Revenge ◆Ok1sMSayUQ



 河野貴明は観察を続けていた。
 人間観察だ。小さな挙動にも目を配り、なにかおかしなことがないか、疑う。
 普段ならやろうとさえしてこなかったことだった。
 観察する意味なんてなかったし、そもそも日常の中ではそんな発想さえ浮かばない。
 だが今は違う。ここは日常ではなく、非日常だ。
 死んだ。いなくなったのだ。友達が。
 死体なんて実際に見れば気持ち悪いものなのだろう、なんて普段のぼんやりとした感想は吹き飛んでいた。
 なんでだ。真っ先に浮かんできたのはそれで、それに尽きた。
 空気を濃密に汚す血の匂いも、飛び散って撒かれた肉片も、なんでだという感想で埋め尽くされた。
 けれども誰も、柚原このみも向坂雄二も答えてはくれなかった。事実だけを残し、沈黙して語らなかった。
 そのことが更に腹立たしかった。納得もさせてくれなければ言い訳もしない。
 事実だけを押し付ける死が、理不尽で仕方がなかった。
 だから貴明は復讐することに決めたのだった。
 理不尽なもの全てに。『何故』だけを置き土産にしていった誰かに。
 思いは腹の中で煮え滾り、沸騰し、熱となり、倫理でさえも溶かす。
 今の自分なら、あっけなく人殺しだってできそうなものだった。

 貴明は己を気遣うように一定の距離を置いている芳賀玲子と関根を見やった。
 盾にするとは考えた。しかし自らの復讐に役立つかといえば、今にして思うとそんなことはないと思える。
 この二人は呆れるほど暢気だ。思い出してみるのも煩わしいほどに、危機感がなかった。
 こいつらに出会ってさえいなければとも思う。惑わされなければ、暢気な日常の空気に釣られていなければ、或いは……
 詮無いことだと貴明は思ったが、募る憤懣は抑えきることができなかった。
 そうだ。役立たずじゃないか。盾にしても、鉄と青銅では強度だって違いすぎるではないか。
 彼女らの意味の薄さに気付く。気づいたのが、さっき。
 気付いてもなお、だったら離れればいいじゃないかと思えなかった自分を見つけたのが、今だ。
 貴明は思う。そこまで感じているのに、今すぐ行動にだって移せそうなのに、この二人から離れられないのは何故なのだろう。
 縁もゆかりもない、他人同然の彼女らに同行してしまったのは、何故なのだろう。
 憎らしいと思っているのは確かだ。だから使い倒してやろうと、あの時は咄嗟に考えたのかもしれない。
 しかしそれだけはないのではないか。復讐に対して躊躇のない今の自分が、
 この二人を切り捨てないのは、利用価値以外のなにかを感じているからではないのか。
 貴明はとりたてて特徴のない人生を送ってきた。なにをするのも普通普通で、評価されることも少ない。
 だからアニメであれなんであれ、褒めてくれた二人に対して悪し様にはできないという思いがどこかに残っていたのではないか。
 未だ消し去れない日常の残滓が、復讐の剣を握ろうとする自分を押し留めているのではないか。

(……俺は、まだ人も殺してないからか)

 憎んではいても、殺したいほど憎んでいるわけではない。その理由を、貴明はまだ自分は人殺しではないからだと推測した。
 経験してもいないから、多少でも交わりのあったこの二人を殺せない。
 死んでいいとは思っていても、自ら手にかけるだけの気持ちを、まだ持てない。そういうことなのか?
 疑問に対して、貴明は明確な答えを出そうとはしなかった。
 今はまだ手にかけ、殺す必要性がないと思ったからだった。
 殺すべき連中なら、他に山ほどいるのだから。

     *     *     *

 どうしよう、と関根は思っていた。
 二つの死体を見つけたときには動転の余り忘れていた事実が今頃になって呼び覚まされたからだった。
 死人はいずれ起き上がり、動き出す。
 正確に言えば、自分達は既に死んでいるからこれ以上死ぬことなんてないはずなのだ。
 あたしはバカか、と関根は自らの間抜けさ加減に呆れる。
 言い出す機会を失ってしまったお陰で、貴明は意気消沈したままであるし、玲子もなりを潜めてしまっている。
 さりとてこの場で「実はあの二人すぐに生き返るんですよー!」と宣言したところで、
 死んだと信じきっている貴明から非難の視線を浴びるだけであろうし、能天気な玲子だって気休めにもならない嘘はよしなよと言うに違いない。
 ガルデモは後方支援部隊及び陽動部隊という立場ゆえ、前線で戦うことなんて殆どなければ血なまぐさい場面に遭遇することも稀だ。
 だからこそ死体に驚いてしまったのだが、ひさ子やユイといった面々なら平然としているのだろうと容易に想像できてしまい、
 関根は更に暗澹とした気分になるのだった。

 けれども、とどこか心の片隅で引っかかる部分を覚える。
 自分達は、死なない。確かに死なない。
 関根自身、《死んだ世界戦線》に身を置いてから数年という立場になり、そういう環境であることを実感してきた。
 自らが死ぬだけではなく、年月を経るだけでも死なないことは体で分かってくる。
 食事や排泄等は行うものの、身長は伸びず、それどころか爪でさえ伸びない。
 髪を切ったことはないが、恐らくそのまま伸びないか、一夜で元通りにでもなるのだろう。
 変化することさえ忘れ、進むことのない時間に留まったままだった自分達。
 何もかもがすぐに元通りになってしまう中で……あの死体は、まだ動いていなかった。
 『まだ』だった。けれども、それは、いつまでの、『まだ』だったのだろう?
 死んですぐ? 数時間が経ったのか? 分からない。人が死ぬことさえ曖昧になりかけていた関根に、死後硬直なんて無縁の話だった。
 『まだ』は、いつまで続いていたのだろう。
 関根は無意識に死体の方角を振り向こうとしていた。
 死体が見えていないことが、急に怖くなり始めたのだった。

「しおりん。ダメ」

 聞いたこともないような静かな声と共に、肩がぐいと引っ張られ、関根は小さく悲鳴を漏らしそうになった。
 喉まで出かかったところでそれが玲子のものだと分かり、すんでのところで我に返る。
 いつになく真剣な顔になっていた玲子は、果たしてあの玲子なのかと思わせる。
 呆然と見返していただけの関根に、ふと苦笑の色を覗かせて、「あたし達、いつも通りでいなきゃダメなんだよ」と玲子が言っていた。

「いつも通りって……」

 戸惑い気味に反駁した関根は、しかしどこかでこれがいつも通りだろうと語りかける自分にも気付いていた。
 死んで、生き返って、永劫繰り返される日常の営み。
 進むことがなくなった代わりに、へらへらと笑っていることが許される、幸せな日常だ。
 何を気に病むことがある? きっと今頃は、あの二人だってひょいと起き上がっているかもしれない。
 そもそも、貴明の沈痛ぶりこそも嘘で、演技で、今にも草むらの影から驚かそうと隙を窺っているだけなのかもしれない。
 玲子はそういうことを言おうとしているのか? 口を開きかけた関根は、しかし先程の苦笑を思い出した。
 どこか悲哀の混じった、元に戻れないことを知ってしまった人間の顔。岩沢が『消えた』直前に浮かべていた、なにかを知った顔……

「ねえ、しおりん。あたしはさ……」

 玲子は、何かを伝えようとしている。関根が感じ取った刹那、ぱん、と軽い音が弾けた。
 は、と口を開く間もなかった。体をくの字に折り曲げた玲子が、関根へとしなだれかかってくる。
 意外と言うには重過ぎる人間の体重を受け止めきれず、支えきれずに共々倒れこんでしまう。
 同時に、手のひらに生暖かい感触があった。独特の粘りが、関根に数年来の生の実感を思い出させた。

「芳賀さん!?」

 崩れ落ちた玲子に駆け寄ろうとした貴明に、関根が咄嗟に「来ちゃダメ!」と叫んでいた。
 予想外の声の大きさに一瞬体を硬直させた直後、貴明の足元で弾けるものがあった。

「Shit!」

「外したな。やはり銃はお前の方が良さそうだな、うー」
 聞きなれた声と、酷薄で淡々とした声。方向は、上だった。
 銃撃されたと感じたらしい貴明が、冗談じゃないとばかりに眉を吊り上げ、隠し持っていたらしい拳銃で応射した。
 とても学生とは思えない動作で構え、数発発砲する。撃った瞬間、貴明本人も驚いたような顔をしていたが、
 それも銃撃が回避されたことですぐにかき消される。
 銃弾を回避しつつ木の上に陣取っていた二人がするりと地面に降り立つ。
 そのうちの一人に、関根は見覚えがあった。

「……TK」

 ちらと関根を見やったTKは無言で指を振る。
 話は後だ。そう言いたいらしかったが、構わず「待ってよ!」と怒鳴る。

「なんで芳賀さんを撃ったの! なんで……!」

 続く抗議は貴明の銃撃音によってかき消された。
 拳銃をまた数発撃つが、二人は俊敏に動き回り、銃弾を掠りもさせない。
 当然だ。その謎の人間性はともかくとして、TKの戦闘能力は《死んだ世界戦線》でもトップクラスであり、素人がおいそれと当てられるものではない。
 TKと行動している少女も負けないくらいの素早い動きだった。軽やかに、ステップでも踏むように、徐々に貴明に接近する。

「るーこ! お前……!」
「うー如きでるーを止められるものか」

 るーこ、と呼ばれた少女が唇の端を歪ませる。敵うもんか、と嘲笑っているようだった。
 貴明は近づけまいとして更に銃を連射しようとしたが、カチンと空しい音だけが鳴り響く。
 弾切れ。ホールド・オープンしてしまった事実に慌てて弾倉の交換を行おうとした貴明だったが、その隙を与えるほど敵は甘くない。
 既に貴明の懐にまで飛び込んでいたるーこが腰を深く落として正拳を鳩尾に叩き込む。
 体が折れ曲がり、と口を開いて必死に酸素を取り込もうとした貴明だったが、続く足払いで転ばされて行動する暇もない。
 バランスが崩れたところを軽く蹴り飛ばされ、仰向けに転がったところにるーこが圧し掛かる。
 マウントポジジョンというやつだった。馬乗りになったるーこが勝ち誇った笑みを浮かべる。

「無様だな、うー」
「ぐ……! くそっ! どいつもこいつも! 人殺しなんてしやがって!」

 叫びながら暴れるが、その程度で人間の体重を押し返せるはずがない。
 腕をばたつかせる様は、さながら駄々をこねる子供のようだったが、その行動すらるーこは腕を掴んで封じた。

「そうだ。るーは、生き残るために戦っている」
「俺だってそうだ! このみや雄二が死んだんだぞ! こんなところで死ねるかよ!」
「……あのうー達が?」

 声質は変わらないながらも、その瞬間だけはるーこの雰囲気が変わったようだった。
 貴明がるーこを知っていたのなら、共通の知人でもおかしくはない。
 だが動揺の色を見せたのもつかの間、すぐに冷静さを取り戻したるーこは「それは、うーが弱いからだ」と見下す声を出す。

「強くなければ生き残れない。うーは弱い。当然だ」
「なんだと……! お前っ、このみや雄二の……人の命をなんだと思って……!」
「Wait!」

 激昂し、語気を荒げる貴明に静止をかけたのはTKだった。

「聞いてないのか?」

 珍しい日本語だった。るーこが「バイリンガルか」と場違いの感心を浮かべる一方で貴明が「なんだよっ!」と言い返す。
 首をかしげたTKは、ちらと関根を見やった。言っていないのか、と尋ねる視線だった。
 それで意図を把握した関根は「待って……」と震える声を出していた。
 分かってもいないのに。自分達がどれくらい『まだ』の中にいるのか。
 けれども日常の甘さを忘れられず、どこか希望に縋りたい気持ちが声を小さくさせてしまっていた。
 このままだと玲子が死んでしまうという事実を、嘘にしてしまいたかった。

「We are already dead...死んでるのさ、俺達は」
「は……?」
「なんだ、聞いてないのかうー。あっちはうーけーの仲間なんだろう」
「No, my name is "TK". アンダスタン?」
「うーけーはよく分からん言葉の使い方をする」

 ふー、と肩を竦めるTKに構わず「ふざけるな! 死んでるとかバカじゃないのか!」と押し倒されたままの貴明が怒鳴る。

「俺はつい昨日まで生きてたんだよ!」
「自覚してないだけだろう。るーもそうらしいからな。うーけーは死んだときの記憶があるらしいが」
「なんだよそれ……!」
「全て事実だ。関根も死んでいる」
「関根……さんが?」

 確かめる視線を寄越した貴明に、関根は無言で目を背けるしかなかった。
 黙っていたわけではない。悪気もなかった。忘れていただけだったのに。
 事実と受け取った貴明は、「じゃあ、これはどういうことなんだ」と呆然とした声で尋ねる。

「死んだのに、殺し合いって……」
「Not understand.だがこれだけは分かる。神の仕組んだGameだ」

 TKはそこから、日本語英語カタカナ英語の入り混じった説明をする。
 既に死んだ世界。納得のいかない人生に抗い、神を倒すことを決めた《死んだ世界戦線》。
 神の手先、天使との戦い。戦いの中で傷つき、死にもするが、いつかは蘇り動き出すこと。
 終わりの見えない戦い。その最中に始まったゲーム。
 一部始終を聞いていた貴明は理解できないという顔をしつつも、否定することはなかった。
 TKの仲間である、自分が何も口出しをしなければ、るーこも無言で頷いている。
 即ち、貴明を除く全員が『死んだ』という事態を理解しているのに他ならなかった。

「じゃあ、なんだよ……このみも雄二も、生き返るのか?」
「Yes.今のところまだ誰も生き返ってはいないが……」
「すぐに生き返ってはゲームにならないんだろう。るーもそれでは面白くない」
「……は、じゃあ、俺って……早とちりしてたのか?」

 るーこに馬乗りにされたまま、は、はは、という途切れ途切れの笑い声が木霊する。
 いずれ元通りになる。その事実に安心し、張り詰めていたものが切れたからなのだろう。
 口にこそ出していなかったが、貴明は二人の友人の死を重すぎるくらいに受け止めていたのかもしれない。

「もしかして、芳賀さんを撃ったのもそういうことなのか……?」
「そうだ。うーけーの仲間は取り合えず除外して、うーとそっちを試した。戦えるか知りたかった」

 るーこはあくまでも戦いに勝つことが目的。神様の目的とやらには興味がなく、勝って戦士であることを示したいとのことだった。
 TKはそんな彼女と同盟を結び、共同戦線を張っていた。
 一応《死んだ世界戦線》の人間の立場として戦力の増強を図らねばならないので、スカウトもしたかったのだが、
 るーこの言うところの『戦えない奴』は不要とのことだったので、戦力外の人物に関してはとりあえず退場してもらおうという形になったらしい。

「それで……芳賀さんを、撃ったの……?」
「Sorry.だが一時のGood-bye。またFriendになれる」

 ぽんと肩に手を置いたTKには、関根を気遣うものが見られた。
 ひょろりとした体の割に、意外と大きなTKの手。謎の言動や行動が多いながらも、
 その根底には仲間を思う気持ちがあることを、関根は知っていた。
 この暖かさに身を委ねていればいいのではないか、と関根は思ってしまっていた。
 玲子とよく話していたから今回のことをショックに感じていただけで、これが今まで通りだと納得してしまえばいいのではないか。
 何のことはない。また、『いつも通り』が始まるだけだ。《死んだ世界戦線》の仲間がいて、ガルデモのみんながいて――

「そっか……あたしを撃ったのは、そういうことだったんだ」

 か細い声が、関根のすぐ隣から聞こえていた。
 TKが、るーこが、貴明が、そして関根自身でさえもぎょっとした目でそちらを向いていた。
 薄く目を開け、冷めた笑いを浮かべていたのは玲子だった。
 荒く息を吐き出し、自分で自分を支えることも難しいのか、関根の体を掴んで支えにし、ようやく起き上がっていた。
 唖然とするTKに一瞥をくれると、玲子は「手、どけてよ」と色のない声で言い放った。
 肩にかかっていたTKの手が玲子によって振り払われる。その行動には、強い意志が感じられた。
 自分を撃った者達に対する怒りではなく、この緩慢な空気そのものを嫌ったかのような行動だった。
 さらに玲子が睨むと、TKが後ずさりする。るーこもただならぬ様子を感じてか、「構えろ!」とTKに指示を出す。

「damn it!」
「抵抗なんてしないよ……そんな力、ないし」

 銃を構えるTKに軽く笑うと、しかし言葉とは裏腹の強すぎるくらいの力で関根を抱き寄せ、決然と言い放った。

「でも、しおりんはあたしの友達だよ。友達を間違わせたくない」
「……芳賀さん?」

 二の腕を掴む力が強くなる。手放すもんか。無言のうちにそう伝えられたような気がして、関根は何も言えなくなってしまった。
 だって、あたしはみんなに釣られて、なあなあで流されて……

「あんた達、間違ってる。絶対」

 バンダナの下で、ぴくりとTKの眉が動いたような気がした。
 るーこも不快げに視線を受け止め、貴明でさえも、今更、という空気を漂わせていた。

「それがあんた達のいつも通りなら、そんなの間違ってる。楽な方に逃げてるだけだよ。
 いつも通り、ってそんなんじゃないでしょ? ちゃんと自分のままで、らしくいて、でも考えて行動しなきゃ、ダメなんだよ」

 ちゃんと自分のままで。その言葉が関根の胸を突き刺し、軋ませた。
 自分なんてない。流されるがままで、いつだって低い方に流れて、それを当たり前にしてきた自分に、自分なんてない。

「……あたしもさ、いつも通り、でいようとしたんだ」

 自分に向けられたものだと分かり、関根は言葉もなく玲子を見返した。
 あの時の続きだ、と思った。

「殺し合いなんて、怖くて、どうしようもなくて、泣き出したかったけど、
 でも、ほら、ゲームみたいに都合よく助けてくれるわけないじゃん?
 にゃはは、あたしってばオタクだからさ、分かってるんだよ、そんなこと。
 じゃあ何が出来るの、って考えたら、簡単だった。いつも通りでいれば良かったんだ。
 元気しか取り柄、ないけど、そんでもしおりんと話してすっごく盛り上がって、しおりん、元気になってくれたから、
 これがあたしの役目なんだって思えたんだ。そうしたら、ほんの少し希望だって湧いてきた」

 玲子はそこで一旦言葉を切る。
 いつも通りは、殺し合いの中にはない。
 これでいいんだ、だけ追ってても安心するだけで、それ以上にはならない。
 現状を維持できるだけで、自分が本当に欲しいものなんて手に入れられない。

「ね、しおりん。誰かがそうしてるから自分もやらなきゃだったら、面白くないよ。
 自分がやりたいことやらなきゃ、人生楽しめないよ。
 あたしは、あたしが終わってるなんて思わない。
 いつだって……たとえ死んでたって、あたし達はこれからなんだから。オタク道はかくあれかし、ってね」

 にゃはは笑いを浮かべると、急激に腕を掴む力が弱くなった。
 予感する。これは命がなくなっていっているのだと、関根は感じてしまった。
 どうしたいのかもまだはっきりしていないのに、関根は「芳賀さん!」と体を抱き返してしまっていた。
 感情に揺さぶられた行為でしかないと分かってはいたが、そうせずにはいられなかった。
 きっと、この人の伝えたいことはこれだけじゃないはず。まだ言っていないことだってあるはずだ。
 いつだってこれからだというのに、自分は何も受け止めていない。何も分かっていないのに……!
 ここで置き去りにされてしまったら、取り返しがつかなくなる。無我夢中な気持ちで、関根は玲子を支える。
 想像以上に冷えた体にゾッとしたが、構わず関根は力を込める。
 僅かに苦笑した表情を浮かべ、玲子は大丈夫だから、と言った。
 何が大丈夫なんだ。空白になった頭はその程度の反論さえできず、頷くことしかできなかった。

「でもね、あたし、いつも通りでいられなかった……
 死体を見たとき、また怖くなって……自分を守ることしか考えなかった。
 本当なら河野クンに声をかけてあげるべきだったのに」
「それは……だって、当たり前じゃないですか! 怖いものなんて、誰にだって……!」
「でも、しおりんは向き合おうとしたでしょ? あのとき、振り返って」

 違う。そう言い返すべきだった言葉は、ショックの余り出てこなかった。
 そんなんじゃない。怖くなったのは同じで、日常が失われているかもしれないということが怖くなっただけの話だ。
 けれども喉元までしか声は浮かび上がらず、無言で見返すことしかできなかった。
 ここで失望させてしまうのも怖かったし、何よりも、失望させた後に、しょうがないと言い訳してしまいそうな自分がいるのが怖かった。
 本当はこうだった。だから、仕方ないよね。無責任に言い散らし、厚かましくぬるま湯に浸かろうとする自分が想像できてしまったからだ。

「そういうことができる子だと思うからさ、しおりんは、自分だけがやりたいこと、やりなよ。
 自分で決めて、やり通しなよ。……殺し合い、なんて……」

 本当にやりたいの? 尋ねる視線に、関根はすぐに答えることができなかった。
 考えてさえこなかったこと。黙っていても、物事は進んでくれていた。目の前にあることだけやっていればよかった。
 楽しかったし、今まではそれで満足していた。
 でも。
 今は違う。
 今は、ここは、《死んだ世界戦線》のいた場所じゃないんだ。

「るーは、自分の意志で戦っている」
「Me,too」

 決意が固まりかける直前、冷たい声で遮ったのはるーことTKだった。
 一歩退いていたはずのTKが、今は再び拳銃を片手に玲子に詰め寄っていた。

「違うよ、それ。誰かに動かされてる、だけなのに」
「貴様が決めることじゃない。『るー』の誇りが、分かるものか」
「……戦わなければ、死に続けるだけ」

 後を引き取り、TKが続けた。
 戦わないこと――即ち、自らの死を認めてしまえば、理不尽を許したことになってしまう。
 許すわけにはいかない。戦わなければならない。それが他の全てを軽んじることになるとしても、認めるわけにはいかない。
 拳銃を手に玲子を見下ろすTKの瞳の色は、暗さを通り越して闇と化していた。
 自らの死に復讐を果たすまで、自分達はどんな残酷なことだってやってみせる。
 意固地なまでに固まりきった目を見て、関根は不意に、空しい、と感じていた。
 それは目的のために、心だって捨ててしまうことではないのか。
 あれほど仲間を気遣える心を持ったTKが、復讐という言葉ひとつのために心を捨ててしまう。
 そうまでする意味はあるというのか?

「God is dead.いつも通りと言ったな。It's...Revenge」
「復讐……」

 感応するように呟いた貴明の言葉をスイッチにして、TKが拳銃のトリガーに指をかけた。

「あたしだってね……ただで殺されるつもりはないわよ!」

 玲子が腕を突き出すと、その指に嵌めてあった指輪が光り輝いた。
 真鍮製の輪に、翠に輝く珠がついた指輪から風が迸り、引き金を引こうとしたTKの体を軽々と吹き飛ばした。

「What's!?」

 正体不明の風。いきなり吹き晒す暴風に呑まれ、TKが木の幹に体を打ちつけて苦悶の吐息を漏らす。
 隣でぽかんとしていた関根だったが、ふうと息をついた玲子の手が関根を押し出す。

「さ、逃げて逃げて。ここはこの玲子ちゃんに任せなさいって」

 振り払われた関根は所在なさげに指を動かし、「で、でも……」と躊躇った。
 どう見ても玲子は重傷の類であり、一人でどうにかできるレベルではない。
 しかも相手は《死んだ世界戦線》の前線を張るTKだ。殺される姿しか、見えなかった。

「でもっ、あたし! 芳賀さん置いてけない!」
「どうせ死んでも生き返るから大丈夫……なんて言い訳は聞きません」
「そんなんじゃない! あたしが、あたしみたいなのが……!」

 自分はあまりに甘やかされすぎた。
 ロクでもない人生を送り、死んでさえ怠惰な生活を続けてきた自分に、人が持つべき責任を果たせるかも分からない。
 玲子のような考えを持てる自信なんてなかった。
 そんな自らの胸中などおかまいなしといったように、玲子は「まあ聞いて」と話を進めていた。

「あたしはね、しおりんにここをなくして欲しくないだけだよ」

 玲子はとん、と関根の胸を指差す。
 軽く触れただけなのに、不思議と安心させられるものがある。

「自分にしかないものだから、なくしちゃダメだぞ? オタク心は不滅だ!」

 最初に出会ったときに話した、アニメやゲームの話が思い出され、関根は続ける言葉をなくした。
 責任を背負うのも自由。けれども、大切なものを好きでいられる心をなくしてはいけない。
 平気で好きなものを裏切るようなことだけは、してはいけない。
 いかにも玲子らしい言葉だと実感して、笑おうとした瞬間――もう一度、銃声が爆ぜた。
 それは関根の脇を擦過し、玲子の胸を撃ち貫き、黒い団長服を更に赤黒く染め上げた。
 か、と言葉にならない声を残して、玲子が崩れ落ちる。
 今度は、支えることもできなかった……
 呆然と内心に呟いた関根の後ろで、むくりと立ち上がる気配があった。
 TKだ。制服についた塵を払い、忌々しげに、今まさに遺体となった玲子の方角を睨んでいた。

「Lucy.手を出すな」
「るーはるーこだ」
「Ha, Your's nickname」
「勝手にしろ」

 短いやりとりを終えた後、改めてTKは拳銃を構える。
 るーこは傍観者の立場に徹するつもりなのか、貴明を押さえたまま微動だにしない。
 貴明も抵抗することはない。視線はTKに注がれている。……何かしらの、期待を含んだ目で。
 玲子の味方はいなかった。いや、《死んだ世界戦線》に対して否定の一語を放ったあの時から、彼女は敵にされていたのかもしれない。
 だから誰も声を上げなかったし、当然だという空気が漂っている。
 どうせ生き返るから、という《死んだ世界戦線》の理由を免罪符にして。

「Seki」
「……なに?」

 TKから名前を呼ばれたのは久々だった。

「Friend? or...Enemy?」

 どっちなんだ。芳賀さんを置いていけないと叫んだ声が聞こえていたのだろう。
 まだ許してやるという意志が感じられる一方、そのつもりなら排除も辞さないと語るTKは、仏であり、鬼でもあった。
 彼にとっての仲間とは、復讐の志を共にする人間だけなのかもしれない。
 まだ仲間だ、と言うこともできた。復讐を仲間の境界にするTKが寂しい考え方なのだとしても、TKの無言のやさしさを、自分は知っている。
 縋るという選択肢は、確かにあったのだ。
 でも、それでも……

「……分からないよ。でも、これだけは分かる。ここは、《死んだ世界戦線》のあった場所じゃない!
 あたし達の常識が正しいかどうかなんて、分からない! だから……今のTKには協力できない!」

 そう、何もかもが分かっていない。分かったつもりになるのも危険すぎる。
 凝り固まった考え方で行動するのは危険すぎたし……何より、それで人と対立してしまうのが嫌だった。
 その結果として今、TKと対立しているという矛盾もあったが……それでも、関根はこの選択を望んだ。
 やりたいことをやればいい。玲子の、この言葉に従って。

「...Okey」

 落胆とも嘆息ともつかぬ溜息を残して、TKは銃口を向ける。邪魔だ、と判断したのだろう。
 怖くはなかったが、決別の形があまりに無粋すぎて、関根はやるせない気分になった。
 でも後悔はしていない。後悔なんて、あるわけない。
 やりたいことを、初めてやってみせたのだから……!
 ぐっと拳を握り、TKに立ち向かおうとした直前、死体だったはずの玲子の体がピクリと動いた。

「…………まだだ、まだ! 死んでない!」

 それが最後の絶叫だった。
 まだ数分は生き長らえた命を、この数秒に凝縮して、
 玲子が再び、指輪を青く輝かせた。

     *     *     *

 もうもうと土煙の立ち込める小山の一角で、三人の男女が溜息をついていた。
 結局関根を取り逃がしてしまったTKと、貴明と、貴明を捕まえたままのるーこだった。

「...Jesus」
「当てるのは得意なようだが、トドメを刺すのは下手なようだな、うーけー?」

 肩を竦めてみせ、無言を返事にする。
 普段なら死んでいるはずの人間から手痛いしっぺ返しを貰った。
 今度は確実に急所を狙撃せねばならないことを実感して、TKは貴明を見やった。
 逃げもせず、るーこに捕まえられるがままにされていた貴明は、何か目的があると見るべきだった。

「Lucy.コイツは使うのか」
「まあ、見込みはある。るーに躊躇なく撃ってきたしな」
「当たり前だ……なりふり構ってられるか」

 ドスを利かせた喋りに、TKがひゅうと口笛を鳴らす。
 後ろ手にされ、腕をるーこに掴まれているものの、ギラと輝く目の色は獰猛なケモノのそれだった。
 なるほど、見る目はあるらしいとTKは感心しながら、二人の友人のことかと質問を重ねた。

「殺されても生き返るんだったな。それには安心したよ……でも、だからって殺されていい道理はない」
「なるほど、敵討ちか。うーにしては殊勝だな」
「復讐だ」

 低い唸り声に、るーこが珍しくたじろぐ反応を見せた。
 復讐。聞きなれた単語に、TKは親しみの篭った笑みを見せる。
 そうだ。許せないものには相応の手段で応じるしかない。
 報復をしなければ、自らの汚れきった魂を癒す術はないのだから。

「このみなんて、レイプまがいの殺され方をしてたんだぞ……生き返るんだったら、記憶だって残るんだろ?
 だったら、一生消えない傷じゃないか……許せるわけないだろ、そんなの」

 どうやら、自分と似た人種らしいと納得して、TKはるーこに解くように指示した。
 いいのかと尋ねる視線を一瞬寄越したるーこだったが、反論する意味がないと判断したのか、あっさり貴明を解放する。
 ようやく自由になった貴明に、ニヤと笑みを浮かべながら、TKは握手を求めた。

「My name is "TK"」
「……知ってるよ。河野貴明だ」

 握手を終えた後、TKは、もうひとつ、と『ある儀式』を付け足した。

「Woo!」
「……は?」
「るー」
「……」

 じろ、とるーこに続いてTKも睨んだ。
 やれ。やれ。やれ。やれ。
 訴えかけると、貴明も観念するしかないらしいと思ったらしく、万歳に似たポーズを取って、言った。

「うー」




【時間:1日目午後5時00分ごろ】
【場所:D-3】

関根
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】


芳賀玲子
【持ち物:フムカミの指輪、水・食料一日分】
【状況:死亡】


河野貴明
【持ち物:コルト ポケット(0/8)、予備弾倉×8、水・食料一日分】
【状況:健康】

ルーシー・マリア・ミソラ
【持ち物:メリケンサック、伝説のGペン、水・食料一日分】
【状況:健康】

TK
【持ち物:FN ブロウニング・ハイパワー(11/15)、予備マガジン×8、水・食料一日分】
【状況:Damageはまあまあマシに】





095:袋小路の眺望 時系列順 102:真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて
097:でぃす・いず・じえんど 投下順 099:光か、闇か
063:この身の全ては亡き友のために 関根 :[[]]
河野貴明 :[[]]
芳賀玲子 死亡
078:Strange encounter ルーシー・マリア・ミソラ :[[]]
TK :[[]]


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最終更新:2011年09月09日 00:39