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9/22 ナポリ近郊(エルコラーノ、ポンペイ)


 8:30起床。歯を磨く。同室の他の人が浴室を使っていたので、相当長く磨いた。それから、同室の日本人(ノブ)と朝食を食べた。安いレストランが無いこのナポリで、朝食が食べられるのはよかったと思った。牛乳を飲み、ヨーグルトを食べた。久しぶりに乳製品をまともに摂った気がする。食事をしながら、ノブにローマのことを聞いた。
 ノブは7月下旬からイタリアを旅行していると言う。ミラノ→フィレンツェ→ローマ→ナポリ→南下→シチリア島→パレルモ→ナポリ。ナポリへは夜行フェリーで来たようで、僕と同じ晩の船だった。しかし彼はtirrenia汽船であった。かつて飲食店に勤めていたという。今は働いていないが、日本に帰ったら働く場所が見つかっており、そこは日本で本格的なナポリピッツァを出す店だという。そういうわけで知見を広めるため、イタリアを旅行して各地の料理を食べ歩いているという。

 ホステルを出発したのは10時半だった。ヴェスヴィオ周遊鉄道の始発駅(Porta Nolana)へ向かう。ホステルから南に200m程。途中が市場になっていて、野菜、フルーツ、肉、魚介が所狭しと並んでいる。それを見て、漸くなポリが身近に感じられてきた。安い屋台もあるので、今夜はここで食事をしたいと思った。

 11:09発の列車に乗る。列車は揺れた。物書きなどできない。次の駅Garibaldiで大勢が乗り込んできて混雑した。窓の外にはVesvio山が見えた。20分ほどでErcolanoに着いた。
 Ercolano駅は高台にあり、一直線に下り坂が続いている。果てには海が見える。遺跡は坂を降りた先にある。途中レストランの看板をみると、ピッツァやスパゲッティが5ユーロとある。遺跡を見た帰りに食べることに決めた。
 Ercolanoでは11ユーロのコンバインチケットを買った。(ポンペイも見るならこれが得だとのこと。)Ercolanoは紀元頃のVesuvioの噴火によって滅んだ街。Pompeiとは異なり、火砕流に覆われたため、内部の空間が残っており、有機物の保存状態もよいらしい。発掘当時の写真があり、そこでは薄暗い遺構に、まるで地下洞窟探検のように上からチューブをつけた人間が、遺構に降り立っていた。
 Ercolanoは小さな村のようだったが、残っている街の部分だけでも500人は生活できそうな規模だった。歩き回ると結構複雑でとても疲れた。
 家の遺構がほとんどで、その内では壁半分より上は失われて空が覗けるものが多い。それでも間取りはよく分かる。入り口から階段があり、廊下があり、いくつ部屋がある等。当時はかなり安定した生活が行われていたことが想像された。壁や柱で特徴的なのは、赤い薄い煉瓦と、クリーム色の大き目のブロックを組み合わせていること。それらが規則的な模様を作っていた。扉の丈夫には材木が渡してあり、その上にまた煉瓦が積まれて壁となっている。また、丸い柱も2種類の煉瓦等で作られている。当時はこの煉瓦を骨として、セメントで整形され、滑らかな表面だったのだろう。それから、壁の一部にはフレスコ画が残っていた。また、綺麗にタイル張りされた床があった。

 Ercolano駅まで戻り、レストランへ入る。5ユーロのスパゲッティを注文しようと思っていたのに、店員が高いメニューを薦めてくるので、それと妥協する形で9ユーロのスパゲッティ・ポモドーロを注文してしまった。ショック。しかも出てきたのはなぜかスパゲッティではなくペンネだった。さらにショック。

 再び列車に乗りPompeiへ。1.8ユーロ。
 pompeiはErcolanoと比べると相当規模が大きい。村と大都市くらいの差がある。どこぞのツアーガイドの話を横から聞くことで少し情報を得た:
  • 公共の泉があり、一日に一度水を放流していた。その流水で町中を掃除していた。そのため、街は傾斜に作られている。また放水中に道路を渡れるように、道には飛び石が配置されている。
  • Ercolanoと異なり、噴火の熱によって人々は死んだ。その後は火山性のガスが充満し、残りの人も死んだ。そして灰が積もり街は埋まった。建物の大部分は、噴火時の地震で崩壊した。
家屋が丸々残っているのはまれだ。間取りの分かる程度の廃墟をひたすら歩いた。発掘された品々はナポリの博物館に移動されているので、ポンペイに在るのはただ巨大都市の残りだ。昨日博物館に行ったことがとてもよかったと思った。噴火で死んだ人々の遺体も見た。姿かたちが生々しい。中には表情まで読み取れそうな者さえいる。どうやら皮膚が石のようになってしまっているようだ。石にならなかったところは、腐ったのか骨が覗いている。頭部の一部分だけ骨が露出しており、そこに石の皮膚が纏わり着いているような者もあった。今もあの中に意識があるのではないか…そんな恐ろしい考えが浮かんだ。
 結局18時までPompeiにいた。今日は昼から半日よく歩いた。ビーチサンダルできたので、とても涼しくてよかった。

 18:23の急行でPorta Nolanaへ。19時着。辺りは薄暗くなってきていた。さて、あの市場はどうなったのかと覗いてみると、なんとまだ野菜等の露店は開いていた。結構一日中やっていることが分かり安心した。そして屋台で食事。パスタを卵でとじて、ケーキ状にした料理、それと野菜のフリッと、それからビールを飲んだ。これで3.5ユーロ。安い!これぞ僕の求めていたものだ。
 食後に市場を歩くと、市場は丁度店じまいをしていた。19時終わりらしい。そして田舎風のレストランを見つけた。「お腹いっぱいだけど、メニューが見たい」と言ってメニューや料理を見せてもらうと、スパゲッティ・ポモドーロが4ユーロ。なかなかよさそう。店は家族で営んでいるそう。明日ぜひ行ってみようと思った。

 宿に戻る。インドの青年がいなくなっていた。ポルトガルの青年、南アフリカの青年らと話す(自分はほとんど聞くだけで精一杯)。南アフリカは自然が豊かで、景色が美しいとのこと。ご飯もまあまあ美味しくて、ワインもいけるそう。ビールは1.5ユーロほどで安い。また、南アフリカに隣接したアフリカの都市にも行くそうで、景観が素晴らしいと言っていた。いつか行ってみたいと思った。
 ノブと話した。Napoliのタダで楽しめる観光スポットを教えてもらった。明日は市内を回ろうと思っていたので丁度いい。それからBooking.comというホテル予約サイトを教わった。Romaの安宿が簡単に予約できてしまった。これでRomaで宿を探して歩き回る必要が無くなった。

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最終更新:2015年10月23日 00:24