『全ては一冊から始まった(前編)』
利根川グループ随一の熱血漢・堂下浩次は、目が冷めたら円形の広場にいた。
起きたら即、初遭遇。
目が合わさった相手は、この広場の主である忠犬ハチ公。──無論、銅像。
小さな空き地のシンボルとして、百何十年もの間、待合人たちを見守り続けた御守犬。
その目に、堂下という人間はどう映っただろうか。
「殺し合いっかぁ───………。ったく、面倒臭ぇーなぁ…」
「ま、別にいんだけどな!」
いや、犬の視点などどうでもいい。
ドガッアッッ
堂下は、その鍛え上げられた肉体で銅像に突然タックルを開始。
驚くべきことに銅像はたった一発の打撃で簡単に崩壊。
やはり、T京大学で主将を勤め、千日間毎時間ラグビーで汗水を垂らしてきたそのパワーは健在だった。
明治末期に立てられ、雨風に曝されながらも座り続けた犬公はかくもあっさりと、トラックに衝突したかのように崩れ去る。
…いや、トラックの方がまだこの男より思慮深いかもしれない。
「うっし。イチ…、ニッ、サンッ…と」
石片が散らばる傍ら、堂下は、ウォーミングアップとして準備運動を一人始めた。
先ほどの石像破壊は軽いアップという意図だろうか。
ちなみに、彼の脳内には優勝することへの躊躇いなんか一ミクロンもない。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ…!!」
むしろ今から虐げまくる参加者の衆に、自分の肉体美を魅せつけれる絶好の機会だと思ってすらいる。
それは、堂下が無教養だからだとか人格が破綻したサイコパスだからとかではない。
なにせ在京大学を卒業し、大企業帝愛グループの宣伝部にて有望な実績を上げた男だ。
本来なら殺人者になるような人間ではないといえる。
「イーチ、ニー、サンーーーーッ!!」
なら、何故彼はここまで殺し合いに熱く乗っているのか。
──単純明快。
彼は、脳筋だからだ。
「フウっと。ウォーミングアップ…完了…!」
白い吐息、そして湯気がモヤモヤと上がる。
堂下は、参加者名簿で汗をぬぐうと一呼吸置く。
その一呼吸はなにも殺しの覚悟をする現れではない。
言わずもがな、単に身体が酸素を欲しただけである。
「さーて…、よく分かんねえけど俺の魂《スピリット》をかましてやりますかぁっ…!!!」
そう言って彼は、夜のネオン街へ駆け出した。
くしゃくしゃになった紙が道路に転がる。
「帝愛魂…」
堂下には信念がない。
殺しを愉しむという狂った愉悦もない。
頭も使っていない。
彼は、己の常人離れした力強さを見せびらかすためだけに、殺し続ける。
「ファイアーーーーっ!!!!!」
そう考えれば、彼こそが真の『殺人マシン』と言えるかもしれない。
ドスドス…と。頭のイカれた猪が、渋谷の街で雄叫びを上げた。
犠牲者はいずこまで膨れ上がるか。
今は誰も知らない。
【1日目/G6/ハチ公広場/AM.0:20】
【堂下浩次@中間管理録トネガワ】
【状態】疲労(軽)
【装備】???
【道具】???
…
「あっ、そうだそうだ」
イカれた猪は、唐突に急ブレーキをかけた。
脳が筋肉で支配されている彼でも気になる、何かを思いだしたといった様子だ。
「【道具】だ…!道具。この俺に何が支給されたか見とかねーとなぁ…」
堂下は、肩にかけられたデイバッグに今気づいたのか。
道路の真ん中で支給武器の確認を開始した。
バッグを漁れば出てくるは、大型ライフルだのプロテイン十キロだのササミ肉だのと。
主催者の参加者に対する配慮が垣間見える支給品が山ほど出てきた。
「銃か。まっ、俺の腕力自体が武器だからなんでもいんだけどな」
なら何故バックを開いたのかと問いたいところだが、堂下にとっては武器よりも付属の品のほうが重要だったのだろう。
プロテインを溶かす水が欲しいのか、近くのコンビニをキョロキョロと探し始めた。
まぁまぁに疲れた為か、スタスタ徒歩で辺りを凝視するMr.体育会系堂下。
「はぁ、っにしても他にはなんかねーのかな」
道中、暇潰しとしてギュウギュウに詰め込まれたデイバッグの整理を始めた。
恐らく「ダンベルくらいはねえかな」みたいな考えの下であろう。
「…あー? んだこれ?」
そんな中、堂下が取り出したのは一冊の『本』だった。
表紙にプリントアウトされているのは著者の写真か。
かつて話題になった高校生ロリ社長の笑顔と共に、題字がテッカテカと書かれていた。
「『私だからこそ伝えたい…ビジネスの極技』ぃ…だぁ??」
初見ではアイドル本かなにかと思ったが、どうやら社会人向けの本のようだった。
「うーん、まぁ…読んでみっか」
意外にも堂下は、彼に似合わぬビジネス本を、ペラペラと開き始めた。
思えば、自分の人生でこういった本は一度たりとも手に取ることはなかった。
だから、これもいい機会だし何より無料で配布されたのだから触れてみる価値はあるだろう。
そう堂下は考えたのかもしれない。
──あるいは、ブックオフに売るための品定め、か。
「ふーん…」
教科書以来となる、製本された書物の読解。
ページをめくるたびに妙な懐かしさがこみ上げてくる。
「……………」
堂下は、その本を読んだ。
「……」
読み続けた。
「…」
気が付いたら、ながら読みだった足は止まっていた。
それほどまでに、堂下はこの本に熱中し、時間を忘れるまでにいた。
交差点の真ん中で、彼は状況も場所も忘れ読み続ける。
無言で、ひたすらに。
彼に一体なにがあったのか心配になるほどその本を相手して無言を貫き続けた。
星がふと、流れる。
数十分して堂下はポツリと言葉を漏らした。
「こ、これは……」
その『一文』を読んだ時。
瞬間、バサリッと本が地面に零れ落ちる。
そこには、お手本のように声を失った堂下の姿があった。
人生。
理論上、何万日も過ごさなきゃいけないその長い道のりは、時として大きく自分を変える出来事だって存在する。
いわば、『起点』だ。
この一冊の支給品は主催者の意図してか、堂下を大きく変えることになった。
そして、それはやがて殺し合い全土も揺るがす破天荒な事態へと至っていく。
そう、全ては一冊から始まった──。
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はじめに
「俺はこの仕事で天下を取る!」
「この新ルールでビジネスに新風を!」
これはそんなあなたの熱意を形にするための本です。
初めの内は賛同してくれる人も少ないかもしれません。
挫けそうになるかもしれません。
そんなときはぜひ、この本を覗いてみましょう。
そしたら……。
(『私だからこそ伝えたい…ビジネスの極技』-宝鳥社 一頁より抜粋)
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最終更新:2024年09月08日 12:04