見上げた空に落ちていく。
朝の眩しい光を合図とし、殲滅戦は始まった。
県立大洗女子学園所属、高校一年生――澤梓の表情には憂いが多分に含まれている。
梓が今いる場所は街の中でも小高いビルの屋上であった。
ここからなら、見通しもよく他の参加者も見つけられるかもしれない。
自分と同じく、殲滅戦を否定してくれる人達を。

「……頑張るぞ」

瑞々しい海色の空は戦車の中から見た空と同じだ。
ただ違うのは正真正銘、生命を懸けた殺し合いを自分達がしているということだけ。
正義なんて、どこにもない。
それはこの殲滅戦では定型句のように決まりきっていることだ。
梓にだってこれぐらいわかる。
今までの戦車道で繰り広げられた戦いとは訳が違う。
正真正銘、これは戦争だ。
ゲームのように、戦車道のように。やり直しが一切効かない殺し合いだ。
だからこそ、慎重に行動をしなければならない。
ちょっとのミスが致命的になる可能性だってある。
焦るな、と。小さく呟いた声は消えそうなぐらいに弱々しい。
嗚呼、自分はこんなにもちっぽけだったのだ。
数時間、数分、数秒。自分達がどれだけ生きていられるかすら定かではない。

「西住隊長のように、私もやるんだ」

それでも、貫きたいものがあったから。
前を見たらあの背中がある。
いつだって、見守ってくれた人がいる。
その人なら、きっとこんなことを否定してくれるはずだ。
諦めるな、貫け。自分達の戦車道を信じろ。
願い、想えば、夢はいつか叶う。
目を閉じて、力強く手を握り締めて。
断続的に吐いていた荒い息も今はもう落ち着いている。
数回、息を吸って吐いて。改めて、梓は状況を整理する。
今、自分がいる場所は馴染みのある大洗だ。
戦車で駆けたこともあるこの町を血で染めるなんて、悪趣味である。

(生き残れるのは三人だけ。そう言われても素直に納得なんてできない)

そんな感情論はともかくとして、大事なことはどんな手を使ってでも生き残る。
それが、仲間であっても。

(そもそも人を殺せる訳、ない。無理だよ)

彼女に支給された武器は人殺しを容易くするものである。
これがあれば、当面は死なずに済む。
けれど、銃で撃てば、人は死ぬ。
自分はこれを使うに足る覚悟はあるのか。
もしもの話、他の巻き込まれた参加者が襲いかかってきたとしたら。
この引き金を引けるのだろうか。
否、引けるはずがない。
人を殺すというのはそれだけに重い行為だ。

(それ以上にッ! 先輩の戦車道を、汚したくない! 私も、先輩みたいに真っ直ぐに生きたい!
 誰かを傷つけることなんて、間違ってるって叫ぶんだ!)

その重みをわかっている。
培った常識という殻は殺意をぎゅっと押し込めた。
この殲滅戦という極限状況であっても、澤梓という人間はまだ、倫理観を捨てずにいたのだ。
何たる強さ、何たる真っ直ぐさ。例える色があるとするならば、純白と言うのだろうか。

(戦う。殲滅戦なんかに、負けるもんか!)

純白に輝く決意は、まだ汚れを知らない。
他の参加者にもきっと、自分と同じく倫理観を捨てずにいてくれるはずだ。
希望を捨てず、探しに行く。待ってばかりでは届かないものだということに、梓は気づいている。
そうして、今までも。そして、これからも自分は動いていく。

「やっほ」

その第一歩をここから始めよう。
殲滅戦を攻略するにあたって、自分の知る人間と真っ先に出会えたのは幸先がよい。
梓は耳に入って来た声に少し安心感を覚えながら、くるりと振り返る。
その軽そうな声を梓は知っている。何せ、仲間だから。
戦車道を始める前から仲が良かった――親友だったから。

「まさかこんなにも早く会えるとは思わなかったわ」

当然、視界に映るのは予想に違わない少女であった。
山郷あゆみが、掌をひらひらと振って近づいてくる。

「いい眺めだよね、ここ」

朝の登校時に挨拶をするかのような笑顔で。

「絶好のロケーションってやつ?」

そして、両の瞳から止めどもない涙を流しながら。
何があった、と問いかける声は口からは出なかった。
一見して、目立った形跡はなく、誰かに襲われたかのような切迫感もない。
何が彼女にあったのか。それを無神経に出す豪胆さは梓にはなかったし、親友の有様を見て固く口を結ぶことを是と判断してしまった。
ひとまずは、様子を見ようと冷静に思考を回せたのは自分でも驚きだった。

「天気もいいし、うん」

朝焼けの照りはまだ、浅い。
吹き付ける風はまだ冷たさを伴っていたし、草木の臭いにもまだ新鮮味がある。
少しの間、沈黙が続く。二人は何をするでもなく、ただ空を見ていた。
同じであって同じではない空を、ずっと。

「――今日は死ぬにはいい日だよね」

そして、親友の口から唐突に放たれた一言は梓の心にかかる圧迫感が強まるものだった。
何の感慨もないかのように、あゆみは言葉を続ける。
もう諦めたんだ、と。
まるでこれからケーキバイキングにでも行くかのように。
あゆみが見せた表情は多幸感に包まれたものだった。
とてもじゃないが、これから自殺をする少女が浮かべるものではない。
涙さえ流していなければ、彼女の表情は直視できるものだった。

「最初で、最後。会えたのが、梓でよかった」

その一言が意味することに気づけない程、梓はバカでなかった。
涙には生きる意志が込められている。そして、それを流しているということはもう彼女に気力はないということだ。
光の消えた瞳には闇が蟠っており、意志を感じられない。
顔は俯き、いつものように明るく自らを鼓舞してくれる親友の姿はどこにもいない。

「どうしてっ」
「どうしてもこうもないよ。ね、わからないかな? ……わからない、か。梓は強いもんね。私とは違って、ずっと」
「そんなことは……!」
「あるよ。うん、やっぱり違うよ。ねぇ、梓。私はもう無理なんだよ。全部無理。何もかもが無理。
 戦車道、楽しかったなぁ。今までは手を取り合って、時には迷って、その末に前進して。
 一緒に頑張ろうって言葉は私達を繋ぐもので。パンツァー・フォーは魔法だった。笑顔でいられるものだった」

さらりと流れだす言葉には過去への思いがふんだんに込められていた。
過去は色褪せない。タフではあるが、楽しかった日々は決して嘘ではなかった。
あゆみの言葉通り、彼女達を繋いだパンツァー・フォーは魔法だった。       
「でも、今回は違うんだ。殲滅戦とか、生き残るのは三人だけとか、その為には、仲間を殺さなきゃとか」
「殺さなくてもいいよ! きっと、西住隊長が!」
「西住隊長が――――どうしてくれるの?」

けれど、この殲滅戦は何もかもが違う。
尊敬する先輩の下で戦えば解決するなんて簡単な問題ではない。
廃校なんか比較にならないぐらいに、重いものが彼女達の肩にのしかかっているのだ。
それは梓にだってわかる。わかりたくないと思いながらもわからざるをえない。

「けど、諦めるのは!」
「うん。西住隊長がいたら梓と同じことを言うと思う。大丈夫だよ、そっちの方が正しいから。
 間違っているのは自分だって、わかってる。理屈ではわかってるんだ」
「正しいとか、正しくないとか! そんなの今はいい!
 確かに、あゆみの言う通り、考える事なんていっぱいある。首輪とか、三人までとか、今後のこととか。
 私、そんなに頭が良くないからさ。わかんないこと、たくさんあるよ!」

それでも。それでも、と梓は叫ぶ。残酷過ぎる現実なんてクソ食らえだ。
わかっていて尚、貫きたいものがある。
この心には、消したくても、消せない炎がある。

「でも、きっと大丈夫って思って! 生きてさえいれば、いつか必ず笑える!」

その炎を絶やさない為にも、抗うという選択肢を梓は選んだ。
未熟な自分でも持っている強さなんだ、皆、誰だって持っている強さだ。
そう信じて、手を伸ばした。       
「そうだね」

しかし、諦めたあゆみが諦めていない梓の手を掴むことなど、永久にない。
彼女達の間に引かれた境界線は色濃く、それを踏み越えられる程、互いは強くなかった。
乾き、歪み、離れていく。親友だった少女二人は背を向け、歩いて行かなくてはならない。
生と死。交わらない道はそのまま反対方向へと続いているのだから。

「私も、そう思いたかった。そう思えたら、どれだけ幸せなんだろうって」

あゆみの両目から止めどもなく流れていた涙はいつしか止まっており、幾分かは見れた顔つきになっている。
親友と話したことで砂の欠片ぐらいは自分を取り戻せたのだろう。
けれど、その瞳に写るものに梓はいなくて。
絶望と恐怖とほんの少しの後悔。
最初の会場ではあったであろう希望は、もうとっくになくなっていた。

「でも、私はこっちの方が楽だって思っちゃった。梓みたいに、私は希望って言葉に縋れないから」

力なく横に振るわれた首は、梓とあゆみの間にある溝の深さを意味していた。
これ以上、あれこれと語る必要はなかった。
殲滅戦という極限状況で、【平常】の表情を浮かべながら【異常】の涙を流していた時点でもう手遅れだったのだ。

「悲しいのは嫌。痛いのは嫌。裏切られるのは嫌。でも、一番嫌なのは一瞬でも、誰かを殺してでも生きたいって思ってしまった私。
 そうまでして生きて、望んで、歪んで、私が私でなくなっちゃうことが、嫌。
 生きていても嫌なことしかないこの世界で、どうしろっていうの?」

天才でもなく、ただの凡人であった少女。
愛とか絆を胸に戦うことができない、弱いモブでしかない少女。
普通の女子高校生は、ヒーローにもヒロインにもなれなかった。
正義だなんて、抵抗だなんて、考えたくない。

「だから、私は……決めたよ」
「なんで、なんっで! 待ってよ、諦めちゃ駄目だよ!」
「皆の中にいる山郷あゆみは、どこにもいない。わかるでしょ? 手は震えているし、まともに喋れてることが奇跡的。
 たぶん、もうすぐ楽になれるからだって思ってるから。現金なものだよね、私」

梓の悲痛な声に対して、平坦な口調で応えるあゆみの表情は既に取り繕いもないものだった。
そこには何も残っていない、ただの【無】。
園みどり子の死を目の当たりにした山郷あゆみという存在は擦り切れたのか。

「もし、ほんの少しでも生きたいって思ったら今すぐにでも狂ってしまいそうなのに」
「大丈夫だよ、私がいる! どんなことがあっても、傍にいる! もしも、あゆみが間違えたら私が手を引いて、正しい方向に連れて行くから……!」
「これ以上、殺すのも殺されるのも、嫌だ。見ていたくない、私は、私は――――」

これ以上、喋ることはない。そう言っているかのように、あゆみは梓の横をすり抜け、屋上の端へと到達する。
助けなきゃ。護らなきゃ。まだ、間に合う。擦り切れたのなら、その上から塗りつければいい。
その意志とは裏腹に身体は凍ってしまったかのように動かない。
怖いんだ、きっと。これ以上の最悪の結末を引き寄せてしまうことが。
大丈夫と口では言っておきながら、もう理解しているんだ。
自分でも知らぬ内に、適応してしまっているんだ、殲滅戦に。          






「パンツァー・フォーって言葉を、もう聞きたくない」






――――だから、澤梓は山郷あゆみを救えない。      





最後に、あゆみは口だけを笑う形にして微笑んだ。
後ろに下がり、そして彼女の身体が地面へと傾いていく。
ふわりと空を舞う身体に重苦しいものなどなく、まるで羽のように。
段々と小さくなる点は、最後に地面へと到達するのと同時に動きを止めた。
理想が、夢が、肉が潰れる音と共に終わった気がした。
数秒前までは生きた人間であったモノが、ただの肉塊に変わる瞬間を梓はまざまざと見せつけられてしまった。
衝撃があゆみの身体に浸透して、崩れていった。折れる右腕に飛び出す白い骨。血飛沫が吹き飛んで、辺りに赤の模様を彩っていく。
末期の祈りも、言葉もありやしない。
ただ無様に、何の価値もなく、一人の少女の心をとことんまでに壊して、山郷あゆみは死んだ。
それだけの話だ。

「――――ぁ」

じっと、見る。下に落ちた親友であった少女が遺した最後の呪いを、全身に浴びる。
原型を留めていたのは腰まで伸びた黒髪と白を連想させる脆い手足。
細い枯れ枝のように曲がり、割れたモノ。そして、顔のない潰れた何か。
その一連の映像は本のページに挟まれ、平面となった押し花を幻想させた。

「どうして」

結局、何もわかっちゃいなかった。
正しい、正しくない以前の問題だった。
とっくに、自分と出会う前から、山郷あゆみは諦めていた。
内包した諦めは彼女の全身に侵食し、取り返しがつかないまでに巣食っていた。
伸ばした右手はあゆみを捕まえることができず、ちゅうぶらりんに空を掴んでいる。        
「どうして?」

先行く隊長の後を梓は余りにも真面目に追い続けた。
彼女が抱く強さに憧れ、ついていこうと前を見てしまった。
その強さは誰もが持ち得るものではないとは知らずに、信じ続けてしまった。
自分の横にいた親友は梓みたいに愚直になれぬことに気づかぬまま、走り続けてしまった。

「どうしたら?」

言うならば、これは既に結末が決まっていた物語なのだ。
ヒーローも、ヒロインもいない。
弱くて、浅ましくて、笑ってしまうぐらいに無力な少女二人がただ絶望するだけの物語。
そんな物語が円満に終わる訳がなかった。

――梓の諦めない想いで、何が救えたのか?

音も、色も、何も見えない聞こえない。
諦めないことを選んだ少女に残ったものは醜い死体と人を屠る武器の二つだけ。
親友一人救えない少女、澤梓。
嗚呼、情けない。
このまま、自分も死んでしまえたらよかったのに、と。
何処かで響く銃声が答えを示しているかのようだった。




【山郷あゆみ 死亡】

【残り 35人】




【E-4・ビル屋上/一日目・朝】

【澤梓@フリー】
[状態]――――
[装備]――――
[道具]基本支給品一式 不明支給品(ナイフ、銃器、その他アイテム)
[思考・状況]
基本行動方針:――――
1:――――
※澤梓の近くに山郷あゆみの支給品が置いてあります。






登場順
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- 澤梓 025:迷中少女突撃団
- 山郷あゆみ GAME OVER

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最終更新:2016年09月06日 01:57