それから考え込むように瞼を閉じる。
 白い少女は小さな額に愛らしい皺を寄せて、少しの時間悩んだ後、言葉を吐いた。

「でも、あたしのことを見つけたひととあそんでてって、タタリのおじさんも言ってたのだわ」
「いや、勝手なこと……」

 また、少女の要求を跳ね除けようとするライダーの服の端を、コレットは再び、より穏やかに掴んだ。

「……いいのか?」
「(うん。急いでいるって言っても、手がかりがあるわけじゃないから、少しだけなら)」

 ――それは、間違った選択かもしれない。

 おそらくはサーヴァントに関連する口裂け女に、対処できる存在は限られている。
 その数少ない一人であるライダーは、マスターであるコレットを置いては動けない。
 いくら手がかりがない状況とはいえ、迷子の保護なんてことに彼を縛り付けることは、大局で見れば非生産的な行為だ。

 それでも――本人が、その状況を自覚すらしていないとしても。
 自分が助けになることのできる、目の前で困っている誰かを無視して進むことは、コレットにとって選びたくない道だったから。

 そんなコレットの心根を、既にわかってくれているのだろう青年は、観念したように溜息を吐いた。

「……少しだぞ。ちゃんとしたところに預けるまでの話だ」
「(うん。ライダー、ありがと)」

 そして、ひたすら無愛想を気取っていても――素っ気ない態度こそが遠慮の現れで、本当は面倒見が良い彼もまた、きっとコレットと同じように感じていたのだろう。
 だから。

「喜べチビっ子。このお姉さんが遊んでくれるそうだ」

 そう告げる時、ライダーの声は、それまでのやり取りよりも幾分、軽やかな音色に感じられた。






 霊体化したサーヴァントは、原則として他者からは目視されず、世界に存在するために必要となる魔力消費を抑えることができる。
 さらには物理的には相互に干渉されない故に、壁等の物理的障害をすり抜けて移動することすら可能だ。

 だが、サーヴァント同士は互いの気配を感知することができ、またサーヴァントの持つ武装の多くは概念・魔術的特性を持っているため、霊体にも干渉できる場合が少なくない。
 しかも、霊体化は世界との繋がりを薄めている状態であるため、普段は問題無く耐えられる攻撃にも関わらず大ダメージを負う危険性もあり、必ずしもメリットばかりとは言えない状態なのだ。

 故に。霊体の状態で傷を癒やしながら、人目を避けて移動していたガンナー――マックルイェーガーが新たなサーヴァントの気配を察知した途端、人混みを避けるべく僅かに移動した後、即実体化したのは当然の選択であったと言えるだろう。

「……この気配、って」

 建物の天井に飛び移ってすぐ、自らの存在を隠匿する一方で高所より気配の主を探して視線を泳がせたガンナーの声には、微かな感情の揺らぎが表れていた。

 先程感じた気配は、彼女にとって既知の物――に、類似した感覚を齎した。
 ジェロニモと同じような古き馴染み。そして彼以上に、マックルにとって無視できない因縁の――

 そんな懐旧の念を抱いていたガンナーの鉛色の瞳が、瞬間、見開かれる。

 ――きんっ、という鋭い音。

 先の戦闘の最中のように、ガンナーの被っていた古めかしいフリッツヘルムが宙を舞う。

 陽光の如く彼方の空へ抜けていくのは、一条の雷――否。鉄メットの側面に激しい傷みを刻んだそれは、超音速の矢に他ならない。

 気配遮断中のガンナーの脳天を過たず狙った、凄絶なる一射。
 その二撃目はもう、ガンナーの眼前に出現していた。

「相変わらずタチが悪いわね」

 マズルフラッシュもないなんて、とまでは喋る余裕がなかったものの――不意を突かれたわけでもないその矢を、千里眼を有す女神は片手で掴んで止めていた。

 それが伴っていた烈風が、遅れながらも鏃の届かなかった獲物の額に到達。勢いに煽られたようにして、ガンナーは軽い調子で跳躍する。
 だが、その速度は凄まじい。まだ上昇軌道を描いていたフリッツヘルムに悠々追いつき、空いた手で捕まえた後は被り直さず横薙ぎして、動きを完璧に追って来ていた第三の矢を打ち弾いて直撃を回避した。

 そして、落下しながらも握っていた矢を反転させたガンナーはそのまま、長大なダーツのようにして投擲した。

 標的は当然、離れた建物の天井に陣取り、この矢を放った狙撃手――縦に垂れかけた柄付きの長布で顔を隠し、弓を携えたサーヴァントだ。三度の狙撃を無条件に許すわけもなく、ガンナーの誇る千里眼は当然のように発射位置を捕捉し返していた。

 とはいえ、流石に本職の英霊が弓で放った速度には及ばない。簡単に受け止められるだろうと予想した返し矢はしかし、それすら及ばず迎え撃たれた第四の矢で爆散した。

(……これは止められないわね)

 右手に新たな布を纏わせた、覆面の弓兵が放った一矢――先程までとは別格であることを証明するかのように、返し矢を容易く貫通した神気の籠もった一撃を検分し、ガンナーは思考する。

 おそらくは、矢に加護を与えたのは自身と同系統の概念を司り、なおかつより原初に近い神性。
 神秘はより強い神秘に敗れる。古の戦神のチカラが込められたその矢は、仮にマックルイェーガーが持つ戦女神としての絶対性を発揮してなお、阻むことはできまい。
 ……先に感じた縁とは遠く異なる神性に、微かな戸惑いを覚えながらも。それを認識した時点では既に、彼女の行動も完了していた。

 ガンナーの背中。右に五門、左に五門と翼の如く拡がるのは、友たる精霊から譲り受けた聖ミスリル銀製の八十八ミリ高射砲。
 それが傍目には、一斉に火を噴いていた。

 神気を纏い飛翔する矢は、千五百メートル先の戦車の正面装甲を貫徹し得るタングステン芯弾の尽くを、接触の刹那に打ち砕く。百分の七秒のうちに時間差で五発。
 だが、それで軌道を逸らされた矢は、ガンナーやその眷属たるアハトアハトの群れを掠めることもせず、また衝撃波だけではミスリル製の砲身を傷つけることもできずに飛んで行く。

 そして残る五発が、二つの長い布地を纏った弓兵の元へと殺到していた。
 しかし弓兵は、ガンナーが彼の矢を鉄メットでそうしたように。左手に握った弓を軽くしならせるだけで、一つ一つが二十キロに達する金属塊、超音速の砲弾五つ全てを払い除け、戦車主砲の集中をあっさりと逸らしてみせた。

 その見事な腕前に感心しながらも、ガンナーは直ちに追加の銃砲を展開する。

 続けて召喚したのは、六連銃身で構成されたガトリング砲の代名詞。ギリシャの鍛冶神と同一視されるローマの火神、その名を戴いた二十ミリガトリング砲M61バルカン。
 第五階位(カテゴリーファイブ)のキャスター陣営との攻防に用いた三十ミリガトリング砲たるGAU-8には威力で劣るものの、最大稼働時の連射速度はその三倍近い毎分一万二千発。
 ガンナーはそれを計三十門、三方向から立体的に敵手を完全包囲するようにして配置して、アハトアハト群の第二射とも同期させた集中砲火を開始した。

 宝具としての神秘を帯びたそれは、仮に英霊という上位存在であろうと――サーヴァントという限定された霊基で召喚される以上、純粋な身体操作だけではまず回避や防御が追いつかないほどの飽和射撃として成立する。
 加えてガンナーが放つ以上、その弾丸に無駄撃ちは存在しない。描かれた射線の尽くが、互いの死角を塞ぎ、吸い込まれるように有効打としての軌跡を辿る。如何にサーヴァントといえど、完全な回避は不可能だ。

 そうして重金属の嵐は、悠然と構えを整えた弓兵へと過たず全弾が直撃し、四散した。

 弾頭が炸裂した、わけではない。

 まるで存在そのものを否定されるかのように、ガンナーが送り出した万を越す金属の牙は対峙する英霊の肉に毛筋ほども食い込むことなく、弾頭が潰れたことによる焼夷効果を発することもなく、その身を纏う布地に触れた途端消滅したのだ。

 さしものガンナーも、これには瞠目する。

 元より殺傷力ではなく、スキルや宝具を使わせる様子見のための制圧力を優先した選択だ。一発一発の砲弾の威力は筋力Eのアーチャークラスの矢にすら及ばない以上、見るからに頑健な肉体を有すサーヴァント相手にこれだけで決着を期待したわけではないが――先のキャスターが展開した魔術障壁とのような、単なる強度比べに破れたわけではない結末は無視できない。

 そうして互いの攻撃が無為に終わった結果を受けて、射手同士の戦いに小休止が訪れる。

「……銃といったか、それは」

 遠方で、ガンナーと対峙する弓兵が呟いた。
 抑えている声量で届く距離ではなかったが、彼に注目したガンナーは布越しに唇の動きを読み上げ、並べられた言葉を把握する。

「既に神代から切り離されて久しかろうに、新たな人の業への信仰にまで浅ましく寄生するとは。神を名乗る者どもはどこまでも卑しいな」
「随分な言われようね」

 少しばかり頭に来る物を覚え、抉れ歪んだフリッツヘルムを被り直したガンナーは改めて臨戦態勢を整えるが、制止する声が脳内に響く。

「(待つんだガンナー。あのアーチャー……『第一階位(カテゴリーエース)』のサーヴァントには、君の砲撃が通じていない)」

 声の主は彼女のマスター、トワイス・H・ピースマン
 彼もまた、魔術師(ウィザード)としての能力でガンナーの視界の一部を共有し、真っ昼間に街の上空で行われた攻防を目撃していたのだ。

「(そうね。さっきの様子を見ると多分、威力だけの問題じゃないわ。回復もしているでしょうけど、それ以上に特定の条件を満たさない限り命には届かない、そんな感じ)」

 トワイスの焦燥を、ガンナーもまた首肯する。

「(その条件を君が満たせるとは限らない。連戦するには、あまりに危険な相手だ)」
「(そういう危険が日常なのも、戦争よ?)」

 だが、続いたトワイスの懸念を、ガンナーはあっけらかんと笑ってみせた。

「(撤退しろって言いたいんでしょ? でも気配遮断も見抜かれちゃったみたいだし、簡単には行かないと思うわ)」
「(……ならば、令呪を以って援護しよう。流石に今この時点で、君を喪うことは避けたいからね)」
「(嬉しいことを言ってくれるのね、ありがと。けど、令呪を使うならなおのこと、何も通じなかったままじゃ引けないわ。もう少し探りを入れてみないと)」

 そう言ってトワイスの意見を一旦蹴ったガンナーは、どこか諦念を含んだような、しかし微かな喜色の入り混じった吐息を漏らした。

「……それに、ここまで熱烈にアプローチされたら、ね」
「つまらぬ言い換えは寄せ」

 こっそり呟いたつもりだったが、この距離で対等に撃ち合えるだけの眼を持っているのだろう。軽口を耳聡く見抜いたアーチャーは不満を示すが、ガンナーは肩を竦める仕草を返す。

「間違ってはないと思うけれど。あたしを殺したいんでしょ? 人の子に強く想われて悪い気はしないわ」

 直後。
 再び、手にした帯から莫大な神気を生じさせたアーチャーが、手にした弓矢にその力を流し込んだ。

「よくぞ宣った、ならば今日が貴様の命日だ。未練たらしく人の世にしがみつく怨霊よ」

 言葉遊びは無用とばかりに番えるそれに対し。街の様子を千里眼で視認したガンナーもまた、体内に巡る魔力の勢いを増大させる。

「今日かどうかは知らないけれど……ええ、その憎悪の相手をしてあげるわ。古い時代の人の戦士」

 直後、彼らを囲む空の模様が塗り替わる。
 澄み渡るような青のコントラストが、纏まった白い雲から、星の数ほどの銃砲の黒金色へと。
 先に並べたバルカンやアハトアハト以外の機関砲及びカノン砲だけでなく、迫撃砲、小銃、散弾銃、拳銃すらも含め並べられた大小様々な火器が、その桁数を軽く三つは増やして空間を制圧する。

 それこそはガンナー、マックルイェーガー・ライネル・ベルフ・スツカの宝具、『億千万の鉄血鉄火(インフィニティ・ガンパレード)』。

 銃と戦の神である彼女の眷属として使役される、人の作りし幾千幾万の銃口が、ただ一騎のサーヴァントを狙い撃つ。
 それは、現代における戦争の化身たる億千万の鉄血鉄火と、神代における究極の一個人である英雄との、世紀を越えた一戦ともいうべき構図だった。

「このあたし、この世最後の戦神が!」

 胸の高鳴りのままにガンナーが吠えると同時、幾千万の銃声が大気に轟き。
 そして雷の如き神域の剛弓が、その尽くを薙ぎ払った。






「あはは、こっちだよー!」

 のどかな公園の風景。それを彩る遊びに夢中の幼い声が、また一つ、新たに奏でられていた。

「(待て待てー!)」

 相手には聞こえない声で、しかし同じぐらい楽しそうな調子で呼びかけながら、コレットは笑顔で白い童女――つい先程知った名前は、ありすという――を追いかける。
 その声を因果線を通した念話として聞きながら、ありすに嫌われ気味のライダーは少し離れた場所で、追いかけっこに興じる年の離れた少女たちを見守っていた。

「おいコレット、おまえドジなんだから足元も見て歩かないと……言わんこっちゃない」

 旅の中の、穏やかな思い出となりそうな一場面。写真に残したくなったその瞬間を切り取った後、ライダーが横合いから注意を喚起する最中に、コレットの体勢が崩れた。そのまま勢いよく、ばたんと倒れ込む。
 倒れ込んでから数瞬の後、もぞもぞと頭を動かしていたコレットは、ぎこちなく上体を起こす。
 派手な転倒ではあったが、怪我をするようなものではない。すぐに立ち上がれないのは痛みではなく、触覚を喪った今の彼女にとっては、五体のみでその動作を急に行うことが容易ではなくなったからだ。

 ……驚いた拍子に羽を出さなかったのは幸いだと思いながら、頬に砂粒が着いていることも自力では認識不能な彼女のために、ライダーはカメラから離した手にハンカチを取って歩み寄る。

 そんな自分と同じように心配したのか。コレットに追われていたはずの白い少女が踵を返し、とてとてと歩み寄っていた。

「おねぇちゃん、だいじょうぶ?」

 心配そうに覗き込むありすに、コレットは穏やかな微笑を湛えて応えた。
 喋れないなりの配慮だったのだろうが、しかし言葉としての回答ではなく。ライダーが手を貸すまで、起き上がるのにも苦戦していた様子を見ていたありすは、やはり不安が晴れなかったのだろう。

「しゃべれないの、人魚姫みたいねって思っていたのだけど……もしかして、おねぇちゃんも歩くと痛いの?」

 小首を傾げる少女に、コレットは笑顔のまま首を振った。
 そこに気遣いの嘘など含まれてはいない。コレットは天使疾患により、痛みを忘れて久しい身体になっているのだから。
 動くだけで痛い童話の姫君と、さてどちらが辛いのだろうか……などというくだらない比較の感傷が湧き出たのを、ライダーは自己の内で瞬時に切り捨てた。

 ……もっとも、今しがた何もないところで転んだのは天使疾患の影響などではなく。彼女が生粋の、それも重度のドジっ子であるからということを、部屋の壁にコレット型の大穴を開けられたライダーは既に把握していたが。

「そう……なら、よかったわ」

 一方で、その対応にやっと安心したように、ありすは胸を撫で下ろしていた。
 ライダーに対しては生意気だが、幼子ゆえの分別のつかなさがあるだけで、根が悪いわけではないのだろう。
 そんな様子を見て和みたいところであったが、しかしライダーはその瞬間、それを許さない緊張を強いられていた。

「(……ねぇ、ライダー。今日って、お祭りの予定とかじゃなかったよね?)」
「ああ。そもそも昼間だ」
「(じゃあ……)」
「わかってる」

 聴覚の強化されたコレットが問いかけるより早く、ライダーもその不穏に気づいていた。

 ……遠くから、火薬の炸裂する音が聞こえてきたのだ。

 それも複数。こんな真っ昼間から、鉄の弾けるような音が、何度も繰り返し――徐々に、近づいてきている。

 明らかに只事ではないが、石材や木材の破砕音、そして何より人の悲鳴までは聞こえて来ないという一点だけが、今にも駆け出してしまいそうな二人にまだ様子見を許す理由になっていた。
 とはいえ、長時間対処しないままでいることが望ましいとは当然、思えない。

「だからまぁ、さっさとこの子を預かって貰おう。ちょうど待ち人も来たみたいだ」

 目当ての人影を見つけて、ライダーはそうコレットに言い聞かせた。

 待ち人とは、ありすの知人であるというタタリのおじさん――ではなく、一人の警察官だ。
 顔馴染み、というわけではない。ただ単に、ライダーが公園の事務局を介して警察に通報して貰っていたのだ。結果、近隣を巡回中だった巡査が現場に駆けつけたのだろう。
 若い巡査も、通報者と特徴の一致するライダーに気づいたように、三人の方へと向かってきた。

「あなたがカドヤさんですね」

 周囲を少し見渡した後、若い巡査は制服のポケットから折り畳まれた紙の束を取り出し、その中の一枚を選び取った。

「迷子は白い髪の女児とのことですが、もしやこの子でしょうか?」
「いや? あの通り真っ白いし、もうちょっとちっちゃいな」

 通報時点では名前を聞けていなかったせいか、行方不明児童――クロエ・フォン・アインツベルンという名の、小麦色の肌と赤い瞳の女児の目撃情報を求める写真付きチラシを広げた巡査に首を振り、ライダーはコレットと戯れる少女に視線を送る。

「……もしやあなた、保護しているとおっしゃった迷子を見失ったのですか?」
「はぁ? 何を言っている。ドレスを着た小さなレディがこっちを見てるだろうが」

 やや不注意な気がする巡査に呆れながらライダーは指で示すが、暫しそこに焦点を合わせ、目を瞬かせていた巡査は心底困惑した様子で問い返してきた。

「いやドレスじゃないですし、伺った話より分別の付きそうな年齢ですし、髪もブロンドですよ?」
「そっちは元々、俺が保護者代わりだ」
「……あの、カドヤさん。もしも通報が悪戯ということなら、少し署までご同行願いたいのですが……」
「ちょっと待て、本気で言ってるのか?」
「私は至って真面目に告げております。軽い気持ちだったのかもしれませんが、あなたの行動は確かにこの街への不利益を……」
「じゃなくて、本当にわからないのか?」
「だから――!」
「……少し待て」

 ようやく、明らかな異常を察したライダーは、さらにもう一つの異常――接近を示すように大きくなった、最早紛うことなき砲声に揺れる空気を無視して、コレットとありすのところまで歩を進めようとした。
 問答の時間が無駄だ。直接ありすを託して、自身が異常の調査に向かおう――とライダーは考えたがしかし、その手を背後から掴まれ、引き止められる。

「逃げるつもりですか!?」
「違う! というかおまえ、こんな音がしていたらもっと気にすることがあるだろ!?」
「何を気にするんですか? 祭りの花火でも上がっているだけでしょ!?」

 巡査の態度も、傍から見て異様と言えるものになっていた。

 ――否。巡査だけではない。

 公園内に居た人々が、近づいてくる音に一度は顔を上げるも、すぐに興味を失ったように元の営みに戻っていくのだ。
 まるで、それが日常であるかのように、気にも留めず。

「…………イヤ」

 だが、そうはならない者も居た。
 ライダーと、コレットと、そして――――

「この音、イヤだわ……!」

 ただならぬ様子で震え始めた、ありすが。

 自らの小さい体を抱き、恐怖に縮こまる少女の様子に――しかしライダーとコレット以外、誰も気づかない。意に留めない。
 明らかな異常。だが、何が異常なのか。
 あるいは――果たして何が、異常ではないのか。

「こわいの……っ!」

 声を奪われたコレットは、皮膚感覚のない身で砂糖細工のように儚い、涙を浮かべる少女を傷つけてしまうことを恐れるように、遠慮がちに触れることしかできない。

 二人の様子を見て、まともな状態ではないNPCの拘束を振り切ることにしたライダーの呼びかけは、さらに大きく響き始めた砲声によって遮られる。
 それでも、二人に向かって駆け寄ろうとしたライダーはその時――既知の、しかし出現を予想だにしなかった存在を前に足を止め、その原因を視認できていない巡査に再び組み付かれた。

「■■■■■――――――――ッ!!」

 そして、ありすを砲声から庇うように顕現した黒と緑の怪物――ジョーカーアンデッドは、迫り来る戦争の気配を押し返すほどの咆哮を上げた。






 スノーフィールドの街並み、その屋根よりほんの少しだけ上の高度の低空。
 行き交う人々の頭上を舞台にした戦女神と復讐者の戦いは、膠着状態に陥っていた。

 容易く万を越す圧倒的な物量と、文字通り神憑り的な精度を両立するガンナーの宝具による弾幕は、アーチャーの矢をして未だ直撃を許さない。
 威力も速度も、ガンナーが繰り出すほぼ全ての銃弾を凌駕するアーチャーの矢に対し。どのタイミングでどこに当てれば効果があるのか、超極音速の射線を完璧に見据えたガンナーの迎撃は、その軌道を逸らし続ける。

 しかし、その迎撃とは別に繰り出される飽和攻撃の数々は、アーチャーを脅かすにはさらに遠い。

 元よりガンナーの宝具として召喚された銃砲は、神秘を宿しこそすれ、それに応じて威力が増幅されると言ったことはなく。殺傷力そのものはあくまでもその銃火器本来の性能を発揮しているに過ぎないために、個人携行火器による被弾程度では、アーチャーには雨粒に打たれる程度の消耗にしかなり得ない。
 時に、狙い澄まされた特大の砲弾がアーチャーの肌を裂こうとも。仮初の血液を構成する魔力と溶け合い、霊基を歪曲させた『泥』が瘡蓋の如くその出口を埋め尽くし、刹那の間に万全の肉体を復元し続ける。

 ――礼装を介し、マスターより第二魔法の応用による無尽の魔力供給を受けるアーチャーは、有限の魔力しか持ち得ないその他のサーヴァントとの消耗戦において、絶対と断じられるほどの優位を持つ。

 この先も永遠に減退することのないアーチャーの治癒力をガンナーが上回るには、魔力の供給源たるマスターを仕留めるか、この霊基を一気に砕く火力を叩き込む他に活路はないだろう。

 しかし、アーチャーがその身を包む長布こそは、かつての試練にて勝ち取りし宝具の一つ。人の作りしあらゆる武器を拒絶する神獣、ネメアの獅子の皮を剥いで編まれた裘(かわごろも)。
 人の文明――即ち人理否定の特性を宿したこの具足が霊核と直結した急所を覆っている以上、サーヴァントをも殺傷し得る大砲による火線は、これで慣性の伝播すら完全に遮断されている。

 その隙間を狙おうにも、アーチャーの強靭な筋肉と骨格を貫通できるような火砲は限られている。如何にガンナーの射撃が精度も物量も抜きん出ていようとも、心眼を誇るアーチャーがそんな致命の一撃を見落とすはずはない。

 そして、この撃ち合いがどれほど長く続こうとも。仮令、億千万の銃槍をこの身に刻まれようとしても。復讐を誓ったアーチャーの精神が、たかがそれだけのことで判断を損ねるような軟な代物のわけもない。

 故に一見、一方的に被弾しているのはこちら側であっても。この距離であれば、アーチャーの優位は揺るがない。
 論理的に考えて、徐々に活路が塞がれ詰んで行くのは、現代の文明に付け入り生まれたあの戦女神の方だ。

 ……だというのに、そんなこともわからぬほど愚昧でもあるまい敵は未だ涼しい顔。一方で。

「――アーチャー! これ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」

 耳元で甲高く囀るのは、未だ意識のないイリヤスフィールを強制的に魔法少女に転身させた礼装、カレイドステッキのルビーだ。

「ああ。そこが最も安全だ」

 視線を向けるまでもなく、アーチャーは直に肌へ触れているマスターの状態を理解している。
 アサシンへ預けるには信頼が足りず、かと言って意識を取り戻させたところで、未だ覚悟の定まらぬマスターを自由にさせるのも、神を討たんとする戦いにおいては不安要素が大きすぎる。

 故に、イリヤを自らの背中に、鎖で巻き付けて運びながら戦うことをアーチャーは選んでいた。
 もちろん状況次第では切り離すことも考えたが、銃砲の群れを従え、あらゆる射角で飽和攻撃してくるこの戦女神が相手ならば、結果的に神獣の裘で安全を確保できるこれが最良の形と言えた。

 もっとも、無尽の魔力供給の実現とアーチャーの機動による慣性に耐えさせるために魔法少女化させているとはいえ、アーチャーの動きには制限が架かり――ある意味、ガンナーを未だ仕留めきれない理由ともなっているが。

「……そうね。色々試してみたけれど、やっぱり銃じゃ届かないみたい」

 そんなやり取りを見ていたのか。前方数キロ先の建物、その天井に舞い降りたガンナーもまた、肩を竦めて嘆息を零していた。

「けど、そんな有利な状況でも焦れったそうにしていたら、その……杖? も、不安にもなるわよ」

 いつの間にか、アーチャーに降り注いでいた重金属の雨は無為を悟ったように止んでいた。
 それでも会話を届かせるにはラグのある距離であり、何より、変わらずアーチャーの放つ矢を迎撃する砲声によって度々肉声が遮られている。
 そんな、射手の眼による互いの読唇術で成立している会話の方に、ガンナーは意識を向けたらしい。

「あたしの纏う鉄血鉄火は、その衣を身に着けたあなたには通じない。だけど矢には別だから、この距離だとあたしが消耗するまではまず届かない。それをもどかしく思いながら、あなたは近づいて来ない」

 絶えずアーチャーの放つ矢を、既に慣れたと言わんばかりに片手間の砲撃で逸らしながら、天井から跳躍したガンナーが接近を試みる。
 しかし同じ分だけ、アーチャーも相対距離を保つために移動して、間合いが詰まることはない――これが先刻から延々繰り返され、徐々に戦火をずらしていくこの闘争の経緯だ。

「察するに、あたしでも距離を詰めて――それこそ肉弾戦にでも持ち込めれば、あなたたちを傷つけられる可能性が上がる……といったところかしら」
「だとしたら、どうした」

 そんな戦闘の推移から考察を述べるガンナーに、アーチャーは平静な声のままで問う。

「この私を相手に、徒手空拳で勝利するつもりか」
「ま、ま、それは試してみてのお楽しみとして……背中の子を心配しているんだとしたら、第一印象より、ちゃんと優しいなって思って。ちょっと嬉しくなっちゃった」
「――――!」

 瞬間、堪えきれなかったとばかりに破顔した女神へと、アーチャーはあらん限りの力で矢を射った。
 だが、怒りの余りに軍帯より神気を呼び起こすことすら忌避してしまった一撃は、取り囲む銃砲の群れを起動させることすらなく、ガンナーの細い人差し指と中指の間に易々と捉えられる。

「人の武器が通じない衣を纏い、古の戦神の力を秘めた帯を持ち、神域の技量で毒矢を放つ」

 受け止めた矢、その鏃に染み込ませた致死の呪いを直に覗き込むようにして、ガンナーは言葉を紡ぐ。
 その様子を認めたアーチャーは、遂に一歩、自ら相手への距離を詰めた。

「どうしてあなた自身から神性を感じないのか、とか。どうしてノアレの本体……暗黒神(アンリ・マユ)から神性を抜いたような気配までするのか、とか。イメージと違うし疑問に思うところもあるけど、だいたい心当たりは付いたから」
「黙れ」

 こちらの接近を意にも止めない様子だったガンナーに向けて、距離を詰めながらアーチャーは弓を引く。
 今度はアマゾネスが女王より簒奪せし帯から神気を与えられ、爆発的に破壊力を向上させた一撃だ。
 それが先程までよりも、迎撃のための距離が欠けた状態で放たれるが――再びの砲火、そして不足分をガンナー自身の手に召喚した拳銃によるクイックドロウが埋めてみせる。
 傷んだフリッツヘルムの下、鉛色の髪を衝撃波に激しく煽られながらも。なお紙一重で膝を沈めて致命の矢を回避したガンナーは、撓みが戻る勢いのまま跳躍したが――今度は逆に、彼女の方が距離を取ろうと後退る。

「ま、流石にもう疲れてきたから、場は改めさせて貰うわね。ただ、ここまでは役に立ったから置いてたけど……次回はこっちが有利に進められるようにしておこうかしら」
「――させると思うか」

 こちらから距離を取りながら、視線を巡らせた敵が何を狙っているのか。即座に察したアーチャーはその隙を与えまいと、再び前進する。
 だがそれこそが誘いと言わんばかりに、未だ毒矢を握ったままだったガンナーもまた、着地と同時に体を運ぶ向きを反転させた。

 結果、互いに距離を詰める形となった両者の間合いは一気に縮まり、先程までは遠かった肉声も滞りなく通じるだろう位置にまで近づいて――

 ――そこで、どちらが先に気づいたのだろうか。



「■■■■■――――――――ッ!!」



 禍々しい気配――そして、地を震わす悍ましき咆哮に。

 互いに集中する余り、意図せぬままに自分たちが……恐るべき死神の間合いへと、踏み入ってしまったことに。



 ――――視線を巡らせたその時には、恐怖の塊のような姿をした乱入者は、既に命を刈り取る一撃を解き放っていた。



 輪舞するそれは黒い全身に通う、異形の血が結晶したような緑の刃。
 手持ちの鎌から破壊の成分だけが抽出され分離したような地獄の光輪は、音速を越えて飛翔し――纏めて貫かんとする軌道で、接近した二騎のサーヴァントに襲いかかった。

 その刃と先に接触する運命にあるのは、アーチャーだった。

 不躾に人間へ踏み込む女神を葬らんと構えていた弓兵は――憎悪の対象より与えられていたが故に手放した第六感の喪失のため、慮外の一撃となったそれへの対処の時間が限られていた。
 故に、数多の冒険を越えることで積み上げた、人としての危機回避能力を発揮し、生存への活路を瞬時に見出す。

 だが、背の荷物があるために、動きが制限される事情は変わらない。死の肉薄に対処するには迎撃を諦め、また眼前の仇敵への攻撃も一時中断する苦渋の決断を呑む必要があった。
 結果、。命を刈り取らんと襲来した刃に対しても、アーチャーやイリヤは無傷のまま、逃げ遅れた裘の末端を切断されるだけでやり過ごすことに成功したが――

 ――――『神獣の裘』の一部が、刈り取られた。

 切り裂かれた幅は指三本分ほど。人理否定の具足としての機能に何の不全も与えない、軽微な欠損。
 だが、明らかな武器の類から繰り出された斬撃は。ともすればこの宝具の元となった神獣をも一太刀で屠りかねない鋭利さを保ったまま、億千万の鉄血鉄火を寄せ付けなかったネメアの獅子の毛皮を貫いた。

 躱せなければ。『泥』による修復も追いつかない、アーチャーをして致命の一撃だった光輪はそのまま勢いを落とすことなく、その先に待つガンナーの首を飛ばさんと天翔ける。

 彼女が展開した宝具は、アーチャーの矢を逸らすのと同様に、重金属の弾丸を鎌に叩き込んだ。
 だが、彼女もまた初撃に気づくのが遅れたこと。そして壁となるように『神獣の裘』を纏ったアーチャーが存在し射線を遮られていたことが、銃神の誇る迎撃能力の瑕疵となっていた。

 結果、充分な軌道の変更が間に合わず、輪舞する緑の鎌は戦女神のヘルムを掠め、破砕。
 そして鮮血と、淡い光の粉を巻き込んだ尾を曳きながら、恐るべき殺戮の刃はどこか、あらぬ方角へと飛んで行った。

「――やっぱりあたしじゃ駄目か」

 向かいの家屋の上、度重なる被弾に傷みきっていたフリッツヘルムを失ったガンナーが、裂かれた側頭部から流れる血の化粧を払うように首を振った。
 寸前、アーチャーとの対決でも見せなかった神気の爆発的な向上――限定的ながらも女神としての霊基を再現した彼女の護りを易々と貫き、殺傷したという事実。
 裘の切れ端をちらりと視界の隅に収めたアーチャーは、警戒の度合いをさらに跳ね上げる。

「魔物の類か?」
「見たままなら、ガイアの死神……とでも言えば良いのかしら」

 問うたわけでもないアーチャーの独白に、負傷からかやや緊張した声音でガンナーが続いた。
 互いに、接近した標的よりも、新たな脅威への警戒を優先した二騎のサーヴァントは、恐怖の化身と睨み合う。

「人類史の否定者、その一種……けれど、霊長のみでなく。地球に出生した全ての命を審判する、星の刃たる原初の殺し屋。星の触覚だった古い神々ならともかく、人造物への信仰から生まれたあたしじゃその殺害権を拒絶することはできないということかしら。それとも、アレが神をも含めた如何なる系統樹にも属さないから……?」

 神の視座、とでも評すれば良いのか。人間とは異なる高位の視点から、ガンナーは見たままの結果として、自らに血を流させた一撃を検分していく。

「■■■■■■――――――!!」

 二人の視線の先。スノーフィールド中央公園に陣取った怪物は、苦悶の表情のまま固まった顔面、その口腔を限界まで開いて、大音声の咆哮を発して来た。
 こちらを排除しようという意志が圧力となって伝わる狂声。大気に充満する破壊の衝動は、眼前の獣が戦女神と復讐者を等しく敵視していることを告げていた。

 そうして再び、防御不能の得物を構えようとする怪物に対して、アーチャーは『戦神の軍帯』から神気を付与した矢を閃光のように浴びせ掛かる。

 だが怪物は、むしろ自ら当たりに来るかのように踏み込むと、ガンナーでさえ正面からは防げなかったそれを鎌の一振りで切り払った。
 改めて、しかしただそれだけの動作で読み取れる、桁外れの膂力。凄絶な切れ味と、研ぎ澄まされた殺戮の本能。
 それを揮う鬼神の如き気迫を見て、アーチャーは一つの事実を理解した。

「……あれがマスターか」

 鬼気を漲らせた死神が踏み出したのは、こちらの射線を完全に遮るため。
 今、その背に隠した小さな影――恐怖に俯き、震える白い童女を、護らんとするように。

「あの子――」

 アーチャーの矢に続くようにして、機関砲や戦車砲を並べて飽和射撃を仕掛けるも。仁王立ちする怪物の、ただ強靭なだけの皮膚に尽く跳ね返されたガンナーもまた、同じ存在を知覚したと思しき呟きを漏らした。

 一撃で装甲車を貫き、家屋を粉砕する破壊力を雨の如く無造作に浴びながら、なお健在。加えて、人理否定の特性を受け付けず、あまつさえ神獣すら切り裂くだろう殺傷力。
 圧倒的な戦闘力を見せる黒緑の死神は、ネメアの獅子よりさらに上位の神獣か、あるいは全く別のカテゴリーに分類されるような――

 ――だというのに。

「獣(バーサーカー)風情が守護者気取りとはな」

 果たしてどんな感情が、自身の唇からそんな言葉を漏らさせたのか。アーチャーも自覚できてはいなかった。

 ただ、この恐るべき怪物が狂気の澱に沈んで、なお。決して己の優先順位を見誤らないようにして少女を庇い、砲火の嵐に磔となっているこの機を逃すべきではないと次の矢を構える。

 ここでガンナーを討つには、悠長にこの獣の介入を許すべきではない。
 だが本命の戦女神を含め、真名の知れない複数のサーヴァントを前に、『射殺す百頭』を軽々に放つわけにも行かない。

 ――ならば。
 死神本体よりも遥かに脆き生命線を、直に、断つ。

「駄目よ」

 そんな冷徹、かつ悪辣な最速の思考に従おうとするアーチャーを制するように――しかし全く別の誰かに語りかけるようにして、ガンナーが呟いた。

「ここから帰れない理由ができたわ。あの子は――あたしが送ってあげなくちゃいけないから」

 ガンナーが、そんな囁きを口にした直後。
 公園を取り囲むようにして、無数の銃砲が展開されていた。

 如何に怪物が強靭といえど、死神自身には並大抵の銃弾など通じないとしても――――あの、砂糖細工の如く淡い印象の少女には。

「貴様――」

 自らの為そうとしていた所業を、ただ先取りされただけでありながら。アーチャーは無意識に、声へ込める神への敵意を増幅させた。
 しかし鏃の向きを変えるより早く、筒の中の火薬が炸裂し――



「変身っ!」
《――KAMENRIDE DECADE!!――》



 その声と同時に飛翔した七枚の板状のエネルギーが、縦横無尽に公園の空を疾走し、降り注ぐ銃砲弾の雨を打ち弾いた。

 そして役目を終えたとばかりに地上に舞い戻ったそれらの集合地点に、マゼンタの鎧に身を包んだ、さらなるサーヴァントの気配が現れていた。






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最終更新:2019年07月17日 20:39