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袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw



「―――あなた、誰かを殺したの?」

あてもなく林道をさ迷い歩くひさ子の前に現れた、それが少女の第一声だった。

「なに、え、何を……」

次第に薄暗さを増していく林の中である。
突然目の前に現れた少女は、まるで徐々に濃くなる闇から生まれてきたようにすら、感じられた。
そんな少女に問い質され、思わず口ごもるひさ子に、少女は畳みかけるように言葉を浴びせてくる。

「殺したんでしょう」
「だから、何を言ってんだよ、あんたは!」

言い返す口調がつい荒々しくなるのを、抑えきれない。
もとより即答できる問いではなかった。
考え込めば心が千々に乱れそうなことでもあった。
だから考えないように大声を出して、精神に感情で蓋をする。

「……」
「……っ!?」

声の余韻が林からすっかり消えようとする頃である。
静かな瞳に冷たい光を湛えた少女が、小さくため息をついていた。
その小馬鹿にしたような態度にひさ子が噛み付くよりも早く、少女が口を開く。

「その荷物は何?」

細く白い指が真っ直ぐに指すのは、ひさ子の抱えた支給品のデイパックである。
それも、背負ったそれではない。左の肩に抱える、二つめの荷物であった。
言われたひさ子は、それが猪名川由宇の持ち物であることに気付き、同時に
無惨に砕け散ったその顔が脳裏に浮かぶのを振り払おうとして失敗し、
こびりつくようなその赤に囚われた思考は咄嗟に言葉を紡げない。

「これ、は……」
「支給品は一人に一つ。二つを持っているなら、預かったか、拾ったか、盗んだか……」

言い淀むひさ子をよそに、少女は淡々と続ける。
その言葉尻に、突破口が見えた、気がした。

「あ、預かったんだよ、さっき」
「―――それとも、殺して奪ったか」

幻想だった。
安易な逃げ道に縋ろうとする、ひさ子の言葉を無視するように少女は断じていた。
見下ろされているように、感じた。

「まさか本気で言っているわけじゃないでしょう。預かった、なんて」
「な、何で、さ……」
「やめましょう。時間の無駄だわ」

少女が、冷たく言い放つ。
その瞳には今や、侮蔑と嫌悪の色だけが浮かんでいた。

「わからないはず、ないでしょう―――その格好で」
「え……?」

言われて、見下ろす。
見下ろして、一瞬、本当に何を言われているのか理解できず。
そうして、ようやく気付く。

白を基調に、淡い群青色を配した、改造制服。
神に抗い、天に唾して自らを謳い上げる者たち―――『死んだ世界戦線』の一員である証。
見る者に爽やかな印象を与えるはずのその制服は、しかし、今や見る影もない。
群青色の襟が赤黒い。白かった袖は褐色の斑模様で、スカートは奇妙に黒く汚れている。
乾きかけた、それは血痕だった。
ひさ子の全身に、赤黒い染みと斑模様が、一面にべったりとこびりついていた。
猪名川由宇の返り血だった。

「……ッ!」

慌ててそれを覆い隠そうとした、やはり血に汚れた手には、おぞましい凶器が握られている。
血と肉片とをその先端にへばりつかせたままの、鋭い釘を無数に打ち付けたバット。

「まるで殺人鬼ね」
「……」

沈黙は、答えに窮したからではない。
ただ、驚愕の故だった。
気付かなかった。否。気付けなかった。
返り血に汚れていることが、異常であると。
剥き出しの凶器を持ち歩くことが、異様であると。
そんな、本当は考えるまでもなく当たり前のことに気付けない自分がいることに、
ひさ子は愕然としていた。

血と、肉と、凶器と。
そんなものは、あの学園ではあまりにも日常的に、存在していた。
泥に汚れるのと、変わらない。
少し眉を顰めて、新しいものに着替えて。
それだけの、ただそれだけのものでしか、なかった。
だからそれは、あの学園では、戦線では、あるいはNPCの前ではごく普通のことで、
誰も、おかしいなんて、言わなかった。

からりと、血塗れの凶器が、手から離れて地面に落ちる。

そうだ。
昔は、もう思い出せないくらいの昔には、これを、異常だと、思えていた。
武器を持つこと。血を流すこと。傷つくこと。傷つけること。
いつからこれが、こんなものが、日常になってしまったんだろう?

死を受け入れたとき?
生き直すことを肯定したとき?
神に抗うなんて子供じみた遊びに付き合うことを決めたとき?
それとも、初めて人を、生き返る人を、殺したとき?
いつから、こんな風に、なってしまったんだろう。

「……」
「あなた、誰かに聞いてほしいんでしょう? そうやってこれ見よがしにして」

思索に沈みそうになった沈黙を、どう解釈したのか。
ひさ子を射貫くように鋭い口調で、少女が詰問する。

「だから聞いてあげてるのよ。人を殺したの、って。答えなさい」
「殺すつもりなんてなかったんだ。……本当に」

有無を言わせぬ声音に、思考の淵から引きずり上げられたひさ子が、ほとんど反射的に答える。
それは保身や打算や、そういう余計なもののない、本音であるように、口にしてから思った。
だが少女は冷笑と共にひさ子を断罪する。

「殺すつもりはなかった。だけど結果的に死んでしまったから所持品は有効活用してあげましょう。
 死んでしまったあの人もきっとそう望んでいるわ。……随分と都合のいい話ね」
「それは、ちが……」
「違わないでしょう。あなたは結局、自分が可愛いのよ」

何が憎いのだろう、と思う。
少女はどこか、自分を通り越した遙か後ろの方に見える何かに向かって憤りをぶつけているように、
ひさ子には感じられた。
考えようとして、まるで殺人鬼ね、という言葉を思い出す。

「だからそうやって罪を認めない。殺したことから逃げようとして、そのくせ何もかもを
 なかったことにはできない。仕方なかったと思いたくて、誰かにそう言ってほしくて、
 そうやって被害者みたいな顔をする」

そうだ。返り血に塗れた姿で、何が憎いもない。
少女は罪が憎いのだ。殺人という行為が。殺意という感情が。殺人者という存在が。
実際は自分に殺意なんてものはなかったけど、とひさ子は思う。
だけど、それは常識的な人間として当然の反応だとも、思った。

「反吐が出るわ」

吐き棄てるように、少女が言う。
物静かそうに見える少女には不釣合いな、剥き出しの感情が混ざった声音。
本当に唾を吐き捨てそうにすら、思えた。
心の奥に溜まった油に火がついて、それが口から漏れ出しているようでもあった。

「あなたは人を殺したの。その罪からは逃れられない。
 死ぬまで、いいえ死んだって、あなたは永遠に人殺しなのよ。
 償って、贖って、罰を受けて、だけど罪は消えたりしない。
 人は人の心に罪を負うの。それを忘れるなら……それはもう、人ではないわ」

断じた少女が、ひさ子を真正面から見据える。
生まれた一瞬の沈黙を埋めるように、ひさ子が口を開く。

「生き返る、はずだったんだ……いつもなら」

口にすればそれは、ひどく滑稽だった。
生き返る? 誰が? 殺された人間が。
心の奥に響く失笑から耳を塞ぐように、続ける。

「本当に、そうなると思ってたんだよ」

下手な継ぎ接ぎで穴を繕うような、無様な言い訳に、聞こえた。
だからどうしたと言うんだろう。
生き返るなら、人間を殺しても構わないのか?
何の答えにもなりはしない。反省の色も何もない。
それは全き異常者の思考、殺人鬼の論理だ。
あの楽園の、或いは煉獄の外にあっては。

「……ああ。あなたも、あの野田という人と同じところから来たのね」
「野田を、知ってるのか」
「人を殺して平然としていたわ。あなたもそのお仲間?」
「……」

あいつも、殺したのか。
ここで。生き返らない、人間を。
どう思っただろう。何を感じただろう。
驚いたか、慄いたか。それとも、もしかしたら何も感じなかったか。
こんなことにいちいち戸惑っているのは、自分がガルデモとして戦線の中でも
バックアップを受け持っていたからなのかもしれない。
前線の、骨の髄まで人を殺すことに慣れきった人間は、こんな風に揺れないのかもしれない。
それがどれほど異常なのかも、気付けないまま。
異常と正常の境界。こちら側と、あちら側。言葉遊びだ。
私は昔を思い出してしまって、だからもう戻れないという、それだけだった。

「……それで、だから殺したというの、あなたは。生き返るから」

ああ、それはさっき、自分でも思ったよ。
ひさ子の心のどこかに座っている、無責任な誰かが笑いながら拍手喝采を送る。
そら異常者を責め立てろ、殺人鬼を断罪しろ。
情状酌量の余地はない、執行猶予も何もない。
量刑し、宣告し、執行しろ!

「死ぬなんて、なんでもないことだったんだ。生き返るなら」

口にして、それが飾り気のない本心だと、ひさ子は気付く。
それは、死の肯定だった。
続きがあるから、死を恐れない。
明日があるから、今日は死んでもいい。
眠るように、抗わず。
なんでもないことみたいに、死ねた。

だけど、それはきっと、毒だ。
自分を、自分たちを侵してどろどろに溶かす、摩耗という名の毒だったのだと、ひさ子は思う。
生の無念を訴えるための、抵抗。
終わらない、被害妄想。
それが、戦線の存在意義だったはずなのに。
いつの間にか、死はその存在感を薄れさせていた。
それはきっと、生を、死に対置されるものの価値をも、貶めることだったのに。

今日死んでもいいなら、明日だって死んでもいい。
抗わず死んで、抗わず生き返って。
そうして続ける、滑稽な抵抗ごっこ。
切実さなんて、もうどこにもない。
それはただ、いつか駄々をこねていた自分を忘れないための、儀式じみた日常だ。
もう飽きたと言い出せなくなっているだけの、惰性だった。

岩沢の顔を思い出す。
あいつは賢かったから、そういうことに人より早く気付けたんだろう。
あいつは強かったから、つまらない遊びはやめて家に帰ると言えたんだろう。

「生き返るなら人を殺しても構わないの?」

少女のそれは、当然の疑問だ。
生きる者の、死を恐れ、故に生を謳歌するものの、ごく当たり前の反応。
戦線に残った自分たちが、もう忘れてしまっていた、感覚。

「あなたは罪を認めない。それが罪だとさえ、思えない。罰がないから。
 罪業を誰も責めないから。誰もが等しく、呵責なく人を殺す世界だから」

ひどく真っ当で、どこまでも正しい、それは弾劾だった。
どうしてここまで、私たちのことを言い当てられるのだろうと、ひさ子は思う。
野田が全部を話したのか。この少女の賢さゆえか。
それとも、他に理由があるのだろうか。

「あなた、……いいえ。あなたたち、やっぱりもう、駄目なのよ。
 どうしたって戻れないところまで腐ってしまってる」

少女の言葉は止まらない。
罪を暴き、詰り、責める、正しさを体現するような言葉。
しかし、

「罰のない世界なんて、人の生きる場所ではないわ」

そう口にする少女の顔は、正義に酔う者のそれではなく、断罪の刃を振り上げる者のそれでもなく、
どこか、ひどい苦悩に苛まれているように、見えた。

「楽園は天上にしかないのよ」

少女の言葉は、陶酔でも峻厳でもなく、ただ聖句を口にして救いを求める、
哀れな罪人のそれのように、何故だか、思えた。

「そんなところで生きていたつもりのあなたたちは……どこまでも救われない、死人の群れ」

何が憎いのだろうと、もう一度思う。
思って、

「死人が、生きる者にかかわらないで頂戴」

その言葉で、ひさ子は理解する。
少女はきっと、罪が憎いのでも、罪人が憎いのでもない。
この正しく哀れな少女が憎いのは、罰のない世界なのだ。
そうして、だから、その世界に生きた私たちが、赦せない。

少女が欲しているのは、罰だ。
裁きでも、審判でもなく、そんな過程などではなく、ただ、罰が下されることだけを、望んでいる。
誰に? 誰かに。皆に。すべての罪に。あらゆる罪人に。
それはきっと私ではなく、私たちですらなく、もっと遠い、私の知らないところを見ながら
呟かれる祈りで、だからすぐには気付けなかったのだと、ひさ子は思う。

「……何もわかんないよ、それじゃ」

少女の怒りは八つ当たりで、少女の憎悪は見当違いで、だけどやっぱり、正しいのだ。
人を殺したひさ子は、だから突き返すように、そう言い放つ。

「あなたたちは、皆そういう言い方をするのね」

そう吐き棄てた少女は、おそらく何かを誤解していて、しかしひさ子は、それを改めない。

「そんなに同情が欲しいの? だけど―――」
「ほしいのは、同情じゃない。理解でもない」

代わりにゆっくりと身を屈めて、地面に落ちたバットを拾う。
人を殺した、血染めの凶器。

「あんたらに求めるものなんて、何もない」

つまらないごっこ遊びの、もうとうに飽きて投げ出したかったおままごとの、他愛ない道具。
振れば、人は死んだ。

「あたしたちは……あたしは、生きたかったんだ」

ただ、生きていたかった。

「死にたくなんて、なかった」

だから死を忘れないために、抗った。

「だってそんなのは、不公平じゃないか」

そうしていつからか、そんなことも、忘れてしまっていた。

「なんであんたは生きてるんだ? なんであたしは死んだ?」

それは、いつかの私が持っていたはずの切実で、今はもう喪われてしまった熱で。

「ほしかったのは、きっと、その答えなんだ」

罪を忘れて。苦痛に麻痺して。もう家に帰ると、そんなことも言い出せずに。

「だけどそんなのは、神様にしか答えられない。だから―――」

だから、永遠みたいな死人の楽園に、私はもう、戻らない。


言葉を切って、ひさ子が笑う。
そうしてそれきり、言葉を続けることは、なかった。
血塗れの釘バットをニ度、三度と振り回して、正面に構える。
走り出して、四歩。

「―――」

ひさ子の生を、或いは死を終わらせたのは、一発の、気の抜けるような軽い発砲音だった。


◆◆◆


「神様って、どこにいるのかしらね」

燃えるような茜色の夕暮れの光を浴びながら、片桐恵は小さく呟く。
死体は何も答えない。
何も映さぬ目はただ虚空を見つめている。
半開きになった口から漏れる声はない。
それを見下ろした恵は、誰にも聞こえないような声で続けている。
内心の思いが声に出ていることにも、気付いていなかったかもしれない。

「あなたは私が殺した。私はあなたを殺した。それを忘れない」

手の中のデリンジャーから発する熱が掌を薄く焼いて、鋭い痛みを伝えてくる。
それがまるで咎の刻印のようだと考えて、恵は薄く笑う。
自身を嘲る笑みだった。

「……欺瞞ね」

握り締めれば、焼けた掌は引き攣るように痛い。
痛くて、しかし、それだけだった。

「背負えば赦されるわけじゃない。刻めば罪が軽くなるわけじゃない」

小さな火傷一つに逃げ道を見つけようとする弱さが、厭わしい。
罪と向き合おうとしない、それを責めたのはどの口だったか。

「私はこれまでの倍の罪を犯した。それだけの話」

口に出しても、何も変わらない。
刺すように赤い夕暮れも、踏みしだかれた草の匂いと僅かに混じった鉄錆びのような臭いも、
立ち尽くす片桐恵も、倒れ伏す少女の遺骸も、何一つ変わらない。
独り言は木々のざわめきに紛れて消える。
罰はまだ、下らない。
今はまだ、そのときではない。
しかし何故だか、重力が倍にでもなったように、身体が重かった。
振り払うように、深く、息を吸う。
と、近くの茂みが、がさりと揺れた。

「……おいで」

声をかければ、答えるように小さな鳴き声。
火薬の臭いの染み付いた手を気にした風もなく、猫は恵の肩へと駆け上がった。




 【時間:1日目午後5時ごろ】
 【場所:G-4】

片桐恵
 【持ち物:デリンジャー、予備弾丸×9、レノン(猫)、水・食料二日分】
 【状況:健康】

ひさ子
 【持ち物:血塗れの釘バット、スリテンユシリ(解毒薬)、水・食料二日分】
 【状況:死亡】




094:そらに響くは彼女の嘲笑 時系列順 098:Revenge
094:そらに響くは彼女の嘲笑 投下順 096:温もり
076:死と狂いと優しさのセプテット 片桐恵 :[[]]
055:少女偽装曲~事実から目を逸らして~ ひさ子 死亡


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最終更新:2011年09月09日 00:34