市街地の一区、庭付きの空き家。
必要最低限の家具が取り揃えられたその一室をとある四人の男女が占めていた。
「なぁなぁミファーちゃぁ~ん」
「…………」
「無視せんといてや、泣くで?」
「……はい?」
寝具に寝転がる金髪の青年、リンクに治癒の光を浴びせるミファーが不機嫌そうに振り返る。琥珀色の視線の先にはニンマリと不気味な笑みを浮かべる真島吾朗の顔があった。
「あのな、ミファーちゃんが持っとるドスあるやろ? それなぁ、俺のなんや」
「……そう」
「そう、って。それだけかい! 自慢したわけちゃう、欲しいっちゅう話や」
「とは言っても……これを渡したら、私の武器が無くなってしまうから」
ぐぬぬ、と。厳つい顔に似合わない声を上げる眼帯男。どうやら交渉は難航しているらしい。
そんな二人のやり取りを古風なベントウッドチェアに座り、たまごサンドを頬張りながら眺めていた男子高校生が見ていられないとばかりに口を出した。
「真島さん、人に物頼む態度と顔じゃないって……」
「あァ? おい美津雄、態度はまだわかる。顔は言うたらアカンやろぉがぁッ!!」
「ひっ!? い、いやつい……じゃなくて、武器が欲しいんだったらそれに見合うもの渡した方がいいんじゃないか?」
美津雄の言うことは正論だ。タダで武器を貰おうだなんて厚かましいにも程がある。
真島も厳しい極道の世界を生きてきたのだからそのくらいの礼節は弁えているつもりだ。チャカやドスを仕入れるのにまさか愛嬌で釣り合うとは思っていない。しかし今はそれが出来ない理由があるのだ。
「そうは言うてもやなぁ……俺が渡せるもんなんかこの腕輪くらいしかあらへんし」
窓から差しかかる陽光に照らされ、派手なエメラルドの基調が目立つ腕輪。あまり趣味のいいものとは言えないそれは一見無価値に等しい。
「それじゃ確かに釣り合わないな……真島さん、支給品それだけなのかよ。運営に舐められてるんじゃないの?」
「あほ抜かせ。俺が強すぎるからハンデ貰っとんや」
「……そういうもんなの?」
まるで買ったら幸せになるという謳い文句の壺でも見るかのように訝しげに眉を顰める美津雄。同様にミファーも価値を見いだせていないようだった。
本来は値千金の効果を持つ装飾品なのだが、それを知るのは真島ただ一人のみ。というのも、真島はこの腕輪の力を公にすることを嫌ったのだ。
あくまで〝奥の手〟であるという戒めでもあるが、なによりも────
(──この嬢ちゃんに渡したら、色々厄介なことになりそうやからな。堪忍やで)
真島はミファーという少女を信用していない。人ではないからとかいう今のご時世では叩かれそうな理由ではなく、彼女の内に秘める危険な感情を感じ取ったのだ。
恐らくはリンクのことを好いているのだろう。極度のニブチンなのか本人は気づいていないようだが、その気持ちがいつ暴走するかわかったものじゃない。
「……渡してあげて、ミファー」
「え? ……で、でも」
「俺はその人から刀を貰ったんだ。……代わりに、俺のバックに長剣があるからそれを。毒が塗ってあるから気をつけて」
リンクの言葉に渋々承諾し、ミファーは短刀を真島へと手渡す。漆黒に桜が散らされた柄を右眼で眺め、興奮気味に口角を釣り上げる蛇革ジャケット男の姿は中々に不気味だ。
苦笑いを浮かべるミファー、そしてかなり引いている美津雄の痛い視線を軽く受け流しながらヒヒッ、と甲高い笑いをこぼした。
「これやこれェ!! おォ~~~、手に馴染むわぁ! 真島吾朗、大復活ッ!! ありがとうなぁ、ミファーちゃぁ~ん」
「い、いえ……」
「……ドス一本でそんな変わるのか?」
美津雄のなにげない疑問の声にヤクザはカッと右眼を見開く。嫌な予感がした美津雄は反射的に腕で顔を隠し、目線を逸らした。
「ええか美津雄! これはなぁ、ただのドスやない。俺にとっては我が子のように愛しい愛しいドスなんや。なんでも刀匠がこのドスで自害したやらなんやらで呪われてるっちゅう話やけど俺はそんなん──」
「あーーーわかった! 真島さんがすっごく強くなったってのはわかったからさ! 頼りにしてるって!」
「そうか? ほんなら勘弁したるわ」
机へと身を乗り出して(というかほぼ乗って)語る真島の熱意にあえなく惨敗した美津雄が慌てて両手を突き出す。下手をしたらこのまま頭突きでもかまされそうだったが難を逃れた。
そんな二人のやりとりにミファーはため息を漏らす。複雑な心中のままリンクへと視線を移すが、当の青年は彼らをどこか微笑ましそうな、それでいて物悲しそうな顔で見つめていた。
「リンク?」
「……ああ、ミファー。ありがとう、もう随分良くなったよ」
上体を起こすリンク。たしかに懸命な治療のおかげで肉体は回復したようだが、少なくともミファーの知る彼よりもずっと活力が感じられない。
彼の優しさは誰よりも知っているつもりだ。だからこそ心苦しい。
「…………、よかった。無茶しないでね、リンク」
リンクが失意に沈んでいる理由は四人で情報交換をする中で判明した。ミファーとしてはあまり聞きたくはなかったが、当然彼が行動を共にしていた仲間の詳細も聞かされた。
その中の一人、雪歩という少女は自分が殺めたということも。
後悔はしていない。
ただ、〝可哀想〟だとは思った。
言うまでもないが、リンクを生き残らせるという目的を成し遂げるためには彼以外全員の命を犠牲にしなければならない。
殺めるのに心が痛まないわけではないが、その程度で心変わりするような軟弱な意思では英傑は務まらない。むしろその理由を知ったミファーは更なる決意を固めることとなった。
(俺も、マスターソードやシーカーストーンがあれば……2Bや雪歩を守れたのかな)
当然、そんなこと夢にも思わないリンクは己の無力に歯噛みする。
あの大振りな刀を持った男は恐ろしい強さを持っていた。万全の状態であっても自分一人では力が及ばないであろう。しかし、今よりも犠牲は抑えられたはずだ。
ミファーとは対象的に後悔が重りとなりリンクの身体を鈍らせる。本当は今すぐにでも飛び出して殺し合いの打破の為に動かなければならないのに、立ち上がる気分になれなかった。
「無理すんなや、それにもう放送や」
真島の指摘にハッとする。
ダメージの回復に専念していたため頭から抜けていたが、たしかに時計を見れば
第二回放送の時間が間近に迫っていた。
放送、という単語を聞いてその場に緊張が走る。各々が己の目で死者を目にしている以上、一度目よりも〝放送〟の重要性を理解してしまったのだ。
「そうか……放送、か…………また、名前……呼ばれんのかな」
「そうやろうな。俺の見立てでは、一回目より多く呼ばれると思っとる。乗り気な奴は武器でもなんでも奪って、更に殺して回っとるやろ」
「…………」
真島の言葉に美津雄は心底驚いた様子だったが、二人の英傑は違った。
片や二人の少女を殺めているのだからその思考に行き着くのも当然。一方のリンクもまた真島の言葉を否定できない。
カイムとの戦いで多くの仲間を喪ったからというのもある。だが一番は四人の情報交換の中で出た危険人物の数だ。
「まさか、こんなに多くの人間が殺し合いに乗ってるなんてな……」
七十人の内のたった四人。
決して広くはない行動範囲の中でもトレバー、カイム、マルティナ、ミリーナの四名が危険人物として挙げられた。
全体で見れば倍以上はいるだろう。また、トレバー以外は名前すら知らないため生死確認もできないのが痛い。
「ま、殺し合いするような奴は同盟こそあれど徒党組むってことはないはずや。頭数ではこっちが有利なんやから、徹底的にシバいたらええ」
「……たしかに、そうだけどさ…………」
「安心しろや! なにかあってもこの吾郎ちゃんが守ったるわ!」
調子のいい事言うな、このおっさん。
間違っても口にできない言葉を呑み込んだ美津雄だが、不思議と頼もしさを感じていたのも事実だ。
「…………くる」
ミファーの言葉にやや遅れ、ノイズが会場全体に響く。気だるげな男のマイクテストと共にいよいよ放送が開始された。
◾︎
放送中、誰も声をあげなかった。
あげられなかったのだ。あまりにも、知っている名前が多すぎた。
直接遺体を目にした2B、ソニック、雪歩、ザックスはもちろん、全員元の世界での知り合いが呼ばれた。衝撃の大小こそあれど訪れる悲しみに貴賎はない。
重い沈黙が破られたのは放送が終わって数秒経った頃。悲痛な面持ちのリンクが第一声をあげた。
「…………ゼルダ……っ!!」
────ゼルダ姫。
リンクが仕えると心に決めた主。
間違いなくこの殺し合いにおいて真っ先に保護しなければいけなかった存在だ。
今この瞬間、英傑の存在意義が奪われた。勇者でも英傑でも、なにものでもなくなった青年の心は衰弱を極める。
例えこの殺し合いを生き残ったとしても、ハイリアは────それ以上の思考を吐き気が妨害し、脳が拒絶した。
「…………残った英傑は私たちと、リーバルだけなんだね……」
物悲しげなミファーの言葉にハッとする。
ゼルダを喪って動揺しているのは自分だけではない。遺されたミファーとリーバルだってきっと同じ気持ちだ。
プライドが高くとも姫を想う気持ちは誰よりもあったリーバル。気が合う友人として彼女に寄り添っていた心優しいミファー。
まだ、全て失ったわけではない。ゼルダだって自分の死に立ち止まる姿は見たくないはずだ。
「…………っ……」
そんな綺麗事に対して、身体に力が入らない。思考と肉体が一致しない感覚に気持ちの悪い違和感を覚えた。
その言動の矛盾こそ、彼が英傑ではなく、英傑であろうとしているだけなのだと如実に物語っている。
「…………リンク、」
リンクを気遣ってか、ミファーが彼の身体を抱き寄せる。その心地いい温かさに全てを放り出してしまいたいような気持ちに駆られるが、2B達の遺言という張り詰めた糸がそれを繋ぎ止めた。
力なく抱き返すリンクは気が付かない。ミファーの目に母性に似た愛しさと、冷徹な色が混じることに。
(姫様が死んだのは予想外だけど、……好都合かもしれない。どのみち殺さなきゃいけなかったし、こうしてリンクの〝弱さ〟も見れたから)
およそ英傑を名乗るにはかけ離れた思考。
数瞬のタイムラグを越えてミファー自身もゾッとする。この十二時間で自分が自分でなくなってしまったのかもしれない。
けれど、構わない。ハイリアの為……いや、想い人の為ならば鬼にでも悪魔にでもなってやろう。半端な覚悟で雪歩たちを殺したつもりなど毛頭ないのだから。
ミファーの思惑に気付いてか否か、真島の視線が抱擁を交わす二人の背から天井へと移される。
(錦山も死んだんか……これで、俺の〝世界の〟知り合いは遥ちゃんだけになったわけや)
世界の、という言い方をする理由には訳がある。
数時間前に終えた情報交換の中で自然とここに連れてこられるまでの経緯の話になった。……美津雄はあまり過去を話したがらなかったが。
身の上を話すにあたって言うまでもなく世界観の違いが浮き彫りになる。それだけではなく、同じ世界の住人であるミファーとリンクにも時間のズレがあることが発覚した。
意外なことに一番場を取り仕切っていたのはリンクだった。殺し合いが始まってすぐに雪歩や2Bがまるで異なる世界の住人であることを知っていたからだろう。
あまりに現実味のない話に全員すんなり納得したわけではなかったが、下手に理論づけるよりもずっと説明がつく。真偽はどうあれ全員ひとまず世界の違いを認識することにした。
すなわち、そんな馬鹿げた話を実現するほどの技術力をウルノーガたちは備えていることになる。想像を絶する難題に真島吾朗という男は珍しく脳を回転させていた。
「…………な、なぁ……!」
「ん? どうしたんや美津雄」
そんな思考を美津雄の震えた声が妨げる。
そういえば、と。鳴上悠という名前が美津雄の口から出ていたことを思い出す。そのことなのだろうか。
「放送ってさ、死んだ人の名前が呼ばれるんだよな?」
「あ? ……なんやいきなり。当たり前やろ」
と、そんな柄にもない心配は予想だにしない質問によって霞と化す。
今になって何を当然のことを。ミファーとリンクも彼の真意を掴めず疑問符を浮かべていた。
「呼ばれてないんだよっ! 雪歩と一緒に殺されてたはずの〝如月千早〟が!!」
ぴしゃり、と。水を打ったような静けさが支配する。
誰もが頭になかった。目の前でザックスを刺された美津雄だからこそ気がついた決定的な真実との齟齬。
「なら、すぐ戻って──」
「やめときリンク。お前は動ける状態ちゃうやろ」
いちはやく反応を示したのはリンクだったが、予想していたとばかりに真島の低声が彼を制する。
動ける状態ではない、というのは心外だった。ミファーの治療によって行動に支障ない程度まで回復したのだ、心配される謂れはないというのがリンクの自主評価である。
「大丈夫、もう動ける。戦闘になっても足は引っ張らない」
「身体は、な。けどそんなウジウジしとったら邪魔や。はっきり割り切ってから物言えや」
──目を丸めたリンクは数刻、言葉を忘れた。
真島が言わんとしていることにようやく気がつく。彼は自分が今傷心にあると見抜き、不器用な心遣いをチラつかせてくれているのだ。
「見抜かれてたのか」
「当たり前やろ。放送からずーーーっとそないな調子や。ミファーちゃんじゃなくても気付くわ」
驚いた。この真島吾朗という男、初めて出会った時からそうだったが存外に観察眼に長けている。
この男に隠し事は無理だ、と。半ば諦観に近い感情がリンクの心のメッキを剥がしてゆく。
皆を救わなければという、一個人が背負うには途方もない重責が自分だけに向けられたのではないということを初めて理解した。
「私からも……リンク、戦いばかりで疲れただろうし、少し休もう?」
「そういうことや。現場には俺と美津雄が行くからゆっくりしとき」
弱音を吐くことすら許されなかった。
天賦の才を持ち、自分が誰よりも強いことが当然だったから。だからこそ、誰に言われるまでもなく皆の手本にならなければという生き方をしていた。
それこそが己を凡才と自負していたゼルダが嫌悪感を抱く原因となったことになど知り得ない。羨ましい、という感情とは程遠い人生を歩んできたのだから。
「………………ありがとう」
そんなリンクが、甘えた。
責務ではなく己のために。
それを果たして成長と捉えるか否か。傍らの赤い魚人は歪に微笑んだ。
「真島さん、はやく!」
「わかっとるって、ちょい待っときや」
最終更新:2024年11月04日 01:05