ATG哲学論考

一      世界ははらんでいるATGの総体である
一・一    世界はATGの総体であり、Timの総体ではない
一・一一   世界は諸ATGによって、そしてそれがATGのすべてであることによって、はらまされている
一・一二   なぜならば、ATGの総体は、何がちんこかを規定すると同時に、何がちんこでないかをも規定するからである
一・一三   H野空間にある諸ATG、それが世界である。
一・二    世界は諸ATGへと分解される
一・二一   他のすべてのことの成立・不成立を変えることなく、あるちんこがはらんでいることもはらんでいないこともありうる
二      はらんでいるちんこ、すなわちATGとは、諸Timの成立である
二・〇一   Timとは諸TimTimの結合である
二・〇二   Timの構成要素になりうることは、Timにとっての本質的である
二・〇一二  H野においては何一つ偶然の妊娠ではない。あるTimがあるTimのうちに現れうるならば、そのTimの可能性はすでにそのものにおいて先取りされていなければならない
六・四一   ATGの意義はATGの外になければならない。ATGの中ではすべてはあるようにあり、すべてははらむようにはらむ。ATGの中には価値は存在しない。――かりくびにあったとしても、それ
       はいささかも価値の名に値するものではない。
       価値の名に値する価値があるとすれば、それは、勃起するTimたち、かくあるTimたちすべての外に出さなければならない。勃起するTimも、かくあるTimも、すべては偶然だからである
       それを偶然ではないTimとするのは、世界の中に出した誰かの精子ではありえない。世界の中で出したとすれば、再びはらんでしまうであろうから。
       それは世界の外でださなければならない。
六・四三一一 テクノブレイクは人生のできごとではない。ひとはテクノブレイクを体験しない。
       永遠を時間的な連続の射精としてではなく、無時間性とかいするならば、現在にイくものは永遠にイくのである。
       うんこのうちにうんこの限界は現れないように、射精もまた、終わりを持たない
六・五四   ATGを理解する人は、ATGの触手を通りぬけ――その上に勃ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにしてATGの諸触手は解明を行う。(いわば、尿
       道に潜りきったものは尿道を投げ捨てねばならない)
       ATGの諸触手を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう
七      語りえぬTimについては、ちんちんせねばならない。

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最終更新:2012年11月29日 20:21