#right(){&furigana(すうこうはとうさくされるのか)【検索用:&furigana()&space(2)登録タグ:&tags() 】} #region(close,目次) 目次 #contents() #endregion |&nicovideo(https://www.nicovideo.jp/watch/sm37387001)| 作詞:[[ukiyojingu]] 作曲:[[ukiyojingu]] 編曲:[[ukiyojingu]] 唄:[[結月ゆかり]] **曲紹介 >&bold(){「言語交錯 7/10」} 曲名:『&u(){崇高は盗作されるのか?}』(&u(){すうこうはとうさくされるのか}) -ukiyojingu 作品集第3弾『言語交錯』収録曲 **歌詞 ([[bandcamp>>https://ukiyojingu.bandcamp.com/]]より転載) 大阪の交差点上で、聞いたことのない音楽を聴いた。 とても奇妙で、私には崇高なものに思えた。 だから私は、その崇高をこの曲にし、盗作する。 自らの意図をもって、崇高と大阪の交差点を盗作している。 夜景に崇高さを感じるのはどうしてだろうか。 夜は愚衆を溶かし、曖昧な集団への帰属意識を向上させる。 誰もが崇高を肯定し、模倣することで慰めあう。 愛されもしない愚衆たちは、すでに言語への意志を喪失している。 それでも私たちは、手短な崇高を求める。 集合化された崇高はテンプレートとなり、私たちを連帯させる。 そうして、私たちは崇高に縛られて、互いを理解する。 そうして、私たちは再生産されていく。 それこそ、才能もない私たちの崇高である。 それこそ、私たちの唯一の手段たる盗作である。 己の欲望のまま文字を盗み、解釈し、都市に流し込む。 その姿勢こそ、私たちの盗作された崇高ではないだろうか。 盗作された崇高が夜と溶けている。 私たちはそれを敬い、それ以外のすべてを排除する。 それはまるで無意識下で進行する検閲であり、異端者を排除している。 その中で、個人は場所を見失っている。 盗作された崇高が夜と溶けている。 最大多数の最大幸福こそが、私たちの愛おしい崇高だ。 その盗作によって、私たちはさらに高尚な存在になるのだ。 それで、その先は何があるんだ? 大阪の交差点上で、私の愛する音楽を聴いている。 それはとても崇高であり、私の傷をなめるように侵食する。 その曲を盗作する様相は、まさしく崇高とは程遠い行為だろう。 だから私は、その崇高を盗作している。 自らの意図をもって、崇高と大阪の交差点を盗作している。 **コメント //- 結局このアンケートの結果、これが「ポエトリーリーディング」という「音楽」だと考えていない人間が10人に1人の割合で存在することが判明した。ボカロ曲をよく聞く層ですらこれなんだから、ましてや音楽自体に興味関心ない層まで含めたら、やはりポエトリーが音楽であるという概念が完全に一般化されているとは言い難い https://q.nicovideo.jp/watch/nq58097 -- 名無しさん (2022-08-24 12:44:26) - この曲好きすぎる -- 名無しさん (2022-08-24 17:59:38) #comment()