コンクリートのケージである水族館にも、火をつければ燃やせるものというのは、案外転がっているらしい。
屋外に出た展示エリアでは、ぱちぱちと音を立てながら、焚き火が熱と光を放っている。
天へ棚引く黒い煙は、本来ならば敵にとっては、獲物の位置を示す格好の目印だ。
しかし町中から離れたこのあたりには、今は人影は見当たらない。
どころか、恐らくこの高台なら、周辺を見回せる彼女の方が、相手を捕捉するのは早い。
(とはいえ、周りで何が起きているのか、全く分からないのも困りものね)
売店で手に入れた市販モノの紅茶で、なんとなく口寂しさを紛らわしながら。
従業員更衣室で手に入れた、制服を身にまとった
ダージリンは、一人道路を見やり思考していた。
火を炊いていたのは、もちろん、濡れて冷えた体を温めたかったという理由もある。
しかしそれ以上に大きかったのは、傍らで干されている、聖グロリアーナの学生服の方だ。
捨ててしまえばこのようなこと、わざわざする必要もなかったのだろう。
だが今着ている水族館の制服は、新品であるためか微妙に動きづらい。
何よりも、足元がおぼつかない現状なればこそ、自身を定義するアイデンティティに、縋り付きたかったのかもしれない。
(いえ、きっと)
そしてきっとそれすらも、無意識の言い訳にすぎないのだろう。
要するに、濡れた服を乾かすために、ここに留まったダージリンは、動きたくなかったからこそそうしていたのだ。
カルパッチョの姿が水族館にないのは、既に
河嶋桃達を追うために、この場を離れたからだというのは分かる。
そんな桃達を助けるにも、後を追わねばならないのも理解している。
だがそのことを、柄にもなく、恐ろしいと思っているのだ。
ここから出て町の方へ向かえば、きっと戦いがそこにあるから。
カルパッチョや風紀委員の少女のように、危険な考えを持った者と、出会ってしまう可能性があるから。
(仕損じれば、私は死ぬ)
かつて二度争ったような、戦車道の試合場ではない。
ここで取り合うのはフラッグではなく、生身の人間の命だ。
それを奪われる感覚というのを、ダージリンは既に知ってしまった。
鉄砲水に襲われた時、きっと打ちどころが悪かったなら、自分は命を落としていただろう。
あの時の一瞬の恐慌を、意識していた時間は短い。
それでもその一瞬の恐怖は、今でもまざまざと思い出せる。
あの瞬間に味わったものを、もう一度突きつけられるのは、怖い。
意識を失った瞬間から、二度と目を覚ますこともなく、そのまま消えていってしまうのは、怖い。
(きっと、分かっていたことよ)
恐らくは狂った大洗の少女を、目の当たりにしたその瞬間に、どこかで理解していたことだ。
あの場で殺されると思ったからこそ、自分は救いなどという誤魔化しをして、手にした銃の引き金を引いた。
そのことを忘れたかったからこそ、耳障りのいい義務感で、矮小な自分から目を逸らしたのだ。
それでも、鎧は剥がされてしまった。鉄の理論武装は奪われ、裸の心一つだけが、まだ見ぬ殺意に晒されてしまった。
(だとすれば)
決断しなければならない。
ここから動き出すのなら、覚悟を決めなければならない。
見ないふりをしていた殺意に、真っ向から挑むという覚悟を。
きっとあの時の桃が、情けない声を上げながらも、どこかで握っていたであろう意志を。
これからのダージリンは、己の恐怖心を自覚し、その源に挑まねばならないのだ。
(誰のために……何のために?)
改めて、ダージリンは問い直す。
何ゆえに己は戦うのかと。
この身が戦いに臨むのならば、その原動力は何なのかと。
あるいは何のためになら、戦ってやることができるのだろうと。
(かつての自分は、どうだった)
一度目の叛逆を思い返す。
大洗女子学園が廃校に追い込まれ、その先に更なる戦乱の予兆を察知した、あの晩夏のことを追想する。
ライバル達を守ろうとし、文科省に刃向かったあの時、己を突き動かしたものは、果たしていかなる衝動であったか。
それは先程までのような、義務感が全てだったのか。
嘗められたままでは終われない。戦車道を侮辱するような、不当な行いは許しておけない。
そんな程度の感情だけで、国家権力に食らいつかんと、散々に根回しをしたのであったか。
(……そうね)
一瞬の間を置いて、少し、笑った。
(きっと、いいえ決して、それだけじゃなかった)
きっとその答えはとうの昔に、自分の中で固まっていた。
あの幻の炎の中で、戦友の背中を見送った時、ダージリンは己の死以上に、そのことを恐ろしく思った。
たとえ付き合いの短い人間であっても、顔見知りが死ぬと思った時に、それは嫌だと拒絶したのだ。
(勝手に逝かせはしないわよ、まほさん)
黒服の少女を思い、告げる。
彼女だけでない。死なせたくないと思う者は、大勢いる。
たとえば、聖グロリアーナの生徒が、自分だけでなかった場合もそうだ。
次代を担うオレンジペコに、わがままに付き合わせてきた
アッサム。
ルフナやルクリリにローズヒップなど、ひょっとしたらと思う顔が、次々と頭に浮かんでくる。
大切な後輩や友人達は、未だ隊長であるダージリンが、責任を持って守らねばならないのだ。
友と言えば、プラウダ高校の、
カチューシャなどもそうだろう。
彼女はタメ歳の三年生だが、明らかに体格にはハンデがある。
到底一人では戦えないだろう。何なら副隊長とはぐれたことを苦に、一人涙しているかもしれない。
実力は認めるが、なかなかに困った奴だ。あれもしょうがないから自分が、助けに行ってやらなくてはなるまい。
そしてもちろん、それ以外にも、巻き込まれた学校は多数ある。
サンダース付属のケイなどは、こうしたアンフェアな戦場では、様々な試練にさらされるだろう。
アンツィオ高校のアンチョビも、お得意のノリと勢いが、この場で発揮できているかどうか。
知波単の西は特に心配だ。というかあの学校は全員心配だ。無闇に窮地に飛び込んで、怪我などしてはいないだろうか。
大学選抜の先輩方も、このような状況においては、混乱に囚われたりもするだろう。特に子供である
島田愛里寿は、カチューシャ同様に危険だ。
継続高校の隊長のミカは……正直、よく分からない。何をしでかすかも分からないから、それはそれで心配かもしれない。
(そして、みほさんも)
最後に思い出したのは、かつてこの地で戦った、歳下の少女の顔だった。
思えばこの場の全ての縁は、きっと
西住みほから始まっていた。
黒森峰女学園を離れ、大洗女子学園を立て直し、優勝を掻っ攫っていった勝利の女神。
大会で、あるいはエキシビジョンで。ある者は敵として対峙し、ある者は味方として共闘し。
そうやってあの歳下の少女と、関わり応援するようになったからこそ、この絆も紡がれたものなのだ。
全ての中心に、みほがいた。だからこそダージリンにとっても、その存在は例外なく、大きなものであると断言できた。
(いつになるかは分からないけれど)
それでもどこかで機会があったら、もう一度だけ勝負をしよう。
どこかで生きているはずのみほに、ダージリンは胸中で語る。
聖グロリアーナ女学院は、現体制の大洗に、唯一勝ち越している学校だ。
それでもこれまでの勝負は、いずれも大洗側が、味方に足を引っ張られた、アンフェアな条件での勝負だった。
故にこそ、できるならばもう一度、彼女と戦ってみたい。
きっと今以上に大きくなる、そんな才能を宿した西住みほと、全く対等な条件で、戦車道の勝負がしたい。
そんな期待は、この状況に、臆せず飛び込んでいくための、十分な理由になるはずだった。
そうであると、信じたかった。
◆
一度屋内へと戻り、半ば乾いた学生服へ着替える。
奇跡のブルーに身を包むと、改めて物資を調達するために、売店コーナーへと向かおうとした。
そうして一階へと降りて、ふと、脇に視線を送った時に。
「………」
あの時目にしたイルカの体が、身動きを止めていたことに気付いた。
ガラスで傷つき、衰弱したまま、血を流し力なく鳴いていたイルカが、遂に命を落としていたのだ。
「……私には、貴方を救えなかった」
言いながら、歩みをそちらへ向ける。
かつりかつりと靴音を立て、イルカの元へと歩いていく。
手入れの行き届いた靴を、獣の赤い血に染めて、静かに眠る亡骸へと寄り添う。
「私達の争いに、勝手に巻き込んでしまったというのに、今の私には貴方のことを、弔うことすらもかなわない」
無辜の命が喪われたのは、身勝手な戦いが原因だ。
カルパッチョを止めきれず、反撃を許してしまったからこそ、このイルカは命を落とす羽目になった。
だというのにダージリンには、救ってやることがかなわなかった。
墓を立ててやろうにも、この巨体を水族館の外まで、引きずっていくことなどできやしない。
もしもチャーチルがあったなら。戦車を降りた只人の身は、こんなにも脆弱で、無力だ。
「ごめんなさい」
身を屈ませて、十字を切る。
せめてもの哀悼を示しながら、ダージリンは謝罪の言葉を述べた。
命を奪っておきながら、何もできない無力を詫びた。
けれど、代わりに一つだけ、握り締めた覚悟がある。
もうこの瞳に映す死体は、このイルカのもので最後にしよう。
きっとまごついている間に、喪われた命はあるかもしれない。
だとしても、せめて手の届く者は――愛すべき戦車道の仲間達は、この手で守り抜いてみせよう。
紋切り型の義務感でなく、共有した時間が育んだ、友情にこそ従って。
立ち上がると、ダージリンは、再び行くべき道へと戻る。
行く先にゴミ箱を見つけると、先程飲み切った紅茶のボトルを、ふわりとそこへ投げ入れて捨てた。
「レディを急かす殿方は無粋。けれどあまり待たせていても、愛想を尽かされてしまうものね」
工場で作られた市販の紅茶は、はっきり言って不味かった。
風味も香りもあったものではない。こんな状況でなければ、決して飲みたいとは思えない。
それは信頼する後輩が淹れた、本物の味を知っているからでもあり。
テーブルを彼女や仲間達と囲む、その空間がもたらす隠し味を、身をもって知っているからでもあった。
一人きりで寂しく過ごす、虚しいティータイムは終わりにしよう。
考えるべきことは山ほどあるし、そこから目を背けるつもりもないが、思案は歩きながらでもできることだ。
聖グロリアーナ隊長、ダージリン。長き雌伏の時を経て、これより死闘の地へと向かう。
恐れも憂いも何もかも、離別の悲嘆に比べれば、些細なものであると割り切り。
己が身よりも大事なものを、素直に守りたいと思える絆を、この手で救うのだと誓って。
【A-7・水族館・入り口/一日目・昼】
【ダージリン@フリー】
[状態]背面に打撲(応急処置済)、疲労(小)
[装備]聖グロリアーナ女学院の制服、ワルサーPPK(4/6 予備弾倉【6発】)
[道具]基本支給品、不明支給品(M3戦闘ナイフ、その他)、後藤モヨ子の支給品、水族館の制服
[思考・状況]
基本行動方針:殺し合いを止める
1:水族館の売店にて、物資を調達する
2:河嶋桃と島田愛里寿を助けるために、町の方へと向かう
3:できるだけ多くの参加者を救う。戦って死ぬのは怖いが、仲間に死なれるよりはマシなはず
4:何故まほの存在を幻視したのか? 彼女の安否が気がかり
[備考]
- 後藤モヨ子の支給品の内、昭五式水筒、信号灯、スマートフォン、不明支給品(銃器)を獲得しています。
[全体の備考]
- A-7・水族館の敷地内にて、焚き火が行われました。近くにいれば、煙を視認できたかもしれません
- A-7・水族館の床に打ち上げられていた、一頭のイルカが死亡しました
登場順
最終更新:2017年06月09日 01:22