「
死柄木弔。思うにだね、今の君に必要なものは"仲間"だ」
死柄木弔は紛うことなき魔王の器、類稀なる悪意の繭である。
一つの社会を混沌と恐怖のどん底に突き落とした
絶対悪が寵愛し。
人類史にその人ありと謳われた犯罪界のナポレオンが感銘を受けた黒い太陽。
傷跡だらけの顔の向こうにあるのは、深く、昏い、地獄の憎悪だ。
社会と、英雄と、そこに住まう人間達全てに対する――世界に対する、憎しみ。
彼が羽化を遂げれば、その時界聖杯を巡る戦いは最終局面に突入する。
それが
ジェームズ・モリアーティの見立てであったが、しかしそこには重大な問題が横たわってもいた。
「君に連合を与えた師は実に慧眼だったと言えよう。
思うに君の悪性は、同じ方角を向いた共犯者があってこそ育っていくものだ」
死柄木弔は未熟者なのだ。
端的に言って脆すぎる。隙が多すぎる。
状況への対応能力も下の下。戦闘の才能だって、多少伸びはしたものの聖杯戦争で通用する程かと言うとまだまだ怪しい。
その内側に秘める類稀なる才を半分も引き出せていない、自分で自分に枷を施してしまっているような状態。
そんな彼に、オール・フォー・ワンは"仲間"を授けた。
それが敵連合。社会を敵視するチンケな犯罪者達を集めただけの烏合の衆はしかし、死柄木の名の下に急進を遂げていった。
悪のカリスマ――。
オール・フォー・ワンのように狡猾ではなく――ジェームズ・モリアーティのように老獪でもない。
あまりにも荒削りで未熟であるというのに、その奥底で燃ゆる悪の炎だけを寄る辺に他人の心を惹き付ける存在。
その上で死柄木自身も"君臨"から経験値を獲得していく性分だというのがまた理に適っていた。
「先人の発見した定理にはありがたく倣うのが数学者だ。
そこで私も、取り急ぎ君と手を組めそうな器を探して連れてきてみた。と、いうわけサ」
「……アンタの考えはよく分かったが、その上で聞かせてくれるか」
ならばそのようにと、モリアーティが連れて来た一人と一体。
廃墟に置き去られた埃だらけのソファに腰掛けながら、死柄木はそれを見て辟易したような顔をした。
最初に連合の奴らと顔を合わせた時もこんな感覚になったっけと、そんな懐かしさすら思わせる先行きの不安さだった。
「もっと他に居なかったのかよ」
「見かけで侮ってはいけないな、いつか足元を掬われるよマイマスター。
さてと――出鼻を挫く形になってしまってすまないね。自己紹介をお願いしても構わないかな」
ジェームズ・モリアーティ。
ヒーロー社会の闇を担う巨悪に代わり、悪意の蛹の羽化を目指す犯罪王。
彼が同盟相手と称して連れて来た"器(マスター)"は、死柄木よりも一回り、否二回りは確実に小さな背丈をしていた。
服越しでも分かる未成熟な肢体、丸くて大きな目、猫のようにふわふわとした質感の髪の毛。
どう高く見積もっても十歳は超えていないだろう、ともすれば一緒に歩いているだけで職質を食らいかねないような――幼女。
「
神戸しおです。よろしくね、おじいちゃんのマスターさん」
このジジイは、本当に真面目にやる気があるのか。
聖杯戦争が始まって以降何度抱いたか分からない疑問を、死柄木は改めて抱かずにはいられなかった。
実際には彼が思っているよりも遥かに、かの紳士は暗躍を重ねているのだったが。
◆◆
神戸しおとそのサーヴァント・デンジは現在、予選期間中に倒したマスターが住んでいた部屋で生活している。
英霊を失うや否やすぐさま情けない叫び声をあげて逃げ去っていったため、件のマスターがどうしているのかは知らないし、そもそも生きているのかすら不明だ。
しかし界聖杯が予選期間中に脱落した――もとい可能性を喪失した器に対し"可能性の剪定"を行った以上は、生きていたとしてももうしお達の前に敵として現れることはないのだろう。
この部屋は、晴れてしお達の拠点となったわけだ。奇しくも、以前とある少女がそうしたように。
「これからどうするとか決めてんの?」
小さな口でハンバーガーを頬張りながら、ふるふるとしおは首を横に振る。
食べ慣れていないのか口の周りがソースや肉汁でべとべとになってしまっているのが可愛らしい。
デンジはバーベキューソースをこれでもかとまぶしたナゲットを口に運びながら、「考えとけよ、後で困るぜ」とやや投げやりにそう言った。
とはいえだ。
しおがあれだけ聖杯戦争に意欲を見せておきながら、反面ほぼ攻めの姿勢を見せていないことの理由。それ自体はデンジにも分かる。
彼女はこの世界において身分を持たない浮浪者もとい浮浪児だ。おまけに歳は幼く夜道はおろか、昼間一人で歩いているだけでも目立つ。
能力的な強さなどあるわけもない。英霊がほんの少し力を込めて叩けばそれで終わるような、か細くてか弱い命。
そしてデンジも、そんなしおの弱さを補って余りあるほど強いサーヴァントというわけでは決してなかった。
多少特殊な体をしているだけで、ビームも出せなければ空も飛べない。
天下に誇れる達人の絶技など持つわけもなく、戦い慣れはしているものの英霊なんて怪物共を相手にどこまで通用するかはデンジ自身としても未知数だった。
最初の戦いでは相手があからさまに正面戦闘を不得手としている様子だったからどうにかなったが、この先もああまで上手くいくかは分からない。
精々、中の下。もしかしたら下の上、それ以下の可能性もある。
戦力として見た場合のデンジは、精々その程度の――お世辞にも当たりとは言い難い凡庸なサーヴァントなのだ。
「さとちゃんみたいにはいかないなあ、なかなか」
けれどしおは、自分の前に横たわる不便の原因をデンジに押し付ける気はなかった。
悪いのはうまく出来ない自分。さとちゃんみたいに出来ない、未熟な自分なのだ。
神戸しおは
松坂さとうを継いでいる。天使の羽を捨てて、愛という病を骨絡みに至らせた。
さりとて経験と年季ばかりはどうにもならない。しおは、さとうに比べて人生経験があまりに浅すぎる。
身体も小さく――そういう意味でも"さとちゃんみたいにはできない"。
そのままならない未熟さが、しおにはとても歯がゆかった。
「ま、どうせ戦うなら残りが少なくなってからでもいいだろ。そっちの方が賢いんじゃねえか」
「それはそうだけど」
「お前が人を殺したくて仕方ないってんなら別だけどよ〜……俺はなかなかエンジョイしてるぜ今の生活。
なんていうのかな……昔を思い出すわ」
しお達は金銭には困っていなかった。
部屋にはそれなりの額の現金が残されていたし、仮にこれがなくなったとしてもいくらでも工面のしようはある。
公共料金の支払いなどはしおには出来ないためデンジが担当。食事はもっぱらウーバーイーツで済ませていた。
今日の(ちょっと早めだが)昼食であるハンバーガーもそれで届けてもらったものである。
早川アキが死んだ後。血の悪魔・パワーと何も考えず気ままに暮らしていた日々。
マキマがそれを壊すまでの短い間ではあったが、聖杯戦争でしおと過ごす日々の中にはそれに近い味わいがあった。
あれこれ文句は言ってきたし、正直なところ未だにこの世も末な心中未遂幼女にはついていけないところがあるが。
それでもなんだかんだで、悪くない。いつぶりかも分からない現世での生活を、デンジはそれなりに楽しんでいた。
――ぷるるるるるるっ、ぷるるるるるるるっ。
その時不意に、部屋の固定電話が着信音を鳴らした。
こういう電話に出るのもデンジの方だ。億劫そうに席を立ち、まずはナンバーディスプレイを確認する。
とりあえず怪しい非通知ではないようだったが、出ないなら出ないでも何ら支障はないのも確かだ。
どうするか若干悩んだものの、結局デンジは受話器を取り、「もしもし」と気怠げな声で言った。
『ちゃんと電話に出てくれたね。実に賢明な判断だ』
落ち着いた調子の、それでいて重厚な年季の入った声だった。
歳は初老くらいだろうか。背後から喧騒の音色が聞こえない辺り、どこか室内から掛けてきているらしい。
セールスや何かの勧誘でないことはその物言いからすぐに分かる。
「誰だアンタ」と返すデンジの眉間には皺が寄っていた。
この異常ながらも平穏な日常。それが崩れる予感を無意識に感じ取っていたのかもしれない。
『アーチャーのサーヴァント……と言えば伝わるね?
本当は昼間ではなく夜に掛けたかったんだが、そこは私の最大限の配慮と思ってくれたまえ。夜は子供は寝る時間、だろう?』
「……、」
しおの方をちらりと見る。
? と首を傾げた彼女だったが、すぐに視線の意味を理解したのか真顔になった。
全くの不意打ちでやって来た、何の心当たりもないサーヴァントからのアプローチ。
しかもその口振りは既にデンジのマスターが力のない幼子であることも見抜いている様子だ。
デンジは怪訝な顔をしながらも、しおにも通話の内容を聞かせるために通話をスピーカーモードにする。
「どうやって俺達のことを調べたんだよ。こっちはほとんど外に出てねえんだぞ」
『"どうやって"と問うか。
いいだろう、ならば敢えてこう答えようか。――"初歩的なことだ、実にね"』
得体の知れない電話先の相手。
サーヴァントの中でも上位の戦闘能力を持つという三騎士クラスの一角でありながら、まるで推理小説の世界から抜け出てきたように滔々と話す。
『君達はその部屋を、他の主従を倒すことで奪い取ったね』
デンジは答えなかったが、その無言は肯定として受け取られる。
そして事実、それは彼らがこの"拠点"を勝ち取った真実を綺麗に射止めていた。
蜘蛛が自分の巣に触れた獲物の位置を常に正確に把握しているように。
デンジ達の全てを知るが如く、アーチャーは種を明かしていく。
『クラスはアサシン。英霊としての強さはそう高くなかったし、正面切っての戦闘は苦手な人物だった。
それを従える魔術師もまた凡庸の一言。自分のサーヴァントの性能を過大評価し、不得手な正面戦闘に打って出させた愚か者。
君にアサシンを斬り伏せられれば何もできず、自分の生を確保するため一目散に逃げ出した……』
「アンタが俺達のことを知り尽くしてるのは分かったけどよ〜。俺が聞いてんのは手品のタネだぜ」
『やれやれ、結論を急かす無粋だねェ。ミステリの読み方を知らないと見える』
「映画でなら見たことあるぜ〜? 正直、小難しくて好きじゃなかったけどよ」
これもまた全て当たっている。
苦笑する通話相手の声からは、肩を竦めるジェスチャーをしているのが伝わってくるようだった。
しかし急かされた以上はもう勿体ぶるつもりもないようで、続く言葉で彼はあっさりと結論を明かしてのけた。
『では単刀直入に答えを言おうか。
彼らには、私の息が掛かっていたのだよ』
要するに、である。
この部屋を手に入れる要因となった最初の戦いに勝利したその瞬間から、デンジ達はこの男に捕捉されていたのだ。
糸を繋がれて踊る
マリオネットを壊した代償に、彼らの身体にも策謀の糸が巻き付いた。
言うなれば掌の上。その気になればいつでも、どうとでもすることの出来た状態。
しお達は知らない間に、あと一手で詰む王手(チェック)の状況に閉じ込められていたということ。
『尤も当の彼らは、自分達の行動が私に誘導されたものであったことにも――
私に捕捉されていたことにも、最後まで気付いていなかったようだがね』
「今の俺達みたいに、って言いてえのかよ」
『にべもなく言うならそういうことになる。
しかし安心したまえ。君達を本当に詰ませる気であれば、わざわざこうしてコンタクトを取りなどしないさ。
君達も彼らと同じように、自分達が利用されていることにも気付かぬまま、しめやかに破滅していた筈だよ』
――しん、と静寂が流れる。
しおがとてとてと小さな足取りで電話の近くに立った。
すっとデンジの手から受話器を受け取り、口を開く。
「はじめまして、アーチャーのおじいちゃん」
『――――――おじいちゃん』
何やら衝撃を受けているような気配が漂ってきたが、付き合わない。
「おじいちゃんは何のために電話してきたの?
私たちに何かをしてもらうため? 脅しのお電話ってこと?」
『えー、……コホン。どちらも半分当たり、半分外れといったところだね。
とはいえ君達にもそう悪い話ではない筈だ。ウィン・ウィンと言えば胡散臭いし、状況的に優位なのは6:4で此方だろうが』
それでも、君達にもそれなりに利のある話だよ。
そう言って嗤う通話越しのアーチャーに、しおは続きを促す。
『歳の割にしっかりした子だなァ。どうやら悪くはなさそうだ』。
そんな益体もない感想を呟いてから、アーチャーは――その"本題"を口にした。
『端的に言うとだ――――君達には、我ら"アーチャー陣営"との同盟締結を提案したい』
◆◆
そういう経緯を経て、神戸しおとデンジは死柄木の許を訪れた。
早い話が、同盟の締結を了承したのだ。
アーチャー自身が言っていたように、しお達にとってそれは決して悪い話ではなかった。
彼に利用されるだけされて使い捨てられる危険性が無いとは言えなかったが、同盟を受けなければそれよりずっと大きな危険が待っていただろうことは想像に難くない。
だから受けた。しおとしても、使える戦力を大きく出来ることには意義があった。
「なんて呼んだらいい?」
死柄木の座る横にちょこんと座って、見上げながらしおは言う。
それに対して死柄木は短く、ぶっきらぼうに応じた。
「好きにしろ。別に執着はねえよ」
「じゃあとむらくんだ」
よろしくねえ、と言って朗らかに笑うしお。
その顔をちらりと横目で見て、死柄木は改めて「正気か」と思った。
確かに、敵連合にも若者は居た。他ならぬ死柄木もまた二十歳と決して成熟しているとは言い難い年齢だが、それはさておきだ。
だがしおは、若者という次元ではない。正直なところ死柄木の目から見た彼女は、物心ついているかどうかも怪しい幼女にしか見えない。
サーヴァントを使役して此処まで生き残り、尚且つ明確に聖杯を狙っている辺り普通ではないのだろうが――と。
そこまで考えて、「直接聞いてみるか」と思った。
「とむらくんはどうして界聖杯がほしいの?」
……なのに先手を取る形で、しおが首を傾げて問いかけてきた。
じーっ、という擬音が似合いそうな瞳で死柄木の顔を見上げる少女。
死柄木の生きる世界にはまるで似合わないあどけなさ、幼さ。
死柄木がいつか憎悪のままに踏み潰す"誰か"の日常の中から切り出してきたかのような姿。
白いキャンバスに罵詈雑言を書き殴るような感覚を覚えたのは、死柄木の中に残っていた数少ない常識的感性というやつだったのかもしれない。
「別に俺は願いを叶えたいわけじゃない。
俺が界聖杯に求めるのは力だ。俺の願いを叶える"ための"燃料になってくれりゃそれでいい」
「どういうこと? とむらくんは、自分の力で願いごとを叶えたいの?」
「俺の手で叶えなくちゃ意味がねえんだよ。こればっかりはな」
俺の、手で。
そう口にしたタイミングで、自分の手へと視線を落とす。
この手には力がある。触れたものを塵になるまで崩す力が。
例えば今此処で、この神戸しおという幼女の頭に触ったとする。
そうしたら、それだけで全てが終わるのだ。
サーヴァントの反撃が入るだろうから結局死柄木も窮地に追い込まれはするが、確実に人間一人の人生を終わらせることが出来る。
"崩壊"。それが、死柄木弔の――■■■■の生まれ持った呪い(こせい)。
そして彼は――その力が持つ名の通りの所業を、成し遂げようと想っている。
「全部壊す。何もかもだ」
「ぜんぶ?」
「そう言ってんだろ。まあ、一部の例外はあるだろうが……手始めはこの世界だ。
俺が聖杯を手に入れればこの世界は消えてなくなる。勿論お前もだ、ガキ」
「ふうん。じゃあ」
死柄木弔の願いは瓦礫と灰の地平線だ。
秩序が崩れ、英雄が死に絶え、残骸だけが残った末法の世。
それを作る一環で聖杯を手に入れようとしている――そして聖杯を手にしなければ帰れないと分かった以上、他の願いを根絶やしにする以外の選択肢はない。
そんな彼に対して、しおは。
「私も、最後はとむらくんを殺さないとだね」
「……、」
まるで勉強を教えてくれた教師に「なるほど」と頷くような調子で、そう言った。
「……お前の願いは?」
「大好きな人と一緒に、ずっと暮らせますようにってお願いするの。
そのために必要なんだったら、とむらくんも倒さないといけないね」
「そんな願いで他人を殺すのかよ。今の小学校には道徳の時間とかねえのか?」
「だってそういう
ルールなんだもん。とむらくんだって私を殺すんでしょ? じゃあほら、おあいこだよ」
ジェームズ・モリアーティはこう言った。
見かけで侮ってはいけない。それではいつか足元を掬われるぞ、と。
その意味合いを、今ようやく死柄木は理解した。
モリアーティ。犯罪界のナポレオン。死柄木でも知っている名探偵の代名詞、シャーロック・ホームズが生涯唯一宿敵と呼んだ悪の数学者。
そんな男が選んだ相手が、常識的(まとも)であるはずなど……そもそもなかったのだ。
「愛してる人がいるの。
それでね。その人が教えてくれたんだ。
愛を偽らなければ、何をしてもいいんだって」
「ずいぶんろくでもない男に嵌まったらしいな、同情するよ」
「むっ。さとちゃんは女の子だよっ」
「……、……そうかよ。まあそういう時代か、今は」
死柄木は理解した。
組む相手としては論外だという評価を、まあ組んでもいい、程度にまでは引き上げた。
分かったからだ。この神戸しおという少女が――底の知れない闇を抱えていることを。
渡我被身子の執着とは違う。荼毘の復讐心とも違う。スピナーの憧憬でもなければ、トゥワイスの同族意識でもない。
その闇の名は愛。死柄木が知らないもの。知ろうとも思わないもの。
「とりあえず……組んでやるまではいい。
だが忘れんな、お前の願いは俺の踏み台だ。
その時が来れば容赦なく殺す。その時になって無様晒すなよ」
「やったー。仲間ができて嬉しいよ、とむらくん」
「あまり馴れ馴れしくするんじゃねえ。ガキは嫌いなんだ」
そう言って死柄木は立ち上がる。
立ち上がっただけでソファから埃が舞い、彼の隣でしおがけほけほと咳き込んだ。
どこ行くの、という声に答えることはなかったが、死柄木はその一方で奇妙な感覚に囚われてもいた。
しおと話し、その声と幼気な笑い声を聞いていると――何やら頭が痛むのだ。
それはまるで、何か。自分の脳みそが"忘れることで折り合いを付けていた"何かを、思い出してしまうような感覚で。
『お■さんはああ言うけどねえ――大丈夫だよ、私は■■のこと応援してるから』
頭蓋骨という檻の中に閉じ込められた何か。
開くことのなかった箱の中から、声がする。
小さい誰かの声。幼くて、純粋で、それ故に残酷な何かの声。
死柄木の脳裏に反響する"それ"の真実を、死柄木はまだ思い出せない。
だが、一つの足がかりになったのは間違いなく事実で。
……或いはそこまで含めて、かの"教授"の策略通りであったのかもしれない。
『■■さんに内緒で、■弟ヒー■ーになっちゃおう』
「――黙れ」
不意に湧き上がった、顔の塗り潰された誰かのビジョン。
それを振り払うように虚空に右手を振るう彼の行動は、しおとそのサーヴァントから見れば羽虫でも払ったように見えたかもしれない。
死柄木弔、悪意の器。人間の形をした地獄の釜、モリアーティ教授が見初めた破壊の子。
くすんだ蛹の中でどろどろに溶けたままのその"可能性"は、少しずつ、されど着実に羽を固めつつある。
「感じ悪ぃし辛気臭えヤツだな。絶対友達居ねえだろアイツ」
別の部屋にでも引いていったのか、自分達の前から消えた同盟相手の男。
その背中を見届けてしおのサーヴァント・デンジはボヤいた。
何と言っても、あんな胡散臭い爺を連れているマスターである。
一体どんな悪党なのかと思っていたが、まず見た目からしてヤバかった。傷だらけの顔に、どこからともなく香る厭な臭い。
口振りは陰気で礼儀作法の欠片もなく、デンジとしては"友達にはなれなそうな奴"という風に映った。
「しお〜、マジであんなのと組むのかあ? 百パーろくでもねえ奴だぜアイツ」
「でもとむらくん、組んでやるまではいいって言ってくれたよ?」
「頼んできたのはあっちだろ。本当はアイツが頭を下げる立場なんじゃねえの〜?」
そういう諸々を引っ括めてだ。
死柄木はとてもではないが組むべき相手とは思えない。
いつかとんでもないことをやらかしそうだし、それに巻き込まれる危険を考えれば同盟なんて蹴ってさっさとトンズラし、新しい家を探すなり何なりするのが一番ではないかと今もそう感じている。
そして何より、デンジがいけ好かないのは――
「ふぅむ。ライダー君は"彼"とは馬が合わなかったかな?」
――こいつだ。
死柄木が去ったのを知ってか、広間に戻ってきた初老の男。
マンションの一室という城に閉じ籠もって日々を過ごしていたにも関わらず、突如悠々と現れて今回の同盟を提案してきた張本人。
まず怪しい、超怪しい。何かを企んでいる匂いがする次元を通り越してそういう匂いしかしてこないほどの胡散臭さ。
そして彼自身それを隠すつもりもないのか。眼鏡の奥の瞳に怪しい光を灯らせて、死柄木のアーチャーは笑んでいた。
「アレと馬が合う奴なんてそうそう居ねえと思うけどな」
「いやいや、アレで意外と彼は人の上に立つのが得意な人間だよ。
その証拠にだ。しお君の方は、彼をそれなりに気に入ったようだ」
話の水を向けられると、しおはにへらと笑った。
無邪気そのものの笑顔。天使のようと形容されるべき表情。
とてもではないが。全ての願いの殲滅による愛の実現などという修羅道を進む身であるとは思えない輝きがそこにはある。
「とむらくんのことは嫌いじゃないよ。私の話もちゃんと聞いてくれたし」
「はっはっは。好き、とは言わないのだね」
「好きなのはひとりだけだから。他の人にはあげられませんっ」
そう言って指を一本立て、笑顔を"にへら"から"くすり"に変える。
それを見てアーチャーは肩を竦め、「君も大変だネ」とでもいうような瞳をデンジへ向けた。
デンジは余計なお世話だと思いつつも、とはいえ実際大変なので反論はしない。
「ライダー君にも、早いところ彼に慣れて欲しいところだ。
それに君たちが彼の味方である内は、この私も君たちに脳を貸そう」
「アンタよりは死柄木(アイツ)一人の方がまだ信用出来るぜ」
「失敬だなァ。とはいえ、君が死柄木弔との同盟に難色を示す理由には察しが付くよ、ライダー君」
世間話のような調子のままで。
アーチャーもまた、笑みの質を変えた。
「"悪役"になりたくないのだねェ、君は」
「……、あア?」
「おっと、違ったかな?
世界の枝葉が異なる故に真名には見当が付かないが、君の死柄木弔に対する目と言葉には、彼や私と対極の立場(いろ)を感じたのでね」
さしずめ君は。正義のヒーローとして持て囃された経験でも、あるのではないかな。
理路整然と指摘するアーチャー。固まったばかりの瘡蓋を指先で撫でるような語り口。
人は――かつてこの男をナポレオンになぞらえた。
社会の闇に君臨し、かの名探偵以外の全てを手玉に取った怪人。
他者を見る目、操る手にも優れる彼にしてみれば心の切開など児戯に等しく。
故に本人が直視していなかった事実を、いとも容易く暴き立てて突き付ける。
ただの挨拶とでも言わんばかりに、だ。
「おじいちゃん。あんまりらいだーくんをいじめないで」
「おっと、これは失礼。怒らせてしまったかな?
そして私はおじいちゃんではないのだがね。まだアラフィフ、なのだがね? これでも。うん、これはとても大切なことだぞしお君」
それに反論をすることはきっと簡単だ。
見てきたみたいに言うなよ、だとか。妄想癖のある爺は嫌われるぞ、だとか。
そんな言葉を吐けば事足りるだけの話。なのに、何故か言葉が口から出て行ってくれなかった。
今も。デンジの中には、その記憶が残っている。
人生で一番愛した人から逃げている最中に見たテレビの映像。
顔も知らない、会ったこともない人々が口々に自分を褒めそやして持て囃す光景。
英霊デンジは支配の悪魔と決着を着けた以後の記憶を持たない。
つまり、彼は。その時点までの"チェンソーマン"としての記憶しか持ち合わせていないということで。
それは、つまり――
「(……チェンソーマン)」
しおには、いらないと言われた名前。
一人だけの下僕であるサーヴァントとは違う、"みんな"のヒーロー。
けれどこの世界でのデンジは、そうあることを望まれていない。
敵を斬り、障害を斬り、願いまでの道を切り開くチェンソー。
「(いや……何を馬鹿正直に話聞いてんだ俺は。
こんな怪しいジジイの話に耳傾けるようじゃこの先やってけねえぞ)」
らしくもなく深みに嵌まりかけた思考を強引に引き戻して。
デンジは死柄木が去ったことで一人分スペースの空いたソファにどっかりと座り込む。
埃だらけのソファは潔癖症なら卒倒するだろう有様だったが、元々そういう境遇出身であるデンジには大して気にならない。
気にしない、気にする価値もない。
ちょいワルを拗らせた爺が若者の自分をおちょくってきただけなのだと思うことにして納得する。
自分はサーヴァントだ。善も悪もない、マスターの意向に従うだけの存在。
誰かの言われるがままに動くのには慣れている。そんな"慣れた仕事"をして、それで聖杯を手にしこの世の贅の限りを尽くせたなら最高だ。
英霊デンジは考えるべきことはそれだけでいい。他でもないしお自身も、デンジにそういう在り方を望んでいるのだから。
そんなデンジを見て、モリアーティは微笑む。笑う。――嗤う。
彼らは現状は同盟相手だ。あちらが裏切りを働かない限りは、モリアーティも進んで関係性を反故にするつもりはない。
だがそれはそれとして、である。モリアーティはしおのサーヴァント・デンジに対して興味を抱いた。
彼がこの先、自身の在り方を無視したままマスターの意のままに進み続けるのか。
それともかつての自分、"チェンソーマン"の在り方の方へと振り返るのか。
どちらを選ぶにせよ――面白い。そこには観劇の価値があると、犯罪教授はそう考える。
「(サーヴァントも、そしてマスターも。
なかなかに見応えがある……我ながら良い相手を選べたものだ。
特に"彼女"は、死柄木弔を成長させる良い競争相手になるかもしれん)」
ライダーの少年は、底知れない葛藤と迷走の可能性を秘め。
それを従える少女は、ともすれば死柄木弔に届き得る。それだけの狂おしい想いを秘めている。
成程実に、良い相手を選んだものだとモリアーティは自賛していた。
この聖杯戦争において最も重要視されるのは可能性の幅。
死柄木弔という無限大の可能性を秘める悪を鍛えるならば、同じだけの可能性を持つ器を宛てがうのが一番望ましい。
「(期待しているよ、神戸しお君。そしてそのサーヴァント・ライダー。
願わくば君たちが、我がマスターの破壊する最後の贄となることを祈っておこう)」
全てを自分の手の内、巣の上で転がしながら。
教授と悪の組織の親玉(クライム・コンサルタント)を兼任した大蜘蛛はほくそ笑む。
彼こそはジェームズ・モリアーティ。シャーロック・ホームズが唯一宿敵と見定めた男。
ライヘンバッハを超えて顕現したその邪智を止める名推理は此処にはなく。
故にその計画(プラン)は。
銀月の堕天使とチェンソーの容れ物を伴って――禍いの枝葉を伸ばしてゆくのだった。
【港区・廃墟/一日目・午前】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
1:当面の方針はアーチャーに任せる。ただし信用はそこまでしていない。
2:しおとの同盟はとりあえず呑むが、最終的に殺すことは変わらない。
【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける。
1:当面は大きくは動かず、盤面を整えることに集中。
2:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
3:"もう一匹の蜘蛛(
ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と興味。
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
1:とむらくんとおじいちゃん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。一緒にがんばろーね。
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
1:……あんま難しいことは考えねえようにすっかあ。
2:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
時系列順
投下順
最終更新:2021年08月16日 22:07