「────認めねぇぞ」
山岳、葉の落ちた大木に覆われた黄土の大地を殴りつける巨漢の一声は威圧にも似ている。
「と、いうと?」
対するは木に背を預ける老人。
枯れ枝のように細い指先はつらつらと名簿に線を引く様は年齢の衰えを感じさせない。彼を見て老いぼれという印象を抱く愚か者はいないだろう。
「あのクラウドが……ティファが死ぬなんてありえねぇ! この放送は出鱈目だぜ、そうに決まってる!」
「やれやれ、まさか本気で言っているわけではないだろうな。運営側が虚偽の名前を並べる理由などない」
「そうじゃねぇ、あいつらがそう簡単に死ぬかよってことだ!!」
激昂するバレットに対してオセロットは冷酷だった。
無論バレットに言われるまでもなくクラウドとティファが実力者であることは知っている。もしも同盟を組んでいたら大きな戦力となっていただろう。
しかし、そんな猛者であろうと一片の慈悲もなく命を落とすのがこのデスゲームの真髄。生存に必要なのは実力ではない、戦略だ。勇敢な兵士と臆病な通信兵では後者の方が生存率は高い。
「なら問おう。その二人は闇討ちで頭を撃たれようが、未知の力を使われようが絶対に死なないという確信があるのか?」
「……ッ、…………!」
バレットだってわかっている。
クラウドやティファは強い。例え単騎であっても並のモンスターや下手人に遅れをとるなど有り得ないと断言出来る。一番近くで彼らの強さを見てきたのだから誰よりもそれを理解しているつもりだ。
だからこそ、憎い。彼らが殺される姿を想像してしまう自分が憎くてたまらない。
クラウドとティファの死を受け入れてしまったら、長い冒険で得た彼らへの信頼がこんなクソッタレなゲームに上書きされてしまいそうで、バレットにはそれが耐えられなかった。
言葉で否定しなければ、と。
それは一種の防衛本能に近い。
「受け入れろ、バレット・ウォーレス。君だってこの瞬間まで生き延びてこられたのは危うい綱を渡ってきたからだ。これはただ強者が堂々と闊歩して生き残れるようなワンサイドゲームではない」
しかし老獪な山猫はそれを許さない。
彼の言うことは付け入る隙もない正論だ。バレットだってアリオーシュとの戦いで身を持って死を覚悟した経験がある。
もしもあの場にオセロットがいなければ
第一回放送で名前を並べられていたはずだ。
「…………だよ」
けれど、バレットは退かない。
「なに?」
「理屈じゃねぇんだよッ!!」
バレットの左手がオセロットの襟を掴む。
なにが琴線に触れたのか心底理解出来ないとばかりに首を傾げる老人へ、はなから理解されるつもりもないバレットは独り言を続けた。
「てめぇは誰が死んでも澄ました顔してられるかもしれねぇけどな、俺は違うんだよ!! クラウドも、ティファも……ああそうだ、大事な仲間だ!! 顔も知らねぇクソ野郎からあいつらは死にましたなんて言われて納得できるわけねぇだろうがッ!!」
記憶が溢れ返る。
クラウドとの出会いは随分と前だった。ティファの方がもっと付き合いは長いが、よぎる思い出の量に相違はない。
「俺がこうやって生き残ってんのによ……俺より強くて、俺より頭がいいあいつらは早々にくたばったってのか!?」
いけ好かない、というのが第一印象だった。報酬という繋がりが切れれば二度と出会うことはない人種──のはずだったのに。気がつけば惜しげもなく〝仲間〟と呼べる間柄になっていた。
大きなきっかけとしては神羅ビルへの侵入の時かもしれない。エアリスを助けようとする彼の姿は、とても損得勘定に囚われた汚い人間とは思えなくて。柄にもなくカッコイイと思ってしまった。
そんなクラウドが、死んだ?
緊張感の欠片もない男の声で、まるで有象無象の一部かのように名前を読み上げられて。自分の知らぬ場所で死を遂げたことを突きつけられた。
そんなふざけたことを受け入れられるほどバレットは現実主義者(リアリスト)ではない。
「誰がなんと言おうが……認めねぇ……! この世の全員が死んだって言ったって、俺だけは認めねぇ……!」
オセロットを掴む手に力自慢の面影はない。
CQCを使うまでもなく、老いた腕で解けるほどに。けれど代わりに携えた眼光は歴戦の老兵をも押し黙らせる迫力を持っていた。
もはやこれ以上言ったところで無駄だ、と。いちはやく匙を投げたオセロットは地図へと目を移す。傍らの切り株を机代わりにして禁止エリアにバツ印を刻んだ。
「バレット、君がクラウドたちの死を認めないのは勝手だ。だが生憎、私はその可能性を視野に入れて考察を進めさせてもらうつもりだよ。異論は?」
「……ケッ。安心しろ、押し付けるつもりはねぇからよ」
「そうか、ならば改めて問おう。仮にクラウドを殺せる人物がいるとしたら、どんな存在だと思う?」
胸糞の悪い質問だ。そう切り捨ててやっても良かったが、喉元まで出かかっていた激昂を飲み込み思考に意識を巡らせる。
いい加減この男とも付き合いが長い。自分が今試されているのだということくらいは理解できた。ここで一蹴するのは簡単だが、その場合自ら回答を諦めることになる。それはバレットのプライドが許さない。
「…………無力を装って殺して回る卑怯なやつ、か? 同盟を組んで戦略を立ててるやつとかもいるかもしれねぇ」
「ああ、いい加減優勝を目指している連中も気がついている頃だろう。我々がそうであるように対主催を志す者は徒党を組み始めている。そんな状況で正面から殺して回るなどあまりにも非現実的だ」
「はっ、漁夫の利ってやつか。腐ったやつもいるもんだ」
鈍く煌めくピースメーカーを右手で弄びながら、オセロットは鼻で笑う。どうやらこれで終わりではないらしい。
妙な居心地の悪さにバレットは後頭部を掻き、鋭い睥睨を食らわせた。
「何か言いたげだな」
「いや、なに。バレット、君は都合の悪いことを無意識に考えないようにしているのだな……と、思っただけだ」
「あぁ!?」
安い挑発に巨漢の足が一歩踏み込む。巻き上がる砂埃が彼のブーツを汚した。
「まるで真っ向からクラウドがやられるはずがないと、そう思い込むようにしているんじゃないか?」
「…………、……セフィロスか」
一見すると会話が成り立っていないように見えるだろうが、その名を知っている者からすれば腑に落ちるはずだ。
御明答、と返すオセロット。ジョーカーという立場は関係無しにセフィロスの強大さ、そして因縁の深さは他ならぬバレットの口から聞かされていた。
「君の知るセフィロスは徒党を組んだり、わざわざ背後を狙うような真似をするか?」
「いいや、ありえねぇ。ましてやクラウドが相手ってなったら邪魔者は許さねぇっていうイカレ野郎だ。…………オセロットてめぇ、クラウドがセフィロスに負けたって言いてぇのか?」
「可能性はあるだろうな。話を聞く限りセフィロスは参加者の中でも特別強大な存在らしい。それこそ〝主催者〟たちも監視の目を光らせるくらいには、な」
老人が銃を仕舞う。リボルバーの名を外し、〝アダムスカ〟の片鱗を見せる。
途端に雰囲気が変わったのが肌でわかる。バレットも考え無しではない、これから始まるのが話し合いではなく有益な情報整理だということは察しがついた。
「勿体ぶるなよ。なんか考えついてるんだろ?」
だからバレットは急かした。
下手に黙っていればまた面倒なクイズか始まるだろう。一々付き合っていたら疲れる。主に精神的に。
「わかってきたな、バレット君。そのセフィロスだがな、私が思うに北にいる可能性が高い」
「はぁ? なんでんなこと……まさか、」
主催から情報が送られてきているのか、そう言いかけて盗聴を危惧し口ごもる。オセロットもそれが分かっているのか緩やかに首を振った。
改めて考えてみれば、情報が送られているにしては不透明な言い方だ。となると重要なのはあくまで推察であるということ。そしてタイミング的に、それに至った要因は考えるまでもない。
「…………放送か?」
「正解だ。これを見てみろ」
と、オセロットが切り株を指す。正確には、そこに広げられた地図を。
「地図か? 電子マップでもねぇんだから放送で情報なんて更新されねぇだろ」
「考えが古いな。いや、新しいと言うべきか。ひとつあるだろう、紙の地図であろうと放送に改められた形跡が」
「な、……もしかして禁止エリアか!?」
導かれるままに答えを言い当てたが、それに至る理由がわからない。数式がわからないまま回答だけ渡されたような気分だ。
「これを見てみろ、バレット」
オセロットは新たに禁止エリアのバツ印の下に時刻を書き記してゆく。放送をされた時点でその場所には立ち入らないようにするというのが定石ゆえに、禁止時刻をまじまじと見るのは新鮮だった。
7:00 F-1
9:00 C-1
11:00 C-5
13:00 A-3
15:00 F-6
17:00 A-6
「なにか気づいたことは?」
「……わかんねぇよ、本当に時間が関係あんのか?」
「大ありだ。まず第一回放送で選出された禁止エリアを見てみろ」
促されるままに時刻と場所を照らし合わせる。それでもなおピンと来ないバレットはうーんと唸り、見かねたオセロットが指示棒代わりのペンをエリアにあてがいながら説明を続けた。
「F-1は灯台のある海岸。ここは立て篭るのを嫌った狙いだろう。C-1はここを立ち入らせないことで移動の際にNの城を経由させる目的だろうか。だが……C-5は? 展望台が用意された高所、それも面積が広い場所など殺し合いを進めるならば有用な場所となるはずだ。運営がそれを切り捨てるメリットは薄い。」
「……言われてみりゃ、そうだな」
「マナが禁止エリアで死ぬことを嫌っていたような発言をしていた以上、それならばC-6を選んだ方が自然だろう。では次に
第二回放送に読み上げられた場所を見てみよう」
13:00 A-3
15:00 F-6
17:00 A-6
「……移動の妨げにならねぇ程度に立ち入り場所を減らしてる感じだな。そんなおかしいとこあるか?」
「ああ、前二つは自然だが……十七時に禁止となるA-6、これは少し大胆だと思わないか?」
「展望台と同じ理由か? でもよ、C-5と違って端っこじゃねぇか。単に全体を狭めてるだけじゃねぇのか?」
いつ息継ぎをしているのか不思議になるくらい流暢だったオセロットがここで初めて沈黙をする。それも一秒にも満たない時間であったが。
「君にしてはいい指摘だ。七十点といったところかな」
「無駄なお喋りしてると叩き潰すぞ」
「失礼。……その考えは私も勿論至ったがね、少し気になった点がある。C-5との間隔が近すぎると思わないか?」
言われてバレットは改めて地図を見やる。
確かにここだけバツ印が集中していた。それもどちらも施設があるエリアで、放送から五時間後という共通点がある。
まさか、と。バレットが思い至った考察と同じ内容が別の人物によって口にされることとなった。
「私が思うに、C-5とA-6は我々ではなくある特定の人物に対して定められた禁止エリアだと思っている」
「……それが、セフィロスだってのか?」
「ああ。運営が一目置く実力を持った彼が移動に積極的でないとしたら、奴らもなりふり構わず動かさなければなるまい。さしずめチェスの盤面といったところか」
何が面白いのか、くつくつと笑う老人を驚きと畏怖の混じった目で睨む。今の情報でそこまで至ったとしたら、切れ者を通り越して恐ろしい。
何が一番恐ろしいかというと、今の考察に〝ジョーカーの立場〟が関与していないことだ。仮にこの男に主催の息がかかっていなかったとしても自力でこの結論を見出していたかもしれない。
「ってなると、セフィロスはC-5からA-6に移動した……ってことか?」
「セフィロスかどうかは断定出来ないが、どちらにせよ強力なマーダーが移動した可能性は高いだろう。東の橋を渡って来た以上、次の目的地は北西だろうか」
無論これは考察に過ぎない。確実性など皆無、今自慢げに語ったオセロットの話がまったくの見当違いの可能性だってある。
だが不思議とバレットは確信に似た感情を持っていた。オセロットの振る舞いに説得力があるから、というのは置いておき──今のバレットにとってはそれが真実であって欲しかったからだ。
「なら早速セフィロスを潰しに行くぞ! これ以上放っといたらいよいよ皆殺しだ!!」
「正気か? 戦力の整っていない今、そんな怪物の元に向かうなど自殺行為だぞ」
「うるせぇ! そんなちんたらやってたら、みんな殺されるだろうが!!」
バレットは冷静ではなかった。
いくらクラウドたちの死を信じないといっても、セフィロスを放っておいた場合の危険性は想像に易い。
すでに十二時間で三十人の名前が読み上げられている。見えないタイムリミットは確実に迫ってきているのだ。その事実がバレットを焦らせる。
「ならば尚更、我々は対策を立てるべきだ」
だからこそ、バレットは理解が遅れた。
気がつけば自分の身体が背負い投げの要領で地面に叩きつけられており、オセロットの顔を見上げていた。その屈辱的な事実に。
「て、め……っ!」
「動かない方がいい。左腕まで折られてはいよいよ戦えないだろう」
傍から見れば不思議な光景だろう。老人が巨漢を投げ飛ばすなど、フィクションの世界でしか見たことがない者が多数だ。
無論、近接戦でバレットがオセロットに遅れを取るなど普段ならば考えられない。しかし戦場での勝率など、ただの身体能力だけで左右されるような単純なものではないのだ。
今、バレットを鈍らせているものは動揺と焦燥だ。こんな状態でセフィロスに挑もうなど夢物語であると突きつけられた男は数瞬目を閉じ、また開く。
「もういい、冷静になったぜ」
言葉を受けてオセロットが拘束を解除する。
立ち上がったバレットは身体に付着した汚れを払い落とし────オセロットの左頬を殴り抜いた。
予想だにしない反撃に山猫は強制的に視界を揺さぶられる。数歩あとずさる彼の姿を見て初めて人間らしい仕草を見れたな、なんてズレた感想を抱きながらバレットは鼻を鳴らした。
「これでおあいこだ」
「…………やれやれ、老人を労わる心がないのか?」
こきり、と首を鳴らすオセロットの苦言を完全に聴覚からシャットアウトする。
ともあれ当分の目的は定まった。戦力強化を狙うなら尚更カームの街を中心に探索をした方がいい。
方針を定めた銃弾の後を拳銃が追った。
◾︎
D-2の山岳地帯。人工的な市街地とは裏腹に緑が多く川のせせらぎが美しさに拍車をかける。葉を通じて差し込む陽の光が心地いい。
状況さえ違えば景色に目を奪われていたであろうが、生憎とそんな余裕は二人にはなかった。
「…………やっぱ、ダメやったか」
遠目でもわかる。わかってしまう。
二人の少女が折り重なって倒れている姿はつい数時間前にも見た光景から変わっていない。
近づくに連れて鮮明になる悲惨さに美津雄は吐き気を覚える。二人の顔はザックスが見せた穏やかなものとはまるで違う、自分の死を受け入れているとはとても言い難い驚愕に染まっていた。
「う…………っ!」
それだけであれば美津雄も耐えられたかもしれない。が、屍肉を啄むカラスの群れがより一層〝死後〟の無情さを突きつける。
綺麗だった肌は点々と貪られた痕を残し、青白く変色している為出来の悪いマネキン人形のようだった。
「────退けやッ!!」
真島の一喝にカラスの群れが一世に飛び立つ。
目隠しが外れたことにより遺体がよりハッキリと目に飛び込んできた。雪歩も千早も、もう二度と動くことはないのだということは美津雄から見ても明らかだ。
「千早も、死んでるよな……でもなんで放送で呼ばれなかったんだ……? 本当はさっきまで生きてた、とか……」
「ちゃうな。身体ももう冷えきっとる、これは死後最低でも二時間以上は経過しとるやろうな」
「じゃあなんで……!」
屈みこみ、銀髪の少女の手首に触れる真島。背後から投げられる美津雄の震え声に淡々と返しながらも思考を巡らせる。
ひょうきんに映る彼とて極道の道は長い。混乱する美津雄を差し置いてひとつの結論に至った。
「痕跡残さんために偽名を使う、ってのは俺の世界でもよくある話や。この嬢ちゃんもせやったんちゃうか?」
「な……!? じゃ、じゃあ如月千早ってやつは別にいるのかよ!?」
「十中八九そうやろなぁ。こんな状況なのに頭回るで」
「感心してる場合かよ!」
偽名。美津雄としては考えもしなかった行動だが確かにそれならば納得がいく。もしもザックスの時のように仕留め損なったとしても、あくまで如月千早が危険人物であるという噂しか広められないのだ。
この少女の本名が明かされない限りは〝如月千早〟に罪を擦り付けられる。となれば、混乱は避けられないだろう。潜伏して殺し回る人間にとっては好都合なはずだ。
問題は、
「なんでそないな嬢ちゃんが、雪歩ちゃんと一緒に殺されとるか……これが謎や」
「あ…………」
そう、千早と名乗った少女は殺されている。
本来であればここに並ぶ死体は雪歩のもの一つであったはずなのだ。しかし現場では二人が折り重なって死んでいる。
「千早……ま、仮でそう呼ぶか。千早の損傷から見ても相打ちとは考えられん。となると、この状況を作り出した第三者がいたっちゅうわけや」
「そ、それって……まだ近くにいるんじゃ…………!?」
「かもしれん。用心するに越したことはないな」
立ち上がりながら真島が周囲を見渡す。今のところ人の気配は感じられないが、これをしでかした人間はそう遠くにはいないだろう。
不安げな美津雄の肩をぽんと叩き、改めて二人の遺体と向き合う。哀愁とも感じられる表情は、普段の狂犬らしさが嘘のように鳴りを潜めていた。
「二人とも、こんな状況やなかったら元の世界で平和に暮らしとったかもしれん。……雪歩ちゃんは勿論、千早やって被害者や」
「…………!」
その言葉は、心臓に矢を受けたかのような衝撃を美津雄に与えた。
「人を殺したくて殺す奴なんかほとんどおらん。特にこの殺し合いにおいてはな。自分の家に帰りたい、死にたくない。そんな強迫観念が人を殺すんや」
独りでに語る真島は何を思うのか。
一回り以上人生経験の差がある美津雄には到底推し量れない。が、その言葉は美津雄の頭を何度も何度も反響する。
(オレは……オレは、…………人を殺したくて、殺したんだ…………)
ザックスにも、誰にも打ち明けたことがない美津雄の罪。特別な存在になりたいからと、そんな理由で諸岡という教師を殺してしまった過去。
当初はそれを栄光と考えていたが、時が経つにつれて恐怖が支配していったのを覚えている。
命の尊さを知らぬ子供の好奇心の果ては、果たして千早を責められるものなのか?
ザックスを刺した際に涙を浮かべ逃げ去った如月千早は、かつての自分と同じく私怨で人を殺そうとしたのか?
きっと、違う。
真島の言うように、如月千早はそうするしかなかったから手を染めたのだと思う。美津雄はここにきて初めてこの殺し合いが残忍さを──そして、己の醜さを強く認識した。
「ちゃんと弔ってあげたいんやけどな、もう行かなあかん。堪忍やで、雪歩ちゃん。それと……お嬢ちゃん」
合掌し、数秒黙祷を捧げる真島に倣って美津雄も目を閉じる。せめてその魂が迷わずに逝けるように。
「なぁ、真島さん」
「あん?」
「あの子、さ。誰にも名前を知られないまま、死んじまったんだよな」
黙祷を終え、リンク達の待つ市街地へ戻ろうとした際に美津雄が俯いたまま洩らす。
「そんなの、悲しいだろ」
今度は真島が驚かされる番だった。
名前を知られないまま死ぬ。それがどんなに酷なことなのか、感性がズレた真島にとっては確かに考えつかない。裏社会においては称号や偽名しか知らぬまま死ぬ者など数多におり、特段珍しくもなかった。
けれど、そんな人間にも過去があったはずだ。そうならざるを得なかった過去が。当たり前のことを思い出させてくれた美津雄へ、真島は柄にもなく感謝を覚えた。
「せやな、名前っちゅうんはその人の存在証明や」
「だったらさ、オレたちで見つけよう。あの子の本当の名前を」
「はっ、いい目しとるやないか。……夢、見つかったみたいやな」
美津雄の目はかつての色褪せたものとはまるで違う。決意に満ちたものだった。
ザックスの言っていた夢とは、彼の〝英雄になりたい〟といったような大きくて眩しいものだと思い込んでいた。けれど、きっと違う。夢に大きさなど関係ない。
夢とは、生きる意味だから。
それがたとえどんなに些細なものでも、立派な夢なんだ。
彼は言った。夢を持てば世界が楽しく見える、と。楽しく……というのはまだ難しいかもしれないけれど、なぜ自分が生き残ってしまったのかなんてもう思わなくなった。不思議と心のモヤが晴れたような気がする。
この少女の名前を知る。
それが、久保美津雄の夢だ。
誰にも文句は言わせないし、誰にも笑わせない。夢追い人が遺した光は微かに、しかし確かに輝いている。
(────そうだよな? ザックス)
答えは返ってこない。
けれどこの胸に広がる熱い想いが、美津雄の背中を押した。
最終更新:2024年11月05日 05:22