彼女は、ただひたすらに強欲であった。敗北を極端に嫌ったため、何者にも勝利できる力を求めた。世界的な大富豪である三千院帝が莫大な財を投げ打って探し求めている『王族の力』なるものが本当にあるのなら、それもまた己がものとせずにはいられなかった。
そして彼女は強欲であると同時に、天才であった。凡人の努力も苦労も真っ向から否定するかの如く、何もかもが最初からできたし最初から分かっていた。
それならば欲したものがことごとく彼女の手中に収まっていくのもまた当然の帰結だった。
彼女の欲望の行き着く先はひとつ。全てが欲しい。この世にある、手に入るもの全てが。
果てしなき強欲は、次第に世界に対して牙を剥き始めた。
有り余る財を所有する三千院帝をして『驚異』と呼ばしめる存在へと変わっていった。
しかし協力者、姫神葵の用いた手は気に入らなかった。邪魔者である綾崎ハヤテやその他諸々を、自らの手を汚すことなく殺し合わせようとは。
彼女が欲しかったのは勝利の上で手に入れる世界。この殺し合いの会場において、彼女―――初柴ヒスイだけは、自らの意思で殺し合いに参加していた。
「さあ、殺し合おう。」
そして殺し合いが始まること数分。ヒスイは出会った一人の男に向けて静かに告げた。
スタイリッシュさから掛け離れたボサボサ頭に反して引き締まった肉体。そして獲物を射殺すような鋭い眼光を放つその男、烏間惟臣。
数多くの殺し屋と対面してきて、伝説の殺し屋『死神』の子弟とタイマンまで交えたことすらある彼は、恋愛においては超がつくほどの鈍感であれど殺意に対しては相当に敏感である。だからこそ、分かる。ヒスイが烏間に向けるそれは殺意ではない。言い表すならば、飽くなき闘争心。カルマが訓練の際、たまに自分に向けてくる闘志の類に似てはいるが、その濃度なるものがカルマの比ではない。更には右眼元に大きく描かれた刀傷。それだけを見ても彼女が平穏な日々を送ってきた人間でないのは明らかだった。
(仮にも姫神に呼ばれた人物。ただ者ではないということか。)
しかしヒスイをただ者でないと言うのなら、烏間はそれ以上に常識外れの人種。時に、アフリカゾウすら昏倒させる毒ガスを浴びても人並みに動く。時に、笑顔ひとつで猛犬を従わせる。
「いいだろう。」
――そして何より、その根っこはかなりの戦闘狂であった。
「いい返事だ。ならばっ!」
開口一番、ヒスイは支給品の剣を鞘から引っこ抜く。
「いや、待て。」
しかし烏間がそれを制止した。
「ここは木々もあって見通しが悪い。戦闘中に第三者の介入を受けるのもお互い面白くはないだろう?」
「ほう、一理あるな。」
「ゲーム開始地点に俺が転送された闘技台が近くにある。そこなら見通しがよく、第三者の接近にも気付きやすい。殺し合うのならそこで、というのはどうだ?」
「分かった。ならばそこがお前の墓場だ。」
とりあえずは理屈が通じる相手で助かった。話し合いに応じる余地もなければ、かつてのイトナのように一悶着は避けられない。
要は、ヒスイを殺すつもりは烏間には無い。しかし、だからといってヒスイを放置すれば彼女は別の相手を探し求めるだろう。ターゲットを襲撃する暗殺の訓練は多く積んでいても戦闘の訓練は特段豊富ではないE組の生徒の方へと向かわれるのは困るし、見ず知らずの人が犠牲になるのも面白くない。
それならば、防衛省での経験から真っ向勝負の戦闘に強い自分が彼女の闘志を受け止め、そしてその闘志を対主催の方向へと"手入れ"する。奴の真似事など面白くないことこの上ないが、この殺し合いを打破するにはおそらく最善策だ。
「ひとつ、言っておく。」
闘技台への移動中、ヒスイが口を開く。
「お前は殺し合いに乗る気はないのだろう。今も私をどう丸め込むかを考えているな。」
「ああ。だったらどうする。」
ヒスイが烏間の腹の底を理解したのに理由はない。天才的な直感でそれが最初から分かるのが初柴ヒスイという少女だ。
「すぐに分かる。お前の勝利条件は私を殺すことだけだ。」
「ああ、覚えておこう。」
そのような会話を交わしつつ、数分。二人は目的地である闘技台にたどり着く。
辺りに不意打ちが仕掛けられるような遮蔽物が無く、一辺が50メートル程度のサイズが確保された正方形のバトルフィールド。誰にも介入されたくない決闘であれば最良の舞台だ。ご丁寧に、支給品を入れたザックを置いておく台まで用意されている。二人は各々のザックをそこに置くと、それぞれが向かい合う対極の位置へと歩き始める。
ヒスイが道中での不意打ちを仕掛けてくる様子もなかったところから、おそらくは正面から闘いたい性分なのだろう。烏間としても、ヒスイの"手入れ"に第三者は不要だ。
両者が闘技台の両サイドに着く。必然、二人を取り巻く空気もピリピリと緊張を帯び始める。
「武器は使わなくていいのか?」
沈黙を破り、ヒスイは問う。その手には抜き身の剣が握られており、一切の躊躇無く烏間を殺しにかかっているのが分かる。
対する烏間は素手。これは一見、ヒスイ側に大きく傾いた勝負だった。
「不要だ。これが俺の戦闘スタイルなのでな。」
――バキッ!
その証明と言わんばかりに烏間が大地に拳を振るうと、まるでハンマーでも叩きつけたかのように石製の闘技台に小さく亀裂が生じた。
「俺の心配をしている暇はないんじゃないか?」
業物の有無は両者の武力差に直結しない。極限まで鍛え抜かれた筋肉、そして戦闘経験。それらをもってすれば、武器などなくとも烏間の武力は優にヒスイを上回る。
「そのようだな。では、遠慮なく!」
先に動いたのはヒスイ。
地を蹴り、小柄な体格を活かして烏間に高速接近する。
実戦経験の無い子供など、殺しとなればその重みに耐えられず身がすくむのが普通だ。しかしヒスイの動きには躊躇が見られない。
だが、相手が子供であるだけで結局は正面戦闘。
烏間が僅かに身体を逸らすと、ヒスイの剣は容易く空を切った。烏間が回避のために費やした手間は最小限。僅か数ミリズレるだけでも烏間の耳を斬り落としていたであろうほどの精密回避だ。それを土壇場で成した烏間の技術にヒスイが驚く暇もなく、剣を握る右腕に手刀が繰り出される。訓練中の生徒たちならば例外なく対先生用ナイフを落とす程度の威力より、さらにもう一段深く力を込めた。対先生用ナイフより重量もある剣ならば、仮に相手が鷹岡であったとしても痛みでその場に落とすだろう。ましてや、少女の域を出ないヒスイであればなおさらだ、と。
そう、思っていた。
(――武器を、落とさない?)
腕全体が痺れるほどの烏間の手刀を受けてもなお、ヒスイはその手に剣を握り締めて離さない。初柴ヒスイの、力への執念。それは烏間の予測を遥か上回るものだった。
「退屈させて……くれるなよっ!」
近距離からの大胆な薙ぎ払いで烏間を切断しにかかるヒスイ。烏間の手刀を受けた右腕で振るったとは信じられないほどの速度だ。対して烏間、ヒスイの闘志を感じるや、いち早くその兆候に気付き、大きくバックステップ。
微かに避けきれなかった剣が烏間の胸に一閃の傷を刻み込むも、それは全く致命傷には至らない。とはいえE組の生徒でもなかなか攻撃を命中させられなかった烏間の身体に傷を付けたこと、それ自体に敬意を表して烏間は語る。
「やるな。俺の生徒だったら加点……いや、満点を与えていたところだ。」
「ほう、それは殺しても貰えるのか?」
皮肉たっぷりに吐き捨てながら大地を踏み締め、先ほど大きく横に薙ぎ払ったことで崩れた姿勢を一瞬で元に戻すヒスイ。さらにそこからくるりと剣を半回転して逆手に持ち替え、そのまま追撃の刺突が烏間の心臓に迫る。
「当然、殺せたらな。だが……」
それらの動作を最速で行うヒスイ。しかしその一連の動きに要する僅かなインターバルは烏間に与えるには長すぎた。一度の攻防に二度も不覚を取る烏間ではない。
「……殺せるといいな?」
迫る刃を前に、烏間はニヤリと笑う。強がりでも何でもなく、それは余裕の表情。何せ近接戦闘であれば双方の業物の有無にかかわらず烏間の独壇場だ。烏間は一瞬で体勢を落とし、コンマ1秒前まで烏間の心臓があった場所は次の瞬間に烏間の上空となった。当然、心臓へ向けて繰り出された突きは虚空に刺さる。
さらにヒスイには具体的な隙を見せる隙すら与えられない。烏間の回避、すなわち攻撃の空振りをヒスイが認識すると同時、垂直に突き上げられた烏間の脚がヒスイの顎を打ち付ける。
後方に吹き飛びつつも、地面に剣を突き刺し杖代わりにしての受け身を取ろうとする―――しかしそれを許さないのが烏間。蹴り上げの直後に素早く起き上がり、地面に突き刺される直前にその剣の取手に回し蹴りを当てて払う。
側部から業物への衝撃を受け、さすがのヒスイもその剣を手放す。すっぽ抜けた勢いのままに、剣はカラカラと音を立てて数メートル離れた先の地面へと吹き飛んでいく。そして支柱となるはずだった剣を失ったことにより受け身に失敗したヒスイは、勢いのままに背中を大地に打ち付けた。
しかしまだ終わらない。
更なる追撃のかかと落としがヒスイの肩に炸裂する。
「がっ……!」
「勝負アリだ。」
ぐったりとその場で動かなくなるヒスイ。多少手荒な手段に訴えたが状況が状況だ。最初の頑丈さから考えてもよもや死んではいまい。
ヒスイの身のこなしは確かに一般的な少女のそれを優に凌駕していた。が、所詮はそれ止まり。普段からE組という常識外れな中学生たちを相手にしている烏間にとってさほどの驚異ではなかった。
さて、問題はここからだ。
このまま暴力に任せて無理やり従わせるのであればそれは鷹岡と同じやり方だ。彼を否定したE組の生徒たちに対して示しが付かないし、どんな相手であっても手を組む以上は対等に接するという己のポリシーの観点からも容認しがたい。
(とりあえずこの剣は没収だな。)
よって烏間はヒスイの方へと向かわず、先にヒスイの落とした剣を拾い上げに行く。危険な使い方をされないよう折っておくか、あるいは自分のザックで保管しておくか……。その先を思索しながら烏間は剣を拾い上げる。
「……っ!!」
だがその瞬間、強い立ちくらみが烏間を襲う。その原因を手にした剣に認めるや否や、烏間はその剣を足元に投げ捨てた。
「隙を見せたな。」
その一連の流れでヒスイへの警戒が緩む。いつの間に起き上がったか、先のダメージを意にも介さぬほどの勢いで放たれたヒスイの飛び蹴りが烏間の背を打ち付けた。
元々の立ちくらみに加えて与えられた衝撃。体格差、基礎体力差をものともせず烏間は転倒。それを好機とさらにヒスイは前進し、足元の剣を拾い上げつつ烏間に迫る。
「……ぐっ!」
――ガッ。
次の瞬間には拮抗した戦局が形成されていた。上方から一突きにかかるヒスイ。素早く身体の向きを変え、何とか身体に剣が突き刺さる前にヒスイの腕を押さえ込むことができた烏間。重力を味方につけたヒスイの一撃でさえも、烏間に真っ向から防がれていた。
「その剣は何なんだ?」
その姿勢のまま、烏間は問う。
「知らん。」
続けて問う。
「何故、そんなにも平静でいられる?」
「簡単なこと……」
その剣は、とある世界の魔王の比類なき魔力を内に秘めた魔剣であった。柄を掴むだけで体内に大量の魔力が流れ込み、エンテ・イスラの魔力の受容体を持たない者であれば手にするだけでも発狂ものの苦痛が伴う代物だ。仮にここがファンタジー色に染まった並行世界であったとしても魔法の素養を持たない烏間に、それを手に取ることはできなかった。
「痛みすら乗り越えずして……何が王かっ!」
そして同様に――ヒスイとてエンテ・イスラの魔力の受容体など持っていなかった。魔剣を手にした際に流れ込む魔力による苦痛から逃れる術は、ヒスイにはなかった。
だが、ヒスイはその苦痛すら受け入れた。それはひとえに己が受容できない類の力があることへの反骨心。されど言うは容易いそれを実行に移すだけの精神力、それこそが初柴ヒスイの真骨頂である。殺意を糧に全身を蝕む触手細胞を受け入れたある少女のように。ヒスイは力への執着を糧に魔剣を受け入れたのだ。
その精神力が、人類最強クラスの一角である男、烏間惟臣をここまで追い詰めた。
それでも烏間だからこそ、そこから先を許さない。ヒスイの腕力では魔剣を突き刺すところまで至れない。
「……このまま足掻いても、刺すことはできんぞ?」
かつて似た状況で諦めの悪いイリーナに折れた烏間も、命が懸かった今度ばかりは折れるわけにもいかない。体力の続く限りの拮抗であれば当然、体力のある烏間に軍配が上がる。そして基本的に隙の無い男、烏間を仕留める絶好のチャンスである今を不意にしてしまえば次は無い。ヒスイにとって、魔剣による刺殺を臨むにはここが潮際だった。
「ああ、そのようだ。だが――」
ただし――あくまで魔剣による刺殺を臨むならの話。
「それでも、私の勝ちだ。」
次の瞬間、烏間は目の前の光景に己の目を疑った。常識を外れたものであれば見慣れている。しかし、奴の触手も無から生まれたわけではなく、あくまで科学技術の生んだ産物だ。
しかし目の前では、ヒスイの背後の何も無い空間から、4本もの巨大な『腕』が生えてきていた。こんなもの、この世界に存在していいはずがない。人の作り上げてきた常識とは、これほどまでに簡単に崩れ去るものだったのか。
「それは、一体……!」
烏間にできるのは、困惑を吐き出すことのみであった。
「手加減は出来そうにないから……」
人の等身を優に凌駕する骸骨の腕のみを呼び出しているかのようにも見えるそれは、間違いなく見た目に違わぬ破壊力が備わっている。それに対処するためには最低でも両腕を用いなくてはならないだろう。しかし両腕を用いるためにヒスイへの抵抗を辞めればヒスイが握る魔剣が烏間の顔面に突き刺さる。
「……せいぜい、苦しまずに死ねるよう願っておけ。」
完全なチェックメイトだった。
ヒスイの言葉に応じるように、身動きの取れない烏間に4本の腕による連撃が次々と叩き込まれる。四肢が、臓物が、無造作に潰されていく。
(ここまで、か……。)
己の最期を悟る烏間。
彼の敗因はヒスイを無力化し、"止めよう"としたことである。
ヒスイには性分がある。彼女は勝つまで――ここでは優勝するまで、決して止まらない。ただただ目の前の勝利だけを。敵をなぎ倒すことだけを。一心不乱に求め続ける。"殺す気"で挑まなくては、彼女の意志を阻むことはままならない。
(すまない、お前たち。あとは……よろしく頼む。)
だとしたら彼女を倒せるのは、戦闘を専門とする俺ではない。
彼女を殺すことなく倒せるとするならば、自らの手で他者を殺すことの重みを受け止め、考えて、その上で目的のために全力を尽くすことができる者――ああ、"彼ら"なら心配はなさそうだ。
信頼を置く子供たちに未来を託しながら。烏間の意識はそのまま闇に消えていった。
■
「……礼は言わんぞ、夜空。」
足元に転がる死体を一瞥すると、ヒスイはザックを回収する。そしてもう一度殺した相手に振り返り、次の敵を求めて進み始めた。
何ということはない。いつも通りに勝利したのだけだ。いつも通り、何を失うこともなく――
綾崎ハヤテとの王玉を賭けた決戦。その行方は、メイドとして使えてきた法仙夜空の命と引き換えに得た力を使っての勝利だった。
『――これが私からの、最後のプレゼントよ。』
夜空が己を英霊へと変えたあの瞬間。寂しいとか、悲しいとか。そんな感情は沸き起こらなかった。その代わり、ただただ悔しかった。
ㅤこれまでヒスイが経験してきたどの戦いも、完全な自分の勝利まで終わらなかった。何かを犠牲にしての勝利など一度も無かったからだ。
全てを手に入れてもなお消えることの無いであろう喪失を、永久に刻み込まれたような気分だった。
『――それを使って、あなたは王になりなさい。』
「……言われずとも。」
選ばれた私が王の座に着くのはもはや決定事項だ。この殺し合いの優勝者への特典の願いなど、用いるまでもない。
もしも姫神が何らかの方法を用いて死者を甦らせる手段を得たのなら――
馬鹿馬鹿しい、と首を横に振る。全てを求めてこその王だ。巨万の富を得ながらも失ったもののみを追いかけ続けた、三千院帝のような愚か者には成り下がるものか。
「着いてこい、夜空。頂点からの眺めを見せてやるよ。」
満天の星々が煌めく夜の色に染まった空の下、ヒスイは小さく呟いた。
【烏間惟臣@暗殺教室 死亡】
【残り 41人】
【B-3/闘技台/1日目 深夜】
【初柴ヒスイ@ハヤテのごとく!】
[状態]:ダメージ(中)
[装備]:サタンの宝剣@はたらく魔王さま!
[道具]:法仙夜空@ハヤテのごとく! 基本支給品×2 不明支給品(0~2個)、烏間惟臣の不明支給品(0~3個)
[思考・状況]
基本行動方針:殺し合いに勝利する。
1.王となるのは私だ。
2.本当に、願いで死者さえも甦らせることができるのなら―――
※原作51巻、ハヤテから王玉を奪った後からの参戦です。
【支給品紹介】
【サタンの宝剣@はたらく魔王さま!】
エミリアが砕いたサタンの角からつくられた魔剣。真奥貞夫を魔王サタンの姿に戻すほどの魔力を宿しており、手にした者にその魔力を供給する。鞘に収まっている間は魔力の供給は起こらないが、常人には鞘から抜くことすらままならない。
【法仙夜空@ハヤテのごとく!】
ヒスイに力を授けるために英霊となった法仙夜空。すでにヒスイと融合しているが、天王州アテネと融合したキング・ミダスの英霊と同じように不可逆的な破壊が可能だと考えられるため、状態を整理しやすいように道具欄に記載してある。その形状は上段に人間のような二本の腕、下段に骸のような二本の腕であり、現在は四本とも無傷のまま。
最終更新:2021年03月31日 14:32