少女は、どこにでもいる普通の女の子だった。
友達との雑談を愛し、遊びや勉強に一生懸命な、どこにでもいる極々普通の女の子。
人よりちょっと違う所があるとすれば、戦車道の才能が人よりあったという点か。

その“ちょっと”のせいで、普通の少女の人生は、普通じゃないものとなった。

小中時代に戦車道で脚光を浴び、高校では名門・黒森峰女学園へ進学。
周囲の期待を背負って、部活に打ち込んだ。
友達に囲まれたスクールライフを送るには、ちょっと引っ込み思案すぎたけど。
それでも、それなりに、学校に馴染んだ矢先だった。

大事な全国大会で、チームを敗退に追い込んでしまったのは。

それからは、針の筵の生活だった。
自分のせいで、黒森峰女学園の伝統に泥が塗られた。
先輩達の最後の大会を、無様な結果にさせてしまった。
間違ったことをしただなんて思っちゃいない。だが、自分のせいで負けたことは事実だった。

周囲の批判に、立ち向かうことが出来なかった。
自分が原因で負けたことと、それが多くの人を悲しませたことは事実だったから。
でも、黙って堪えられるほど、少女は強くもなかった。

だから、少女は、逃げ出した。
戦うことを放棄して、苦難の先にあったであろうハッピーエンドに背を向けた。

少女は名を、西住みほと言った。





 ☆  ★  ☆  ★  ☆





(どうしよう……)

西住みほは、軍神と呼んで差し支えのない少女である。
どんな時でも臨機応変に対応し、皆を勝利へと導く。
そんなカリスマ溢れる少女は、今、顔いっぱいに動揺の色を浮かべていた。

(こんな……こんな危ないこと、やめさせないと……でも、どうすれば……)

だが――西住みほが軍神たりえるのは、戦車に乗っている時のみ。
戦車を降りれば、どこにでもいるただの少女だ。

いや、むしろ、普通よりちょっと気弱で押しの弱い少女と言っていいかもしれない。
戦車を介さぬ争いごとは、みほの苦手とする分野であった。

(殺し合いなんて起きなかったとしても……問題は、この首輪……)

みほは、姉の西住まほほど強くはなれない。
戦車を降りれば度々道に迷うし、立ち止まって下を向く。
それどころか、問題から逃げ出すことだってある。

(とにかく、誰かと合流しないと……)

そんなみほが現実逃避せずにいられるのは、大洗で出来た友人達のおかげだった。
迷った時は、いつも皆が救いの手を差し伸べてくれた。
素敵な仲間達が、歩く勇気を与えてくれた。

今は、バラバラになってしまったけど。
今は、背中を押してはもらえないけれど。
でもきっと、合流できれば、自分の力になってくれる。

何せ合流出来てない今でも、みほに勇気を与えてくれるのだ。
朝の空にも見えないだけで星が存在するように、みほの心の中の星々は視認出来ずとも確かにそこに居てくれる
それだけで十分前に進むための力になってくれるのだ、出会えたらそれはもう原子力も裸足で逃げ出すエネルギー源になるに違いない。
時さえくれば、満天の星が道を照らしてくれるのだ。

……こんなものは、甘えた考えかもしれない。
母である西住しほが聞いたら、あまりの軟弱な至高に溜め息をついてノーシンをやけ食いしたかもしれない。
けれども、この狂った世界で心を正常を保つために、必要な依存だった。
「ハーイ」

なんとなく、学校の方へ向かおうとした矢先だった。
どこかフレンドリーな声が飛んできたのは。

「ケイさん……!」

サンダース大学付属高校の隊長・ケイ。
大らかで明るくフレンドリーな金髪少女は、つかつかと歩み寄ってきた。
警戒のケの字もない。ケイって名前をしているくせに。

「まさか、いきなり会えるだなんてね」
「はい、私もビックリです」

普通なら、ここで警戒の一つくらいするものなのかもしれない。
あまりにも無軽快な相手というのは、それはそれで恐ろしいものだ。
しかしながら、みほはケイを欠片も警戒していなかった。

「立ち話も何だし……そうね、あそこの工場にでも行きましょう」
「はいっ」

みほとケイは、それほど交流が多かったわけではない。
対戦経験も一度だけであり、そのうえケイは隊長格でもトップクラスの“コミュ強”だ。
受け身のみほとは違って、自ら色々な人間に絡みにいくため、必然的に一人辺りの交流時間は短くなっている。
みほがケイと喋った記憶も、思い出せる程度しかなかった。

それでも、みほはケイのことを慕っていた。
フレンドリーな性格や、騎士道精神溢れる所に惹かれたというのも勿論ある。
だが、何より一番大きいのは、ケイがみほの心を救ってくれたことだろう。

『That's 戦車道! これは戦争じゃない』

かつてケイが、みほに言ってくれた言葉だ。
その言葉は、ずっとみほの心に突き刺さっている。
その言葉が、無意識の内にケイを盲信させる。

『道を外れたら、戦車が泣くでしょう?』

西住みほに戦車道の楽しさを教えてくれたのは、みほだけの戦車道を見つけさせてくれたのは、大洗の仲間達だ。
だけど、西住みほに戦車道の辛さを忘れさせてくれたのは、自分だけの戦車道を見つける行為を肯定してくれたのは、目の前にいるケイである。
かつての行いを肯定し、許し、認め、みほの心を救ってくれたのは、ケイが最初だったのだ。

「それで――貴女はどうするつもり?」

そんな彼女が、こんな殲滅戦なんて、肯定するはずがない。
工場内部で腰を下ろし、話を切り出された時も、そう信じていた。

「勿論……何とかして、この殲滅戦を中止にしてもらいます。こんなの、絶対、間違ってますから」

ケイは、絶対に、自分と同じくこの殲滅戦を打開しようとしてくれる。
根拠もなく、心から、そう思っていた。

「そう……やっぱり、貴女はそう言うわよね」

しかし――みほは、決して人の感情の機微に鈍感ではない。
むしろ、それなりに気が付く方だ。

「ケイさん……?」

ケイの雰囲気がいつもと違っていることにだって、当然気が付くことができる。
いや、本当は、もっと前から気が付いていたのかもしれない。
ただ、思慕の感情が、それを認めようとしなかっただけで。

「首輪を外して、無事にここから出られたとして――その先は、どうするの?」

それに、きっと今なら、みほじゃなくても違和感にくらい気がつくだろう。
普段の様子と打って変わって、神妙な面持ちをしている。
あのいつでも明るい面白アメリカンのようなケイが、だ。

「喧嘩を売る相手は政府。逃げ切るなんて、到底無理よ」

ケイの意見は至極もっともだ。
信じがたいことに、この殲滅戦は国が一枚噛んでいる。
例え歯向かったところで、日常に戻れる可能性などほとんどないだろう。
首輪を外してここを抜け出すだけでも絶望的だと言うのに、更にその後国を相手に終わらない喧嘩をしなくてはならない。
そんな無茶な逃走生活で生き延びるなど、大学選抜の戦車三十輌に三輪車一輌で挑んで勝利する以上に無茶だ。

「確かに、そうかもしれません……でも……」

確かに無茶だ。無理の極みだ。
でも、どんな無茶なことであろうと、無理難題であろうと、仲間と手を取り乗り越える。
それが、西住みほの歩んできた道――彼女の戦車道なのだ。

「戦車は、火砕流の中だって突き進むんです。何もしないで、諦めたくなんてありません」

だから――真っ直ぐに、ケイの目を見つめて言う。
ケイがこのようなことを聞く意図は分からない。
けれど、自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけなくてはいけないと感じた。
ケイのおかげで、自分の道を信じることが出来たから。
俯かず、彼女のおかげで歩めた己の道を、真っ直ぐに示す必要があると感じた。
「…………これから言うのは、ただの噂話だし、多分今の状況とは関係のないよくある与太話なんだけどね」

しかし――真っ直ぐにぶつけた言葉に、真っ直ぐな言葉は返されなかった。
ケイにしては珍しく、ストレートな言葉ではなく、意図の理解しかねる前置きを口にした。
ストレートを期待していたらチェンジアップが来たような感覚に、思わず間抜けな反応を返しそうになる。
しかし、未だ沈んだケイの口調と表情が、みほの気を引き締めさせた。
確かに予想外すぎて肩透かしを食らったような気分だが、自分の想いを分かってほしいという気持ちの火を絶やすわけにもいかない。

「大学選抜に、西住流の門下生がさっぱりいないの、どうしてなのか知ってる?」
「……え?」

しかしながら、あまりにも予想外な言葉が続きに、少々間抜けな言葉が漏れてしまった。
チェンジアップの後のパーム、つい振ったけれど許して欲しい。

「どうして……って……それは、理事長が島田流の家元で、自然と隊長も島田流の人がやっているからじゃ……」

九連覇を成し遂げた割に、黒森峰女学園卒の選手が大学選抜チームで占める割合は低い。
特に歴代隊長達に至っては、もっと優遇されていてもいいはずだ。
それこそ、大学選抜チームで隊長格をしていてもおかしくないはずなのに。
しかしながら、不思議なことに、黒森峰女学園のOGが大学選抜で活躍しているという話は、まるで入ってこなかった。

「……あくまで都市伝説で、噂話の類だけどね」

一呼吸置いて、ケイが言った。

「革新的な戦車乗り要請プログラムである『特殊殲滅戦』――将来有望な戦車乗りに乗る殺し合いが、かつて戦時中に行われていたって言ったら信じる?」

ケイの言葉が、みほの右の耳から入り、そのまま左の耳から飛び出す。
何を言われても大丈夫なようある程度覚悟はしていたはずなのに、それでも理解が追いつかなかった。
どんな変化球が来てもいいようにバットを短く持っていたら、ボーリング球が顔面目掛けて飛んできました、みたいな気分。

「勿論馬鹿げているとは思うし、そんな話、私だって信じてなんていなかったわ。
 でも、まあ、竹槍で戦って、片道分の燃料乗せた突撃隊を生み出した国なら、戦車乗りを育てるためにそのくらいしてもおかしくないかな、とも思っていたけどね」

戦車道の歴史は長い。
昔から、女性の嗜みとされていた。

そして、戦争。
国民全員が、戦場に駆り出されるほどまでに、この国は追い込まれた。
そう、命を使い捨てとして見て、女性を戦場に送り込むくらいに。

果たして戦場に送り込まれた女性達は、どのように戦ったのだろうか。
どのように戦わせることが、一番効果を上げるのだろうか。

「効果の程は分からないけど、でも、とにかくそうやって、化物クラスの戦車乗りを生み出して、逆転しようなんて考えたらしいわ。
 ロンメルとかルーデルとか、そういう一部の超人軍人が活躍すれば、ある程度の不利は引っ繰り返るし」

信じがたい。
しかし、だが――信じるしかない。
何せ、今、自分がその特殊な殲滅戦とやらを体験中なのだから。

「それで、もしこの都市伝説が本当だったとして――」

きっと、ケイも同じだろう。
与太話の一つに過ぎないと思っていた都市伝説を、今まさに体験している。
それで、真偽の分からない話を、鵜呑みにしてしまっているのだろう。

「教科書にも載せられない、明るみになれば国際大会永久追放もありえるようなこの殲滅戦を、どうやって今回引っ張り出してきたと思う?」

確かにそれは、疑問点の一つだ。
このような殲滅戦が初じゃない場合、ノウハウや技術はあるのだろうから、開催出来たこと自体には説明がつく。
しかしながら、そんな闇に葬らねばならぬようなものを、どうして持ちだしてきたのか。

「……弱みを握り、なおかつ見返りを渡せばいい」

みほが頭を捻ってる間に、ケイの言葉はどんどんと続けられる。
まるで自分自身に言い聞かせているように、みほの反応なんておかまいなしだった。

「見返りは、国際大会で活躍できる戦車乗り。
 勿論、オカルトみたいなものではあるけど、少なくとも現時点で有能な戦車乗りを最大三人政府のコントロール下に置けるようにはなる」

いくらなんでも、政府が揃って『リアル殲滅戦で君だけの最強戦車乗りを作ろう!!』なんて妄言を信じているとは思えない。
確かに度胸はつくだろうし、冷静さも得られるだろうが、失うものが多すぎる。
わけのわからない賭けに乗って、全体の戦力を低下させるのはあまりに愚かではないか。

「そして、握られている弱みは、つい最近、この殲滅戦を開催していたということ」

……………………

……………………

「……はぇ?」

ここ数年で一番間抜けな返事が飛び出した。
ボジョレーヌーボー的なやつでなく、本当にここ数年で一番のやつだった。
というか、今後この返事を越えるのは、ジャニーズ主演でボコ実写化でもしない限り無理じゃなかろうか。

「そしてその殲滅戦で、実際に『連携も巧みで圧倒的な強さを持つ三人組が生み出される』という実績が出来ているとしたら?」

見返りが、単なる妄言でなく、少なからず実例があるものだとしたら。
それが直近のもので一つ、更には戦時中の資料で存在しているのだとしたら。
弱みを握る役人を消して、どこに残されているか分からぬ告発文に怯えるよりも、彼を引き込んで殲滅戦を開いたほうが得るものが大きくなる。

「そんな……」
「勿論信じないのは自由。私だって、信じてなんかいなかったしね」

まったくもって壮大なつくり話だ。
これをツイッターにでも投稿したら、きっとアフィリエイトブログに取り上げられて、爆発大炎上しただろう。
そのくらい、辻褄だけは合っている、非常に嘘くさい話だ。

「……この与太話を、OGから聞くまでは、だけど」

だが――今のみほは、思い付けてしまっている。
理不尽な殲滅戦を乗り越え、圧倒的な結束力と力を手に入れた“三人組”を。
その弊害で“三人組”以外の戦力が壊滅状態だったチームを。
その顔ぶれを思い描けてしまっているし、その条件に一致するチームのことも知っている。知っているのだ。

「そうそう、大学選抜チームに西住流の門下生が少ないのは、西住流の師範さんが裏で動いているからだそうよ。
 これは前からある有名な噂だけど、率いている島田流の方でなく西住流の方が根回ししってあたり信憑性が皆無だし、誰も信じてなかったけどね。
 それこそ、私だって、昔はただのアンチ西住流による根も葉もないデマだと思っていたけど――」

もしも。
もしも、“そんなこと”が実際に大学選抜チームで行われた過去があるのだとしたら。
そしてそれが、一度だけのことじゃないのだとしたら。
母なら、大事な門下生をどうするのか、みほには想像が出来た。

「西住流は勝利至上主義。でも、邪道は決して許さない。
 一方で島田流は臨機応変に新たなものを取り入れて、ここまで大きくなってきた」

所詮ソレは、根拠の無い与太話であるはずなのに。
でも、みほの中で、それはもはや真実となりつつあった。

「戦時中にこの殲滅戦を取り入れてブラッシュアップした流派があるなら、それは島田流でしょうね」

もしもこの与太話が真実ならば、きっとそういうことなのだろう。
島田流と政府には、特殊殲滅戦という、非人道的な戦車道エース育成プログラムがあった。
そして、理由は分からないが、それは何度か行われてきた。
今度は、やはり動機も経緯も不明だが、それを自分達がさせられている。
ケイの言うとおり役人主導で政府を脅してさせているのか、政府が主導しているのかは分からないけれど。
「……でも私達はそんなこと、今まで思い至らなかった。与太話としてまともに取り合わなかった」

みほも、ケイも、今までそんなこと考えたことすらなかった。
本当に命を賭けさせた殲滅戦をさせるだなんて、質の悪すぎるジョークとしか思えない。
九九式背嚢に入っていた銃の重みと、瞼に焼き付いた園みどり子の死に様がなければ、きっと自分が置かれている状況ですら、ジョークと思っていただろう。

「自分達が与太話の側になったとして――誰かが手を差し伸べてくれると思う?」

何も言い返せなかった。
指名手配されている人が現れて、突然「こういう非人道的な殲滅戦をさせられて逃げてるんだ、匿ってくれ!」と言ったところで、手を貸す者などいないだろう。
昨日までの自分だって、どこか哀れみを感じこそすれど、力を貸すことはないと思う。
改めて、自分が今置かれた状況が、誰かに助けを求めるにはあまりにファンタジーすぎることを痛感した。

「それにね――この与太話をふと漏らしたあの人は、私なんかより、とっても強い人だったのよ。
 戦車道だけじゃない。心もそう。人望もあったし、全てにおいてパーフェクトだった」

ケイの表情に、一際大きな陰が落ちる。
なんとなく、誰のことを言っているのか、分かってしまったような気がした。
二人の関係性が何なのか、みほには分からなかったけれど。
それでも、その表情と言葉に込められた意味を、みほは察することが出来てしまった。

「……さ、与太話は終わり。もう一度、聞くわ」

思わずそらしてしまった視線を、再度ケイへと向ける。
ケイの表情からは、憂いも笑顔も消え去っており、どこか冷たい真剣な眼差しだけが残されていた。

「それで――貴女はどうするつもり?」

言葉が喉にへばりつく。
先程まではあんなに簡単に口にできた決意の言葉が、喉に詰まって交通渋滞を起こしていた。

「……そうね。聞いておいて、自分が答えないのはフェアじゃあなかったわね」

自分の背を押し救ってくれたケイが、先程決意の言葉を口にする勇気をくれたケイの存在が、
今度は決意を口にすることを、何より困難にしている。
きっと今から言われる言葉も、より一層言葉にするのを邪魔する結果に終わるであろうと、心のどこかで理解していた。
理解、出来てしまっていた。

「私は――――やることにしたわ。この殲滅戦を」

分かっていた。
よほどの理由がない限り、ケイの意図はそこにあると、本当はとっくに分かっていた。
それでも、その言葉を聞くまでは、信じたくなどなかったのに。
「死にたくはないし、死ねない。アリサナオミ、ここにいる皆も大事だけど、ここにいない仲間や家族も大事。
 ここを抜け出そうとして、サンダースに残した仲間や家族を危険に晒すことなんて出来ない」

ゆっくりと、ケイが言葉を紡ぐ。
その言葉の一つ一つが、みほの届かない場所へケイを連れ去っていくようだった。

「勝ち上がれば生きて帰れることも、生還後の保証がされることも知ってるしね」

少しだけ、ケイがおどけるように肩をすくめてみせた。
でも、その姿は、みほのよく知る気さくで明るい彼女のそれとは大違いで。

「……私はあなたを買ってるわ。だから、これも、先に言っておくわね」

だんだんと、みほの視界が滲んできた。
それが恐怖から来るものでないことは、チリチリと痛む胸が教えてくれている。

「勝ち上がるために、一緒にチームを組まない?」

大学選抜チームとの戦いで共闘が出来て、本当に嬉しかった。
この場で出会った時も、きっと共闘出来るはずだと喜んでいた。

「……勿論、ルール上、無理矢理組むことは出来ない。だから」

でも、今は。

「もしも断るというのなら――最大の障害になるであろう貴女を、ここで倒すわ」

共闘の誘いが悲しくて、辛くて、雫が止めどなく流れた。

「……なんで……」

ようやく絞り出せた声は、弱々しく震えていた。

「戦車道は……戦争なんかじゃないって言ってたじゃないですかっ……!」

震えながら喉を通った言葉が、みほの心を切り裂いていく。
ああ、こんな言葉を吐き出すよりも、カミソリを飲み込む方が、どれほどマシなことだろうか。
二度と喋れないくらいに喉がズタズタになって痛んでも、きっと今の心の痛みの方が辛い。

「……ええ、そうね。それは、今でもそう思ってる」

みほの心を救い、赦しを与えたケイの言葉。
その輝きが、無惨にも奪われていく。

「でも私は、こんなものを戦車道なんて認めてないわ」

みほの道を照らした星が、ひとつ、堕ちる。

「そう、戦車道は戦争じゃない。でもこれは、戦車道じゃない」

ゆっくりと、ケイが腰へと手を回す。
次にその手が見えた時、そこにはスミス・アンド・ウエッソンM500が握られていた。
ベルトにでも差していたのだろう。いつでも誰かを殺せるように。

「これはもう戦争なの。人を殺したくないなんて、もう、言っていられないのよ」

みほが力なく頭を垂れる。
銃を向けられた恐怖はある。
でも、それ以上に、ケイの言葉が辛かった。

「もう一度、聞くわ。貴女はどうする?」

いつ死ぬか分からないのが怖い。
理不尽な殺し合いが怖い。
それは今でも変わらない。

死にたくない。
痛い思いなんて嫌だ。
それだって、今もちっとも変わらない。

でも。
大好きな人達が、変わってしまうということが、何より辛くて怖かった。
ケイが、こんな表情で銃口を向けていることが、たまらなく嫌だった。

「わた、しは……」

みほの心が、ポッキリと折れる。
ケイによって救われた心が、また暗闇へと沈んでいく。
(分からない、分からないよ……)

そもそもみほは、己に向けられる悪意が得意ではなかった。
辛くて泣き出すことはない。暴れ出すこともない。
むしろ、そういった風に適度にストレスを吐き出すことができないでいた。

ただ、じっと耐えようとしてしまう。
だからこそ、逃げ出さないと、その重圧に耐えかねて、心がへし折れてしまう。
悪意への対処が、絶望的なまでに下手なのだ。

「死にたく、ない……よ……」

みほは、これまで何度も逃げてきた。
母親の重圧から。
西住流の娘という立場から。
針の筵と化した黒森峰女学園から。
姉から。かつて友だと思っていたはずの逸見エリカから。
生徒会に日常を脅かされるという未来から。
いつだってみほは――泣き出すことも暴れ出すこともできず、そっと逃げ出してきた。

「そう……じゃあ、私と、組むのね」

みほの心は、これ以上耐えられなかった。
また、逃げ出そうとしてしまう。
震える手で、スマートフォンを取り出して、そして――

「……いや、です」

携帯電話の扱いに長けた、大切な友人のことを思い出した。

「死にたくなんて、ないけど……」

あの日、逃げても逃げても追い掛けてくる戦車道から、武部沙織は匿ってくれた。
あの日、自分の気持ちを曲げてでも、みほのために理不尽と共に戦おうと、五十鈴華はしてくれた。

「殺したくなんて……ありませんっ……!」

逃げっぱなしであったみほを、二人が前に向かわせてくれた。
最初こそ、二人に対する負い目で勝手に自分がやったことかもしれない。
けれども、その後のみほを後押し、支え続けてくれたのは、間違いなく沙織と華だ。

ケイがみほの“これまで”を肯定し救ってくれたのだとしたら、沙織と華はみほの“これから”を共に作り上げ救ってくれた友人達だ。

彼女達がいる限り――みほは、負けない。もう逃げない。
一人で抱えていた自分に、戦車もヒトは一人だけじゃ動けないと教えてくれたのは、あの二人なのだ。
例え自分の心が再起不能だとしても、心に宿った二人の想いが、代わりに“西住みほ”を動かしてくれる。

「それでもやっぱり……私は、皆で生きて、帰りたいですっ……!」

いや、彼女達二人だけじゃない。
秋山優花里や冷泉麻子、大洗の皆やライバル達――今まで出会い、関わってきた全ての人が、動けなくなったみほの体と心を動かしていた。

「だから――」

例え、目の前に、銃を突き付けられたとしても。
恐怖でどうにかなりそうだし、涙と鼻水に加えて油断すれば尿まで漏れ出しそうだとしても。
どれだけ胸が張り裂けそうになったとしても。

「そのお誘いには……乗れませんっ……」

喉に張り付いた言葉を、真っ直ぐケイへと向けた。

「…………そう。それが貴女の選んだ道、ね」

真っ直ぐに拒絶されたケイの表情は、悲しそうでも残念そうでもあって。
それでいて、どこか嬉しそうにも見えた。

「それじゃあ、殺し合いましょう」

突き付けられた銃口から、鉛の弾は飛び出さなかった。
それどころか、言葉とは逆に、銃口は下ろされる。
正直覚悟など出来ていないが、それでも撃たれるのだろうとは思っていたのに。

「三分間だけ待つわ。正々堂々、真正面から戦いましょう」

そう言うと――ケイは、倉庫の奥へと進んでいく。
無防備な背中を晒して。

「ただし、逃げ出すようなら、三分経ってなかったとしても容赦はしないで撃つからね」

ケイの無防備な背中を、撃つことができなかった。
ここに来て正々堂々と戦うと言ってきたケイに、かつての彼女が重なってしまう。

「……私が諦めた茨の道は、あの人が選びたくても選べなかった苦難の道は、どこにも繋がっていないってこと、教えてあげる」

ケイだって、本当なら、みほと同じ道を選びたかった。
けれども――出来なかった。出来なかったのだ。
かつてみほが黒森峰女学園と袂を分かつたように、ケイとみほも、道を違えた。
「そうだ、支給品……」

ケイの背中が倉庫の奥に消えてから、ようやく九九式背嚢を開ける。
そういえば、確認すらしていなかった。
ひとりぼっちで何とか立ち上がろうとするのに必死で、そこまで頭が回らなかったのだ。

「これ……」

スタームルガーMkI。
九五式軍刀。
そしてM34白燐弾。
ようやく中身をあらためた九九式背嚢に入っていた武器だ。

(これを使って……何とかケイさんを……)

止める。
頭に浮かんできた言葉は、そんな三文字だった。

“殺す”のではない。
“倒す”のでもない。
“止める”ための戦いだ。

(今ここに居るのは筒抜けだから、まずは移動して――)

移動の間にも、各武器の使用方法が書かれた紙に目を通す。
バッタリとケイに遭遇したら、無防備な姿を晒すことになる。
だが、三分経過するまでは、例え遭遇してもケイは攻撃してこないという確信があった。

(真っ向から撃ち合って、ケイさんに勝てるとは思えない)

こちらは止める気なのに対して、向こうはこちらを殺すつもりだ。
わざわざ「殺し合おう」だの「容赦しない」だの宣誓したのは、おそらく自分を追い込むため。
多少の躊躇いはあれど、吐いたツバ通りこちらの命を奪いに来るはずだ。

(……もくもく作戦しかない、かな)

みほにとっての希望は、ケイの“多少の戸惑い”だ。
戦闘においては、みほとケイの戦力差を引っくり返すほどのものにはならないだろう。
しかしながら、その後――無効化したあとの舌戦でなら、そこはウィークポイントたりえる。

(今度は、私が……)

ケイの心には迷いがある。
戦車道は戦争と違い、これは戦争だと言ったのに、彼女はみほの頭蓋骨を撃ち抜かなかった。
戦車道のように、納得のいく勝利を求め、正々堂々立ち向かってきた。

確かに戦車道は戦争じゃないし、戦争と戦車道は別のものだ。
でも、戦車道は、乙女の清らかな精神を作る。
戦車道は、そういう武芸と言われてきたではないか。
そうして形成された精神で、人は人生を歩むのだ。

――戦車道とは、乙女達の生き様である。

染み付いた生き様は、そうそう変えられるものではない。
戦車道と戦争は違う。
でも、戦車道は生き様だ。人生の大切なものが詰まっているのだ。
それは、戦争下においてもそう。
例え戦車道と戦争は別物だとしても、戦争に挑む乙女の心に、魂に、戦車道は刻み込まれている。

(あの優しい戦車道を、生き方を、肯定するんだ……!)

それを、ケイには思い出して欲しい。
みほの心を救い、アリサやナオミを引っ張ってきた、彼女の戦車道と生き様を。
『仕方ない』なんて言葉で誤魔化し、自分の見つけた戦車道を否定するなんて、そんな昔の自分みたいなことしてほしくない。
だから。

(パンツァー・フォー……!)

一つ深呼吸し、前に進むのだ。
汗の滲む掌で、ぎゅうっとスタームルガーのグリップを握りしめて。
「三分経ったわ」

ケイの声が聞こえてくる。
ケイの声は元々よく通る方なうえ、全ての作業が止まった工場内はとても静かである。
歩くのにも気をつけねばならないほど、音は簡単に響き渡った。

「戦争、開始よ」

一方で、複雑な形をした機械に声が反射しすぎており、音の発生源を正確に割り出すことは難しい。
声だけを頼りに当たりを付けるのは、不可能だと言っても良い。

もっともケイにしてみれば、声で場所を探り当てられても問題などないのだろうが。
むしろ、正々堂々返り討ちにするとでも思っているかもしれない。

(まずは――)

九九式背嚢に入れていた乾パン入りの缶を勢いよく放る。
目標は、扉前の開けたエリア。
地面に缶が着地して、大きな音が響いた。

(撃ってこない……)

人間でないとバレていたのか。
それとも、やはりすぐに撃つことは躊躇われたのか。
はたまた別の方を向いていて、音で慌てて振り返り、人影がないため射撃を中止したのか。

いずれにせよ、問題ない。
大事なのは、ケイの注意を缶へと引き付けること。

(多分ケイさんは、こちらの意図を探っているはず……)

みほの体格では、遠投技術もたかが知れている。
自分が入り口近辺に居ることは、当然気付かれただろう。
そもそも別方向を向いていたケース以外では、どこから飛んできたのかを見られた可能性が高い。

そんなリスクを犯してまで、みほが缶を投げた理由。
ケイならば――否。隊長経験者なら、自然とそれを考えるはずだ。
何せ、一見不可思議な行動を奇策に繋げて勝利したのが、西住みほという少女なのだ。
それを知っていて、「ああ、なんか缶投げてるわ。癇癪かな?」なんて思う阿呆はおるまい。
いや、もしかするとペパロニあたりはそう思うかもしれないが、少なくともケイはそんなことあるまい。
……ペパロニも、隊長経験無いとは言え、さすがにそんなことはないと信じたい。信じたい。

(破片の飛散距離は十七メートル、敵影もなし――)

見た限り、ケイの姿は隠れている。
ならば、破片でケイが致命傷を貰うことはないだろう。
そう判断し、M34白燐弾――――煙幕弾を、入り口の扉方面へと放り投げた。

(あとは――)

それと同時に、天井に向けて射撃する。
片手の、それも遠投直後の発砲だったため、弾は何にも当たらなかった。

だが、それでいい。
当てることは目的ではないし、むしろ当たっては困る。
大事なのは、『入り口付近で西住みほが銃撃を行った』ということなのだ。
(これで扉が開けば――)

この工場の入口は、ボタン開閉式である
扉の横の真っ赤なボタンを押すと、ゆっくりと扉が開く。
そして中に入り、やはり扉の横にある真っ赤なボタンを押すと扉が閉じる。
出て行く時はその逆で、内部のボタンで扉を開け、外のボタンで閉める。

要するに、扉が閉じている時に押せば扉は開くし、開いている時に押せば扉が閉まるシステムだ。
これによって、みほのような細腕の少女でも、重たい扉を開け閉めすることが可能となっていた。

この工場に入るとき、扉をボタンで開け閉めする所を、ケイは見ている。
出て行く時は逆にこのボタンを押すのであろうと、自然に理解しているはずだ。

(やった、動いた……!)

だが――この工場の扉を開ける方法は、それ以外にも存在している。
大量に物を運び出そうとした時、扉の横のボタンを押すのは困難だ。
大量の製品が自分と扉を阻む壁になるし、一旦全てそこに置いて押しに行くというのも手間がかかる。

だからであろうか、入り口よりやや離れた場所に、チューブのようなものがぶら下げられていた。
チューブは扉の開閉機構に繋がっており、それを引っ張ることで、やはり扉を開けることができるようになっているのだ。

先程移動の際に気になり、目で追って、なんとなくそうではないかと予想をつけていた。
確証はなかったため一種の賭けのようなものだったが、しかし勢い良く引っ張ると、扉を開ける機械音が工場内に響いてくれた。
もう一度、天井に向けて発砲する。

(これでケイさんを、扉の方に引き付けておくことができるはず……)

銃声が聞こえる。
ケイが扉の方に向けて撃ったのだろう。

『西住みほは缶を投げ、すぐさま撃たれるか様子を見た』
『撃たれたら無駄弾を消費させられて良し、撃たれぬようならすかさず次の段取りへと移行すると考えた』

『西住みほは煙幕弾を投げ、視認されにくい状況を作った』
『缶によって扉の前へと視線を向けられたとしても、それならば正確な位置を掴まれないから』

『西住みほは扉横のスイッチを押し、煙幕に紛れ逃げようとしている』
『缶を躊躇いなく投げたのも、どうせ扉の開閉音で位置はバレるからだ』
『そして少しでも逃げられるように、闇蜘蛛に撃って扉が開くまでの時間を稼ごうとしている』

そう思わせることこそが、みほの目的。
そう思わされたケイに出来るのは、扉の煙幕の中に向けて射撃することのみ。

こちらに銃があると分かっている以上、すぐさま煙に突撃するなんてリスキーなことはしないはずだ。
ケイは一騎打ちを好むし、正々堂々を貫くため多少の無茶を平気でするが、それでも無謀なだけの突撃は敢行しない。
そういうのはケイでなく、知波単学園のやることだ。

(あとは、本人を見つけるだけ!)

しかし、みほに逃走する気などない。
入り口付近の煙幕は、ケイを引き付けるためのデコイ。
本命は、その隙に背後を取ることだ。

(おそらく、あの辺りに――)

かつてケイが肯定し、今では否定してしまおうとしている“生き様”で――ケイとみほの“戦車道”で、今のケイを打ち倒す。
その正しさと強さを持って、道を外れようとしているケイを引き止めねばならない。
(居た――!)

ケイの居場所には、元から当たりをつけていた。
正々堂々を宣告した以上、みほの動きを監視できるような場所には陣取るまい。

それに加え、ケイには出入り口の監視をする必要があった。
みほが扉を開けて逃げ出そうとした場合、三分経っておらずとも即座に襲撃できる距離に、ケイはいる。

先程までいた地点の監視は出来ずとも、出入り口の監視は出来る位置。
その近辺に当たりをつけて正解だった。
ケイの背後を捉えている。

(ごめんなさいっ……!)

命を取らない以上、銃は使えない。
使うのは、九五式軍刀。
全金属の鞘をつけたまま振り下ろせば、それなりの鈍器になる。
これで頭でも殴ろうものならそれなりの殺傷力を誇るであろうが、背嚢越しの背中になら、さすがに一撃死ということはないだろう。

しかしながら、相手の戦意を奪う必要はある。
容赦せず、無防備な背中に向けて、全力を込め軍刀を振り下ろし、その一撃でまずはケイを転倒させる
「…………甘いっ!」

――――はずであった。

「えっ……!?」

振りかぶり、体重を乗せようとした刹那、ケイが勢いよく振り返った。
その手には、何かが付けられている。
具体的に言うと、メリケンサックにナイフを足したような何かが。

M1918トレンチナイフ。

みほには知る由もないが、アメリカ軍が第一次世界大戦末期に開発した格闘用に造られたナイフだ。
「ラジオにカセットレコーダーつけたら物凄いものが出来ました」みたいなノリの逸品であり、ラジカセ以上の脅威の普及率を誇った実用性の高い武器。
まあ、更に進化した武器が出て廃れた所も、まさにラジカセそのものなのだが。
……閑話休題。

M1918トレンチナイフは、近接戦闘において、隙を減らす運用ができる。
指にはめ込んだナックルダスターは防具を兼ねており、その金属部で九五式軍刀の一撃を受け流すことすら可能。
全金属の重さは破壊力に直結してはいるのだが、しかしながら弾かれた際の軌道修正の難しさをも意味している。
僅かに弾かれただけで、九五式軍刀の先端は工場の地面を叩くはめになった。

(そんな、読まれ――――)

勿論、重たい一撃を弾いたのだ。
すぐさまM1918トレンチナイフで反撃することは出来ない。
しかしながら、両手で目一杯振り下ろさねばならなかった九五式軍刀と違い、M1918トレンチナイフは振り返る勢いのままに片手で振るっただけ。

残りの手は、空いていた。

それでもバランスを取れているとは言い難く、拳を叩き込もうとしていたら、きっと満足なダメージは与えられなかったろう。
銃で撃とうとしていても、上手く当たらないうえに、一層バランスを崩して反撃されていたかもしれない。

「きゃっ……!」

だからケイは、銃をみほへと押し当てた。
今しがた発砲し、熱々になった銃口を押し付ける。

もとより、体重を乗せた一撃を外し、みほはバランスを崩していた。
そこに横から力を加え、熱の痛みまで押し付けたのだ。
みほの体は地に倒れ伏し、そしてその色が恐怖に染まる。
銃口の熱は、肉体的なダメージよりも、精神的なダメージを与えたようだった。

「逃げはしないと踏んだ通りね」

銃口を向けられている。
今度こそ、本当に終わってしまう。

「どうして……」

心がミシミシと悲鳴を上げる。
今にも無様な命乞いをしてしまいそうだ。
それでも何とか歯を食いしばって、逆転の目を考える。

「……だって貴女は、とても優しいんだもの」

逆転の目など、見つかるはずがなかった。
地に伏した少女は、どこにでもいる普通の女の子なのだ。
友達との雑談を愛し、遊びや勉強に一生懸命な、どこにでもいる極々普通の女の子。
人よりちょっと違う所があるとすれば、戦車道の才能が人よりあったという点だけだ。
決して、白兵戦に長けているわけでも、戦争が上手いわけでもない。

「友達を襲うかもしれない悪人から、一人だけ逃げ出すような子じゃない」

その“ちょっと”のせいで、普通の少女の人生は、普通じゃないものとなった。
小中時代に戦車道で脚光を浴び、高校では名門・黒森峰女学園へ進学。
周囲の期待を背負って、部活に打ち込んだ。
友達に囲まれたスクールライフを送るには、ちょっと引っ込み思案すぎたけど。
それでもその優しさから、彼女を慕う者は多かった。
学校にも、何だかんだで馴染んでいった。

「そんな貴女だから、私も皆も、惹かれていったのよ」

運命が変わってしまったのは、そんな矢先のことだ。
大事な全国大会で、少女はチームを敗退に追い込んでしまった。

それからは、針の筵の生活だった。
自分のせいで、黒森峰女学園の伝統に泥が塗られた。
先輩達の最後の大会を、無様な結果にさせてしまった。

庇ってくれた人もいるし、己の判断が全て間違っていたとも思ってはいない。
だが、自分のせいで負けたことは事実だった。

「ケイさんだって……そんな素敵な人だったじゃないですかっ……」

周囲の批判に、立ち向かうことが出来なかった。
自分が原因で負けたことと、それが多くの人を悲しませたことは事実だったから。

だから、少女は、逃げ出した。
戦うことを放棄して、苦難の先にあったであろうハッピーエンドに背を向けた。
でも、黙って堪えられるほど、少女は強くもなかった。
だから、逃げ出してしまった。

「だから、アリサさんもナオミさんも、私も会長も、みんなが、ケイさんのことを……」

だけど、少女は、逃げることをやめた。
怖かったけど、何とか自分の道を歩き出した。
たくさんの人に支えられて、たくさんの人に力を貰って、ゆっくりとだが歩き出した。

「……グッバイ、ミホ」

そして、自分の道を歩く力を得た少女は、その分の恩を返したいと思った。
自分の力になってくれた人に、今度は自分が力になりたいと思った。
怖かったけど、勇気がいることだったけど、それでも少女は、力になることを選んだ。

「決意が揺らぐ前にサヨナラよ」

少女は名を、西住みほと言った。

「せめて、苦しまないよう殺してあげ――――」

そして――――同じ境遇の少女がもう一人。

「――――――っ!?」

突如聞こえる靴音。
走る音を誤魔化すことより、速度を重視した走り。
慌ててケイが振り返る。

「みほさん、逃げて!」

己を鼓舞するように叫び、ケイへと組み付く少女。
極々普通で、でも戦車道には自信があって、なのに黒森峰女学園の顔に泥を塗って、
叩かれて、逃げて、勇気がなくて、それでもようやく前を向くことが出来て、
それで、こんな状況の中で、力をくれた人に恩を返そうとしている、もう一人の少女。

「赤星さん……!?」

少女は名を、赤星小梅と言った。





 ☆  ★  ☆  ★  ☆






赤星小梅が目覚めたのは、この工場の一角でだった。
目覚めて最初に思ったことは、「どうしよう」である。
普通の少女の、おおよそ平均的なリアクション。
みほも小梅も、その辺りが非常に似通っていた。
考えついた方針も、「誰かと合流しなくちゃ……」といった、模範的なものである。

(怖い、よ……)

だが、その後が違う。
みほは、すぐに立ち上がって歩き出すことができた。
だが、小梅には出来なかった。

みほには、傍にいなくても背中を押してくれる友人が居たから。
みほには、仲間達がくれた、強いハートがあったから。
みほには、戦車道を通じて得た、絆や信念があったから。

でも小梅には、それがない。
ここ一年で、それら全てを失ってしまった。

(お父さん……お母さん……)

怯え、膝を抱えた時ですら、頼る友人が特別浮かび上がってこない。
もしも黒森峰女学園のチームメイトがここに居ても、きっと頼れはしないだろう。
唯一隊長である西住まほは別だったが、しかしながら彼女は少々怖かった。
役に立たない自分では、最悪どこかで切られかねない。

いや――切られるに違いない。
まほのことは尊敬しているが、尊敬の対象である冷静な判断力については、時折恐怖の対象にもなる。

実際、切られたことだってある。
戦車道の試合中、川に転落した時のことだ。
パニックだった自分は、後から聞いた話でしか知らないけれど。
隊長としての判断は間違っていなかったと、小梅だって思ってはいるけれど。
それでも――

誰も自分など助けてくれない。何故なら自分に、助けてもらう価値などないから。
そう思わずにはいられなかった。
要するに、小梅には、合流できる“誰か”なんていなかったのだ。

(どうして、こんなことに……)

“こんなこと”というのは、勿論この“殲滅戦”を指している。
一体どうして、こんな目に遭っているのか。
皆目検討などつかない。ついてたまるか。
平凡な少女である自分が、こんな目にあう理由など、思い当たるはずがなかった。

だが――人生とは、そういうものなのかもしれない。
一年前にも、「どうして、こんなことに……」なんて思ったものだ。
自分の判断は間違ってなかったはずなのに、結果として何かが足りず、川に滑落した。
そうして訪れた“こんなこと”と称さずにいられない日常は、それはもう居心地最悪のものだった。

(黒森峰になんて、入らなければよかったのかな……)

戦車道の才能が、人よりちょっぴりだけあった。
でもそれは本当にちょっぴりだけで、才能溢れる人間だらけの黒森峰女学園では、決して図抜けた存在にはなれなかった。
何とか頑張りたくて、一生懸命練習して、一年生で試合に出られるようになったのに、自分の世代に遥か高みの人間がいる。
それでも自分もレギュラーなのだと胸を張って試合に出たら、黒森峰V逸の大戦犯となった。

頑張って認めてもらったのに、一度のミスで全てが駄目になってしまった。
誰も直接責めてはこない。
隊長が、自分達を庇ってくれたから。隊長が、全責任を取ろうとしてくれたから。
もっとも、それで周囲が納得するわけもなく、居心地はどんどん悪くなっていったのだけれど。

(皆は……どうしているのかな……)

同じ戦車で苦楽を共にした仲間達へと思いを馳せる。
楽しかった日々と、そして地獄のような辛い日々を、皆で一緒に乗り越えてきた。
ここに居てもきっと何の役にも立たないだろうし、頼れるかと言えば正直ノーだし、巻き込まれていないに越したことはないのだけれど。
それでも今は、皆の顔が見たかった。

(……武器、確認しなくちゃ……)

友人を想い、ようやく小梅も動き出す。
とはいえ、前に進むほどの力は得られていない。
辛い思い出の方が多い友人達は、小梅を前に歩かせるほどの力にはなれなかった。
それでも、道の上に立ち上がるくらいは出来たのだけれど。

(う……どうしよう、これ……)

最初に出てきたのは、彫刻刀のセットだった。
四本も付いているが、とてもではないが戦いになるとは思えない。
これで壁に遺書でも掘れと言うのだろうか。

次に出てきたのは、S&W M36。通称チーフスペシャルだ。
小型で携帯性に優れるが、見るからに威力は心許ない。
それでも無防備よりはマシだと、ベルトへと差し込んだ。

それから、残りの支給品を見ようとして――扉の開く音を聞いた。

(あれは……みほさん……?)

入ってきたのは、小梅もよく知る少女。
去年、一緒に全国大会決勝戦の舞台を戦い、そして自分に並ぶ戦犯にされてしまった少女だ。
もう一人はサンダースの隊長であるケイであったが、しかし小梅にとってはどうでもよかった。

西住みほが現れた。
小梅にとって重要なのは、その一点のみである。

(みほさんなら……)

西住みほ。
川に落ちた自分なんかを、唯一助けに来てくれた少女。
勝利よりも仲間を優先することが出来る、小梅の知る限り誰よりも優しい少女。

彼女ならば、信用できるかもしれない。
早々に出会えたのは僥倖だ。
今すぐ出て行って声をかけよう。
そして、自分も仲間に入れてもらうのだ。

「…………」

そう思ったのに、小梅は動けなかった。
みほは、おそらくこの場において最も信用できる相手なのに。
それなのに、出て行くことが出来なかった。
たったの一歩を踏み出す勇気すらなかった。

「それで――貴女はどうするつもり?」

小梅の足を縫い止めているもの。
それはみほへの不信感などではない。
小梅自身への、ある種の負の信頼がそうさせていた。

自分は、助けてもらえるような人間ではない。
自分は、役に立つ人間ではない。
仮にみほが受け入れてくれたとしても、ケイに受け入れられるとは思えなかった。

二人が組むなら、空きは一枠。
その一枠を、自分なんかにくれるだろうか?

「勿論……何とかして、この殲滅戦を中止にしてもらいます」

みほは、小梅が思った通り、この殺し合いを止めようとしているようだった。
彼女にとっては、こんな逆境ですら、心を折るようなものではないらしい。

でも、そんな彼女の心を、かつての黒森峰女学園はへし折ったのだ。
人助けのため伝統に泥を塗ったとして、散々陰口が横行した。
同乗していた先輩達からも非難され、一人ぼっちで俯く姿は、今にも消え入りそうだった。

そしてとうとう、本当に消えてしまったのだ。
お礼すら、まともに言えてない内に。

「こんなの、絶対、間違ってますから」

黒森峰から去ったことは、プラスに働いたのだろう。
彼女は今、誰の目から見ても仲間に恵まれている。
同じ戦車に乗る選手にも、同じ学校の生徒にも、そしてライバルにも恵まれている。
大学選抜との試合にあれほどの援軍を呼べたのも、全てはみほの人徳ゆえ。
黒森峰では活かされなかったみほの優しさが、ようやく他校で開花したのだ。

でもきっと、小梅が転校していても、こうはならなかっただろう。
小梅には、みほのような人徳も優しさもない。
少なくとも、優しさを貫く強さはない。
助けてもらったというのに、救いの手を差し伸べるどころか、お礼すら言えなかった。
同乗者にも見捨てられ一人孤立していたみほは、同乗者という共犯者がいた自分なんかより、ずっと辛かったはずなのに。
誰より手を差し伸べなきゃいけなかったのに、動くことが出来なかった。

自分は、みほにはなれない。
出て行く勇気などなく、また武器を捨てる勇気もなくて、無意識の内に彫刻刀を握りしめているような、情けない人間なのだ。
「そう……やっぱり、貴女はそう言うわよね」

息を殺して盗み聞きをしている間に、何やら不穏な空気が流れ始める。
彫刻刀を握り直す。少し、掌が汗ばんでいた。

「…………」

それからのやりとりは、正直イマイチ頭に入ってこなかった。
ケイの口から語られた“都市伝説”と、ケイによる殺し合う宣言。
まるで理解が追いつかない。小梅の脳味噌のスペックでは、処理速度が足りなかった。

会話に混ざれない。
襲いかかれない。
挙句盗み聞きした会話の理解すら出来ない。
今の小梅に出来ることと言えば、ひたすらに音を殺し、息を殺し、気配を殺すことだけだった。

(ど、どうしよう……!)

人を殺す勇気も力もないのだけれど、気配だけはきちんと殺し切れたらしい。
小梅の潜伏する物陰近くに陣取ったケイが、こちらに気が付く様子は無かった。
もっともそれは、小梅が上手く気配を殺しているからでなく、何だかんだで平常心を失ったケイが注意力散漫となっているだけかもしれなかったのだけど。

「…………甘いっ!」
「えっ……!?」

結局小梅に出来たのは、ただ呆然と二人の殺し合いを見ていることだけだった。
みほの投げた缶の音でビクついて、煙幕と銃撃音に騙されて、そしてみほの奇襲に目を丸くした。

だが、ケイは小梅とは違う。

小梅と違って冷静で、常に周囲に気を配っていた。
銃撃の際も、罠にハマった振りをするため引き金を引きながら、周囲を見回していた。
銃声や缶の音がうるさく、小梅の息遣いを聞かれなかったことは、小梅にとって僥倖だったと言えよう。

「逃げはしないと踏んだ通りね」
「どうして……」

小梅は、まだ、動けなかった。
非凡な心を宿したみほとは違い、心の底まで普通の女の子だから。

「友達を襲うかもしれない悪人から、一人だけ逃げ出すような子じゃない」

だから、怖くて、死にたくなくて、踏み出すことができない。
かつて、迫害を恐れ、孤立していたみほを見捨ててしまったように。
目の前で起きる嫌なことから、逃げ続けることしか出来なかった。

「そんな貴女だから、私も皆も、惹かれていったのよ」

こんな自分を助けてくれたみほに、いつか恩返しがしたいって、ずっと思ってたはずなのに。

「……グッバイ、ミホ」

今ゆっくりと近づけば、後ろから無力化出来るかもしれない。
そうは思っても、足は動かない。
体がブルブル震えている。
こんな調子じゃ、音を立てずに移動するなんて無理だ。

「決意が揺らぐ前にサヨナラよ」

見ていることしか出来ない自分が情けない。
ケイをどうにかするのを諦め、惨めな自分から目を背けるように視線を下げる。
対処すべきだった相手が視界を外れ、代わりに助けたかった少女の表情が視界のセンターに陣取った。
「~~~~~~~~っ!」

そして――――気が付けば、小梅は飛び出していた。

「せめて、苦しまないよう殺してあげ――――」

忍び足なんてする余裕はない。
足を止めたら恐怖に再び縛りつけられてしまいそうだ。
とにかく全力で、ケイの背中に突撃する。
それが幸いしたのか、振り返るケイが引き金を引くよりも早く、彼女に組み付くことが出来た。

「みほさん、逃げて!」

赤星小梅は、誰より普通の少女だった。
どれだけ感謝していても、他人のために動くことなんて出来ない。

「赤星さん……!?」

だけど――ケイに殺されそうなみほの顔が、その弱々しさが、かつての自分と重なったから。

「くっ……離れなさっ……!」

赤星小梅は、悲しいくらいに普通の女の子だったから。
保身に走ってしまい、誰かのために戦えない、弱い女の子だったから。

だから、自分と重なってしまうと、駄目なのだ。

何より自分が大事だから。
自分自身を見捨てることなど出来ないから。
自分と重なってしまった以上、見捨てるストレスが、助けに入ることへの恐怖を上回るから。

「お、お断りしますっ!」

もう少し非凡であれば、小梅ももっと上手く立ち回れたかもしれない。
だが現実は非情である。
ここまで追い込まれてからじゃないと動けないうえ、こうなってしまったら動くしかなくなってしまう。
その上叫び己を鼓舞しながらでしか、彫刻刀も振るえない。

「ウップス……!」

彫刻刀を、ケイの体に突き立てる。
三角刀を脇腹に刺され、さすがのケイも顔を大きく歪めた。

やった、と小梅は思った。
自分なら、痛みのせいで戦意なんて失ってしまう。
仮に戦意が残っていたとしても、まともに戦えるはずがない。
そう思っていた。

「い、ったいじゃない!」

小梅はあまりに凡人で、故に自分にとっての“常識”でものを考えてしまった。
予想することも出来なかった。怪我した相手がそのまま怪我を押して反撃してくるなど。
窮鼠猫を噛むと古来から言うというのに、ネズミどころか猛獣のような相手を、中途半端に追い込んでしまった。

「…………え?」

銃声。
先程までケイが扉に叩き付けていた銃弾が、今度は小梅の脇腹へと吸い込まれた。
「こ、れ……」

ぼたぼたと、血と内臓が流れ出る。
世界最強の拳銃による一撃は、脇腹に当たるだけでも十分致命傷たりえた。

ぐらりと世界が歪む。

踏ん張らなきゃと思っても、足に力が入らない。
そのまま頭から倒れこむ。
不思議と、殴打した頭は気にならなかった。痛くもなかった。
それが不味い兆候だと言うことくらい、喧嘩の経験すら無い小梅にも分かる。
それでも、どうしようもなかった。

「赤星さん、赤星さん!」

再度世界が傾く。
どうやら抱き起こされたらしいことを、泣きじゃくるみほの顔を見て知る。
この近さと、この視界の傾き具合、ああ、私、映画みたいに抱きしめられているんだ。
相手が同性の女の子だから、ラブロマンスには見えないけれども。あと、血も、たっぷりだし。

「どうして……」

どうして、助けたの。
多分、そんなことを聞きたいのだろう。
小梅にすらよく分かっていないというのに。

「や……っと……」

死にたくなかった。
痛いのは嫌だった。

だけど何故だろう。
今、とても気分がいい。
血液と一緒に、ずっと心に乗っかっていた重たいものが、どこかに霧散していくようだ。

「助け……られた……」

本当は、ずっと、お礼がしたかった。
川に落ちた自分を助けてくれたことを。
不安で混乱していた自分なんかを、危険も顧みず助けにきてくれたことを。
本当は、ずっとずっと、お礼がしたかった。

ありがとうは、あの決勝の日、ようやく言えた。
でも足りない。
一年間も放ったらかしておいて、今更言葉一つで足りるはずがない。

お返しを、大学選抜との対戦の日、ようやく出来ると思った。
ピンチに陥っていると聞いて、自ら援軍の車長になることを申し出た。
でも足りない。
折角また一緒に戦えたのに、何も成せずに、すぐさまやられてしまった。
役に立てたとは、お世辞にも言えないだろう。

みほに救われた恩を、返したかったかったはずなのに。
自分は今まで、ろくに恩を返せていなかった。

「ああ、そんな……駄目……血が、こんなにいっぱい……」

きっと今も、まともに返せてはいないのだろう。
結局みほに、こんな顔をさせてしまった。
重荷を背負わせてしまった一年前から何も成長しちゃいない。

「気に……し……な……ぃで…………」

だからこれは単なる小梅の自己満足。
でも、それでいいと思っていた。
普通の女の子なのだ、ちょっとくらい、利己的でもいいじゃないか。
自己満足でも、何か下心のうえでも、忠義以外の動機からでも、恩を返したいと思っていいではないか。
「……わた……し、たち……」

出会った時から、ずっと憧れていた。
西住流の後継者でありながら、まほと違って威圧感がなく親しみやすい存在。
戦車を降りれば“普通の女の子”同士、それなりにお喋りもした。

逸見エリカのように、歯を食いしばってライバルの位置につくことは出来なかったけど。
戦車道では、一緒に一年生レギュラーになるのが関の山だったけれど。
明言せずとも友達と呼べた関係を、自分の弱さが壊してしまっていたけど。
それでも――

「ともだち……でしょ……?」

それでも、貴女と、隣で笑い合える人間になりたかった。

(ああ……死んじゃうのかな……)

目が霞む。
もう、唇を震わせることも難しかった。

(でも、変だな……あんまり……怖くないや……)

あんなにも怖かったのに、今ではすっかり受け入れてしまった。
きっと、ようやく、尊敬する友人の、隣を歩けるようになったから。
肩を並べると呼ぶには、あまりにも差は開いちゃったけど。
でも、ようやく、胸を張って、友達だって言えるようにはなれた。
言えるように、なれたのだ。

(こんなことなら……もっと早く……色々伝えればよかったな……)

もっと早くに謝れていれば。お礼の言葉を言えていれば。
もしかしたら、ずっとみほとチームメイトで居られたかもしれないのに。
そうじゃなくても、転校したあとであろうと、諦めずに追いかけるくらいしていればよかったのに。
きっと、そうしたら、もっと毎日が、楽しいものだったんだろう。

「大好き、だよ……みほさん…………」

後悔しながら死んでいくのも、何とか伝えられた言葉の内容も、非常にありきたりだった。
それでも、誰かを恨まず終われる彼女は、恵まれているのかもしれない。
極々普通の少女は、極々普通の少女のまま、殲滅戦に染まる前に、舞台を降りるのだ。

「赤星さん! 赤星さん!」

井の中どころか、池の中ですら王者になれる技量があったのに、大海に出てしまったがために、埋もれ、傷つき、斯様な末路を迎えた。
もしかすると、黒森峰女学園という大海になど出なければ、もっと幸せな生涯を送れたかもしれないのに。

「赤星……さん……」

だが――それでも少女は、抜け落ちた血液の代わりに、満足感を胸に抱えて瞼を閉じた。
大好き友人の腕の中、穏やかな笑みを浮かべながら、その死を看取り悲しんで貰える。
どこにでもいる少女に相応しい、本来どこにでもあってもいいような、殲滅戦らしからぬ“細やかな幸せ”だ。

戦車道に関しては並々ならぬ腕を誇ったのに、巡り合わせで脚光に恵まれなかった少女・赤星小梅は――こうして、静かに息を引き取った。




【赤星小梅 死亡】

【残り 36人】





 ☆  ★  ☆  ★  ☆






「……おー、痛い。派手にやられたわ」

彫刻刀を引き抜いて、傷口に手を触れる。
思ったよりも血は出ていない。
それでも、歩く度にズキズキと痛みそうだった。

「……引き分け、かしらね」

奇襲で傷を負ったとは言え、こちらは確実に一人の命を奪っている。
ケイの勝利と言っても過言ではないかもしれない。
けれど。

「あの娘が来るまでは、勝利を確信できたのに」

ケイの心には、勝利したという意識はない。
卑怯な戦法でやられたという想いすらない。

あれは、みほの戦車道がもたらした結果。
彼女の生き様がもたらした、必然の乱入者。
自分は対応することが出来ず、痛手を貰ってしまった。
あれだけ否定しようと思ったみほの戦車道に、喰らいつかれてしまった。

「勝負は、預けるわ……ミホ……」

みほが逃げないことは読めた。
煙幕が爆発してから張られたことで、発煙筒の類でなく白燐弾であることも当てた。
焼夷効果があるとネットで見かけていたので、その中に突っ込むことはないであろうと読めたし、おかげで背後の気配に集中することが出来た。

だけど――最後の小梅の抵抗だけは、読めなかった。
道を外れ、道を見失った自分では、気が付くことができなかった。
みほの影響力と、工場という潜伏に向いた施設のことを考えたら、予想出来てもよかったのに。

「……もっとも、再起できればだけれど」

ケイは、無防備に泣きじゃくるみほを撃つことはしなかった。
代わりに、痛み分けのつもりで、小梅のベルトに差し込まれていた拳銃だけは貰ってきた。

一人殺して銃を入手。
戦果だけ見れば、十二分に及第点。
これで敗北感があるなんて、我ながら理解に苦しむ。

「貴女の選んだ道は、こんな悲劇を何度も繰り返す道よ」

空を仰ぎ、一人ごちる。
自分が歩みたくて、おそらく敬愛する“先輩”も歩もうとして、そして諦めた道。
その道は仲間の屍が山程転がり、一歩行くごとに心を蝕むだろう。
それでも、まだ、その道を行くと言うのなら。

「私達が選べなかったその道を、それでもまだ行くというなら……」

太陽がさんさんと輝く青空には、当然星なんて見えない。
願いを乗せる流れ星も、想いを預ける満点の星も、見えちゃいない。
それでも、願った。
心の中に常にはためくあの星条旗の星々に。

「ちゃんと……歩き切ってみせてよね……」

自分は、きっともうその道に戻れはしないけど。
だが願わくば、自分が捨てたその道が、ゴールに続いていますように。
そしてその道を、大好きな友人達が、彼女と共に歩めますように。

「その姿を、私はもう、見られないけどね」

自嘲めいた笑みを浮かべる。
生存のため、鬼となるつもりだったのに。
こびりついた生き方はすぐに変えることはできなかった。

ああ、いっそ、悪党になれたらよかったのに。

「そーいうの向いてないんですよ」なんて、大好きな友人達の軽口が聞こえたような気がした。




【H-3・茂みの中/一日目・朝】

【ケイ @ フリー】
[状態]脇腹に刺し傷
[装備]パンツァージャケット S&W M500(装弾数:2/5発 予備弾丸【15発】) M1918トレンチナイフ
[道具]基本支給品一式 不明支給品-は S&W M36(装弾数5/5)
[思考・状況]
基本行動方針:生きて帰る
1:正々堂々としていない戦いには、まだ躊躇いがある






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






ようやく涙は止まっても、喪失感は留まるところを知らなかった。
人の死。それも、大切な友人の死。
あの日を堺に疎遠になってしまってはいたけど、それでも決勝戦の時に、また歩み寄れた大事な友達。

そんな友達を、自分が死に追いやってしまった。

彼女は、ずっと負い目に感じてしまっていたのだろうか。
今の自分が、助けられたことに対して、どうしようもなく負い目を感じているように。

「ごめんなさい……」

小梅は、最後に、笑顔を浮かべて死んでいった。
自分なんかを守って、その結果命を落としたというのに。
守れたという結果に満足し、他の全ての苦境を受け入れ、穏やかに微笑んだのだ。

「私……なんかのために……」

それは――かつてのみほに、出来なかったことである。
あの時小梅を助けに行ったことを、後悔したことなんてない。
自分の行いは正しかったと思っているし、小梅が無事で本当によかったと思った。

でも、それを誇りに、訪れた苦境を耐えることなど出来なかった。
自分は正しいことをしたのだと胸を張る勇気などなく、自分がしたことに対する反応で擦り切れて、やがて逃げ出してしまった。
たくさん嫌な想いをしたし、他人に対して嫌なことを考えた。
黒いドロドロに頭を支配され、逃げ出すまで笑顔を浮かべることなど出来なくなっていた。

小梅は、自分なんかを助けたことに胸を張り、死という最大の苦難を前に、笑顔を浮かべたというのに。

「赤星、さん……」

みほの心に陰が落ちる。
自分は、たいそれた人間ではない――そんな自虐の感情が鎌首をもたげる。

ああ、そうだ。
自分が無能だから、小梅は命を落としたのだ。
いや、彼女だけじゃない。
自分が上手く立ち回れていたら、役人に目をつけられることもなかったし、大洗の面々も戦車乗りとして“殲滅戦”などさせられなくて済んだのに。

自分は、なんて無能なんだろう。
自分は、なんて無力なんだろう。

「…………」

みほに、願いを託せるお星様など存在しない。
いつだって彼女自身が、誰かの願いを乗せた流れ星だった。
それも、他の隊長達と違い、周囲の人間という明かりがないと輝けない、情けない星。

「…………」

心を覆う真っ黒な雲は、友人という光源を容易く隠した。
その光は、もう届かない。
見えない星を、今はもう感じ取ることができない。

「…………」

戦車道という道の上、再びみほは足を止めてしまった。
もう、一人ではあるけない。
道を照らし、みほという希望の星を照らしてくれる強い光に出会わなければ、きっとこのまま、ずうっと立ち往生だろう。

「…………」

だって彼女は、火砕流だろうと突き進める、たくましい戦車なんかじゃない。
誰かの力がないと動けない、どこにでもいる、ちょっと戦車道が上手いだけの、普通の少女なのだから。





【G-3・工場/一日目・朝】

【西住みほ @ フリー】
[状態]精神的ショック大
[装備]パンツァージャケット スタームルガーMkⅠ(装弾数10/10、予備弾丸【20発】) 九五式軍刀 M34白燐弾×2
[道具]基本支給品一式(乾パン入りの缶1つ消費) 
[思考・状況]
基本行動方針:私は、無力だ……
1:赤星さん……
[備考]
工場のどこかに不明支給品-は及びS&W M36の予備弾丸15発及び彫刻刀セット(三角刀抜き)の入った背?が転がっています。


[装備説明]

  • S&W M500
 260mm・1588g・.50口径・500S&W弾・装弾5発。
 没落しつつあったスミス・アンド・ウエッソン社が2003年に開発した超大型の拳銃。
 『.454カスール弾を超える弾薬を撃つことのできるリボルバー』というコンセプトは伊達ではなく、
 その威力は現時点で一般市場に流通している拳銃の中で最強と言われ、デザートイーグルの約2倍の威力を誇るとされる。
 銃と共に開発された強力無比な専用の弾丸はサイズが大きく、特大の弾倉にも5発までしか入らない。
 威力に比例するように、撃った反動で銃口が跳ね上がる『マズルジャンプ』の酷さも最高クラス。
 通常拳銃は片手で撃てるように設計されているが、M500は片手で撃つと常人はマズルジャンプに耐え切れず銃が後方にすっぽ抜ける。

  • M1918トレンチナイフ
 第1次大戦末期に米陸軍が採用した格闘戦用ナイフ。
 グリップ部分のナックルガードは滑り止めスパイクとナックルダスター(メリケンサック)を兼ねている。
 「メリケンサックにナイフつけちゃいました」みたいな見た目のアレだと言った方が、何となく想像しやすいかもしれない。
 刃物が錆びても取り換えが効かない等の短所があり、主に刺突専用として使われることが多かった。

  • スタームルガーMkⅠ
 245mm・1190g・.22口径・.22LR弾・装弾10+1発。
 スターム・ルガー社の処女作にして、競技用として開発された自動拳銃。
 大量生産に向いたシンプル構造で非常に丈夫な作りをしており、競技・練習用自動拳銃のロングセラーシリーズとなっている。
 シングルアクション・ストレートブローバック式のシンプルな構造で、他の自動拳銃と違いボルトのみを動かす作動機構を備えているため、
 反動少なく命中精度が非常に高い(発射時に動作する部品の数と質量を減らすことで銃の動揺を極力抑えているため)

  • 九五式軍刀
 陸軍の下士官に支給された軍刀で、実用的で量産に適する形を追求して造られた刀。
 戦地では頑丈さが求められていたため、柄は全金属製で鞘も金属。
 刀身も改良が重ねられ実物の日本刀より折れにくく粘りもある実用刀である。
 大戦末期には一部が木製のものも登場したが、このロワでは全金属製のものが支給されている。
 鞘はつや消し塗装のオリーブグリーンに塗られ、軍隊の武器という雰囲気が色濃く、レイアウトにもピッタリの逸品である。

  • M34白燐弾
 煙幕を発生させる、所謂白燐手榴弾。『WP発煙弾』という方が、通りはいいかもしれない。
 やや太い円筒状で、若干下部が絞られている。重さは
 点火すると内部に詰められたリンが炎上し、視界を極めて悪くする濃い白煙をまき散らす。
 効果範囲は最大17メートル程度だが、破片を飛散させることもあり、平均的な投擲距離は約30メートルととされている。
 破片によるダメージを避けるためにも効果範囲内にいる人員は遮蔽物の陰などに身を隠す必要があり、また焼夷効果も少なからずある。

  • S&W M36 “チーフスペシャル”
 159mm・578g・.9口径・.38S&Wスペシャル弾・装弾5発。
 警察向けにスミス・アンド・ウエッソン社が開発した小型の回転式拳銃。
 モデルナンバー制度の導入前に造られており、発売当初の商品名であった『チーフスペシャル』が今でも通称になっている。
 装弾数を5発に減らすことで携帯性を高めており、小型で軽量。女性人気も非常に高い。
 しかしエジェクターロッドがやや短いため、押しこむだけでは完全に排莢されないことがあるので注意が必要。

  • 彫刻刀セット
 主に木を削ったりに使う刀。
 鋼と地金とを合わせた構造になっており、研いだ時に鋼の部分が刃先になる、高価な逸品。
 市販の大量生産品と比べると扱いやすさは段違いだが、素人が適当に木を削る分には違いなど分からぬかもしれない。
 人間の肌も意外と削ることが出来、小学校では結構流血騒動を引き起こしている。
 『平刀』『丸刀』『三角刀』『小刀』『砥石』のセットであり、隠し持つには向いていると言える。
 軍用品ではないが、戦時中は国内で伝統品を作るのに使用されており、壁に遺書や辞世の句を掘るのにも使われた。檜山は村の生き残り。






登場順
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- ケイ 023:蟻の路
- 西住みほ 024:ブルー・ジェイにヴァイオリン
- 赤星小梅 GAME OVER

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最終更新:2016年08月16日 12:57