論理空軍 ◆wgC73NFT9I


 ある現象が起きて、それを認識して、行動する。
 人間がその一連の動作を行なうのには、どんなに訓練しても、予見しても、約0.1秒の時間がかかる。
 訓練していても不意を突かれたり、不慣れな行為ならば、約0.5秒はかかる。
 そもそもの現象が認識しづらかったり、すべき行動が複雑ならば、当然かかる時間は更に増加する。
 つまり。
 仮に時間を止めて事態に対応できる能力があったとしても、その行動には必ずタイムラグが発生してしまう。
 暁美ほむらが、何か異常事態から脱出しようとした時には、もう、時計は進んでいる。


「きゃあああああああああああああああああ!!?」
「くまあああああああああああああああああ!!?」


 暁美ほむらと球磨の二人の影が、白んできた空に舞い上がっていた。
 薄い月の姿が、回転する視界をせわしなく下から上に駆け回っている。
 森の地面は遥か下。
 島の全体が見渡せそうな高度まで、彼女たちは放り投げられていた。


 一瞬前の過去を帳消せたら――。
 暁美ほむらは今まで何度そう思ったか知れない。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
「熊ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」


 この事態に人心地ついた時、もうそこは最高高度だった。
 あとは背後の少女と一緒に地面へと落ちるだけ。

 魔法を使うしかない。
 でも、時間を止めれば、自分に触れているこの少女に切り札が露見してしまう。

 魔法で飛べはする。
 だが、それは『飛ぶ』というより『空中浮遊』だ。
 自分の魔力はあまりに応用範囲が狭く、その絶対量が少ない。
 自分一人で浮くならまだしも、二人と艤装の落下の勢いを、着地までに完全に緩和できるかの確証がない。

 時間遡行も、遡れる先は転校するあの日と決まっている。
 少し前に戻るなんてできないし、何より先ほど試しても戻れなかった。
 今まで、砂時計の砂が落ちきった対ワルプルギス戦前後にしか遡行を試みていなかったから、これが私の魔法自体の特性なのか、この会場が魔法を束縛しているのかもわからない。

 ――そして、こう考えてる間にも、地面はもうすぐそばまで――。


「くまああああああああ!! この球磨の力をもってしてもここまでかクマああああああ!!
 提督、多摩、木曽、先立つ不孝を許してくまああああああ……!!」


 球磨は眼を固く瞑り、暁美ほむらを強く抱きしめてその時を待った。
 地面にぶつかり、艤装の重さに潰され、自分は大破轟沈するだろう。
 だがせめて、この抱きしめた少女だけでも助けてやらなければ――!!


 ――カリカリカリカリカリ……。


「……痛いわ。動けないから、ちょっと力を抜いてもらえないかしら」

 いつまでたっても、墜落の衝撃はやってこなかった。
 耳に、かすかに歯車の回るような音だけが届く。
 薄く眼を開けると、不機嫌な顔をした暁美ほむらと眼が合った。
 彼女の服装は、先程までの制服から、紫がかったグレーを基調にした衣装へと変わっている。

 二人の体は、木々の樹冠の辺りで不自然に停止していた。
 それどころか、世界全体が止まっているようだった。
 静かだった。
 光までも止まったかのように、薄暗い。
 身を囲む空気が凝り固まり、自分たちを支えていた。


 球磨が腕の力を抜くと、暁美ほむらはまるで泳ぐかのように、空中を掻いた。
 固まった空気を、自分の体で溶かしながら進んでいくようだった。
 潜水艦のように、二人は空中から地表へ潜っていく。
 地面に降り立つと、ほむらは左腕の、砂時計がついたような盾の歯車を止める。
 そして、世界は動き出した。

「……一体なんだクマ今のは……!? まるで、時間が止まったみたいな……」
「……」
「それが、ほむらの魔法なんだクマね?」
「……」

 自分の問い掛けに、ほむらは沈黙するだけだった。
 ただ背後の自分の腕を振りほどき、うつむいている。
 肯定の証だろう。
 また、それを知られたくなかったという意思の証でもある。

 電探に引っかからず自分の傍にいきなり現れたのも、時間停止の魔法を使っていたからだとすれば辻褄が合う。
 そして、彼女が説明してくれた、『願い』と引き換えに『魔女』と戦うことになる魔法少女のシステムからすれば、その魔法は――。

「……わかったクマ。自分の切り札を極秘機密にしたいのは当然クマ。
 前も言ったように、言いたくないならいいんだクマ」
「……含みのある言い方ね。何が言いたいわけ?」

 ほむらの表情は、苦々しいものだった。
 自分に秘密を知られてしまったからだけではなく、様々な後悔や自責が去来しているための表情に見えた。

「ただ言いたいのは『ありがとう』だクマ。機密が漏洩する危険を冒してでも、最終的に、ほむらは球磨を助けてくれたクマ」
「別に、自分の命も危険だったから。それだけよ」

 素直じゃないクマねー。
 条件反射のような抑揚のない返事へ、呆れ顔を見せる。
 ほむらは自分の反応を無視し、決然と話を切った。

「とにかく、この装備は確かに貰うわ。交換しましょう」
「おお、使うクマ?」
「さっきはあまりにワイヤーの力が強いので驚いたけど、これさえ使いこなせれば、空中でかなりの機動力を得られるわ。
 魔法で飛ぶこともできるけど、魔力も消耗するし、あれほどの速度は出せない。
 このカッターナイフのような剣と合わせて、地上でしか行動できないヒグマに対して戦闘手段が増えると思うの」

 決定力に乏しい現在の戦力では、ヒグマを倒す威力を得るには接近することが必要不可欠だった。
 確かに、ほむらの時間停止は魔力がある限りいくらでも持続可能ではある。
 しかし、これは息を止めながら行動しているようなもので、時間停止が長くなるほど苦しくなる。
 魔力の消費が加速度的に大きくなっていくのだ。
 加えて、停止に魔力を使っているときには、それ以外のことにほとんど魔力を使えない。
 防壁を張ったり、重機械を操作したり、そういった使途が制限されてしまう。
 だから長距離を詰める時には、走りながら息継ぎのように何度か時間停止を解除しなければならない。
 その際でも、空中から襲撃できるなら、ヒグマに気づかれ対応されるリスクが大きく減る。
 利用しない手は無かった。

「いいクマねー! さっきみたいに球磨も運んでもらえれば、空中から酸素魚雷を投下して攻撃とかもできそうクマ」
「そうね。ただ問題なのは、私の支給品に、貴女の火力を超えられそうなものが無いということよ。
 ミニチュアとはいえ、14cm単装砲と61cm四連装酸素魚雷でしょうそれは」
「……!? なんで知ってるクマ!?」
「自衛隊にもお世話になっているから。武器に関しては勉強しているのよ」


 艤装を特定され驚く球磨をよそに、ほむらは盾から淡々と武器を取り出して地面に並べた。
 自分のデイパックに酸素魚雷が詰め込まれていた時にも驚いたが、小さな盾からにゅるにゅる武器が出てくる姿もなかなか不思議な光景だった。

「私に支給されたのは、豊和工業の89式5.56mm小銃。そして、古いタイプだから貴女の方が解るかもしれないけれど、MkII手榴弾が10発よ」
「すごい! 沢山あるクマね!」
「いいえ少なすぎる。仮にこんな装備で魔女と戦いに行くなんてことになったら、恐ろしすぎるわ。替えのマガジンすらついてないのよ?」

 89式5.56mm小銃。
 日本の自衛隊に配備されている主力の自動小銃だ。サイズ的にも扱いやすいため、ワルプルギスの夜の使い魔を掃討する際には、決まってこれを使わせてもらっていた。
 ありがたいことに多用途銃剣とバイポッドがそのままで支給されていたので、戦闘以外の利便性や狙撃性能もある。
 ただ、弾薬が付属の30発分しかない。
 フルオートなど使ったら、3秒もしないうちに全弾を吐き出してしまうだろう。
 一般の陸自隊員ですら携行時にはマガジン6本は持っておくというのに、この弾薬の少なさでは3点バーストすら使用を憚られる。
 人間相手なら十分だろうが、ヒグマや魔女に対しては、牽制として使えるかも微妙なところだった。

 また、MkII手榴弾。
 『パイナップル』とも言われ、手榴弾の代名詞とも呼べるメジャーな逸品だ。
 ピンを抜いた後も差し直しができ、レバーが外れるまでは爆発しない扱いやすい手榴弾である。
 半径約10mまでの人間は殺傷可能。自作の爆弾以外で、魔女を一撃で葬れる威力を持つ武器の一つだ。
 ただし型落ち品の上、投擲から爆発までの時間差がある以上、愚鈍な魔女以外には回避されてしまう可能性が高い。相手がヒグマならばなおさらだ。
 使用場面を選ぶ必要のある難しい武装だった。

「HP弾薬のAT-4とか、FFV13指向性散弾、L16迫撃砲なんかが欲しかったわ……。
 まあ交換の約束だから、欲しかったら取っていって」

 対ワルプルギス戦に向けて用意していた武器群を思い出し、ほむらは溜め息をついた。
 時間遡行の直後に連れてこられたためか、前のループで溜め込んでいた武装が一切なくなっているのが辛いところだった。
 ……本当は、あと一つだけ支給品があったのだが、それはデイパックに隠しておく。
 ここに並べるべき物品ではなかった。

「球磨としては、ほむらの知識にびっくりしたクマ……。
 ……でも、これをもらったらほむらの武器がなくなっちゃうし、受け取りは保留するクマ。
 何か新しい装備が手に入ったら、それをもらうクマよ」
「そうしてもらえると助かるわ。素材さえあればパイプ爆弾でも作ってあげられるから、それまでツケにしておいてちょうだい」
「爆弾作れるクマ!?」

 驚愕の連続だった。
 その知識と技術の深さが本当ならば、自分たちの枷となっているこの爆弾首輪も、外せるのではないだろうか?

「できるとは思うけど、自分でやってみる気はないわ。失敗したら自分の首が飛ぶことになるもの。
 それとも、貴女がやらせてくれるの?」
「いやいや、ダメだクマ! ……それならまず、試行のできる首輪とか、工具が必要になるんだクマね」
「そうよ。それには、さらなる仲間の協力が必要。それも、ただの烏合の衆ではなく。
 明確に脱出を意識して統制の取れる、いわば『軍』を作らなくてはならないわ」
「艦隊、クマね。脱出にはヒグマと主催者を倒す必要もあるからクマねー」

 顎に手を当てて頷く球磨を、ほむらは観察する。

 彼女が、本当に日本海軍の軽巡洋艦の生まれ変わりだとするなら。
 軍属経験は豊富。
 戦闘能力も十分。
 実年齢は80歳以上。
 時間停止の魔法のことを知っても、それを広めたり、私を出し抜こうとするような素振りは見られない。
 思春期の魔法少女たちのように、些細な事態で協調が乱れるようなことになならないだろう。
 見かけによらず、味方としてはかなり信用のできる人材なのではないだろうか。


 思い返すのは、かつての仲間たちだ。
 皆、私の友人。
 巴マミも、美樹さやかも、佐倉杏子も。そして勿論、まどかも。
 でも『友人の集まり』は、意見がすれ違う。簡単にケンカになる。
 何度私は彼女たちと協力し、何度彼女たちと仲違いしただろう。

 私はもう、誰にも頼らない。
 今は、まどかだけが、私のたった一人の友達。
 共に戦う仲間に、友情は必要ない。
 ただ命令系統と、連携の取れる符丁と打ち合わせがあればいい。

「……この殺し合いに対しての反乱軍を、早急に作りましょう。私たちの叛逆には、それが必要よ」
「ふふふ、ほむらが提督クマか? 了解クマ。なら、球磨が秘書艦にでも、なってあげるクマよ」

 会話をしながらどこか遠くを見ているほむらに、球磨は少し微笑んだ。


 ――ほむらは、どれだけ多くの死を、見てきたのクマか?


 魔法少女の魔法がその少女の『願い』から生まれるのならば、暁美ほむらには、『時間を操ってでも成し遂げたい何か』があったのだ。
 灰へ。
 灰へ。
 砲火と雷撃を浴びて、水浸く屍となった僚艦を、球磨は嫌になるほど見てきた。
 戦時中も、生まれ変わった今でも。
 轟沈の間際の友たちの、竜骨を震わせるような口惜しい眼差し。
 望みを閉ざされ、炎に翻る旗が焼けてゆくあの妙に間延びした時間。
 火災の煙とともに灰となるその断末魔も、どれだけ深く耳に刻まれているかわからない。

 眼を離した一瞬に、背後で命は酩酊のように消え去る。
 あの時間を止められれば。巻き戻せるのならば。
 壊れた蓄音機のように閉じたループを繰り返してでも、その命を取り戻せる再生点を見つけたくなるかも知れない。

 彼女は『立ち止まる』ことができない。
 世界が止まっても、ただ一人、彼女の時間だけは止まることができない。
 背負った荷物を降ろそうにも、彼女だけでは積み下ろしの時間も作れないのだ。
 重荷を背負いながらひたすらに歩き続ける、二宮金次郎のような子だ。
 誰かが傍について、その勤勉な彼女の積み下ろし作業を、手伝ってやらねばならない。


 ――球磨はほむらよりお姉さんだから、手伝うのは当然クマよね。


「秘書ね……。悪いけど、そんなに参謀役が得意そうには見えないわ」
「お、なめるなクマよ。球磨は『意外に優秀なクマちゃん』って、よく言われるクマ」
「ふふ……。期待させてね」

 結ばれた口元が、微かに緩んだように見えた。
 そういえばそれは、ほむらの口から聞いた、初めてのお願いでもあった。


    ○○○○○○○○○○


 なんだか、ふわふわしてた。
 体があったかくて、ぽーっとして溶けちゃいそうだった。

 私を守ってくれた、格好いい男の人。
 汗臭いけど、胸には厚い筋肉がついてて。
 がっしりした腕で、私を抱きしめてた。
 さっきまで、怖いクマさんを見てドキドキしてたけど、この人を見てたら、もっとドキドキしてくるみたい――。

 でもその人は急に、私を突き飛ばした。

「おい、いつまでもボケッとしてんじゃねえよ! 自分でしゃんと立て!」

 あんまりにも突然のことで、私は尻餅をついたまま、目をパチパチさせるだけだった。
 その人は、いらいらしたみたいに頭を掻く。
 そして私の前に屈んで、低い声で言った。

「お前が怖いのはわかる。あいつら巨人に、立体機動装置もないオレらが勝てるわけがない。
 だが、お前も男だろ? ここは戦場だ。次も助けてやれるとは限らねえ。
 自分自身で、しっかり考えて行動しろ!」
「え、お、おと……?」

 聞き間違いじゃないだろうか。
 今、私を、この人は、男だって言った?

 口をわななかせる私を、その人は暫く見つめていた。
 でも、だんだんその顔は赤くなっていって、最後には眼を逸らして立ち上がってしまった。

「ああ、ったくよぉ! お前はその女々しい態度を早くどうにかしろ!
 あんなバケモノから生き残るには、お前みたいなウジウジネコ野郎でも協力してくれなきゃ困るんだよ!
 ほら、安全なとこで支給品出すぞ! お互いに使える武器を探さねえといけねえ!」

 投げ捨てるように言葉を叫び、私の手をつかんで引っ張っていってしまう。
 ひどいことに、私が男と思われているのはどうやら間違いないみたい。
 悪い人ではないんだ、たぶん。
 殺し合いだって言われたのに、私のこと、助けてくれるし。
 怖いクマさんからだって、守ってくれたし。

 ……だったら私って、やっぱり女の子っぽくないのかな。
 せめてアイドル部のトレーニングウェアじゃなくて、音ノ木坂の制服を着て来てれば、女の子に見られたかな……。
 スカートも似合わなくて。髪も短くて。
 女の子らしい趣味もなくて、運動ばっかりしてたし。いつも家ではズボンだったし。


 ――私にアイドルなんて、無理だったのかな。


 ジャンさんは森の茂みに隠れて周囲を見回す。
 どっかりとあぐらをかいて、デイパックの中身を目の前に並べ始めた。

「おい、ネコ野郎。お前、名前は? オレは元第104期訓練兵団所属の、ジャン・キルシュタイン。出身はトロスト区だ」
「にゃ、しょ、所属?」
「……お前がどんな人間なのか訊いたんだよ。まあ見た目からして訓練兵じゃないだろうが。ここに連れてこられる前、何やってたんだ?」

 ジャン、という名前のその人は、おでこにシワを寄せて睨んでくる。
 私があんまりもたついてるから、怒ってるんだきっと。
 訓練兵団ってことは、自衛隊とか軍隊を目指してる人なのかな。

「え、えと。名前は凛。星空凛。音ノ木坂学院の一年生で、アイドル部をしてる……にゃ」
「アイドル……? その職業訓練か。リン、アイドルって一体なんだ?」

 アイドルを知らない?
 今、スクールアイドルみたいに、日本ではすごくアイドルが流行っているのに。
 名前も外国人みたいだったし、どこか違うところから来たのかな。あのクマさんのことを知ってたみたいだし。

「にゃ……。なんというか、歌や踊りで、人を元気にして、応援するようなお仕事、かな……?」
「応援団か……。なるほど。ウォール・マリア内にはそういう文化が無かったが、他の人類の居住区ではそんな巨人対策も採られてるんだな。
 兵団の士気を上げるには、確かに有効な職業かも知れねえ。すごいな」

 なにかすごく勘違いされた気がするけど、ジャンさんの言っている意味が良くわからないので訂正のしようもない。
 それに、今の私は、そんな立派なアイドルになるのは無理だもん。
 目の前で話して、抱きしめられて、それでも男の子に間違えられるなんて、お笑いだよ。

「……すごくなんてないよ。特に、凛はもう、アイドルの資格がないにゃ……」
「何言ってんだ。お前はいい体してるじゃねえか」
「い!? いいカラダ!?」

 思わず身を引く。
 その反応にジャンさんの方も、急に顔を赤くしてたじろいでいた。


「あ、いやヘンな意味じゃねえよ! ただ何と言うか。
 さっき巨人から守ってた時にさ、細っちいのにかなり鍛えてるみたいで、無駄な肉がなかったからよ」
「あ、あはは……。ありが、と、う……」

 うん。褒められたみたいだ。
 ひどい方向で。
 無駄な肉、ナイよね。わかってるもん。
 のぞみちゃんや絵里ちゃんとかの先輩方とは比べるべくもないよね。
 男の子みたいに、胸、薄いんだよね。
 ……わぁい。

 なんだか悲しくなってしまって、私はジャンさんの見てる前だというのに、ボロボロ涙を零していた。

 ――ああ、帰りたいにゃあ。
 音ノ木坂のみんなと再会したい。
 なんかもう、凛は早々に、疲れちゃったにゃ……。


    ○○○○○○○○○○


 前回のジャン・キルシュタイン!!

 辛くも奇行種のヒグマ型巨人の捕食を逃れ、ようやく安堵したと思ったら!
 なぜかオレ、ジャン・キルシュタインは、守ってやった男にときめいていた!
 オレはホモじゃねえ! 断じて違う! こんなこと思ってる自分が気持ち悪い!


 こいつがこんな綿菓子みたいなとろけた顔してるのもいけない!
 声もなんか男にしては鼻にかかっててくすぐったいし!
 ってわけで、オレは毅然とした態度で戦場訓を教えてやった!
 それでも男は、恐怖が残ってるのか潤んだ瞳のまま! やめろ、そんな眼でオレを見るな!
 こいつと一緒にいると平常心が乱されそうだったが、協力者がいないことにはまともに戦えねえ!
 オレはとにかくその男、リン・ホシゾラと情報交換することにした!


 そいつがやってるアイドルってのは面白そうな職業で、実際、奴の体つきは意外としっかりしてた。
 筋肉のバランスがいい。体幹の安定感はオレよりありそうだ。
 森に来るまでの歩き方からして、機敏性、柔軟性なんかも相当鍛えてるんだろう。
 もっと恐怖心とかない普段の状態で立体機動を教え込んだら、サシャとかコニー以上の動きにはなるんじゃないだろうか。
 普段から兵士を送り出してるなら戦いも見慣れてるだろうし、武器を取りさえすればかなり戦力になってくれるはずだ!
 そう思って、オレはリンのこと、褒めてやったんだよ。
 そしたら――。

「あ、あはは……。ありが、と、う……」

 ぐすっ。ぐすっ。
 大粒の涙が、森の下草に落ちていく。

 泣き出しやがった――。

「お、おい、お前! どうしたんだよ急に!」

 緊張の糸が切れた、とかいうやつか? 戦場に立つのは初めてなのか?
 オレだって、初めて巨人を目の当たりにしたときの恐怖は、今回のヒグマ型巨人の比じゃなかった。こいつの怖がりようも理解できる。
 あくまで優しく対処してやらなきゃ。

「大丈夫だ。立体機動装置さえあれば、オレがあんな巨人、駆逐してやるから!
 お前だって、その体ならいい戦いができるはずだ!
 怖がる必要はねえ。男なんだからよ」

 肩に優しく手をかけて、励ましてやったってのに、いよいよリンの涙は激しくなった。
 『ジャンさんが慰めてくれてるのはわかってるから』とでも言うように必死に頷いているが、口に手を当てて、えずき始めてる。
 マジ泣きだ。勘弁してくれ。
 お前にそんな眼で見られたらこっちまで胸が苦しくなってきちまうじゃねえかよ。

 何にしてもこれじゃあ支給品の確認どころではない。
 泣き止むまでおたおたしっぱなしだ。
 やべえよ。なんで男の泣き顔見て股間が痛くなってくるんだよ。
 やめてくれ。オレは変態じゃねえ。
 こんなとこミカサとかアニとかに見られたらどう思われるんだ。
 まるっきりオレがいじめたみたいじゃねえか。メタクソにしばかれちまう。
 それどころか、ヒグマとか巨人に見られたらもっとやばいじゃねえか!
 ……誰か、助けてくれよ……。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
「熊ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」


 その時、上の方から、すさまじい悲鳴が聞こえてきた。
 驚いて見上げれば、空中をきりもみして飛んでいく一塊の人影。
 二人の女子が、もつれ合って吹っ飛んでるみたいだ。
 その後ろに見えるワイヤー。
 あれは――。

「立体機動装置だ!!」

 間違いない。
 大方、初心者が身に着けて、あまりのワイヤーの牽引力に操作できなくなったってところか。
 それにしてもひどい。全く姿勢制御ができてない。訓練初日のエレン以下だ。
 ガス噴射でフォローする方法も知らないっぽい。
 あれでは墜落だ。
 死んだらオレが装置を使ってやるけど、胸クソが悪くなるから、目の前で死ぬんじゃねえ!

「……ああ、クソッ。おい、リン、今のやつら助けに行くぞ!」
「あっ……、あっ、待って……」

 取り出しかけてた支給品をまとめて、オレはリンの手を引いて走り始める。
 あいつらが落っこちた、だいたいの方向はわかった。
 運よく木に引っかかったりしてれば助かってるはずだ。

 空中になびいてたつややかな黒髪。
 あの一瞬でもはっきりわかった。
 髪を切る前のミカサみたいな、とても綺麗な黒髪だった。
 女の子ってのは、やっぱりああいうおしとやかな髪型が似合う。
 もう一人の子も、ロングの栗毛がなかなか素敵だった。

 彼女たちを助けられるなら、俄然張り合いが出てくるってもんよ。
 だからこの胸の高鳴りも、その期待からくるものだ。きっと。
 断じてオレはホモじゃないから。
 男に惚れたとか、そんなバカなことは、あるはずねえんだ!

 オレはそう考えながら、脇目も振らず走っていた。
 リンと繋いだ手が温かくて、なんだかどこまでも走って行けそうだった。


    ○○○○○○○○○○


 暁美ほむらと球磨が支給品と方針の吟味を終えようとした時、近くの木立から大きな足音が聞こえた。

「ああ、良かった! 助かってたみてえだな!」

 振り向いてみれば、軍服らしいものを着た金髪の男が、片手に拳銃を持ったまま、涙目の少女を無理やり引っ張って走り寄ってきている。
 切れ長の鋭い目つき。一見して悪人面だ。
 少女は緩いTシャツに七分丈のズボンと、運動着のような格好だったが、内側のタンクトップと合わせて、襟ぐりが大きく開いてしまっている。
 要するに、着衣が乱れているのだと思えた。

 暁美ほむらは即座に時間を停止し、89式5.56mm小銃をその男に向けた。
 停止解除と共に冷ややかに言い放つ。

「止まりなさいそこの不審者。近寄るなら撃つわ」
「流石の判断速度クマ。女の敵は撃っちゃっていいと思うクマ」
「わー!? やめろ、やめてくれ! オレは敵じゃねえよ! 殺し合いにも乗ってねえ!」
「私は冷静な人の味方で、無駄な我欲に走るバカの敵。あなたはどっちなの?」

 軽蔑の眼差しで14cm単装砲を構える球磨と共に、明らかな敵意を向けて男を詰問した。
 男は慌てて、隣の少女に助けを求めている。

「リ、リン、お前からもなんか言ってやってくれよ! オレらは冷静だよ、冷静!」

 とても冷静に見えない真っ赤な顔とお粗末な呂律だ。
 隣の少女もすぐに泣き止むことができず、お話しにならない。
 だが、この少女がそれほど男に嫌悪感を抱いているようには見えなかったので、男は今のところ安全なオスなのだろうとは判断できた。
 ほむらは球磨と目配せして、銃口を下ろす。


「……まあいいわ。どうせヒグマから命からがら逃げてきた、とかそういうことでしょう」
「奇しくも同じ想像をしたクマ。ならいいクマよね。早速、僚艦もとい仲間が増えたってことクマ」
「わ、解ってくれたか……。いや、吹っ飛んでくあんたらを見たからよ、助けようと思って来たんだ」
「余計なお世話だったわね。そういうことは不審者の疑いを払拭しきってから言ってほしいわ」


 ジャンは流石にたじろいだ。目の前の少女たちの険悪さは尋常ではない。
 彼女たちを助けたら助けたで、感謝とともに立体機動装置を譲り受けるというシナリオまで描いていただけに、このギャップのショックは大きい。
 まごついて二の句も継げないジャンに、黒髪の少女は事務的に自己紹介を始めた。

「私は暁美ほむら。こっちは球磨。私は魔法少女で、球磨は……ええと、かんむすだったかしら」
「艦娘で合ってるクマ。元大日本帝国海軍所属、球磨型軽巡洋艦一番艦の球磨だクマ」
「ええと、クマが、軍の人? で、アケミが、魔法使い? おとぎ話とかじゃなくて本物の?」
「そうよ。さあ、あなたはいつまで不審人物のままでいるつもり?」

 ようやく自己紹介を促されていたことに気づき、ジャン・キルシュタインは自分と星空凛の紹介をする。
 涙は落ち着いてはきたが、いまだに凛はしゃくりあげていて話せる状況ではなかった。

「おぉー。凛ちゃんはアイドルクマか。帰ったら那珂ちゃんにダンスのお手本でも見せてやってほしいクマ。
 まぁ、そんなむさい男のとこいるより、お姉さんのとこに来るクマよ。怖いことがあったのなら何でも言ってみるクマ」
「元第104期訓練兵団所属、ね。軍属の経験があるなら話は早いわ。私たちは主催者を倒して脱出するための軍隊を作ろうと思ってる。
 あなたも仲間を見つけて脱出したいのなら、協力しなさい」

 球磨は凛をジャンから引き離して連れて行ってしまい、即座に暁美ほむらが協力を要請してくる。
 それも、依頼ではなくほとんど強制だ。
 男に口を挟ませない、女の強権。まさしくミカサとアニにでも責め立てられている気分だった。
 苛立ちを強く感じる。先ほどから扱いが不当すぎるのだ。
 ジャンにはその扱いの理由すらわからない。

「……あのなぁ。協力して戦うのはやぶさかじゃねえし、オレとしても大歓迎だぜ。
 だがよ、オレ達の誰にそんな決死軍の指揮が執れる?
 まぁ、指揮ができたところでオレらじゃヒグマをどうにもできない……。おそらく主催者の周りには3~4m級のヒグマがうようよ控えてるぜ?」
「指揮は私が執るわ。あなたたちは単に私の作戦に従ってくれればいい」
「大層な自信みてえだが、オレには戦える武器がねえんだよ!」
「あなたの持ってる銃は何よ。スターウォーズのピストル型ブラスターでしょう?
 映画どおりに使えるなら、最大殺傷力の爆発を発生させても100発は撃てるわ。十分じゃない」
「ダメなんだよこれじゃあ! ヒグマ型巨人には効かねえ! あんたの着けてる、立体機動装置が欲しいんだよ!」

 半ば口論めいた会話の最後に、ジャンは暁美ほむらの下腹部を指しながら叫んだ。
 魔法少女衣装のスカートから、立体機動装置のベルトが覗いている。
 ほむらは一度、自分の足元をまじまじと見た後、急速に顔を赤らめた。

「何を言っているのあなたは! やはり変質者だったのね!」
「ちげーよ!! 俺はその装置を使って巨人を『削ぐ』ための訓練をしてきた!
 てめえには守りたいモノなんてねえのかもしれねえけど、オレにはお遊びで戦ってる暇なんてねえんだよ!」
「なっ……!?」

 少し離れた場所で星空凛の頭を撫でていた球磨は、ジャンの叫びの一文を、耳ざとく聞きつけた。
 それは少し前に、暁美ほむら自身が球磨に詰め寄った時の文句だった。
 ほむらは、その言葉をそっくりそのまま返されたのだ。
 ――ジャンくん、それ以上はいかんクマ。そこはほむらの逆鱗クマ!!

 絶句した暁美ほむらに、ジャンは続け様に苛立ちをぶつける。


「言わせてもらうが、てめえの立体機動は見てらんねえ。見かけだけはミカサに似てるが、てめえには才能のかけらもねえよ。
 オレはむしろ教えてほしい。あんな無様な姿を晒しておいて正気を保っていられる秘訣とかよぉ……。
 てめえがこの銃とか、オレの他の支給品を使えばいい。
 努力すれば立体機動装置を使えると思ってんのかも知れねえが、てめえはいつまで繰り返しても無理だね。
 それじゃあ誰も助けられねえ。脱出もできねえよ」

 ほむらの顔は一瞬真っ赤になったあと、静かに青ざめる。
 スカートの裾を両手で思い切り握り締めて、彼女は震えていた。

「……」
「あーすまない、正直なのはオレの悪いクセだ。気ぃ悪くさせるつもりも無いんだ。
 あんたの考えを否定したいんじゃない。どう戦おうと人の勝手だと思うからな。
 オレは単に、あんたの立体機動装置を使わせてほしいだけだ。これで手打ちにしよう」

 ジャンはほむらへブラスターガンを差し出す。
 暁美ほむらは、俯いた顔の下で、薄く笑ったように見えた。

「……ええ。そうね」
「よし、なら決まりだ。オレの支給品で他に使えそうなのがあったら持ってってくれていいから、交換しようぜ」
「……私の方も、教えてもらおうかしら。
 あなたがこの装置を使えば、守りたい物を助けられて、この繰り返しから脱出もできるんでしょう?」

 ジャンは自分の目を疑った。
 眼の前にいたはずの少女は、その言葉を言い終わった瞬間に、忽然と姿を消していた。
 そしてふと、首筋に冷ややかな感触を受ける。
 背筋に悪寒が立ち上った。


「是非とも、知りたいものね。その方法を」


 暁美ほむらは、いつの間にかジャンの背後に立ち、その首筋に、逆手に持ったナイフの刃を当てていた。

 ――まさか、これが魔法か!?

 ジャンの思考を許さず、暁美ほむらは耳元で艶やかに言葉を紡ぐ。

「勝負をしましょう。この装置をあなたに貸すから、それで私を倒しなさい。
 私はこの多用途銃剣しか使わないわ。あなたは装置以外にも、そのブラスターガンでもなんでも好きに使えばいい。
 あなたが勝ったら、装置は譲るし、私たちをどうとでも好きにすればいい。変質者。
 私が勝ったら、あなたの支給品は全てもらう。あなたは一人でヒグマの餌にでもなっていればいい。
 大したご意見をのたまうくらいなんだから、私くらい造作もなく倒せるんでしょう?
 あなたがそれだけ言えるという証拠を見せなさい。ジャン・キルシュタイン」

 ほむらがナイフを外すと、ジャンはへなへなと地面に崩れ落ちた。
 何をされたのか一切わからなかった。
 催眠術だとか高速移動だとか、そんなチャチなものでは断じてない。
 もっと恐ろしいモノの片鱗を味わった気分だった。

 球磨が星空凛を連れて二人のもとに走りよってくる。

「ジャンくん、やめるクマ! ほむらの魔法は……」
「球磨! 貴女は黙っていて。これは私とジャン・キルシュタインの問題。
 大丈夫よ。星空凛もいることだから、殺しはしないわ。
 ただ、貴女たちの言うところの、『大破』くらいはしてもらうかもしれないけれど……」

 笑みを張り付けるほむらの目つきは、深海棲艦のように黒く濁っていた。
 ジャンという青年は、彼女の情念をどれだけほじくり返してしまったのだろう。
 うずくまるジャンの方に屈みこみ、どうにかこの勝負を反古にすべく、声をかけようとした。


「……いいぜ。アケミ・ホムラ。その勝負、受けて立ってやるよ」
「わかったわ。向こうで装置を脱いでくるから、待っていなさい」
「な!? なんでクマ!? ジャンくんが勝てる訳ないクマ!!」

 ジャンの返答に、球磨は驚く。
 しかし、彼の眼差しは決して自棄になったようには見えなかった。
 ほむらはその間一切振り向かず、淡々とその場を離れていく。

「アケミは言語力まで残念だな……。あれで発破かけたつもりでいやがる……」
「どういうことクマ!?」
「部隊を組む前に、お互いの実力を測ろうってことだろ?
 かなり気ぃ悪くなっちまったみたいだが、それでも根っこはまだ冷静だ。
 無駄な戦死者を出す前に厳選しようってことだと思う。
 伊達に指揮官を名乗ろうとしてはいねえな……。オレが指揮したら、何人死なせるかわからねえ」

 あの状況で、この青年は暁美ほむらの行為を分析していた。
 只者ではない。

「でも、ほむらがどこまで本気かわからないクマ! 本当に半殺しにされて放り出されるかも知れないクマよ!
 怖くないのクマか?」
「は? 怖いに決まってんだろ、あんな魔法。別にアケミが怖くないから勝負を受けたわけじゃねぇよ。
 いいか? あいつが言ったように、こんなとこで負けるようじゃ遅かれ早かれヒグマの餌になって死んじまうんだよ。
 せめていい勝負に持ち込んで、あの指揮官殿に、認めてもらわなきゃいけねえ」

 ジャンの眼差しは震えていた。それでもなお、言葉の芯はぶれない。
 優秀な兵士だ。
 恐怖を知り、それでもなお、その壁を乗り越えようとしている。
 ジャンはほむらが去ったのと反対側の木陰に移動し、支給品を物色し始めた。


「あ、あの……。二人とも、どうなっちゃうにゃ? 悪い人たちじゃないのに、どうして戦いなんて……」

 涙の収まった後も二人の語気に圧されて動けなかった星空凛が、ようやく口を開いた。
 球磨はその肩を掌に包んで、諭す。

「はっきりとは解らないクマ。でも二人とも、真剣に考えた末での結論だと思うクマ。
 凛ちゃんもしっかり見とくクマよ。生き残るためには、認められるためには、こういう戦いをする必要もあるんだってことを」

 まっすぐな想いが、みんなを結ぶ。
 本気でも、不器用。ぶつかり合うココロ。

 星空凛は自分達μ’sの歌う、ある歌詞を思い出していた。
 ――わかってる。楽しいだけじゃない。試されるだろう。
 ――わかってる。だって、その苦しさも、ミライ行くんだよ。

 自分が巻き込まれたこの殺し合いは、きっと試練なんだ。
 極限の状況でも、自分と仲間を信じて、生き抜けるか。
 それはたぶん、程度の違いこそあれ、アイドル生活でも同じことだ。

 開いているはずの何万もの航路を見つけられるかは、ほんのちょっぴりの気づきの差でしかないだろう。
 こうして仲間がいて、本気のココロをぶつけ合えるなら、そのミライにも、きっと飛べる。
 認めてもらいたい。
 この仲間たちに。ジャンさんに。
 自分だって素敵な女の子で、アイドルなんだって、気づいてほしい。


「……集まったら、強い、自分になってくよ――。
 きっとね、変わり続けて、We'll be star――!」

 凛の口を突いた囁きのような歌は、透き徹る霧笛のように、球磨の胸にも沁み通った。
 この少女も、強い。
 先ほどまで泣いていたのが嘘のようだ。
 恐怖の涙ではなかったのだ。自分へのやるせなさか、悔しさか。その心を変えるための涙。
 涙の晴れた彼女の声は、どこまでも届くような気さえした。

「……いい声クマ。凛ちゃんみたいな可愛い女の子が伝令してくれたら、いつでも戦えそうクマ」
「凛、女の子らしく、見えるかにゃ?」
「なんで女らしくないことがあるクマか。那珂ちゃんに爪の垢を持ち帰ってやりたいくらいクマ」

 少女は、照れくさそうに髪を掻いて笑う。
 その二人のもとに、ほむらは立体起動装置を抱えて戻ってきた。

「球磨。これを彼に渡してちょうだい。あと、立会人と周辺の見張りもお願いするわ。
 勝負中にヒグマに襲われるとか、本末転倒だから」
「秘書艦遣いが荒いクマねー。まあ了解クマよ」
「あ、あの、ほむほむ!」
「……ほむ、ほむ?」

 淡々としていた暁美ほむらの雰囲気が、一瞬、星空凛の呼びかけで乱れる。
 聞き慣れないあだ名をつけられたことに戸惑ったのだ。

「ジャンさんは、悪い人じゃないにゃ。彼はどうせボロ負けするかもしれないけど、助けてあげてほしいにゃ。
 ね、クマっち?」
「うん、例え口だけの足手まといでも、いてくれたら何かと役に立つはずクマ」

 にこやかにジャンをけなしながら命乞いをする二人へ、どう返答すべきなのか。
 しばしほむらは呆れて物が言えなかった。

「……約束を違えるつもりはないわ。あれだけ協調性のない人物が、戦闘にも使えないようなら居る価値はない。
 甘ったるい友情は隙を生むし、蛮勇は油断になる。この戦いはもっと厳格になるべきよ。
 だから星空凛、あなたも自分のできることは早く見つけておきなさい」
「うん、わかったほむほむ。だからジャンさんは助けてね!」
「……調子が狂うわ」

 ほむらは踵を返した。
 吹っ切れたような星空凛の明るさに、ついていけない。
 ジャン・キルシュタインを待ちながら、自分の心に舞い上がった沈殿物を、今一度観察する。


 まどかと交わした約束。
 彼女を救うことが、私に残された最後の道しるべだ。
 ジャン・キルシュタインが、どんなものを背負っているのかは知らない。むしろあの発言は、球磨の言うように舌の弾みだった可能性の方が高い。
 だが、私と同じように彼が、何度も何度も、越えられない塀を、壁を目の当たりにし、ぶつかってきた人間なのだとしたら。
 私が迷い込んだ出口のない迷宮に、再生の地を見せてくれるかもしれない。


 感謝するわ。美国織莉子。

『私は貴女とは違う。道が昏いなら自ら陽を灯す。違う道に逃げ続ける貴女が私に敵うはずがない』

 私も貴女と同じ地平に立ったわ。
 この時間軸ではもう、アンドゥもリドゥもできない。越えてきた分岐を遡る術はない。
 砂時計が落ち切るまで私が生き残れるという保証もない。

 だから見極める。
 道が昏いなら自ら道になる。目を閉じても目的地まで歩き抜けるくらいに、行程表を練り上げてみせるわ。
 それができるだけの素材は手元にある。貴女の言う違う道で、数多の異なる分岐を選びながら、その行程を立てられるだけの判断基準は揃えてきたつもりよ。
 どんな手を使ってでも、私は正しい分岐を選ぶ。
 いや、私の選んだ分岐を正しい道に整備する。

 期待させてね。ジャン・キルシュタイン。
 あなたの提示する選択肢が、あの再会の日に続いていけるのか、私に見極めさせて――。


    ○○○○○○○○○○


 嫌に決まってんだろ。命懸けの勝負なんか。明日から内地に行けたっつーのに!!

「あー……、クソッ。やっぱり使い方のわからねえモンばっかだ……」

 変な広がり方をしているデイパックの中をまさぐっても、基本的な支給品以外はまったくもって見慣れない代物しか出てこなかった。
 かろうじて使えるのは引き金を引くだけでいいブラスターガンぐらい。
 本当に、これは自分用の支給品だったのかすら疑いたくなる。
 やはり物知りそうなアケミやクマと穏便に交換した方が良かった。
 勝負に乗じて殺し合いに乗る、なんて手も考えられなくはないが、どう考えても返り討ちの公算が強い。あの機関銃だの大砲だので蜂の巣にされて終わりだ。
 その上、ヒグマに囲まれてる中で参加者同士仲間割れなんて、バカの所業以外の何でもない。
 抜き身すぎる自分の性格が嫌になる。

「ジャンくん。立体機動装置、もって来たクマよー」
「ああ、ありがとう、クマ。リンはようやく落ち着いたみたいだな」
「うん。凛はジャンさんに認められるよう頑張るから、ジャンさんはほむほむにボロ負けしても頑張って食い下がってね!」
「励ましになってねえよ応援団……」

 はにかむ凛へ苦い表情を見せながら、ジャンは立体機動装置を受け取った。
 球磨はまるで、特攻に挑む友軍を見送るかのような、なんともいえない顔をしている。

「ジャンくん。ほむらは本気みたいクマ。死んでも骨は拾ってあげるから安心して往くといいクマよ」
「あんたら本当ひどいな!? もうちょっと言いようはねえのかよ!!」
「ジャンくんの勝てる未来が浮かばないクマ。
 まあ、この装置に、球磨たちの予想を逸脱したすごい機能があるのかも知れないクマけどね。
 ほむらもきっと、それを期待しているクマ」

 一転して真剣な表情で発言を切り込ませてくる。緩急と間の抜き方が実に上手かった。
 何人の兵士連中をあしらってきたらこのような人物ができあがるのか、ジャンは切に気になった。
 ひょっとするとアケミもそうだが、このクマという少女は、見た目よりも遥かに長い年月を生きているのかもしれない。

「……わかった。その期待に、沿えってことか」
「その分、期待はずれだった時のことが怖いクマ。骨も残らず雷撃処分になるかも知れないクマねー」
「やめてくれ不安を煽るのはよ!!」
「まあ、球磨お姉さんもジャンくんに期待しているクマ。せいぜい頑張るクマよ」
「うん、凛も一応期待してるにゃ!」
「……」

 おどけた煽りから、優しい眼差しで肩を叩く切り替えの早さ。
 完全に彼女に会話のペースを持っていかれていた。
 潤滑油か、かすがいか。
 この軽巡洋艦を名乗る少女が居れば、どんな協調性のないメンバーも纏まるのではないだろうか。
 そんな安心感すら感じさせた。

 二人の視線を受け、迫る勝負に向けた緊張に、鼓動は早くなる。


 全員、オレを買いかぶりすぎだ。オレが啖呵を切ったのが一番いけないんだが。
 立体機動装置には、空を飛んで肉を削ぐ以外の機能はない。その点では、アケミたちの予想は超えられない。
 だが、オレには、この装置の機能を最大限に引き出せるだけの技術はある。
 死に急ぎ野郎とは違う。オレは現実を見る。
 今、何をするべきか。
 それは自力でアケミ・ホムラの魔法を理解し、対応してみせることだ。
 オレの戦況への対応力と実力を、彼女は測りたがってる。
 アケミは十分すぎるハンデをくれた。それでも殺しに行く気で挑まなきゃならないが、あの機関銃を持ち出されたら一発で終わりだったところを、ナイフ一本だけにしてくれた。
 加えて、オレの裏に回ったあの時。あれは、わざわざオレに、一回だけ自分の手の内を見せてくれていたことになる。

『これで理解しろ。これを見ても対処できないならば、戦闘に加わるのをあきらめろ』

 あれはたぶん、そういうメッセージなんだと、オレは受け取った。
 ツンツンしてはいるが、思いやりのある、可愛い女子じゃないか。認識を改める必要があるな。


 そこまで考えて、ジャンは、自分が今装着し始めている装置が、まだ人肌の温もりを持っていることに気がついた。
 暁美ほむらが、先ほどまでその身に着けていたのだから当然である。
 気づいた瞬間、全身の血流が逆行したような感じがした。

「……うわぁ……。いくら健常な青少年の生理現象とはいえ、流石に引くクマ」
「うるせぇよ!! あんたはうちのクソババァか!? 人の着替えそのまま見てんじゃねえ!!」
「百年の期待も冷めるから、勝負前までに早く直すクマよ」

 両手で顔を覆って赤面する凛を連れ、球磨は厳かな表情でその場を後にした。
 ジャンは焦って叫びながら、帆のように張ったズボンの股下を直すのに必死だった。


    ○○○○○○○○○○


 部隊の面子は揃い始めた。
 だが不安要素は多い。

 確かな実力と経験を持ちながらも、コミュニケーション能力が絶望的な暁美ほむら。
 洞察力には優れているが、どうしても最後には直情的になってしまうジャン・キルシュタイン。
 明るくムードメーカーにはなってくれるが、直接的な戦闘力にも経験にも乏しい星空凛。

 それら欠点を補い合い、不安を潰すために必要な、折衝の場が今から設けられる。
 ほむらによるその開催宣言は、ジャンくんが再翻訳してくれなければ自分にも意味がわからなかった。
 この事実が、現状でこの部隊にどれだけ穴が多いかを如実に示してくれているだろう。

 公正な立会いと、見定めをしなくてはならない。
 そして、少なくとも周囲に2体は確実にいるヒグマへの警戒も。

 ――ああ、秘書艦はやることがたくさんクマね。
 でも、それをやってのけるのが、優秀な球磨お姉さんクマ。
 ほむら。軍隊には、深い友情も必要なんだクマよ?
 結局、命令系統を最後に動かすのは、友情や家族愛にも似た、その信頼クマ。
 そこからもう一度、勉強させてあげなきゃいけないクマね。

 若い兵士たちなんて、現役時代に何百人となく乗せてきたのだ。
 彼らが安心して乗っていられる、大船であろう。
 そして、彼らが無事に再会の空へ飛び立つためのサポートを。
 それができるような、母艦になるんだ――。


 球磨はその胸に擁く娘の髪を撫でながら、微笑んでその時を待っていた。


【F-8 森林/早朝】

【ジャン・キルシュタイン@進撃の巨人】
状態:健康
装備:ブラスターガン@スターウォーズ、立体機動装置
道具:基本支給品、ランダム支給品×2
基本思考:生きる
0:あぁ……クソが……最悪だチクショウ……勝負なんて……。
1:アケミに認めてもらい、クマやリンと協力して生き抜く。
2:ヒグマの前に、魔法に対処する応用力を見せなきゃならねえのか……。
3:アケミは綺麗だしクマは気配りができる。だがなんでオレはリンにときめいてるんだ!?
[備考]
※ほむらの魔法を見て、殺し合いに乗ることは旨みが少ないと思い始めました。
※凛のことを男だと勘違いしています。
※残りのランダム支給品は、『進撃の巨人』内には存在しない物品です。


【星空凛@ラブライブ!】
状態:健康、発情?
装備:なし
道具:基本支給品、ランダム支給品×1~3
基本思考:この試練から、高く飛び立つ
0:ジャンさんは、ほむほむの魔法という試練に、どうやって立ち向かうの?
1:自分がこの試練においてできることを見つける。
2:ジャンさんに、凛が女の子なんだって認めてもらえるよう頑張るにゃ!
3:クマっちは、お母さんみたいで優しいにゃ!
4:ほむほむは、『本気でも不器用』の典型例なのかにゃ?


【球磨@艦隊これくしょん】
状態:健康
装備:14cm単装砲、61cm四連装酸素魚雷、13号対空電探(備品)、双眼鏡(備品)
道具:なし
基本思考:会場からの脱出
0:周囲を警戒しながら、ジャンくんとほむらの勝負を見定めるクマー
1:ようやくほむらが心を開いてきてくれたクマー。
2:ほむら。軍隊には、深い友情も必要なんだクマよ?
3:凛ちゃんを始め、少年少女の面倒はしっかり見るクマー。
4:そういえば『私たち』って、球磨も『どうとでも好きに』される対象に入るクマ!?


【暁美ほむら@魔法少女まどか☆マギカ】
状態:健康
装備:ソウルジェム(濁り:小)
道具:89式5.56mm小銃(30/30、多用途銃剣、バイポッド付き)、MkII手榴弾×10、ランダム支給品×1
基本思考:他者を利用して速やかに会場からの脱出
0:ジャン・キルシュタインの利用価値を見極める
1:まどか……今度こそあなたを
2:脱出に向けて、統制の取れた軍隊を編成する
3:球磨には、期待できる
[備考]
※ほぼ、時間遡行を行なった直後の日時からの参戦です。
※まだ砂時計の砂が落ちきる日時ではないため、時間遡行魔法は使用できません。


No.089:第一回放送 本編SS目次・投下順 No.091:狼疾記
No.088:手品師の心臓 本編SS目次・時系列順
No.079:魔法少女/スカイステージ 球磨 No.112:Timelineの東
暁美ほむら
No.016:進撃の羆 ジャン・キルシュタイン
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最終更新:2015年02月22日 01:09