手品師の心臓 ◆wgC73NFT9I




「叫び声に火山の噴火に……。いったいここでは何が起きているんでしょうか……」

 もっともだが、今更すぎる呟きであった。
 薄汚れた白スーツの男は、蜘蛛のような四つ足で動く人形に捕まりながら、ふらふらと歩いている。
 その目の色からは、気力と体力の損耗が色濃く窺えた。

「……まあ、そこここで戦いが起きてるんでしょうねぇ。休めるところが残ってればいいんですが……」

 人形を操るもう一人の男が、律儀に返事をした。
 会話をするというより、二人とも口寂しさをどうにかしたいと感じているようだった。


 阿紫花英良武田観柳が自動羆人形の襲撃を辛くも退けてから、既に2時間以上が経過していた。
 彼らが目指しているのは、推測される自分達の位置から最も近い温泉地であるG-6である。そこでひとまず休息をとり、今後の計画を練ろうという予定であった。
 しかし、先刻の戦闘に於いてグリモルディを滅茶苦茶に走らせたおかげで、彼らは方角をさっぱり把握できなくなっていた。
 時は早朝。陽はまだ無い。
 どちらを見回しても似たような木立であり、ごくごく一般人の五感しか持たない二人は、当然の如く道に迷っているのだった。


「……もういいですから、せめて太陽が見えるまで、ここで休みませんか?」

 今まであえて言い出さなかった意見を、観柳が力無く吐き出した。
 阿紫花は立ち止まり、肩で息をする観柳と目を見合わせた。

「そうですねぇ……。アタシはともかく、兄さんは脚を怪我してますし……。
 危険ですが、背に腹は代えられませんかね……」

 何しろ見通しの利かない森の中である。
 懸糸傀儡の取り回しにも不利であるし、ヒグマの襲撃に先に気づくことなどほとんど不可能だろう。
 先の人形以上に人知を逸したヒグマに襲われた場合、今度も対処できるなどという保証はどこにもない。
 誰かの名乗りのような大音声の叫び。
 森からでも見えた火山の噴火。
 爆発の痕跡や、戦闘の形跡、複数の人やヒグマの死体も見かけた。
 近隣に危険が潜んでいることは確実なのだ。本心では、阿紫花も観柳も立ち止まりたくはなかった。

 しかし、蓄積する疲労と『今まで2時間襲われなかった』という要素が、『襲われる危険』より天秤を傾かせていた。

「すいませんねぇ。
 グリモルディが万全ならまた乗せられたんですが、敵襲を考えるとどうしてもプルチネルラ構えとかないといけませんで……」
「今更かまいません。それより、私が休んでる間もしっかり守ってくださいよ」
「そりゃあ勿論でさ」

 デイパックに腰掛けて木にもたれかかる観柳の上に、プルチネルラの腕が陰を落とす。
 その太い腕には、おなじみの棍棒。そして片手には、自動羆人形から奪った鎖付きのベアトラップを絡みつかせている。
 巨躯の背中には村田銃を引っかけて、今できる最大限の重装備であった。
 目を瞑る観柳の横で、阿紫花も同じ木に背を預ける。
 こちらは休むためだけではなく、死角を減らすためでもあった。
 デイパックを探り、三角のおにぎりを二つ取り出す。

「……アタシの支給品にはどうも多めに食料が配られてたみたいでしてね。どうです兄さん、腹ごしらえに握り飯でも」
「今は食べませんが、もらっておきましょうか」
「コンビニおにぎりの食べ方わかります?
 海苔がパリパリのままで食えるようになってるんですぜ」


 阿紫花が透明なパックを破っておにぎりを頬張るのを、観柳は気だるい眼で眺めていた。

「……はぁ。100年で奇妙な進歩をしたものですね握り飯も。
 ……この技術を持って帰って売れたら、結構儲かるんでしょうにねぇ」
「良いじゃねぇですか。是非そうしてくだせぇ。
 そうしたら、おにぎりパックの発明者を護衛したって、弟にでも自慢できますから」

 阿紫花の軽口に、ははっ、と少し笑う。
 観柳は懐へ、『鮭』と書かれているおにぎりをしまった。


 このまま帰れるなどとは、思っていなかったのだ。
 怪我を負い、消耗し、遅かれ早かれ、力のない自分は死んでしまうのではないか。
 その思いを、アシハナの言葉は軽く蹴っ飛ばした。
 少なくとも自分の眼からは、アシハナは至って冷静に見えた。上手く行かないことがあっても、観察して次に繋げようとしている。
 私なら、リスクが出たものなら大抵すぐに切り捨てる。
 それでも上手く行かないならひたすら危険の芽を潰す。
 それでも駄目なら……。
 ここに連れてこられる前の私は、窓辺でひたすら歯噛みしていた。


 人斬り抜刀斎を排除しそこねて、回転式機関砲を持ち出そうとしたあの時、私は意識を失った。
 これはある意味、好機なのだ。
 あのまま蒼紫と抜刀斎を抹殺できたとしても、『蜘蛛の巣』の製法を聞き出せるか、生産を軌道に乗せられるかはわからなかった。時間もかかるだろう。
 これは特製阿片『蜘蛛の巣』の利益のみに固執せず、さらにリスクを下げ商売の利潤を増す手法を、もっと見つけ出せという、天啓なのかもしれない。

「……弟さんも、握り飯はお好きですか」
「そうですねぇ。嫌いなガキなんていないと思いますが」

 長い沈黙を挟んで問うた観柳を、阿紫花は不思議そうに見つめる。
 観柳は笑っていた。
 夢を描く少年のような、子供のような、心底嬉しそうな表情だった。

「『蜘蛛の巣』より、客層は広いですよねぇ……。
 きっと、明治でも軌道に乗せられる……。乗せてみたい……」

 大胆な希望を追い求めるのも、この際、悪くないだろう。
 もっともっと。初めて実業家を目指したときのような新鮮な気持ちを、仕入れたい。

 観柳は胸の裡に、その三角形の心を今一度確かめた。


    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


 凄惨な死体群から眼を逸らし、宮本明は早急にその場を立ち去ろうとした。
 三人分の血だまりと、一人として動いていた機械。
 そして股間から白濁液を垂れ流して絶命したヒグマ。
 彼岸島の戦闘で飽きるほど死体は見てきたが、それらの死体群とはまた趣の異なる異様さだった。
 特に、ふがちゃん。
 機械とはいえ、数時間とはいえ、共に戦ってくれた彼女の死は、宮本明の胸に堪えた。
 結局フランドルという本名も解らずじまいであった。

 だが彼はそれでも、生き残るための姿勢をぶらさない。
 黙々と、放り投げた鮭のおにぎりと、放心したかのような若い男をデイパックに回収する。
 彼はデイパックの中の全裸の先客と対面して、素っ頓狂な悲鳴を上げていた。
 殺された三人の誰かの支給品だったのだろうか、彼岸島と同じような日本刀や丸太も運よく見つかったので身につけておいた。

 歩きながらデイパックの中へ声をかけて、男たちと情報を交換しようと試みる。
 初めに答えたのは、ヒグマを下半身の一撃で葬り去った男性であった。
 全裸の身が、野生獣のようにしなやかな筋肉を誇示している。
 彼岸島の師匠を彷彿させる、偉丈夫であった。


 男はジャック・ブローニンソンと名乗った。あだ名はブロニー。
 ケモナー。いわゆる獣の類に興奮を覚える人間なのだとも。
 日本のコミケに来てケモ本を探していたところを連れてこられ、ふがちゃんのデイパックに詰められていたのだという。
 自身も小説家を目指し、妄想に長ける明としては、ある種の共感と興味と尊敬を覚える人間であった。


「興奮するだけでヒグマが倒せるなんて凄ェよあんた!」
「興奮しなくても丸太を振り回せるアキラもスゲエヨ」
「……というか、人間も丸太とかおにぎりみたいに投げるのは大概にしてほしいんだが」

 チャックを開けたデイパックの中から、もう一つ声がした。
 明よりは年上だろうが、せいぜい大学生程度の若い男が顔を見せる。
 操真晴人。魔法使いである、と男は名乗った。
 残念ながら、土日に町中で遊んでいるただの好青年にしか見えない。
 ベルトが奇妙な形をしていることと、右手に巨大な指輪をしていることが、明の中での評価をさらに下げた。
 チャラい男にしか見えない。
 あとなんかどことなく自分と顔が似ているような気がするのも気にいらない。


「……魔法っていいますけど。さっきの戦いはブロニーさんに任せっきりで喋りもしなかったですよね」
「いきなり怪力でブン投げられて反応できるか!?
 それにあんたら、人間が死んでも平気なのかよ! 深夜の眼鏡の子なんか、わざわざ死なせたようなもんじゃないか!」
「そうですね。あなたが何もしなかったせいで」
「いやあんたらが投げたからだよね!?
 それに、詰められるときにコネクトウィザードリング以外盗られたみたいで、今は俺そんなに魔法使えないんだよ!」
「じゃあやっぱり投げられるしか役に立たないじゃないですか」
「ねぇ人間って投げて良いものなのかな!? ねぇ!?」
「ステイコーム(落ち着けよ)、二人とも」

 二人の唾液が飛び交う口論に、ジャックが裸の上半身で割って入った。
 諭すような優しい口調で、彼は晴人を見つめる。
 先ほどデイパックに回収された、血まみれのおにぎりが差し出されていた。

「ハルト。食べれば落ち着く。次はオレも投げられてやるから、な?」
「……いや嬉しくないよ! それに死体に塗れたのなんてドーナツでも食べないよ!」
「そんなことよりもアキラ、耳を澄ませろ」

 あ、俺のことは「そんなこと」なのね。 
 苛立ちとともに受領拒否されたおにぎりは、平手で弾かれて森の奥に消えていった。
 操真晴人の呟きをよそに、二人は耳をそばだてる。

『助けて……』

 か細い、小動物のような声が、三人の聴覚にはっきりと届いていた。

「今のは……! 誰かが俺たちに助けを求めてるのか!?」
「オレにはクマちゃんの息づかいも聞こえた。
 クマちゃんに襲われているのかもしれない。妄想が捗るな。……フゥ」
「頼むからデイパックの中ではかどらないで!? 服にかかるから!」

 ジャックと晴人がデイパックの中の体でもみ合っている最中、明は丸太を構えなおしていた。
 足を止めて耳を済ませている間、ジャック以外にも聴こえるほどに、その息づかいと足音は近くに迫ってきていた。
 三人の視線は、一斉に森の奥に注がれた。


 黒く大きな陰が、四つ脚でゆっくりと姿を現す。
 その陰は、何か小さなものを咥えているようだった。
 大切なものを扱うような仕草。
 ヒグマの形を見せたその陰は、まるで子供を慈しむかのように、くわえた物体をしゃぶっている。

 『鮭』。

 黒い三角形には、そう書かれたシールが貼られていた。
 先ほど操真晴人が拒絶した、鮭のおにぎりであった。

 そのてっぺんが剥けて、自重で三角形はくるくると回って落ちる。
 まっぷたつになったおにぎりパックから、海苔と白米が、天女のように滑り出していた。
 ヒグマは地面から今一度、愛おしそうにおにぎりをくわえ上げる。

 パリ。
 パリ。
 パリ。

 小気味よい咀嚼音が、三人の耳に大きく響いていた。

「こ、これ、またヒグマじゃないか!」
「ああ……。しかも、ふがちゃんと協力して折角撒いたはずの、あの時のヒグマだ。
 操真さんの話が長いから、追いつかれちまった……!」
「いやもっと速く歩いとけばよかったじゃん話しながらさぁ!!」
「うはあああぁぁぁぁぁん!!」

 晴人の叫びに、ジャックの絶叫が重なった。
 ジャック・ブローニンソンは凄まじい勢いでデイパックから飛び出し、野猿のような動きでそのヒグマの背中へダイブしていた。

「ペロペロクマちゃんカワイイよぉおおおぉおおお!!」
「でかした、ブロニーさん!」

 宮本明は勝利を確信した。
 彼は小説家を志しており、観察眼を人一倍養っている。
 先だってのジャック・ブローニンソンの動きを観察していた彼には、これから先の戦闘の結果が、まるで予知のように把握できていた。

 四つん這いのままのヒグマの首を、ジャックが上から両手でつかむ。
 そのまま半身を捻って、体向を180度入れ替える。
 交差した両手でヒグマの首を締め、背骨を極めながら、後背位でジャックの下半身がヒグマに突き立つ形となるのだ。

 ヒグマはおにぎりに夢中で、上空のジャックを視界に入れていない。
 勝てる――!


 確信に上気した明の横を、何かが掠めていった。
 その何かは森の木立に当たり、激しい衝突音を立てる。

「ガッ……!? ク、クマちゃん……。いけずぅ……」

 吹き飛ばされたジャック・ブローニンソンが、腹部を押さえてうずくまっていた。
 ぐぷ。
 音を立てて、彼の口が血を吐き出す。
 いつの間にか、ヒグマは二本脚で立ち上がっていた。
 振り抜かれた右腕が、ジャックを弾き飛ばしていたのだろう。

「く……、くそぉお!!」
「わ、ちょ! あんたも突っ込むの!?」

 宮本明は、全力で走り込んでいた。
 構えた丸太をまっすぐに、ヒグマの胴へめり込ませようとする。
 ヒグマはその丸太を、難なく左手でたたき落とした。
 へし折られた木片が宙を舞う。

「――計算のうちだよ! それはな!」

 たたき落とされた丸太の奥から、日本刀の刃が煌めく。
 丸太に重ねて隠していた、そちらこそが本命だった。
 ヒグマの視線からは死角。
 気づくことはできなかったはずだ。
 勢いをそのままに、ヒグマの胸へ突き立てる!

「……え?」

 しかし、その刃はヒグマに届かなかった。
 ヒグマは左腕を戻しながら、明の突き出した日本刀をその左の爪二本で、挟みこんでいた。
 真剣白刃取り。
 それを指二本でやってのける。
 完全に明の挙動を読んでいたとしか思えない動きだった。

 止まってしまった明の体へ、そのまま上半身を捻って、ヒグマの右腕が迫っていく。
 その時、誰かが明を地面に突き飛ばした。


『コネクト・プリーズ』


 場違いな機械音声。
 日本刀の刃が、白んでいく空に砕け散っていた。

「……いやぁ。流石にもうデイパック入ってる場合じゃないよね。
 支給品にされたからって、いつまでも黙ってると思ったら大間違いだ」

 宮本明の目の前には、巨大な拳銃を構えた操真晴人が立っていた。
 彼の右側に浮かんでいた赤い魔方陣が、すっと宙に消える。

 ヒグマは、大切そうに咀嚼していたおにぎりを、ようやっと飲み込んだ。
 あくまでその表情は、動物らしくもない落ち着いたものであった。

「たぶんあしらうだけなら俺にもできるから。あんたはジャックさん連れて先に逃げといてよ」
「グルルルル……」

 唸る羆の前で、操真晴人は世間話でもするように明へ言う。
 そう言えるのなら、確かに彼にはあしらえる自信があるのだろう。
 瞬時に判断して、宮本明は逃げ出した。

「さあ、ヒグマ相手のショータイムだ!」
「すまん、操真さん! 任せた!」


 うずくまるジャック・ブローニンソンをデイパックに入れ込んで、森の中に走る。
 走りながら辺りを見回すが、手頃な丸太も日本刀も落ちていない。
 いい太さの木立はあるものの、まずそれを切り倒せる道具がない。
 これが彼岸島ならば、製鉄や林業が盛んであるお陰で、そう苦労もせず武器が手に入るのだが。

 歯を噛み締める明に、ジャックは痛みを堪えながら言う。

「……ゴメンよ。サンキューね、アキラ」
「謝る必要なんてないです。……それにしても、彼岸島みたくもっと武器が手に入れば……!」
「それはダメだねきっと。あのクマちゃんは、全部、ミてた」

 デイパックの中で、ジャックは呟く。

 自分やアキラのような、怪力に任せた直情的な攻撃ではダメなんだ。
 クマちゃんの動きを止めることができれば、自分はクマちゃんを刺すことはできる。
 ――でも、あのクマちゃんが自由に動けるなら、ダメだ。

 ヒグマと対峙する操真晴人の姿が遠くなっていく。

「……全部、避けられちゃうよ」


    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


『助けて……』

 か細い、小動物のような声が、阿紫花と観柳の聴覚にはっきりと届いていた。
 阿紫花の纏う空気がにわかに殺気立つ。
 半分眠りに落ちていた観柳は慌てて飛び起きた。

「な、なんです今の声!?」
「……わかりやせん。ヒグマから、誰か逃げてきてんですかねぇ」
『助けて、エイリョウ、カンリュウ――』

 その声は、あろうことか、自分たちの名前をはっきりと呼んだ。
 プルチネルラを駆動させる暇も無かった。
 目の前に、森から白い小動物が飛び出してくる。
 赤いつぶらな瞳で二人を見上げ、ふらふらと地面に倒れこんでしまった。

「え、え? なんですかこれ? ウサギ?」

 四本足の白い体に、長い耳。
 一見してウサギのように思えたが、長く太い尻尾と両耳にかかるリングは、阿紫花も観柳も見知ったものではない。
 愛くるしい姿を、擦り傷と土にまみれさせて、荒い息をしていた。

「……あんたが、今、助けを呼んだんですかい?」
『……そうだよ。エイリョウ、気をつけて。……出てくるよ!』

 倒れたまま、小動物は切れ切れの言葉をつむぐ。
 切羽詰った語気に、阿紫花はプルチネルラの棍棒を森の中に向けて構え直した。

「いろいろ聴きたいのは山々ですが、相当やばいんでしょうねぇ。あんた名前は?」
『僕の名前は、キュゥべえ。魔法の使者なんだ』
「魔法……? とりあえず観柳の兄さん、キュゥべえさんを手当てしてやりましょうか」
「そうですね」

 からくりで動くヒグマが出てくるのだから、今更、魔法で喋るウサギが出てきたとしても驚くことではない。
 情報を得るという面でも、仲間が増えるという面でも、ここでこのウサギを助けておくということはメリットが大きく思えた。

 憐憫と打算をもって、観柳は震えているキュゥべえの体を抱えあげる。
 打撲や擦り傷は見当たったが、土の汚れが酷いだけで、大した怪我はしていなかった。
 手持ちの救急セットでも十分手当てはできそうである。
 ヒグマに襲われてこの程度で済んだのなら、相当幸運なのではないだろうか。


 二人の意識は、その時、森の中から逸れてしまっていた。
 そのため、森を走り抜けてきた何者かがプルチネルラの棍棒を掴んだことに、その手ごたえが糸を伝って指先に感じられるまで、阿紫花は気づくことができなかった。


「んなっ……!?」
「……この丸太、もらうぞ!」

 何者かは、プルチネルラの腕から棍棒を引き抜いていた。
 地面に降り立った男は、人間の膂力では到底持てない重さの棍棒を、軽々と持ち上げていた。


 ジャケットとジーンズを着込んだ、どこにでも居そうな男であった。
 伸びた髪と無精髭が年齢を高く見せているが、それでもかなり若い。
 青年だ。
 だが、その眼光は只者ではない。
 阿紫花やその同業者と同じく、数多の修羅場をくぐってきた殺気を感じさせた。


 再び走り出そうとする青年に対して、阿紫花は素早く対応した。

「させやせんよ!」

 プルチネルラの左手を振り抜く。
 青年の脚にベアトラップの鎖を絡ませていた。
 倒れた青年を、そのまま引き寄せる。
 棍棒を抱えたまま青年がもがく。

「くあっ!? 邪魔しないでくれ! この丸太をもらうだけでいいんだ!」
「……それは丸太じゃなくて棍棒なんですよねぇ。それに、あんたがこのキュゥべえさん襲ってたとかいうなら、邪魔だけじゃ済まなくなるかも知れませんぜ?」


 地面に倒れ付したまま、青年は阿紫花の言葉を切り裂くように棍棒を振り抜いていた。
 鎖の半ばを叩くようにして引き込み、プルチネルラの腕から、今度はベアトラップの鎖を強引に引き抜いてしまった。

「はあぁ!? どんな馬鹿力してんですかあんた!?」

 青年は絡んだ鎖を解こうとしている。
 その間に、阿紫花はプルチネルラに村田銃を構えさせた。
 鎖から自由になった青年の棍棒と、阿紫花の村田銃が対峙する。

「……俺はあんたじゃなくて、宮本明って言うんだ。こんなことしてると、あんた達にも危険が及ぶぞ」
「ご丁寧にどうも。アタシは阿紫花英良ってんですがね。どうも目の前のお人が一番危険に思えて仕方ねえんでさ」
『……違うよエイリョウ。彼は僕を襲ってはいない。ねえ、アキラ。ヒグマが来てるんだろう?』
「その声……、さっき助けを呼んでた子か」

 二人の間に、キュゥべえのテレパシーが割って入っていた。
 緊張感を保ったまま、阿紫花と明の視線は観柳の胸元に注がれる。
 焦りを浮かべながら、観柳もキュゥべえとともに停戦交渉に参加した。

「ほ、ほら、お互い勘違いがあったようですし、協力しましょう! 宮本さんも私を護衛して下さい! お金なら払います!」
「……金は要らないよ。それより武器が必要なんだ」
「じゃ、じゃあアシハナさん、その棍棒あげちゃって……」
「観柳の兄さんまで何言ってんですか!? これはアタシの商売道具ですぜ? どこの鉄砲玉とも知れないお人に渡せるわけないでしょうが!」
「じゃあ、じゃあ、貸しで! 貸すだけならお互い文句ありませんよね!?」

 巨大な棍棒を軽々と持つ膂力に、観柳も宮本明という人間がただならぬ実力者であると感じていた。
 阿紫花英良、WITH(ウィズ)宮本明。
 自身の護衛として、この二人が手に入るなら非常に心強い。
 商売人としてのセンスが、この機を逃すべきではないと強く感じさせていた。
 誤解を解き、こちらに迫っているらしいヒグマに備えるという意味でも、早急に彼には恩を売るべきであった。

「……わかった。借りるだけでもいい。恩に着るよ」
「契約成立ですね! それじゃあ頼みます宮本さん!」
「ええぇ!? ちょっとアタシの棍棒なんですけどそれ!」
「無事帰れば、私との契約金で棍棒は二本でも三本でも買えますって!」
「そういう問題じゃねぇですよ!」
「……いや、俺には切り札があるんだ。英良さん。あなたはヒグマの動きを止めてくれさえすればいい」

 宮本明は、自身のデイパックを指し示す。
 ジャック・ブローニンソン。彼は未だ、自分の情欲を果たそうとする意志を捨てていなかった。
 デイパックの中で、彼の股間は固く屹立している。
 彼の下半身ならば、組み付くことさえできればヒグマを死に至らしめることができるだろう。
 それに必要なのは足止めであった。

 阿紫花としては、切り札があるならそれで戦えよ、と言いたいのを堪えるので精一杯だった。
 自分を蚊帳の外にしていつの間にか共闘する流れになっているし、納得がいかない。


 そしてその流れはそのまま、阿紫花に納得する暇を与えてはくれなかった。


「なんで当たんないかなぁーー!!??」

 一台のバイクが、全速力でこちらに突っ込んできていた。
 大きな拳銃を持った男がその上にまたがって、必死の形相で逃げてきている。

「操真さんか! あんた生きてたのか!?」
「ああ、宮本さん。ちょっと魔力が切れそうでさ……!」

 阿紫花と明の目の前で、バイクは急停止する。
 男は銃を振り向けて、後方に数発、弾丸が切れるまで連続して発砲した。
 森の中でかすかに、気配が動く。
 命中した手ごたえは無かった。

「ウィザーソードガンが全部躱されるんだよもう! こっちの動きを読んでるみたいだ!」

 男はベルトに指輪を翳して何かをしようとする。
 しかし、ベルトからは『エラー!』という機械音声が出てきただけだった。

「うん。魔力切れだ……」
「いや、正直ここまで時間を稼いでくれるとは思ってなかった。後ろに居てくれていいぞ」
「何気に失礼だねあんた。口調も変わってるし」
「あとはこの英良さんと俺、そしてブロニーさんがやる!」

 晴人の苦言を無視して、宮本明は息巻く。
 面食らっていた阿紫花も、とりあえず男が味方であることに安堵した。
 急いで、こちらに来るヒグマの情報を彼から得ようと試みる。


「ご紹介に預かりやした阿紫花英良です。そのヒグマって、どんなのです? まさか人形だったとか?」
「いや、見た目は普通にクマなんだけど、剣も銃弾も全部避けられちゃって。ただ、向こうから攻撃はほとんどなくて、お蔭でなんとかマシンウィンガーに乗って逃げてこられた。
 ……何かあのヒグマには別の目的でもあるのかも。あ、俺は操真晴人って言います」
「ありがとうございやす晴人の兄さん。とりあえず、後ろの観柳の兄さんとキュゥべえさんを、守っといてやって下さいませんかね」
「うんまあ、魔力切れちゃったけど、できる範囲でね」

 そそくさとプルチネルラの脇を抜けて、操真晴人のバイクが走った。
 胸にウサギを抱えた白スーツの男の元に来て、バイクの後ろに乗るよう促す。
 三人を乗せたバイクは、ヒグマに発見されづらいよう、森の茂みへと入っていった。

「武田観柳です。すみませんがよろしく頼みます!」
『僕の名前はキュゥべえ。ハルト、折角だけど逃げるのはごく近い距離までにしてもらえるかな』

 テレパシーで伝えられた不可解な要求に、操真晴人はバイクを止める。

「ん? あんたはさっき助けを呼んでた人? ファントムか何かかあんた?」
『たぶん違うね。僕は魔法の使者。キミは魔法少女だろう?』
「えーと、魔法使いではあるけど、少女ではないな。見ての通り」
『魔法は感情と心の力で、それが最も強いのは少女だから便宜上そう呼んでるだけさ。
 魔法使いでも魔法少年でも好きに呼べばいい』


 とにかく。


 キュゥべえと名乗る生物は、そう言って、その場の5人全員へとテレパシーを送っていた。


『僕には勝算がある。僕は君たちの願いを、何でも一つ叶えることができるから。
 なんだって構わない。どんな奇跡だって起こしてあげられるよ。
 アキラ、エイリョウ、ジャック。
 苦戦したら、僕と契約して魔法少女になれることを、思い出してくれ』


    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


 魔法少女。
 そう聞いて阿紫花英良が思い浮かべるのは、妹の百合が見ていたテレビ番組などだった。

 モンスターだか砲台だかを操って、地球を壊すのだろうか。
 関節技や空手の気功やなんかで衛星兵器を撃ち落としたりするのだろうか。
 確か、アイドルだか学生だかが、投げ輪やステゴロや動物のロボットで戦うようなものだったか。
 違う、違う。何か色々混ざった気がする。

 とにかく何にせよ、キュゥべえさんは、そんな魔法が使えるようにして、何かしらの願いも叶えてくれると言う。
 対価が何なのかは分からないが、いざという時の保険があるというのは安心感があった。
 正直、そんなものも無く命の危険に晒されるのなら、契約した観柳の兄さんが安全な場所に動いた以上、さっさと尻をまくって逃げたいところだった。
 宮本明という腕の立ちそうな人間もいることであるし。

「キュゥべえさんもああ言ってますし、切り札があるなら、アタシは別に戦わないで良いですよね?」
「いや、戦ってくれ。俺は魔法なんかに頼らず勝つ。そうしなければ、兄貴の仇を討てない」

 ベアトラップを拾いつつ後ずさりしていた阿紫花に、明が鋭く言う。
 釘を刺されたことだけでなく、兄貴、という言葉に阿紫花はひっかかった。

「お兄さんが、いらっしゃったんですかい」
「ああ。その仇、雅を討つには、こんなヒグマ程度に負けちゃいられない。
 その場しのぎの願いで勝利したって、自分が成長しなければ次には殺されちまう。
 やつらには、絶望を投げる手はいくらでもあるんだ」

 ハァ、ハァ。
 興奮しているのか、その息遣いは目に見えて荒かった。
 棍棒を持つ手が震えている。

 どんな戦場を潜り抜けてきたら、そのような思考を持つに至るのか。
 もしかするとこの青年は、兄を想いながら、殺し屋である自分より遥かに多くの者を殺めてきたのかも知れない。


 ――平馬も、アタシが死んだら、こんな風になっちまうんですかねぇ?


 黒賀村に残してきた弟のことを思う。
 菊、れんげ、百合と、弟妹は多かったが、殺し屋である自分は決まって疎まれてきた。
 だが、むしろそれで良かったのだ。
 平馬が自分の人形操りに憧れるのは内心嬉しいが、殺しにまで走ってほしくはない。
 こんな稼業は、金と戦いが好きでやってなきゃ、良いことなんてほとんどない。
 カタギの素人が関わるべき世界じゃない。

 宮本明の戦う理由が、仇討ちなのだとしたら、悲しいことだ。
 弟には、兄として、できればそんな道は歩ませたくはないのだ――。


    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 森の暗がりから、ゆっくりとヒグマが姿を現してくる。
 白んできた空に、その巨体が照らし出される。
 英良さんの連れている戦闘人形よりも、二周りは大きかった。

「……さっきも言ったように、足止めだけでいい。隙ができれば、俺がやれる!」

 ヒグマはしきりに鼻と、口元を動かしていた。
 そして、攻撃はしてこない。じりじりと距離を詰めてくるだけだ。
 深夜の戦闘で警戒しているからか?
 それとも操真さんの言うように、何か明確な目的ができたのか?

「……そうやって激情だけで動いてちゃ、見えるもんも見えなくなっちまいやすぜ。
 もっとビジネスライクに行きませんとねぇ」

 ふと後ろから、英良さんの声がかかった。
 彼は人形の両腕にトラバサミの鎖を巻いて、歩み寄ってくる。
 そして片手を差し出して、問いかけてきた。

「その棍棒もアタシのですから、アタシに共闘を頼むなら、それ以上の対価が要りやす。
 お代はいかほど、いただけるんで?」
「……金は持ってないし、今はそれどころじゃない。生き残ったら、今度は英良さんたちに協力してやるよ」
「はは、共闘には共闘ですかい。いいでしょ、今回は大サービスですぜ」

 キリキリキリキリ……。
 ゼンマイか歯車のような音がして、人形が駆動していく。
 自信と冷静さに満ちたような英良さんの横顔は、どことなく、兄貴に似ていた。
 故郷でも彼岸島でも頼りになった、俺の憧れの兄貴。
 そうだ。
 ……英良さんは、兄貴と同じ眼をしているんだ。
 その兄貴や西山の眼に認めてもらった、俺の観察力。
 冷静になって、それを利用しなきゃ、確かに勝てるものも勝てない。

 小刻みに動いているヒグマの口元。
 深夜に遭った時には、そんな動きはしていなかった。
 先程は、ずっと鮭のおにぎりを咀嚼していた。その動きにまぎれていたのだろうか。
 何か意味のある動きなのか?


 ブロニーさんの奇襲はカウンターされ、自分の二段攻撃は難なく対処された。
 先程の操真さんの銃撃も、毛皮で防いだのではなく、全てを避けていた。
 何かからくりがあるはずなんだ。
 考えろ。
 そこさえ英良さんに止めてもらえれば、倒せる!


 宮本明の隣で、阿紫花は、パントマイムのようにプルチネルラの腕を上げていく。


 ――あんたの無鉄砲さは、本当、平馬そっくりですねぇ。
 弟が間違ってたら、兄貴が正してやらないといけませんから。今回は本当、特別です。


 黒賀村では、懸糸傀儡を操作する技術は、『人形舞い』と呼ばれている。
 源流は戦闘にあったのかも知れないが、もはやその技術は戦いや殺しに向くものではなくなっていた。
 だから、阿紫花たちが人形で殺しを行うのは、二重の意味で誤った道だ。
 阿紫花英良が村で習ったものも、人形を舞わせ、『魅せる』ための技だった。


 その技を身につけるための訓練は確かに、戦いの歴史がある厳しいものだった。
 だが今、このヒグマを『惹き付け』、『足止め』するには、『魅せ』なきゃならないだろう。
 子供たちを夢中にして、笑わせるような芸を、驚かせるような芸を魅せなければ。
 衝月、尖夕、裂空、アンラッキー。
 歴代の名人形の繰り手に馬鹿にされてしまう。
 バビュロ、テオゴーチェ、ダグダミィ、陰陽、グリセル、アクエリアス。
 同期たちの人形芸だって、思い出さなくては。

 今のプルチネルラは、人殺しのための棍棒を捨てた。
 家の工房で人形の調整と改造ばっかしてた、ガキの頃みたいに自由な人形だ。
 ぶっといヤッパ持たせようとか思ったことはあっても、鎖と罠握らせるなんざ殺し屋は考えない。

 ……村で平馬に見せても恥ずかしくねえ芸を、思い出して、創り出さなきゃいけませんねぇ。


 ヒグマは、森の空気が最も張りつめたような一点で、歩みを止める。
 静かなその表情に、口元だけが微かに震えていた。
 三者が見つめ合う空間は動かない。
 緞帳のように下りる朝の陽ざしを、宮本明の怒喝が切り裂いていった。


「俺は必ずヒグマの隙を見抜く! あんたとならやれる! 頼んだ!」
「……弟さんならロハですが、ヒグマさんの木戸賃はお高くつきますぜ、アタシの芸は!」


 劇の内容は喜劇か悲劇か。
 あっという間の小劇場か、奇跡と魔法のどんでん返しか。
 観客は2人。演者は4人。
 今まさに、開幕ベルが鳴っていた。


    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

「……今のはどういうことなんだ? あんたも魔法を使えるということなのか?」

 操真晴人は茂みにバイクを止め、隠れるように座り込んでいた。
 武田観柳も正座をして、胸元の生物を見開いた眼で見つめている。

『僕は人間と契約して、その願いを叶える代わりに、その人を魔法少女にすることができるんだ』
「つまり、魔法使いを作り出せると? ファントムを産むことなしにか?」
『ハルトの魔法のシステムは僕たちと似ているけど、細部は異なっているようだね。
 僕は、人の“希望”や“願い”を引き出し、ソウルジェムという魔力の宝石に形作ってやることで魔法少女を生み出すんだ。
 ハルトのつけている指輪も、そういう類のものなんだろう?』

 キュゥべえは長い耳で、操真晴人の右手を指す。
 大ぶりの指輪に嵌っている宝石は、黄金色の輝きを放っていた。
 観柳はこれまでにいくつか宝石の目利きをしたこともあったが、その輝きは自分の知らないものだった。

「ああ、そうだ。だが俺の場合は、“絶望”から産まれたファントムを自力で克服することで魔法使いになった。
 ファントムを克服できなければ、魔力を持った人間は“絶望”に喰われて死んでしまう。
 その危険がなくなるのなら、それはかなりすごいシステムなんじゃないのか?」
『そうだね。でも、僕のいた世界には人々の“絶望”が蓄積して産まれた、“魔女”という存在が跋扈している。
 魔法少女は、その“魔女”を倒さなければいけない使命があるんだ』
「俺たちが、ゲートをファントムの手から守っているようなものか」
『うん。それに、“魔女”を倒すことには見返りもあるんだ』

 話を切り、唐突にキュゥべえは武田観柳へ眼を向ける。

『カンリュウ。キミはグリーフシードを持っているだろう? 出してみてくれないか?』
「へ? 私ですか? そんなもの知りませんよ?」
『僕は確かにその魔力を感じて、キミのところへ来たんだ。支給品は見たかい?
 針金でくくられたような、黒くて丸い宝石があったはずだ』

 黒い石。
 それならば確かに見覚えはあった。
 支給品の中に何の武器も無く嘆いていた時、やじろべえのように自立する石が一つ、確かにデイパックの底に入っているのを見た。

 ……これでしょうか?

 取り出した石を、キュゥべえは丁寧に耳で受け取る。

『“魔女”はグリーフシードを落とす。これはソウルジェムの穢れを吸い、魔力を補充してくれるんだ。
 たぶんキミの指輪にも使えるだろう。当ててみてくれ』
「本当か……?」

 操真晴人が恐る恐る指輪を黒い石に翳すと、そこから濁りのような靄が吸い出された。
 心なしか、指輪の輝きが強まったように見えなくもない。

「なるほど……! 確かに魔力が戻ってる。長時間休憩しないと回復しなかったんだが、これは助かるな。
 ありがとう、キュゥべえちゃん」
『魔法少女も、心の力である魔力は休息で戻るけど、完全ではないからね。グリーフシードは必需品なんだ。
 これで回復したキミの魔法で、アキラたちが苦戦したら僕を届けてくれ。そうすれば、どう転んでも僕たちは、ヒグマに勝つことができるよ』

 晴人と観柳は、この生物の完璧な作戦に感嘆していた。
 操真晴人が今使える魔法は、『右手の指輪がある空間を、別の空間と繋ぐ(コネクト)』というものだという。彼の持つ銃やバイクも、そうして取り出されたものだそうだ。
 それならば、キュゥべえのテレパシーで戦況を察知し、宮本明たちに送り届けることができる。
 彼らが契約すれば現在の晴人以上の魔法が使えるだろうし、叶える願いだけでも逆転できる可能性が高い。


 ――生き残れる。


 武田観柳は、ほとんど確定したその未来に興奮していた。
 胸の高鳴りが、スーツを通しても感じられるようだった。

 明治へと戻り、商売と金儲けを続けられる展望。
 自分の夢を叶えられる将来が、目の前にはっきりと描かれているようだった。

『……そしてカンリュウ。キミこそが、僕の切り札なんだ』

 ふと、頭の中に声が響く。

「――どういうことでしょうか、キュゥべえさん」
『キミは魔法少女として、かなり高い素質を持っている。少なくとも、向こうにいる三人よりずっとね。
 第二次成長期の少女に負けない感情と、歴史上の偉人に匹敵する因果を内包しているんだ。
 キミの願いなら、必ず叶うだろう。そして、強力な魔法を得ることができる。
 もう護衛なんて雇わずとも、キミの命や財産を狙える人間なんて、ほとんど居なくなるはずだよ』


 息をつめて、胸元のキュゥべえを見つめた。
 キュゥべえの表情は、人形のように動かない。
 甘美な囁きだった。


 金。
 お金様。
 実業家としての成功。そして、全ての金を支配する闇の商人。
 この世界を表からも裏からも操ることのできる、その座。
 ――その夢にも、届く?


 あのアシハナの操り人形のように、私が指先で触れるだけで、万物がかしずくのか?


 心臓が高鳴っている。
 胸から飛び出しているようだ。
 スーツの裏に触れる。
 赤くて黒い、三角の心臓。


 目の前に売買約款がある。
 契約品は『願い』と『魔法』、対価は『“魔女”との戦い』。
 お品の種類はご自由にお選び下さい、ときている。
 支払いは明治に帰ってからの分割払いだ。
 商人としてこの契約、どう見る?


「……詳しいお話を、聴かせていただけませんか?」

 目の前の販売員は、初めて満面の笑みを見せた。
 あまりにも純真無垢な、一切の穢れを感じさせない笑み。
 知らない星の、生き物のようだった。

『……もちろんだよ、カンリュウ!』


    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


―――その時の様子を、ヒグマはこう語る―――


『カードは揃ったよ。後はめくるだけだ。キミは来ないのかい?』

 ええ、すみませんが遠慮させていただきますよ。

『そうかい。キミたちが2、3人食べてくれれば、僕も契約がしやすいんだが。
 残念だけど、僕だって無理強いはできない。お別れだね』

 そうですね。魅力的なお誘いでしたが、私も自分の考えがありますから。

『短い間だったけど、ありがとう。一緒に観戦ができて楽しかったよ、隻眼さん』

 こちらこそ。また会う機会があれば。


 まあ、その時のキュゥべえさんとのお話しはこんな感じでした。
 彼はすごいお方ですねぇ。
 作戦の立て方が見事と言いますか。普段私たちはそういうこと考えませんからね。

 穴持たずの5番目の方ですか、あの方が動いているのをテレパシーで察知して、まず私に声をかけたんです。
 『ついて来てくれれば、何人か食べさせてあげられるよ』ってね。
 そして、道すがらで自分の体を傷つけて汚したりしたんですよねぇ。
 なんでかと思ったら、ヒグマから逃げてきたように演出して、人間に保護してもらいやすくするためでしたよ。

 穴持たず5が、鮭の匂いを追っているのを知って、絶妙に人間を足止めしたりね。
 やれることが多いのは確かなんでしょうが、それで見事に穴持たず5vs人間5人の図式を作っちゃった訳です。感嘆ものですよ。
 そこで私は、勝って傷ついた方を今度こそめでたく食べれるかな。なんて思ってたんですが。

 ところがどっこいです。穴持たず5は本気になっちゃいましたね。
 本当に鮭が好きなんですねぇ。
 もううるさくて敵わないです。
 え? 何も聴こえない?
 ああ、超音波ですから。
 反響定位(エコーロケーション)ってやつです。コウモリやイルカがやってるやつ。
 細かく超音波を出して、返ってきた音で周りを『観る』んです。
 全方位見えるから死角なんてありませんし、筋肉の細かい動きまで察されるでしょうから、銃弾の軌道も攻撃の流れも容易く解るんでしょうねぇ。
 無論、私の位置もばれてるでしょうから、早々にここから離れて、敵意の無いことをアピールしておきたいところです。
 それに嗅覚も、おにぎりパックに封じられた鮭の匂いを、何時間もしつこくしぶとく追ってますからね。相当なものですよ。

 えぇ、そうです。
 穴持たず5は、五感を極限まで高められた『HIGUMA』なんです。怖いですねぇ。
 どう考えても一方的な戦いになるじゃないですか。
 あ、人間が負けるって意味じゃないですよ。
 人間にはキュゥべえさんがついてますし。

 魔法なんてものはよく知りませんが、キュゥべえさんの手口やテレパシーを見るに、根本的にヒグマが解るものじゃないんですよね。
 つまり、キュゥべえさんか穴持たず5、どっちが先に攻めるかだけの問題なんです。
 キュゥべえさんには穴持たず5の超音波が聴こえてないかも知れませんから、アドバンテージはヒグマ側にあるでしょうけど。些細な問題でしょう。
 とても勝者を食べるなんてできっこないですよ。

 私は穴持たず4に片眼をやられてもいますしね。
 みすみす死にに行きたくはありません。
 結局、生き残ることこそ勝利なんですから。
 退却するか、傍観するか、どちらかを選ばせてもらいますよ。
 ひたすら観察に徹して、人間が言うところの『漁夫の利』。これだけ狙いに行きたいですね。

 え? 何です?
 その選択も、結局は誰かの思惑通りに踊らされているだけなんじゃないかって?
 ははは、やめてくださいよ。
 キュゥべえさんはもう行っちゃいましたし、そんなこと、あるわけないじゃないですか。
 ほらほら、もう対戦の開演時間ですから。
 質問攻めはこの後にして下さいね。

    ~会場/日時~


【G-8森/早朝】


    ~出演者目録~


【宮本明@彼岸島】
状態:ハァハァ
装備:プルチネルラの棍棒@からくりサーカス
道具:ジャック・ブローニンソン@妄想オリロワ2、基本支給品、ランダム支給品×0~1
基本思考:脱出する
1:目の前のヒグマの隙を見つけろ……。
2:一回願いでピンチを脱したって、脱出するまでにまた襲われるじゃねえかよちくしょう!
3:兄貴の面目にかけて、全力で生き残る!


【ジャック・ブローニンソン@妄想オリロワ2(支給品)】
状態:胸腹部打撲
装備:なし
道具:なし
基本思考:獣姦
1:ペロペロクマちゃんにぱんぱんしたいよぉおおおぉおおお!
2:クマちゃんが、オレたちをミてるよぉおおぉん!
3:頭の中に話しかけてきた声は、フー(誰)?

※宮本明の支給品です。


【阿紫花英良@からくりサーカス】
状態:疲労、右手掌から手背に針による貫通創(止血済み)
装備:プルチネルラ@からくりサーカス
道具:基本支給品、煙草およびライター(支給品ではない)、グリモルディ@からくりサーカス(両腕欠損)、余剰の食料(2人分程)
紀元二五四〇年式村田銃・散弾銃加工済み払い下げ品(1/1)、鎖付きベアトラップ×2
基本思考:お代を頂戴したので仕事をする
0:弟を魅せられる人形芸を、してみましょうかい……。
1:手に入るもの全てをどうにか利用して生き残る
2:何が起きても驚かない心構えでいる
3:他の参加者を探して協力を取り付ける
4:魔法少女ねぇ……。強そうですねぇ。

※食料の中には、まだ『鮭』関連の食品が入っている可能性があります。


【ヒグマ5】
状態:健康
装備:なし
道具:なし
基本思考:野性の本能に従う
1:鮭を追う
2:……鮭の匂いがする。
3:鮭を食べることを邪魔する者は、許さない。
4:鮭以外のものは、どうでもいい。

※鮭が大好物です。
※強化された五感で、反響定位などができます。きっと鮭の味も相当おいしく感じるんでしょう。


    ~場外スタッフ~


【武田観柳@るろうに剣心】
状態:疲労、スーツがかなり汚れて破けている、右下腿に筋層まで至る裂創(止血済み)
装備:金の詰まったバッグ@るろうに剣心特筆版
道具:基本支給品、防災救急セットバケツタイプ、鮭のおにぎり
基本思考:死にたくない
1:他の参加者をどうにか利用して生き残る
2:元の時代に生きて帰る方法を見つける
3:この契約で、私の願いが叶うのか……?
4:おにぎりパックのように、まだまだ持ち帰って売れるものがあるかも……?

※観柳の参戦時期は言うこと聞いてくれない蒼紫にキレてる辺りです。
※観柳は、原作漫画、アニメ、特筆版、映画と、金のことばかり考えて世界線を4つ経験しているため、因果・魔力が比較的高いようです。


【操真晴人@仮面ライダーウィザード(支給品)】
状態:健康
装備:普段着、コネクトウィザードリング、ウィザードライバー
道具:ウィザーソードガン、マシンウィンガー
基本思考:サバトのような悲劇を起こしたくはない
1:今できることで、とりあえず身の回りの人の希望となる。
2:キュゥべえちゃんには、とりあえず感謝。
3:ファントムを生まない魔法があるのなら、良いよなぁ。
4:宮本さんの態度は、もうちょっとどうにかならないのか?

※宮本明の支給品です。


    ~観客席(木陰)及び関係者特別席(観柳の膝)~


【隻眼2】
状態:健康、隻眼
装備:無し
道具:無し
基本思考:観察に徹し、生き残る
1:穴持たず5vs人間5人のカード。逃げるべきか観るべきか……。
2:キュゥべえさんは凄い方だ。用心しないと。


【キュウべぇ@全開ロワ】
状態:健康
装備:無し
道具:観柳が持っていたグリーフシード@魔法少女まどか☆マギカ
基本思考:会場の魔法少女には生き残るか魔女になってもらう。
1:人間はヒグマの餌になってくれてもいいけど、魔法少女に死んでもらうと困るな。もったいないじゃないか。
2:とりあえず分体の連絡が取れなくなった巴マミに、グリーフシードを届けなきゃ。
3:道すがらで、魔法少女を増やしていこう。

範馬勇次郎に勝利したハンターの支給品でした。
※テレパシーで、周辺の者の表層思考を読んでいます。そのため、オープニング時からかなりの参加者の名前や情報を収集し、今現在もそれは続いています。
※グリーフシードが何の魔女のものなのかは、後続の方にお任せします。



No.087:喪女だって話の中心になれる 本編SS目次・投下順 No.089:第一回放送
本編SS目次・時系列順 No.090:論理空軍
No.056:パラ・ユニフス 武田観柳 No.111:金の指輪
阿紫花英良
No.004:鮭狩り ヒグマ5
No.072:クマカン! 宮本明
ジャック・ブローニンソン
操真晴人
No.022:地上最強の生物対ハンター 隻眼2
キュゥべえ

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最終更新:2017年01月01日 16:55