撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心
それが、西住流。
それが、黒森峰の戦い方。
それが、隊長の往く、戦車道。
「Heute rot, morgen tot.」
済んだ水面に銀色の針を落とす様に、静かに、細く。
彼女の開口第一声は、それであった。
ドイツの古い諺である。
“今日は紅顔、明日は白骨“。
曰く、人間、何が如何訪れて何時朽ちるかなど、その時にならねば解らぬ。況や、命が紙切れ一枚に等しい戦場においては尚更ではないか、と。
なれば成程、今の状況でこれほど相応しい言葉もそうそうない。
―――森、か。
彼女は身体を起こすよりも先ず、自らが置かれているであろう状態を確かめた。
音は立てず、眼球で辺りをぐるりと舐める。
ふと、過るはスペイン継承戦の舞台、バーデン=ヴュルテンベルクの黒き森。
されど、シュバルツバルトと呼ぶにはそこは余りに暗さに足らず、血の匂いも失せている。
しかしながらそこは確かに、未来への明確な黒い気配を孕んだ――尤もその予感は身体の芯から滲み出ていたのかもしれないが――正気を喰らう森であった。
敵の気配は、皆無。風、殆ど無風。気温、やや緩い。湿度、高め。音、無し。
耳を峙てても、羽虫の飛ぶ音一つ感じられない。異なる常である。
孤独、或いは、狂気。
血走る目で辺りを舐め、果たして頭の内に浮かぶのはそんな月並な単語ばかりであった。
彼女は殺していた息を小さく吐くと、先ずその白く細い指を動かした。
人差し指、中指、薬指、小指、そして親指。順番に閉じ、拳を作る。両手は正常であった。
吐き気をなんとか飲み込み、同時に小さく溜息。
尻のあたりが、じっとりと湿っていた。背中には尖った何かが当たっている。鼻には腐葉土と青臭さが混じった、形容し難い田舎特有の臭い。
そう、地面である。
深い森の中の土の上に無造作に寝かされていたのだ。
視界は、すこぶる悪い。恐らく彼女の蒼白な面近くまであるであろう草花達が、仰向けの身体をすっぽりと覆っていたが故に。
瞬きを、一回。
視界には、我先にと競い合うが如く太陽を求め、覆い重なるように鬱蒼と茂った草木の葉々。
地に伏し見上げるそこは全くの逆光で、本来緑色であるはずのそれらは、闇色に染まっている。
まるで影が質量を持ち、針で中空に展翅された様に、そこは漆黒の欠片が幾重にも幾重にも折重なり上に広がっていた。
風が吹いた。
ざわざわと、森は放課後に黒い噂をする生徒の様に騒ぎ立てる。
彼女の視界に数千数万と展翅されていた影が、葉が、花が、合図の笛を鳴らされた様に一斉にワルツを踊りだした。
ちらちらと、その雄大な自然達は旋風が吹く度に気紛れにその姿形を変え、視線の中で揺れる白い光の残滓はまるでちらちらと輝くフィラメント。
何はともあれ、である。
重い体を鞭打つように起き上がらせると、彼女はまず悪態を吐きながら胡座をかいて装備を確かめた。
枕元に乱暴に投げ捨てられた日本軍のバックパック。片腕では簡単に持ち上がらないくらいにはずっしりと重く、思わず大きな溜息を零す。
双眼鏡、飯盒、毛布、キャンプセット、水筒、レーション、懐中電灯。
戦時中かと呆れながらも一通りの備品を確かめて、スマートフォンの電源を入れた。
ルールと地図を見て大まかな内容と地形を把握すると、武器を見るべくバックパックを覗く―――転がっていたのは、ナイフと、銃。
その武器達をごそりと取り出す。マウスの12.8 cm PaK 44の様なずっしりとした“命を奪う”重さに、ぎくりとして冷たくなる背筋。
かたかたと銃とナイフが触れ合って、手元で音を上げた。それが、合図だった。
些細な音に、はっとして武器を落とす。がしゃん、と派手な音。びくん、と肩が跳ねる。
手が、震えていた。
嗚呼、と彼女は懺悔する様にバックパックをぎゅうと抱き、顔を沈めた。歯を食い縛る。生温い汗が首筋を伝った。
知っている。知っていたのだ。黒い感情が、背から大口を開けて忍び寄っている事を。
―――どうして、なんだって、私が、こんな目に。
護身具。否、配られたそれは兵器である。
人の命を効率良く奪う為に造られた、殺戮の道具なのだ。そう思えば思うほど、酷い眩暈と吐き気がした。
―――隊長。
頭の中で、藁に縋る様に呟く。
網膜の裏側、赤みがかった鈍い暗闇の向こう側に、憧れの背。
時に暖かく、時に厳しく、だけれどとても、大きな背。
だいすきな、ひと。
―――隊長!
叫んで、足を踏み出す。
視界が、足場が、ぐるりと歪んだ。地面は、いつの間にやら黒い水面。
水の上に、人間が立てる筈も無し。途端に足はずぶりと沈んでゆき、あっという間に胸、肩、首、そして顔が真っ黒な闇の海に、堕ちてゆく。
遠くなる背中に、水に揺らぐ髪の隙間から、手を伸ばした。
黒く歪んだ水面越しに見る背中はひどく煤けて、いたく寂しそうに見えた。
ぱちり。夢の中で、瞬きを、一回。
まるで映画のチャプターを切り替えした様に、飛ぶ場面。
そこは暗い森の中だった。生温い感覚に、両手を見る。真っ赤な血の色に染まっていて、思わず悲鳴を上げる。
ゆらゆらと力無く後退ると、踵が柔らかな何かを踏んで、尻餅をついた。ぐしゃり。何かが潰れる音がした。
嫌な予感に慌てて振り返ると、見慣れた制服、見慣れた茶髪。蝋人形の様に青ざめた白塗りの肌に、真っ赤な血の池。
捌かれた腹、ねっとりとした赤い粘液、白い骨、ピンク色の筋、飛び出した腸。
染み付いた血、腐った臭い、乱れた髪、引き締まりを無くしてだらしなく膨れた頬、ぱっくりと開いた傷口。半分腐敗した緑色の肉。
蛆虫が、湧いている。ばさばさと鴉が飛び立つ音。鴉の口から伸びる繊維。
合うはずがないのに、目が、合った。
光のない、瞳。
底の無い絶望色の、瞳。
こちらを見る、瞳。
恐怖と狂気が入り混じった、醜い絶叫が上がる。
西住まほは、事切れていた。
堪らず、そこで目を開ける。
全身はびっしょりと汗で濡れ、がちがちと奥歯は情けない音を上げていた。
いつの間にか肩で息をしていた自分に、此処で漸く気付くのだから余程意識が飛んでいたのだ。
正しくそれは、白昼の悪夢、であった。
―――何分、こうしていた?
女は影の落ちた表情のまま、自問する。
辺りはしんと鎮まり返り、やたらと喧しく跳ねる心臓の音だけが、鼓膜を内側から叩いていた。
固唾を飲み額の汗を拭くと、武器を手にゆっくりと立ち上がる。
声を殺して草を掻き分けて、覚束ない足取りのまま、女は闇の深い方へ、光の届かぬ方へ歩き出した。
思考も目指す場所も曖昧なまま、ただ、迷う様に足を前に出す。
進んでいるのか、下がっているのか、そんな事すら解らないまま、暗い方へと堕ちてゆく。
逸見エリカ。彼女は、誇り高き名門、黒森峰の副隊長であった。
―――蒸し熱い。
夏だろうが冬だろうが冷房の効かない戦車の中に居るのだ、体力はある方だったが、それにしても恐ろしく蒸し暑かった。
黒いジャケットが、更に深い黒へ染まってゆく。髪を伝う滴がうなじに幾本もの筋を作り、エンジ色のシャツの襟元へとじわりと消えていった。
シャツと下着は、身体にびたりと張り付いていた。それが堪らなく不快で、目を細める。
頭の中は酷い有様だった。ぐちゃぐちゃと、何種類もの毛糸が絡み合う様に、思考は混濁していた。
人が死んだ。あれは、確か大洗の生徒だ。彼女は、死んだのだ。
その事実は簡単に嚥下出来るものではない。現実が重く彼女の身体にのしかかる。正常な思考を、失う程に。
どれほど歩いたか。
ふと背丈ほどの笹を掻き分けた瞬間、頬に鋭い痛みが走る。笹の葉で頬が切れていた。ぬらぬらと温い血が顔を這う。
殲滅戦、殺さないと、死にたくない、隊長、隊長、隊長。
譫言の様に単語を呟き、視線を落とす。朧げな視線が何かを捉える。
―――足跡。
不意に鬱血していた血が流れ出る様な、頭から血の気が降りていく様な、そんな感覚。
精神を摩耗しきって座っていた目が冴えていき、不自然なほど落ち着いていく思考。
ぞわり、と全身の毛がよだつ。景色が色を欠いてゆく。混線していた脳波が黒一色に染まり、クリアになった瞬間であった。
ざあ、と草木達が風に騒ぐ。黒い森の庭で、彼女は黙して立ち尽くす。
―――我が校のブーツではない。(どうする?)
彼女は腰を下ろして足跡の輪郭を観察する。
腐葉土には、確かに足跡が残されていた。自校のブーツとは僅かに違うが、似た様な様な形状。
即ち、軍用である。
―――土は……湿っている。(敵? 味方? 近くに? 何時から?)
凹んだ部分を、指の腹で舐める様に触る。雨上がりの次の日の泥の様な湿り気。
靴底で押し出された泥水が、腐葉土にじわりと浮かんで灰に光っている。
十分、いや、若しくは五分以内。比較的まだ新しいそれは、人の気配と予感を彼女に容易く知らせた。
大きさから判断する限り、それは男のものではない。自らを運んだ人間や、文科省の役人ではない可能性が高いのだ。
即ち。
―――居る。(どうする? どうする?? どうする???)
音も無く立ち上がり、息を潜める。
しかし、足音は愚か布が擦れる音一つしないものだから、彼女は目を細めた。静か過ぎる。
―――もう、近辺には居ないのか、或いは走って過ぎ去った後。(殺される? 誰が? 私が? 死ぬ? 此処で? 冗談じゃない!)
若しくはこちらを狩る気で何処かへ潜んでいるのか。(戦う? 戦ってどうする? 殺す? 誰が? 私が?)
暗い闇色に染まった思考が、疑心暗鬼に再び濁り出す。
玉のように吹き出した汗が、顎まで伝い、雫が足元に落ちた。
肩にかかった銃を取る。震える手で赤ラワンの取手を握ると、絡みつくように汗がじっとりと滲んだ。
特徴的な赤木軸に、黒砲身。64式7.62mm小銃であった。
この藪の中散弾ではないのは些か使い難くはあったが、威力では十二分。
彼女は銃についてはよく知らないが、恐らくその確りとした造りに“当たり”の類だろうという自身が彼女にはあった。
唾を飲み、上を見上げる。
高く伸びた木々が、こちらを嘲笑う様にざわざわと葉を揺らしていた。
景色に、色が、無い。
―――南方戦線においては、旧日本軍兵が樹上からの狙撃作戦を敢行し、米軍が酷く苦しめられたと聞いた事がある。(そんな事はどうだっていいじゃない!)
頭上からの砲撃は退路の確保が難しい。(相手を撃つと一発で死ぬ? 私も撃たれたら一発で死ぬ??)
一旦見つかり即時対処が遅れれば、即ち。(大洗のあの子みたいに???)
今警戒しなければならないのは、藪の奥よりも頭上の方?(嫌よ、私はあんな風に死にたくない! 隊長……そうだ! 隊長に会わなきゃ!)
敵がどんな銃とナイフを持っているのかを知り得ない以上、それも確定ではない。しかし、スナイパーの線も捨て難いのもまた、確か。(死にたくない)
木に登り、頭上から撃つ側に回る……?(死にたくない)
後手ではあるが、待ちは確かに悪くない選択……悪手ではない……のか?(死にたくない……!)
こちらの獲物は64式7.62mm小銃……森の中とはいえ、恐らく優位に立てる事には代わりない筈……。(死にたく、ないッ!!)
焦点の合わぬ目が、辺りを舐める。かたかたと指が怯えるように震えている。
猛獣の様な呼吸音が自分の口から溢れていた事に気付き、彼女は思わず口を歪めた。
親指の爪を噛みながら、思わず、隊長、と助けを求める様に小さく呟いた。頼るべき人は、しかし此処には居る筈がない。
そう。決めるしかないのだ。己の頭で。
歩くしかないのだ。己の足で。
引き金を引くしかないのだ。己の指で。
しかし、そもそもこの足跡の主が“乗っている”とは限らない。剰え、潜んでいるかどうかすら怪しいのだ。
ならば、今この場での最善とは何か。
何が正解か。何が間違いか。ちっぽけな脳味噌の中で考えなければならない。判断しなければならない。決めなければならない。
人を殺すことが正解か、協力するのが間違いか。いっそ、選択を放棄して自殺してしまった方がどれだけ楽か。
嗚呼、判らない、分からない、解らない、わからない……。
―――駄目よ。深く考え過ぎるな。まずはこの森を出るのが先決。(襲ってきたらどうする?)
周囲を警戒しつつ、前進するしかない。敵は、やりすごせばいいだけ……。(戦わざるを得ない)
大丈夫よ、森なら幾らでも隠れる事は出来る。もし出会ったのが仲間なら、協力して、早く隊長と合流すれば良い。(何処にいるのかも解らない癖に?)
隊長なら、まほ隊長ならきっとなんとかしてくれる……。(隊長がもし死んでしまっていたら、お前はどうする?)
深呼吸を、一回。
かぶりを振ると、彼女は再び足を踏み出した。
為せば成る。その時になれば分かる事。考えるだけ無駄なのだ。
けれども、それでも考えてしまうのが人の常。
ツィタデレ作戦のクルスク侵攻では、ドイツ軍は慢心と油断が原因でトーチカと地雷だらけの地獄に足を踏み入れ、完膚無きまでにやられた。
なればこそ、考え過ぎに悪は無し。現実は流動的な可能性の束。
一つ一つの紐をほどき長さを確かめ、あらゆる事を想定し動くべきである。
―――こんな時、隊長なら……。
彼女は進む。足を黒い影に引っ張られ、腕に鋼鉄の重りを引き下げて、首に死神の鎌を宛てがわれて。
西住流、進む姿は乱れ無し。そんな言葉からは完全に外れてしまっていた。
彼女は吐き気を覚え、顔を顰める。胃液が直ぐ喉笛の側まで上がってきていた。
頭が内側からがんがんと叩かれる様な、胸の中を滅茶苦茶に掻き回される様な、最低な気分。
孤独。
彼女は孤独だった。この黒い森のなかで、戦車の中で、あの学校の中で。誰よりも、何よりも。
西住みほ。西住流後継者の彼女の頭の中には、妹がいつだって居た。
いつだって、逸見エリカは3番手。何が副隊長、何が2番手。ただの空いた席に座らされた人形だ。
才能もなければ、優しさもない。友達も居ない。だから、趣味は家でネットをいじることくらい。
戦術も未熟、発言は何時も咎められ、何時も配慮が足らず叱りを受ける無能副隊長。
部下の使い方も自覚するくらいには荒く、きっと信用もそこまで得られていない。
生徒達が見ているのは、西住流の西住まほだ。自分の体の、眼の向こうに、西住流を見ているのだ。
私は、なんだ? 彼女は自問する。影に隠れて、顔に深い影が落ちている。
誰か。だれか、だれか。おしえて。
“わたしは、なんですか?“
―――隊長……まほ隊長……。
湿った足跡を追っていくと、やがて、藪の向こうから光が漏れている事に気付く。
僅かに迷ったが、彼女は光を求める様に、けれども慎重に、指を入れ藪を掻き分ける。
血走った目が、草叢の隙間から辺りを舐める。
そこは、獣道だった。熊か、猿か、猪か、或いは人か。藪が弧を描いて地面をえぐる様に避けている。
その道だけ、藪がない分周囲よりも光が届くのだろう。木々は変わらず天をずっしりと覆っていたが、木漏れ日はその獣道を舐める様に斑らな光の絨毯を敷いていた。
視界が開けた事は大きく、獣道である以上里までの安全な道を意味するが、また、発見されるリスクも増す。
彼女は数拍立ち尽くしたが、やがてふらふらと前から糸で引っ張られる様に獣道へと出ると、再び足跡を追って歩き出した。
獣道は、途中激しい右カーブを描いていた。彼女はそこを特に警戒せずに曲がり……そして、見つけてしまう。
―――誰か、居る。
寸分違わず、紛う事無く、相違無い。それは、人の後ろ姿であった。
迷彩柄の外套で頭も隠れていたが、人間大の何かがしゃがんでいる。
その奥には、テントが見えた。足跡はそこで途切れている。間違いなかった。
気付いた時には、無意識に銃を手に取っていた。震える息を、静かに吐く。死ぬのは嫌だ。
グリップを握ると、ぬるりと不快な手汗。死ぬのは嫌だ。
五秒ほど、動きが固まる。死ぬのは嫌だ。
ぶわりと毛穴が開いていくのを感じた。死ぬのは嫌だ。
汗がどっと噴き出る。心臓が破裂しそうなくらい鳴っている。死ぬのは嫌だ。
からからに乾いた唇を舐めた。切った頬の血と汗だろう、鉄と塩の味がした。生きている味だった。死ぬのは嫌だ!
視界が黒く落ちてゆく。周囲がブラックアウトしていき、しゃがんでいるその人間しか視界に入らない。死ぬのは嫌だ!!
嗚呼、呼吸の音が、煩い。うるさくて、うるさくて、もう、なにもかもなくなってしまえばいいのに。死ぬのは嫌だ!!!
距離は10メートル。安全装置を外す。しかし銃を扱った事のない女は、当然の如くその銃の射程と精度を知らない。死ぬのは嫌だ!!!!
気付いた時には、奇声を上げて走っていた。縺れる足をがむしゃらに動かし、汗を散らせながら、走っていた。死ぬのは、嫌だ!!!!!
“撃てば必中”。
6メートル。故に大前提として、先ず撃たなければならない。
確実に当てるには、至近距離で。幾ら狙いが外れても、ゼロ距離射撃で大破出来ない物など無し。
“守りは固く”。
4メートル。曰く、攻撃は最大の防御である。撃たれる前に撃て。簡単な話だ。
殺してしまえば撃たれる事の無い最大の鎧を着ている事と同義。走れ、動け、戦え、奪え。
生きたいならば刃を抜け、死にたく無いなら銃を取れ。
“進む姿は乱れ無し”。
2メートル。迷いなど捨てるのだ。数と物量、勢いで押せ。それが黒森峰だ。それが西住流だ。
前へ進め、敵を撃て。迷うな逸見、これは殲滅戦だ。嗚呼、不意打ちでも構うものか、殺してしまえ。
“鉄の掟”。
1メートル。敵を補足する。まだ気付かない、驚きで対応が遅れたか。何にせよ、これはチャンスだ。
彼女は嗤う。ピクセルタイプの迷彩に銃を押し付け、声にならない声を叫びながら、引き金を一気に引いた。
視界がぼやける。涙だった。恐怖と、怒りと、悲しみが混じった、真っ赤な涙だった。
“鋼の心”。
一発、頭に命中する。衝撃で銃口が跳ね上がり、体が浮き上がった。重い。紛れも無い命を奪う重さだった。
二発、体勢を整えて鬼神のような表情のまま、犬歯を剥き出しに背を撃つ。腕にびりびりと衝撃が走る。痛い。二の腕が痺れる。
三発、腹の辺りを後ろから撃つ。体が左に跳ねた。衝撃が強い。叫び声と涙は止まらない。止めると何かがおかしくなりそうだった。
四発、五発、六発。七発目で、腕の力が限界を迎えた。
ぐったりと腕を落とし、銃を手放す。がしゃん、と無機質な音。硝煙が辺りに立ち込めている。喉が痛い。酸素が足りない。
肩で息をしながら、ふらふらと後退る。震える視界と合わぬ焦点で、死体を見た。
同時に、さっと血の気が引く。
―――あ、れ?
穴だらけの迷彩服から覗くのは、枝と蔦。血はどこにも見当たらない。
彼女の頭に混乱が走る。WHY、の三文字。
囮、嵌められた、罠、騙された。彼女は頭が悪い方ではない。直ぐにそう気付いた。
しかし足が動かない。腕も上がらない。身体が言う事を聞かない。
酸素、呼吸を整えなければ。彼女は息を吸う。肺が冷めてゆく。
一体。なんで、どうして。誰が。何の為に。みっしりと敷き詰められた絨毯爆撃のように、疑問が頭に押し寄せた。
嗚呼、そう、そうだ。人形。服を着せてカモフラージュしていたのだ。テントも囮だった。
少し考えれば分かる事だ。獣道の途中で白昼堂々と野営の準備をする人間が、一体何処の世界に居るというのか。まんまと一杯食わされたのだ。
いや、しかし待て、何故足跡が消えているのか。だとすれば、本体は何処へ消えたのか。
―――…………ぁ。バック……トラック……。
間が抜けた顔でそう気付くと同時に、背中に衝撃が走る。視界が一度黒く反転し、星がばちばちと散った。
強烈な打撃を、一撃。ハンマーで後頭部を殴られた様な、鈍い痛みだった。
肺から空気を無理やり押し出され、彼女は地面と盛大にキスをする。どさり。落ち葉が、舞い上がる。
手足が痺れている。全身麻酔を掛けられたように、動かない。何一つ出来ない。声も、息も、瞬きさえも。
視界が徐々にブラックアウトしてゆく中、隊長、と胸中で呟く。
彼女の意識は、そこで電源を落とすようにぶつりと途切れた。
■
太陽が、眩しい。
目が冷めて最初に思ったのは、それだった。
じりじりと照り付ける日差しが、網膜をきりきりと容赦なく刺している。
目玉をぐるりと動かす。少女がこちらを覗いていた。喉がごくりと音を上げる。
「……落ち着いたでありますか? 随分うなされていましたが」
その少女が大洗の人間だと気付くまでに半秒。強張った全身からは一瞬にして汗が噴き出していた。
エリカは目玉を動かし、自分の靴を見る。隠していたはずのナイフが抜かれている。
「おっと、シースが革靴に装着されているのはバレてますよ。トレンチナイフは抜いておきました」
少女は笑うと、ナイフを仰向けで無防備なこちらに向ける。
ぎくりとした。抵抗しようとして、手足が未だ上手く動かないことに気付く。
息が、震えていた。本能的な恐怖だった。
「ああ、すみません、冗談でも人に刃を向けてはいけませんよね。……黒森峰の副隊長、逸見エリカ殿でありますね?」
ナイフを仕舞う少女の質問に、エリカは頷く。ゆっくりと、軋む腕をなんとか使って腰を上げた。
辺りを見渡す。此処へ来てから少しも変わらない景色。どうやら此処はまだ森の中のようだった。
「貴女、確か、フラッグ車の……」
「大洗の秋山優花里と申します~」
目の前の少女が、秋山優花里がぺこりと頭を下げ、レーションを差し出した。どう見ても敵意はない。
自分を捕まえてどうするのか、と考えたが、殺すつもりならばとっくに殺していると気付き、素直にそれを受け取る。
ナイフで開けられた缶の中を覗く。SPAMだった。カナダのプリンやイギリスのミートオールでないだけ随分マシだ。
「どうぞ」
優花里の手が、視界に入る。器用に作られた木のスプーンが握られている。
「不肖、秋山優花里。拙い手で作ってみました! 良ければ差し上げます。無いよりはマシですよぉ」
それを受け取ると、痺れる指で何とか握り、SPAMを掬う。
口の中に放り込むと、これでもかと言うほどの濃い塩味が広がった。
確かに腹は減っていたが、寝起きに塩味は最悪だ。
「……塩辛い」
エリカはぽつりと呟く。優花里は困ったように笑った。
「それはそうですよ。加熱処理して白米などと食べるのが普通ですから~」
「本当、塩辛いわ」
スプーンを下ろし、エリカは再び吐き捨てるように呟く。視界が少しだけ滲んだ。
情けない、そう思った。本当に、情けない。
錯乱して人を殺そうとしていたところを罠に嵌められ、情けをかけられ生かされて。
挙句こうして気を遣われて、餌まで与えられて。無様すぎて何も言えない。
此処でも、そうなのか。何処に行っても変わりはしない。私は無能な副隊長で、たかが平隊員にこうして諭され。
見下しているんでしょう? どうせ、お前も。
私なんか、たまたま空いた副隊長の座に埋まったただの我侭な人間だって。
この戦いに動揺して心が折れた、情けなくて哀れな人間だって。
気付いた時には、大粒の涙が出ていた。
悔しい、悔しい、悔しい。
SPAMをがつがつと口の中に入れながら、エリカは声を上げずに泣いた。
他校の人間に、いや、それどころか他人に涙を見せる事自体、初めてだった。
食べ終わると、水筒の水をごくごくと自棄になった様に飲み、そして、ごしごしと両目を拭う。涙は乾いていた。
「私」そして、言うのだ。「隊長の元に行きたいわ。何に変えても」
優花里は呆気にとられた様に一連の彼女の食いっぷりを見ていたが、そこではっとして我に返る。
そうして少しだけ悩むように髪を指でくるくると弄り、ふっ、と前を向いた。笑顔が消えている。
「人を、殺しても?」
からん、とエリカの手からスプーンが落ちる音。
ぎくりとする声色だった。動揺に瞳が暴れる。黒い感情が、灰色の空気が、森に満ちた。
風が、音が、草が、水が炎が光が。雲が、影が、光が。呼吸が、時間が、鼓動さえもが。
およそこの世に干渉しているであろう全ての要素が止まった気がした。
何か核心めいた音がその言葉にあったからだ。
しかしその意味を考えると頭が割れてしまいそうで、それ以上詮索してはいけない気すらした。
「戦車道は、戦争じゃない。だから許せないんです。殺し合い自体も、こんな事をした人も」
優花里はそんなエリカに構わず、言葉をつらつらと並べ始めた。時が、動き始める。
「私の戦車道は、西住殿のものと同じ。誰も犠牲を出したくないんです。
だけど、私は西住殿とは違います。戦わなきゃいけない時は戦いますし、罠にもかける……正直に言って、少しまだ、迷ってますけど」
エリカは固唾を飲み込む。水を飲んだばかりだというのに、やけに喉が渇いていた。からからの口の中で、舌が歯に張り付く。
「わ、私は、ただ、まほ隊長が、隊長なら、隊長」
自分の口ではないかのような錯覚。ぱくぱくと酸素を求める金魚のように口を動かし、何かから取り繕うように言葉を並べる。
中身が無い。そんなことは解っていた。
「そ、そうよ、隊長よ、たいちょうがいれば、なんとかなるとおもって、それでっ」
思わず、後退る。冷や汗が背を濡らしている。逃げたい。そう思った。今すぐ此所から逃げ出してしまいたかった。
「この状況だって、隊長なら、か、必ずっ、だから、だからっ」
「逸見殿」
何処でもいい。どこか遠くへ。崩れる前に、バレる前に。
「私は、ただ、まほ隊長が、隊長なら、なんとか。この状況だって、隊長なら、必ずっ、だから、隊長に生きて欲しい、だからっ」
「逸見殿っ!」
怖かったのだ。目の前の純粋な目が、段々と疑問に降りていく眉が。陰る顔が。
哀れな私を見下しているようで、私の言葉に中身が無いことを、見透かしているようで。
「逸見殿。だけど貴女のやった行為は、私の戦車道とは違う。でもきっと、混乱してただけ、そうですよね?
だからちゃんと、答えて欲しいんです。教えて欲しいんです。逸見殿とこれからどうするか、考える為に。
私だって、仲間は欲しいんです。友達も、少ないですから。だから」
優花里が問う。エリカはびくんと肩を跳ねた。
「――――――――――貴女の戦車道は、なんでありますか?」
ずっと孤独だった少女が、しかし戦車道を通して友を手に入れた少女が、孤高の副隊長へ問う。
困惑の表情から零れたその問いは、中空を舞って、森のざわめきに消えてゆく。
答えるべき解は、今の彼女には無かったのだ。
ならば、どうするか。答えは簡単だった。もたつく足で大地を蹴り、逸見エリカは逃げ出したのだ。
待ってという声も、足にかかった手も振り解き、自分の獲物を奪い、エリカは森を走り抜けてゆく。
ただ、今は、遠くへ。遠くへ。
他の誰でもない、あの人の元へ、行く為に。
【D-3・森/一日目・朝】
【逸見エリカ@フリー】
[状態]混乱 背に火傷 少し全身が痺れている
[装備]軍服 64式7.62mm小銃(装弾数:13/20発 予備弾倉×1パック【20発】)不明支給品(ブーツナイフ系)
[道具]基本支給品一式 不明支給品(その他)
[思考・状況]
基本行動方針:解らない。とにかく、隊長のところへ。
1:逃げる。どこか、遠くへ。誰もいない場所へ。
【秋山優花里@フリー】
[状態]健康
[装備]軍服 迷彩服 TaserM-18銃(4/5回 予備電力無し)
[道具]基本支給品一式 迷彩服(穴が空いている) 不明支給品(ナイフ)
[思考・状況]
基本行動方針:誰も犠牲を出したくないです。でも、襲われたら戦うしかないですよね
1:逸見殿を追う?
2:西住殿と会いたいのであります……
[装備説明]
990mm・4300g。日本産 ガス圧式自動小銃。スコープ無し。
日本人の扱いやすいサイズの銃だがとてもジャムりやすく、破損すれば組み立てられないほどパーツが多い迷銃と言われている。
アメリカ産テーザーガン。簡単に言えば、銃型スタンガン。
針を射出し刺さった相手の動きを電流により一時的に封じる。基本的に殺傷能力は低いが、場合によっては死に至る。
登場順
最終更新:2016年09月14日 13:37