カチカチと音を立てながら、大野あやがLINEにメッセージを送る。
戦車道にはお金がかかるため、スマートフォンを買ってもらえない生徒は多い。
あやもその内の一人ではあるが、父親にねだり何とか“ガラホ”を買い与えてもらっていた。
おかげでLINEを使うことが出来るため、他校の生徒と気軽に連絡が取れる希少な存在となっている。
「ぶえっ!」
送られてきた画像に草を生やすのに夢中で、注意が散漫だった。
ボコンと頭に何かが当たり、今日も眼鏡が砕け散る。
ストップ歩きガラホ。下手をしたら病院GOなので、読者の皆も気をつけよう。
今歩きながらこれを読んでるならスマホしまえ。座ってから読め。
「すみませーん」
割りと呑気なトーンの謝罪が飛んでくる。
ひび割れた視界に、丸くて白いものが映っていた。
ボールだ。それもバレーボールの。
きっとこれを飛ばしてきた人物(もう判明しているようなものだ、クイズにもなっていない)は、顔面に直撃したなんてこと、予想もしていないに違いない。
予想したうえでこのトーンだったら、さすがに匿名掲示板にヲチスレを立てるレベルでキレる。
「うわっ、大丈夫!?」
割れた眼鏡を見て、心配そうな声が投げかけられる。
そちらを向くと、案の定河西忍と佐々木あけびの姿があった。
割れた眼鏡を見て申し訳なさそうにしてくれてはいるが、その反応にはどことなく“慣れ”が滲み出ているように感じる。
「はは……まあ、こっちも不注意だったし……」
眼鏡は自腹で買っているので、割れたら相応に困るのだが、悲しいことに眼鏡が割れるのはすっかり日常茶飯事である。
この前なんて、眼鏡屋さんでヤケッパチ気味に「いつもの」と言ったら、普通にこの眼鏡が出てきた。
眼鏡屋で「いつもの」が通じるなんて、夢にも思ってなかったのに。畜生。
「っていうか、二人しかいなくても、バレーするんだ……」
同じバレー部である磯辺典子と近藤妙子は、強化指定選手に選ばれ、どこかは知らぬが遠い地で合宿をしている。
あやと同じウサギさんチームからも、澤梓など数名が選出されていた。
ここに残っている忍やあけび、それにあやは、“選ばれなかった”存在である。
多少不貞腐れ、戦車に乗らず雑談に興じても、仕方がないと言うものだ。
「やっぱり、好きだからね」
「キャプテンほどじゃないけれど、つい、ね」
二人しかいないのだから、筋トレなり体力づくりなりをすればいいのに、それでもボールに触りたくなるらしい。
いまいち理解できない体育会系脳だが、しかし自分もケータイを手放すと落ち着かない体質なため、特に口は挟めなかった。
まあ、二人しかいないのに屋外でアタックをバンバンしてボールをどんどん飛ばしてることには、少し口を挟みたかったけど。
屋内でやるか、トスの練習とかにしておいてくれ頼む。
「そうだ、何なら、一緒にやる?」
「え、いや、それはいいかなーって……ほら、インドア派だから……」
「大丈夫大丈夫、ねこにゃーさんとかも、インドアだけど一緒にやってくれるっていうし」
その言葉に、思わず目が丸くなる。
ねこにゃーと言えば、あやなんて目じゃないくらい、ザ・オタクという見た目をしている先輩である。
間違っても、スポーツをやって爽やかな汗をかこうなんていうタイプではなかったはずだ。
「最近、筋トレにはまってるみたいだから誘ってみたんだけど……」
「アリクイさんチーム全員が、何かの作品の影響もあって、たまにだけどバレーもしてくれることになったの」
「へえ、そりゃまた……」
そういえば、廃校騒動くらいから、アリクイさんチームが筋トレをしている姿を見かけるようになっていた。
最初こそ戦車道をするに足る筋力が足りず特訓していた様子だったが、最近は過剰に鍛えているように見える。
オタク気質が筋トレにも働いてしまったのだろうか。
「あれ、でも、それじゃあ、人数的に――」
「うん。会長が戻ったら、頼んでみるんだ。バレー部復活」
アヒルさんチームは、バレー部復活を掲げている。
戦車道の成績優秀者への恩賞にも、バレー部復活を全員揃って希望していた。
そのために戦車道を始めており、その目標は今も変わらない。
勿論、戦車のせいで撃墜数こそ振るわぬものの、今までで十二分に活躍はしていた。
本来ならば会長特権で廃部撤回をしてもらってもいいところだが、生憎試合も出来ない人数じゃ教師陣を納得させられないとの返事を頂いている。
そのため、こうして戦車道を通じてバレーの良さを広めることで部員を募集していたのだが――アリクイさんチームが助力してくれるのなら、その問題もクリア出来ることになる。
「楽しみだなあ。キャプテンと妙子が戻ってきたら、七人で、バレーが出来るんだ。今度こそ、ちゃんとした部活として」
「アリクイさんチームの皆は、たまに参加してくれる程度の半分幽霊部員だけどね」
二人は知らない。それはもう、二度と実現しない光景だと。
二人は知らない。近藤妙子は、もう、この世にはいないことを。
勿論、それを聞いているあやにだって、知る由はない。
「それでも、ほら、さ」
「うん、わかるよ」
二人の嬉しそうな顔を見ると、ほんの少し羨ましくなる。
自分にはここまで入れ込むようなものなどなかった。
ああ、いっそ、戦車道に入れ込みまくってやろうか。
梓が戻ってきたら、ちょっと真剣に二代目あんこうチームを目指して自主練に打ち込むのも、意外と悪くないかもしれない。
強化合宿の成果を、山郷あゆみにも見せてもらわねば。
「でも、それなら、今こそ一緒に練習したら?
二人だと、ボール打ったらその都度拾いにいかないといけなくて、一々練習中断されるんじゃ」
まあ、アヒルさんチーム勢揃いした四人体制のときも、ボール拾いに人員を割く余裕などなさそうだったが。
それでも二人でやるよりは、練習の幅も広がるのではないだろうか。
「そうなんだけど、ほら、アリクイさんチームは全員揃ってるからさ」
「少しでも遅れを取り戻したいからって、真面目に戦車に乗ってるみたい」
そういえば、アリクイさんチームだけは、誰一人として強化指定選手に選ばれていなかった。
同じく選ばれなかった身として、少しばかり同情したのを思い出す。
「まあ、置いて行かれたって意味じゃ、私達も戦車の練習しないといけないんだけどね」
分かっちゃいるが、しかし体は動かない。
何せ、アリクイさんチームを除き、全てのチームに欠員が出ている。
装填手を一人欠いただけのカバさんチームはまだ誰かしら雇い入れれば何とかなるかもしれないが、他のチームは戦車を動かすことすら難しい。
あんこうチームに至っては、Ⅳ号戦車を残して、もぬけの殻となっている。
そんな状況で練習に身が入るわけがない。
この場に風紀委員が居れば「たるんでいる」などと小言を言いながら練習させてきただろうが、生憎その風紀委員も一人を除いて合宿場だ。
これで気合を入れろという方が無茶である。
「……そういえば、バレー部復活で思ったんだけど……」
故に、あやは雑談を続行した。
この人数で戦車に乗る気にはなれないし、かと言って一人で居るのも虚しさが残る。
LINEでお喋りしようにも、他校の面々は練習できる程度の人数がいるため、いつまでも付き合ってもらうわけにはいかない。
結局こうして、与太話に興じるくらいしかすることがないのだ。
「ぴよたん先輩が入ったら、キャプテンの座って、年功序列でぴよたん先輩になるのかな……」
見た目的には、キャプテンというより、お母さんって感じだけれど。
そんなことを内心呟き、一人にやつく。
さすがに言葉に出して言うほど迂闊ではないので、それは心に留めておく。
そこまで気軽に誰かを敵に回すつもりもなかったし、敵に回すと怖そうだとも思っていた。
「いや、やっぱり私たちにとってキャプテンはキャプテン唯一人。
年齢以外の要素もキャプテンには大事だし、キャプテンはキャプテンだよ」
「キャプテンがゲシュタルト崩壊しそう……」
しかしまあ、言わんとせんことは分かる。
ずっとそれでやってきたのなら、今更変えられはしないだろう。
あやだって、梓が突然寿退学して別のメンバーをウサギさんチーム車長にしてくれと言われても、車長は梓しかいないと返すだろうし。
「それに、西住隊長だって、二年生なのに隊長だしね」
「年功序列で西住隊長を差し置いて河嶋先輩が隊長になったら嫌でしょ?」
「それ言われたらナルホド以外何も言えないなあ」
別に今では
河嶋桃に対して嫌悪感などないが、しかし隊長にしたいかというとNOである。
上に立たせちゃ駄目なタイプだと思っているし、技量の面でも問題しか無い。
「ちなみになんだけど、年功序列じゃないなら、どうして磯辺先輩がキャプテンなの? やっぱりバレーが上手だから?」
なんとなくの疑問をぶつける。
正直言って、バレーの
ルールもイマイチよく分かっていない。
ポジションごとに求められるスキルだってさっぱりだ。
それでも、身長が高いほうが有利とされていることくらいは知っている。
だが典子は、お世辞にも長身とは言い辛い。
ということは、相応の実力があるということだろうか。
「勿論上手いのもあるんだけど、一番はやっぱり、根性かなあ」
「あー……」
根性。体育会系の人間が、ホイミかザオリク感覚で唱えるアレのことだ。
体育会系の宗教における神様か儀式と言い換えてもいい。
いずれにせよ、あやには縁のない単語である。なんなら、少し苦手な部類の単語では合った。
「何って言うんだろう、カリスマ性、っていうのも、あるんじゃないかな。
ほら、キャプテンって、別に誰かに根性を強要することってないし……」
言われてみると、確かにそうだ。
同じチームの面々にこそ口にすれど、決して他のチームに『根性』の二文字を強いて苦境に放り込むことはしない。
それどころか、その二文字は、常に自分に向けられているように思えた。
「自分が根性を見せることで、自然と周りも根性出そうと思えるところ、って言えばいいのかな……
その背中で語るところと、人を引っ張るカリスマ性が、私達を惹きつけたんだと思う」
典子は、決して無理矢理誰かの腕を引っ張るタイプではない。
手を取り丁寧に指導してくれるタイプでもない。
ただこちらを振り返り、声を張り上げ、根性を出す自分の姿を見せつけるだけ。
それでこれほど慕われるというのは、確かに一種の才能のように思える
「自然と周りを頑張ろうって気にさせるのは、カリスマ性ってやつなのかなって」
べた褒めだ。いや、べた惚れだ、と言うべきだろうか。
ここまで言うんだ、そりゃあもう他の人間をキャプテンになんて考えられもしないだろう。
……こういうのを見てしまうと、何で自分は梓以外に車長はいないと思ったんだろうと自問してしまう。
梓の何がそこまで素晴らしいんだっけ? 顔?
「まあ、バレーが上手いっていうのもあるんだけどね。
身長の低さを補うためと、後輩への指導も兼ねて、全てのポジションが最低限出来るみたいだし」
「知識も豊富だし、バランスもいいんだよ。この前も――」
聞かなきゃよかったと、少しだけあやは後悔した。
雑談は好きだし、二人の話も嫌いではないのだが、バレーが話題の中心に来ると脳みそがついていけなくなる。
「ここに居たのか」
どうやって話を切り上げようかと悩みだしたところで、丁度良く声がかけられた。
周囲から浮きまくっているその人物は、通称・エルヴィン。
カバさんチームの車長にして、ソウルネームを名乗るよく分からない先輩だ。
いや、まあ、この学校、“分かる先輩”の方が少ないのだけれど(だから普通の人が集まるあんこうチームの人望が厚いんだろうな、きっと)
「アリクイさんチームも練習が終わって、今自動車部の面々が整備をしている所でな。
やはり人数が半分だと、メンテナンスにも時間がかかるらしいから、待ってる間にバレーをしようということになったんだ」
その言葉に、目に見えて二人の表情が明るくなる。
ああ、いいなあ、幸せそうで。
たまには皆でネット掲示板を見ようとかならないかな。ならないか。ならないわな。なっても困るわ。
「風紀委員も、この状況で戦車道を真面目にやらせるのを断念したようだし、この人数だから試合が出来るぞ」
「おおおおおおおお!」
「試合!!」
はっきり言って、二人と違って、あやは別に試合なんてしたくはない。
運動は苦手な部類だし、何せバレーは眼鏡が壊れるリスクがある。
「一緒にやるか?」
だが――エルヴィンの誘いに、素直に「はい」と返した。
親しい先輩達が不在であるため、今朝からどうも、彼女達の卒業後を連想してしまっている。
要するに、今朝からちょっぴりセンチメンタルなのだ、不思議なことに。
「まあ普段なら眼鏡が割れそうで辞退しますけど、もう割れてますしね」
『折角だから』とか『たまには、思い出に』なんて言葉が頭を過ったが、それらの理屈付けの言葉は心の中に閉まっておいた。
こうして呑気にバレーが出来るのも、今だけだろう。
皆が強化合宿から戻って来れば、戦車道の時間には当然のように戦車に乗ることになる。
風紀委員が揃っておらず、また自動車部もメンバーを欠いていつもの速度で整備できない今だけだ、こんなものは。
だから、ゆっくりと立ち上がる。
今を楽しむために。強化合宿に行ったメンバーが戻ってきたら、こちらはこちらで楽しかったぞと笑って話せるように。
――皆が揃って戻ってくるなど、もうありえないなんてこと、露ほども思わずに。
☆ ★ ☆ ★ ☆
逃げる。
三人がその選択肢を選んだのは、当然のことであった。
相手は素人離れした射撃の腕前に加え、現実離れした残忍さを持ち合わせている。
追いつかれたら終わりと思っていいだろう。
先程は虚をつけたものの、結果としてドローンは破壊された。
もう、手元にドローンは残されていない。
次にやりあえば、必ず誰かが――いや、おそらくは全員が、あのドローンのようになる。
ドローンと違い、こちらには痛覚があるのだ。
一度撃たれたら、相手の視界を遮り続けるなんて出来ずに、蹲ることになるだろう。
そうなれば、時間稼ぎも満足に出来ず、当然ドローンのように縦移動をすることも出来ず、無様に撃墜されるのみだ。
とにかく、今は少しでも遠くに逃げなくてはならない。
それは、全員が考えていたことだった。
磯辺典子は痛む体に鞭打ち、彼女を支える秋山優花里とホシノの二人は典子に気遣いながらも必死に前へと足を進める。
急げ。少しでも。少しでも遠くへ。
追いつかれたらゲームオーバーの逃走劇。演目名は、磯辺急げェ物語。
「…………」
追いつかれるわけにはいかない。
それが共通認識なのだが、しかし――ついに、足が、止まった。
「どうかしたの!?」
足を止め、最初に逃げるという手段を放棄したのは、意外にもサバイバル慣れして体力もある優花里であった。
足を止めた優花里に、ホシノが驚愕の瞳を向ける。
逃げなくてはいけないが、逃げられるのかどうか怪しいと、三人共が思っている。
それでもなお典子は根性で足を動かし、ホシノは逃げ切る策を練ろうと必死に頭を動かしていた。
「……止まりましょう」
だが、二人共、思考の中心には自分が居る。
自分がどのようにベストパフォーマンスを発揮するか、そして困難に立ち向かい道を切り開くのか――
これまでの人生で、典子もホシノも、そういった風に物事を考えてきた。
染み付いた習性は、そう簡単には変わらない。
この場においても、それは変わらずだった。
「なっ……!?」
一方で優花里だけは、思考の中心部に他者を据えていた。
戦車道を始めるまで、常に客席にいる側だったというのも一因だとは思う。
それと、オタク気質で考察やシミュレーションが好きというのも、一役買っているのではないか。
とにかく優花里は、自分でなく、他者を中心に思考を展開することが出来た。
「今は少しでも遠くに逃げないと……!」
今回、優花里が思考の中心に置いた人物は“罠を張っていた襲撃者”だ。
彼女の立場に立って、彼女ならばどうするかに思考のリソースを割く。
相手は冷静かつ冷酷、そして高度なスキルを持っている。
その前提で相手の動きをシミュレーションし、自分ならばどうするかも参考にし、それからようやく自分がどう動くべきかを考えているのだ。
「いえ、これ以上は、おそらく逃げても同じです」
先程までは、それがマイナスに作用していた。
考えれば考えるほど『助けに行くのは無理』という結論が浮かび、雁字搦めにされてしまっていた。
しかし今回ばかりは、優花里の性質がプラスに働く。
我武者羅なだけでは開けぬ活路を、マイナスの先に見出せる。
「まず、我々は負傷した磯辺殿を抱えています。はっきり言って、本気で走って来られたら、瞬く間に追いつかれるでしょう」
「それは、分かってる。でも、だからこそ、何とか距離を稼がないと――」
典子を助けるために冴え渡っていたホシノの思考も、すっかり追われる焦りで鈍りをみせてしまっている。
無理もない、脳味噌の回転にはエネルギーを使うのだ。
フルパワーで何時間も持つように出来ていない。
しかしながら、そんな状態で逃してくれるほど、相手は甘くはないであろう。
「逆に言えば、まだ追いつかれていないということは、向こうはまだ、追いかけてきていないということです」
私なら大丈夫だから速度をあげよう――そんなことを言おうとした典子の口が、間抜けにもぽかんと開けたまま静止される。
『敵が追いかけてきていない』
それは、根拠なく盲信するわけにはいかないのに、それでも縋り付きたくなる魅力的な言葉だった。
「あの好立地を手放すことを恐れたのか、数の不利から諦めたのか、他に理由があるのかは分かりませんが――
追いかけてくるとしても、すぐさま追ってこられなかった理由があって、それをどうにかしてからになると思います」
勿論、その『理由をどうにかする』時間に、多大な期待が出来るとは思っていない。
それこそ、厳重に作りすぎたバリケードを解除するのに手間取っているだけの可能性だってある。
だが、それでも。
「それに、磯辺殿の血は、今もこうして地面を打ち、逃走経路を教えてしまっています。
ですから、まずはどこかの民家に入り、止血をしてから逃げた方がいいんじゃないでしょうか」
もし後から襲撃者が追いかけてくる場合、単純に距離を取って逃げ切るというのは困難だ。
怪我人に肩を貸しているホシノ達と、精々武器の重みしか無い襲撃者。
どちらが速く移動できるかなど明白だ。
さらに逃走経路を考えねばならぬホシノ達とは違い、襲撃者はただ追いかけるだけでいい。
単純な速度で言えば、大きく水を開けられるだろう。
それこそ算数の問題みたいに、後から出てきた時速の早い人間がいつかは必ず追いついてくる。
問3、ホシノさんは時速数キロで逃走しています。
一方襲撃者さんは殺し忘れに気付いて後を時速数十キロで追いかけはじめました。
襲撃者さんが三つの死体を生み出すのは、襲撃者さんが出発してから何分後のことでしょうか――――
「それに、仮に見つかって撃ち合いになった時が問題なんです」
逃走しながらの射撃では、相手にまともに当たることは期待できない。
それでも、相手の銃撃は外れるだろうという甘すぎる見通しで、無闇矢鱈に突っ込む真似を出来る者などそうは居まい。
ただバンバン発砲するだけで威嚇になり、その間はブロック塀などに身を隠さざるを得なくなる。
そうして時間を稼いで距離を取るしかないのだが、しかし――
「牽制し距離を取ろうにも、それが出来る装備がない」
そう。何かしら使える拳銃さえあれば、そうしてバンバン牽制していたであろう。
しかしながら、優花里に支給されたのは、TaserM-18銃。
非殺傷用の銃であるため、精神的に引き金を引きやすいのはあるが、如何せんワイヤーで電極を飛ばす銃である。
銃弾と違い、使い捨てのようにばら撒くことなど出来ない。
要するに、牽制には向いてないのだ、この銃は。
「私の銃はワイヤーを刺して死なないレベルの電撃を浴びせるもの。牽制になんてなりません。
そして、ホシノ殿の銃は、今の状況じゃ背嚢に入れておくより他ないです」
そしてホシノの支給武器、ヴォルカニック連発銃。
テーザー銃と比べればまだ牽制にはなるのだが、しかしながらレバーアクション(映画なんかでよく見かける、ガシャコンとスライドさせるアレだ)必須である。
典子に肩を貸し片手が塞がった状態では、満足に撃つ事も出来ないであろう。
下手に落としても困るため、背嚢から出してすらいなかった。
「今の我々では、見つかった時に何も出来ないんです」
勿論走りながらでは上手く当てられないのは向こうも同じだろう。
しかしながら、向こうの銃はそれなりの射程があることが既に分かっている。
こちらが鈍足で逃げてる間に腰を落ち着け、狙いをつけられたらオシマイだ。
要するに――
「見つかれば終わり。そして――」
優花里が、一拍置いた。
別に脅すような意図はない。
ただ、少し、責めるように聞こえやしないかと、不安に思ってしまっただけだ。
「まず間違いなく、移動速度は我々の方が遅い」
案の定、典子の顔色が曇る。
横目でそれを見て、慌てて優花里がフォローを入れた。
「ああ、別に磯辺殿を責めるとかでなくてですねっ……」
「大丈夫ですっ、根性で走ります!」
「いや、多分それでも相手の方が速いと思う」
この怪我なのに今にも駆け出しそうな典子を諌め、ホシノが口を挟む。
速度については、レオポンさんチームの専売特許だ。
「怪我を押して根性だけで普段と変わらぬ速度を出す例もないではないけれど、大体そういうのって、一瞬だけのものなんだ。
終わりの見えない鬼ごっこで、終始出来ることじゃない」
「そう。つまり我々は、純粋な速度や距離で逃げ切ることは不可能なのです」
速さで勝てない。装備でも勝てない。
普通に逃げたら逃げ切ることなど出来やしない。
では、どうするのか。
「我々が逃げ切れる方法があるとしたら、それは隠れることだけです」
距離を取ることが出来ない以上、相手に自分達を見失ってもらうには、姿を隠すしかない。
上手く隠し通せれば、相手を撒ける可能性はある。
幸い民家も見えてきた。
身を隠せる場所ならある。
「そうなると、今の内に血を何とかしないといけません。辿られたらオシマイですから」
当然、血の雫を垂らしたまま移動すれば、あっという間に見つかるだろう。
何せその血は獲物への順路を示してくれているのだ。
追跡者にとって、これほど追いかけやすい獲物もそうは居まい。
ヘンゼルとグレーテルのパンクズと違い、血の雫は早々見えなくなりはしない。
垂れないように対処するしか無いのだ。
「とりあえず適当な家に入って、止血をしましょう。
治療に使える道具がなくても、ひとまず清潔なタオルあたりで傷口を覆い血が垂れないようにするだけでも大分違うと思います」
「そうだね。タオルくらいならあるだろうし、最悪それで血が垂れないようにだけして、近くの民家に移動しよう。
近場の民家に篭った時に追いつかれたら見つからないまあ逃げ切るのは難しいだろうけど、それでも血の道標が続く民家に残るよりはマシだ」
「はいっ……お手数かけてすみませんっ!」
優花里とホシノの言葉を聞いて、典子が悔しげに頭を下げる。
二人共、決して典子を足手まといだなんて言ったりはしない。
だが典子にとって、最も思考力に劣り、更には怪我で運動能力も役に立たない自分は、れっきとした足手まといだった。
「お邪魔しますよっと」
一応声をかけながら、優花里が扉を開ける。
鍵はかかっていないらしく、すんなんりと扉が開いた。
埃っぽさはあまりなく、きちんと掃除されているのが窺える。
一方で、しつこい染みや柱の傷など、生活の跡が様々な場所から見て取れた。
やはりここは、大洗に似せた別の土地ではなく、大洗そのものということであろうか。
「何か役立ちそうなものは――っと」
作業をしながら独りごちるのは、もはや優花里の癖であった。
戸棚や籐籠、小箱といった様々なものを開けていく。
ホシノは機械の治療こそプロの域だが、人間のソレはてんで門外漢。
多少は知識がありそうな優花里が治療道具の捜索にあたり、ホシノはタオル等を探していた。
「…………ッ!」
典子は、水で傷口を軽く洗い流している。
水をかける度に激痛が走った。
しかしながら、怪我をしたらまず洗うというのは、運動部における常識である。
歯を食いしばり、大声を出さぬようにして、気合と根性で水をかけた。
「駄目ですね……やはり絆創膏くらいしかありませんでし――」
別室から戻った優花里が、水で血を洗い流された傷口を見て思わず顔を歪める。
その表情を見て、すでに痛みで歪みきっていた典子の顔も一層歪んだ。
突き出した骨や、えぐれた肉。
素人目に見ても、決して楽観視出来るような怪我ではなかった。
「……とりあえず、ホシノ殿が清潔なタオルを持ってきてくれるはずです。
まずはそれを軽く巻いて、追加の血をタオルに吸わせるようにしましょう」
これだけの重傷だ。タオルなんて無意味かもしれない。
でも、何もしないよりはマシだった。
血の垂れる量が、ではない。
それもマシにはなるであろうが、この場合、マシなのは優花里達の精神状態だ。
ただ黙って抵抗を諦めるよりも、少しでも動いていた方がマシである。
特に優花里は、そうやって足掻いて足掻いて逆転し続けた姿を、誰より傍で見続けてきたから。
「お待たせ。一応、ハンドタオルとバスタオル、両方持ってきたけど」
「ハンドタオルを何枚か重ねましょう。そっちの方が、臨機応変に出来ますから」
少なくとも、タオルで抑える程度でどうにかなる怪我には見えなかった。
そうなると、これは本当に単なる急場凌ぎにすぎない。
溢れ続ける血を垂らさないための使い捨てのアイテムだ。
必要に応じて捨てたり追加したりがし易い小さめのハンドタオルの方がいいだろう。
予備を持ち歩くことを考えても、バスタオルではかさばりすぎる。
「ひとまず隣の家に移動しましょう。血の道標が続いてる場所にいつまでも居ると不味いですし」
優花里の言葉に、二人は黙って頷いた。
傷口に巻いたハンドタオルから血液が垂れていないことを確認し、ホシノが典子に肩を貸す。
それから、ふと思いついて、口を開いた。
「そういえば、おんぶをするっていうのは、どうだろう。多分移動が速くなるけど。
それに、おんぶなら一人で十分出来るから、一人は両手が空くわけだし。そうなれば、ヴォルカニックを使えるようになるんじゃない?」
重たい部品の持ち歩きで、ホシノは比較的重作業に慣れている。
体重の軽そうな典子くらい、軽々運べる自信があった。
そりゃあ手ぶらより速度が出るとは言わないが、それでも距離を稼げるはずである。
「いえ。短期的に考えたら、勿論その方がいいですよ。
でも今回は、いつ追いつかれるのかも不明で、それこそ追いかけられているのかも不明なんです。
ゴールの無いマラソンでやるにはあまりにも不利なやり方ですよ」
当然ながら、短距離走と長距離走では走り方からペース配分まで全てが異なっている。
短距離走のタイムを単純に倍がけしても、その秒数でその距離を走れるということにはならない。
それと同じだ。
おんぶをしての全力疾走は確かに距離を稼げるかもしれないが、そんなものがいつまでも続くわけがない。
追いつかれたタイミングでバテバテでした、なんてことになる可能性だってあるのだ。
おんぶをしての逃走は、相手の動きや距離を把握したうえで適切なタイミングで行うべき最後の切り札だ。
パドックの時点から常に全力で鞭をバシバシ叩いても、別に競走馬はパワーアップなんてしないのだから。
「それに、まともにおんぶしてダッシュしたら、傷口が痛んで叫んじゃいそうですから……」
「そこは、根性です」
「その根性の許容量を越えてくる可能性があるんですよ……」
振動による痛みだけではない。
怪我した足を、背中越しに触れるのだ。
傷口付近にうっかり触れてしまわないとも限らない。
更に典子は左腕が使えないせいで、右腕一本でしがみつくことになる。
バランスなど容易く崩れるだろうし、そうなればホシノは典子を落とさないように反射的に動くだろう。
そうなれば振動が発生するし、反射的に触れてしまう可能性も高まってしまう。
そんな思わず叫びそうなリスクを逃走中に犯すくらいなら、今まで通り確実に両脇から支えてゆっくり移動した方がマシと言える。
「……うん、じゃあ、おんぶは無しで。素直に言うことを聞いておくよ。無茶をするにもタイミングってものはあるしね」
どんなレースだってそうだ。
勝負どころというものはある。
そのあたりの感覚は、ひょっとすると、ホシノが一番長けているのかもしれない。
典子もスポーツ経験者ではあるが、彼女の場合は根性というドーピングで終始フルパワーで動くタイプだったため、むしろ一番その感覚は欠落していた。
正確に言うならば、『勝負どころを見極める目は当然持ち合わせているが、そこ以外で適度に手を抜くという能力は他の二人と比べ大幅に劣っていた』か。
「さ、隣の家に行こう。そこには、治療に使えるものでもあればいいんだけれど」
再度典子に肩を貸し、ゆっくりと家を出る。
急いで移動したいところだが、血を垂らしたら元も子もない。
隣の家との間には、立派な塀がそびえ立っている。
一旦道路に出て、それから再度隣の家の敷地に入らねばならなかった。
それでも数分程度で移動出来たはずなのだが、何時間にも思えるような膨大な時間を費やしたかのように思える。
なんとか隣の家へと移動し、典子に窓から様子を見てもらってる間に、優花里とホシノが家探しを行った。
「うーん、やっぱり、こういう怪我に使えそうなものはないね。オロナインとか、そういうのならあったけど」
冗談めかしてはいるが、ホシノとしては、内心困り果てている。
はっきり言って、典子の様態が良いとはお世辞にも言えない。
そりゃあ、今すぐ生命を落とすほどではないかもしれないが、少なくとも激痛に苛まれまともに活動は出来ないだろう。
「何にでも困ったらオロナイン塗るお婆ちゃんとか居ますよね、さすがにこれには効果なさそうですけど」
冗談を返してはいるものの、典子の額には脂汗が浮かんでおり、傷口が痛んでいることが分かる。
少しでもまともな治療をするか、せめて痛み止めでもないと苦しいところではあるが、しかし病院までは相当距離があった。
どこの民家を探しても、おそらく出てくるのはロキソニンくらいだろう。
普通、これほどの怪我をしたら誰もが病院に行く。
つまり、これほどの怪我をした時の備えなど、どの家庭にも置いてないのだ。
あるのは救急車を呼ぶための電話だけ。それも、勿論今この場では通じない。
「何か収穫はありましたか?」
優花里の声を聞き、ホシノも典子も視線を窓の外から室内へと移す。
見ると、優花里は何かを抱えているようだった。
「その様子だと、何も無かったみたいですね……」
「そっちは?」
「こっちは、野菜ジュースの類をたくさん見つけました」
そう言って、優花里が床に缶の野菜ジュースを並べていった。
あまり見たことのないブランドだ。
もしかすると、通販とかでしか買えない、ちょっと高価でオーガニック的なやつなのかもしれない。
「重たいですし持ち運ぶのは厳しいですが、栄養を取っておくに越したことはないですし、水分補給も大事ですからね。
飲めるようなら、一本くらい、飲んでおいた方がいいかと」
「じゃあ、頂いておこうかな」
「それじゃあ、私も……」
悠長にしている場合ではない。
しかし、悠長にしていられるのは今の内だけかもしれない。
栄養や水分を補給することの大切さを知っているだけに、ホシノも典子もここで一本飲んでいくことにした。
「あっ……」
そして、ジュースを取ってから、典子が間の抜けた声を出した。
何事かと視線を向け、まずホシノが。続いて優花里が、しまったと顔を歪める。
プルタブ式の缶ジュース。
左肩に大怪我を負い、左手を満足に動かせぬ典子では、開け得ないシロモノだった。
「す、すみません、気が付かなくて……!」
慌てて優花里が典子の代わりにプルタブを開ける。
孤独な期間が長かったせいで、どうにも優花里は気遣いというものが苦手であった。
気を遣っていないわけではないのだが、どうしても、不慣れな分“ヘタ”なのだ。
「……あのさ」
ようやくジュースが典子の喉を通ってから、ホシノがゆっくり口を開いた。
その声色は真面目そのもの。
優花里も、落ち着いたトーンで「はい」とだけ返事をした。
「病院、行けないかな。やっぱり、このまま放っておくの、良くないと思う」
ここから病院は決して近い距離ではない。
逃走しながらそこまで行くのは容易いことではないだろう。
ましてや、こちらが手負いであることは、襲撃者も分かっている。
血の道標が途切れたのを見て、それでもなお追撃を選んだ場合、高確率で襲撃者は病院に向かう。
はっきり言って、リスクは計り知れなかった。
「…………そうですね。今後のことも考えると、病院は、行っておきたい場所ではあります」
多少軍事物を読んでいて怪我の知識があるとはいえ、所詮優花里も素人。
病院に行ったところで、適切に薬を使用できるとは思えない。
しかし、杖や包帯、痛み止めが有るのと無いのとでは大違いだ。
ひょっとすると、車椅子なんかも置いてあるかもしれない。
「病院なら立て籠もるのにも丁度いいですし、磯辺殿もベッドで休めますからね」
ホシノも優花里も怪我に明るいわけではなく、典子の症状など詳しく分かるはずもない。
もしかすると、見た目ほど酷くなく、一晩眠れば元通りなのかもしれない。
もしかすると、見た目以上に酷くて、そこから壊死してやがて死に至るかもしれない。
分からない、分からないのだ、まるで。
だからこそ、優花里は病院行きを即決は出来なかった。
杖や包帯といった、自分達に扱える道具の存在に至れて、初めて行ってもいいかという気になっている。
別に薄情というわけではない。
ただ冷静に、自分では典子の怪我をどうにも出来ないから、少しでも生存率を上げようとしただけのことだ。
一方ホシノは、だからこそ――典子の症状がまるで分からなかったからこそ、病院に行くことを選んだ。
行ったところでどうしようもないことくらい理解している。
危険が伴うことだって、重々承知だ。
だが――運転という唯一無二の趣味を持つ身として、今の典子を放ってなんておけないのだ。
「うん。医学書とかも、あるかもしれないしね」
典子は、ホシノと同じく、戦車乗りである前に一人のスポーツマンである。
故障には誰より敏感であるし、きっと命と同じくらい、バレーボールが大事なのだ。
例え命が助かっても、二度とバレーボールが出来ない体ならば、それは“助かった”と言えない。
少なくとも、自分が運転の出来ない体にされたら、例え命があったとしても「助かった」なんて言えないだろう。
だからといって的確な治療を求められてもそりゃあ困るが、しかし、じっとしていられるわけがない。
少しでもバレーが続けられる可能性に賭けたくて、何かしたくてウズウズしているはずだ。
ましてや彼女は所謂“脳筋”に近いタイプのスポーツマン。
今すぐにでも病院に行って、学術書をひっくり返して、手探りでも治療を試みたいのではないか。
「危険なのは分かってるけど、でも――行こうよ、病院」
命の危険を承知してでも、選手生命を守りたい。
それが、スポーツに生涯を捧げてきた、スポーツマンという人種のサガであると言ってもいい。
ホシノは、同じスポーツマンとして、その気持ちを尊重したかった。
「分かりました。磯辺殿も、それでいいでしょうか」
「はいっ、そりゃあ、勿論、反対する理由なんてどこにも!」
「……では、問題となるのは、病院へのルートですね」
しばし思案し、それから優花里が地図アプリを起動する。
病院に行くには、高校から見て東、国道51号線の方まで行かねばならない。
しかし今居る場所は、国道51号線まで出ず途中で北上した小規模な民家の密集地帯。
山の真ん中ということもあり、この辺りから国道51号線に最短距離で行こうとすると、急な坂道に直面する。
重傷の典子に肩を貸してでも、頑張れば山道を降りられるかもしれない。
身を隠して移動するならこちらのルートだ。ペースは遅くなるが、隠れたまま逃げ切れる可能性は大きく、狙撃の射程に戻る心配もない。
もしくは、一旦高校付近の道路まで引き返し。道なりに国道51号線まで降りるかだ。
こちらは、山道と比べれば格段に速いペースで移動することが出来る。
血痕が途中で北上し民家に向かっていることもあり、上手く行けば襲撃者を撒きすんなり移動出来るかもしれない。
しかし一方で、襲撃者が追撃をやめ射程に獲物が収まるのを待っている場合、うっかり射程を掠める可能性もある。
ハイリスク・ハイリターンと言えるだろう。
「一旦引き返して、道なりに行こう。一刻も早く痛み止めとか射ってあげたいし、それに山道を通ると傷口に菌が入るかもしれない」
ホシノの言葉は、優花里にとっては想定内のものであった。
典子の様態を第一に考えるのならば、選択肢はそれしかない。
リスクは多大にあるが、しかし病院を目指す時点で多少のリスクは覚悟すべきだ。
しかし、優花里はホシノの言葉に返事をすぐには返さない。
しばし思案し、悩み、それから、ゆっくりと口を開いた。
「……いっそ、こういうのは、どうでしょうか」
優花里の脳に、走り去った
逸見エリカの姿が蘇る。
自分の浅はかな考えが、そして軽率な行動が、誰かを追い込む結果になってしまうかもしれない。
そう思うと言葉が喉に張り付くが、しかしこの重責を乗り越えるのは、作戦指揮を取る者の役目。
全ての責任を負う覚悟を持ち、真っ直ぐに、信ずる策を提言するのが、今の自分の役目なのだ。
いつも憧れの
西住みほは、この怖さを乗り越えて、皆に指示を出してきた。
自分だって、いつまでも彼女に頼り切っているわけにはいかない。
優花里とて、漫然と彼女の取り巻きをしているわけではないのだ。
敬愛する少女の戦車道を、自身の道だと心に決めた。
なればその実現のため、憧れている背中に倣い、その怖さは乗り越えるべきだろう。
「二手に分かれて、病院を目指しましょう」
「――――え?」
ホシノが目を丸くする。典子も頭にハテナマークを浮かべていた。
そりゃそうだ。何せついさっき、二人がかりで典子は移動させるべきだと、優花里自身が言ったのだから。
「勿論、ただ二手に分かれるだけじゃありません。私は、ダミーの血痕を垂らしながら山を下りたいと思います」
そう言って、優花里は一枚のタオルを手に取る。
そこに、先程持ってきていたトマトジュースを盛大にぶちまけた。
ポタポタと、真っ赤な雫が垂れる。
「チープな仕掛けですが、アスファルトに吸収されてばそこまで判別は出来ないと思います。
臭いだって、わざわざアスファルトに顔を近づけて嗅ぐなんてことはないでしょうし……」
当初の予定では、先程までいた民家で、血痕は途切れさせることになっていた。
それで移動先を絞らせないつもりだったが、今度は逆に、偽の血痕を用意して、移動先を絞らせようというのだ。
「多分騙されてくれるとは思いますが、勿論絶対とは言えません。
偽の血痕に騙されたら私を追って山に来るでしょうが、意図に気付かれれば逆にそちらを追っていくでしょう」
「……そうなったら、まあ、不味いだろうね」
敢えて、ホシノはどう不味いのかは言わなかった。
言わなくても、どうなるかなんて、誰にだって想像がつく。
「ええ。さっき言ってた“短時間なら有効なおんぶダッシュ”は、一旦高校に近付いてから早々にしてもらうことになるでしょうし……
追いかけられたら、多分、バテていて振り切るのは難しくなっているかと。
更に言うと、単純に考えて、磯辺殿を運ぶ人手が半分なのですから、ダッシュの疲弊抜きでも追われると相当不味いです」
追われる可能性は減るが、追われたらオシマイ。
はっきり言って、ただのギャンブルとなじられても反論は出来ない。
優花里自身は分のいい賭けだと思っているが、ベットされるのはホシノと典子の命だ。
二人が反対するならば、この案は却下するしか無いだろう。
「ちなみに、それ、相手が追ってくること前提だと思うけど、追ってくると思う根拠とかって……」
典子が、ここで口を挟む。
元より自分のせいで二人は危険な目に遭っているのだ。
自分の体のために、自分自身の命をベットすることに不満はない。
しかし、だからこそ、疑問を呈した。
もしも相手が校舎の中でスコープを覗いていたとしたら、引き換えしたホシノの命も奪われてしまう。
それならば、血痕はここで途絶えさせて、山を下る方がいいのではないか。
確かに感染症の危険などがあるが、しかしその場合、危険に晒されるのは自分一人で済む。
「確かに、あれだけ冷静に射撃してたし、放っておいても倒れそうな相手なんて追わず、あの好立地を守ることを選ぶかもしれない……」
「だからこそです」
「……え?」
またも、喉が優花里の喉へと張り付く。
ここからは、絶対的な保証なんて無い、推測の域だ。
「好立地すぎるんです、ここは。あまりにも開けているし、狙撃するには強すぎます」
今や高校は学園艦の上にあるのが普通なため、山の上にある高校というのは、優花里達には馴染みがない。
故に、特に用事もないこちらのエリアには、さほど近寄る機会がなかった。
だからここまで危険と知らずあっさり呼びかけにも応じて来てしまったし、相手が好立地を手放さないのではという甘い考えを持つこともあった。
しかし、現地に足を運び、それなりに歩いて、分かったのだ。
ここは、狙撃手にとって、あまりに好立地すぎる。
「そんな場所にノコノコやってきて、射程の中まで行く人間がいると思いますか?」
そう、好立地すぎるのだ。
狙撃される側が、嫌でも警戒するくらいに。
「今こちらの方まで来て分かりましたが、はっきり言ってこの辺りには何もありません。
民家だけです。そして民家なら、他の場所にも山程あります」
そう、ここに、特別なものなんてない。
あるとすれば、射程から外れる山と、そして馴染みのない山中の高校だけ。
「ここに誰かが来る理由なんて、何もないんですよ。それこそ、何か“餌”でもない限り」
その“餌”とは、前回で言う磯辺典子のことである。
典子の前で口にするにはデリカシーに欠けた表現ではあるが、優花里にそこまで気を回す能力はない。
典子自身、自覚はあったため、胸は痛むが特に口を挟まなかった。
「多分、今は、籠城のために作っていたバリケードを解除しているんだと思います。
もしかしたら、乗っ取られないよう、トラップを作るくらいしてるかもしれません。
それだけしてから追いかけても、追いつく自信があるか、もしくはそれ以上に乗っ取られることを恐れたのでしょう」
もし、他にも誰かが拡声器の声を聞いて近くに来ていたら。
そしてそれが、“餌”だと気付いて手出しをやめた、人を殺すつもりの人間だとしたら。
襲撃者が校舎を出たのを見届けて、この場を乗っ取るかもしれない。
そして、それが、襲撃者にとっては一番困ることなのだ。
何せ、出かけていった襲撃者は、校舎を乗っ取った者にすればノコノコ帰ってきてくれる“餌が無くてもやってくる獲物”だ。
自信が整えた狩りの場で狩られる側に回りたくはないだろう。
ましてや一方的な狙撃でその強さを体験した者なら尚更だ。
「それに、拡声器は落としてきてしまいました。多分、襲撃者が回収しているはずです。
つまり、新しい餌が補充可能なんです。悲鳴を上げて仲間を呼び寄せる、新たな餌が」
それこそが、襲撃者が追いかけてくる最大のメリット。
悲鳴を上げさせて餌にすれば、さらなる獲物が現れてくれるかもしれない。
典子の悲鳴を聞いて助けに来たお人好しの前例もあるのだ、試す価値はあるのだろう。
餌の種類によって食いつく獲物も変わるであろうし、恐らく優花里かホシノのどちらかは生きて餌にされるはずだ。
「なるほど……でも、身を守るだけなら、ここで籠城するのが一番と考えるのでは」
「もし身の安全だけを考えるなら、とっくに磯辺殿を仕留めて無駄に人なんて集めませんよ。
それに、禁止エリアで追い出される可能性もある以上、少しでも武器を調達しておきたいでしょうし」
故に、襲撃者は、必ず後から追いかけてくる。
それが、優花里の出した結論。
勿論机上の空論であるし、そこまで相手が考えていない可能性だって大きい。
だが、優花里は、この結論で合っていると謎の確信をしていた。
友釣りといい、襲撃者はそれなりに頭がキレて合理的な人物だと言えるだろう。
ある程度、理屈に沿って行動してくれるはずだ。
それならば、相手の立場に立って考えることで、ある程度行動を予測できる。
ここに感情の要素が入り始めると、エリカの時がそうだったように、優花里の予想を越えてしまうが。
だが、合理的な行動を取ってくれる相手なら、どこか他人事とも思える脳内シミュレーションで対抗することが出来るのだ。
「でも、それなら、血痕を残して逃げるなんて危険すぎるんじゃ……」
今の話だと、捕まっても即殺されない可能性はある。
だが、典子のような重傷は避けられないであろうし、おそらく今度は助けられない。
「……大丈夫です。危険な役目を負う代わりと言ってはなんですが、ヴォルカニックを頂こうかと。
おんぶをしてたらレバーアクションは使えないでしょうし、代わりにこちらはテーザー銃を差し出しますので」
二手に分かれ、敵は優花里が引きつける。
しかし武器も再分配し、戦力は優花里に固まり、また優花里は身軽になる。
上手くいけば、二組とも無事に病院に辿り着けるだろう。
それに――
「……正直、この方法なら、最悪でもどちらか一組が生き残れる、という打算もあります。
本当は、全員で助かる道を選びたいのに――私では、西住殿のように華麗な作戦なんて立てられません」
どちらかを犠牲にするような作戦、本当なら立てたくなかった。
勿論みほもある程度の危険を承知で戦力を分散させることはあるのだが、それは全て各々の技量を踏まえギリギリなんとかなるであろうラインを考慮したうえである。
だが優花里には、その見極める能力はない。
実際に追いかけられた時に自分が振り切れるのかどうかも分からないし、また予想が外れ立て篭もられていた場合や二人を追われた場合どうするのかもまるで考えつかない。
それでも。
「ですが――皆で無事に切り抜けるには、これが最善だと思っています」
真っ直ぐに、前を見た。
その瞳は、まだ揺れ動いて頼りなくはあるけれど。
その足は、憧れの人の道をなぞろうとする辿々しいものだったけれど。
それでも、優花里は確かに、己の戦車道を歩み出していた。
「……分かった。それで行こう。信じるよ」
「……そうですね。また病院で会いましょう!」
ホシノも、典子も、真っ直ぐに優花里を見る。
不安がないわけではない。
特にホシノは、優花里を見捨てる形になる可能性が頭をよぎっているし、どうしても嫌なことを考えてしまう。
それでもなお、信じることにした。
怖いが、ここは、アクセルを踏まねばならぬ時なのだ。
腹が立つくらい冷静な優花里が、これがベストだと言ったのだ。
案も出せないレーサーが、クルーを信じてアクセルを踏めずにどうする。
「じゃあ、行きましょう」
最悪のケースがあるとすれば、それは別行動前に、襲撃者に追いつかれてしまうことだ。
塀から道路に顔を出したらお目々合いましたコンニチハという可能性も否定しきれない。
唯一まともに応戦できる武器を手にした優花里が、まず最初にコンクリート塀まで行く。
それから塀に背中を預け、ゆっくりと慎重に、家の前の道路を覗き込む。
幸い、誰の姿も見えなかった。
「大丈夫そうですね……」
ホッと胸を撫で下ろし、玄関先で典子を背負い待機しているホシノへと目配せする。
黙って頷き、ホシノも歩みを進めた。
「バッタリ会わないことを祈ってますよ」
そう言って、道路に出て、別れようとして。
連続した轟音を――機関銃の音を聞いた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
急ごしらえだったとはいえ、この高校は今や立派な要塞たりえた。
簡素ながら必要最低限の警報装置やバリケードがあり、何より迫りくる相手を見下ろしやすい好立地。
少なくともクラーラという狙撃手と、ドラグノフという狙撃銃にとっては、この場は指折りの拠点だと言えるだろう。
はっきり言って、逃走した手負いの三人を追いかける理由など、ほとんど無い。
生き残ることを考えたら、この要塞を手放して、罠を仕掛けているかもしれない場所までノコノコ出ていく必要性など微塵もない。
こちらに近付いてきたら、粛々と狙撃していけばいい。
今回のことで、自身の弱点は分かった。
獲物を逃した以外の打撃は何もなく、自身が出し抜かれる手法を一つ知れた。
知ってさえいれば対処法を考えられるし、いざ喰らった時の動きにも差が出る。
はっきり言って、トータルの収支で言えば、大きなプラスだと言えよう。
凍てつかせた心は、何より冷静な思考は、クラーラに留まることを指示していた。
故にクラーラは、駆け出さなかった。
冷静な思考が、無謀な追撃を阻害したのだ。
だが――
呼吸を整え、一旦外した鳴子を全てロッカーへと放り込む。
ある程度、仕掛けたものは解除できた。
これで、後から来た別の人物に、苦労して作った要塞をそのままそっくり乗っ取られることはないだろう。
少なくとも、片っ端からロッカーを開けて仕掛けの残骸を見つけない限り、自力で仕掛けを作るはめになるはずだ。
あとは――“アレ”を乗っ取られぬように、この機に導入するだけだ。
「Готово к запуску」
準備完了。
クラーラが、一歩校舎の外へ出た。
彼女の選択は、追撃。
追わない理由など、いくらでもある。
立て籠もっていれば、何も知らない次の獲物がノコノコやってくるかもしれない。
姿を目撃されてもいないのだから、わざわざ手間をかけ殺しにいく必要がない。
こんな好立地を手放す理由がない。
更に言うと、試合でこの周辺は通らなかったため、自分にはさっぱり地の利がないため逃げ切られる恐れが高い。
対して、追う理由は、一つだけ。
彼女達が、危険人物の立て籠もる高校に、攻め込んでくるかもしれないから。
勿論――攻め込まれても、クラーラとしては決して大打撃ではない。
あの好立地だ。少人数ならまず壊滅させられるであろうし、大人数でも生命を擲てばかなりの数を仕留められる。
それは即ち、敬愛する
カチューシャを守ることへと繋がるのだ。
当然自らの帰投も優先事項だが、それでも一番は、愛する者を守ること。
それは、愛する者のため軍務に務める父からも、いつも聞かされていることだった。
問題があるとすれば、逃げた連中が引き連れてくるであろう顔ぶれだ。
逃げた連中は知っている。
こちらに狙撃銃があることも、それなりに正確な狙撃の腕があることも。
友釣りを試みるような危険人物であることも、生命を奪うのに躊躇はしないであろうことも。
逃げた連中は、知っているのだ。
そしてその知っている情報を、秘匿したまま引き連れてくるであろうか?
答えはノーだ。
秘匿するメリットなど騙して肉壁にするくらいであろうが、それをするような人物なら端から餌を助けに来ない。
そうなれば、信頼関係の面から考えて、倒すべき敵の情報は全て開示するはずだ。
例えその結果、怖くて協力できないなどと言われたとしても、土壇場で教え逃げられるよりはマシなのだから。
「Чтобы перейти……」
さて、そんな情報を包み隠さず伝えられたとして、一体誰がこんな場所までノコノコやってくるであろうか?
逃げた二人は、こちらの危険性を肌で理解しているし、こちらを仕留める算段がつけば攻めてくるかもしれない。
重傷者が死者になれば、仇討ちとして攻め込んでくるかもしれない。
その場合、先程撃った少女と親しい者なら、突っ込んでくるだろう。
しかしそうでない場合、向こうにとっても、こちらに攻め込む理由はない。
何せ籠城しているのだ、近寄らなければ害はない。
殲滅戦に積極的に参加している以上どこかで戦わねばいけないと分かっていても、行動など出来やしない。
なにせ、禁止エリアのおかげで、籠城していても高校を追い出される可能性があるのだ。
危険を犯して“今すぐ”“向こうに地の利があるのに”“自ら不利な戦いを”挑む理由など一つもない。
まともな脳味噌をしていれば、この高校に突っ込もうなんて気は起こさないだろう。
もし、そこまで思考できているのに突っ込んでくる者がいるとすれば、それは愚か者だけだ。
もしくは、愚かなまでに自分を信じている自信家か。
或いは――愚かなまでに自分を信じ、そして大言を実現させる実力を持った、偉大な指導者だ。
小さな体に大きな理想を掲げる自信家の隊長なら、きっと、攻めてくるだろう。
もしかすると、伝聞した情報から、狙撃手の正体に至るかもしれない。
いずれにせよ、何かを決意した時の
カチューシャは大胆であり、そして非常に優秀である。
きっと、この程度の要塞なんて大したことないわと言わんばかりに、高度な戦略を引っさげて、堂々攻め込んでくるだろう。
それだけは、駄目だ。
最低だと分かっている。罵ってくれても構わない。
それでも、凍てつかせた心の中で、
カチューシャとの思い出だけは、温もりを放ち続けているのだ。
彼女と闘うことなど勿論出来ない。
だが、何より――
彼女にだけは、嫌われたくない。
身勝手だろう。
侮蔑されて当然のことをしているというのに。
カチューシャのためなら何でも出来ると思っているし、ある程度なら嫌われてでも
カチューシャのために行動できると思っていたが――
今回ばかりは、クラーラの許容量を越えている。
きっと、「嫌われる」だとか「怒られる」だなんてものじゃ済まない。
心の底からの侮蔑と、失望と――様々な負の感情を込めた瞳で睨まれるだろう。
それだけは、耐えられない。
カチューシャが激怒することは分かっていて選んだはずの道なのに。
それでも、それだけは、許しがたいことだった。
カチューシャさえ笑っていてくれたなら、他の笑顔全てを奪う事ができる。
カチューシャという火さえ灯ってくれていれば、心をどこまでも凍らせれる。
でも
カチューシャを失うことだけは、どうしても、駄目だった。
考えるだけで身震いするし、きっと本当にそんなことになった日には、想像を絶するショックが訪れるだろう。
だから、追うのだ。
安心して立て籠もるために。
安心して、何も知らない愚か者だけを狙撃できる環境にするために。
最愛の人が、全てを知った愚か者達を率いてくる、その可能性を潰すために。
☆ ★ ☆ ★ ☆
銃声を聞き、ホシノは目を見開いた。
背負われた磯辺典子も、口を半開きにして蒼白になっている。
あまりの衝撃に転倒しかけた秋山優花里も、前傾姿勢で何とか転倒を免れる。
三人共、傷一つ負っていない。
銃弾一つ、飛んできていない。
「この音……!?」
「しっ、近いです!」
優花里が言わずとも、その音源が近いことは、ホシノにだって理解できた。
あまりに音が大きすぎる。
正体を確かめねばならなかったが、自然と体は塀の中――家の敷地へと後ずさっていた。
「これ……私に支給されたやつだ……」
しかしその正体は、予想外にも背後に背負った典子の口から語られる。
磯辺典子の支給品。
それが意味する者は、一つ。
「あまりにも危ないから、校門前の草むらに隠しておいたのに……」
その使用者が、先の襲撃者であるということだ。
草むらに隠していた所も、狙撃銃越しに目撃されていたのだろう。
籠城に最適な獲物が、また一つ襲撃者の手に渡ってしまったのだ。
「何でそんな所に……」
「その、あまりに大きいから――」
「……大きい?」
その言葉の意味は、すぐに知ることとなる。
「――――!?」
疑問符を浮かべ棒立ちだった優花里の手を、ホシノが引いて敷地の中へと引っ張り込む。
高校沿いの道が塀に阻まれて見えなくなる直前、優花里の視界に映ったもの。
それは、およそハンドガンではありえぬほどの長さのバレル。
あれは――――
「ガトリングガン……!? それも、短機関銃でなく、重機関銃っ……!」
目を丸くする優花里の手を引っ張り続け、開け放たれていた玄関へとホシノが転がり込んだ。
これがガトリングガンだとすれば、掃射の音も間もなく止む。
その間に、対策を立てねばならない。
「磯辺さん、あれは!?」
「え、ええと、名前は忘れたんですが台車がついたガトリングガンです!
あまりに重たいし、草むらに隠して、銃弾だけ背嚢に入れておいたのに……!」
典子のスタート地点は、正確に言うと高校近くの公園の中である。
そんな場所に放置しておくわけにもいかず、かと言って国道まで持ち出すと隠す事もできそうになく、已む無く高校方面へと移動したのだ。
本当ならもっとしっかり隠したかったが、「根性で押せ!」で坂道を押すにも限界というものがある。
というか、ここまで押せたことが凄いのだ。しかも優花里達は気付かぬ程度にしっかり草むらの奥まで押し込んでいる。
本来大の男が数人がかりで移動させるようなものを、女子高生一人の力でだ。なんだこいつ。
「お、恐らく、台車に乗って、乱射しながら坂を下って来たんでしょう……
校舎自体は狙撃に最適な場所ですが、逆に言えば高校を一歩出たら狙撃されるのに最適な場所になりますし、
多分、待ち伏せしてる我々に狙撃されぬよう、傾斜を利用し威嚇射撃をしながら移動しているのかと……」
やたらと射撃音が長いのは、ガトリングガンを全て撃ち尽くすつもりだからか。
台車付きの重機関銃なら、その重さはゆうに三十キロを越える。
狙撃のために居座るであろう校舎の上の階まで運べるシロモノではない。
ならば、自分がそうしたように、誰かに使われるのを防ごうとするはずだ。
それが、この乱れ打ち。
待ち伏せ相手に牽制を入れながら、ガトリングガンを使い切る。
そのための一斉掃射と見ていいのではなかろうか。
「多分この坂道は押して登れはしないでしょうから、相手は多分狙撃銃だけかと」
「そりゃよかった。まあ、それだけでも十分厄介なんだけど」
幸いなのは、台車に乗って坂道を滑りながら移動している場合、恐らく二叉の道を通り越して滑り降りていることだ。
最も、待ち伏せ対策で死角を失くすよう、こちらの道へは襲撃者自信が狙撃銃を構えている形であることが予想されるため、覗き見て確かめる事はできないのだが。
まあとにかく、今は少しでも時間が稼げたことに感謝するしかない。
最も、血の跡はしっかり確認しているであろうし、血の跡が二叉の道ではこちらに続いていると気付かれているだろうが。
「それで、どうするの?」
どうする、なんて言われても、きっと優花里は困るだろう。
それが分かっているというのに、つい、ホシノはそう口にしてしまった。
選択肢など、殆ど無いようなものなのに。
「元々血痕は追ってくる可能性が高いという見込みでした。
深読みして国道を走ってくれることには期待しない方がいいでしょう……」
そうなれば、残された選択肢など、片手で数えるほどしかない。
「戦うか、逃げるか、隠れるか……」
「無抵抗でやられるって選択肢は、ないもんね……」
ちなみに誰も口にしなかったが、まだ『無抵抗で殺される』という選択肢が残っている。
ああ、あと、『命乞い』も。やったね、ギリギリ片手の数は越えたよ選択肢。
「……戦いましょう」
意外にも、それを提言したのは典子であった。
誰より戦いを止めようとしていた少女の提言。
それが、今がどれほど窮地なのかを、何より如実に物語っていた。
「幸い、殺傷力のない銃というのがこちらにあります。
これだけ追い込まれていますし、これを使うことなら、きっと躊躇わずに出来るかと」
勿論、この期に及んで、典子は人を殺す気などない。
そんな典子を戦闘に踏み切らせたのは、非殺傷の銃だった。
「……ならば、私が塀に張り付きます」
入り口横、二叉側の塀に張り付けば、少なくとも道路を行く襲撃者に目撃されることはなくなる。
勿論相手も警戒しながら歩くため、背後を取れるなんて思っていない。
同時。同時でいい。
目撃されるのが同時ならば、この戦いに勝ち目が出る。
勿論向こうも発砲してくるだろうが、こちらとしては最悪頭や胴体に当たらなければいい。
腕や足も捨てていいわけではないが、少なくともすぐ死ぬ事態は避けられる。
そしてこちらは当てさえすれば、体のどこであろうと、気絶させることが出来るのだ。
同時に撃って当てさえすれば、最悪でも引き分けに持ち込め、蹂躙される心配はない。
それに、狙撃銃なら長身であり小回りが効かぬため外してくれることに期待も持てる。
「……私は、もう……テーザー銃を撃ちましたし、外せない以上、慣れた私がやるべきかと」
『人に向けて』の一言は、どうしても喉を通らなかった。
あの軽率な行動の起こした出来事は、まだ優花里の中でしこりになっている。
「ホシノ殿は、私が駄目だった時のため、傍でヴォルカニックを持って待機してください」
そう言うと、優花里は塀へと小走りに駆けた。
銃声が止んで、数分が経つ。
隣の民家が調べられたら、次はこの民家の番だ。
万が一隠れてやり過ごされることを考えると、血痕が続く民家を完全に無視する事はできないだろう。
それに、逃走しながら血を止めたなら、家探しの痕跡が残るはずである。
時間がない以上、綺麗に片付けていくことはまずあるまい。
実際、隣の民家はとっ散らかったままである。
確認して損はない――残念ながら、それが分からぬ相手ではないだろう。
「…………」
息を殺し、全神経を道路へと向ける。
汗が掌に浮かび上がり、テーザー銃のグリップを湿らせていた。
(なんとしても、当てなくては……)
視界の隅に、ホシノを捉えた。
民家の側面、入り口からは完全に死角となる位置に陣取っている。
ホシノからも襲撃者は見えないだろうが、しかしホシノの位置からは優花里の姿が確認できる。
優花里が倒れる姿が確認できるなら、それで十分だ。
(大丈夫。やれる。逸見殿を撃った時のように、軽率でもいいから、引き金を引かなくては……っ)
自分の案の“最悪のケース”――それが、実現してしまった。
実行前だったとはいえ、今このメンバーの指揮を取っていたのは、紛れもなく優花里である。
みほのように、指揮者として、皆を導かねばならない。
(それで、皆で、絶対に帰っ――)
鼓舞する言葉で脳内を埋めながらも、道路に対する警戒は怠らなかった。
怠るわけがなかった。
「上だっ!」
――だが、道路にしか、意識を向けることが出来なかった。
「…………え?」
ホシノの悲鳴にも似た叫びで、振り返る。
美しい金髪をたなびかせ、ロシア生まれの美少女が空を飛んでいた。
いや、この場合、跳んでいた、か。
きっと、隣の民家から、そのまま塀を飛び越えてきたのだろうから。
(皆を、守っ――――)
汗で滑りそうなテーザー銃を持ち上げ、そして、顔面に強い衝撃を受け、優花里の体は倒れ伏した。
☆ ★ ☆ ★ ☆
磯辺典子が隠していたマキシムM1884。
その重量が想定を越えていたため、クラーラが追撃を開始するまで想定以上の時間がかかった。
しかしながら待ち伏せ対策をするなら、これを使うのが手っ取り早い。
何より、ドラグノフには残弾数がある。待ち伏せているか分からぬ相手に使いたくなどない。
クラーラは、肉体的な能力で言えば、この特殊殲滅戦参加者で指折りの上位。
時間はかかれど、典子に出来たマキシムM1884の移動が出来ないはずなどなかった。
なんとかマキシムM1884の台車に飛び乗り、牽制の掃射をしながら坂道を下る。
どうやら誰も待ち伏せはしていないようであった。
問題があるとすれば、血痕の向かう先だ。
予想に反し、病院に続く国道方面にでなく、数件の民家があるエリアへと続いていた。
勿論この近辺の情報に明るくないので、坂の向こうに目指す価値があるのかどうか判断出来ない。
もしかすると、スコープ越しでは分からないだけで抜け道があるのかもしれない。
いずれにせよ、血痕を追ってみぬわけにはいかなかった。
何とか撃ち尽くしたマキシムM1884は、そのまま坂道を単身滑り落ちていった。
予備弾薬が背嚢に残っているが、もう使うことはないだろう。
この傾斜を一人で押して登れるのなんて、プーチンくらいなものである。
あのサイズの支給品が複数あるとも考えづらく、予備弾薬を自分が確保している以上、アレはもう使用できまい。
戦闘中に背嚢を奪われる可能性がゼロではないため、あまり高校付近に残しておきたくなかったのだが、この坂道の下にある分にはいいだろう。
あとは血痕を追うだけだ。
(……ハンドタオルで止血しましたか)
明らかに、家探しした形跡がある。
全部屋を見て回るついでに、衣服が散らかったタンスと洗面所の戸棚は確認してみたが、ハンドタオルの類がほとんど見当たらなかった。
洗面所にはハンドタオルがかかっていた以上、家主がハンドタオルを使わぬ主義ということはないだろう。
恐らく予備は逃走した連中が持っていったのだ。
血液が垂れるのを防止するためだろう。
そうなると、どちらに向かったのかはもう判断が出来ない。
国道沿いに逃走しているかもしれないし、どこかに身を潜めているのかもしれない。
そして、根拠探しに時間を費やしていられるほど、クラーラも暇ではない。
(この場合最悪なのは、隠れているのを見落とすこと)
民家を丁寧に探した場合、国道を逃走されるとかなりの距離を開けられるだろう。
だが、しかし――問題はない。
この民家のエリアは、国道より高い場所に位置している。
見晴らしがよくなり次第、スコープを覗けばある程度は事足りるだろう。
勿論森の中や建物に隠れていたらスコープでは見つけられないが、それなら順次隠れられる場所を潰していくだけだ。
(相手は手負い、そう遠くまで素早くは逃げられない)
しかし、決して油断はしない。
追い込まれれば、鼠だって猫を噛む。
ましてやこの鼠共は、つい先程クラーラの一枚上手を行ったばかりだ。
油断など、するはずもない。
(隠れている可能性は高いが、最悪を想定し、反撃体勢を整え罠を仕掛けている所までは想定しないと)
ライフルを肩に担ぎ、ショベルを握りしめる。
荷物を落とした典子の分を除いて、向こうにはナイフが二本と銃が二丁ある。
ナイフで仕掛けてくる場合は勿論、銃を持って待ち伏せしている場合でも、ドラグノフよりもショベルの方が有効だろう。
待ち伏せをする際、自身が奇襲を受けないようにするのは基本中の基本。
そう易々と気付かれずに狙撃できるとは思えない。
一気に距離を詰め決着をつける方が現実的だ。
銃刀法があるため、皆発砲経験などないであろうし、狙いを外してくれることも期待できる。
勿論、それに過大な期待は禁物であるが。
(こちらから極力見つからず、待ち伏せをしようとするなら、自然と視界は狭くなる)
姿を隠せば隠すほど、相手のことは視認しづらくなる。
そして勿論、相手が通ると想定されるルート方面に、狭い視界は展開される。
(求められるは、型破り――!)
あまりに過剰な消耗はせず、相手が潜んでいなかったとしてもさほど困らぬ程度の型破り。
例えば、そう、塀を挟んだ隣の家に、塀を飛び越え、直接乗り込む――!
「Бинго……!」
視界の下方、塀に背中を貼り付けて道路を注視する背中が一つ。
そしてそのバックアップをするように道路の死角に待機する姿が一つ。
手負いにした相手の姿を確認することは出来ない。
戦力にならないどころか足手まといは必至であるため、家の中で待機でもしているのだろう。
スペツナズ・ナイフでも持っていない限り、遠距離攻撃に注意する必要は無い。
仮に持っていたとしても、意識しすぎることもないだろう。
庭に面したガラス戸は全て閉まっており、すぐさま応援に出られる体勢が整っているようには見えない。
(ここで確実に仕留める――――!)
宙空にいる僅かな時間に、クラーラは冷静に計算を行う。
戦車で培った一瞬の判断力。
心を凍らせることで、この状況でもその判断力を引き出す事が出来ていた。
「がっ……!?」
恐らく主戦力であろう道路付近の獲物に対し、ショベルを投げつける。
戦力を奪う意図は勿論、次なる“餌”にしたいというのもあった。
大洗の中心たるあんこうチームのメンバーならば、その効果は絶大なものになるだろう。
冷静な
カチューシャは罠だと分かり、悲鳴の質から助けられないと判断して苦渋の決断をするだろうが、
西住みほのようなお人好し達が、助けに来てくれるかもしれない。
殺さずに捕まえるなら、この女――秋山優花里だ。
一キロを越える鉄の塊を投げつけられ、優花里が短い悲鳴を上げて倒れた。
ついで、着地点付近で驚愕に目を丸くする人物――ホシノへと狙いをつける。
ドラグノフを素早く構えると、思い出したかのようにホシノが手にした銃を構えた。
勿論、こんな不格好な体勢で、狙撃して弾を無駄にするつもりはない。
狙撃銃の長さを生かし、横に薙ぐ。
慌てて横滑りされたホシノの得物――ヴォルカニックは、意図も容易く弾かれた。
動揺した者から死んでいく。それが戦場の鉄則だ。
目を丸くするホシノを尻目に着地。
彼女に追撃を加えるより速く、長い足でヴォルカニックを蹴り飛ばす。
戦場から滑り出ていったヴォルカニックを取りに行くよりも、典子が置いていったナイフ――カラテルがホシノの体を貫く方が速い。
腰からカラテルを取り出す。
ホシノは、遠くに飛ばされたカラテルにでなく、倒れた優花里の方へと跳んでいた。
良い判断だ。そちらにはホシノ達の主戦力たる銃があるのだろうし、こちらが投げたショベルもある。
この至近距離で慣れないレバーアクションをするくらいなら、ショベルを振り回す方が多少はマシだろう。
とはいえ、それでも『多少はマシ』程度。
この程度では通じないし、予想の範疇を出ない。
冷静にカラテルをその肢体へと埋めるだけだ。
(ふむ……)
脇腹を狙ったカラテルは、しかしホシノの右腕へと吸い込まれた。
伝え聞く所によると、ホシノは大洗最速と称されるレーサーであるらしい。
一瞬で移り変わる景色には慣れていたからであろうか、こちらの動きに対応し、右腕だけの犠牲で済ませた。
やはり侮っていい相手ではなかったということか。
しかしこちらに油断はない。
一撃凌がれたところで、決して想定の範囲を出ることはないし、やることにも変わりはない。
優花里の方へ跳んだ瞬間突き刺され、バランスを崩したホシノの体が倒れ込む。
体重を乗せ、そのままクラーラがホシノへと覆いかぶさった。
残る左手を、真っ先に押さえ込む。
これで銃を拾われることはなくなった。
右腕はもう使用できまい。
あとは引き抜いたこのカラテルで、ホシノにトドメを刺し、それから優花里の四肢を傷つけ、最後に隠れている典子を探し出し――――
「――――――――――!?」
凍らせた心は、常に冷静にどう動くべきか考えさせた。
凍らせた心は、容赦なく相手を追い込むだけの余裕を与えた。
凍らせた心は、多少の動揺を乗り越えさせ、臨機応変に対処させた。そのはずだった。
体までもが、凍りつく。
理解の範疇を、大きく越える出来事が起きた。
脳の処理速度を越える事態に、咄嗟に動くことが出来なかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
クラーラは、冷静で、合理的な判断が出来る。
例え奇襲を喰らい動揺したとしても、すぐに立て直し、思考し、窮地を脱する能力を有していた。
しかしそれらは、全て“理”に基づいたものである。
相手が合理的な判断の元自分の思考を上回り、奇襲を仕掛けてきたのなら、きっと対処も出来たであろう。
素直に上を行かれたと認め、ではどうするかを考えて、最小限の犠牲でこの場を切り抜けようと考えられる。
しかし、目の前で雄叫びを上げるのは、その“理”が通用しない相手。
戦車“道”か、教科書でしか、戦いを知らぬクラーラには知り得ぬ相手。
もしもクラーラが戦場経験を持っていれば、恐怖のあまり潰れた者や一つの私欲のために全てを投げ出す者など、様々な存在に触れていただろう。
そして「考えても仕方がない相手」というのが存在すると学習し、何も考えず動けていたかもしれない。
だが、駄目だった。
彼女のルーツが、彼女から『思考を止める』という選択肢を奪ってしまった。
「Почему!?」
敗因は、彼女の父が、あまりに立派すぎたこと。
立派だったから、思考を止めてただただ命令をこなすだけの機械ではなかった。
そして、そんな立派な父は、戦車道に応用が効くようにと、色々教えてくれたのだ。
理の外で動く者の話など、まるで聞かされていない。
死を前にした時、どれだけ人は痛みを押せるか、なんて話も聞いていない。
(何故、貴女が――――――!?)
雄叫びを上げ、落ちている銃へ飛びついた人物。
それは、クラーラに覆いかぶされ身動きの取れぬホシノではない。
頭を殴打され倒れ込んだ優花里でもない。
重傷だったはずの、磯辺典子。
彼女が、雄叫びと共に、銃へと飛びついていた。
「――――――っ!」
それは、理解の範疇を大幅に飛び越えていた。
勿論、典子の奇襲を想定していなかったわけじゃない。
しかしながら、それは家屋か道路の向こうから飛び出してくるという形だった。
だが、現実はどうだ。
典子は、突如として、ホシノの背中から現れた。
正確に言えば、ホシノの背負った背嚢から飛び出してきた。
“こいつらは、重傷者を背嚢に押し込め、あまつさえ背負って戦場に出ていたのだ”
理解しろという方が無理だ。
歩くのにも激痛が走るであろう人間が、戦闘になど参加できぬであろう人間が、何故背嚢に潜り込むのか。
激痛で思わず悲鳴を上げそうなのをこらえて、一体、何故。
いや、そもそも、あの体で、何故あそこまで華麗に飛び出せるんだ。理解が出来ない。
やつは化物か何かなのか? 痛みを感じぬ体質なのか?
それとも背嚢に入っていたし、エスパーの類いなのだろうか?
クラーラは知らぬことであるが、典子の動きの原動力は、確かにある種の超能力のようなものと言ってもよかった。
しかしそれは、世間一般に『エスパー』と呼ばれる者ではない。
ある特定の人々が、痛みを押して活動する際に発揮されるその超能力を、世間では、こう呼んでいる――――
「――――――根性ォォォォォ!!」
あまりに理の外にある行為。
あまりに理解不能な愚行。
それが、揺り動かぬよう凍りつかせたクラーラの心を、カタカタと震わせてくる。
それは、紛れもなく、恐怖というものであった。
人は、己の理解を越える存在に恐れを抱く。
背嚢から飛び出して、銃へと飛びつくその姿が、まさにソレだった。
幽霊なんかじゃない。ゾンビなんかでもない。そんな実在すると思えない存在などではない。
紛れもなく目の前に存在していて、なおかつ理解の及ばぬ生物。
それが、クラーラにとっての磯辺典子である。
「っ!」
恐怖の行き着く先は、暴走である。
思考を置いて、恐怖に駆り立てられるままに体が動く。
ホシノの拘束を解いて、手にしたカラテルを典子の背中へと振り下ろす。
ここにきて、初めて行う“何も考えない攻撃”だ。
それでも手負い相手ならば十分のはずであったのだが――
体を捻り、典子がその一撃を回避する。
もっと速いスパイクの一撃を、振り上げた動作で予想し止めるのがバレーボールだ。
こんな見え見えの一撃を貰うほど、典子は衰えてはいない。
しかしながら、今のクラーラに、そんなことに気がつく余裕なんてない。
己の振り下ろした一撃の無様さを自覚することもない。
あの重傷で、あれだけの回避を見せる――そのありえなさに、恐怖だけが増していく。
先程何度も響いた、乾いた銃声が鳴った。
もはや弾の温存などと言っていられぬクラーラが、ついに引き金を引いた。
しかし、ろくに狙いもつけずに放たれた一撃では、典子を即死へは追い込めない。
カラテルを避けてバランスを崩していたのに、その銃弾は彼女の脇腹を抉るに終わった。
それでも、普通に考えれば、もう決着のはずである。
右脛部貫通銃創、同右長脛骨開放骨折。左肩部銃創及び骨折。
そこに加えて、今しがた脇腹を抉った銃弾が、彼女の臓物をいくつか引き裂いたはずである。
普通なら、もう、動けずただ死を待つのみだ。
「ッあああああああ!」
だが――典子は、倒れない。崩れ落ちない。
文字通りバレーに命を張れる人間だ、疲れや痛みに屈する心は持ち合わせてない。
スタミナの限界を越え、最後まで戦う選手のことを、典子は知っている。
怪我の痛みを押してまで、栄光を掴みに来た選手のことを、典子は知っている。
クラーラの知らぬ“理”を超えた行動をする人間の輝きを、磯辺典子は知っているッ!
どれだけ辛くても、どれだけ痛くても、どれだけ苦難が待ち受けようと、最後までコートに立つ。
そして諦めず、根性で貫き通す。
それが、磯辺典子という少女。それが、磯辺典子の戦車道。
「ひっ……!」
横っ飛びでレシーブしたあと、素早く体勢を立て直す練習など何度もしている。
腹を抉られた痛みをこらえ、練習通りにやるだけだ。
銃を拾い上げ、地面を転がり、そして銃口をクラーラに向ける。
元々雪のように白かったクラーラの顔が、真っ青に染まっていた。
「があっ……!」
ワイヤーを伝い、電流がクラーラを襲う。
ビクンと痙攣し、目玉がぐるりと裏返る。
顔面のみならず眼球まで白くなり、ついでに視界も白くなっていく。
その視界が最後に移したものは、力強い表情で、こちらにテーザー銃を向けた典子の姿。
結局、クラーラは、磯辺典子という理屈を越えた存在に屈したのだ。
彼女は決して、餌ではなかった。足手まといの重傷者ですらなかった。
もっと禍々しく、真っ先に始末せねばならない、限られた何か別の存在だった。
(カチュー……シャ……様…………)
理解を越える謎の力で、恐るべき動きをする。
そんな典子のような人物を、かつて人々はこう称した。
(……Ведьма……!)
――――東洋の魔女、と。
☆ ★ ☆ ★ ☆
背嚢に隠れるアイデアは、磯辺典子が言い出したものだった。
秋山優花里が入り口付近に出向いた後、ホシノは典子を部屋に置いていこうとした。
そこで隠れて待っていろ、と。
しかしそんなこと、出来るはずがなかった。
戦いたくなんてないが、しかし自分の巻いた種。
犠牲を出さずに、少しでもベストを尽くしたかった。
自分の体格ならば背嚢に隠れられると言ったとき、ホシノはただただ目を丸くした。
きっと、あまりに突拍子もなくて、なんと反論すればいいのか分からなかったのだろう。
だが、それでいい。
そのくらい想定外のことでなくては、奇襲になんてならない。
むしろ、おかげで、この怪我で背嚢に入るなんてことは普通考えないことなのだと確信するに至れた。
ならば迷うことなどない。
自身の背嚢の中身を部屋の中へとぶちまけ、声を殺して体を背嚢へとねじ込む。
そして、連れて行くように、ホシノへと訴えた。
結果は、こうして、連れて行ってもらうことに成功した。
時間がないのが幸いしたと言えるだろう。
うだうだ問答する暇など無く、かといって中途半端に背嚢に入り込み動けぬ状態で放置するわけにもいかない。
それならば、背嚢に隠れやりすごせる可能性がある方に賭けた方がマシとでも思ってくれたのだろう。
(よかった……)
結果、激痛に苛まれたものの、こうして襲撃者を――クラーラを撃破することが出来た。
ビクンビクンと痙攣しながら泡を吹いてこそいるが、命を落としてはいなさそうだ。
まずはそのことに胸を撫で下ろす。
「秋……山……さん……」
ついで、優花里の様子を見にいこうとする。
しかし立ち上がる気力はなく、地面を這おうにも“空いたばかりの穴”から洩れかけている何かが地面に引っかかり抵抗を生み、それを阻害していた。
優花里を映していた視界に、ホシノの姿が映り込む。
腕を怪我してしまったようだが、どうやら命に別状はなさそうだ。
「よかった……」
うめき声をあげながら、優花里がホシノに起こされる。
出血こそ見て取れるが、今すぐ命を落とすような危険性はなさそうだった。
「なんとか、止められた……」
大怪我を負った。それは決していいことではない。
それでも誰も命を落とさずに、また奪わずに、こうして戦いを終えることが出来た。
絵空事なのではないかと思われた想いは、決して絵空事ではないと、ここに証明できたのだ。
「磯辺、殿……?」
こちらの姿を居た優花里が、みるみる青ざめていく。
無理もない。
彼女には、背嚢に潜んでいることも言っていなかった。
彼女からすれば、今の状況は何が何やらだろう。
「…………」
ホシノが言葉を詰まらせている。
もしかすると、自分のせいだと思っているのかもしれない。
「……ありがとう……」
しかしそれは間違いだ。
典子は、紛れもなく自分の意思でここに居る。
ナイフで背嚢に穴を開け、外の様子を窺っていた自分を気遣い、ホシノは常に背嚢をかばって行動していた。
倒れたときだって、自分を押しつぶさぬように、側面から倒れてくれていた。
感謝こそすれ、恨み言など言うはずがない。
「私の……想いは……空虚な妄想なんかじゃなかった……」
もしも二人がいなければ、自分は自分が掲げた理想が誤っていたのではないかと悲しみにくれながら殺されていたかもしれない。
そう思うと、今のなんて幸せなことか。
こうして想いを共有する仲間がいて、実際に暴走してしまった相手を命を奪わず止められた。
これ以上、一体何を望めというのか。バレー部復活か。それはまた別枠というか殿堂入りのようなものだ。
とにかく。
「ああ、でも……少し、疲れたな……」
幸せだった。
満足感に包まれている。
そして、同時に、虚脱感にも。
「ごめん……病院、遅れるかも……」
この感覚は覚えがある。
怪我を押して戦った、あの日のバレーボールの試合だ。
試合中は根性とテンションで痛みを振り切り戦って、勝利を掴んだあとは、満足感から一気に疲労感が襲ってきた。
あの時のソレに、非常に似た感覚だ。
「……少し、寝たいな……」
二人の表情を見なくても、きっと自分はもう起きれないであろうことは理解できた。
怪我の痛みを忘れられるのは一試合だけ。
試合が終わればリバウンドはやってくるし、次の試合までその勢いは保てない。
これは経験則だ、間違いあるまい。
(ごめんね、皆……帰れそうにないや……)
霞む視界が、ゆっくりと閉じる。
閉じる前で映っていた優花里とホシノの顔が、瞼を下ろした瞬間に、いつも一緒だった後輩三人へと変わる。
(本当は、一人ずつ、コメントとか、述べたいんだけどさ……)
でも、ごめん、多分、もう、そんな余裕もない。
だから、まとめて言っちゃうね。ごめん、そして、ありがとう。
天国が、どんなところか分からないけど。
もしかしたら、地獄かもしれないけれど。
とにかくあの世で、またバレーボールが出来るように、コートを整備しておくから。
いつの日かまた、あの世でバレーボールをしよう。皆一緒に、あの日のように。
お花畑か針山なのか分からないけど、コートの整備、時間かかるだろうから、すぐに来なくても大丈夫だよ。
ゆっくりと現世を楽しんで、それから来なよ。
そしたら、私が知らずに死んだ、最新戦術を教えてよね。
代わりに、整えたバレーコートと、あの世で作ったバレー部チームで出迎えてあげるからさ。
だから、それまで、みんなは、私の分も沢山いきて、バレーボールも戦車道も、私の代わりに楽しんで。
(……ああ……)
意識が急速に遠のく。
それでも不思議と、怖くはなかった。
(バレー、また、したいな……)
いつだって挑戦者の側で、いつだって本当は怖くて、でも根性という魔法の剣を片手に幾つもの困難を乗り越えた。
その背中を誰が笑おうと、己の選んだ道を、常に全力で駆け抜けた。
この無慈悲な戦場においても、彼女は、己の定めた道を駆け抜けたのだ。
無情の雨が飲み込もうとしてきても、現実の風が突き刺すように吹いてきても、それでも歩みを止めずに。
走って、走って、どこまでも根性で走って――そして、彼女の歩みはついに止まった。
けれどもそれは、道半ばで倒れたわけではないのだ。
彼女は、ゴールしたのだろう。
己の定めた、彼女だけの“戦車道”の、ゴールテープを切ったのだ。
まだ道半ばの仲間にバトンを託してから。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「くそっ……!」
最初に口を開いたのは、ホシノの方だった。
磯辺典子の呼吸が止まって、十数分後のことである。
人工呼吸は、意味がなかった。
心臓マッサージは、衝撃で腸が飛び出してしまい断念した。
磯辺典子は命を落とした。
彼女は、自分達を守るために、無茶をして命を落とした。
その事実を、受け入れざるを得ない。
「どうして……」
どうして。
この殲滅戦開始以降、何度も繰り返した言葉だ。
答えなんて出ないことは分かっているのに、それでも壊れたテープレコーダーのように、何度も繰り返してしまう。
「…………」
たっぷり数分は自責しただろう。
何も言わず呆然とした秋山優花里も、きっとそうだったのだと思う。
直視しているのも辛くて、思わず典子の体から目を背けた。
そして、代わりに、横たわるクラーラの体が目に入る。
「…………ッ」
ホシノは何も言わない。優花里も口を開かない。
それでも二人の間には、共通した想いがあった。
何も言わずとも、その悩みは共有されており、そして相手も同じことを思っているであろうと謎の確信を持てた。
――クラーラを、どうするか。
典子は、自分の命を捨ててでも、殺し合いを止めようとした。
テーザー銃に拘っていた所を見るに、きっと、助ける対象にクラーラも含まれているだろう。
典子には助けられた恩義もあるし、彼女の意思を尊重したい。
それに、自分だって、こんなことはしたくなかったし、命に優劣をつけるなんて最低だと思っていたはずだ。
なのに――心のどこかで、それでいいのかと思ってしまう自分がいる。
相手は友釣りなんてする凶悪な人物であり、そして多大な戦闘力を有している。
仕留めるなら――命を奪うなら、今が千載一遇のチャンス。
下手をすると、もう、こんな機会などないかもしれない。
最低だ、と我ながら思う。
でも、先程までのように強く自分を否定することが出来ない。
きっと、典子を殺された怒りと、レースをするうえで大事な右腕を壊されてしまったことに対しする恨みのせいだ。
我ながら吐き気がする。
だが――もう、どうすればよいのかなんて分からなかった。
負の感情に引きずられぬよう、正しくあろうと頑張った。
しかし、結局は駄目だった。
綺麗事なんて通用しない、これが現実と言ってくれれば、いっそのこと楽だったのに。
典子が、典子の貫いた道が、綺麗事でも通じることを証明してしまった。
それも、完全なハッピーエンドではなく、自身の命と引き換えという、手放しで同じ道を歩めない結末をもって。
もういっそ、自分より冷静で的確な判断ができる優花里に、処遇を一任してしまいたかった。
だがきっと、優花里も同じようなことを思っているだろう。
だから二人共切り出せない。
嫌な人間になりたくない。でも死にたくない。大切な人を殺されたくない。
どうすればいいのか、結論が出ない。
けれども、いつまでもこうしてはいられない。
この問題には時間制限がある。
それも、クラーラが目覚めるまでという、目に見えないタイムリミットが。
真っ暗闇が道を覆う。
典子の光は、眩しすぎた。
折角照らしてくれた道を、正しく見ることが出来なかった。
典子の振るった闇を切り裂く魔法のナイフ。
その『根性』という魔法のナイフは、ホシノに振るうことは出来ない。
彼女は彼女の、闇を切り裂く魔法を会得しないといけない。
未来は見えない。何も見えない。
真っ暗で、眩しすぎて。善くありたくて、いっそ楽になりたくて。
答えは、まだ、出てこない。
【磯辺典子 死亡確認】
【残り 29人】
【C-3・塀のある民家/一日目・昼】
【クラーラ@フリー】
[状態]気絶
[装備]プラウダ高校の制服
[道具]基本支給品一式、ドラグノフ狙撃銃(3/10)、カラテル、折り畳みシャベル、マキシムM1884の布製弾薬帯(250/250)
[思考・状況]
基本行動方針:
カチューシャを優勝させるために戦う
1:不明。気絶中。
2:できればプラウダの仲間は守りたい。しかしもしもの場合には、
カチューシャの命が最優先
3:なんだあいつこっわ……引くわ…… ← と、ロシア語で思っている
[備考]
※磯辺典子が拡声器で発した言葉を聞きました
※拡声器はC-3高校の校門前に放置されています。基本支給品一式、 不明支給品(ナイフ、マキシムM1884)はクラーラが回収しました
※乗り捨てジャンプされたマキシムM1884(台車付き)が残弾0で国道51号線付近に放置されています
【秋山優花里@フリー】
[状態]健康、焦燥 頭部から出血
[装備]軍服 迷彩服 TaserM-18銃(3/5回 予備電力無し)
[道具]基本支給品一式 迷彩服(穴が空いている) 不明支給品(ナイフ)
[思考・状況]
基本行動方針:誰も犠牲を出したくないです。でも、襲われたら戦うしかないですよね
1:クラーラ殿をどうするか決めなくては……
2:西住殿と会いたいのであります……
【ホシノ@フリー】
[状態]健康、心に大きな迷い、それ以上の焦燥 右上腕部に大きな刺し傷
[装備]ツナギ姿 S&W ヴォルカニック連発銃(装弾数8/8) 予備ロケットボール弾薬×8
[道具]基本支給品一式、不明支給品(ナイフ)、RQ-11 レイヴン管制用ノートパソコン
[思考・状況]
基本行動方針:みんなで学園艦に帰りたい
1:クラーラさんを、どうしよう……
2:殺し合いには乗りたくない。けれど最悪の状況下で、命を奪わずにいられるだろうか?
3:レオポンさんチームの仲間にはいてほしくない。彼女らの存在を言い訳に、誰かを殺すことはしたくない
[備考]
※磯辺典子が拡声器で発した言葉を聞きました
[武器解説]
381mm・1134g・.31RocketBall・装弾8発
弾丸自体に発射薬を仕込んだ『ロケットボール弾』を使用するレバーアクション式の銃。
初期のスミス・アンド・ウエッソン社が最初に手がけた拳銃で、『ヴォルカニックピストル』と呼ばれることも多い。
金属薬莢が普及していなかった1854年において、連射が出来る貴重な銃の一つではあったが、
ロケットボールが弾倉内で連鎖暴発することも多く、商業的には失敗に終わっている。
しかしレバーアクション機構は、ヘンリー銃やウィンチェスターライフルの原型となる等、後の銃に大きな影響も与えた。
後にライフルタイプのモデル2が誕生するが、支給されたのはピストルタイプのモデル1である。
1100mm・30000g・.11.43mm口径・装弾250発(布製弾薬帯) ※台車のスペック抜き
通称・マキシム機関銃。発射速度は600発/分であり、1秒間に10発吐き出す速さである。たまんねェなァ、おい!
発射時の反動を利用して連射する世界初の『反動利用方式の機関銃』であり、植民地戦争から第一次世界大戦まで猛威を奮った機関銃。
威力は絶大な反面、初期型というのもあって扱いが非常に難しく、銃弾があっという間になくなるのに加え、試作機ゆえに冷却装置がない等の問題がある。
本来は数人がかりで運用するものであるが、そもそも支給された弾薬が少ないため、短期的な運用ならば頑張れば一人でも出来ないこともない。
アホほど重たいため台車がついているが、当然台車も相応の重さがあるため、下り坂では快適だが上り坂では地獄を見ることが出来る。
ロシア軍の特殊部隊で使われるとされているナイフ。
『斬る』『突く』双方に用いれる特殊なブレードラインをしており、多様な使い方が可能。
斬るために幅広となっており、またブレードの6割は両刃であるため、怪我をしないよう取扱には注意がいる。
ブレードバックに窪みがあり、指かけとして使える他、相手の手首を引っ掛ける等、様々な応用も効く、まさにおそロシアな逸品。
登場順
最終更新:2018年03月03日 13:12