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でぃす・いず・じえんど ◆92mXel1qC6




ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた

力なく投げ出された手足の上に一つ、影が落ちた。
昼間だというのに、蝶はこの島には不似合いだとでも言いたいのか。
毒々しい目玉模様の羽根を持つ蛾が一匹、少女の回りを羽ばたいていた。
鱗粉を煌めかせ、先客である蠅をけちらし、ぱたぱたと、ぱたぱたと、飛んでいく。
その動きは休まることなく、機械的に、自動的に、羽をはためかせている。
邪魔をするなと何度蠅にたかられようとも、蛾はその場を去ることなく、ぱたぱたと、ぱたぱたと、飛び続け、手の上に影を落としている。
ぱたぱた、ぱたぱた、ぱtapata、patipata、ぱちぱち

「……」

能美クドリャフカは無造作に両腕を投げ出し、ぺたりと座り込んでいた。
木にもたれるでもなく、地に寝そべるでもなく、浅く腰を下ろし、淡く静かに呼吸を繰り返していた。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

うな垂れるでもなく、見上げるでもなく、不自然な中空で固定された頭で唯一の、固定されていない部位が音を立てる。
呼吸を続けるためだけに、半開きになったまま微動だにしない口が、ではない。
それは目だ。精気の抜け落ちた少女の顔にあって、目だけが乾燥を避けようと、機械的に、自動的に、瞬きを続けていた。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

視線は宙を眺めるようでいて、目の前の地面へと向けられている。
そこには二つの死体があった。
男と女の死体があった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

これで、全部。
少女と虫と、二つの遺体。
他には誰も、人の子一人いない。
それは当然の状況だった。
クドリャフカが殺したのだから。
ついさっきまでそこにいた二人の人間を、少女は殺し、独りになったのだから。

「…………」

長い間、満足に陽の光の届かない闇の中でじっとしていたせいか、クドリャフカの唇は青ざめていた。
血と、涙で濡れそぼったマントを着続けていたことも相まって、スカートから除く足首は鳥肌が立っていた。
表皮だけではない。
寒さは、骨に伝わり魂までもを凍えさせていた。

否。

そもそも最初に凍りついてしまったのは肉体ではない。
魂の方だ。
少女は己が瞳から侵入した悪魔に、その魂を奪われてしまったのだ。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

穿たれる穴/溢れ出す血/崩れる巨体/浸食する赤/リンパ液/覗く臓器/はみ出す白/痙攣する手足/虚ろな瞳/青白い顔/蒼ざめた馬の嘶き
彼の者の名は“死”
少女がもたらし、直視してしまった不朽の呪い。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

ならばこれは禊か。
執拗に繰り返されている瞬きは、少しでもあの悲惨な光景を忘れようとしての少女なりの自己防衛か。

それも否だ。

今の少女には何かをなそうという気力は一欠片も残っていない。
そんなものは、とうの昔に使い果たした。
男の死体をゆすり続けたその時に。
生き返るという言葉をわらにもすがる思いで信じこみ、その瞬間を待った間に。
度重なるショックに微塵に砕かれた砕かれた己というものの破片を。
這い集めて、振り絞って、出がらしすら出しきって。
いくら時計の針が回っても、いくら骸を揺すっても、死んだ人間が生き返ったりはしないという現実を前に。
能美クドリャフカは自らの心を使い潰した。

「…………」

とはいえ、それはあくまでも忘我、あくまでも茫然自失であって、精神崩壊というほどのものではない。
少女は、人殺しである自身への恐怖や罪悪感を存分に味わうよりも速く、二度目の人殺しを認識してしまった時点で、放心してしまったからだ。
これは少女の心が、人を殺したという事実に耐えられなくなる前に、強制的にブレイカーを下ろしたのだとも言い換えれよう。
少なくとも現状、クドリャフカの心は、壊れきってはいない。
ほんの僅かの衝撃で、再び我を取り戻すだろう。
自身が犯した罪に泣き、叫び、恐怖するただの少女のそれを。

「………………」

しかしながら、実際には、少女が喪心状態に陥ってから、既に一時間以上が経過していた。
幸か不幸か、何分経とうと、何十分経とうと、何時間経とうと、少女を現実に引き戻す誰かは現れなかったのだ。
少女を殺そうとし、死に追いやる人殺しも来なければ、少女を慰め、生きていてもいいと言ってくれるお人好しも来なかった。
少女はずっと独りのままだった。
生きるでもなく、死ぬでもなく、ただそこにあるだけだった。
故に。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

二つの死体に向けられた瞳もまた、死体を“見て”いるわけではなかった。
死んだ魚のようでいて、宇宙の虚ろささえ覚えさせる瞳は、ただ単に二つの死体を“映し”続けているだけだった。
一切の感情も、一切の主観も入り込まず。涙によるフィルターさえもはや枯れ果て機能せず。
常人なら、目を逸らすはずの、事実を、現実を、死を。
ありのままに瞳に“映す”だけだった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

クドリャフカの瞳が、女の死体を“映す”。
着ていた服は木の枝にでも引っ掛けたのか所々が破けていた。
それがクドリャフカを追う最中によるものか、それ以前のものかは分からない。
いずれにせよ散々な様子で、あちらこちらが千切れてしまっている。
ただ、その程度の破損は、この死体の負った傷の中では些細なものだ。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

女の死体には三つの銃創があった。
まず目につくのは脇腹の傷である。
腹壁左外側部を走る腹斜筋が服ごと削り抜かれて白い骨が光っている。
標本のそれとは違い、生の骨はっきりと透明な膜に覆われ、これを栄養していたであろう細い血管が薄く茶色くへばりついている。
見た目だけだとこの傷が一番、ひどいようにも思える。
されど、女の命を奪うことに関して、この傷は、せいぜい出血量を増やした程度の働きしかしていない。
女を殺したのは腹部を貫いた一つ目の弾丸と、未だ胸部に残っている三つ目の弾丸だ。
一つ目の弾丸は横隔膜から後ろの腸を貫いていた。
着弾後に発生する弾頭のタンブリングによる体組織破壊に晒されたからか。
破かれた横隔膜からはいくらかの内臓の物と思われる体組織が極一部まろび出て、腹部を肉片の小花で飾っていた。
いずれにも血管やその他の管か繊維が元はひっついていたようだが、今は全て切れてしまっている。
もっともたとえそれらが繋がったままであっても、三つ目の弾丸が主の生存を許しはしなかったのだが。
女の上着の色が血と同じ濃い赤であることから、一見気づきにくいのだが、三つ目の弾丸は見事、肺を撃ちぬいていたのだから。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

どうあっても生きることを許されなかった女の顔が瞳に“映る”。
倒れた際の衝撃で、生え際の皮膚が少しだけ破れてしまった髪に覆われたそれは。
目を見開き、口を強ばらせ、首筋を引き絞った表情は、恐怖などという言葉ですら生やさしい絶意に満ちていた。
かの将門公の如く、今にも動き出し、怨嗟と鬼哭の雄叫びを上げそうなほどに生々しい。
それでも、やはり死体の身では時間の経過には勝てないのだろう。
クドリャフカが“見た”時には、朱が混じった涙が伝わっていた頬も、泡を吹いていた口端も。
今や紫色の死斑に覆われ、精気を大気に散らしていくだけだった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

「……………………」

クドリャフカの瞳が、男の死体を“映す”。
女のそれとは違い、服装の破損は殆どなかった。
男がクドリャフカ達とは違い、落ち着いて行動してきた証拠であろう。
その割には若干、服が乱されていはするが。
これはクドリャフカが男の死後に揺すった時の痕跡であり、男の落ち度ではない。
シャツに妙な乾いた跡があるのも、少女が幾重にも涙の雫を染みこませたものなのだ。
死体は血の他に、涙が含む水分によって濡らされた地面に横たわっていた。
ここには一つとして乾燥した土はなかった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

しかしながら、女と同様、男の服にも欠けている部分があった。
赤い女の服よりも、白い男の制服の方がよりその傷は目立っていた。
その場所は胸部中央やや左寄り。
言うまでもない、人にとって最も大切な臓器である心臓。
生命の象徴である赤き水を汲み上げ、吐き出してきたはずのその器官の傷からでさえ、血はあらかた出尽くしていた。
今や血の通わないその皮膚はやたらと重たく又粘っこく見え、出来損ないのいちごタルトか何かを連想させる。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

こうして羅列すると人体と言う物は全くもって物質である。
全体としてべちゃり、ぐちゃりという擬音の似合うことこの上ない。
それを示すように、男の死に顔は安らかでも無ければ、苦悶の表情に満ちていた訳でもない。
どこか偽物めいた、生者が最後に浮かべるには不似合いな空虚な笑顔。
それが何度瞬いても、女のそれとは違って、変化することなく、そこにあり続けた。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちpあtい、ぱtapati、patapata、ぱたぱた













――ふと、モノを“映す”側だった少女の瞳が、別の瞳に“映されている”自分を捉えた
“人殺し”の自分を“映す”、真っ白な強膜に囲まれた黒い四つの瞳を














「…………………………………………ひ、ぅ」

クドリャフカが再開される。
久方ぶりに口を開いたせいか、両方の唇同士がひっつき、僅かに皮が剥がれた。
小さな痛み。けれど、少女は指でそっと血が滲みだした唇をなぞるような真似はしなかった。
代わりに、凍えるように打ち震え、己を責め立てる瞳から逃げようと縮こまらんとし。

「あ”…………」

それよりも速く、フラッシュバックに襲われた。
少女が瞳に“映し”ていた光景。
それが少女の自意識の回復に伴い、少女に認識されようと怒涛の勢いで脳裏へと“写され”ていく。
濃密に、鮮明に、あるがままに。
時計の長針が一回りするよりも長い時間見続けた光景が一気に、一瞬で、“写され”ていく。
爆発だった。
押し寄せてくる情報の洪水に少女は飲み込まれた。
だからこそ、少女はまた、この刹那、自己を喪失していた。
考えることを放棄し、ただ感じたままに、例えばそう、暗いくらい闇の底から這いでて、久方ぶりに空を見たその感動を伝えるように。
思ったことを、そのまま自分でも意識せずに口にしていた。




「でぃす・いず・じえんど」




ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた




 【時間:1日目16:30ごろ】
 【場所:C-2】

 能美クドリャフカ
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康。忘我から回復】




096:温もり 時系列順 110:出逢ったのなら……仕方ない……よね?
096:温もり 投下順 098:Revenge
069:からっぽのはこ 能美クドリャフカ 109:Monochrome-モノクローム-


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最終更新:2011年09月09日 00:18