秋山優花里は
逸見エリカに、多大な損耗を与え、分厚い圧力の包囲下に追いやった。
彼女は一時的な殺意、一心不乱の逸見エリカの突撃を、とりあえずの予防策で軽くいなし、制圧。エリカの武装を剥いだ。
エリカの生死を握る立場となって、彼女はしかし襲撃の下手人に報復を行うことなく、逆に慈悲をもって接する。
そうして、仮初の安堵の中にエリカを追いやり、危険に関する感知機能を鈍らせた上で、正当性と求道の下、彼女は問いをエリカに送る。
その問いは逸見エリカの根幹を問うものであって、悪意の所在無き、無垢さと善意、正しさからの問いだった。
緊張の後の弛緩の中で、それはエリカの柔らかいわき腹を食い破り、触れられたくない内面までに突き刺さった。
エリカからして見れば、白日、陽光の下に自分の臓物を引きづり出されたような気分だったに違いない。
微睡から解放されたとき、催し開始時と同じような混迷の中でエリカは答えを返さず、逃走した。
目指す場所もなく、人の存在を恐れ、そして、安心を、きっと何かを与えてくれるものを求め、彼女は森を彷徨う。
思考はぐるぐる巡り、悪態がそこかしこから漏れ出し、先ほどの無様さがより一層強く刻まれていたが、
エリカは不思議と気分を鎮静化させ、混迷の渦から逃れようとはしない、冷静に状況を見つめ直すことを嫌った。
なぜなら、もしも、感情の偏りがなくなり、客観的で合理的な視点を取り戻したならば――
――逸見エリカが最も厭ってきたもっと恐ろしい何かに気が付く気がしてならなかった。
秋山優花里を振り切り、エリカは森を走る。不快に湿った土を踏み込み、苛立ちの木陰の根を飛び越え、気付けの藪をかき分けていく。
地図も見ず、ただ体の赴くままに、息が切れようとも体力の配分も気にせず、走って、走って、走り続ける。
それは、実際に差し迫った危機からの逃避ではなく、内面のぼんやりしたものからの逃亡だった。
……先ほどの場所から直線距離にしてはあまり離れていないだろう場所で、エリカはやっと止まった。
全身から熱を発し、汗と呼気を吹き出しながら背中を丸めて、彼女は忘我の気分に浸る。
心理的なものからは物理的距離をいくら取ろうとしても逃れることはできない。耐えるにはただ忘却を図ることだけだ。
それでも思考する余地を残したならば、再び間隙を縫ってはい出てくる。エリカはただただ考えを状況判断の身に向けた。
膝に手を当てて呼吸を整えながら、辺りを余裕なく見渡す。林道の中、時折揺れる木々、低層の草むら、踏みしめられた地面。
こんなに簡単に辺りが見渡せるのだから、今の時刻は朝か昼である……日中?
簡単に考えればわかることであるのに、それを確認して、一時の驚愕に捕らわれることを避けられなかった。
エリカは、あろうことか、現在が日も出ていない夜中であると、暗闇の道を進んでいると錯覚していた。
これまで木の陰に覆われた薄暗い林道を走り回り、視界が酸欠で暗くなり、何より精神が錯乱していたので、無理もないことだった。
――本当に?
一瞬、エリカの身体は芯から震えて跳ね上がった。大きな音声、拡声器による爆音が耳に飛び込んできた。
どうやら、北から響いている。内容の判別が少しずつ鮮明になっていった。
殺し合いはだめだ。戦車道を否定しちゃだめだ。死ぬのは怖いけれど意思を示そう。みんなで集まって――
「バカ、じゃないの……」
あんなことをしてなにになるのだと、彼女は思った。いたずらに他の参加者に刺激を与え、動揺を広げるだけだと、
悪意と殺意を持った恐ろしいものをおびき寄せ、脅威に身をさらしているだけだと。
そうだ、思慮が足りていない。想像力が足りていない。自殺行為もいいところで、自分どころか周囲を巻き込んでいる。
希薄な希望で集めた仲間とともに殉教して、殺人者たちに罪悪感を植え付けたいだけだ。独りよがりの行為だ。
エリカは否定の言葉を必死にかき集める。何が原動力になっているのか、このような行為は愚であると、
間違ったもの、誤りに満たされたものだと、かき集め、理論を構築し、正当性を主張し、思考が暴走する。
何もかもがあらわになろうとする。
彼女は、音の聞こえた方角に背を向ける。焼けつくような感覚を覚えながら、彼女は今度こそ影に向け遁走した。
※
ただ前だけを見据えて、走る。林道を一心に、敬愛する隊長と、親愛なる仲間のために。
明確な理由から彼女は北上したのだろうか? 何か大きな音が響くのを感じ取ったのかもしれない。
地図を見て、北と南の境界辺りのエリアが二つしかなく、そこにいれば仲間に合流できると思ったのかもしれない。
はたまた、理由などなく、動物的直感により、行き先を決めたのかもしれない。
しかし、足取りには何ら迷いは見えない。彼女は一つの目標に向けてただ突き進んでいるだけだと言われれば、皆が賛意を示すだろう。
そして、行動と風貌から、彼女が明快で気の強い性格であり、精神的にも肉体的にも優れていると判別する。
分かりやすい少女であり、分かりやすく判断する少女であった――ぺパロニという彼女は。
平時においては気がよく優しい彼女は、迷っている人を見れば案内してあげるだけの親切さを持っていたけれど。
今のような切羽詰まった状況で、しかも何よりも優先すべき目的がある中では、さすがにそのような行動はできなかった。
顔に土埃を付けた、おそらく思い切り転び顔を打ち付けたであろう銀髪の少女、こちらを目撃し思考停止している姿、
やっとのことで体を動かし、緩慢さが過ぎる動きで背嚢を漁ろうとする行動、恐怖で引きつりきった形相を見て、
ぺパロニは、迷わず、ある程度の距離だけ迂回することを選んだ。
当然、視線は切らない。銃器の発砲に対処できる距離を開けて、彼女は北へと進もうとする。
土にまみれ、恐怖におののくその姿はかわいそうだとは思わないでもなかったが、ただそれだけだった。
色のない瞳を向けながらぺパロニは通過した。その目に何の感情を入れたつもりもなかった。少なくとも彼女にとってはそうだった。
ただ――
「待ち、なさい、……待って!」
相手がどう取るのかは相手次第であり、相手が意味を感じたならば、それが真実である。
先ほど、頭から転んだ逸見エリカ、恐怖で行動できなかったエリカは、相手が何もしないで去っていくことに、
大いに安堵と疑問を覚えた。彼女は、向こうに見えるこちらを向いたぺパロニの姿を、何が目的なのか、なぜ見逃すのか。
怯え交じりの視界にとらえたところで、相手の目からどうしようもない感情を感じ取った。
瞳に写っている、恐怖にへたれこむ姿に向ける感情は、侮蔑。あきらかな劣等を眺めている。エリカは感じ取った。
感じ取ったから、彼女は声をかけずにはいられない。一言では止まらなかった少女に、何度も進行をやめて話を聞けと呼びかける。
止まってこちらの話を聞けと、ぐんぐん遠ざかる姿に向かって、エリカは呼びかけた。何とか話をしなければならない。こちらに――
「……なんすかー?」
後姿が遠ざかりかけ、エリカが諦めかけたところで、望み通りぺパロニは立ち止まり、振り返った。
……いや、本当に望み通りだったのだろうか? エリカは立ち止まらせたところで次に何をすればいいか分からない自分に気が付いた。
やらねばならないことはある、情報の交換、スタンスの確認、状況への考察、そして、同盟の提案。
けれど、口に出そうとしても言葉にならない。呼び止めたならば何かしなければならないのに、どうしても言葉が出ない。
そもそもなぜ、急ぐ後姿を呼び止めたのか、それは、彼女が自分に侮蔑の視線を向けたから――
「……悪いッスけど」
まごつくエリカに、ぺパロニは用がないなら自分は去ると、そういう類の言葉をかけた。
それは道を急いでいたからであり、今の状況では付き合ってられないという意味の言葉だったが、
その言葉は、何よりもエリカの現状を言い表し、何よりも――彼女のプライドをズタズタにした。
「時間がないんで――かまってほしいなら、別の人を探して欲しいっス」
言い終わるとぺパロニは、また背を向けて駆け出していく。
エリカは、目を眼球が零れ落ちそうなほど見開き、口を酸素を求める金魚のようにはくはくとさせる。
そんなじゃないと言いたかった。そんな幼稚な理由で呼び止めたわけじゃないと否定したかった。
ぺパロニの背中はぐんぐん遠ざかり、やがて見えなくなるほど遠ざかっていく、声は今ならぎりぎり届く。
私は、ただ、侮蔑の視線の意味を聞きたかっただけだ。何故そんな視線を向けたのか、私はそんな視線を向けられるほど――
ぺパロニの姿が見えなくなる、きっともう声も届かないほどに。
「バカに、するんじゃないわよ……」
絞り出すような声だった。風が吹いて木々が囁いたなら、消えてしまうほどの声。なぜ、こんな声なのか。
もっと強い声をだすべきだ。これじゃあただぼやいているだけ。誰の耳にも届きはしない。
「……バカにするな」
そもそもなぜこんなに声を出すのが遅れたのか? さっさと弁解すればよかったじゃないか。
さっきもさっさと舌を回して取り繕えば、少なくとも評価は覆っただろうに。
「バカにするな」
……いや、しょうがないことだった。何しろ考えがまとまらなかったから。
考え及ばず言葉に詰まったら、それこそ、嘲りは避けられない。それは命よりも大切なことだ。
今だって、姿が見えなくなってから、何かモガモガ言っている。否定が怖いから、反論が怖いから、侮蔑が怖いから!
「バカにするな! バカにするなあ! バカにッ」
こんなのは私じゃない、私だって、信念が、私の戦車道が、行くべき道が、見つけた道が――
「バカに、バカにするなアアア!!!」
――かまってほしいなら、別の人を――
――こんなバカみたいなことのために、その道を否定するんですか!? ――
――貴女の戦車道は、なんでありますか?――
どこに行ってしまったのだろう。歩むべき道も、歩んできた道も。
※
逸見エリカはまた逃げ出そうとした。けれども両脚はピクリともしない。
彼女の顔は、まるで漂白されてしまったようで、何もかもが抜け落ちてしまったかのようだった。
からっぽだった。
秋山優花里の問いかけは、私の踏み砕いてきた氷の道を振り返らせてしまった。
この殺し合いという極限状態は、混迷と狂気に人間を追いやっている。けれど、だからこそ、地金を明らかにするのではないか?
真実に降り注ぐ白日は、道の名残さえ残さず消し去ってしまう。
エリカは副隊長になった、誇りある黒森峰の副隊長、それにふさわしい道を選ぶ、西住流の、そしてその死に方を!
エリカは小銃を取り出した、自身の頭を打ちぬいたならば、一瞬で死という桎梏に連れ出すだろう武器だ、きちんと頭に宛がわなければ、
……銃身が長い、これだと不格好で、ダサい死に方だ、もっときれいに気高く死にたい。
あの時の拡声器からの声、あれを私が必死に否定しようとしたのは、何よりもあの行為自体が道に沿ったことだったからだ。
私は、感銘を受け、羨望を抱き、嫉妬に満ちてしまったんだ。そして、悪意の闇に飲み込まれたしまうように思った。
けれども、本当に飲み込まれたら見ていられないから、光に背を向けて逃げ出した。
せめて死体だけでも格好をつけたい、ナイフで首を割いたなら、殉教者のように見えないかとエリカは考えた。
エリカが取り出して、見つめるナイフは、明確に人を傷つけるもので、きっと死へと自分を連れ出すもので、そしてとっても痛いものだ。
こんなもので首を切ったら、痛いに違いない……ほら、痛い。ほかの方法を考えよう。
けれど、いくら逃げ出しても、光は追ってくる。追ってきて、私の何もかもを世の中に晒そうとする。
夜だと思ったのは、私が隠れたかったから、死の恐怖をはらむ暗闇を追いかけて――正しい生を意識させる陽光から逃げた。
でも、逃げ切れなかった。あの娘に見た侮蔑は、私が私に抱いた侮蔑、すぐそばにいるから、逃げおおせられるわけがない。
エリカの呼吸は乱れに乱れ、地面に吐瀉物をまき散らした挙句に、過呼吸状態に陥った。その苦しみに彼女は、
苦しみから逃れるために、頬っぺたから首筋までを引き裂くように掻き毟る、痛々しい傷が、無数にできた。
さっきからしているこれだって、同情を集めて、助けてもらいたい、かまってもらいたいからじゃないか。
銃を撃てば死ぬから、撃てず、ナイフで裂けば死ぬから、裂けず。挙句の果てに、過呼吸と自傷行為。
消極的自殺。いくら、体調が悪くなっても、いくら傷を作っても、価値を見出してくれる人なんていない、みんな極限状態なんだから。
しばらく、エリカは動かなくなった。ちょっとして、彼女は幽鬼のように立ち上がり、場所も決めずトボトボと歩き出す。
誰かが、自分に価値が無いと思っている人間が、真に価値無き人間なのだと言った。
自尊心も、自意識も、自己の価値観も、何もかもをが、もしも無くなってしまったのなら、
――そこには、死体にもなれない、哀れな亡者がいるのみだ。
【D-3・南部/一日目・午前】
【ペパロニ@フリー】
[状態]健康
[装備]S&W M36、予備弾
[道具]基本支給品一式、スタングレネード×?、不明支給品(ナイフ、その他アイテム)
[思考・状況]
基本行動方針:巻き込まれたアンツィオの面子を生かす。
1:アンツィオの面子と合流。
2:1の方針を邪魔をしない限りは他校に関しては基本的に干渉しない。もしも、攻撃をしてくるなら容赦はしない
【逸見エリカ@フリー】
[状態]混乱 背に火傷 精神疲労(大) 過呼吸 頬から首筋にかけて傷。
[装備]軍服 64式7.62mm小銃(装弾数:13/20発 予備弾倉×1パック【20発】)不明支給品(ブーツナイフ系)
[道具]基本支給品一式 不明支給品(その他)
[思考・状況]
基本行動方針:……隊長のところへ。
1:行かなきゃ、どこかへ、どこへ?……私が?
2:人に会いたい。助けてほしい。
2:人に会いたくない。バカにされたくない。
3:……死にたくない。
登場順
最終更新:2017年06月09日 01:22