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新約聖書正典成立過程
 
◆50年~100年頃まで
この頃までに、初期に受け入れられた新約聖書の諸文書が書かれた。
 
◆90年代半ば
『第一クレメンス書簡』でパウロ文書(第一コリントス書)が引用される。
 
◆110年代初め
『ポリュカルポス書簡』では、フィリピ書、マタイ福音書、第一コリントス書、エフェソス書、第一ヨハネ書、を引用する。
 
また、牧会書簡と同じ表現が目立つのは、牧会書簡の方がポリュカルポスの真似をしたとも考えられる。だがこれを根拠に牧会書簡はこの頃までにすでに広まっていた(あるいはポリュカルポス自身がその著者だった)と考える者もいるが、パウロ書簡収集家のマルキオン(140年)が牧会書簡を含めていないのはおかしいので、やはり前者の方が説得力がある。
 
この頃はまだ正典という考えはなく、自分の書簡の中で文献を引用していただけである。
 
◆130-140年頃
『パピアスの断片』は、マルコ福音書とマタイ福音書について言及するのみで、ルカ福音書、ヨハネ福音書への言及がない。すなわち、四福音書の概念はまだ成立していなかった。また、パピアスは第一ヨハネ書簡、第一ペテロ書簡についても言及しているとエウセビオスは報告している。
 
◆140年前半
マルキオンが最初に聖書正典を作った。しかし、マルキオン派は後に異端として排除された。正統派を自負する教会が正典を作りはじめたのも、マルキオン派に対抗する必要が生じたためであった。
 
マルキオン聖書
ルカ福音書、パウロ文書(ガラティア書、第一・第二コリントス書、ローマ書、第一・第二テサロニケ書、ラオディケイア(エフェソス)書、コロサイ書、フィリピ書、フィレモン書)
 
マルキオンはルカ福音書以外認めない。またパウロ文書を収集したが、牧会書簡を含めていない。
 
ユスティノスなどマルキオンと同世代の教父たちは、旧約聖書のみを権威としておりマルキオン聖書(つまりパウロ書簡)にはまだ言及していない。ヨハネ福音書への言及もない。
 
◆180年頃
エイレナイオスは、はじめて正典について言及する。
 
四福音書、使徒行伝、パウロ十三書簡(パウロ十書簡+牧会書簡)
 
公同書簡は微妙だが、第一ペテロ書と第一ヨハネ書のみ受け入れていた。
 
この時点で、第二ペテロ書、第二・三ヨハネ書、ヤコブ書、ヘブライ書、ユダ書、ヨハネ黙示録は正典に含まれていない。福音書を四つに定めたのはエイレナイオスが最初。
 
◆2c末~3c初め
ギリシャ語教会→アレクサンドリアのクレメンスは正典を限定する考えは持っていなかった。
 
ラテン語教会→テルトゥリアヌス(アフリカ)は、エイレナイオスの正典に「ヨハネ黙示録」を追加した。
 
ローマ教会→ムラトリ正典目録
 
ムラトリ正典目録が正典として受け入れたのは、
<四福音書、使徒行伝、パウロ十三書簡、第一・二ヨハネ、ユダ書、ヨハネ黙示録、ソロモンの知恵>
異論のあるものとして、
<ペテロ黙示録>
正典ではないが読まれるべきものとして、
<ヘルマスの牧者>
を挙げている。
 
ムラトリ正典目録の正典の基準は、「使徒性」「公同性」「統一性」である。
 
正典にソロモンの知恵、ペテロ黙示録などを入れている。第三ヨハネ書、第一・第二ペテロ書、ヤコブ書、ヘブライ書、ユダ書は正典に含まれていない。
 
◆2c末頃~
「新約」という言葉が普及しはじめる。
 
◆210年~250年頃
ギリシャ語教会→オリゲネスは、正典を三つのグループに分ける。
 
第一グループ(認められるもの):<四福音書、パウロ十三書簡、使徒行伝、第一ペテロ書、第一ヨハネ書、ヨハネ黙示録>
 
第二グループ(反対意見のあるもの):<ヘブライ書簡、第二ペテロ書、第二・三ヨハネ書、ヤコブ書、ユダ書、バルナバ書、ヘルマスの牧者>
 
第三グループ(認められないもの):<エジプト人福音書、トマス福音書など>
 
バルナバ書やヘルマスの牧者は正典に含めるか議論されていた。公同書簡の多くは未だ反対意見もあった。以後、四福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順番になった。
 
◆4c初め
正典(カノン)の概念が普及しはじめる。
 
◆4c前半
エウセビオス
 
第一グループ:<四福音書、使徒行伝、パウロ十三書簡、公同書簡(第一ペテロ書、第一ヨハネ書)>
第二グループ:
(嫡子)ヤコブ書、ユダ書、第二ペテロ書、第二・第三ヨハネ書
(庶子)パウロ行伝、ヘルマスの牧者、ペテロ黙示録、バルナバ書、十二使徒の教え(ディダケー)、ヨハネ黙示録、ヘブライ書
第三グループ:ペテロ福音書、トマス福音書など
 
ヨハネ黙示録、ヘブライ書、ヤコブ書、ユダ書、第二ペテロ書、第二・第三ヨハネ書にはまだ反対意見があった。
 
◆4c後半~
ビブリア(聖書)という言葉が普及しはじめる。
 
◆367年
アタナシウス、現在の新約聖書正典(27冊)を主張。
 
◆397年
第三回カルタゴ教会会議にて新約聖書正典が確立。
 
◆405年頃
ヒエロニムス、ウルガタ聖書(ラテン語)を翻訳。カトリック教会で正式に採用されたのは1546年。
 
◆16世紀
マルティン・ルター
ヤコブ書、ユダ書、ヘブライ書、ヨハネ黙示録に関して再議論を持ち出す。結果的に排除には至らなかった。
また、旧約聖書に関しては、ルターはカトリックが受け入れてきた七十人訳聖書の第二正典を排除し、ユダヤ教のヤムニア会議(90年代)で正典に確定したマソラ本文のみを受け入れた。
最終更新:2016年09月02日 01:53