己が現実に差す幻想の世界を、人々は知らない。
例えば、現実の裏側から相互に影響を与え合う認知の世界。
例えば、願いの代償に絶望を撒き散らす魔法少女。
例えば、負の感情の爆発によって開かれる庭城に封じられた王族の力。
例えば、日常の至るところに潜む妖怪・あやかし・怪異・魔と呼ばれる者たち。
それらは全て人々の生きる日常と共に、されど人々に気づかれることなく進行している。
そう、人々は知らない。現実と幻想の『狭間』を生きる者たちの存在を―――
■
(ここは……?)
ヒヤリと頬に差し込む冷たさによって桂ヒナギクは目を覚ました。そして次の瞬間、全細胞が違和感を訴える。目を開くや否や飛び込んできた光景と、そこにあるべき日常の感覚とが合致しないのだ。
ここが昨夜眠りについたベッドルームのままであれば当然あるはずの照明器具の類が天井に見当たらない。睡眠を共にしていたふかふかのベッドもぬいぐるみも影も形も見えず、それらと対極的な床の硬さばかりが感じられる。
(そっか、いつもの夢オチね……。)
と、経験則から来る独自の解釈を脳裏に浮かべつつ起き上がる。そうでなければ辻褄が合わない。見知らぬ場所にいるのも、いつの間にか白皇の制服を身にまとっていることも。
そう、これはきっといつもの夢。あの日から何度も何度も見た、私の願望。夢の中であの人が現れて、現実ではまず言うことの無いであろう甘い言葉を囁くのよ。いつもならそこで動揺して目が覚めちゃうけれど――大丈夫、今は心の準備ができているもの。今日こそは、絶対に動じないんだから!
心の中でファイティングポーズを取って身構える。そんな私を待っていたのは―――
「あのぉ……大丈夫ですか?」
「えっ……?」
―――己を覗き込む、1人の少女の姿であった。
「え、ええ。大丈夫よ。」
不覚にもお約束と言わんばかりに動じてしまったが、それを誤魔化すように立ち上がろうとする。少女は手を貸してくれたので、素直にその手を取ることにした。
「ありがとう。ええと、貴方は?」
目線を合わせて改めて相対してみると、目の前の少女はかなりの美少女であることが分かる。
友人の歩を思わせるような大胆なツインテール。白皇学院の制服よりも深い赤を基調とした従業員服を着こなした立ち姿。うっかりジェラシー混じりの怨嗟を零してしまいそうなほど主張の強い胸元。そしてそれら美少女たる要素を丸ごと台無しにしてしまうだけの存在感を放つ鉄製の首輪。
「私、佐々木千穂っていいます。気がついたらいつの間にかこんな所にいて……」
「そ、そうなんだ。私は桂ヒナギク。でも変ね……一体何が起こってるのかしら。」
一点ツッコミたい衝動に駆られつつも、何とかこれが現実であると認識して毅然と振る舞い始める。
仮にも自分は名門校、白皇学院に通えるだけの経済力のある仮の両親の下で生活している。
そんな自分を狙った誘拐の類だろうか。
そんなことを考えていると、不意に自らの首に違和感を覚えた。
手を首元にやると、その様子を見た千穂が口を開く。
「それ、何なんでしょうね。首輪のようですけど……。」
千穂に言われ、間もなく気が付いた。自らの首にも千穂と同じ首輪が嵌められているということに。
「何よこれ、いつの間に?」
辺りを見回してみると、あちこちに同じ首輪を嵌めた人物がいることに気付く。
数にすれば数十人といったところだろうか。
「って……ハヤテくん!?」
その中には、先ほどのファイティングポーズの行く先であった想い人、綾崎ハヤテの姿も見受けられた。
その後ろ姿を見つめる私の横顔を見た千穂は小さく笑みを零した。
「良かった。ヒナギクさんも居るだけで安心できる人を見つけられたんですね。」
私は一瞬言われたことの意味が分からなかったが、それを理解するや否や全力で否定する。
「えっ……?い、いや!ハヤテくんはそんなのじゃないわよっ!」
「ふふっ、その目を見れば分かりますよ。それじゃあ私も、そういう人と合流して来ますね。」
「ちょっ……聞きなさいったら!」
そんな納得のいかない結末で千穂と離れ離れになろうとしている、その時だった。
「目が覚めたかな?」
30人以上の人物のざわめきと比べれば大きい声でこそないものの、されど心に直接響いているかのような重い声。辺りは一瞬で沈黙させられた。
その場の全員の視線は必然的にその声の発信元である部屋の中央の男へと集まる。
それは一つ目の仮面を被り、白いフードに身を包んだ男だった。
「状況が分からない、そんな顔をしているね。君たちを連れてきたのはこの僕、姫神葵だ。」
男の語ったその名には聞き覚えがあった。ハヤテくんが三千院邸に執事としてやって来る前にナギに仕えていた執事の名だ。でも、そんな彼が今さら何のために?
「こうしてわざわざ集まってもらったのは他でもない。」
まるで結末を誘導されているかのように、口を挟む者は誰も居なかった。男が一息つくと、辺りの人々がごくりと息を呑む音が聞こえるほどに。
そうして生まれた静寂の中。姫神は静かに告げた。
「君たちには、殺し合いをしてもらおう……そう思ってね。」
その言葉が発せられた瞬間、辺り一面の空気が変わった。
大まかに分けるのなら、事態の深刻さに気付いて立ち竦む者と即座に状況が理解できず戸惑う者がほとんどを占めていた。
しかしそんな中でたった一人、異なる反応を示す者が現れた。
「おい、テメェ!ふざけたことぬかしてんじゃねえ!」
その場の視線は声を上げた金髪の少年に注がれる。
ある者は期待の眼差しを。またある者は無鉄砲な行いへの侮蔑の眼差しを。
「坂本竜司―――さすがは、正義の怪盗を自称する者と言ったところかな?」
「なっ……!誰が怪盗だ!?し、知らねえぞオイ!」
元々少なかったであろう期待の視線も更に弱まっていくように感じた。
怪盗云々という言葉の意味するところは分からないが、竜司と呼ばれた男の反応からそれが図星であることは誰の目にも明らかであったからだ。
―――あのバカ……
その時、誰かが小さくそう呟く声が聞こえた気がしたが、その声の方向には何の変哲もない黒猫が1匹佇むのみ。声が聞こえたと思ったのは気のせいだったか。ヒナギクは再び、反旗を翻した竜司という男に視線を戻す。
「ンなことより、殺し合いだぁ?冗談じゃねえ。お前が1人で死んでりゃいいだろうが!」
竜司は拳をパキパキ鳴らしながら姫神に近付いていく。自身に架せられた首輪の意味を理解している者にも、いない者にも、その歩みを止める者はいない。
「でもね。生憎、僕は正義の味方が大嫌いだ。僕に楯突いたケジメは払ってもらうよ。」
対する姫神。迫る暴力に対してポケットからスマートフォンを取り出す。当然それは抑止力にはならず、竜司は姫神を殴りつけようと振りかぶる。
しかしそのまま突き出された拳は、次の瞬間にふわりと宙に浮いた姫神の胴体を捉えることができずに空を切った。
「クソッ!おい、降りて来い!」
「そういえば、まだ説明していなかったね。君たちのその首輪について。」
地団駄を踏む竜司をよそ目に、姫神は取り出したスマートフォンをタップする。
「その首輪は、僕の操作ひとつで爆破するよう造ってある。」
「な、何だと!?」
『ピピピピピ……』
次の瞬間、姫神の言葉を証明するかの如く不気味なアラーム音が辺り一面に響き渡る。
「見ておけ、正義の味方。」
この場の全員の耳が、このアラーム音をトラウマ混じりの残響として記憶するのだろう。
しかし誰よりも強く残響を残した者を挙げるのなら。それはきっとこの私、桂ヒナギクだ。
何故ならアラーム音は、私のすぐ隣から聴こえてきたのだから。
「えっ、私……?」
―――バァンッ!!
冷酷に命を奪い去るにはあまりにも豪勢すぎる爆発音が耳に刺さる。さっきまで私と話していた佐々木千穂がいた空間には、見るも無残な首の無い死体と血溜まりだけが残っていた。
多くの人々の悲鳴が響き渡る。
或いは、それだけの事態でも全く動じない者も見て取れる。
「嘘……でしょ……」
私はそのどちらでもなく、ただただ呆然とすることしかできなかった。ここまで間近で『死』を経験したのは初めてだ。
基本的に完璧超人たるヒナギクも、精神の芯はいち乙女。
全身を包み込む生暖かい返り血の感触に、形容し難い類の恐怖を感じざるを得なかった。
目眩・立ちくらみが身体を襲い、猛烈な吐き気を何とか抑えつつその場にへたり込む。
それが1分前まで喋っていた相手であったから、主観的にひとつの人格の喪失が感じられてしまった。
それが知り合ったばかりの大して知らない人であったから、客観的に命の喪失を受け取ることもできてしまった。
「何でだ……ちくしょう!!」
「これは君が招いた結果だよ。……君の正義が人を殺した。」
千穂の惨状を目の当たりにして震える竜司に姫神が告げる。そして宙に浮いていた姫神は再び地に降り立ったが、姫神に反抗しようとする輩はもう誰も現れなかった。
「さて、僕に歯向かうことの意味が分かったかな。それでは
ルール説明に移ろうか。」
しんと静まり返った会場で、誰もが耳を傾ける。
「君たちに殺し合ってもらう会場は『パレス』と呼ばれる空間だ。聞き覚えのある者ならピンとくるかもしれないね。そこでなら使える能力も、あるいは使えなくなる能力もあるだろう。」
「次に、君たちにはそれぞれひとつのザックが配られる。無尽蔵にものを収容できるスグレモノだ。信じられないかい?だけどそう『認知』してくれればそれでいい。中身はパレスの地図や最低限の食料辺りは保証するが……残りは運任せだ。僕も知らない。」
「そして向こうに送ってから6時間ごとに放送を行う。内容としては、脱落者と禁止エリアの発表といったところかな。放送の1、3、5時間後にパレスの中の一部エリアが立ち入り禁止になる。事故もあるだろうから少しの時間は目を瞑るが、30秒間滞在し続ければああなってもらうよ。」
首の無い千穂を指さしてそう言った。その場の全員に恐怖を植え付けるには充分すぎる演出だろう。
「最後に。この殺し合いに優勝した者の処遇についてだ。これだけの人数の生存競争を勝ち抜いたんだ、生還だけでは褒美としては物足りないだろうね。優勝者には、どんな願いでも叶えてあげる……というのはどうかな?」
「願い……?」
その言葉に誰かがぽつりと反応するのが聴こえた。
「そうさ、どんな願いでも構わない。巨万の富でも、有り余る名声でも。或いは―――死者の蘇生だって成してみせよう!」
表情の見えない不気味な仮面姿で、姫神は信じられないようなことを語った。
そしてその直後、例のスマートフォンをおもむろに取り出す。
また誰かの首輪が爆破されるのかと、その場の多くが身構える。
「説明は以上だ。それじゃあ、ご武運を祈るよ。」
皆の想像に反して、姫神はスマートフォンを操作し『イセカイナビ』を起動する。するとたちまち、黒いモヤのようなものに包まれながら参加者たちの姿は一人、一人と消えていった。
最後にその場に残ったのは姫神葵本人と、すでにその生を終えた少女の骸だけとなった。
【佐々木千穂@はたらく魔王さま! 死亡】
■
参加者が殺し合いの舞台となるパレスに転送されたのを見届けると、姫神は最初に皆を集めた広場の出口の電子ロックを解除して外に出る。
向かうのは定時放送などを遂行する、この殺し合いの舞台裏。
「―――随分とご機嫌じゃないか、姫神。」
次の計画の準備に移る姫神に話しかける一人の少女がいた。
初柴ヒスイ。姫神の計画の、元の世界からの協力者の一人だ。
「不服かい?奴らを手中に収めた今なら、三千院家の遺産も王族の力も君のものだというのに。」
「……くだらん。私が欲しいのは勝利の果てに掴む願いだ。頂上で胡座をかいていれば与えられるようなものでは無い。」
ヒスイの言葉を聞いて、姫神はふっと笑う。
「だろうね。君ならそう言うと思っていた。望むのなら、戦いに身を投じればいい。いつでも準備はできているよ。」
「いいだろう。ここで呆けているよりは面白そうだ。」
ヒスイが承諾するより先に、姫神はイセカイナビを起動していた。醜悪な笑みを浮かべながら、ヒスイの身体はパレスへと吸い込まれていく。
「……さて、これで仕込みは整った。あとは見守るだけかな。」
ヒスイを見届けた姫神は、その場にいたもう一人の協力者に語りかける。姫神の視線の先には、女の死体がひとつ。
鋭利な刃物で喉笛を掻っ切って、辺り一面に散った鮮血が部屋を装飾している。脈も心臓もその活動を停止しており、誰が見てもそれはただの屍である。
そんな死体に、姫神はさもそれが当然であるかの如く話し掛けている。
言わずもがな、死者が言の葉を語らぬは自明の理。しかし二種の妖を喰らい、死という概念とて超越したその女に世の理は適応されない。
辺り一面に撒き散らされた血液は持ち主の体内へと吸い込まれていき、何度もその役目を終えたことのある心臓は再び鼓動を刻み始める。
「いいえ、まだよ。」
ひと掴みの未来と共に、妖美な笑みを浮かべるその女―――桜川六花は現世へと舞い戻った。
「この計画の成功のための最後の一撃を、まだ私は放っていない。」
人魚とくだんの混ざりもの。
彼女、桜川六花を言葉にして語るは容易である。しかし世に蔓延る魑魅魍魎はそれを語らない。彼らをもして、語るのさえはばかられるだけの畏怖を与える存在であるからだ。
人魚の不死能力。絶命時に発動するくだんの未来決定能力。ふたつの人ならざる力を手に入れた彼女は不死の身体の再生能力をもってして、自らの死の際に未来を選択する力を手に入れた。妖怪くだんがその命と引き換えに一度だけ使うことを赦された力を、彼女は生を終えることなく何度も扱えるのである。
先の殺し合いの説明が円滑に進んだのは、六花が生命活動の停止と肉体の再生を繰り返すことで滞りなく進行できる未来を何度も選び続けていたからに過ぎない。
ただし彼女に選択できるのは実現の可能性が現実的である未来のみ。坂本竜司があの場で殺し合いに反逆しない未来、それを掴むことは出来なかった。
いわゆる見せしめに選んだのが、反逆した竜司本人ではなく全く関係の無い佐々木千穂であったのも意図があってのことだ。
逆らった本人を殺すというシステムでは、行動を縛れない人物―――桜川六花と同じ能力を持つ者があの場には一名いたのである。
(さて、あの子たちはどう動くのかしら?)
そしてこの殺し合いの影の主催者、桜川六花は再びナイフを己の喉に突き立て即死する。生と死の狭間の世界にたどり着いた彼女は、実現可能性の高いひとつの未来を選び取る。
それは殺し合いの世界に、二体の『怪物』が顕現する未来。
一体は、元より人の心の中に巣食う死神『刈り取るもの』。
そしてもう一体は、かつて現実世界で実体を手に入れた想像力の怪物『鋼人七瀬』。
これらが現実世界に顕現する未来は一度や二度の死では到達し得ない、果てしない施行の末にようやく掴み取れる事象なのかもしれない。
しかしこの殺し合いの舞台は現実よりも数段不安定な認知世界。これらの怪異を比較的容易く受け入れることができる。
舞台は、現実よりも遥かに容易く食い破られる世界。40名の参加者に3名の主催者の手先『JOKER』を加えて。
誰もその結果を知り得ない、残酷なる宴が始まらんとしていた。
【バトル・ロワイアル ~狭間~ 開幕】
最終更新:2020年08月10日 14:39