「お、おいザックス……」

行かせてよかったのか。そう喉まで出かかったところで美津雄は言葉を呑み込んだ。
事態の優先順位を考えればリンクを行かせるのは当然なのだろう。それでも自分達が危険な目に遭遇した場合のことを考えると恐怖で体が震える。

「心配すんなって。言っただろ、お前は俺が守るって」
「つ、強がり言うなよ! お前だってそんなボロボロなんだから、戦えるわけないだろ!」
「大丈夫、俺はそんなヤワじゃねぇよ」

半ば意地になっている美津雄の制止も虚しく、まともな休息も得ないままザックスは立ち上がる。
怪我の具合を考えればそれだけで辛いはずなのだ。座るように促そうとした美津雄の行動はしかし叶わずに終わることとなる。


「──あんたらもそう思うだろ?」


え、という美津雄の声を空を切る音が掻き消す。
呆ける美津雄の額に飛来する透き通った氷刃を目にも止まらぬ速さで打ち落とし、ザックスはその飛来源へと睨みを利かせる。

「まさか気付かれていたなんてね」

古いコンクリートビルの陰から姿を現す二人組の女性。朝陽を浴びてくっきりと顔を映し出す彼女らの表情はひどく冷淡で、美津雄は「ひっ」と情けない声を漏らし腰を抜かした。

「いつから気付いていたの?」
「生憎と殺気には敏感なんでね。リンクが行ったタイミングで仕掛けて来ると思ったけど……当たっちまったか」
「……そう、そこまで分かっているのね」

長い黒髪を縛ったスレンダーな女性、マルティナは目を伏せる。出来れば一瞬で終わらせたかったが、この男がいる限りそれは叶わないだろう。
ザックスの容態は見るからに重傷だ。それでもこれ程の闘志を燃やせる人間には──全力で掛からなければならない。



◆ ◆ ◆

「──反応してる、しかも三つ。更にもう一つがそっちの方向に向かってる」
「そんなに?」

時は少し遡る。
橋を南下する途中、ミリーナは自身の──正確に言えば天海春香の支給品を取り出した。
ストップウォッチのような形状のそれは、説明書を見る限り範囲内の参加者の首輪に反応し居場所を知らせる装置らしい。
一度使用したら一時間のクールタイムが必要らしいが、橋を渡っている最中に襲撃されれば無傷では済まないと安全確認の為に使用したものだった。

しかし、その安全確認は予想外の結果を得た。
一つの場所に計四つの反応。これは言わずもがな集団を築いているということだろう。
そして考える限り、これほどの集団を築くのは甘い考えを持った対主催の存在しか当てはまらない。

「……これは、上手くいけば使えるかもしれないわね」
「使える……?」
「さっき言ったでしょう、人質を取るって。これだけ集まっているのだから一人くらいは春香のような一般人が居てもおかしくないわ。……暫く様子を伺って、隙を狙えば大人数が相手でも立ち回れるはずよ」

それに、貴方の言うイレブンが見つかるかもしれないしね。そう付け加えるミリーナにマルティナは唖然とした。
マルティナは良くも悪くも真っ直ぐな人間だ。ゆえにこの殺し合いでもミリーナがいなければ出会った者と真っ向から戦い、殺害するという手段を取っていただろう。
改めて"殺し"に懸けるミリーナの本気を見せ付けられたような気がして、マルティナはそれに頷くことしか出来なかった。

「攻めるにしても逃げるにしても判断は迅速にしましょう、ミリーナ」
「ええ、そうね」

人数はこちらの二倍。危険も相応。
しかしこんな甘い蜜を前にして、ミリーナ達は北上という選択肢を取る他なかった。


◆ ◆ ◆



「ミリーナ、瀕死だからって油断しないで。あの男は危険よ」
「言われなくてもわかってるわ。……雪風をあんなに簡単に防がれるなんて」

光鱗の槍を構え直すマルティナに続き、ミリーナも術技を放つ準備をする。
明確に向けられる殺意。貴音の時よりも濃密なそれを前に美津雄はひたすら絶望することしか出来ず、ばたばたと地を這う形でザックスの裾を引いた。

「に、逃げようザックス!! このままじゃ、こ、殺されるって!!」
「美津雄、お前はそこでじっとしてろ。……そんで、俺の活躍をよーく見とけよ」
「な、何言って……なんで、なんでそうまでして戦おうとすんだよ!!」

美津雄の反論もそのままにザックスは一歩、ミリーナ達の方向へ踏み出す。
重傷の身でありながら微塵も退く様子を見せないザックスに威圧され、ミリーナは顔を顰めた。

そして、ザックスは静かに巨岩砕きを顔の前に掲げ祈るように目を閉じる。
なにかの詠唱かと警戒するミリーナとマルティナをよそに、彼の思考は過去を辿っていた。

(お前ならこうするよな、アンジール)

思い浮かぶは自身に全てを託した仲間の顔。
夢も、誇りも、それらを受け継いだ自分は彼の背中を追い続けなければならない。追いつかないと知っていても、ずっと。
この剣はアンジールのものではないけれど、何となく分かる。この剣の持ち主は強い意志と優しさの持ち主だと。
なら、この剣に"誓う"のも悪くない。





「────夢を抱き締めろ。そしてどんな時でも、ソルジャーの誇りは……手放すなぁっ!!」


英雄の道は険しく、遠い。
だけど絶対に足は止めない。

「いらっしゃいませぇぇぇぇ!!!!」

後ろで美津雄がザックスの名を叫ぶ。
けれど止まらない。目の前の敵を手厚く出迎えなければならないのだから。

「雪風!」

自身の全力よりも遥かに速く向かってくるザックスにミリーナが術を放つ。氷の結晶が刃となりザックスの身体を貫かんと迫るが、それは巨岩砕きの一振りに砕け散る。

「鏡陽! 花霞!」

一つで駄目ならば数を増やせばいいとばかりに光の粒子を放射状に、飛び上がり花の粒子をそれぞれ五つずつ放つ。
高速で飛来するそれらを大剣で叩き落とすが、それでも全てに対処する事は出来ずザックスの身体に痛々しい裂傷が亀裂のように走る。
だが止まらない。

「っ……ウィンドカッター! シェルブレイズ!!」

地面から生える風の刃がザックスの足を傷つけ、炎の塊が腕を焦がす。それなのに彼は足を止めないどころか、僅かにもスピードを緩めない。
今までミリーナが放った術は敵を怯ませる為の小手先の技でも、ましてや瀕死の相手への牽制の技でもない。明確に殺意を伴い、無傷の人間を殺す技なのだ。

(なんで……っ!? なんで止まらないの!?)

だからこそミリーナは恐怖する。
今にも倒れそうなほどの傷を負った人間が自分の術をまともに受けながら向かってくるなんて初めてだ。
未知は脳から冷静さを奪い取る。遂に肉薄を許されたミリーナは咄嗟に迎撃しようと近接の術技に頼った。

「舞かぐ──」
「悪ぃな」

ドンッ、という衝撃がミリーナの首元に走ったかと思えば彼女の意識はそこで闇に落ちた。
もし彼女に記憶があるのならば、手負いのザックスに自分が加減されるという屈辱的な光景が目に焼き付けられただろう。彼は剣ではなく、手刀で彼女を沈めたのだから。



「ザックス!! 危ない!!」
「──っ!!」

瞬間、ザックスの脇腹を狙い鋭い刺突が放たれる。
美津雄の注意によりなんとか身を捻り回避するも、傷に響き灼熱のような激痛が迸った。

「敵は一人じゃないということを忘れないで」
「……ああ、そうだったな!!」

体制を立て直し刺突の主、マルティナと向き合うザックス。
今のザックスに時間は残されていない。ゆえに力任せの斬撃をマルティナに放つ。万全な状態ならまだしもこの攻撃を躱せないほどマルティナは落ちぶれていない。

油断はしていなかった。
けれどここまでの力を発揮するとは思っていなかったのが事実だ。この男は今、全力で潰さなければならない。
ミリーナを使って彼の力量を測ったからこそそう断言出来る。
出し惜しみしている暇はない。一撃で倒せる技を放つ──!



「──雷光一閃突きッ!!」



回避から流れるように穂先をザックスの方へ定め、雷光の如く迸る一突きが大気を抉る。
それは正確に、無慈悲に、ザックスの腹部を貫いた。



「ザックスーーーーーー!!!!」

美津雄が雄叫びを上げると同時、マルティナは心の中に湧き上がる罪悪感を振り払うかのように槍を引き抜こうと力を込める。

「……え」

しかし、引き抜くことはできなかった。
見れば既に死んだはずのザックスが槍の柄を掴んでいた。それだけで十分にゾッとしたが、信じられないのはその握力。
ピクリとも動かない。槍を手放すという選択肢がマルティナの脳に浮かぶよりも先に、顔を上げたザックスと視線が重なった。

「おわらせ、ねぇ……」

命の灯火を瞳に燃やす彼は、まだ──死んでいない。

「あいつの、ゆめは……おわらせねぇ……!!」

瞬間、マルティナの全細胞が警鐘を鳴らす。
体が金縛りにあったかのように動かない。
未来予知などというふざけた芸当ができるわけではないが、自分の運命が鮮明に見えたような気がした。
それは今まさにマルティナを討たんと巨岩砕きを横に構えるザックスが訴えている。マルティナは逡巡の中で走馬灯のように記憶が想起されるのが分かった。


『灰色の心じゃ、オレの速さにはついてこれない』


ああ、そうか。
白にも黒にも染まれない、中途半端な心の末路がこれか。
眩しいぐらいの白の心を掲げる目の前の男に負けるのは当然なのかもしれない。

(────けれど、私は……!!)

死ぬわけにはいかない。
彼を助けるためにも今死ぬわけにはいかないんだ。
灰色の心で敵わないのならば完全な黒に染まろう。そうでなければどちみち、未来などないのだから。



「私だって────貴方のようになりたかった!!」


涙を瞳の縁に溜めながらザックスへ、もう二度と叶わない夢を言い放つマルティナの肌が薄青紫色に染めあがる。
心の黒を表現するかのような衣装を身に纏ったまま、デビルモードにより上昇した腕力に縋り遂に光鱗の槍を引き抜いた。
それでもザックスの攻撃は止まらない。反撃を諦めたマルティナは槍を盾代わりに防御の姿勢を取った。

「うおおおおぉぉぉぉぉ────ッ!!」
「──あああああぁぁぁぁぁッ!!」

衝突。瞬間、衝撃波が辺りの瓦礫を浮かす。
互いの喉から咆哮がのぼる。或いは守る為に、或いは殺す為に。絞り出した声を余すこと無く力に変える。

光鱗の槍と巨岩砕き──それらの武器は共鳴し合うかのように輝きを放つ。
遠い世界に住む英傑の愛武器同士の競り合い。どちらも業物でありその質に一切の優劣はない。

けれど、先に亀裂が走ったのは光鱗の槍だった。

それは武器のせいではない。英傑の武器は等しく業物なのだから。
考えられるとすれば持ち主の覚悟の差。
目に見えぬそれが形となり、拮抗の糸を断ち切ったのだ。




一瞬、辺りが無音に包まれる。
少し遅れてマルティナの体が砲弾のような勢いで吹き飛ばされ、崩れる瓦礫の山に埋もれた。


勝利を収めたザックスは糸が切れた人形のように仰向けに倒れ込み、青い空を見上げる。
もう殆ど目が見えなかったが、太陽の眩しさはよくわかった。

「ザックス……ザック、ス……!!」
「……よぉ、美津雄……怪我、ねぇか?」
「ああ、ああ!! オレは、大丈夫……だよ。ザックスが、守ってくれた……から、……」

太陽を覆い、ザックスの顔を覗き込む美津雄の顔は涙でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
ぼんやりとしか見えなかったが、声の震え方でわかる。ザックスはひどく穏やかに微笑んで、美津雄の頭を抱き寄せた。

「ザッ、クス……? なに、してんだよ!! 早く、治療しなきゃ……!!」
「……ダメだ」
「なんでだよ……!! なぁ、頼むから死なないでくれよザックス!! 守ってやるって言っただろっ!? 約束、破るのかよ!?」

堰を切ったように浮かぶ限りの言葉をぶつける美津雄。それに対してザックスは少しだけ困ったように笑った。

「ごめんな」

息が詰まる。
違う、こんな言葉が聞きたかったんじゃない。
自分はまだザックスに何も返せていない。
最後まで我儘を突き通そうとする自分が酷く惨めに思えて、美津雄は嗚咽を繰り返すことしか出来なかった。



「なぁ、美津雄……お前、夢ってあるか?」
「ないよ、そんなのない……!! オレには、なんにもないんだ……」
「そっ、か」

嘘でもあると言うべきだったのかもしれない。けれど、ザックスの目を見ると嘘をつくことなどできなかった。
夢なんてなかった。ただ空っぽの毎日を送り藻掻くように生きてきて、夢を見る余裕なんてなかった。
いつからか、自分はそんなものには囚われない自由な人間なんだと言い訳をするようになってしまったんだと思う。

「オレには……夢を持つ、資格もないよ……」
「ばー、か。夢を、持つのに……資格、なんて、いらねぇよ」

そっ、と頬を撫でられた。
ザックスの手はとても冷たかったけど、なぜか撫でられた頬がとても暖かく感じる。
段々と光を失っていくザックスの瞳と視線が重なる。背けたくなるほど真っ直ぐなそれを、同じように見つめ返した。


「夢を持て、美津雄。そしたらちっとは、世界が楽しく見えるかもしれないぜ」


頬を撫でる手が落ちる。
ザックスはゆっくりと目を閉じて、そのまま……死んだ。

「あ、あ……あぁ……!!」

ボクは────オレは、
その時初めて、大切な人を目の前で失う辛さを知った。

「うああああああぁぁぁぁ──っ!!!!」

堪えていた涙が溢れる。
息が苦しい。喉から苦いものが込み上がる。
オレはただ憎らしいくらい晴れた空を見上げて──泣いた。



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最終更新:2025年01月03日 22:43