教父とその著作

▼教父の分類

  • 使徒教父・・・イエスの使徒から教えを受けた人々
  • 護教教父(弁証家・護教家)・・・キリスト教の非難に対して擁護した教父や学者
  • ラテン教父・・・著述がラテン語
  • ギリシア教父・・・著述がギリシア語

▼使徒教父文書

  • 『第一クレメンスの手紙』ローマのクレメンス  96年頃
  • 『第二クレメンスの手紙』偽書 150年頃
  • 『イグナティオスの手紙』アンティオキアのイグナティオス 115年頃
  • 『主の言葉の解釈(パピアス断片)』ヒエラポリスのパピアス 130-140年頃
  • 『バルナバの手紙』著者不明(バルナバ) 140年以前
  • 『ヘルマスの牧者(牧者)』ローマ人信徒(ヘルマス) 140/50年頃
  • 『十二使徒の教訓(ディダケー)』著者不明(シリアで成立) 150年頃
  • 『ポリュカルポスの手紙』スミルナのポリュカルポス 155年頃
  • 『ポリュカルポスの殉教』ポリュカルポスの弟子 155年頃
  • 『ディオグネトスへの手紙』著者不明 2c末~3c始め

▼護教教父(弁証家・護教家)

※東方弁証家
■クアドラトゥス(Quadratus/Κοδράτος 123/24または29年活動)
■アテネのアリスティデス(Aristeides 117/129‐181以後)
■ユスティノス(Ioustinos 100頃-165年頃)
■アテネのアテナゴラス(Athenagoras/Αθηναγόρας ο Αθηναίος 133頃-190年)
■ペラのアリストン(Ariston 140年頃活動)
■ヒエラポリスのアポリナリス(Apollinaris 在位161/80年頃)
■ミルティアデス(Miltiades 161/80年頃活動)
■タティアノス(Tatianos 165年以降頃活動)
■アンティオキアのテオフィロス(Theophilos 在位169-181/88年没)
■サルディスのメリト(メリトン)(Meliton 190年頃没)

※西方弁証家
■テルトゥリアヌス(Tertullianus 160-222)
■ミヌキウス・フェリクス(Marcus Minucius Felix 160頃-250頃)
■ラクタンティウス(Lucius Caecilius Firmianus Lactantius 250-317年)

▼非信者の証言

フィロン/Philon Alexandrinus(前30-後40年)
アレクサンドリアのプラトン学派のユダヤ人哲学者。旧約聖書(七十人訳)を研究し、旧約聖書をプラトン哲学的と調和的に解釈した。彼のロゴス論は初期キリスト教思想に影響を与えたとされる。

  • 『ガイウスへの使節』
  • 『フラックスへの反論』
  • 『観想的生活』
  • 『自由論』
  • 『世界の創造』

フラウィウス・ヨセフス/Flavius Josephus(37-100頃)
ユダヤ人の政治家及び歴史家。

  • 『ユダヤ戦記』(De bello Iudaico oder Bellum Iudaicum)80年頃
全3巻。マカバイ戦争からの歴史的経緯。ユダヤ戦争の詳細。
  • 『ユダヤ古代誌』(Antiquitates Judaicae)94年頃
全9巻。天地創造から始まるイスラエル民族の歴史。
  • 『アピオーンへの反論』(Contra Apionem) 94年頃
ユダヤ教についての護教的著作。
  • 『自伝』(Ἰωσήπου βίος)96年頃
ヨセフスの自己弁護の色が濃い自伝。

プリニウス/Gaius Plinius Caecilius Secundus(61-113年)
ビチニアの総督。正式名称はガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス。小プリニウスと呼ばれる。

  • 『トラヤヌス帝と小プリニウスの往復書簡』 112年
この書簡の中で、ビチニアの総督プリニウスがトラヤヌス帝に宛ててクリスチャンの扱いについて尋ねている箇所がある。①キリスト教は「伝染病」のように広まっている。②信者は定期的に集会を開いていた。③逮捕されたクリスチャンは、皇帝の彫像に香を焚き、葡萄酒をもって礼拝をささげ、キリストを否定することで許された。④脅しても頑な者は処刑したが、キリスト教徒であることを否定する者は釈放した。⑤キリスト教徒をあえて探し出すようなことはしないが、もし告発された者がいたら捕らえて尋問し、棄教を強要する。

コルネリウス・タキトゥス/Cornelius Tacitus(55頃-120頃)
ローマの歴史家。

  • 『年代記』(Annales) 115年頃
全18巻。ティベリウス帝即位(14年)からネロ帝の自殺(68年)までを扱った歴史書(14年-68年)。

スエトニウス/Gaius Suetonius Tranquillus(70頃-140頃)
ローマの政治家・歴史家。

  • 『皇帝伝』(De vita Caesarum)121年
ユリウス・カエサル~ドミティアヌスまでの歴史を扱う。

ケルソス/Celsus/Κέλσος(2世紀)
2世紀のローマの哲学者。

  • 『真正な教え(真理の言葉)』(Alethes logos) 178年
…キリスト教への哲学的な批判。オリゲネスは『ケルソス駁論』(246-248年)により反論した。


▼二世紀

ローマのクレメンス/Clemens Romanus/Κλήμης Ῥώμης(30-97年)
ローマ教会の3代目司教。

  • 『第一クレメンスの手紙』(Κλήμεντος πρὸς Κορινθίους)96年頃
コリント教会へ、教会の分裂を避けるよう勧告する。

アンティオキアのイグナティオス/ Ignatios/Ἰγνάτιος Ἀντιοχείας(35年頃-110年頃)
アンティオキアの第二代目の司教。トラヤヌス帝下の迫害時、ローマに護送されて、野獣と闘う刑に処せられ殉教した。ローマに赴く途中、各地の教会の人々に会うことができた。小アジアのスミルナから、エフェソス、マグネシア、トラレス、ローマの教会に宛てて手紙を書いた。さらにトロアスから、フィラデルフィア、スミルナの教会へ、またスミルナの司教ポリュカルポスに宛てて手紙を書いた。合計七書簡。

  • 『イグナティオスの手紙』 110年頃
エフェソス教会、マグネシア教会、トラレス教会、ローマ教会、フィラデルフィア教会、スミルナ教会、ポリュカルポスへの七書簡。一人の司教の下に、複数の長老団(司祭団)と執事(助祭)たちを置く、公同(カトリック)の教会運営を説く。

ヘゲシッポス(ヘゲシップス)/Hegesippus/Ἅγιος Ἡγήσιππος(110-180年)
ユダヤ人キリスト教徒の教会史家。

  • 『ヒュポムネマタ』(覚書)/Hypomnemata (Ὑπομνήματα)

アテネのアリスティデス/Aristeides/Ἀριστείδης Μαρκιανός (117/129‐181以後)
ローマ帝政期ギリシアの文人、弁論家。

  • 『弁証論(アポロギア)』(Apology)
アントニウス・ピウス帝に献じた書物。異教やユダヤ教の信仰を批判し、キリスト教の真理を弁証し、キリスト教的な生活の美しさを主張する。

クアドラトゥス/Quadratus/Κοδράτος (123/24または29年活動)
ギリシアの神学者。聖人。ギリシア系最古のキリスト教護教家。

  • 『クラドラトゥスの断片(ハドリアヌス帝宛の文書)』 124年頃
ハドリアヌス帝に護教書を書き送った。

ヒエラポリスのパピアス/Papias/Παπίας(60-135年)
ヒエラポリス教会の司教。

  • 『主の言葉の解釈(パピアス断片)』(Syngramata exegeseos) 130年頃

ポリュカルポス/Polycarpus/Πολύκαρπος(69頃-155頃)
スミルナ教会の司教、使徒ヨハネの弟子、主の目撃者でもある。殉教者。アンティオキアのイグナティオスと交流があった。

  • 『ポリュカルポスの手紙』 155頃
フィリピ教会宛の手紙。
  • 『ポリュカルポスの殉教』 155頃
ポルカリュポスがローマで殉教してまもなく弟子たちによって書かれた。

『バルナバの手紙』 (Epistula Barnabae)140年以前
著者不明。古代においては、パウロの同行者のバルナバと見なされてきた。前半は、旧約聖書を引用しながらユダヤ教を批判し、キリスト教信仰を擁護する。後半は、光の道と闇の道という二つの道の理論に拠りながら、道徳的・勧告的論述を展開する。

『ヘルマスの牧者』(Pastor Hermae) 140/50年頃
原題『牧者』。ローマ人の一信徒により書かれた。黙示的形式(五つの幻、十二の戒め、十の例えの三部構成)を取り、洗礼を受けた後の罪の赦しの問題を扱い、洗礼後のもう一度の悔い改めを説く。また、養子説的なキリスト論を展開し、キリストはミカエルと同等に描かれる。エイレナイオス、アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネスは本書を正典的に扱うが、ムラトリ断片、アタナシオスはこれを排除する。

『十二使徒の教訓』 (Doctrina duodecimapostolorum)150年頃
…正式な表題は『十二使徒を通じて諸国の民に伝えられた主の教え』。短くして『ディダケー(Didache)』とも呼ばれる。著者は不明。恐らくシリアで成立。

『第二クレメンスの手紙』 150頃
偽書。

ペラのアリストン(Ariston 140年頃活動)
ペラ出身の弁証家。

  • 『パピスコスとヤソンの対話』(Disputatio Iasonis et Papisci)140-180頃
キリスト者のヤソンが、メシアの予言がキリスト教によって成就したと、ユダヤ教徒のパピスコスを改宗させる物語。

ユスティノス/Ioustinos(100頃-165年頃6月1日)
100年頃、パレスティナ(サマリアのフラウィア・ネアポリス)出身。非ユダヤ教徒。ストア学派、ペリパトス学派、ピュタゴラス学派を遍歴後、プラトン学派に落ち着く。その後、エフェソスにてキリスト教に回心する。150年頃、ローマに在住し、キリスト教的哲学学校を開設。キュニコス学派のクレメンスとの争いに巻き込まれ、165年頃、六人の同志と共に殉教する。彼は、ローマ帝国やユダヤ教徒からキリスト教を弁護し、ロゴス論において哲学との融合も試みた。彼自身の神観は従属説的であった。

  • 『第一弁明』(Apologia prima) 150-155年頃
…アントニヌス・ピウス帝宛て。国家に対してキリスト教を弁護。キリスト教にかけられたあらゆる嫌疑・中傷・誤解を解くことを目的とした。またロゴス論により、キリスト教と哲学の調和を目指した。
  • 『第二弁明』(Apologia secunda) 150-155年頃
…ローマの元老院宛て。第一弁明の付録だったか、別個の文書だったか意見が分かれる。
  • 『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(Dialogus cum Tryphone Judaeo) 150-160年頃
…七十人訳に精通したトリュフォン(ユダヤ教徒)からのキリスト教批判に答える。

タティアノス/Tatianos(120-173頃)
シリアの護教家、ユスティノスの弟子。後に背教し、172年頃、エンクラティス(禁欲者)教団の異端を形成。結婚否定し、アダムの救いを否認した。聖餐をワインでなく水を使用など。彼から出たセウェルス派は、旧約聖書や福音書を受け入れるが、パウロ書簡や使徒行伝を受け入れなかった。

  • 『ギリシア人への言葉』(Oratio ad Graecos) 152-153年頃
モーセや旧約の預言者は、ギリシア人より古く優れていることを説いた。
  • 『ディア・テッサロン』(四つを介して)
四福音書を合成して、ヨハネ福音書の年代を用いて、新たに作られた福音書。


アテネのアテナゴラス/Athenagoras/Αθηναγόρας ο Αθηναίος(133頃-190年)
護教家。三位の区別と神の唯一性を主張し、三位一体論を基礎づけた。

  • 『キリスト者のための弁護(キリスト教徒のための請願書)』(Πρεσβεία περί των Χριστιανών) 177年頃
マルクス・アウレリウス帝とコンモドゥス帝に宛てた書簡。キリスト教に対する三つの誤解と誹謗(無神論、人肉嗜食、近親相姦)への反論。
  • 『死者の復活について』(Περί αναστάσεως νεκρών)

ヒエラポリスのアポリナリス(Apollinaris 在位161/80年頃)
ヒエラポリス司教。

  • 『ギリシア人への駁論』五巻
  • 『真理について』一・二巻
  • 『ユダヤ人への駁論』一・二巻

アンティオキアのテオフィロス/Theophilos(181/88年没、在位169-没年)
シリアのアンティオキア教会の第六代司教。

  • 『アウトリュコスに送る』(Ad Autolycum、三巻) 180年頃
…異教徒アウトリュコスのキリスト教への疑問・批判・誤解・異議申し立てに答え、キリスト教を弁護する。
  • 『ヘルモゲネス異端論駁』(散逸)
  • 『マルキオン駁論』(散逸)
  • 『教理問答書』(散逸)

サルディスのメリト(メリトン)(Meliton 190年頃没)
サルディス司教。

  • 『抜粋』
旧約聖書の正典目録を記している。
一 モーセの五書-『創世』(創世記)『脱出』(出エジプト記)『数』(民数記)『レビ人の』(レビ記)『第二の律法』(申命記)
一 『ヌンの子ヨシュア』(ヨシュア記)、『審判者』(士師記)、『ルツ』(ルツ記)
一 『王国の』の四書(サムエル記上下・列王記上下)、『省略されたもの』の二書(歴代志上下)
一 『ダビデの讃歌』(詩編)
一 『ソロモンの格言』(箴言)、『(ソロモンの)知恵』、『集会を司る者』(伝道の書)、『歌の中の歌』(雅歌)
一 『ヨブ』(ヨブ記)
一 預言者たち-『イザヤ』『エレミヤ』『十二』(十二の小預言書)『ダニエル』『エゼキエル』
一 『エズラ』(エズラ記)

  • 『過越(パスカ)について』二巻
  • 『(キリスト教徒の)生き方と預言者たちについて』
  • 『教会について』
  • 『主日について』
  • 『人間の信仰について』
  • 『創造について』
  • 『信仰と服従について』
  • 『五感(について)』
  • 『霊と身体について』
  • 『洗礼について』
  • 『真理について』
  • 『信仰について』
  • 『キリストの誕生(について)』
  • 『預言(について)』
  • 『歓待について』
  • 『鍵』
  • 『悪魔とヨハネの黙示録について』
  • 『受肉した神について』
  • 『アントニヌス(帝)へ』


『ディオグネトスへの手紙』(Epistula ad Diognetum)(2世紀末~3世紀始め)
著者不明。偶像崇拝をするギリシア人などの異教やユダヤ教と比較して、キリスト教の優れているところを指摘する。唯一の写本が、1436年にコンスタンティノープルの魚屋で包装紙に使われていた写本のうちに発見された。

リヨンのエイレナイオス/Eirenaios(130/40頃-200年頃)
小アジアのスミルナ出身、後にガリアへ行きリヨンの司教となる。後にローマの司教となる(177/78年)。

  • 『異端反駁』(Adversus haereses 全五巻) 180-185年
グノーシス主義の異端への反論。
  • 『使徒たちの使信の説明』(Demonstratio praedicationis apostolicae)
…グノーシス主義の思想に対し、新約諸文書の多様な思想をルカ的な救済史の視点から自分なりに統合し、教会の信仰を正しいものとして証明しようとする。

アレクサンドリアのクレメンス/Titus Flavius Clemens(150頃-215年以前)
アテネに出身。若くして学問を志し、多くの地を遍歴後、アレクサンドリアに居を定める。この地でディダスカレイオン(キリスト教を教える私塾)を開いていたパンタイノスの助手となり、後に後を継いで主催者となった。その後、202年に始まるセプティミウス・セウェルス帝の迫害を避けて小アジアのカイサリアへ逃れた。彼の著作は博学で、聖書だけでなくあらゆる学術的著作から引用している。また、プラトン哲学とキリスト教を調和させて神学を構築している。

  • 『ギリシア人への勧告』(Protrepticus) 190頃
  • 『教育者』(Paedagogus、全三巻) 190-195年
  • 『ストロマテイス』(Stromata、全八巻) 190-210年
…原題『真なる哲学による覚知にもとづいた覚書』。律法がヘブライ人を導いたように、哲学はギリシア人をキリストに導いたとする。
  • 『救われる富者は誰か』(Quis dives salvetur) 190-210年
…『マルコ福音書』10章17-31節の註解の形式を取り、裕福な者が文字通り自分の財産を貧しい人に施すことを戒める。
  • 『預言書抜粋註』(Eclogae propheticae)
  • 『ヒュポテュポーセイス』(Hypotyposes、全十二巻)
…聖書註解書。現存しない。

その他の著作:
「素描」「過越について」「教会法、すなわちユダヤ主義者への反論」「断食と躓きに関する考察」「忍耐の勧め、すなわち新たに洗礼を受けた者への勧告」「預言者アモスについて」「摂理について」

ミヌキウス・フェリクス/Marcus Minucius Felix (160頃-250頃)
ローマの法律家、ラテン護教家。

  • 『オクタウィウス』(Octavius)197年
イエスの名を出すことなく,摂理とキリスト教を論じたラテン語の対話篇。クリスチャンは血を食べないという証言が載せられている。

▼三世紀

ローマのヒッポリュトス/Hippolytos(170年以前-235年)
セウェルス帝の迫害をきっかけに文書を発表し始める。ギリシア語で書いた最後の西方教父。

  • 『キリストと反キリストについて』(De Chiristo et Antichristo) 200年頃
  • 『ノエトス駁論』(Contra Noetum)
スミルナ(あるいはエフェソス)の司教ノエトスの「父受難説(キリスト=父なる神)」に対する反論。
  • 『聖ヒッポリュトスの使徒伝承』(Traditio apostolica)

『霊的賜物に関する使徒伝承』
『年代記』 235年以後
『ギリシア人への反論とプラトン駁論もしくは万物の存在について』
『神と肉体の復活について』
『全異端駁論』(Refutatio omnium haeresium) 235年以後
『ダニエル書註解』(Commentarii in Danielem)
『創世記註解』(In Genesim)
『イサクとヤコブの祝福』(Benedictiones Isaac et Jacob)
『モーセの祝福』(Benedictiones Moysis)
『バラムの祝福』(In Numeros)
『士師記註解』(In Judicum)
『ルツ記註解』(In Ruth)
『ダビデとゴリアテ』(De David et Goliath)
『詩編註解』(In Psalmos)
『箴言註解』(Commentarii in Proverbia)
『コヘレトの言葉註解』(In Ecclesiasten)
『雅歌註解』(Interpretatio Cantici Canticorum)
『エゼキエル書註解』(In Ezechielem)
『マタイ福音書二四章一五-三四節註解』(In Matthaeum)
『黙示録について』(De Apocalypsi)
『復活について』(De resurectione ad Mammaeam imperatricem) 222-235年
『過越について』(Demonstratio temporum Paschatis)
『全異端反駁概要』(Syntagma contra omnes haereses)240-45年以降


グレゴリウス・タウマトゥルゴス/Gregorios Thaumatourgos(213頃-270/75年)
黒海沿岸のポントス地方出身。14歳で受洗。弟と共にカイサリアでオリゲネスの下で5年学ぶ。故郷に帰って、ネオカイサレアの司教となる。四世紀のカッパドキアの教父たちは、彼をカッパドキア教会の創設者として敬意を表している。タウマトゥルゴスは「奇跡を行う人」の意味。

  • 『オリゲネスへの謝辞』(In Origenem oratio panegyrica)
  • 『信仰告白』(Confessio fidei)
  • 『教令書簡』(Epistula canonica)
  • 『コヘレトの言葉詳訳』(Metaphrasis in Ecclesiasten)
  • 『テオポンポスへー神における受苦と不受苦について』(Ad Theopompum de passibili et impassibili in Deo)

テルトゥリアヌス/Quintus Septimius Florens Tertullianus(160-222)
カルタゴ出身、ラテン教父。207頃からモンタノス派になり、テルトゥリアヌス派を形成。三位一体論の最初の理論家で、「不条理なるが故に我信ず」という言葉が有名。

  • 『護教論(アポロゲティクス)』(Apologeticum)197年
  • 『魂の証言について』(De testimonio animae)
  • 『諸国民へ』(Ad nationes)
  • 『スカプラに宛てて』(Ad Scapulam)200年

  • 『異端者への抗弁について』(De praescriptione haereticorum)
  • 『ヘルモゲネス駁論』(Adversus Hermogenem)
  • 『マルキオン駁論』全五巻(Adversus Marcionem) 207-212年
  • 『ウァレンティノス派駁論』(Adversus Valentinianos) 207/8年
  • 『プラクセアス駁論』(Adversus Praxean)
  • 『ユダヤ教徒駁論』(Adversus Judaeos)

  • 『魂について』(De anima)
  • 『肉の復活について』(De resurrectione carnis)
  • 『洗礼について』(De baptismo)
  • 『キリストの肉について』(De carne Christi)

  • 『殉教者たちへ』(Ad martyras)197,202/3
  • 『妻へ』(Ad uxorem)
  • 『結婚の一回性(一夫一妻制)について』(De monogamia)
  • 『祈りについて』(De oratione)
  • 『悔い改めについて』(De paenitentia)
  • 『処女のヴェールについて』(De virginibus velandis)
  • 『兵士の花冠について』(De corona)211年
  • 『外套について』(De pallio)
  • 『女性の服装について』(De cultu feminarum)
  • 『忍耐について』(De patientia)
  • 『貞潔の勧めについて』(De exhortatione castitatis)
  • 『迫害下の逃亡について』(De fuga in persecutione)212/13
  • 『蝮の独の解毒剤』(Scorpiace)
  • 『偶像礼拝について』(De idololatria)
  • 『見世物について』(De spectaculis)200/06
  • 『断食について―カトリック教徒に反対する』(De ieiunio adversus psychicos)212,13年
  • 『慎みについて』(De puditicia)217/18年

オリゲネス/Origenes Adamantius(185頃-253/54年)
アレクサンドリア出身。教理学校設立。司教に追放されカイサレアで教理学校を開く。デキウス帝の迫害で牢死。

  • 『諸原理について』 220-30年
  • 『ケルソス駁論』 246-248年

  • 六欄対訳聖書『ヘクサプラ』 218年着手
①ヘブライ語、②ヘブライ語の発音表記、③アキュラ訳、④シュンマコス訳、⑤セプトゥアギンタ(七十人訳)、⑥テオドティオン訳の六欄対照聖書のこと。

聖書注解:『詩篇注解』『哀歌注解』『雅歌注解』『ヨハネ福音書注解』『マタイ福音書注解』『ローマ書注解』など
聖書講和:『エレミア書講話』『エゼキエル書講話』『イザヤ書講話』『ルカ福音書講話』『創世記講話』『出エジプト記講話』『レビ記講話』『民数記講話』『ヨシュア記講話』『士師記講話』『サムエル記講話』『詩篇三六~三八講話』など

ノウァティアヌス/Novatianus(在位251-258年)
ラテン教父、対立教皇。デキウス帝の迫害(249-250年)の際の棄教者の教会復帰を認めるか否かの問題で、ノウァトスは非妥協の厳格主義の立場を取った。

  • 『三位一体論』(De Trinitate)
  • 『ユダヤ人の食物について』(Epistola 'De Cibis Judaicis')
  • 『見せ物について』
  • 『貞潔について』(De bono pudicitiae)
  • 『キプリアヌスへの手紙』(Epistola ad Cyprianum Papam)

キプリアヌス/Thascius Caecilius Cyprianus/Κυπριανός Καρχηδόνος (200頃-258年)
カルタゴ司教(249年-258年)。ラテン教父。背教者を教会に受け入れるかどうかで、最初キプリアヌスは厳しい態度でこれに臨んだものの、その態度をのちに軟化させ、適当な改悛ののちに教会に復帰することを許した。このことでノヴァティアヌスやローマ教皇ステファヌス1世と論争する。

  • 『ドナトゥスに送る』(Ad Donatum) 246年
  • 『処女の身だしなみについて』(De habitu virginium) 249年
  • 『背教者について』 251年
  • 『カトリック教会の一致について』(De Catholicae Ecclesiae Unitate) 251年
「教会の外に救いなし」との文言が有名。
  • 『主の祈りについて』(De Dominica oratione) 251-252年
  • 『デメトリアタスに送る』(Ad Demetrianum) 252年
  • 『死を免れないことについて』(De mortalitate) 252年
  • 『善行と施しについて』(De opere et eleemosynis) 252-53年
  • 『嫉妬とねたみについて』(De zelo et livore) 256/57年
  • 『フォルトゥナトゥスに送る』(Ad Fortunatum) 250-51年
  • 『クイリヌスに送る』(Ad Quininum) 249以前
  • 『偶像は神々ではないこと』(Quod idola dii non sint)

▼四世紀

オリュンポスのメトディオス(パタラのメトディオス)/Metodio di Olimpo/Μεθόδιος Πατάρων)(?-311年頃)
小アジアのパタラもしくはオリンポスの司教。ガレリウス帝の迫害で、311年頃、ギリシアのカルキスで殉教。

  • 『復活論』
生前の身体と復活した身体は同一であると説く。
  • 『自由意志論』
グノーシス主義の決定論に反論。
  • 『シュンポシオン(饗宴)あるいは純潔性について』
処女の純潔性を称える。

ラクタンティウス/Lucius Caecilius Firmianus Lactantius(250-317年)
北アフリカ出身の護教家。聖書よりもキケロ、ルクリティウス、セネカの引用が多い。

  • 『神の業について』(De Opificio Dei)303/304年
  • 『神聖教理』(全七巻、Divinae Institutiones) 303-311年
  • 『神の怒りについて』(De Ira Dei)
  • 『迫害者の死について』(De Mortibus Persecutorum)

アレイオス(アリウス)/Areios(256頃-336年)
リビュアに生まれ、アンティオキアでルキアノスの下で学んだ後、アレクサンドリアで司祭となるが、自らの教説(御子は御父の被造物である)に嫌疑をかけられ、アレクサンドロス司教により追放の身となる。東方教会の司教たちや、ニコメディアのエウセビオス、カイサリアのエウセビオスなどを味方に付けるも、ニカイア公会議(325年)で皇帝により追放される。後にエウセビオスの援護により復権が宣言されるも、急死する。

アレイオス書簡集
  • 『ニコメディアのエウセビオスへの手紙』(Epistula ad Eusebium Nicomediensem) 318年頃
…アレクサンドリアで追放の身となった後、ニコメディアのエウセビオスへ救援を求めて書き送った手紙。
  • 『アレクサンドレイアのアレクサンドロスへの手紙』(Epistula ad Alexandrum Alexandrinum) 320年頃
…ビテュニアの教会会議でアレイオス派の教説の正統性が認められ、アレイオスとその同胞はアレクサンドリア司教に復権を求めて書き送った。
  • 『コンスタンティヌス帝への手紙』(Epistula ad Constantinum) 327/334年頃
…コンスタンティヌス帝は、ニカイア公会議にて追放となったアレイオスを皇帝を召喚し、アレイオスにニカイア信条に抵触しない信仰告白を書かせることで、彼を復権させようとした。
  • 『宴』(Thaleia)
…アタナシオスの諸著に引用されている断片のみが現存。


アレクサンドリアのアレクサンドロス/Alexandoros(?-328年4月17日)
312-328年にかけてアレクサンドリアの司教を務めた。メレティオス派やアレイオス派を追放する。アレイオス派の論争はニカイア公会議にまで発展する。

  • 『すべての司教への手紙』(Epistula encyclica)319年頃
…319年アレクサンドロスは教会会議を開き、アレイオスとその仲間を追放した。その際、各地の司教へアレイオスを拒み、ニコメディアのエウセビオスの介入に応じないよう要請する手紙を書き送った。
  • 『テサロニケのアレクサンドロスへの手紙』(Epistula ad Alexandrum Thessalonicensem) 324年頃
  • 『ローマのシルウェステルへの手紙』(Epistula festalis ad Silvestrum papam)324年頃
…ゲオルギオスという司祭を破門したことが述べられている。彼はアンティオキアに逃げ、後にラオデキアの司教となる(335年)。
  • 『魂と体、および主の受難について』(Homilia de anima et corpore deque passione Dimini)
…シリア語とコプト語の翻訳で現存する教説。


カイサリアのエウセビオス/Eusebios(263/65頃-339/40年5月30日)
カイサリア出身、パンフィロスに師事、オリゲネス神学を学ぶ。後にカイサリア司教となる(313年)。アレイオスを擁護。

  • 『教会史』(Historia ecclesiastica)(全十巻) 320年
…キリスト時代からコンスタンティヌス帝の勝利までの歴史を詳述。
  • 『年代記』(Chronicon)
…世界の歴史と旧約・新約聖書から303年までの教会の歴史を対比。
  • 『パレスティナの殉教者列伝』(De martyribus Palestinae)
  • 『福音の準備』(Preparatio evangelica 十五巻)
…異教の多神論を論駁。キリスト教を準備したユダヤ教の優位を論証する。
  • 『福音の論証』(Demonstratio evangelica 二十巻,一巻-十巻と十五巻の断片が現存) ~318年迄
…異教徒およびユダヤ教徒のキリスト教非難に応える。
  • 『神の顕現』(Theophania 五巻)
…言(ロゴス)の受肉における神の顕現を論ずる。
  • 『教区の信徒への手紙』(Epistula ad ecclesiam Caesariensem) 325年
…ニカイア公会議出席中に、自分の教区へ自らの信仰告白を書き送った手紙。オリゲネス的な従属説の立場から、父と子の「同質(ホモウーシオス)」という表現を採用することを批判。
  • 『詩編註解』(Commentarius Psalmos)
  • 『イザヤ書註解』(Commentarius in Isaiam)
  • 『マルケロス論駁』(Contra Marcellum)
…337年コンスタンティノポリス教会会議で、ホモウーシオス(同質)派のアンキュラのマルケロスを罷免した。彼を反駁する意図で成立した書。
  • 『教会の神学』(De ecclesiastica theologia)
…『マルケロス論駁』と同じ意図で成立した教理的著作。
  • 『コンスタンティヌス頌詞』(De laudibus Constantini) 335年
…コンスタンティヌス帝在位30周年(335年)に、それを記念して同帝を讃える演説をした。その一部を収録したもの。
  • 『コンスタンティヌス伝』(De vita Constantini) 337年
…コンスタンティヌス帝の死(337年)を契機に記した伝記。彼を「全能の神の友」「新しいモーセ」と称賛する。


マリウス・ウィクトリヌス(281/91-386?)
355年頃に洗礼を受けてからは、新プラトン主義の概念を使って、三位一体論の概念的な基礎づけを展開した。父なる神は存在すること、子は行動することであり、一者たる存在から子が発出する。そして霊は子から父に戻る動きである。

  • 『アレウス駁論』
  • 『賛歌』
三位一体を祈りとして語った。


アレクサンドリアのアタナシオス/Athanasios(295年頃-373年5月2日)
アレクサンドリア司教、「キリスト教正統信仰の父」と呼ばれる。アレイオス派と闘い、生涯5回も追放される。

  • 『アレイオス派駁論』(Orationes contra Arianos)
…アレイオスの教説の要約。ニカイア信条の擁護(御父と御子は同質(ホモウーシオス))。
  • 『アレイオス派への弁明』(Apologia contra Arianos)
…数々の教会会議の決定や手紙が収録されている。アレイオス派論争の史的資料として重要。
  • 『アレイオス派史』(Histria Arianorum)

  • 『アントニオス伝』(Vita Antonii) 357年頃
…アントニオスの生涯を通して、隠修士たちの生き方と理想を具体的に示す。
  • 『異教徒駁論』(Contra gentes) 318年以前(?)/又は335-37年
…同書は本来『言の受肉』と共に一つの作品であった。異教の神話、宗教行為、信心を論駁する。
  • 『言(ロゴス)の受肉』(De incarnatione Verbi) 318年以前(?)/又は335-37年
…受肉を通さずには、人類の堕落からの癒しも、元来の創造時への更新もないことを論じる。


エルサレムのキュリロス/Kyrillos/Κύριλλος Α΄ Ἱεροσολύμων(313頃-386年)
エルサレム主教

  • 『洗礼志願者のための秘義教話』(Catecheses mystagogicae)

ディデュモス/Didymos(313頃-398頃)
アレクサンドリア出身、盲目の神学者

  • 『聖霊論』

ポワティエのヒラリウス/Hilarius Pictaviensis(315-367年)
ポワティエ司教

  • 『三位一体論』・・・西方初の組織的教義書
  • 『マタイ福音書注解』・・・西方初の聖書注解書
  • 『賛歌』・・・西方初の詩歌形式の神学書
  • 『教会会議について』・・・西方初の東方教会の論争をラテン語で紹介

ナジアンゾスのグレゴリオス/Gregorius Nazianzenus/Γρηγόριος Ναζιανζηνός(329-389年)
(378年~)コンスタンティノポリス大主教、カッパドキア三教父の一人

  • 『神学講和』
  • 『クレドニオスへの第一の手紙』

カイサリアのバシレイオス/Basilius Caesariensis/Βασίλειος Καισαρείας(330頃-379年)
(370年~)カイサリア司教、大バシレイオス、カッパドキア三教父の一人

  • 『修道士大規定』
  • 『聖霊論』
  • 『ヘクサエメロン(創造の六日間)』(Εξαήμερος Δημιουργία) 370頃

ニュッサのグレゴリオス/Γρηγόριος Νύσσης(335頃-394年)
カッパドキア三教父の一人

  • 『雅歌講話』
  • 『人間創造論』
  • 『教理大講話』
  • 『モーセの生涯』

アンブロシウス/Ambrosius(339-397年)
イタリアのメディオラヌム司教、四大教会博士

聖書注解:「ルカ」以外すべて旧約の注解。「文字通りの意味」「道徳的意味」「神秘的意味」に区別した。
修得的著作:『教役者の職務について』『処女たちについて』
教理的著作:『信仰論』『聖霊論』『秘跡論』『秘蹟についての講和』
説教、書簡:『受肉の秘儀』『ナボトの物語』など

ヨハネス・クリュソストモス/Ἰωάννης ὁ Χρυσόστομος(344/49-407年)
コンスタンティノポリス総主教、金口イオアン

  • 『聖職』
  • 『神の把握しがたさについて』

ヒエロニムス/Eusebius Sophronius Hieronymus(347頃-420年)
ヘブライ語修得し、オリゲネス『ヘクサプラ』を使い、旧約聖書ラテン語訳を完成した。

  • 『ウルガタ訳聖書』(382→405頃)
  • 『最初の隠修士パウルスの生』

ペラギウス/Pelagius(354-420年)
ペラギウス主義として異端とされた(人は自由意志の行使によって功徳を積むことによって救いに至れる、贖罪論否定、幼児洗礼否定)。ブリタニア出身の修道士、アウグスティヌスと対立。

  • 『パウロ書簡注解』
  • 『デメトリウスへの手紙』
  • 『神の法について』
  • 『キリスト教徒の生活について』
  • 『クラウディアへの手紙ー純潔について』

ヒッポのアウグスティヌス/Augustinus(354-430年)
ヒッポ司教、キリスト教基本的な教理の基礎。キリスト教とプラトン哲学を統合。ポシディウスが『アウグスティヌスの生涯』を著している。

  • 『告白』 395年
  • 『神の国』 413/26年

他、『アカデミア派駁論』『至福の生』『秩序』『秩序論』『ソリロキア』『魂の不滅』『魂の偉大』『教師』『真の宗教』『自由意志』『自由意志論』『音楽論』『信の効用』『信仰と信条』『シンプリキアヌスへ』『信仰・希望・愛』『告白録』『キリストの教え』『二つの魂』『フォルトゥルナス駁論』『基本書と呼ばれるマニの書簡への駁論』『善の本性』『結婚の善』『洗礼論』『ドナティスト批判-または「手紙」185』『霊と文字』『自然と恩恵』『人間の義の完成』『恩恵と自由意志』『譴責と恩恵』『聖徒の予定』『堅忍の賜物』『教えの手ほどき』『三位一体論』『修道規則』

ヨハネス・カッシアヌス(360-430年)
聖ウィクトル修道院、聖サルウァトル修道院を設立

セミ・ペラギウス派
  • 『共住修道士たちの制度』
  • 二十四の『霊的談話集』
  • 七巻の『主の受肉ーネストリオス駁論』

スルピキウス・セウェルス(363頃-425頃)

  • 『聖マルティヌス伝』(De vita Beati Martini)

アクィタニアのプロスペル(390頃-455)
セミ・ペラギウス論争に関与

  • 『ルフィヌスへの手紙ー恩恵と自由意志』

五世紀

レオ一世(在位440-461年)

  • 『コンスタンティノポリス司教フラウィアタスへの手紙』
  • 『キリストの神秘(説教全集)』

アルルのカエサリウス(470頃-542年)
アルルの修道院長

  • 『修道士のための戒律』
  • 『修道女のための戒律』

ボエティウス(480-524/5年)
イタリアの哲学者・政治家

  • 『ポルウェリウス・イサゴーゲー註解』
  • 『三位一体論』(De trinitate)
  • 『カトリック信仰論』(De fide catholica)
  • 『エウティケエスとネストリウス駁論』(Contra Eutycken et Nestorium)
  • 『音楽綱要』全5巻(De institutione musica)

ヌルシアのベネディクトゥス(480頃-547年)
モンテ・カッシーノに修道院(ベネディクト会)設立(529年)

  • 『戒律』

カラブリアのカッシオドルス(485頃-580/582年)
「ウィウァリウム」(修道院)を創設

  • 『霊魂論』
  • 『(聖書ならびに世俗的諸学研究)綱要』

▼六世紀

グレゴリウス1世(504?-604年)
ローマ教皇(在位590-604年)、カトリック教会の基礎を築いた

  • 「グレゴリアン聖歌」を作曲
  • 『対話』

セビリャのイシドールス(560頃-636年)
セビリャ司教

  • 『語源』(Etymologiae)全20巻…中世最初の百科事典
  • 『ゴート・ヴァンダル・スエウィ王国史』
  • 『異義解』
  • 『自然について』
  • 『問題集』
  • 『命題集』

▼七世紀

トレドのイルデフォンスス(607-667)
トレドの大司教(657~)

  • 『聖マリアの処女性について』


▼四大ギリシア教父

  • アレクサンドリアのアタナシオス
  • カエサレアのバシレイオス
  • ナジアンゾスのグレゴリオス
  • ヨハネス・クリュソストモス

▼四大ラテン教父

  • アンブロシウス
  • ヒエロニムス
  • アウグスティヌス
  • グレゴリウス1世

▼カッパドキア三教父

  • カイサリアのバシレイオス(大バシレイオス)
  • ナジアンゾスのグレゴリオス(神学者グレゴリオス)
  • ニュッサのグレゴリオス



最終更新:2017年06月11日 02:42