茂みに息を殺すケイの目の前の枝葉を、蟻が辿る。
目を向けた、地面。砂利。
帆船めいて頭上に掲げたのは蝶の羽根。
荒波打つ海みたいに凹凸した砂土を、彼らは穏やかに忙しく歩き回っている。
落ちた蝶――――潰れた身体/馬銜出した内臓――波打つ砂間/波打った腹部――分かち運ばれる手足/飛び散った肉と骨。
吐息が震える。小刻みな振動にシリンダーが揺れるのを、ケイは左手で押さえつけた。
これが――殺しか。
即死ではないが、致命傷。
そして、みほの腕の中で息を引き取った。
――――殺した感触は、まとわりつく。
言われたその通りだった。
拳銃の反動が、まるで死体の血液のように――死の粘液のように手のひらに残っている。
殺し方は、きっと戦争と破壊の歴史の上に成り立っている遺伝子が記憶しているのだ。
撃発の衝撃自体は、扉を撃つときと人を撃つときで変化しない。
だけれども本能が理解しているのだ――――これが、“殺し”だと。
何度手を開いて閉じても消えない。
死にたくないという魂の懇願めいて、死の残響はケイの手のひらに染み残る。
見えない血の染み。
見えない肉の重み。
これが、命の重さ。
いつまでもあの世に逝きたくないと――その手にすがり付かれているようで、尻で拭った。
擦れて熱くなった手のひらも僅かに時間が経てば感じる涼しさに――――それすらも、それからも感触が思い出されてポケットに手を突き入れた。
許してくれとは言わないし、許されるとも思わない。被害者は許さないだろう。
それでもあの先輩がこれに耐えていたと考えると、改めて思うところがあるのは、確かだった。
付けられた脇腹の痛みは、まだいい。
それどころか、その痛みの疼きが手のひらの感触を遠ざけてくれるようで、少しは気が張れる。
痛みは、命だ。
感じている間は、死が和らぐ。そして己の死を思い出す。
死と生を。
痛みは、慰めであり恵みになるのだろうか。この場合は。
シャツの端を切って、腹に押し当てて止血する。
「さて……」
シリンダーを横に振り、薬莢を交換する。
ここまで三発。
三発もかけてしまったとも思うし、三発でできてよかったとも思う。
弾を惜しんで何もできないよりは、いい。
後ろのベルトに一丁。片手にもう一丁。
二丁の銃を見れば勘のいい人間はケイがどちら側かなんて判るだろうが、言い訳などいくらでも思い付く。
それよりも肝心なときに取り出せないで死ぬなんて方が、間抜けだ。特にリボルバーの弾数なんてたかが知れてる。次の手は多い方がいい。
「hum……どうするか、だけど」
やはり、早々に誰かとチームを組みたい。優秀な人間が望ましい。
数の差は火力の差。
数を揃えて火力の優勢を図れば、それだけで生存率は高まる。
夢を言うなら、
アリサと
ナオミを早くピックアップしたい。彼女たちとチームを組めれば、余計な心配はなくなる。
ナオミの狙撃の腕も、ありがたい。
アリサはもうちょっと視野が広くなったらいいと思う。
型に囚われず、自分達にない思考をしてくれるのはそれはそれでプラスになるけど。
……。
……二人は、受け入れてくれるだろうか。
受け入れてくれるとは思う。その程度の信頼関係は作っている筈――――なんて、打算的な思いも浮かぶ。
ナオミは少しニヒルに口許を歪めてついてきてくれるかもしれない。
アリサは、隊長だけにやらせないと一緒になってくれるかもしれない。
そうなると――――恐らくはこの場で最強の戦力は、サンダースになると思うが。
……本音を言うならやらせたくないものだが、そうも言えないとは聞いている。
あとは……ケイ自身と同じく、この殲滅戦に乗っているもの。
いずれ、それは脱出を志す集団との激突の可能性を有することも理解するであろうし、殆どが軍人並みとはいかぬこの集まりで、火力の重要性を確信するだろう。
となれば、他校の殺人者同士のチームというのは、存分に有り得る。
互いの生徒に手を出さぬという不可侵協定を結べば、概ね打算的な協力関係は成立するであろう。
……まぁ、互いに、自校生に手出しをされる前に殺すという、信頼もない形にはなるにしても。
殲滅戦への方針を取りまとめる。
ここは、現実を見れなければそのまま虚構に沈められる場所。
悔やんでからでは遅いし、戸惑っていては死ぬ。
いち早く、具体的なヴィジョンを持たなくてはならない。――それがリーダーの努め。
「…………」
などと考え、
先ほどみほにああ言ったケイであったが……実際のところ、引っ掛かりはあった。
この国全てが敵かと言われると――――本当のところは、若干違う。
特殊殲滅戦――。
人道的には、否定される。人事状況的にも、否定される。
決して、“現時点では”一枚岩ではない。
自衛隊は、未だ西住流が主流だ。
高々一等空尉風情が堂々と文科省と渡り合えるなどと、その人事にも大幅に食い込んでいる証左。
一説には、陸上自衛隊最新戦車の運用構想にも、西住流の強い後押しがあったとされる。
以前に比べて戦闘員こそ少ないが、性能を増した戦車――少なくとも対戦車戦ができる――を使用するに当たっては、
そもそも今日日こうなっては伝説的な軍人一人よりも、高性能の戦車を活かした連携の方が勝率が高い。
一人ないしは数人の突出した性能を求めるよりも、平均より上の兵士を集めた集団の方が強いのは道理なのだ。
ただし、人員の確保が以前に比べて遣りにくいこの国では、やはり島田流の介入する余地がある。
おまけに、防衛計画の見直しによって戦車の定数が以前の三分の一、現在の二分の一に変更されるのだから、不測の事態に備えての錬度の向上は、求められている。
戦時下の島田流は、本土決戦でのゲリラ戦を想定していた。
各戦線でもそうだ。極度に訓練された個の力での戦線打破を図ったし、政府もその案に賛成した。
選局が進むに連れて不自由になる人員・物資の中、軍は一騎当千を目指した。
西住流は、徴兵された要員の数を活かした。
しかし高度な戦闘連携には、相応の集団的な錬度を要求する。
あの流派の鋼の心――友軍の犠牲を無視するなんて軍隊における非人道的な理念も、その時に強調されたと聞く。
……人の死なない戦車道においては、その作戦は実に正解になっているのだが、さておき。
さて、それぞれ、プランを持っていた。
どちらにしても日本国は敗北したが――――戦後の軍の主流となったのは、西住流だった。
単純に、徴兵を使ったからその数が多い。
島田流もまた徴兵への訓練として行われたが、どうしたってこの特殊殲滅戦の構造上、門弟の数は西住流に劣った。
何よりも……。
死をも怖れず、仲間の死体に目もくれずに敵に挑む勇猛果敢な戦法と……。
どんな手段を使ってでも敵の漸減に努め、撹乱を行い、自分という圧倒的な個での生存を図るもの。
……どちらの受けがいいかという、話である。
西住流は、その性質故に戦後に生き残った人間は友軍からの信頼も厚く、結束も固かった。
島田流の結束というのは殆どある程度少数の連携に関してであり、
何よりも、戦地でないのに人を殺して生き残ったというのを本人が恥じた。
ニンジャ戦法と呼ばれる島田流――本当にニンジャの如く、平和においては影に消えていってしまった。
或いはその特殊殲滅に巻き込まれニンジャの被害者となったものの遺族が、戦後次々にニンジャを狩っていったという眉唾な話も聞くがそれはさておき……。
軍事組織の多数派は未だに西住流であるが――――それ以外に手を広げているのが島田流である。
集団の錬度は、集団としての訓練を長く続ければ育まれるが……個としての戦力に関わる判断能力は、個々人の資質に由来する。
つまりはある程度義務教育的な高校生よりも、年齢に比例する自立能力のある大学生の方が“向いている”。
そんな経緯で島田流は、大学戦車道連盟に食い込んでいるのだ。
そして大学生を押さえるということは、社会人を押さえるということ。
話によれば、戦前行った特殊殲滅戦の“成果”が経済界における重鎮となったようで――
――つまりはその“弱味”を握る島田流は、軍事組織以外に静かに深く勢力を伸ばしているそうだ。
両者の軋轢は、依然として存在する。
軍事組織――――つまり政府のお膝元の暴力装置での多数派は西住流。
だからこの特殊殲滅戦には、十分な戦力が集まらない。
政府は知っているかもしれないが――いざ露見したそのときに、“一部の人間の独断先行によって行われた”と切り捨てるつもりでいる。
故に、用意できた火力というのも十分ではない。
勿論、アリバイとしてこ為にある程度の戦車は集めているだろう。
しかしそれはいずれも戦車道に使用されるような旧型であり、航空支援も同じく旧型。爆撃機や戦闘機は使えない。
それこそ米軍や、或いはプラウダ絡みでロシア(特に自国退役軍人の娘が参加という大義名分がある)の介入があれば、彼らは瞬く間に壊滅させられる筈だ――。
……しかしだ。
仮に手段があっても、この日本の外に助けを求めることはできない。
一枚岩ではない。確かにそうだ。
内輪では、賛否両論であるし、眉を潜めたり、或いは打倒を行うと思うものもいるだろう。
告発を試みる人間もいるだろうし、政府も表立って全面的に協力はしない。
だが……。
こんな血塗れのサバイバルの末に選手を育成しているとしたら、それが外部に漏れてしまったら、日本国そのものの問題だ。
政府はきっと、全面的にその不祥事の揉み消しに入る。
少なくない費用をかけている社会人チームも大学も、人気が直結するところも嬉しくない。
企業のスポンサー力の高いメディアも、或いは経済界からの支援を受けている議員もそうだろう。
戦車道の国際大会の永久参加禁止で選手が路頭に迷うなら、まだ安い。
ひょっとしたら、介入しようとする外部勢力と、日本国の非公式な争いになるかもしれない。
だから、外部に助けを求められない。
そして外部に助けを求めなければ、日本国そのものが反逆者の粛清にかかる。
首尾よく脱出したとしても、そこで詰みなのだ。
よほどの何かのアクシデントがありさえすれば、これ幸いと何かが起こるかもしれないが……。
「ジーザス……」
いっそ笑いが出てくる。
それこそ、言葉通り、神頼みが過ぎるというものだ。
運よく島田流以外の人間がケイたちの身に起きたことを知り、運よくそこが一定の軍事能力を持ち合わせ、
運よくこの事件を表沙汰にしないものであり、運よく彼らの動きを主催者が気付かず、運よく救出までに自分達が殺し合わず――――そしてタイムリミットを迎えない。
そんな奇跡が起きなければ、生き残らない。
よしんば首輪を解除しても、脱出しても、それほどの幸運に見舞われない限りは“詰み”なのだ。
ケイの先輩は、そこまで考えた。この流派の流れと状態も、そちらからの聞きかじりだ。
彼女は考えた。
そして、そこまで考えて、諦めた。
外から閉ざされた瓶の中に詰められたマウスが内から脱出しなければならない矛盾的監獄――――
――取れる唯一の方法を使えば瓶は砕け、マウス自身にも、その外にも危険が及ぶ。
どのみち、終わっているのだ。この空間は。
そうだ。終わっているのだ。終わっていると、解る。終わっていると、知っている。
犠牲者は、強化合宿中の船舶事故と葬られると知っている。
白兵戦の痕跡を消すために、上塗りで戦車が街を破壊すると知っている。
弱味を握られた勝ち残りの女が、主催者の一部からどう扱われるか知っている。
ここには希望なんてない、諦観と哀惜に塗れた監獄塔と知っている。
だから、殺そうとした。
でも、思う。
西住流の娘という、介入の為の着火材となるもの。
そして彼女の人柄を知っている。
彼女の逆転劇を知っている。
だから、撃てなかった。
彼女のその道が――ひょっとしたら、見えないどこかに繋がっているとして。
自分も先輩も行けなかったあの場所へ、行けるかもしれないと――――“希望”という灯火を担っていけるのではないかと、思ってしまったら。
しかし、選べなかった。
そんな不正確なものに身を任せるには、ケイの背中には責任がありすぎた。
そして、眺めすぎた。
現実――――というものを。生き残りを。その無力感を。その生存者を。
懺悔――だったのかもしれない。
ケイならその秘密を他人に漏らさないと信頼されたのかもしれないし、或いはただ誰かに打ち明けたかっただけかもしれない。
それとも万が一のときにケイにも備えさせようとしたのかもしれないし、殺してしまった良心の嘆きだったのかもしれない。
ただ……人を殺す感触を、その立ち回りを、傷んだ死体の臭いを、口に入る臓物の暖かさと冷たさを、へばりつく血痕の重さを聞いてまで何も抱かぬほど、ケイは落ち着いた人間ではなかった。
殺せば後悔する。
死ねば後悔できない。
死なれたら後悔が消えない。
だから――それでも――――生き残るのだ。
そうともと、膝に手をやって立ち上がる。痛みに顔を顰めながら、歩き出す。
「隠れる敵が厄介なのと」
動き回れば疲れて碌なものではないし、常に待ち伏せされる形となるのは危険だ。
禁止エリアも万能ではない。
指定されないひとつのエリアでも、息を潜めて生き残ろうと思えば十分にできる。
後先なく出会った人間全てを殺していたら、いずれ穴に籠ることを学ばせてしまう。
「基本的に人は人を見捨てられないでしょ?」
自分が死にそうなときでも、人は、仲間は、他人を庇おうとする。
怪我をした友人を、見捨てられない。もう死ぬと判っていながら、最後まで傍に止まろうとする。
致命傷の人間を、装備を捨ててでも背負っていこうとする。自分も限界なのに。
友人が傷付いてしまったもの同士は、それまでどんなに殲滅戦に乗ろうとしていても、協力して仲間を守ろうとする。
脱出を試みるものたちは、負傷者を保護しようとする。
「護るものがある人間は、逃げられないし」
怪我をした友人の集まり。
或いは治療道具や食料、武器を集積した人間はその手間を考える。
手間を振り替えって惜しんで――――そして死ぬ。
重要さを理解している人間は、同じだけ捨てることを惜しんでしまう。
そうすると手を結んで守ろうとする。その場所にしがみつく。
場所に止まろうとすることも弱点で、場所そのものも弱点となる。
故に殲滅させたいのであれば。
負傷者を作り、纏めて、一ヶ所に集めて/“掃いて”――殺す/“捨てる”。
それが、やり易い。
仲間がそこに加わらないなら、火をつけて殺していい。
「戦いは、攻める側の好きなタイミングで攻められる……」
だから、そのタイミングを間違えずに――。
効果的な時間に、狙い撃つ。
「戦いは、攻める側は周囲の被害を気にしないでいい」
実際とは異なるが――占領を考える必要のない戦いなら、どれだけ壊してもいい。
むしろ状況を鑑みれば、施設の破壊をすればするだけ防衛側はそちらに手を割かなくてはならず、不釣り合いな火力の差を覆せる。
分散して、火力や物量の有意を使う。
そのためにもこちらにはチームが不可欠。
「戦いは、事前に情報を収集したものが勝つ」
セオリー/教訓/経験則/失敗談――――それらを呟いて噛み締める。
戦車道で学んだ知識も判断力も、きっと混じる。
それは道に対する侮辱だ。
だから、本当は使いたくない――――そう思う心の火を揉み消して、努めて現実に目を向ける。
そうだとも。
「オーケー……そうよね?」
落ち着いている。少なくとも表面的には、落ち着いている。
判っている。
恐らくは――――多分恐らくは、アリサとナオミはそんな場面で無策に皆と一緒になって脱出の為の協力、その為の拠点防衛などとは言い出さない。
その程度、現実的――ある種スレていたり、クールであったりするとは思う。
……いや、ひょっとしたら、ケイが知らないだけでそうではないのかもしれない。
あの先輩がそうだったように――――人には、思った以上に見えていないところが……。
「ノーウェイ、落ち着いて……」
悪く考えれば、悪く沈んでいく。
切り替えなければ、その分殺した重みに引き摺られて死に魅入られるなんて、判りきっている。
だから、受け入れなければ。
理不尽を、感傷を、苦痛を、罪悪感を――――飲み込まないと。
そうとも。
戦車道の道に外れてはならないけど――
「……悲しいけどこれ、戦争なのよね」
呟いて、頬を叩く。
それでも今北に向かえばまたみほと出会すかもしれないと思うと、足が鈍る。
次は殺す。或いは、怪我をさせる。今度は手心を加えない。
それにしても――――それにしても。
……視界に制限が加わる森の中は、監視や狙撃への備えとなる。
だから悪くはないだろうと言い聞かせて、ケイは再び歩き出した。
その後ろでは、集められた盛り土の頂点に刺さった彫刻刀が、揺れていた。
その下を、蟻が歩く。
黒く連なった、蟻の路を。
【G-2 運動公園/一日目 午前】
【ケイ @ フリー】
[状態]脇腹に刺し傷(止血済み)
[装備]パンツァージャケット S&W M500(装弾数:5/5発 予備弾丸【12発】) M1918トレンチナイフ
[道具]基本支給品一式 不明支給品-は S&W M36(装弾数5/5)、
[思考・状況]
基本行動方針:生きて帰る
1:正々堂々としていない戦いには、まだ躊躇いがある
2:ある程度の打算的なチームを作る
3:合理的な(正々堂々としていない)戦いなら殺傷よりも負傷に足手まといを作る方がいいとは知ってるけど……
4:なるべく、みほに遭遇しないようなルートを選ぶ
[備考]
血塗れの彫刻刀(三角刀)はG-2運動公園の、盛り土されたの墓のようなものに突き立てられています。
登場順
最終更新:2016年12月14日 01:27