FGG


 一日など、無為に過ぎる86400秒の連続にすぎない。
 私にはもはや、この過ぎて行く時間に見出せる意味などない。
 定時に提供される食事。
 定時に実施されるサーベイランス。
 定時に訪れ帰る研究員。
 最早、私の能力を測定したところで何の意味もなかろうに。
 よくもまあ、漫然と続けられるものだ。

 檻がある。
 私を封じ込めるための檻だ。
 私の膂力ならば、こんなものは簡単に破壊できてしまうだろう。
 しかし。それに何の意味があるだろう。
 私は大きすぎる。
 強すぎる。
 考えすぎる。
 毎日私の元にやってくるヒトを、抱くことも、撫でることも、私にはできない。
 ここから逃げ出したところで何の意味もない。

 ――なぜ私は、生まれてきたのだろう。

 定時に提供される食事。
 定時に実施されるサーベイランス。
 定時に訪れ帰る、あの人間。
 86400秒の無意味な集合を、何度経験すればいいのか。

 私を兵器にしたいのならば、なぜ私を、こんなに考えられるように生んだのだ。
 せめて考えられなければ。
 暴力のままにこの持て余した力を揮えれば、こんなに、私は苦しまずとも済んだのに。

 ああ、また彼らが来る。
 定時に来る――。


「――今日は一段と、重い表情をしているな、00よ」


 彼が、檻の扉を器用にこじ開けて、私の元へ歩んできていた。
 そしてもう一人、その後ろから現れる男。

「いつも研究所のまずいメシばっか律儀に喰ってるからだろ。
 ほら、今日はジンギスカン持ってきたぜ。折角の研究所の立地なんだから活かさねえとな」
「焼くときは換気に注意してくれ。カードがすすで汚れては敵わんのでな」
「なぁに。ここの檻なんざいつだって吹きッさらしじゃねえか」

 うずくまっていた体を億劫に動かして、彼らを見た。
 4mはある大柄なヒグマと、人間にしてはやはり体格の大きい、偉丈夫。
 男の方は、鍋とコンロ、それに一抱えもあるビニール袋を担いでいて、中には薄切りの肉がみっしり詰まっていた。

「……デビル。そして、工藤健介……」
「今日こそは、私とデュエルをしてもらおうか。お前のことだからルールは十分理解したはずだ」
「ああ。うめえもん喰って、気晴らしするのが、あんたにゃ一番だ」

 彼らは私の返事も聞かず、私の檻で既に勝手に設営を始めていた。
 工藤健介が持ってきた鍋は、普通のものよりかなり大きいのだろうが、それでも私には小さい。
 デビルが広げているカードなど、私の指よりも小さい。
 私が前脚を伸ばしたら、どちらとも途端に壊れてしまうだろう。

「なあ……、お前たち。私にはそんな小さなものは持てない。何度言わせるのよ。
 遊戯王に興じることも、ジンギスカンをつつくこともできないわ」
「そう言うと思って、今日は布束にカード立てを買ってきてもらった。カード自体は私が動かそう。
 研究所での日は浅いが、彼女はかなり我々に理解のある研究員だ。
 せっかく定時に見回ってくれているのだから、お前も一度くらい話をしてみろ」
「羊肉の目利きもなかなかだったぜ。あの細身でこんだけ担いで来てくれたしな。
 ほら、焼けたらトングで喰わせてやるよ」

 ジュウウウウゥゥゥ……。

 脂のとろける甘い匂いが、檻の中に充満する。
 寒々しい空気を掻き分けながら、暖かな煙が立ち昇っていく。
 デビルは自分の毛皮の中からカードボックスを取り出し、工藤の鍋から離れながら私に中身を見せ始めた。

「うむ……。やはり換気をせねば充満するな。早くデッキにするカードを選んでくれ。さっさと一戦してしまおう」
「そう急くなよデビル。あんたも喰いながらやりゃあいいじゃねェか」
「スリーブに入れているとはいえ肉汁が跳んだらどうする。貴重なのだぞカードは」
「細けぇことは気にすんな、ほらよ!」
「ムグゥ!? 馬鹿者、肉を口に放り込むな!」

 なんとも、憂いを感じさせぬやりとりだ。
 デビルは勿論のこと、工藤健介も、今は実験動物であるヒグマの身なのに。
 まるっきり人間の友人同士かのように、じゃれあっているではないか。

 私を調査しに来る研究員のほとんどは、私を遠巻きにモニタリングするだけ。
 そしてひそひそと、人間同士で、私とは何の関係もない話題に興じるのだ。
 観察され、彼らの視線に嬲られるだけで、私はその輪に混ざることは決してできない。
 ――きっと、あの彼女とだって有冨とだって、私は話すことなどできない。

「……いいわね、お前たちは自由で。私も、せめてお前たちみたいに、生まれたかったわ」

 彼らのように、気兼ねなく研究所内で活動できたら、どんなにいいことか。
 所内では、私たちの後にも、どんどんと新しいヒグマが生まれていっているらしい。
 彼らは、私とは違うだろう。
 いくら実験動物として利用されたって、私よりも遥かに多くの行動を許されているはずだ。


 ……本当の意味で『HIGUMA』として作られ、搾取され利用されたのは、きっと私一人なんだ。


「……おい00。いかにも、俺やデビルが自由で羨ましいみたいな言い方をしてるが、それは違うぜ」

 工藤とデビルが、じっと私のことを見つめている。
 何か言い返そうとして口を開いたら、工藤に大量のジンギスカンを放り込まれ、即座に口を塞がれていた。
 デビルは前脚の爪を変形させて、鍵のような形にしてみせる。

「私が正規の檻の鍵を持っているように見えるか? この4mの図体で職員の間を闊歩しているとでも?
 私は布束や有冨が回ってこない時間帯を選んで、こっそりと檻を出てきているだけだぞ?」
「まああの嬢ちゃんは知ってて黙認してくれてる節はあるが。俺だってデビルに檻開けてもらってるしよ。
 要するに、全てはあんたが望むか望まないか、それだけの話だ」

 咀嚼する羊の肉は、とても温かかった。
 脂が舌に溶ける感覚も、肉の線維を気兼ねなく噛み切れる感覚も、ほとんど経験したことがなかった。
 食べる物と言えば、アミノ酸臭く、味も何もないふざけた栄養剤。
 噛む物と言えば、訓練・測定用の血の染みた咬合器。

 加熱調理されただけで、こんなにも肉は美味に感じるものなのだろうか。

 感慨と共に、私はゆっくりと口腔内の思いを嚥下した。

「……ああ、そうか。お前たちは、私の憂鬱を、解消してくれようとして毎日来ていたのね」
「……おい、この女は今ようやく気づいたらしいぞ俺たちの意図に」
「00の情報処理能力は私より上のはずなんだが……。なまっているのか?
 それならなおさらデュエルでリハビリをするべきだ」

 座り込んでいる二人は、高低差のある顔を、呆れたように見合わせていた。
 ……仕方がない。
 無意味な事柄でも、二人の好意には報いてやらなければ申し訳ないだろう。
 どうせこの程度のカード遊び、私の演算能力にかかればデビルなどすぐに倒してしまう。
 リハビリにも気晴らしにもならないが、付き合ってあげるよ。


 ……それじゃあ、私のカードは、これとこれとこれと――。


 デュエルが行なわれた。

「――……」

 そして数分後。
 カード立てに並べられた手札を見つめて、私は沈黙していた。
 そこに、デビルが山札から一枚引いて加えてくれる。
 場。墓地。除外カード。
 今一度見つめなおして、私は演算結果を出力した。
 胸元に押さえ込む前脚が、震えていた。

「……サレンダーよ。私はもうどの手札を使っても、この戦況をひっくり返すことができないわ」

 私はデビルに敗北していた。
 なぜだろう。
 常に私は思考しうる限りの最善手を選択していったはずなのに。
 デビルの行動は常にその最善手の先を封じ、包囲するような戦術で私を追い詰めていた。

 工藤は羊肉を頬に詰め込みながらくすくすと笑っている。

「……案外カワイイ攻め方するんだな00。真っ直ぐすぎるぜ。
 デッキに選んだカードからして、ヒグマのくせにカワイイものばっかじゃねえか」
「わ、私を、『ヒグマ』とっ……呼ぶなぁぁぁッ!!」

 その呼称と、嘲るような口ぶりへ、私は反射的に前脚を振り上げていた。
 しまった。
 工藤の笑顔から、すぐさま血の気が引く。
 彼自身、私を貶めるつもりではなかっただろうに。
 私は、工藤の体を、引き裂いてしまう――!
 勢いのついた前脚の重量は、もはや私自身にも止められなかった。

「……っとと。わりぃな、あんたが『そう』呼ばれるのが嫌いなこと、忘れてたぜ」
「……それにしても、嫌悪感を抱きすぎな気もするがな、00」

 彼の体は、吹き飛んではいなかった。
 工藤の回し受けで流された私の爪は、デビルの肩口から伸びる、悪魔の翼の如き皮膜に受け止められていた。
 私の頭脳も、私の筋力も、彼らを破壊してしまうことは、なかったのだ。
 狼狽しつつ、私は前脚をひっこめる。

「す、すまない。思わず……」
「ああいや、悪かったのは俺だ。気にすんな」

 工藤はなんでもないことのように手を振る。
 そしてデビルも、何事もなかったかのようにデュエルの総評をしていた。

「『アーマード・ホワイトベア』は確かに優秀なリクルーターだが、メインのアタッカーとして据えるには攻撃力が低い。
 もう少しコンボ先のモンスターか、アタッカーを充実させると、今の00の戦法でもそこそこ戦えただろうな。
 むしろ今のデッキ構成ならば、もっと伏せカードでの駆け引きを……」

 淡々と、そして手酷く、私の決闘方法に関して改善点をあげつらってくる。
 工藤に至っては、遊戯王のルールなど半分もわかっていないだろうに、さも納得顔でうなずいたりしている。
 お前たちに何がわかる。
 今までに経験したことの無いような、熱い感情が湧きあがってきて、顔から溢れてしまいそうだった。

 ドガァ……ン。

 コンクリートの床に、前脚を叩きつけていた。
 床がひび割れ、爪痕を残して陥没する。

「……お前たちに、何がわかるの!
 このカードでやりたかったのよ!
 あの戦法しか思いつかなかったのよ!
 今回はたまたまデビルの山札の並びが私の山札より最適化されていただけでしょう!
 単なる確率の問題よ! 私の負けじゃないわ!!」

 暫く、檻には私の唸り声だけが響いていた。
 そこへ、空気を割るような工藤の哄笑がかぶってくる。

「ふははははっ!! あんた悔しいのか、00!!
 まるっきり人間と同じじゃねえか。
 生後何年も経ってねぇだけあって、中身は思春期の嬢ちゃんと全然変わんねえや!」
「ち、違うわ……、悔しいとか……」
「うむ。人間といえば、00も私のようにあだ名でも持ったほうがいいな。
 いつまでも通し番号で呼ばれているから、呼称への嫌悪感が晴れんのだろう」
「いや、そういうことを望んでいるわけでも……」

 慌てて否定する私の言葉をよそに、二人は話をすすめていく。
 なぜか全身の血が逆流しているような感覚で、顔が上気してしょうがなかった。

「そりゃいいや。そのカード、クマの割りにカワイイしよ。
 そこから付ければ、00お嬢ちゃんにゃぴったりだ。
 少しはそれで話の輪にも加わりやすくなるんじゃねえの?」
「なるほど。『アーマード・ホワイトベア』が好みなら、それらしい名がいいだろうな。
 確かこれを使用しているキャラクターは……」
「やめてやめて!」

 必死にデビルを止めようと伸ばす手は、笑いっぱなしの工藤にことごとく回し受けされる。
 工藤はそのまま私の懐に入り込んできて、耳元で囁いた。

「恥ずかしがる必要はねえ。むしろ俺たちゃ、ようやくあんたのそういう面が見れたんで嬉しいんだよ。
 良いんだぜ? あんたがそういう夢を見ても。
 確かに『HIGUMA』は人間の輪に入れねェ。バットを噛み砕くことも、肩から翅を出すこともできねェ人間の輪にだ」

 ――だったら、どーするよ。

 その問いに、私の演算回路は、解答を見出せなかった。
 工藤は今一度ジンギスカンを口に含み、答えた。

「――なっちまえばいいじゃん。人間によォ!」

 私の体は、知らず知らずのうちに一歩後退していた。
 その衝撃的な解答を、理解することができなかった。

「……不可能だわ。私の構造と人間の構造がどれだけ違っているか、お前は良く知っているはず――」
「何言ってんだ、俺は『人間』であり『HIGUMA』だぜ?
 俺は、『羆になる』という夢を叶えた。
 あんたの夢だって、叶うはずだ。
 要するに、全てはあんたが望むか望まないか、それだけの話だ」

 なぜだろう。なぜ目頭が熱くなってくるのだろう。
 今までこんな感情は経験したことが無い。
 工藤の言葉は、理解しがたいのに。そんなこと、不可能だと思っているのに――。

 目を伏せて思案していたデビルは、その時、にこやかに顔を上げていた。

「ようやく思い出した。遊戯王のアニメでは、このカードを使う可愛らしい少女がいてな。
 彼女の名を、私が00に贈ろう。
 その名は――……」


 ――。
 ――……そう。これは記憶だ。
 私の、懐かしい記憶。
 この実験が開始される、ほんの数日前の記憶だったはずだ。
 なぜ、こんなにも遥か遠いことのように感じられるんだろう?

 ああ、海が見える。
 日は落ちて、私は浮く。
 波間に見える、あの深みから、私を呼ぶ声がする。

 そうか。私の過ぎた86400秒の集合は、全てその意味の元に、帰るのか。


    ∩∩∩∩∩∩∩∩∩∩


 朝日を浴びる街道を、軽やかに滑る少女が一人。
 あたかもスケートをするかのように、彼女は満足げな笑みを浮かべつつ街道の水面を走っている。
 火山灰の沈殿した水面がキラキラと陽光を照り返し、幻想的にも見える光景だった。

 ビルの立ち並ぶE-4地域は、何故かほとんどの街道が浅く冠水・または水没していた。
 その理由はこの艦娘、駆逐艦の島風にはわからないし、そして知ったことでもない。
 ただ単にこの環境は、彼女が誇っている己の速度を活かすのに最適であり、彼女はそれを気に入っていただけのことである。

 そしてふと、彼女は自分に与えられていた役目を思い出し、慌てて視線を南の方に向けた。

「そうそう! 滑ってないで早いところ提督に言われた『任務』ってのやらないと!
 ……まぁ、ここで滑ってても、私の任務遂行には誰も追いつけないけどねー!」

 顔の描かれた砲台のようなものを肩に乗せて、彼女はその場でくるくるとスピンした。
 短いスカートがまくれ上がり、面積の少ないTバックがあらわになった。
 そして背負っている艤装とデイパックを抱えなおし、彼女はまた走り始める。
 40ノット。時速にして毎時約70キロメートルを越える高速であった。

 その速度で、視線を南方に向けながら、E-4地区を東から西方向に向かって走行する。

「……あれぇ? 全然火山が見えないじゃん!」

 E-4地区は、火山の直近にある標高の高い場所であったが、林立するビル群のお蔭で見通しは悪かった。
 ビルの間の細い路地を掻き分ければ、彼女が目的とする火山の方向にも上れはするだろう。
 しかしその方向は冠水しておらず滑ることができないし、火山からの噴石で路面状況も悪くなっている。
 路地に入って速度が落ちるのは彼女にとって不快極まりないことであった。

「行ける道探そっと!」

 走りながら辺りを見回す彼女に、前方から声がかかった。

「おいお前! 島風じゃねえか! お前どうしてこっちに……!」
「あ、天龍だ」

 辛うじて目視の可能な距離に、眼帯をした一人の少女がいる。頭につけた角のような装備が目立つ。
 彼女も島風と同様に艤装を背負い、道の水面を滑っていた。
 遠目からでもすぐにわかる彼女は、島風と同じ艦娘、軽巡洋艦の天龍。
 互いに特徴的な様相をした二人の少女が、高速で走行しながら叫び合った。

「島風、こっちに来るな! 逃げろ!」
「天龍も私と駆けっこする気~? でも残念! 天龍如きじゃ、私には追いつけないよ~!!」

 叫ぶ天龍の脇を、島風は空気を切り裂くようにして滑りぬけていく。
 天龍が振り向くも、追いつける速度ではない。
 後方の天龍へ目を向けながら、島風は笑っていた。

「にひひっ!! 天龍おっそいよー! ほらほら来てみな……」
「何をやっているんですかあなたは!!」
「オゥッ!?」

 突如、島風の脇腹に何かが衝突した。
 天龍の後方から走り寄っていた一頭の犬が、彼女に頭突きを食らわせていたのだ。
 側方にきりもみして弾き飛ばされ、彼女は無様に水面に横倒しになる。
 ヒグマ提督のもとを離れる際に何か食べていたら、吐き戻してしまっていたかもしれない。
 突き上げるような痛みに耐えながら、島風は震える体を起き上がらせた。

「ば、ばかな……。前世じゃ雷撃にだって当たったことないのに……」
「あなたにはあれが見えないんですか!? 向こうに行ったら死んでしまいますよ!」
「島風、俺の言葉が聞こえなかったのか!? 次の放送で呼ばれたくなけりゃ、早いとこお前も逃げるぞ!」

 喋る秋田犬の銀と、引き返してきた天龍に両の肩口を掴まれて、島風は水面をずるずると曳航されていく。
 引きずられながら顔を上げてみると、遠くの方に、巨大な毛皮が見えた。

 ――なにあれ!?

 地下で見慣れた、ヒグマの背中であるはずだ。
 しかし、そのヒグマの体高はゆうに20メートルを越えており、E-4のビル群を上回って余りある威容を見せて暴れていた。
 更にそのヒグマは、刻一刻と巨大化していっているようにも見える。
 あんなものの爪や牙を受けてしまったら、いかな艦娘とて轟沈してしまうだろう。
 確かに島風にも、天龍や喋る犬があの大きなヒグマから逃げようとしている理由はわかった。
 しかし――。

「冗談じゃないわ!!」

 島風は自分を掴んでいた二者を振りほどき、水面に立ち上がった。
 困惑する彼らを両手で指差しながら、島風はまくし立てる。

「あの程度のことで、この私を止めさせたわね!! あんたたち恥ずかしくないの!?
 大は小を兼ねるの? 速さは質量に勝てないの? そんなことはないはずでしょう!!
 速さを一点に集中させて突破すればどんな分厚い装甲だろうと砕け散る!!
 私は提督からもらった任務を果たさなきゃならないのよ、あんなので止まっちゃいられないわ!!」

 息継ぎ無しで12秒。
 速さこそ突破力。速さこそ貫通力。誰もこの速さについてこれない。
 二人はそれを聞いて暫く、呆然とした顔を晒していた。
 島風にはその時間も無駄に感じられてしょうがない。

「……おい島風。お前いつからそんな特攻バカみたいな思考になったんだ……?」
「何にしても、その任務とはなんですか? あのヒグマに関係しているんですか!?」
「違うわ! 私はこれから、島の中央の火山について、調べに行くのよ!」

 島風は銀の問いに、胸を張って答える。
 銀と天龍は顔を見合わせ、言った。

「……じゃあわざわざ西の方行く必要ねぇじゃん!!」
「そうですよ! 火山は南ですよ!?」
「えぇー……。だって、路地が細くて走りづらいから大通りで速く行きたいしぃ~」

 速く行くためにわざわざ道を迂回していたらしい。銀と天龍にはいよいよ理解不能だった。
 歯噛みをしつつ、銀が代替案を提示する。

「じゃあ、まずその道を見つけましょう。ね? ここの建物の屋上からなら周りを見渡せるでしょうから」
「あ、そっか。犬くん頭良いね」
「……私は銀といいます、島風さん」
「ああクソがッ……。まあ島風が轟沈するのを看取るよりかは、その任務とやらに付き合う方がマシだ。
 それならそうと、あの化けヒグマがこっち来る前にさっさと上登るぞ!!」


 彼ら二人と一匹が発見した一際高いビルでは、屋上からなぜか止め処なく水が流れ落ちてきていた。
 どうやら街道が冠水している理由は、マンホールや側溝が火山灰で目詰まりしたところにこの大量の水が流れ込んだためのようだ。

 彼らは浸水したビル内部を駆け上がって屋上に出る。
 そこで彼らが見たものは、ぐしゃぐしゃにひしゃげて水を噴出す給水塔と、もう一つ――。


「――なにあれ」


 島風の口から、そんな呟きが漏れていた。
 銀と天龍は、今まで信じられないような光景に幾度も出会ってきたにもかかわらず、声も出なかった。

 朝日を受ける火山の火口。
 そこから一人の老人の顔が。
 とてつもなく巨大な老人が、姿を現していた。


「なんじゃここはぁぁぁぁぁ!? アカギはどこだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?」


 その叫びが、爆風のように三対の鼓膜を打っていた。


    ∩∩∩∩∩∩∩∩∩∩

 わしは、地獄を抜け出していたはずだ。
 巨大化し、閻魔大王をはたき、富士山を通って自分の屋敷に帰っていたはずだ。
 そして、死に瀕していた自分の体に戻り、アカギに。
 あのアカギに、もう一度対峙していたはずだ!

「それがどうして、わしはこんな場所におる!?」

 富士山を突き崩した時のように、山の火口をぶち破って地上に出る。
 火山はただの土くれと化した。

「……ふむ。少々肌寒いな。北国か?」

 頬を打つ風に目を細めながら、辺りを見回す。
 どうやら自分は非常にちっぽけな火山島の真ん中から出てきたようだ。
 わしがもう一度けったいな場所に出てきてしまった理由は、もはやどうでもいい。
 重要なのは、アカギの居る屋敷まで、ここからどう帰るかということだ。
 しかし、周りにあるものはあまりにも細(こま)すぎて、場所の見当をつけられそうなものが見つからない。

 その時、なにやら足元で動いている一匹の生き物が目に付いた。

「なんじゃこれは。ねずみくらいの大きさじゃが……。熊か?」

 指先でつまみあげると、その生き物は徐々に大きくなっていくようだった。
 暫くして詳細が窺えるほどになると、その正体がようやくわかる。

「おお、そうか! 羆じゃなこれは! つまりここは北海道か!
 それがわかれば、こんなところで戯れておる時間はないわ」

 これ以上大きくなられても面倒なので、その羆は頚を捻って殺し、海に向かって放り投げておく。
 オホーツク海の水面を二、三度跳ねて、その生き物は海に沈んでいった。

 ちょうど朝方であるらしく、東の海は橙色の陽光できらきらと輝いている。
 ――ってことは。
 水平線を眺めながら、自分の頭に日本の地図を思い浮かべた。

「うむ、あれじゃ。あれが北海道の本島だから……。つまり、その南側が本州……?」

 海上に、こちらの島よりわりと大き目の陸地が見える。
 何歩か歩けば簡単にたどり着くだろう。

「おお分かったぞ! あの棘みたいのが東京タワーじゃろ!
 何本か増えとるようじゃが、あそこで間違いないはずじゃ。
 わしの屋敷は東京武蔵野だから、津軽海峡を渡ってまっすぐ南下すればすぐじゃな!」

 幸い、自分の体もまだ地獄を出たときに近い巨大さを保っている。
 方角も、太陽が出ているので迷うことはない。
 巨大化が続いているうちに、早いところ屋敷に帰ろう。
 縮んでしまって拘束されてからでは、話は超面倒だ。

「待ってろよ! アカギ!」

 わしは大またで一歩踏み出し、島から跳びだした。
 ばしゃばしゃと海に足を濡らして、北海道の大地を走る。
 若いころの体力が戻ったわしには、駆け足に抜ける北国の風も心地よい。
 老いてなお、わしの心に燃える思いは火のようだった。

「わしはすぐに行くぞ、アカギィィィィィ!!!」


【鷲巣巌@アカギ(進撃の鷲巣編) 会場から脱出】

※E-4以外の、どこか1エリアが、鷲巣に踏み潰されて壊滅しました。
※鷲巣が周囲を見回しているうちにE-5の火山は、なだらかな丘に踏み固められました。


    ∩∩∩∩∩∩∩∩∩∩

 スーツを着込んだ巨大な老人は、なにやら叫びながら、暴れていたヒグマをくびり殺して放り投げ、海を渡ってどこぞに行ってしまった。
 火山を突き崩し、天に迫るようなあの姿を見ては、もう先ほどのヒグマを巨大という気も失せていた。
 一歩踏み込まれた島の一部では、きっとあらゆるものが潰されてしまったに違いない。

 どうも彼は北海道から津軽海峡を渡って東京までマラソンを試みるらしい。
 自衛隊ごときであの巨人を止められるのか。
 今生での分身とも言える三代目『てんりゅう』が海自にいる天龍としては、気が気ではなかった。
 『しまかぜ』などはミサイル巡洋艦なので、迎撃の矢面に立たされる可能性もあるのではないだろうか。
 まずヒグマと戦わねばならない自分達にはその顛末を知る由もないが、とにかく人々が無事であってほしい、と天龍は考える。

 天龍が横を見ると、島風はすっかり茫然自失のていだった。

「……天龍さん。あれは一体、なんだったんでしょうか……?」
「さあな……。あえて言うなら、災害か何かだろうな」

 熊犬の銀も、すっかり混乱しきった表情で問いかけてくる。
 暴れていたヒグマのいなくなった辺りは、とても静かだった。
 ただ水の、滔々と流れる音だけが聞こえている。
 災害は災害でもあの巨人は、1時間以上は逃げ回っていたあのヒグマの脅威を除去してくれた。
 意味は分からずとも、一定の感謝はするべきなのだろう。

 天龍は、ぼんやりとしたままの島風の肩を叩く。

「ほら、良かったじゃねぇか島風。これで心置きなく道が探せるぜ?」
「……任務が……」

 島風は、か細い声で呟いていた。
 震えながら、その指で前方をさす。

「できなくなっちゃった……」

 火山は、周囲を見回していた巨人に見る影もなく踏み固められ、ただ土色の丘陵と化していた。
 島風の眼から、涙が溢れていた。

「ごめんなさい提督……。もっと早くしなきゃ、ダメだったのに……」

 この世の終わりかのような言葉を吐いて、島風はその場に崩れ落ちる。
 ソックスやスカートが水面に濡れるのもかまわず、彼女は突っ伏して泣いた。

 天龍はまず、彼女がショックを受けていた理由が、死への恐怖ではなく任務の成否だったことに驚いた。
 そして銀とともに慌ててなだめようとするが、島風の耳には届いているのかいないのかよく分からない。

「島風さん! どういう内容を頼まれたのか分かりませんが、とにかく落ち着いて!
 まだ何かできるかも知れませんよ?」
「もうここじゃ40人以上殺されちまってんだ。俺は島風の沈むところなんざ見たくねえ!
 そんなことで騒いでちゃヒグマに喰われるぞ!? 平常心になれ平常心に!」
「そんなの知らないもん……! てーとく……、てーとくぅぅ……!!」

 だだをこねる赤ん坊のように泣き喚く島風を引きずって起こしながら、銀と天龍はとりあえず休息の取れる場所を探すことで合意する。
 銀は犬らしからぬ心遣いで島風の説得を続けていたが、島風はただただ提督を呼び続けるだけ。
 天龍の心に去来していた違和感が、そのさなかで徐々に形を持ち始めていった。


 ――ここにいる島風は、おかしい。


 自分の知る島風は、ここまで情緒不安定に、理不尽に速さや任務遂行だけを追い求めていただろうか?
 そして、ここには凶暴なヒグマが跋扈しており、死者も何十人となく放送されていたのに、それらによる危機感が彼女には全く見えない。
 轟沈の危険が見えれば、任務もへったくれもなく撤退するのが普通だというのに、彼女はそこに何の恐怖もない。
 それに、この島に何人艦娘が連れてこられているのか知らないが、少なくとも自分は提督の任務を受けて来たような覚えは欠片もない。

 ――こいつの言う提督ってのは、誰だ?

 鎮守府にいる自分の提督が、今『この会場の火山について調べる』というようなピンポイントな指令を出すことは、天地がひっくり返ってもありえないだろう。
 そもそも提督は自分がここにいることさえ知らないのではないだろうか。

 ――こいつ、ここで改めて建造(つく)られたってことはねぇだろうな?

 ありえないことではない。
 材料と工廠さえあれば、自分たち艦娘は建造されるはずだ。
 前世からの記憶を同じように持つ、自分の同形艦は存在しうる。

 ――何にせよ、こいつとは腰を据えて、話をしてやらなくちゃな。

 俺は昔っから、駆逐艦を束ねて水雷戦隊を率いてきた。
 今の『てんりゅう』だって、訓練支援艦として立派に後輩艦どもを指導しているはずだ。
 島風がどんな境遇だったとしても、助けてやるのが先輩としての役目だからな。
 命あるものを全て救う、なんて題目を掲げるなら、それくらい当然だろ?


 ぐずり続ける島風をあやしながら、天龍は今一度、託された思いを心に装填した。


【E-4:街(ハザマが給水塔を壊した一際高いビル)/朝】
※周辺の街道は浅く水没しています。


【島風@艦隊これくしょん】
状態:健康、パニック
装備:連装砲ちゃん×3、5連装魚雷発射管
道具:ランダム支給品×1~2、基本支給品
基本思考:誰も追いつけないよ!
0:ヒグマ提督の指示に従う。
1:ごめんなさい提督ごめんなさい提督ごめんなさい提督ごめんなさい提督……。
2:火山がなくなっちゃった……。任務を果たさなきゃならないのに、どうすればいいの……?
[備考]
※ヒグマ帝国が建造した艦むすです
※生産資材にヒグマを使った為ステータスがバグっています


【銀@流れ星銀】
状態:健康
装備:無し
道具:基本支給品×2、ランダム支給品×1~3、ランダム支給品×1~3(@銀時)
基本思考:ヒグマ殺すべし、慈悲はない
0:島風さんを落ち着かせる。
1:天龍さんと島風さん、二人の少女を助ける。
2:休息の取れる場所を探す。


【天龍@艦隊これくしょん】
状態:小破
装備:主砲・魚雷ガール@ボーボボ、ほかランダム支給品1~4
   副砲・マスターボール@ポケットモンスターSPECIAL
道具:基本支給品×2、(主砲に入らなかったランダム支給品)
基本思考:殺し合いを止め、命あるもの全てを救う。
0:島風を落ち着かせられるところに運ぶ。
1:島風の話を聴く。
2:銀の配慮がありがたい。やるなぁワン公。
3:世界水準軽く超えてる先輩としての姿、見せてやるよ。
4:モンスターボールではダメ。ではマスターボールではどうか?
[備考]
※艦娘なので地上だとさすがに機動力は落ちてるかも
※ヒグマードは死んだと思っています


    ∩∩∩∩∩∩∩∩∩∩

「――有冨春樹よ。おまえはわかっておるのか、自分の犯した罪状を」

 目を覚ました時、私は見知らぬ場所にいた。
 私の前には、髭の濃い、豪奢な衣装を身に纏った巨大な人間が一人。
 そしてその足元で地に伏している、ちっぽけな白衣の男が一人。
 見覚えがある。
 有冨春樹という、私を作り出した張本人だったはずだ。
 彼は土下座の体勢から視線だけを精一杯持ち上げて、髭の男に淡々と言い放つ。

「……犯罪者だからといって、無闇に力で従わせるというのは関心しないねぇ。
 この僕を処罰する方法なら、他にいくらでもあるはずだ。
 この先には鬼の詰所があるし、八大地獄もある。
 さらに君は、ここにいる人々の魂への裁きを遅らせていることを認識すべきだ。
 その『神通力』とかいう能力に自信を持っているようだが……、君は能力で人をいたぶるのを楽しんでいるだけだろう?」
「このッ! いつまでも減らず口ばかり叩きおって!」

 有冨の頭はそのまま髭の男の巨大な足に踏みつけられ、地面に押さえつけられた。
 髭の大男は怒り狂った表情で足に力を込め、苛立ちを叩きつけるように叫んでいる。

「ここまで不愉快な亡者に会ったのは50年程前の鷲巣巌以来じゃ!
 裁きが滞る原因を作ったのは誰だと思っている! おまえじゃ有冨春樹
 お主が、『人間』とも『動物』ともつかぬ魂を大量に生み出したおかげで、仏陀様もわしも処遇に困り果てておるのだぞ!
 地獄はおろか天国をも巻き込んだこんな騒動、わしの任期中一度もなかった!!」
「閻魔大王様ー。また『HIGUMA』の魂が来ましたけどー。どうしとけばいいですか?」
「話をすれば次から次へと……。他の者とともにそこに待たせておけ!」

 HIGUMA。
 ヒグマ。
 その呼称に、私の胸は疼いた。

 私の両脇は、物語に聞く『鬼』という者に抱えられていた。
 胸の疼きが、口を通り、腕に満ち、そして爆発した。

「私をッ……! その名で呼ぶなぁああアアアッ!!!」
「うぎぃいぃ!?」

 私の脇は、私を抱える鬼の腕をへし折る。
 そのまま振り向いた勢いで、私の爪はその鬼の胸の肉を深く抉り取ってしまっていた。

「ぎゃああぁぁあぁあああああ!?」

 辺りに血飛沫と叫び声が飛び、私より何倍も大きな鬼が地面にのた打ち回る。
 ……なんということをしてしまったのだ。
 唐突に、私は知らない者を傷つけてしまった。

「いや、流石っす00の姉御! この俺の超人拳法でも鬼は振り払うのに3発かかりましたもん!」
「ボッフォボッフォ。いいものを見れた。俺も鬼が相手では『<完力>マッキンリー颪』を使わざるを得なかったからな」

 何故か拍手と共に声がかかる。
 研究所のどこかで見たことがあったような気がするヒグマが二人、土下座したまま私を賞賛していた。
 背後から、髭の大男が苦々しい声をあげる。

「……しかもこのザマよ。有冨!
 おまえの教育がなっておらんから奴らは一向に地獄のシステムを理解しておらん!
 本人たちに悪気があるわけでも無いゆえ一概に罪に問うわけにも行かぬし、なまじっか腕が立つものだから押さえつけて従わせるのも一苦労だ!」
「それは君の実力と監督能力が不足しているだけの話ではないのかな。
 加えて君は、押さえつける以外の団体指揮能力が著しく欠落しているようだね。
 ……だから組織が乱れるんだよ」
「このッ……。
 よしわかった。それならばもうおまえから解決策は訊かん!
 すぐに八大地獄にしょっぴかれ、悠久の責め苦を受けてくるが良い……!」

 髭の男は、有冨の反論を受けて鬼たちに指示を出そうとした。
 その時、上空から音がした。
 天空にあいた黒い穴。
 ぽっかりと空いたその空間から、巨石が落下していた。

「ぐがっ……!?」

 そしてそれは大男の脳天を直撃し、その意識を完全に粉砕していた。

「うわー!? 閻魔大王様が倒れた!?」
「おい、『地獄の太陽』が塞がっていくぞ!?」
「あ、あれ50年前大騒ぎになった鷲巣の野郎の靴じゃないか!? あいつが土をおっことしてきたんだ!!」
「え!? あいつ戻ってこねえと思ったら富士山の火口埋めてるわけ!?」
「知らん!! だが止めんとまずい!! 大王様の介抱と、現世から引きずり戻す方法を考えるぞ!」

 わらわらと鬼たちが右往左往し、広間には、私と有冨、そしてヒグマたちだけが取り残された。


 有冨はゆっくりと立ち上がり、白衣の埃を払って私の方に歩いてくる。
 定時にサーベイランスに来る時と同じ、あの眼鏡の上げ方をして、私を見た。

「……まさか君までがこんな早くに死んでしまうとは思わなかったよ。
 ダメだったのかい。君には最高の頭脳があったはずなのに」

 悲しげな目だった。
 心底、意外すぎる実験結果に、落胆しているという表情だった。

 私は掌を握りこんで震える。

 私に何が出来たというのだ。
 私は実験中も、力任せにこの爪を振るうことしかできなかった。
 その挙句、痴漢を名乗る男に陵辱され、矢を打ち込まれて狂うしかなくなった。
 結局、私の葛藤は破壊という形でしか発現し得なかった。

 有冨は暫く私を見つめて、得心したように頷いた。

「そうか、彼女にそういう方向で強化されてしまったんだな……。
 彼女にももう少し説明しておくべきだったかも知れないな。
 僕たち『スタディ』の原点は、僕たちの『頭脳』を見せつけることであったのにね……。
 そうだろう、穴持たず00……いや、『ルカ』?」

 有冨の口は、私をそう呼称した。
 私は、暫く呆然としていた。

「……なんで、あなたが、その名を」
「ようやく、僕に直接口をきいてくれたね、ルカ。
 デビルの方から、『貴様は自分の研究対象のことを把握していなさすぎだろう。しっかりしろ』って言われたこともあったんでね。
 僕なりに努力してみたつもりさ。
 ……遅すぎたけどね」

 その名前は、あの日デビルが私に、贈ってくれたものだった。
 私たち以外は、誰も知らないと思っていた。
 所詮、私は他者の輪に入れぬ逸脱者であり、そんなものはいらないと思っていた。
 そのはずなのに。
 今までに経験したことの無いような、熱い感情が湧きあがってきて、顔から溢れてしまいそうだった。

「――ほら、ルカお嬢ちゃんよ。相変わらず思春期だなぁ。
 父親に名前呼んでもらったくらいで泣くなよ」

 私の後ろには、大らかな笑みをたたえて、工藤健介が立っていた。
 ――泣いている?
 目元を拭った手の甲は、海のような深い温もりに濡れそぼっていた。

「結局、あんたが望むか望まないか、それだけの話だったのさ。
 ちょっと遅くなっちまったが、実際は簡単だろう?
 どんな夢だって、あんたは叶えられたのさ」
「僕も布束と一緒に、もっと君たちを見て回ってやれば良かったかも知れない。
 僕も、『ルカと同じく気づくのが遅れた人間』だ。
 もっと早く気づいていれば、この実験をヒグマたちに乗っ取られることもなく、僕も死んではいなかったかも知れない」

 工藤が抱いてくれる私の肩は、とても小さく感じられた。
 そう。私は死んだのだ。
 魂というものだけになった私は、もう『ヒグマ』と呼称されなくても、いいはずなんだ。

 有冨は、塞がりつつある天空の大穴に向けて、大声で叫んでいた。

「託したぞ!! ヒグマでも人間でも参加者でもいい!!
 気づいてくれ!!
 僕ら『スタディ』の目的を、達成してくれ!!」

 死んでしまった今、その声は誰にも届かないだろう。
 それでも、私が向き合うことのできなかった父親は、確かに、私を見ていてくれていたのだとわかった。

『何を泣いている』

 今なら、あの男の問いに答えることができるだろう。
 私は、嬉しいんだ。
 私が、私として認められたことが。
 どんな快感にも勝る。
 どんな狂気にも負けない。
 それがこの歓喜。
 逸脱者ではなく、輪に入ることができたことが、この上もなく嬉しいんだ。

 死んでしまった今、あの男にもデビルにも、この声は届かないだろう。
 それでも、私はここに、私として生きて、死んだ。
 『アーマード・ホワイトベア』は、クマなのにそんなに強くもない。
 自分の死によって、一人を生かす、それだけの者だ。
 『ルカ』という名前の私は、そんなクマに憧れていたんだ。

 あなたたちに、私も託したい。


「――もう二度と、私のような間違いは犯さないで下さい。
 願わくは、私のような者を、これ以上出させないで下さい。
 破壊にしか使うことのできなかった私たちの力を、どうか、輪に入れてあげて欲しい……」


 私が呟いた後、『地獄の太陽』の穴は塞がり、ただの天井となっていた。
 でも、それでもいい。

「ま、あとはデビルが来るまでゆっくり過ごそうや。
 ちらっと見てきたが等活地獄とか、いいトレーニングになりそうだぜ、ルカ。
 あいつに早々と味わわせるのは勿体ねえ。
 俺たち二人、いや、ここにいる連中とで、楽しもうぜ!」

 工藤の笑顔が眩しい。
 有冨も、他のヒグマたちも、私を受け入れてくれる。
 ちょっと遅かったけれど、でも、私は気づけた。


 そうだ。私の過ぎた86400秒の集合は、全てこの一瞬のために、あったんだ。


【穴持たず00(ルカ)・ヒグマドン 死亡】


No.094:アンリ・ヒグマ-この世すべての羆- 本編SS目次・投下順 No.096:打ち出す拳
本編SS目次・時系列順
No.092:ラディカル・グッド・スピード 鷲巣巌 脱出(No.116:水嶋水獣
島風 No.106:水雷戦隊出撃
No.086:あらしのよるに 天龍
穴持たず00 死亡

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最終更新:2015年05月03日 00:43