少年の主張、あるいは言訳 ◆g4HD7T2Nls
人が一人、そこにはいた。
立ち並ぶ木々の下で、じっと蹲っている男だ。
「……、ってんだよ」
男が一人、そこにはいた。
男はまだ少年と呼べる年の、相応の若い体躯だった。
「……ん、だってんだよ……」
少年が一人、そこにはいた。
少年はもうすぐ少年と呼べなくなる境目の、思春期を過ぎようとする時を生きていた。
「……なん、だってんだよ……」
走り疲れて、荒い息を混じらせる声が大気へと、熱と一緒に吐き出され。
「なんだってんだよ……」
制服の下に着込む汗びっしょりのシャツが、少年の肌にべたりと張り付き。
「なんだってんだよ」
地についた少年の片手の、握り締めた土が爪の間に入り込み。
「なんだってんだよ!」
もう片方の、地につかない片手が土の上に押し付ける銀色の銃に、汗がぽたぽたと。
「だから、なんだってんだよッッ!!」
少年がいた。
地べたに向って喚き叫ぶ、霜村功がそこにはいた。
▽
「ちくしょおッ……」
絞り切るように掠れた言葉を漏らして、四つん這いだった霜村の体が崩れた。
べちゃり。
音をたてて、顔面から土の下に倒れ伏す。
容易に落とせぬ濃い茶色が、少し着崩した制服にへばり付くのに頓着もせず。
「ちく……しょお……」
ただ溜まり切ったストレスを、垂れ流すことに従事する。
時間の経過で整う息を、それでもまだ吐き出し続けた。
「……っは、く……うぅぐ……、……は、は……、悪い……夢だ」
ああ夢なら良かったのに、と。
徐々に冷静さを取り戻す思考で、霜村は思う。
まるで日常に具現化した悪夢のようだ。
これはとても馬鹿げている。
心底ふざけているとしか、言いようがなかった。
拉致された。
殺しあえといわれた。
彼女もいるといわれた。
拳銃を渡された。
殺そうとした。
殺すことが出来なかった。
逃げ出した。
そしてここに一人、這い蹲っている男が、他ならぬ霜村功なのだ。
ああふざけている。ああ馬鹿げている。
そうとも、まったく冗談じゃない。
これが現実であるものか。
よくよく考えてもみればいい、自分がいったい何をしたというのだ。
今日、ここで、こんな、理屈の通らない現実に立たされているそのワケが。
まるきりさっぱり分らない。
そうとも、自分は何もしていない。
霜村は普通に生きていた。
普通に起きて、普通に学校に通って、彼女もいて、普通に日々を生きていた。
そのいったいどこに、果たしてここで蹲る要素を孕んでいたというのだろう。
家に、自室に、学校に、教室に、はたまた掃除箱の中にでも、そいつは潜んでいたとでもいうのか。
馬鹿げている。
馬鹿げてはいるが。
だが現にこうして、夢じゃない、と。
意地の悪い理性が全ての言い訳と逃避を打ち切って、霜村へと、そう囁く。
なぜなら、リアルだ。
頬を薄く裂かれた痛みが、神経をヒリヒリさせるリアル。
体が重くなるような疲労が、逃亡の対価として脇腹を襲うリアル。
殺されるかと思った恐怖が、殺そうとしたそれと同等に恐怖となるリアル。
全部、本物(リアル)だ。
そして、なによりも。
目を閉じても、突き刺さる、視線。
耳を塞いでも、聞こえてくる、声。
一つの声、三つの目。
それら全て女性の、霜村へと向けられた、負の念だ。
負と、負と、負。
負に恐怖した。
霜村が最も恐怖したのは、頬を切り裂いた刃ではなく、突きつけられた刃でもなく。
そんな実態のある、脅威ではなく。
ただ、霧村の五体を刺し抜いた、実体の無い、三者の織り成す、敵視の視線だった。
ある者は恐怖。
ある者は侮蔑。
ある者は憤怒。
意味は違えど皆全て、世界の敵を見、そして突き刺す、そういう視線。
霜村の肉体でなく精神を、揺れ動く『人間』の部分を真中から貫いたそれは視線という、曇りなき白刃に他ならず。
では清らかなるそれが刺すのは何か、常識を知る霜村には、既に自明のことだった。
違和たるモノを、異質たるモノを、気持ちの悪いモノを。
それは世界の敵を、例えば陳腐に、有り体に言えばそう、邪悪とか呼ばれるものを穿ち殺す。
人の倫理による、糾弾。
『お前は、間違いだ』
『お前は、愚かだ』
『お前は、悪だ』
あの少女、最も深き念を叩きつけてきた少女の言葉を借りるとするならば。
『あさはか』だ。
何が正しくて、何が悪か、そんなことは分らない。
けれど少なくともあの少女達にとって己は確かにそうであり。
とどのつまり、霧村が逃げたのは、ただ己が『そいうもの』であるという事実に、耐えられなかっただけなのだ。
絶対多数から溢れた、異端。
異端は罪だ。
「だから……なんだってんだよ」
霜村功は、吐き捨てた。
もそり。
もう一度、這い蹲るように体を僅かに起こして、目前の大木を憎憎しげに睨み付ける。
ざり。
地に着いた手が、土を握る。
どうすればよかったと言うのだろう。
どうしたって殺しあわなければならないこの世界で。
理不尽なこの現実を前にして。
霜村を間違いだと、悪だと、そう言うのなら、なら何が正解だだったのだろう。
少なくとも霜村はこれを摂理だと、そう捉えた。
けれど間違いだったというのなら。
「じゃあ、なんだってんだよ、俺はどうして」
どこからやりなおせばいいのか。
殺そうとしなければ良かったと、そう言うのか。
屈すればよかったと、そう言うのか。
あるいは、逃げ出さなければよかったと。
「俺は……」
がりがり。
目前の大木に、爪を立てるようにして、体を起こす。
もう遅い、と。
知っていた。
選んだ後に、選択は変えられない。
それは回収された答案用紙。
後になって違う答えに気づいたところで、だけどもうそれは、決して手の届かない所にある。
諦めて、採点の沙汰を、待つしか無い。
ようやく立ち上がった霜村はおもむろに、手の平を見つめていた。
そこに乗っているものは、銀の拳銃。
ふと考える。
これがなければ、良かったのではないかと。
もっと別な、例えば視界の端に転がった星型の木彫りのような、そんなものが手の中にあれば。
霜村はここで、こうしている事もなかったのではないか。
違う道を選ぶことも、出来たのではないか。
「……っ!」
それはとても苦く、そして甘美なる、責任転嫁。
直情的に、振り上げる腕。
たたき付けるように、振り下ろす手の平の、銀の異物。
そう、これは異物だ。
己を異端たらしめた、最たる元凶。
振り落とすべきモノ。
「……っ! っ! っ!」
だというのに、離れない。
思い切り、理性の加入する余地の無い衝動によって振られる腕。
なのに銀の銃はずっと、霜村の手の中にある。
まるで接着剤で張り付いたかのように、頑として剥がれない。
「…………」
二、三、腕を振り回して、
やがて疲れた霜村は黙し、またじっと銃を見つめ、
そして、
ああやっぱりなと、自嘲気味に笑った。
今となっては離すことも出来ない。
疑いを抱いて、揺れて、迷って、排斥の目で見られて、
それでも今となっては、これの他に縋るべき物は無い。
だから、霜村には目前に広がる道しか選べない。
選び続けることしか出来ない。
たとえ、
間違いで、
愚かで、
悪で、
あさはかであろうとも、
「わかってんだよ」
道はこの一本道以外に、在りはしなかった。
霜村にはもう、この道しか見えなかった。
▽
人が一人、そこにはいた。
立ち並ぶ木々の下で、じっと立っている男だ。
「……、ってんだよ」
男が一人、そこにはいた。
男はまだ少年と呼べる年の、相応の若い体躯だった。
「……か、ってんだよ……」
少年が一人、そこにはいた。
少年はもうすぐ少年と呼べなくなる境目の、思春期を過ぎようとする時を生きていた。
「……わか、ってんだよ……」
走り終えてから時が経ち、落ち着けた声が大気へと、熱と一緒に吐き出され。
「わかってんだよ……」
制服の下に着込む乾いたシャツが、少年の肌から離れていき。
「わかってんだよ」
虚空を掴んだ少年の片手の、握り締めた肉に爪が喰い込み。
「わかってんだよ!」
もう片方の、銀の銃を握る片手が、大木に叩きつけられてミシミシと。
「やらなきゃいけねえ事くらい、わかってんだよッッ!!」
少年がいた。
天に向って喚き叫ぶ、霜村功がそこにはいた。
【時間:1日目午後15時00分ごろ】
【場所:D-6】
最終更新:2011年09月06日 17:57