一歩、また一歩と死が近付く。
 緩慢な足取りであるにも関わらず、まるで逃げられる気がしない。友人や仲間の死に嘆く暇などあるはずがなく、感情の波に囚われていた者たちは例外なく眼前の神に目線を奪われる。
 直接まみえたことのあるカミュは言わずもがな、それが先ほど議題に上がっていた〝銀髪の男〟だというのは全員が本能で理解した。

 9S、ハンター、セーニャ、カミュ。
 彼らはこの会場の中でも実力者の類だ。下手な相手ならば遅れを取ることなど有り得ない。全員が戦闘経験がある中で生き残っているのだから今更それを説く必要もないだろう。

 その彼らが、動けない。
 蛇に睨まれた蛙とはよく言ったものだ。食物連鎖の上の上、頂点に座する者。それを前にして動ける道理など存在しない。






「────なるほどな、そういうことかよ」



 ただ一人の例外を除いて。



「セーニャ、お前がこうなっちまったのは……あいつのせいなんだな?」

 青年、カミュの声色には安堵が含まれていた。

 絶対的な威圧感?
 本能的な死への恐怖?
 そんなもの関係ない。

 荒れ狂う暴風のようなプレッシャーの中を歩むカミュは、まるでセーニャを庇うかのように彼女の前へと勇み出た。

「え……、…………カミュ、さま?」

 セーニャが狂気に走った原因がセフィロスにある、というのは彼女の酷く怯えた様子を見てわかった。
 仲間が自ら殺し合いに乗るような人間じゃないとわかったのだ、喜ばないわけがない。
 これで心置き無くセーニャを信頼できる。疑心という暗雲の立ち込めた心には澄み切った青空が広がっていた。



 ならば、やることは一つ。



「安心しろよセーニャ。俺があいつをぶっ倒してやるからよ」



 ──だからさ、もうそんな顔すんなよ。

 カミュの顔には笑みが浮かんでいた。こんな状況を忘れさせる彼らしいニヒルなそれに、僅かに……ほんの僅かにセーニャの心が救われる。
 けれど、だからこそ止めなければ。今ここで彼を止めなければ見殺しにするのとなんら変わらない。
 まって、という言葉はしかしいくら力を込めても絞り出せない。伸ばした手は彼の背中を掴めず、無謀な疾走を許した。



「────うおおぉぉぉぉぉぉらぁぁッ!!」



 勝てぬ相手に挑む姿を嘲笑う者など、ここにはいない。
 否、むしろその勇姿にハンターは我に返った。いまだ立ち竦む9Sへ、そしてセーニャへ──なによりも自分自身へと奮起の声を荒げる。



「カミュ殿に続けッ!!」

 言葉で答えるよりも早く9Sは行動で応える。記憶が取り戻された今落ち着いて指示を聞けるような状態ではない彼が走り出せた理由は──彼自身にもわからない。
 セフィロスと対照的な〝彼女(ミキ)〟の金髪が風に揺れるのを横目に、勇者の剣を振り翳した。
 出遅れながらもセーニャも顔を上げる。しかし埋め込まれたジェノバ細胞が目の前の神に逆らうことを許さんと暴れ狂い、身体の震えとなって彼女へ襲いかかった。

(ダメ……、……攻撃、できない…………っ!)

 ──動けない。

 動悸が乱れる。
 視界が霞む。
 四肢が震える。

 いまだ自我を持たぬ人形は、三人の戦士の背中を見送ることしかできなかった。


(っ……私、は…………どうして、こんなに弱いの…………)


 心中の問いに答える者はいない。
 糸の切れたマリオネットの声は、空っぽな箱の中に虚しく響き渡った。


◾︎


「おおおォォォォッ!!」
「っ、はああぁぁぁ────ッ!!」


 必勝扇子の投擲。カミュの放った深紅のブーメランは残光を描き常軌を逸した加速をもってセフィロスの首元へ迫る。
 次いで右側へ滑り忍ぶハンターの横薙ぎの居合が、跳躍した9Sによる白銀帯びる唐竹が炸裂。どれもが必殺の一撃。常人であれば反応も叶わず即死に至るだろう。






 「素晴らしい、だが────」






 甲高い金属音が、同時三つ共鳴する。

 カミュの扇子を背から生える触手で弾き、
 ハンターの居合を右手の巨剣で受け止め、
 9Sの鋭撃を歪に変形させた左腕で防ぐ。

 人でも異形でもない究極の生物は、あろうことか猛者たちの同時攻撃を〝一歩も動かずに〟凌いだ。
 あっさりと希望が打ち砕かれる音に耳を貸さず三人は追撃を加える。目にも止まらぬ速度で迫る三本の刃は今度こそ神を穿たんとして──





「────伴わないな」






 失敗に終わった。

 その原因は単純にして明白。
 三人の身体がボロ屑のように宙を舞っていたから。




「……………………え?」


 何が起こったのか、地を失い床へ叩きつけられる当人たちは理解できない。その瞬間を視認出来なかった美希も例外ではなく、唯一それを目撃できたセーニャも易々と現実を受け入れられなかった。

「え、…………あれ……? いま、なにが……おきたの?」

 狼狽える美希に反してセーニャは無言だった。いや、ただしく言えば言葉にならない。なまじ鍛えられた動体視力はその光景が見えた。見えてしまった。
 セフィロスの背に生える触手が肉の腕となり、まるで虫でも相手取るかのようにカミュ達を薙ぎ払う光景を。

「なん、で」

 背の右側を彩る黒翼と対を成すように、左側を覆うグロテスクなそれは外見に反してやけにしっくりくる。いやむしろ、片翼であった彼を完成系に至らせた姿とすれば納得がいく。
 自分が最後に出会った時はあんな能力は持ち合わせていなかったはずだ。
 いや、それだけじゃない。よく見れば胸部の傷が再生している。まさか──と、セーニャは最悪な予感を抱いた。

「まさか、あの怪物の力を…………!?」
「ああ、喰ったよ」

 あれはイイものだった、と。どこか恍惚と語るセフィロスにセーニャは睥睨を返す。
 同じだ。今この男は自分と同じ状態なのだ。けれどそれと思わせないほど目の前の男は〝完成〟している。セフィロスが成功作だとすれば自分は失敗作なのだろう。
 絶対的な上位互換。敵うところなどひとつもないと突き付けられた失敗作(まがいもの)は全てを投げ捨てるかのようにカランと槍を落とした。

「殺しなさい」
「ほう」
「私はどのみち生きてはいけない存在……なら、死ぬべき時は今なのでしょう」

 セーニャの言葉に偽りはない。
 今はまだ抑えられているが、いつまた殺意という矛先がカミュ達へ向くかわからない。ならばいっそここで命を手放した方がいい。彼らにとっても、自分にとっても。

 それに──もう、お姉様はいないのだから。

「ならば望み通り、お前を苦しみから解放してやろう。クラウドの居ない今、もはや傀儡も必要ない」

 振り上げられた巨剣が鈍く煌めく。
 死ぬのは怖い。けれど、それ以上にようやく解放されるというあまりにも場違いで、あまりにも筋違いな感情がセーニャを支配した。

(イレブンさま、カミュさま、不出来な妹でごめんなさい。お姉様、シルビアさま、グレイグさま──今そちらに行きます)

 重力と加速を乗せた巨剣が隕鉄のように降り注ぐ。
 無防備に突き出されたセーニャの頭は豆腐のようにぐちゃりと崩れ────ない。

 ならばこの肉を削ぐ音の正体はなんなのか。そんな疑問はセーニャが顔を上げてすぐに晴れることとなる。
 今まさにバスターソードを振り下ろさんとしていたセフィロスの靱やかな右腕。その前腕の一箇所が鎌鼬でも過ぎ去ったかのように深く抉られていた。




「まち、やがれ…………」


 瓦礫を押し退けてよろよろと立ち上がる青髪の男、カミュ。
 肉の鞭を咄嗟に右腕で防御したのだろう。だらりと力なく垂れ下がるそれを興が削がれたとでも言いたげに見やるセフィロス。
 カミュのものとは対照的に堕天使の腕は肉の蠢きと共に再生が始まっていた。

「カミュ、さま……」
「セーニャ、おまえ…………なんで、死のうと……してんだ……!」

 相当なダメージを受けたはずなのに。立ち上がるのだって辛いはずなのに。絶望を跳ね返すほど燃え上がるカミュの瞳にセーニャは射抜かれる。
 まだ彼は諦めていない。生きることを、そして生かすことを。

「シルビアも、ベロニカも…………お前が死ぬのなんて、望んでねぇ……っ! 俺だって同じだぜ、セーニャぁッ!!」

 紅蓮の扇を左手に持ち、再びセフィロスの元へ駆ける。音を切り裂き迫る肉の翼を地を滑ってやり過ごし、返しの刃を放った。
 骨まで達することを期待したそれは右脇を浅く切り裂くだけに留まる。触手が戻るまでまだ数瞬猶予がある、が──セフィロスの攻撃手段はそれだけではない。

 槌のような異形の左腕、大剣を握る右腕。数多に用意された選択肢の中で振り下ろされたのは後者だった。
 体勢を考慮しても完全に避けるのは難しい。使い物にならなくなった右腕を犠牲にする覚悟で左へ身を捩る。

「────ぬおおォォッ!!」

 狩人の咆哮、全体重を乗せた踏み込みと共に放たれる流麗な気刃斬り。神の持つ大剣の側面へ衝突したそれは空気を振動させるほどの金属音を鳴らし、僅かに軌道を変えることに成功した。
 風切り音と呼ぶにもおぞましいものがカミュの鼓膜を揺らして巨大な影が右腕の数センチ横を過ぎる。大理石の床は容易く粉砕され等身大のクレーターを作り出し、生じた衝撃波がカミュの体を無理やり起き上がらせた。

 ハンターの助けがほんの少しでも遅れていたら今頃右腕と身体が泣き別れになっていただろう。しかし悠長に感謝を述べる時間はない。剣のリーチから逃れる為に数歩距離を取り、主の元へ戻ってきた扇を握り直した。
 一方のハンターは腕の痺れを無視し、攻撃直後により無防備になった右脇へと逆袈裟を振るう。それに合わせてカミュも左側頭部へと赤刃を放った。


「鬱陶しいな」


 しかし、二人に返ってきたのは肉を断つ手応えとは違う衝撃だった。

 地に突き刺さるバスターソードを軸に逆立ちの要領で身体を起こす。
 回避不能の双刃は大剣に線を刻むだけに終わり、躱された──と、気付いた時には既に両雄の身体は弾丸の如く吹き飛び、倒壊した瓦礫の中へと消え去った。
 空中で姿勢を変えながら放たれた足刀がハンターを、先端を槍のように変貌させた触手がカミュを撃ち抜いたのだと、それを完全に視認できた者はいない。



「楽しみを邪魔する悪い子には相応の仕置きが必要だと……そう思わないか? セーニャ」
「……っ!! セフィ、ロス…………!!」

 いよいよもって邪魔者はいなくなった。

 それはセーニャにとって詰みを意味する。本来死を望んでいたにも関わらずそのような表現をするのは矛盾しているが、本人はそこまで頭が回らなかった。
 自分を守ってくれた彼らへ報いたい。そんな元来彼女が持つ精神のままに魔力を宿らせた右手を憎々しい神へ向ける。

「できるのか? おまえに」
「…………っ、……」


 ────詠唱が、できない。

 こんなにも殺意と憎悪が溢れてやまないのに、いざ攻撃呪文を放とうとするとこれだ。
 言葉を忘れているわけじゃない。喉の奥で詰まって声にならないのだ。まるで魔封じ(マホトーン)をかけられているような感覚に似ている。
 セーニャの心と剥離された肉体が目の前の主へ逆らうことを徹底的に許容しない。悔恨の念を抱きながらも壊れた聖女は懸命に魔力を手に籠らせ続ける。

「……フフッ、さっきの言葉は取り消そう。おまえを殺すのは後にする。……それよりも、いい事を思いついたんだ」
「なに──?」

 疑問の声に耳を貸さず、セフィロスはふわりと軽やかな足取りで踏み込む。
 彼の靴底が地を蹴る瞬間、吹き荒れる突風に乗り数枚の黒い羽根が空を舞う。と、セーニャの眼前からセフィロスの姿が掻き消えていた。

「────え」

 セーニャの左後方、戦場から最も離れた場所にいた美希が間の抜けた声を上げる。
 釣られて振り向くセーニャの目には、呆然と立ち尽くす少女の前に佇む神の姿が映った。

「代わりに聴くといい。おまえの無力が奏でる、絶望の唄を」

 セフィロスの冷徹な視線の先、美希は未だ現実を理解出来ていない。
 これまでのカミュたちの応酬を言葉に起こすとまるで長い時間が経っているように感じるかもしれない。が、それはあくまで戦い慣れた戦士たちからした話だ。
 常人では反応も、目で追うことすら許さない攻防。その常人の枠を出ない美希からすれば、セフィロスの君臨からいまこの瞬間までの時間はほんの数秒に感じたはずだ。
 それを全て使っても尚、我に返ることすらできない。



 そんな美希が、


 カミュたちでさえ赤子扱いする神を前に、何が出来る?





「待────」


 セーニャの制止が最後まで紡がれることはない。
 彼女の声が届くよりも先にセフィロスの回し蹴りが美希の脇腹を捉える。

 ──ごぷ、と。泡が破裂するような音に遅れて血と少量の吐瀉物が混じった液体を撒き散らしながら〝それ〟は宙を舞い、着地先のソファを残骸へと変えた。

「………………あ、」

 誰が見ても生存は絶望的だった。
 救えたかもしれない。自分が魔法を使えれば防げたかもしれない。

 なぜそれをしなかった?
 セフィロスが怖かったから? 
 助ける理由なんてなかったから?


「いい音色だろう? どんな気分だ、セーニャ」


 違う。できなかったからだ。
 絶望する。絶対的な力を持ったセフィロスへではなく、無力な自分へ。
 自分の命などくれてやるつもりだったのに、そんな覚悟を侮辱するような神の所業。強く噛み締めた歯が音を鳴らし、滲む涙が追悔を物語る。それは人の道を外れたセーニャへの報いなのだろうか。






「美希ィィィィィ──────ッ!!!!」





 いいや、それは断じて神の所業などではない。
 罪なき少女をいたぶることが報いなどであってたまるか。



 崩れた絵画と瓦礫の群れの中から一陣の風が吹く。
 比喩ではなく文字通り火花を散らしながらセフィロスへと肉薄する機人──9Sは残像を描きながら剣戟の嵐を仇へと見舞う。その悉くは彼の左腕に弾かれ、防がれ、打ち落とされるが、捨て身の攻撃に後退はない。




「う、わァ゛あ゛あア゛ァ゛あぁァ゛あア゛────ッ!!」
「…………ほう」

 以前よりも威力と速度の増したそれはセフィロスの左腕に幾つもの裂傷を刻んでいく。肥大化した筋肉に阻まれ骨まで断たれることはないが、彼の振るう聖剣は肉盾の再生、防御機能を上回っている。
 見れば9Sの持つ剣──マスターソードの輝きが増していた。それは彼の強い意志に呼応したものか、もしくはセフィロスという巨悪を討つためか。
 力任せに、ただ敵を殺めるために振るわれる絶技は駄々っ子のようでありながら一つ一つが速く、重く、鋭い。片腕という条件はあるがセフィロスと単騎で打ち合えている事実は驚愕に値する。

「──セーニャぁッ!!」

 僅かに稼がれた時間をフルに使い、立ち上がったカミュが声を荒らげ反射的にセーニャが肩を竦ませる。

「美希を……美希を、治療してやってくれ!!」
「ぁ、…………!」

 カミュだって今すぐにでも治療が必要だ。肩が外れたせいで動かない右腕が目立つがそれ以上に身体中に浮かぶ内出血の跡が痛々しい。おまけに先の刺突によって決して浅くはない刺傷が胸に刻まれている。
 当然ダメージが大きいのは今まさに9Sの加勢に向かっているハンターも同様だ。なのに彼らは絶望的な戦力差を前にしても億さずに戦いに赴いている。
 そんな彼らの心情は今の自分からすればひどく現実離れしていて、実力とは異なる強さをむざむざと見せつけられたセーニャは力なく頷くことしか出来なかった。

「頼んだぜ、セーニャ」

 それだけを言い残してカミュは背を向ける。
 満身創痍と思わせない俊敏な動きで戦闘に参加する彼から苦々しく目を逸らし、綿が飛び出たソファの残骸へと駆け寄る。



 その中心に、星井美希がいた。



 アイドルに相応しい天然の美貌は面影もない。酷く乱れた金髪は血で変色し、健康的だった肌は急速に白みを帯びている。
 折れた肋骨が肺に刺さっているのだろう。酸素を吸って二酸化炭素を吐くという単純な生命活動にも支障が出ており、時折かひゅっ、という空気の漏れる音が聞こえる。
 身体は──動いている。ピクピクと痙攣する手足を見て動いていると言っていいのかは果たして疑問だが。


 治療をしろとは言われたが、手遅れに近い。
 道具もなく医術の心得もない人間から見れば一目で助からないとわかる容態だ。回復魔法に大きく制限が掛けられている以上、匙を投げるのが当然と言える。
 というよりも、諦念とは別のものがセーニャの頭を支配していた。


(────壊さな、くちゃ)


 よりにもよって、このタイミングで。

 今この瞬間、星井美希という瀕死の少女を前にして。

 怒涛の如く押し寄せる破壊衝動がセーニャの脳を埋めつくした。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年10月20日 23:36