「……強いですね、ローズヒップさんは」

それは、無意識に漏れた一言だった。
何か意図があっての発言ではないし、ましてや皮肉などではない。
本当に純粋に、頭に浮かんだ言葉が口から飛び出しただけだ。

「はえ?」

まあ、そんな言葉だ、ローズヒップが理解出来ず間の抜けた声を上げてしまうのも無理はないだろう。
ローズヒップの体は、現在北に向いている。先程、派手な爆音がした方向だ。

「どこまでも真っ直ぐで、迷いがない」

最初、彼女達――西絹代とローズヒップは、海沿いに南下していた。
その進路に、深い意味はない。
ただなんとなく、合流した後歩き出した方向が南だったというだけだ。

人を探すには――ダージリンと合流するには、寄る価値のある建物が多い商店街を目指すべきだと思っていたが、
生憎絹代もローズヒップもさほど大洗の地理に明るいわけじゃない。
二人共、一度ここで戦車戦をしたことはあるが、それだけで地形を暗記できたら苦労はしないだろう。
いくら事前に下調べした土地と言えど、細かい部分はすぐに忘れる。
年間何試合もするのだ、忘れるなと言う方が無茶である。

ましてや、自分達がどこからスタートしたかも分かっていないのだ。
『とりあえず』で移動し始めしまったことを、一体誰が責められようか。
いや、まあ、ここに逸見エリカが居たら普通に責めそうだけど、それはそれとして誰が責められようか。

「……ローズヒップさんの足取りには、確かなものを感じます」

銃声は、あちこちから響いている。
ここに来るまでに一度そのことに触れてはいたが、しかしローズヒップは、未だに皆を信じているようだった。
人を殺すような人間がこの場にいるはずがないと、未だに信じ続けている。
とはいえ、ではあの銃声は何なのか、なんて聞いても答えは返ってこないだろう。
きっとそれは、単に“ローズヒップがそう思いたい”というだけのことだ。

誤射、試し撃ち、不安を煽るために政府が仕込んだ音――
都合のいい理由付けなどいくらでも出来る。
そんな願望でよければ、絹代にだっていくらでも列挙できた。

しかしながら、ローズヒップは、その願望に命を賭けている。
口先だけの信頼ではない。
いくらでも浮かぶその願望は、安っぽい気休めや自己暗示などではなかった。
自身の全てを投げ打って、その願望に殉じようと、盲信すると決めているのだ。

「それほどまでに、ダージリンさんや、他の皆さんを、信じておられるんですね」

先程聞こえた爆破音。
今まで聞こえた音に輪をかけて不穏なものだというのに、それでもその音の元へ行くという。
当然それは、自らを危険に晒すということを意味している。

それでも、ローズヒップの瞳に迷いの色はなかった。恐怖の色すらなかった。
ただ自信満々に、ダージリンが見込んだ人達と手を取り合うべく、音のする方に行こうと言った。
ダージリン達のことだ、早々に主催側の人間と戦っているかもしれない、とも。

「不肖西絹代、感服いたしました!」

全身全霊での敬礼。
ありったけの敬意を込め、苦しいくらいに胸を張る。

「貴女こそ――真に勇気ある、誇り高き戦士です!」

あの時ローズヒップの手を取った時から、ずっと思っていたことがある。
ローズヒップは、知波単学園の皆に似ていた。

考えなしに無謀なことをしているのだと思われそうな行動も。
上官を信じ、殉じようとする行為も。
どこか楽観的なところも。
思い返せば、試合で敵にとにかく突っ込もうとする所も、知波単の生徒に通じる所があるように思えた。
とはいえローズヒップの方は、ダージリンが制止すればすぐに止まるようではあったが。

更に個人的な話をすれば、お嬢様なのに質素な知波単に馴染まねばならなかった自分と、
お嬢様ではないのにとびきりお嬢様な校風の聖グロリアーナに馴染まねばならなかったローズヒップの姿も、ほんの少し重なって見えた。
もっとも自分とは違って、ローズヒップは馴染みこそすれ染まることはなく、己の道を突き進んでいるようではあったが。

「……私も、貴女のようになりたい」

その自分とローズヒップの差異が、そのまま知波単学園とローズヒップの差異とのように思えた。
知波単学園の生徒達は、別に元から突撃の二文字に脳を支配されていたわけではない。
別にドロップ一つの配給で大喜びする暮らしを実家でしていた者がいるわけでもない。

どこにでもいる少女だった彼女達は、知波単学園に入ったことで、知波単魂を会得したのだ。

それは誇ってもいいことのはずである。
絹代だって、知波単学園に誇りを持っているし、知波単魂は受け継いで行きたいと思っている。

しかしそれでも、今の知波単学園は、健全とは言い難かった。
何せ「どうにかせねばならぬ」と、次期隊長として絹代に声がかかったくらいだ。
絹代自身、自分は他の隊長と比べ大きく優れた所などないと思っている。
そんな自分に立て直しを任せるのは相当に追い込まれている証拠だろうなと感じていた。

「ローズヒップさん」

キョトンとしているローズヒップの名前を呼ぶ。
絹代も、福田も、他の皆も、芯まで知波単に染まってしまった。
良い所も悪い所も、吟味することなく取り込んでしまった。
ローズヒップのように、己の長所を殺すことなく学校の長所と融和していれば、知波単学園の戦車道はもっと強くなっていたかもしれないのに。
なのに自分は、ただ形だけの知波単魂に染まってしまった。

「知波単学園に来る気はありませんか!?」

先の戦いで、絹代はようやく目が覚めた。
ただ形だけ伝統をなぞり、無意味な突撃をする愚かさ。
それを学び、伝統を維持しつつも、それだけにこだわらず勝利を得られる道を探そうと思った。

でも、きっと、自分の代では間に合わない。
あのアンチョビですら、アンツィオの立て直しには丸々三年を要したのだ。
いや、まあ、P40の貯金に関しては、もっと前からしていたらしいが。

とにかく、絹代に残された時間だけでは、知波単学園を立て直すことは不可能に近かった。
西住みほならそれも出来たかもしれないが、あそこまでのカリスマはないと絹代自身思っている。
それでもなんとか、恩義ある知波単学園を、建て直してから卒業がしたい。
希望が芽生えれば、あとは福田達が育ててくれるだろう。
問題はその希望の芽が出るかということだ。
先の戦果があるとはいえ、大所帯の知波単生徒の突撃癖を改善するには時間がかかる。
せめて、もう一人、力になる人物がいれば――――

「お断りしますわ」

そう思って声をかけたが、しかしながらローズヒップの答えはNOだった。
少々面食らったようだが、それでも返事は早かった。
もっとも、この返事は、とうに予想がついていたけれど。

「私の隊長は、どこまで行ってもダージリン様だけですわっ!」

ローズヒップの瞳には、ダージリンしか映っていない。
どこまでも愚直で、妄信的だ。

本当に、羨ましい。
絹代や他の知波単生には、そこまで尽くす相手はいない。
殉ずるに値する信念もない。
上官と伝統に従ってはいるが、そこには何の忠誠もない。
ローズヒップのように、命令を聞くに足る信念も理由も持たないし、故に制止の声もすぐには届かない。

実に虚しい、形だけの特攻魂。
それが今の知波単魂だ。
突撃するためだけの突撃。
そこに守りたいものも突撃するに足る理由もない。

「……そう言われると、思ってましたよ」

突撃は、知波単学園の魂だ。
だが、何度も言っているように、それはもう見せかけだけのものになっている。
魂なんて篭っていない、表面だけをなぞった突撃。

真に魂のこもった突撃は、守るべきものや突撃に足る理由があったうえでのものだ。
大学選抜との試合で、プラウダの生徒が見せたような、覚悟を感じる突撃。
そんな突撃が出来るようになりたかった。

「ローズヒップさんのダージリンさんへの信頼は、この数時間で、よく、分かりましたから」

ぷう、と息を吸ってから、拡声器を口元へ運ぶ。
ローズヒップに預けておくのは危ないからと、絹代が預かっていたものだった。
汗ばんだ親指が、拡声器のスイッチを押し込んだ。

「あーっ、皆さん聞こえますでしょうかっ!」

再び、絹代の声が、拡声器に乗り飛んで行く。
まったくもって性急で、確証もないのに自身を危険に晒すような真似だ。
分かっている。分かっていてなお、絹代は言葉を続ける。

「こちらに向かっている人がいたらすみません、私達二人は、これより先程爆音のしたエリアへと向かいます!」

具体的な進路を言ったことで、更に危険度は増した。
どの隊長が聞いていても、顔をしかめていただろう。
ひょっとすると西住みほならあわあわとするだけかもしれないが、それでも賛同はしないはずだ。

「だから、もし、爆音の中まだ戦っている人がいるなら!」

だからこそ、絹代は叫んだ。
「あいつらは阿呆だ」と言われる可能性を承知したうえで。
それでも突き抜けた“真の阿呆”になるために、声高に叫ぶのだ。
考えなしの阿呆でなく、信じる者に真っ直ぐなだけの純粋できらきら輝く阿呆であるために。

「もし、助けを求めているのなら!」

恐怖もリスクも飲み込んだ。
きっとこれで、阿呆扱いを避けるハードルは跳ね上がっただろう。
ローズヒップを守りたいという願いも遠ざかったと思う。
それでも。

「もう少しだけ、待っていて下さい!」

絹代の心は、晴れ晴れとしていた。
抱え込んでいた靄が晴れている。
ああ、なんて突撃日和なんだ。
覚悟という戦車に乗って、どこまでも真っ直ぐ突き進むのは、なんて気持ちがいいのだろう。

「私達が、超速で駆けつけますからっ!」

そこまで言って、絹代は拡声器を下ろした。
キョトンとしているローズヒップに、絹代が軽く頷いてみせる。
その顔は、どこか誇らしげだった。

「行きましょう。ダージリンさんか、ダージリンさんが信じた人達が待っています」

ローズヒップの表情が、より一層明るくなる。
脳天気度もパワーアップした気がするが、しかしまあ、悪いということはあるまい。
こういう全てを賭して守りたい相手や信念を持つ突撃少女を上手く運用することこそが、隊長の役目なのだ。
ローズヒップは、このくらいで、きっと丁度いい。

「はい、ですわ!」

ああ、まったく、気分がいい。
レベルアップのファンファーレが聞こえてきそうな程だ。
何だか少し、成長出来たような気がする。

勿論、成長したのは内面だけの話なので、新たな呪紋など覚えていないし、肉体だって成長していない。
パラララーラーラーパッパラーなんてレベルアップ音は聞こえてこないし、ドットの絹代がレベルアップを祝ってポージングしたりもしない。

代わりに、パララララという、タイプライターのような音なら聞こえた。
その肉体も、鉛弾が突き抜けたおかげで、少しばかり、変化する。

「――――――――っ!」

覚悟をしていたはずのリスクは、何の兆候もなく、即座に突然現れた。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






五十鈴華が山郷あゆみと“再会”したのは、全くの偶然であった。

今後のことも考えて病院に向かおうとしたのだが、しかし少々事情があってこうして東へ進路を変えた。
殲滅戦を理解している人間のすることとは思えぬ、間抜けな呼びかけ。
それが聞こえてきたことから、誰か居るかも分からぬ病院よりも、間抜けな得物の方へと進路を変更したのだ。

無防備で倒しやすそうということも、勿論進路を変えた理由の一つではある。
しかしながら、華にとって最も大きな理由となったのは、呼びかけ主が西絹代とローズヒップの二人であり、大洗の人間がいないという点だ。
殺したくない、殺す姿を見られたくない人物が、少なくとも先程の呼びかけ時点では合流していない。
誰か大洗の人間と合流する前に、仕留めておきたい相手だった。

そして小走りに移動して――華は、あゆみと再会した。

コミュ力モンスターである武部沙織は別としても、ウサギさんチーム以外の人間では、華は比較的あゆみと親しかったのではないかと思う。
趣味こそさほど合わないため、普段あゆみは近藤妙子やウサギさんチームと話すことが多かったが、戦車道の時間には、同じ砲手としてよく話をしたものだ。
質問もたくさんされたし、買い食いだって一緒にした。
もしもこの場で再会したら、泣きながらしがみつかれるのではないかと思っていた。
手を染めた後では抱き返すことも出来ないので、出来ることならあまり再会したくないとすら思っていた。

なのに今、実際に再会を果たしてみると、華の方が、あゆみに縋り付いていた。
膝を折り、何も言わぬ後輩を抱きしめる。

一目見れば分かった。あゆみは、もう、死んでいた。

大洗の制服か、その髪型か、どちらかが欠けては特定出来なかったくらいに、顔はぐちゃぐちゃになっている。
さらに表情だけではなく、体の中身も多数失くしてしまったようだ。
体の周りには、あゆみの中身が乱暴にぶちまけられている。

涙と一緒に、先程まで胸に宿っていたはずの殺意が、ポロポロと流れ出た。
一刻も早くローズヒップ達を殺しに行かねばならないのに、体はちっとも動かない。

「…………」

ようやく上半身を起こしたのは、再会からたっぷり十分は経ってからだった。
地面に叩き付けられて無惨に歪んだ姿を見るのが辛くて、せめて埋葬してやろうと辺りを見回した。

しかしながら、そう簡単に人間を埋められるような穴を掘れそうな場所などない。
更に言うと、生憎支給された道具では、土を掘り返すことも難しそうだ。

だから、埋葬は諦めた。
代わりに、視界に捉えた花を摘み取る。

あまりに小さく、弱々しくて、それでも何とか咲いていた花。
それを摘み取ることに対し、僅かな罪悪感を覚える。
もっと尊く大切なものを奪い取ろうとしていていたのに、自分でも少し滑稽だった。

「……ごめんなさい」

ぽつりと謝罪の言葉が漏れた。
それは今から摘み取る花に対しての言葉か、それとも助けてあげられなかった後輩に向けた言葉なのか。
華自身、よく分からぬまま呟いていた。

「おやすみなさい……」

あゆみの胸に花を添え、瞼をそっと閉じてやる。
そのまま指があゆみの青白い頬を撫でた。

嗚呼、なんて、冷たく無機質な指触り――

もっともっと、いっぱい喋ればよかった。
もっともっと、色々教えてあげたかった。
移動する敵に当てるコツも、学校近くの美味しく穴場のご飯も、いっぱいいっぱい、伝えたかった。

永遠なんてないと分かっていたけれど、それでもずっと、あゆみ達の先輩として、仲良くやっていけると思い込んでいた。
お花の美しさと一緒で、いつかは消えて失くなるものだから世界で一番美しいのだと、分かっていたはずなのに。
もっと一日一日を、一分一秒を、ほんの少しの関わりを、大切にしておくんだった。
言ってないことも、一緒にやってないことも、まだ、いっぱいあったのに。

「……」

別れを受け入れ先に進むためにした行為のはずなのに、再びあゆみに心が縛り付けられそうになる。
いや――もしかしたら、受け入れたからこそ、ここまで胸が痛んでいるのかもしれない。

「…………っ」

華の意識を思い出の旅から引き戻したのは、遠くで聞こえた爆発音だった。
その音は、嫌でも死を連想させる。
先程までとは、その連想のリアリティが段違いだ。

このまま放っておけば、あゆみのように、また大切な友人が命を落とすかもしれない。
それは、今と同じか、それよりずっと辛いことだ。
あゆみを置いて無理矢理進むのは心が痛いが、それでも黙ってこれ以上友人に死なれる方がもっと辛い。
のそのそと、華が立ち上がった。

そして――

「……」

少しだけ小首を傾げ、もう一度しゃがみこんだ。
立ち上がって俯瞰して見ると、どうにも花が少々アンバランスだった。
そのへんで摘み取った少量の花なので仕方がないと言えば仕方がないのだが、しかし妥協は許されない。

何せこれは、あゆみへの弔いであり、彼女の最期の姿になるのだ。
それに、花を活ける者として、このような恥ずべき形で花を置いてはいけない。

支給された肉切り鋏を取り出して、花の形を整える。

「…………」

ジョキン、ジョキン。

そういえば、あゆみは、ダイエットにこだわっているようだった。
やはり年頃の少女、見た目は気にしていたのだろう。
ならば、せめて美しく最期を彩ってやらねばなるまい。
出来るだけ細く見えるようにしてやりたい。

ジョキン、ジョキン。

この場で、爆音を背に、花を真剣に切っている。
全く自分でも呆れるが、しかし手は止まらなかった。

ジョキン、ジョキン。

弔ってやりたい友人と、そのために供える花。
共に、華の人生において、かけがえのない大切なものだった。
それをおざなりにすることなんて、やはりどうしたって出来ない。
どれだけ愚行だとしても、それは魂に刻みつけられた変えられないモノなのだ。

ジョキン、ジョキン。

自分の人生に後から入り込み、どんと居座ることになった、戦車道。
その象徴たる戦車に花を活けたことはあるが、よもや今度は友人にも活けることになろうとは。
確かに友人も、自分の人生に大きな影響を与えたし、何に替えても守り抜きたいと思ってはいるが、しかし花器にしようなんて発想、頭の片隅にもなかったのに。

ジョキン、ジョキン。

自嘲めいた笑みが浮かぶ。
それでも手は止まらない。

ジョキン。

最後に鋏を入れて、華の作品が完成する。
命を落とした友人の最期を彩る、五十鈴華の最高傑作。
名残惜しそうに見つめると、今度こそ華は立ち上がった。

その動きは、のそのそとしたものではない。
すっと立ち上がり、そして腕を水平に上げる。

イングラムM10サブマシンガン。
譲れない大切なもののため、己の道を踏み外すことを決めた時から、もう戻れないと覚悟していた。
だから――胸は痛むが、イングラムを掲げる。
銃口の先に何があるのか、分かっちゃいない。
見える範囲には誰もいない。

それでも、あちらから、また呼びかけが聞こえたから。
善良な人間にも牙を剥けると、己に言い聞かせるように。
そして、命を落とした友人を弔うように。
祈るように、引き金を引いた。

パララララララ。

鉛球を吐き出してから、華は駆けだす。
鉛球を追いかけるように。
二度とは戻れぬ血塗れの道を、ただ前だけ見て走り出す。
その道が地獄に続いていると、分かってなお、ただ真っ直ぐ、突撃する。

もう、後ろは振り向かなかった。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






油断していたわけではなかった。
襲われる覚悟をしてないわけでもなかった。

ただ、狙撃を想定出来なかっただけ。
無意識の内に、周囲に気を付けていればいいと思っていた。
誰かと会って、その相手の挙動に注視すれば問題ないと、心のどこかで思い込んでしまっていた。

結果、こうして襲撃者の姿が確認出来る前に、鉛弾を食らってしまった。
幸いロングレンジ専用の銃ではなかったらしく、致命傷には至っていない。
被弾箇所も肩であり、治療をすればどうとでもなる。

被弾した西絹代は、冷静に、今の状況を分析していた。
絹代の怪我を心配し横で騒いでいるローズヒップは、どうやら被弾していないようだ。

「ローズヒップさん」

名前を呼ぶ。
ただそれだけで、絹代の顔が苦痛に歪んだ。

それも無理はないだろう。
戦車道では多少の怪我が付き物とはいえ、その大半は保健室に数分もいれば治療が終わる程度のものである。
特殊カーボンという鎧は、常に少女達を激痛から守ってくれていた。
このような大きな怪我をした経験など、絹代は勿論戦車道履修者の大半がないだろう。

慣れない痛みは、少女の顔から余裕を奪う。
ともすれば、声すら奪いかねない。

「だ、大丈夫ですの!?」

余裕の無さは伝播する。
ローズヒップの表情にも、動揺の色が見えていた。
聖グロリアーナの保健室滞在時間ランキングぶっちぎり一位であるローズヒップでさえ、銃撃による怪我などしたことがなかった。
勿論、そんな怪我をしている人間を見たことすらなかった。

「ええ、まあ……」

初めての怪我に、二人共上手く対応することが出来ない。
痛っ、などと呻いてしまいそうで、絹代もあまり口を開くことが出来なかった。
未知の痛みを堪え切れる自信などなかった。

とはいえ、先述の通り、そこまで深刻な傷ではない。
大丈夫というのは本当だ。
それは絹代本人も自覚している。

「それよりも……」

痛みをこらえれば、問題なく活動が出来る。
だがしかし、その『痛みをこらえる』という行為は、普通の女子高生にとっては不可能に近いことだった。
それもまた、絹代は自覚してしまっている。

「ローズヒップさんは、予定通り、爆発音のした方に向かって下さい」

その一言すら、スラスラ言うことが出来ない。
横になって安静にしていればなんてことはない傷でも、動きを阻害するには十分すぎる。

「……それって……」

ローズヒップが眉をひそめる。
この場においても脳天気そうにしていた少女が、初めて見せた表情だ。
“爆発音の方に向かう”という文章の主語に“絹代”が含まれていないことに、気が付いたのだろう。

「私が、ここを、引き受けます」

言って、クロスボウを掲げてみせる。
それだけで腕に激痛が走り、思わず顔が歪んでしまった。
一度綻んだやせ我慢では、もう呻き声を止めることすら出来ない。
格好つけるはずだったのに、あっという間に絹代は傷口を抑えて蹲るはめになった。

「いけませんわ! ここは二人で逃げますわよ!」

ああ、本当に、いい人なんだなと思う。
勝手に拡声器を使い、案の定撃たれてしまった――そんな馬鹿、さっさと置いて逃げていてもおかしくないのに。
こうして、まだ助けてくれようとしている。

ローズヒップは愚かだ。
でも、彼女の持つ愚かさは、いつだって彼女の信念に支えられていた。
そしてその愚かさは、彼女をどこまでも前へ前へと進ませるのだ。
まるで、火砕流の中であろうと突き進む戦車のように。

「いいえ、駄目です。正直……痛すぎて、私は走れそうにありません」

これは本当のことだ。
無理すれば走れるだろうが、その無理をするというのが本当に難しい。
当然、命がかかっているのだから、実際に銃を向けられ追い回されていたら多少無理くらいできるだろう。

だが、その無理が出来てしまった時にこそ、問題は起こりえる。

無理をするということは、即ちゆとりがなくなることだ。
無理して行う行為以外――今回で言えば逃走以外に、思考を割くことが出来なくなる。
痛みを堪えてひたすら走るのに夢中で、何をしでかすか分からない。

例えば背?。
これは間違いなく、放り捨てることになるだろう。
『痛みを堪えて走って逃げる』という行為を無理してやっているのだ、『痛みを堪えて背?を持ち続ける』ことまで出来るとは思えない。
勿論背?を捨てた結果、襲撃者に武器を明け渡すことになるのだが、そんな理屈が通用しないのが『無理』という領域なのだ。
最悪、自分が助かりたい一心で、ローズヒップを盾にしてしまうかもしれない。

それだけは、断固として避けたかった。
西絹代は弱い人間だ。ローズヒップほど確固たる決意を持っていない。
だからこそ、やりかねない。しかしだからこそ、やりたくない。

「大丈夫。何も無策で突っ込むわけじゃありませんよ」

だから、ここでお別れだ。
せめて最初の誓い――ローズヒップを守るということだけでも、貫き通して逝きたい。

「あそこのコンテナがあるエリアなら隠れる場所も多いですから、あそこに隠れようと思います」

かくれんぼには不向きなほど、傷口から血が滴り落ちている。
しかしどうやらローズヒップはそこまで気が回っていないらしい。
海沿いにあるコンテナを見ながら、何やら迷っているようだった。

「あの爆心地で仲間を見つけて、助けに戻ってきてくれると信じています」

絹代だって、間に合わないであろうことくらい分かっている。
勿論、あの爆心地にいる人間の大半が死体か殲滅戦に乗った人間であることも、当然ながら理解はしていた。

それでも、ローズヒップなら。
ローズヒップなら、本当に仲間を連れて戻ってくるのではないかと思った。
そう思えるだけのものが、ローズヒップにはある。

「だから――行って下さい」

だからこそ、命を賭ける価値がある。
だからこそ、未来を託す価値がある。

「ですが……」

それでもなお、ローズヒップは食い下がる。
そんなところも魅力なのかもしれないが、しかしながら、共に戦うわけにはいかない。
一度深呼吸をして、痛みを堪え、改めて表情を作る。
そして、目で訴えかけた。

「ダージリンさんと、合流するのでしょう?」

先程の呼びかけを思い出せ、と。
あれをもし聞いていたら、ダージリンだって爆心地を目指すはず。
ダージリンとの合流を第一に考えるなら、今はそこに行くことがベストなのだ。

「お二人一緒に戻ってくるのを、待ってますから」

ローズヒップの察しは悪い。
だが――今回ばかりは、ローズヒップも理解したようだった。
ダージリンと合流するのは、今がチャンスであるということを。
そして、きっと絹代は、断固として譲らないであろうことを。

「聖グロ一の俊足で、仲間を連れてすーぐ引き返してきますわっ!」

言いながら、もうすでに駆け出していた。
やることが決まれば行動が速い。
まったくもって、優秀な歩兵だ。いや、この速さは、最早香車のそれか。

「ですから……ですからっ!」

豆粒のようになっていくローズヒップは、最後まで、その言葉の続きを口に出せなかった。
口にするのが憚られたのだろう。
きっとその言葉は、絹代が死ぬ可能性や、誰かが本気で絹代を殺そうとしているということを、暗に意味してしまうから。

絹代も、言葉を返すことが出来なかった。
ただ、ローズヒップの背中が見えなくなるまで、右腕を額の前に掲げ続けていた。
未来に向かって駆ける少女への、生涯最後の敬礼である。

「痛っ……」

傷口の痛みに表情を歪め、ようやく敬礼を終える。
また撃たれたら、今度はもっと痛いのかもな――そんな弱い考えが、絹代の体を震わせた。
不安と恐怖に、今にも押し潰されそうになる。

ええい、腑抜けた面を見せるなよ、西絹代!
お前は、誇り高き知波単学園の生徒として、名誉の突撃を行うのだろう!?

ぎゅうと目を閉じ、空を仰ぐ。心の中で、弱い己を叱責した。
はっきり言って勝ち目はない。
だがそれでも、“弱い知波単学園”のように、ただ死ぬための無様な突撃をするわけじゃない。
生きるため、勝つために、勇気を持って突撃するのだ。

(もし、万が一が起きても……知波単なら、大丈夫だよな……)

知波単学園を変えようとしたのは、何も自分だけではない。
福田が、大洗のアヒルさんに影響を受けて、変えようとしてくれたのだ。
絹代だって、あんこうさんに影響を受けた。

きっと自分がいないとしても、知波単は大丈夫だ。
彼女達には、知波単学園にだって染まれた純粋さがある。
きっとこれからも周囲から何かを吸収し、進化し続けてくれるだろう。

(福田……玉田……細見……名倉……)

瞼を閉じると、脳裏にすぐさま知波単学園の仲間達が映し出される。
苦労もたくさんあったが、しかしそれ以上に自分を支えてくれた仲間達。

皆がいれば、怖いものなど何もなかった。
無謀な突撃も、怪我をしかねない特攻も、無責任な外野の野次も、全て跳ね除けて自由になれた。
まるで魔法にかけられたように、何があっても笑い転げることが出来た。

幸せなその時は、まるで永遠に続くかのようで。
本当は、たった三年間だけだって、分かっていたはずなのに。
それでも、「いつまでもこのままで居られたら」なんて、叶うはずもないのにずっと願ってしまうほどに、知波単色に染まってしまった。
いや、知波単学園にというよりも、知波単学園戦車道の仲間がいる空間に、すっかり染め上げられてしまった。

きっとあれは、刹那的な幸せにすぎない。
どれだけ眩く輝いていても、いつかは消えてなくなってしまう。
笑ったことも泣いたことも忘れていき、いつしか過去の楽しい思い出話となる。
それでもあまりに眩く輝く思い出は、闇に覆われた絹代の心を明るく照らしてくれる。
恐怖や不安に覆われた道を、煌々と照らしてくれる。

「……不思議だな」

思わず笑みが溢れる。
ああ、本当に、私はあの学園が大好きだったんだ。

「怖いはずなのに――怖くない」

一人この場に残ると決めた今でも、死にたくはない。
否――生きたい。
生きてまた、知波単の皆と戦車道がしたい。
また大洗や聖グロの皆と――そして、戦車道を通じて知り合えた友人達と、互いに研鑽していきたい。

(こんな簡単なこと、何で今まで、気が付かなかったんだろうな……)

死ぬ気はない。
だが、守らねばならぬものがある。
だから戦う。生きるために。
僅かな希望に賭けて、その希望を掴み取るため、迷いを振り切り必死で突っ込む。

それが、突撃。
それこそが、知波単魂。

きっと伝統の始まりを告げた最初の突撃も、こんな気持ちで行われたのだろう。
『伝統だから』なんて薄っぺらな理由じゃない。
強い想いや信念があったからこそ、突撃は成し得たのだ。
少女達の背景という名のエンジンに、覚悟を搭載していたからこそ、かつての突撃は成果を出したのだ。
伝統化してただの猿真似となってしまった突撃では、掴めなかった大きな成果を。

(……そろそろ襲撃者がお目見えかな)

怖いさ。無謀な賭けなのだから。
怯えるさ。失敗したら全てが終わってしまうのだから。
奇跡に手が届かなければ、きっと何の物語もなく、呆気無く散るはめになる。
語られることもない。涙されることもない。どこにでもある無様な戦死者に成り下がる。
まったく最低な気分だ。それでもやるんだ。最低の先にある最高を掴むために。
――ああ、きっと先輩も、それこそ戦時中の兵隊さん達も、こんな気持ちだったのだろう。

どれだけ怖くても、意地だけで前に進むんだ。
足を止めたら、遠い先にある希望を掴み取れないから。
その希望は、弱く、儚いものだけれど。
それでも何より光り輝いているのだ。

そのデカい希望と、大切な人の手を、しっかりと握りしめるため。
そして、掴んだその手と希望を、二度と離さないように。
両手に掴んだモノを守り抜き、笑えるように――――

「そうだ、私は、知波単学園の誇り高き隊長だっ……」

だから謳うのだ。拳を固めて。
己を奮い立たせるために。

「絶対にっ……ローズヒップさんを追わせはしませんっ……!」

声を張り上げ居場所を教えるリスクを身を持って体験していても。
それでもなお、高らかに吠える。
そうしないと戦えないから。
そうしないと戦えないけど、戦わなくてはいけないから。

だから、少女は、脇目もふらず駆け出すのだ。
肺に貯めこんだ空気を全て吐き出して。
希望に向けて、賢明に。ただ、愚直なまでに、前進するのだ。

「っあああああああああああああああああああ!!」

守るべき者が、背中を押してくれる。
大切な友が、道を示してくれる。

そうだ、走れ。
どこまででもいい。
精一杯でいいから、走れ。

ただひたすらに。
そうさ、どうせ出来ることなんてそんなにないんだ。
だから必死で、とにかく今は、どこまでも、ひたすらに、真っ直ぐだ――――

「とつっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇきっ!!」

――――突撃だッ!





 ☆  ★  ☆  ★  ☆






「…………」

落下防止の手すりに額を預け、澤梓はぐしゃぐしゃになった親友を見ていた。
親友に伸ばし、しかし何も掴めなかったその腕は、今ではだらりと力なく下ろされている。
いっそこのまま親友を追いかけられたら楽になれたかもしれない。
それでも、梓は立ち上がれなかった。
立ち上がれないままでは、親友の元にも、憧れの先輩の元にも、行けるはずなどないのに。

「…………」

まるで檻だ、この手摺は。
梓を閉じ込め、一歩も動けなくする。
そして次第に、檻を出ようという気力すら奪うのだ。

「…………」

いっそこれが檻ではなく、鳥籠だったらよかったのに。
そうすれば、いつかは開け放たれて、そして空へと飛び立てる。
例え、弱り切ったこの翼では、もうどこにも辿り着けないと分かっていても。
それでも、飛び立つことができたのに。

「…………」

このままこうしていてもしょうがない。
頭のどこかでそう思っても、体は微塵も動かない。
両の眼が、眼下の死体に釘付けになっている。

視界に親友の亡骸だけを映していたからだろう。
見知った先輩がこのビルの下に現れていたことにも、ちっとも気が付かなかった。
先輩が親友の体に泣き縋った時、ようやく梓の脳みそは先輩の存在を認識した。
それでも梓の足は、ピクリとも動かなかった。

「…………」

先輩は、ぐちゃぐちゃになった親友の体を、元に戻そうとしてくれていた。
本当なら、それは自分がしなくちゃいけないことだったのに。
申し訳無さと同時に、情けなさが押し寄せてきた。
自分は親友を救えなかったばっかりか、弔うことすらしてやれなかった。

「…………」

親友にもだが、先輩にも合わせる顔なんてない。
一体どのツラを下げて、今声をかけろというのか。
そんなことを思っていたら、遠くで機械を通した声が聞こえてきた。
そういえば、さっきもこんなような呼びかけがあったことを思い出す。

今なら分かる。
この声の主は、とても強い。
少なくとも、梓にはそんなこと無理だ。
先程から銃声だって聞こえているのに、そんな居場所を教えるような真似、怖くて出来ない。
そんなことを平然とやる人間は、きっと梓よりずっと強く、そして正しいのだろう。
あまりの眩しさに、思わず目を背けたくなる。

私には無理だ。
私では、あそこまですることは出来ない。
しなきゃいけないと分かっていても、どうしても勇気が出ないのだ。
そんな自分が情けない。

ああ、きっとあゆみも、こんな気持ちだったんだろうな――――


「…………」

タイプライターのような音が辺りに響いた。
先程、つい拡声器の音源の方に向けていた顔を、再び眼下へと向ける。
尊敬していた優しい先輩が、カステラの箱のようなものを掲げているのが見えた。

「あ……」

それは、カステラの箱などではなく、短機関銃であった。
しっかり視界に捉えられたわけではないが、しかしながら、ちょっと考えれば分かる。
すぐさま拡声器の音の方に駆けていったその姿に、迷いの色は見えなかった。

尊敬する先輩は、この殲滅戦に乗ってしまったのだ。

何故だろう、と一瞬疑問が頭をよぎったが、しかしすぐに思考を止めた。
そんなこと、考えたってどうしようもない。
分かるはずなんてないし、分かったところで何にもならない。
死にたくないのかもしれないし、誰かのためかもしれない。
恐怖で完全に狂ってしまった可能性もあるだろう。
ひょっとすると、先程の行為も、追悼ではなく単なる死体で活け花がしたいだけの行動だったのかもしれなかった。
それを「ありえない」と断じることが出来ないくらい、この町は、そして梓の思考は狂気に満たされてきている。
大体、「ありえない」なんてことを言うなら、あゆみがこうして自ら命を絶ったこと自体、ありえてはならないのだ。

兎にも角にも、『五十鈴華は殲滅戦に乗った』という事実は、受け入れるしかなかった。
その事実が、梓の胸にのしかかる。
あの優しい人ですら、反抗を諦めてしまった。
自分なんかよりもっともっと聡明なはずなのに、殺し合う道を選んでしまった。

これを知ったら、西住隊長はどうするのだろうか。
それでもなお、梓が望んだ通り、頼りになる隊長として、道を切り開いてくれるのだろうか。
頼る一方で役に立たない自分なんかを、一緒に脱出させてくれるのだろうか。
いや、そもそも、自分なんかを、信用してもらえるのだろうか。
親友一人守れなかった、自分なんかを。

「…………」

視線を動かす。
先程拡声器を使っていた二人組は、今は一人だけになっていた。
遠くに、走り去る背中が見える。

仲間を見捨て、一人だけ走る気持ちは一体どうなのだろうか。
罪悪感や絶望感は、いかほどのものであろうか。

梓には、耐え切れなかった。
殲滅戦の辛い現実も、親友一人助けられなかったことも、全てが重荷となって、梓の体を縛りつける。

「…………」

だというのに、逃げ去る少女の背中は、とても力強かった。
無様な敗走などではない。
絶望に染まったものでもない。
仲間を救えない無力感に打ちのめされたものですらない。
未来に向かい突き進む、力の篭った背中であった。

それはまるで、前に向かって誰より速く突き進む、普段通りを貫く姿のようで。
また、その力強い姿は、尊敬してやまない隊長のようで。
梓が憧れ、しかし諦めた背中そのものだった。

『パンツァー・フォーって言葉を、もう聞きたくない』

それでも、その背中を追いかけようとする度に、親友の言葉が呪詛のように梓の体にまとわりつく。
そして体は気持ちと共に沈み込み、這い上がれない泥沼へと身を落とすのだ。

何度か聴こえるタイプライターのような音に、またも視線を移動させる。
どうやら決着がついたらしく、そこには尊敬していた先輩の姿と、尊敬できる行動を取ろうとしていた少女の残骸があった。
力なき前進は、容易く踏み潰されてしまう。

あの亡骸は、大いにありえた澤梓の末路の一つだ。

自分が無理に前に進んでも、ああして命を落としただろう。
いや、そもそも、その段階にも行けていないからこうして檻に閉じ籠もっているのか。
結局親友とすら手を取り合うことが出来ず、親友を無様な亡骸へと変えてしまった。
そのうえで自分は、走り去った少女のように、意思を継ぐことも前に進むことも出来ない。

「わたしは…………」

絞り出された声は、独り言のように虚空に消える。
眼下の親友は、決して答えを返さないのだ。
ただの独り言と言っても間違いはないだろう。

「パンツァー・フォーって、聞きたかったよ……」

大好きな山郷あゆみの口から、その言葉を聞きたかった。
尊敬する西住みほの口から、その言葉を言ってほしかった。

その言葉は、いつだって勇気をくれた。
敬愛する隊長がその言葉を言うだけで、どこにだって突き進めるような気になる。
親友がその言葉を否定した今でも、その想いに代わりはない。

だから梓は、パンツァー・フォーを聞きたかった。
あゆみの苦悩を思い出して辛いけど、でもだからこそ、みほに言って欲しかった。
みほの口から、今は前に進めと言って欲しかった。

「でも……」

この殲滅戦は個人戦だ。
誰も自分に命令なんてしてくれない。
誰も作戦の責任を代わりに取ってはくれない。

ああ、何も考えず命令に従っていられたら、一体どれほど楽だったろうか。
もう、何でもいいから、とにかく言って欲しかった。
誰でもいいから、自分の代わりに、どうすればいいか決めてほしかった。

「もう……聞こえないよ……」

でも、駄目だった。
今度ばかりは、自分自身が、決めなくっちゃならない。
パンツァー・フォーは、自分の口で言うしかない。
そうなるのは、ずっと先のことだと思っていたのに。
1年以上先、自分が西住隊長のようになってからだと、ずっとずっと思っていたのに。

「パンツァー・フォーが、聞こえないよ……」

遠くなりすぎた隊長の背中を追うにしても。
先輩のように道を踏み外すにしても。
前進しなくては始まらない。
パンツァー・フォー以外に、道などない。

「聞こえ……ないよ……」

戦車は例え火砕流の中であろうと、どれだけ足場が不安定だろうと、前へ前へと突き進む。
きっと、目の前に落ちた親友の亡骸など踏みつけて、易々と前進出来るだろう。

だから、あとは、「パンツァー・フォー」と唱えるだけ。
そうして友の亡骸を踏み砕いていけば、道は拓ける。

「…………」

パンツァー・フォーは聞こえない。
その言葉は――もう、“聞こえる”ものではない。
“言う”ものであり、そして“聞かせる”ものだ。

『パンツァー・フォーって言葉を、もう聞きたくない』

そう言っていた親友に、追い込んでしまった親友の亡骸に、“聞かせなくてはならない”――そういうものに、なっていた。




【西絹代 死亡】

【残り 31人】




【E-04・海沿いの道路/一日目・午前】

【五十鈴華@フリー】
[状態]健康
[装備]イングラムM10、予備マガジン×? 肉切り鋏
[道具]基本支給品一式 不明支給品-ろ 、小型クロスボウ、西絹代の支給品(一式及びナイフ及びその他アイテム)
[思考・状況]
基本行動方針:大洗(特にあんこうチーム)を三人生かす。その過程で他校の生徒を排除していく。
1:友を護る、絶対に。

【E-04・D-04との境目近辺/一日目・午前】

【ローズヒップ@フリー】
[状態]健康
[装備]軍服
[道具]基本支給品一式 不明支給品-い・ろ・は
[思考・状況]
基本行動方針:ダージリンの指揮の下、殺し合いを打破する
1:爆音のした方(商店街の方)に向かいダージリンを探す。
2:仲間を引き連れ、西を助けにいく

【E-4・ビル屋上/一日目・午前】

【澤梓@フリー】
[状態]パンツァー・フォーが聞こえない
[装備]なにも、ない
[道具]基本支給品一式 不明支給品(ナイフ、銃器、その他アイテム)
[思考・状況]
基本行動方針:――――
1:――――
※澤梓の近くに山郷あゆみの支給品が置いてあります。


[装備説明]
  • 肉切り鋏
刃の部分がゆるくカーブした、食肉を切断するようのハサミ。
分厚い肉でも楽々切断出来るようになっているので、自分の指を切らないように気をつけねばならない。




時系列順
Back:理想
Next:embrace


登場順
Back Name Next
010:黎明エンドロール-Cry for me,cry for you- 五十鈴華 036:白い箱庭、赤いドレス
011:暴走銀輪 西絹代 GAME OVER
011:暴走銀輪 ローズヒップ 042:太陽に身を焦がす
016:梓バッドエンド-Trample on "Justice!!" - 澤梓 032:善く死ね

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最終更新:2017年06月19日 00:05