役割分担をしましょう、とサーヴァントはマスターに言った。
それは、生還できる椅子の座には限りがあることが分かるよりもずっと以前、『帰りたい』という依頼が受諾された後のことだった。
戦うのも、暗躍するのも、サーヴァントであるアサシン(犯罪卿)が行う。
それは、戦う力のないマスターを持った主従の取る常道であり、また『マスターは何もしなくていい』というスタンスにも見えるけれど、そうではない。
『犯罪卿』は身内に甘く、『たとえ共犯関係にあったとしても自分の単独犯だと主張する』ところもあるけれど、それだけではない。
『犯罪卿』が闇を担うとき、そこには『こっちの人はきれいだ』と照らされるべき光が必要だ。
そもそも『この人は
ジェームズ・モリアーティ教授ではないか』と察した相手と、警戒なしに同盟できるだろうか。
たとえホームズシリーズに疎くとも、この世界は手元のスマートフォンを使うことで、すぐに『モリアーティ教授が何をやらかしたのか』と把握できる時代だ。
それに、たとえ真名がばれなくとも、『この人は犯罪に特化した能力を持っているのだから、生前はよほど悪い事をした反英雄なのだろう』と想像するのは難しくない。
聖杯を狙うもの同士の、かりそめの同盟であれば、それでもなお『組む価値はある』と手を結べるかもしれない。
だが、二人はこれから他の非戦派たちに『私達も聖杯は欲しくありません』と自己紹介しなければならないのだ。
その言葉を信じてもらうだけの、説得力が必要になる。
犯罪卿自身、他人を信用させることはむしろ得意ではあったが、それだけで『私達は不法行為でもって暗躍する搦め手使いですよ』という悪印象をぬぐいさることは難しい。
そもそも生前の『モリアーティ』からして、共犯となる組織構成員や依頼人からこそ信頼を得ていたが、事情を知らぬ一般市民からの人望は底の底だった。
故に、マスターは、たとえ初対面の一般人からでさえも『この子が裏切ることはないだろう』と思われる人物だった方がいい。
そしてマスターには伏せていることだが、他に打つ手がなくなった時の予備計画――犯罪卿が泥をかぶり、マスターの手を汚させないまま生還させる――のためにも、その方がいい。
マスターが、283プロダクションというアイドルとしての居場所に離れがたさを感じているならなおのこと。
それこそ予選期間の間は、アイドル活動をがんばってほしい。
283プロを知らぬまま東京にやってきたマスターからさえも、『この子は魅力ある子なんだ』という知名度と印象が焼き付くようにしてほしい。
光と闇の役割分担。
善人でなければ開けない扉をマスターが開き、悪人の視点がなければ気付かないことにサーヴァントが眼を光らせる。
マスターの少女は、『損するところだけをアサシンが担う』という結論にかなり躊躇ったものの、そう戦うしかないことは理解して、合意した。
だからこそ、とサーヴァントはその次の策(プラン)を提案していた。
これから私がすることには、どうしても『悪』が含まれます、と。
★☆★☆★☆
「よろしくお願いしますね〜」というのんびりふんわりした話し方に、半ばトレードマークと化したアイマスク。
いつのまにか雑務のすべてを丁寧に優しく終わらせてくれている、縁の下の力持ち。
そんな283プロダクションのアルバイト事務員七草はづきも、その日ばかりは仕事の進みに後れを出していた。
いつもならば午前の早い時間のうちに完了しているはずの事務所の現状確認が、なかなか終わらない。
メールボックスに悪意あるメールやが混ざり始めていたり、事情説明を求めるファックスが届いたり。
そんな、今後より増えそうなトラブルがじわじわ生まれていたこともある。
出勤して間もない時間帯に警察から連絡を受けて、質問に答えたり、『
プロデューサーの現住所』を教えたりといった聴取に時間をとられたこともある。
しかし、調子がでない一番の理由は、不安と心配からくる憂鬱だった。
(咲耶さんは……家出するような子でも、連絡を疎かにする子でもないのに……)
ならば犯罪に巻き込まれたのでは、という結論に向かいそうになることに、心のどこかがブレーキをかける。
さきほどから、そんな風に不安になっては、切り替えようとすることの繰り返し。
283プロ所属のアイドルたちは、皆はづきに感謝と親しみをもって接してくれる良い子たちばかりだったが、その中でも咲耶はとにかく『もてなす』ことを常に実践しているような子だ。
『はづき嬢』という時代がかった呼びかけでさえも、彼女が口にすれば耳ざわりのいい、微笑ましいものとして受け取れるのだ。
(そういう子だってことは、警察の人にもちゃんと話したんだけど……)
それでもなお、ことは『自発的な失踪なのか誘拐なのか判断できない』というデリケートな問題だ。
それがために、今のところはアイドル達にも伏せるようにしてきた。
だが、SNSでの拡散がされ始めた以上、こちらから全員に『まだ行方不明以上のことは分かっていない/白瀬さんが帰ってきたときに食い違いが起こるかもしれないから、騒がないように、聴かれても何も答えないように』という連絡を送る必要も出て来るだろう。
天井社長も警察への協力や白瀬咲耶の保護者との協議、取材や会見申し込みをさばくことなどに追われ、出たり入ったりとせわしない動きを続けている。
ここに『唯一の
プロデューサーさん』が出勤しなくなってから、穴埋めの為に社長のツテで雇われた臨時従業員さんたちもいたけれど、ことによってはアイドル達に送迎を付ける必要が出て来るため、非常時の今は自宅待機をかけるしかなかった。
はづきもこの分では、いつも以上に昼食の時間を押すことになりそうだ。
(
プロデューサーさんからも連絡して欲しいけど……かけても応答がないってことは、警察の人がまだ帰ってないのかも……)
実のところ、『
プロデューサーさん』の現住所を283プロの事務所が把握できたのは、つい最近のことだった。
というのも、『心配しているアイドルたちから訪問されることを避けつつ、SHHisの活動休止直後に欠勤したことでスキャンダルを疑ったマスコミが探りにくるかもしれない』という口実で、現住のアパートを届出も出さずに変えていたのだ。
さすがにまずいと思ったらしく、郵送で住所録の更新届と、健康保険の 被保険者住所変更届が送られきたのが、数日前のこと。
おかげで大石という刑事に、『唯一の正規社員の住所を聞かれた時に、283プロが把握していなかった』などと怪しまれなかったことだけは幸いだった。
(きっと、自宅静養が長引いてるだけで、回復には向かってるのよね……? 『在宅でもできるお仕事は、しっかりこなした上でメールで送ってくれてる』んだし)
『在宅でも一部の仕事はこなせるので、連絡用のアドレスを作りました』というメールが職場のメールボックスに入っていたのは、もっと以前の、何週間か前のことだ。
病院から過労によるストレス性の病気だと診断され、極力対面の仕事は避けるように言われているので、連絡はこのメールで行いたい。
そういう説明だけでなく、迷惑をかけて申し訳ないという謝罪も添えられていた。
一か月も会社に姿を見せないし電話もかけてこない男からの一方的なメールでありながら、怪しむところはなかった。
従来の連絡先が本人証明のために追伸として書かれていたし、メールの本文にいたっては『これは
プロデューサーさんらしいな』という人柄がにじんだものだったから。
しかも、283プロの事務所で以前にあった会話を引き合いにした書き方をしているところもある。
もしこれが偽の
プロデューサーなら、283プロダクションに出入りするアイドルの誰かが演じていなければならない。
283プロダクションのアイドルは良い子たちばかりだ。
中には悪い子を名乗っていたり、癖がつよいと受け取られる子もいるけれど、はづきを慰めるためだけに
プロデューサーを詐称するような、本当の『悪人』は一人もいない。
まして、『アイドルが悪人と共犯になってはづきを騙している』という荒唐無稽な可能性など検討する余地もない。
よって、
プロデューサー本人に違いないと受け止めた。
こうして、アイドル達のスケジューリングやオファーの事前チェック、その他大量の書類仕事など、
『
プロデューサーさんでなければできない判断と事務』はメールで送信し、回答を貰うという形でどうにか今のプロダクションは回っている。
それが無ければ、いくら『事情』により活動規模を縮小させに向かっていたとはいえ、とても283を表面上は穏当に維持することはできなかっただろう。
(お仕事と言えば……警察の人に、あのことは言わなかったかも……)
プロデューサーからのお仕事メールを思い出したことに釣られて、はづきの記憶にひとつ心当たりができた。
一昨日のまだ日が高い時間、事務所のおやつタイムにたまたま咲耶が同席していた時のことだ。
『アイドルたち1人1人の反応を見たいから、事務所でいっしょになったタイミングをみて見せてほしい』と言われた仕事があったのだ。
それ自体は特別なところのないグルメリポートだったが、特筆すべきは『東京都外』の関東一円で、遠出をしてのロケになることだった。
『ここのところ283も慌ただしくて、ハードに感じるかもしれないから、受ける受けないより、どう反応するかを見たい』として、1人1人がどう答えたのかメールを送る際に添えるようにしていた。
(同じ事をまだ聞けて無かったのは真乃さんと、霧子さんと……)
アイドル達の反応は、どれも『面白そう』『ぜんぜんいやじゃない』というものだったが、咲耶だけが特異な反応をした。
今の私では出られそうにない。
そんな風に呟いたのだ。
たしかに寂しがりなところのある女の子ではあったが、『気がすすまない』『できそうにない』ではなく『出られそうにない』だったのは引っかかる。
そのように定時報告で伝えたのが昨日の夕刻で、学生寮から咲耶を見なかったかと言う電話がかかってくる直前だった。
もし、あと一日早く……最後にあったその日にすぐメールをしていれば、マメな
プロデューサーのことだから咲耶さんの相談に乗ろうとしたかもしれない。
そうすれば、行方不明になる前に連絡が取れていたかもしれないのか……と、後悔がはづきの胸を刺した。
ああ、でも。
もっと頻繁に連絡を取っていればよかったという後悔ならば、間違いなく
プロデューサーさんの方がしているだろう。
あの人は、どこまでもアイドルに寄りそう人だったから。
(咲耶さんを自分の足で探し回ろうとして……無茶したりしてないといいけど……)
はづきの知る『
プロデューサーさん』とは、そういうことをやりかねない青年だった。
★☆★☆★☆
密談の場所としてカラオケルームを使うメリット。
一つ、店員にスパイがいないかどうかさえ気を付ければ、密会の事実もこみで悟られにくい。
一つ、街中のカフェなどでは、白瀬咲耶のことで聞き込みを所望する刑事やマスコミに探し出されるリスクがある。
それらも、男女2人で入店して『歳の差カップルかな?』とみられる気恥ずかしさをのぞけば、だが。
アンティーカの全員で入っても、まだ余裕があるぐらいには広い個室。用心もこみで、隣室もまとめて予約した。
摩美々が昼食として注文したSサイズのマルゲリータピザをもぐもぐとほおばっている間に、アサシンたるモリアーティは隣室を使って次々と電話をかけているようだった。
田中家の財力に甘えれば携帯電話を一台ぐらい買い直すことは余裕だったけれど、どこからか『より足がつきにくい所から』と別機種のスマートフォンを調達していたのだ。
英国の人ならフィッシュアンドチップスとかサンドイッチとか要るかなーなどと余計な気を回しつつ色々と頼んだのに、それらに手をつける暇もない様子。
もともとサーヴァントが食事必須じゃないとは聞いていたけれども、卓上がフードロスの観点から悲しいことになっている。
予選期間の間に、都内を徘徊して知り合いをつくり、糸を張っていることは承知していたが、今はそれらを遠慮なく使って何かを確かめている風だった。
「お待たせしました。あとはアーチャーたちを待つだけです」
「お疲れ様、でした……もしかして、まだ悪いことがあるんですか?」
「それは客人が来てからお話しましょう。ただ、現時点でできる手は講じました」
「じゃあ、いっこだけ……咲耶のことと、関係ありますかー?」
「その一つだけなら『はい』と答えましょう。なぜ、そう思われました?」
「咲耶の炎上をチェックしてる時に、とっても、とっても険しい顔に見えたから……」
「まいりました。そこまで顔に出ていましたか」
「共演者に会う前の表情チェックは、基本ですからねー……って、誰かが言ってましたー」
『咲耶が言ってました』だと湿っぽさが上乗せされそうだったので、『誰かが』と言い換えた。
初めて聖杯戦争のマスターとして、他のマスターと対面する。
テレビカメラに映ったり、ステージに上がったりするときとは全く異なる緊張や、恐怖があったのだが。
予選期間でもいつも色々と考えている風だったアサシンがいつにもまして高密度で働いているのを見れば、避けて通りたいですとは言えない。
それに。
(咲耶は、きっと避けなかったんだよねー……)
サーヴァントは緊張しないのかな、と隣を見れば彼は奇妙な仕草をしていた。
口元の近くで両手の指をやや開き、左右5本ずつの指の先端同士をくっつけて、変わった祈りのように眼を閉じる。
摩美々の視線に気づくと、ふっと指をはなした。
「ああ、深い意味はありません。勇気を出すおまじないみたいなものです」
さらりとはぐらかして、アイスティーのコップを取り、ストローをくわえる。
コップよりティーカップを傾けている方がよほど絵になる見た目をしているのにとか、紅茶の本場出身の人だと味にうるさいんじゃないかとか。
そんな風に一方的に色々と気になる光景だったが、紅茶の国から来た紳士の方は特に不満そうにもせず飲み始めた。
だが。
「それ、『シャーリー』さんに教わったんですか?」
そう言ったら、すぐに蒸せた。
「…………マスター、予選の間に、どんな夢をみたんですか?」
「ふふー。どこまでを見たんでしょうねぇ?」
★☆★☆★☆
くだんの『アサシン』から渡された番号にかけると、応答したのはサーヴァントでもマスターでもなく、取り次ぎ役の知らない男性だった。
すぐ伝えるので待つように言われ、しばらくして渋谷の駅近くのカラオケルームを指定される。
すぐ隣の区でもあったから、そこに嫌はなかった。
これから出会う相手が『アサシン』とさえ名乗っていなければ。
(密室で暗殺のサーヴァントと密会するとか、めちゃめちゃ怪しくないですか? 私達だまされてないですか?)
(いや、密室ならむしろ安心さ。サーヴァントが正面きって戦うなら、とても小部屋じゃ収まりきらないスケールになるからな)
(むー……でも、不意打ちは今回だけですからね! 次からは知らない人と会ってたなら、絶対に教えといてくださいよね! ……ってお母さんじゃないですか、私!)
念話でぷんすことメロウリンクをお説教しながら、東急と名のつく電車にのって渋谷駅へ。
みちみちで、電車の中で、どんな接触をしたのか、本当に信用できそうなサーヴァントだったのかと根ほり葉ほり聞かずにはいられない。
聞けば、そのアサシンから話を聞くつもりになったのは、こちらのことを正確に看破してきたからだという。
――あなたは激戦地を潜り抜けた元少年兵。猟兵ですね。おそらく、兵卒たちよりもはるかに巨大な存在……さながら、子どもと猛獣ほども異なる存在を狩ることを任務としていたでしょう。
――おそらく、どこかの戦場で捨て駒として不名誉な扱いを受けた。英霊となったのは、それに逆襲をして勝ち残ったことに由来するのではありませんか?
(……こっちのこと、全部ばれてるじゃないですかー!!)
よもや、奇妙な青年との同棲生活をすっかり監視されていたとでもいうのか。
そういう想像にまず行き着いたにちかだったが、事実はさにあらず。
アサシンは初見で、それだけのことを看破したのだという。
――軍務経験があることは歩き方ですぐにわかります。その筋肉の付き方から、近接戦にも対応できる実戦経験者であったことも。
――身のこなしは工兵よりも歩兵のそれに近い。しかし、歩くときに右肩がやや身体から開き、そこが軽いかのように左肩よりわずかに上がっている。
――重量のある銃火器に相当する装備を、そこに固定することを常としていたからです。対人としては大きすぎる武器を、歩兵として持ち歩く……つまり『巨獣』を狩る事を命じられた猟兵でしょう。
――『復讐者(アヴェンジャー)』たったと分かった理由ですか? その年齢を全盛期とするなら、戦場に放り込まれた当時は少年。少年兵に巨獣狩りを命じる戦場に、人道を期待することはできない。
――そして私のスキルは、対峙者の『犯罪歴』や『悪評』を検知する。その判定が曖昧に鈍っていることが分かる。これは、『冤罪』が関係するのではないかと思いました。
――でも復讐者には、心を縛る鎖がある。過去を思い出す時に、瞳が違うところを見る。君はそうじゃない。
――いや、種明かしをしましょう。身近にそういう者がいたんです。たくさんの同胞を失ったために、体制へと反抗の牙を向くことになった者が。
――こうやって経歴の話をしても、君は瞳がぶれない。君は、自力で鎖を解き放った者だ。
(……なんかそれ、こっちとレベルが違くないです? 裏切られたら敵わなくないです?)
(いや、そうでもなかった。これでも生前の直観で、『俺よりずっと強い』と思うヤツは見れば分かるんだ。
おそらく、戦闘力そのものは脅威じゃない。むしろ俺と同じ、一発逆転を狙う戦い方に近そうだ)
(えー……向こうも弱いならもっと、強そうなサーヴァントに声かけるんじゃないですか? 弱い私達に眼をつけた理由ってなんなんですか?)
――心を縛る鎖が無い。そういう人物は信用ができます。
――私情やこだわりよりも、マスターの安全、目の前にある絆を優先するということですから。
それに『一人目』は、戦力それ自体より信頼できる事、圧倒的不利であっても共に立ち上がってくれるかどうかを重視するものです、と。
(そりゃあ、不利だってことなんか最初から分かってるし……なくすものとか、ないし)
――ただ、君のようなタイプは私のように『上手い話を転がす者』を疑うでしょう。
まさに生前のメロウリンクが反抗したのは、『人をゲームの駒のように操り、神視点で自らの利益だけを得る者』だったが。
――そこは私の策(プラン)を見て、ご自由に感想をつけてください。
――それに、私のマスターは、私のようではありませんよ。それだけはお約束します。
(どうやら向こうのマスターは、なかなかの人格者みたいだぜ)
(うぇぇ……こっちのハードルが上がった……)
どっちにせよ英霊と『人格者』が三人揃ったら、私だけ場違いにならないかな、などと逡巡しているうちに、カラオケルームの手前までたどり着いてしまった。
そこから先は、脚がとまる。
そもそも普通にノックして入室するので大丈夫なのか、挨拶の仕方からまず迷う。
入試の面接やオーディションじゃないんだぞと笑われたりしないだろうか、怖そうな人達が待ってやしないだろうかと、色んなことが不安になる。
(なら、霊体化して、中の様子を見てこようか? 気配遮断は使えないからほとんど気休めだぞ?)
(…………)
けわしい顔を崩さず、うなずいた。
やがて霊体化から戻ってきたメロウリンクが報告したのは、アサシンのサーヴァントが蒸せている光景だった。
(……というような話をしていた)
(うわ。こっちのサーヴァントにもそういうカノジョいたんだ。
生前のコイバナを振るのって、サーヴァントには天丼ネタなのかなー……)
(それは、今は蒸し返さないでくれ)
よく分からないままに、怖そうな人達じゃないのかもと気持ちは傾き、深呼吸。
カラオケルームのドアをノックする。
許可をもらい、入室。
そこに着座していたのは、『ああ、この顔なら確かにカノジョいるに決まってるよ。シャーリーのほうも絶対にハリウッド美女だよ』という感想しか出てこない金髪のイケメンさんと。
姉のお葬式で、挨拶したうちの一人。
「……あれ……にちか?」
「えと…………田中、摩美々さん、ですよね?」
(……下の名前で呼ばれるような関係だったのかな。283にいた『私』は)
びっくりした。
びっくりしながらも、そんな風に思ってしまった。
WINGも準決勝までいけば、アイドル友達だっていたりするのだろうか。
…………いや、それ以前に。
283プロダクションに行くつもりだったのに、283の人達にどう自己紹介するか考えてなかったんですけど?
『七草にちかです』って名乗ったら、絶対に『WING準優勝者のにちか』だと誤解されますよね、これ。
「久しぶり……なのかな。事務所ではあんまり話した事、なかったケド」
あ、そういう設定だったんだ、テレビに出た方の私。
摩美々は『いつの間に……』とでも言いたそうに、にちかのマスクからほんの数ミリのぞいた令呪に視線を吸われている。
「え………いや、その……久しぶりっていうか、ですね。違くて、ですね」
「すまない。こっちのマスターは事情が複雑なんだ」
いつも口数の少ないサーヴァントにフォローされてしまった。
「まずはお席にどうぞ。初めまして、この度アサシンのクラスを戴いた者です」
向かい席のサーヴァントから着座を促され、「お飲み物は何にしましょう」とドリンクバーの所在にまで気を遣われる。
「ああ、どこかで見たと思ったら、さっきマスターと観た番組に映ってたのか」
「それはご視聴どうもー、『アンティーカ』の
田中摩美々ですー」
「アーチャーと呼んでくれ。こっちが見ての通りマスターだ。名前は……」
「知ってますよー。うちのはづきさんの妹さんですから」
そしてうちのサーヴァント、どんどん話を進めないでほしい。
さては不器用だからこそ、ちょうどいいテンポが分かってないヤツか。
「あー、もう!!」
ここがオーディション会場で、もう一人の七草にちかだったら、半ばやけくそでアピールタイムに突入するかのような声を出してしまった。
三人分の視線が、にちか一点に集まる。
「誤解! たぶん誤解が起きそうになってるから! 最初っから説明させてください!」
★☆★☆★☆
ともあれ、『こっちを利用する気満々の二人だったらどうしよう』という不安は、この対面ですぐに消えた。
そもそもアンティーカがいわゆる『わきあいあい仲良し箱推しユニット』だということは、アイドルを愛好する者にとっては常識だ。
嫉妬とか卑屈な感情はありまくりだけども、この人は騙す気満々なんじゃないかという警戒はなくなるし、そもそも『仲間がいなくなったばかり』という悲劇まで背負っている。
よく見れば眼を腫らしていた痕もうかがえる女の子が、悪意をもって接してきたとは思えなかった。
それにそもそも、悪意を勘繰る余裕さえないぐらい、双方の置かれている状況が複雑すぎた。
「七草にちかさんがたどった経緯と、『この世界で報道されている七草にちかさん』の設定(ロール)が噛み合わない。
それだけなら界聖杯の設定のブレかもしれないが、『私のマスターが知る七草にちかさん』ともずれがある」
「それで合ってる。そして、『この世界にいる七草にちか』に会って、何がどう違ったのか確かめた上で帰りたいってのが、こっちの目的だ」
サーヴァントの二人はまだ冷静だったが、283プロダクションと関わりを持ったアイドル志望とアイドルにとっては、横合いから飛んできた魔球だった。
「じゃあ、摩美々さんの覚えてる『元の世界のにちか』も、こっちと同じように283プロに入ってたんですか?」
「私が覚えてる元の世界はー……こっちと、だいたいは同じですケド」
摩美々が覚えていた『七草にちか』とは、お茶の間のテレビで流れていた紹介映像とおおむね同じだった。
ただ、WINGを奮戦するにちかが準決勝で散ったのか決勝で散ったのか、その一点が違っていただけ。
そして、界聖杯の東京に来てからの実態として、摩美々の世界と違っていたこともある。
それは、283プロダクションの陣容がWINGの後にどうなったのかという一点。
アイドルとマンツーマンのプロデュースの最中に何があったのか、他のアイドル達が知ることはできない。
だが、七草にちかを敗退させてしまったという後悔は、
プロデューサーにとってよほど躓きになるものだったらしい。
七草家の家計事情が明るくないことは、WING決着後の283プロでも薄々と知られていた。
七草姉妹にとっての一念発起、一発逆転の機会を潰してしまったという罪悪感も
プロデューサーのショックを大きくしたのか、その心境は定かではない。
だが、
プロデューサーは仕事に没頭したように、ただでさえ多忙だった業務を増やしていた。
もともと仕事を抱え込みすぎるところがあった故に、それが異常なのか誤差の範囲なのか、外側から見て発見が遅れたこともある。
もしかすると、この人は故障しかかっているのではないか。
そんな危惧がアイドルたちにも伝わり始めたころ、283は別の事情で経営不振になった。
そして
プロデューサーは……現住を変えるという届出さえ出さないまま、失踪した。
いつか絶対に283プロは再開してみせると、そんな宣言だけを置いて。
ここまでが、
田中摩美々の覚えている世界。
「七草家(うち)のために、あの人が、そこまで……?」
そして、巻き込まれた界聖杯の世界では283プロダクション自体は続いていた。
違っていたのは、
プロデューサーが失踪ではなく、欠勤という扱いになっていたこと。
プロデューサーが、無理をして心を壊す前にちゃんと休みを出せていた。
そして、『283プロを休止する事情』も起こらなかったから、事務所の誰もが欠けずに、アイドルの設定(ロール)を貰う事ができた。
摩美々は、そのように納得した。
「それだけじゃ、そっちの知ってる『にちか』がどうなったのかは分からないな」
「それは……はづきさんが過労で入院して、連絡が取れなくなったから……。こっちの世界では、元気でしたケド」
「入院!?」
震えた声で、口が勝手に悲鳴をあげた。
予想してなかったわけじゃなかった。
あのテレビをみてぐるぐると頭をひねった時から、予感はあった。
真夏の東京で凍死するなんておかしい……つまり、この世界の姉は、まだ生きているんじゃないかと。
「お姉ちゃん……そっちでは、入院するだけで済んだんだ」
「だけ?」
けげんそうにした摩美々の表情が、やがて時間をかけてうつむいていく。
それはそうか。
入院するよりも重篤な状態といえば、ひとつしか思い浮かばない。
『こっちでは入院するだけでは済んでない』と言えば、ほとんど答えを言ってしまったようなものだ。
そして、気付いてしまう。
もう一人の七草にちかに会うということは。
高確率で、もう一人の七草にちかと暮らしているであろう、『家族』が生きているところを、見るのかもしれないということになり。
(でも。違う人。でも。死んだお姉ちゃんとは違う。でも。アイドルを止めたお姉ちゃんとは別人。でも。お姉ちゃんがいる……)
予感があったのに、鼓動が荒れた。
手のひらで、トップスの左胸の上あたりをぎゅっと握りしめた。
「こちらの姉さんは元気だったんだな。けど、それならどうして七草にちかとアンタらが最近会ってないんだ?
別に大会とやらに負けたからって、辞めるわけじゃないんだろ?」
「それは、顔を合わせることがなかったっていうか……WINGに負けた人が一からレッスンやり直すことは珍しくないですケド。
今はそのレッスン室もあんまり開いてないので」
「今の283プロダクションは、新人アイドルの育成を手掛けていませんからね」
「どういうことだ?」
なんでサーヴァントの方がプロダクション事情を説明できるんだろう。
そう思ったら、とんでもないことをその金髪美男子は口にした。
「実は、この世界の283プロダクションも、聖杯戦争が激化するまでには休業に着地する予定だったのです。
勝ち残った主従が少なくなり、決戦がいつ起こるか分からないともなれば、どうしたって『アイドル活動とマスターの両立』は現実的ではありませんから。
それはこちらのマスターにも、事前にご理解いただいています」
それもこうやって不可能になりましたが、と炎上の模様がスクショされているスマートフォンを提示して付け加えた。
待って。
あんた、283プロダクションで何やってたの。
★☆★☆★☆
山本冬樹は、アイドルのマネージャーをしていた。
芸能界に関わる仕事をして十数年、それなりにキャリアを積み、ノウハウと審美眼も会得した。
地下アイドルの頃から育てていた金の卵たちのメジャーデビューを迎え、順風満帆な人生を歩んでいたはずだった。
それが劇的に一変したのは、ここ一か月余りのことだ。
遺体をひとつ、隠蔽するためにヤクザの手を借りることになったのだ。
その遺体を隠さなければ、手塩にかけてきた金の卵が未来を絶たれることになったので。
その隠蔽自体には成功したのだが、代償は安くなかった。
世話になったヤクザ者たちに、アイドルたちをヤクザの『営業』に利用する同意を取らされた。
そこまでなら、まだまだ地獄のようではあったが、理解することが可能な地獄であった。
だが、金の髪をした悪魔のような男に犯行を見抜かれて、運命はおかしな方向に転ぶ。
光源の限られた埠頭の倉庫に、長い長い影を落としながら、堂々と。
探り当てたかのように、山本とアイドルが『営業』の現場でヤクザたちと話し合っている現場を抑え、証拠を握った。
しかも、報道されているデビューニュースなどの断片情報から、『遺体』のことまでを正確に見抜いて、全てのあらましを語ってのけた。
本来ならその場で口封じでもされるところだろうに、あっという間にやくざのうちの片方――腕に覚えのある巨漢を地に倒し、その場の主導権を握った。
まるで、サスペンスドラマで終盤に現れる探偵役だ。
しかし、その若い男が持ちかけてきたことは、およそ探偵役の対極に位置するような提案だった。
あなたには、『
プロデューサー業務の代行』をやってもらう。
こちらが持ち込む283プロダクションという会社の諸仕事を、在宅業務で受けているふりをして消化してほしい。
そのプロダクションを、マスコミに大きく取り上げられず、悪意ある第三者に見つかることなく、なるべく緩やかな形で閉鎖させたいと考えている。
その為に、口止め料として眼前の業務をさばいてほしい。
そこからは必死だった。
とてつもないハードワークが始まった。
ライバル企業の売上に貢献しろというならまだしも『活動休止に向けて動かしたい』という点についてはまだマシだったが、仕事量は比較にならないほど増えた。
一つ不思議だったのは、『どこかでボロが出るに決まってる』と思いながら始めた無茶だったのに、少しも失敗する流れに向かわないことだった。
計画は大胆であったにも関わらずおよそ足のつくところがなく、遺体の始末を任せたヤクザたちのそれよりも隙がなかった。
さながら、あの悪魔から出て来る発案には失敗しない加護のようなものがついていた。
ヤクザ者たちはヤクザ者たちで、何やら別の調査ごとを命じられて走り回っているようだった。
あまつさえ、ヤクザ者たちからどのように糸を広げたのか、警察官にまで繋がりをつくり、双方を利用して『ある男』の現住まいを探させてもいるようだった。
しかし、そんな奇妙な地獄生活も終わりを告げた。
白瀬咲耶の失踪。
もし事件性があるならば、今度こそ連座して自分たちの詐称も発覚するのではないか。
そう思っていた昼前の時間帯に、あの男から連絡が来た。
これが最後の指示で、それが終わったらあなたとは手を切ることにする。
283プロダクションを通してあなた達にたどり着かれることは無いから、そこは安心してほしい。
どのみち共犯者のアイドルが黙っていられるかを保証しないけど、それはきっと全てが終わってからの話で、僕がそれを見ることはないだろうとも。
以前からもしもの時のためと指示していた封筒を用意してほしい。
それをヤクザたちに探し当てさせた住所に配達することが、あなたの最後の仕事だと。
★☆★☆★☆
答え合わせ。
Q.なぜ、本来ならば、社長と、
プロデューサーと、事務員の3人しかいない会社が、
プロデューサー不在という致命的な損失をカバーできていたのか。
A.穴埋めの
プロデューサー代行をこっそり器用して、必要な諸仕事を無理やり回していたから。
また、単純に、天井社長に『この状態では活動休止もやむを得ない』という意図があることを業界人に聞きこんで確かめ、それが叶うよう動かしていたから。
すでにアイドルの何人かには『営業をしばらく休むようにしてほしい』とはづきさんを介して頼み込み、少しずつ活動規模を小さくしている。
Q.なぜ、『イルミネーションスターズ』や『アンティーカ』のようにユニットとして動いているアイドルたちが、一人一人のソロ活動ばかりこなしていたのか。
A.まだ全員には伝えていないにせよ、徐々に休業に入ってもらったユニットメンバーもいるから。
また、山本に指示を出してスケジューリングには介入し、極力リスク管理のためにアイドル同士は離していた。
『情報にアクセスできる人間の分散』は、リスク管理の上で大事である。
たとえユニットメンバー同士でも会う機会がなくなることで、悪意ある第三者が『最近、あなたの知り合いに包帯や露出抑えめの恰好をするようになったアイドルはいなかった?』などと害意ある探りを入れてきても、『そういえば、最近会ってないし思い出せないなぁ……』という状況をつくりだせる。
(もっとも、摩美々に言わせればそれとなく一か所を隠すとかえって目立つとのことで、タトゥー隠しにも使えるタイプのファンデーションを塗って対応していたのだが)
Q.そのようにして283プロダクションをカバーする必要はあるか。
A. 暗躍する蜘蛛の気配がある以上、『マスターの周囲環境からボロが出ないよう努力する』という方針は必須。
手段を選ばない『蜘蛛の巣を張る悪党』にとって、脅迫のネタをつかんで従わせる事は基礎教養のようなものだ。
マスターがアイドル活動の自粛や移籍をしなかったことに賛成したのも、『距離をとったところで、関係者が狙われるリスクはなくならない』という読みがあったから。
このままではマスターにとって、『いざという時に精神的苦痛で追い込んだり脅迫ができる人材が二十数人いる』という状況は続く。
かといって、いきなり大手プロダクションが
プロデューサーの欠勤のせいで潰れたなどという事態になれば、ニュースバリューを持ってしまうので、なるべく穏当に、ゆるやかに休止させるしかない。
もともと283プロには都心の近郊や隣県から通っているアイドルも一定数いる。
また、『神奈川住まいの摩美々が都心住まいに変わっていた』というように、本来の住所をねじまげた都合でかえって遠地に住まわされた者もいる。
『しばらくはアイドル活動をしなくていい』と納得させるだけで、『マスターの親しい人々が、23区内の事務所に通ってくるリスク』を大きく減らせる。
そして、七草はづき経由で一つだけ『ブラフ(東京都外で仕事をしようというカマかけ)』を置いて、マスターでないかどうかを図る。
東京都外での仕事を受けることはマスターにはできないけれど、こちらが仕事を紹介するだけなら可能だった。
さすがに界聖杯が『今後、283プロ周りが何かしら事件に巻き込まれた時に、全員のリアクションを再現しなくても済むじゃないか、やったー』などと考えたとは思えないが。
Q.代行をたてるより、
プロデューサー自身を抱き込んで協力させた方がいいのではないか?
A. マスターから友人、知人の人柄を聞き及び、『
プロデューサーの男は、マスター達に与える影響力が大きすぎる』と判断。
マスターの言によれば、元の世界での
プロデューサーは壊れる寸前であり、ここで矢面に立たせるような真似をさせることはできない。
「
プロデューサーさんは、アイドルの『まみみ』を育ててくれた人で、いなくなっても……捕まえてくれる、みたいな……」とのこと。
マスターは、優しいけれど間違いなく『悪い子』で合っている。
また、現住所に住んでいなかったため、割り出しに時間を要する。
それが元の世界でも行っていたことであるため、行方不明なのか引っ越しなのかの特定に時間が必要だった。
Q.他の手段で283プロの人員を保護することはできなかったのか?
A.最良の方法は、権力や財力の庇護を借りて283プロそのものの体制を盤石にすること。
しかし、それは不可能。
それを成す為に東京都における『政府そのもの』、一番の権力者に探りを入れたところ、『マスターである』という感触を検知。
それも、明確に聖杯を狙っているマスターであることを察知。
よって、権力に頼った手段を用いれば、敵性マスターから狙われる。
Q.解答者自身は、問題の
プロデューサーを『シロ』だと思っているか?
A.現住所が、まるで人目をさけて隠れ住んでいるような状態だったと聞いて、違和感はあった。
白瀬咲耶のマスター発覚を契機として、『界聖杯が縁者を巻き込んで選抜している』ことは、より現実味を帯びた。
そして、これだけ騒ぎになっているのに、『いなくなっても捕まえるべきアイドル』たちに連絡を取る様子が無い。
おそらくは――
★☆★☆★☆
「めちゃくちゃ……」
簡単に283の実態を知らされたにちかは、ぼそりと呟いた。
とはいえ、情報量が多いと混乱するよりむしろぼーっとしているのは、心の何割かを『姉』や『姉とともにいるかもしれないにちか』が占めているところが大きい。
アサシンは話題を切り替えることを仕草で示すように、わざとトンと音をたてて空のコップを卓上に置いた。
「そして、そちらの事情と283プロダクションに対するスタンスは理解できました。
それでは、こちらから白瀬咲耶さんの失踪にまつわる真相と、283プロダクションにある火急の危機について話しましょう」
「「「火急?」」」
「この話し合いが終わり次第、私自身が動かなければいけないほどの案件です」
「えぇ!? 急ぎなら急ぎだったって先に言ってくださいよ! なんかこっちが時間使わせたみたいになるじゃないですか!」
「今のところは『下準備が終わった』という報告待ちなので、支障はありません。まずは、白瀬咲耶さんの失踪についてですが」
その少女の名前が出たことでピリリと緊張を走らせた隣のマスターを、ちらと見て。
「しばらくは同じ話の繰り返しになりますから、マスターは少しだけ席を外すこともできますよ」
「いますよー、ここに」
「はい。ではご依頼通りに」
そして、283プロダクションの裏側で暗躍していた主従は語る。
白瀬咲耶がマスターであり、一昨日の晩に他のマスターとの交戦によって脱落したこと。
彼女自身の遺した遺言や、下手人の末端が漏らした情報によって、摩美々とアサシンにそれが伝わった事。
下手人と目されている『ガムテープ集団』のこと。
ガムテープ集団の持ち歩いていたドラッグのこと。
「飲んだらムキムキになるクスリって、何……?」
開示されていく全貌に圧倒されていた七草にちかが、うろんな方向に話が向かったことについ声をあげる。
「っていうか、さっきからアサシンさんたち詳しすぎじゃないですか?
もう知らないことなんて何もないみたいですよ」
べつに引き籠って寝転んでいた自分達が、他のマスターたちと同じ条件で戦えているなんて思っていなかったけれど。
まったく感知せざるところで、七草はづきやもう一人の七草にちかが『火急の危機』のすぐ近くにいたというのは、無性に腹立たしくなることだった。
「いいえ、私の張った糸も、いくつかの理由で全盛期に比べればとても鈍いものになっていますよ。
そして、我々を上回る『蜘蛛の巣』を張っている存在が、この東京にはいます」
これは決して謙遜じゃない、と前置きして。
「――そして、火急の危機とは、『全て蜘蛛の巣の主によって企てられたこと』なのです」
「待ってくれ、薬物を濫用する集団の話じゃないのか?」
「はい、アーチャーさん達にとっても我々にとっても、対峙すべき脅威はそちらでしょう。
しかしそんな集団を、狙って爆発させようとする犯罪教唆者がいます」
『います』という断言。
それによって沈黙したカラオケルームの中央卓に、アサシンは炎上するSNSが映し出されたスマートフォンを滑らせた。
「おそらく、白瀬咲耶さん失踪事件の炎上は、意図的に引き起こされたものです」
★☆★☆★☆
人間社会の戦いには、最初から勝敗が見えているケースがある。
事件を起こす側と、起こされる側では、起こす側の方が絶対有利をとれるというものだ。
なぜなら、事件を起こす側とは、常に先手が打てるのと同義なのだから。
そして、『社会的制約を破っても逮捕されない状況』が出来上がっている場合であれば、事件を起こす側の優位はますます確実なものとなる。
被害を出すことをいとわない側と被害を出せない側では、被害を出せる側の方がいくらでも攻め手を持てる。
そして、昨晩の本選開始通告によって、いよいよ『社会的役割(ロール)を無視すればペナルティがある』という
ルールを設ける最後の機会はなくなった。
――実質的に、『社会をどんなに混乱させても、
ルール上のペナルティはない』ことが明言されてしまった。
アサシンを担う方の『モリアーティ』が、己の実力を『全盛期より鈍い』と言い表す最大の理由もそれだった。
生前のモリアーティは、まさに社会に混沌を起こす側だったが、聖杯戦争においてはそうでなない。
悪事を企むサーヴァントを殲滅しなければならない以上、義を持ったサーヴァント同士で同盟をしなければならない。
つまり、いくら悪い側の視点に立ったところで、あまりに筋の通らない、大義から逸脱した手段には訴えられない。
例えば、
NPCに対しても危険すぎる任務は与えられなかった。
麻薬を流通させる極道少年たちの拠点を突き止めるには、これが最大の制約となる。
拠点の候補を捜索してもらおうとしても、『罠としか見受けられない物体が設置されている』となれば撤退を指示しないわけにいかない。
例えば、誰かに痛みをともなう選択をさせることは、本当に最後の手段にしなければならなかった。
283プロダクションの保護にしても、マスターに対して『
NPCの犠牲については割り切ってください』という損切りの了承はとれない。
田中摩美々は、痛みをともなっても進むことを課されているモリアーティ家の人間ではないからだ。
しかし。
それでも、それが誤った手法だったとは、犯罪卿は思わない。
『義を持った者』を味方につけるという策に、ある程度の希望があったこともある。
283プロダクションの業務報告を受け取る過程で、ご当地取材などから『困っていたら助けてくれる義侠の風来坊』という噂を拾えたことには安堵した。
だが、それだけではない。
故老の毒蜘蛛を打倒するものは何なのかを、年若い偽善の蜘蛛は知っていた。
★☆★☆★☆
白瀬咲耶の失踪を告げるニュースは、あまりの短期間で、あまりの拡散件数として広がっている。
これは事実であり、不自然だ。
そもそも、姿を消した人間の捜索届が出てから、それが失踪事件だと周知されるまでには、本来何日ものタイムラグがある。
現代の東京とは、『脅迫王』を名乗る個人情報の漏洩者が暗躍していた前世紀のロンドンとは違う。
この時代になると依頼人、事件関係者のプライバシーは守られなければならないという原則は徹底されているし、それが警察の捜査であればなおのこと。
警察が白瀬咲耶を失踪したとみて捜査していたとしても、それがマスコミへのネタとして流れることは有り得ない。
ことに、それがアイドルともなれば『ストーカーの襲撃』『誘拐』という可能性がどうしたって付きまとうし、スキャンダルの種でもある。
プロダクションが公式の会見によって発表しない限り、それは事実とはならない。
つまり、『白瀬咲耶が行方不明になった』という情報をいち早く入手し、それを意図的に拡散した黒幕がいる。
「咲耶にひどいことした人達が、炎上させたの……?」
「だとしたら彼らを罰する理由が増えますが、そうではない。
彼らが騒ぎを大きくしようとするなら、咲耶さんと戦った痕跡を隠蔽したりはせず、むしろ積極的に衆目にさらすでしょう」
遺体を晒すでしょう、と直接的に口にしなかったのは、摩美々への配慮らしい。
「それに、彼らは咲耶さんが戦闘の現場に現れた時間を知っていても、咲耶さんが最後に目撃された時間までは知りえない。
『最後に目撃されたのは一昨日の晩だった』ということを知る者が、情報を漏らした犯人です」
「つまり、この世界の警察か?」
「警察でもありません。今朝、自室を捜索した際に白瀬さんの手紙はまだ残っていた。
つまり、警察でも今朝はそこまでしか捜査が進んでいなかった。
拡散されるまでに要する時間を鑑みるとと、とても捜査情報を得てから拡散するには時間が足りない。
それに、先ほど大門さんという協力者の警官に電話しましたが、白瀬さんの失踪事件を担当した刑事は正義感のかたまりのような鬼刑事。
捜査情報を横流しするために内通するなど有り得ないそうです」
それを教えてくれた大門さんは、捜査情報を横流しするために内通してることになりますけど。
たぶん三人ともがそう思ったはずだが、アサシンは敢えて無視するように続けた。
「ならばどこから情報を得たのか。おそらく、『白瀬咲耶さんを最期に見かけた当人』です。
仮にも予選が終わる二日前まで勝ち残っていた二人を、じっと見続けたり尾行したりすることは難しい。
おそらく、監視カメラが据え付けられていたコンビニの従業員、といったところでしょうか。
そして、マスターであるにせよ一般人であるにせよ、その人物の単独だけで、これだけの拡散をなせるとは思えない。
拡散に協力した網がある……おそらく、東京都民をスリーパーとして『もし有名人の女性が行方不明になったら、晒せ』という単一の指示を与えていたのでしょう。
協力者として取り込むのは時間がかかりますが、『指示をひとつだけこなして欲しい』と言い含めるだけならさほど労力はかかりませんから」
「なんで『有名人の女性』なんだ?」
「近ごろの東京では、『女性の連続失踪事件』が噂になっている。そこに便乗を図れるからです」
連続する女性の行方不明のニュース。
界聖杯の東京で行われる報道の中で、これは極めてオカルトめいた畏怖を生んでいる事件だ。
聖杯戦争のマスターとしてニュースを把握している者なら、マスターによる犯行ではないかと胸をざわめかせることだろう。
そんな中で、『知名度のある女性』が新たに行方不明となる。
これまでの『行方不明になった女性たち』は、いずれも個人情報を伏せて報道される一般人だった。
だが、白瀬咲耶はアイドルだ。
調べようとすれば、失踪した経緯を捕らえられるかもしれないと思わせるだけのことが公表されており、283プロダクションという固定の座標もある。
つまり、これだけの拡散が行われてしまえば、『283プロダクションに何か秘密があるかもしれない』と期待したマスター達が集まってくる。
そして、通常の行方不明であれば公開情報となるまでに時間の猶予があり、いくらでも防諜のための手立てが打てたのだが、炎上によってそれが叶わなくなった。
複数の主従が集まった結果として起こる事。
軽くて騒動。拡大すれば乱戦であり、腕に覚えのある聖杯狙いたちの大戦だ。
「私が炎上を企てる側の視点に立った場合、まず『日中何事もないか様子見』をして、何事もなければ自ら依頼した火種を放り込む手段をとります。
つまり、釣られた者が出て来るにせよ出てこないにせよ、今日中をめどに騒動が起こる公算は高い」
「火急の要件って、そういう……」
今の283プロダクションは観測気球のようなものだ。
暴風のありそうな上空にアドバルーンを解き放って、どのように、どのぐらい荒れ狂うどうかで、天候の実態を視覚化するための試金石。
蜘蛛の巣の主は、283プロダクションの攻撃それ自体よりも、『そこに集まってくる主従の見極め』を行い、自らの手を汚さず、自陣を損させずして優位に立とうとしている。
「皆に……逃げるように言わないと……」
震えのまじった声で、283プロダクションの少女が口走った。
その言葉が、カラオケルームにすっかり浸透するだけの間をおいて、盤面を見るアサシンが答える。
「皆さんの命を守るなら、呼びかけは必要です。しかし、それだけでは足りない。
最善の手を打つなら、私自身が283プロダクションに赴かないといけません。その為の許可をいただきたい」
重ねて、アサシンは説いた。
今、283プロダクションに誰も近づかず、他のアイドル達も事務所から出るよう促すことで、今日一日をやり過ごすだけなら可能だろう。
しかし、『すぐに283プロダクションを閉める』という選択肢は、そのまま『283プロを探られたくないマスターがいる』と回答しているも同然になる。
そうなれば、待っているのは『白瀬咲耶の失踪』という炎上に注目したすべての敵性マスターが食らいついての、根こそぎの関係者を狩る動きだ。
今はまだ、「283に何かがあるかもしれない」程度の期待から動いているだけの者が、本気の狩人に代わってしまう。
もし、他にもマスターとして283に潜伏している友人達がいたとして、その全員に累が及ぶことになる。
それを避けるために打てる手は一つしかない。
283プロダクションの建物にじかに赴いて、訪れる悪意ある者を出迎える。
そしてその結果が交渉になるにせよ戦闘になるにせよ、『283プロダクションに潜んでいるものは、こいつで洗い出した』と見せかける。ターゲッティングを図る。
むしろ、誰かがターゲット集中をとらなければ、『潜伏しているかもしれない者』に矛先が向く。
「はっきり言います。この手を打てば、私が最後まで依頼を果たせる確率は減少します」
危険な対面であることは明らかだ。
一昨日の戦闘現場だっただろう跡地では、埠頭が一点集中の津波にでも襲われたかのように崩壊していた……らしいと、先刻の電話の一つから報告を受けている。
もし、白瀬咲耶を殺害した主従に『ニュースになるのは早すぎる』と思いつくだけの頭があれば……。
思いつかなくとも、違和感を感じとるだけの天分を持っていれば。
そんな戦闘を勝ち残った強いサーヴァントたちが乗り込んでくることになる。
その対面を生き残ったとしても、観測気球につられてやってきた者達の眼にとまるリスクは大きくなる。
姿を見られるなら見られるで、なるべく敵の方も見られて損をするような方向には持って行きたいところだが。
故に、サーヴァントは許可を求める。
本来なら、『マスターを生還させる』という依頼を一義におくべきであり、逃げをうつことを推奨すべきだ。
白瀬咲耶の訃報を依頼人が受け止めるところを見ていなければ、それを最善手として動いていた。
しかし、改めて依頼を受けている。
ゆくゆくは、白瀬咲耶の絶対に仇をうつ――そのためには、悪党の企みを阻止するための一手が必要だ。
酷だと承知していながら、命の選択を出す。
「……お姉ちゃんを、助けて」
状況を動かしたのは、ただ姉の心配をする、真っ青で震えている少女だった。
「二人に頼むのが図々しいなら、アーチャーにお願いします。アーチャーだけでも、事務所に行って。
何でも理由をつけていいから、お姉ちゃんたちを連れ出してください」
理屈抜きで、己のリスク抜き。
姉はどうあっても姉で、まだ残っているかもしれない者が失われようとしている。
仮初で作り物だろうと、会いたい。
私がアイドルをすることをどう思ってたのと、聞けなかったことを聞きたい。伝えたかったことを伝えたい。
アーチャーは、返事をしなかった。
いつもの身長差をつかって頭を撫でれば、それが返事になるから。
「あー…………」
摩美々は立ち上がった。
観念したように天井を仰いで。
両腕を交差させ、二の腕を抱くような仕草で考え込んで。
きれいに剃った左右の眉を、眉間に寄せてから。
「……そうなるかなぁ」
誰かの声でも受信するように、そうこぼして。
「アサシンさん…………悪い子が、欲張りになっちゃいましたぁ」
切り替えた。
「ならばご命令を、共犯者(マスター)」
一礼が答えた。
その遣り取りは、どう見ても決断がなされたことを意味するもので。
それを見て、妹である少女は、『わがままが通った』という責任に襲われたように呆然として。
「あ…………」
人一人の決断を促してしまった。
その重さに、脚が震える。
「い、いいんですか? 私にとって、お姉ちゃんは絶対に会いたい人だけど、でも……」
あなたにとっては帰ったらまた会えるだけの、
NPCかもしれないんですよ。
そこまでずばりとは言えなかったけれど。
相手は、そう言わんとすることを飲んだ上で答える。
「『恋をするのに、汗なんてかかない』」
「え?」
どこかで聞いた魔法の呪文を引用するように、ぽつりと言ってから。
くい、とアイドルとしてのポーズをとるために沁みついた所作で、顎を引いて、顔をあげた。
「そんなの、言わせんなってことだよー…………それに。
アサシンさんの話はたくさんありすぎて頭痛いけど、私にもいっこ推理できちゃった」
唇を小さく噛んで。
口にすることを恐れるように、左右に頭を振ってから。
「今の283には……絶対に、マスターだって人がいる。
ううん、その人は事務所にはいないけど、だんだんわかってきた。
朝からずっと、電話が来ないかなって、思ってたから。
それなのに、今になっても来ないから。
これ…………確定、ですよね?」
どんなに病んでいたとしてもアイドルの心配をする人がいる。
その彼が、咲耶のことを知らないはずがないのに応えない。
聡明な推理力は持たなくとも、283プロのアイドルならば理解できる。
「……私が打ち明けるまでもなく、たどり着かれましたか」
それと同時だった。
推理を説明するためだけに卓上にあったスマートフォンが震えた。
液晶が、チェインの受信があったことを表示する。
無粋な横やりにしか思われなかったそれに、アサシンは「間に合った」と小さく一声。
「何がです?」
「今、283にいる皆さんを逃がすための手立てです。
私が現場で犯罪めいたことを行い、皆さんを怪我しないまま事務所から出すことは可能でしょう。
しかしそれでは、やはり『283プロで騒動が起こった』という事実が残ってしまう。しかし」
すっかり現代生活で習得してしまったスマートフォンの操作を行い、特定の電話番号を画面に映し出す。
「そんな小細工も小技も無用。この世界にはたった一人、『今はどうか逃げてください』という一声の電話をするだけで。
……あの事務所のアイドルと事務員さんの全員を動かせる立場と影響力を持った人物がいます」
事務所に通った事のない七草にちかにも分かった。
プロデュースを受けたことは無くとも、にちかは彼の人柄を理解するぐらいには接したことがある。
「協力者が
プロデューサーさんの住所を突き止め、連絡を取るための携帯電話を届けてくれました。
今こちらからかければ、
プロデューサーさんの自宅に投函された電話が鳴りますよ」
★☆★☆★☆
ヤクザ共が突き止め、警察の内通者がパトロールにかこつけて転居届を出さないと場合によっては社会的制裁もあるぞと脅しをかけた男。
その男の郵便受けに封筒を押し込むと、山本の使命は終わった。
その中身は、これまで283の事務員との連絡に使っていた携帯電話と、それからかかってくる着信を無視できなくなる物品がひとつ。
自分にこんな超過労働をさせることになった諸悪の根源の顔を拝んでみたい気持ちはあったが、
『くれぐれもその場から急ぎ立ち去ってください』と指示された保身がそれを上回った。
これで縁は切れた。
だというのに、安堵や疲労感だけでなく、奇妙な未練が山本の後ろ髪には宿っていた。
それは多分、憎しみや八つ当たりだけでない、本来の『
プロデューサー』だったという男への興味だ。
「こんな無茶な体制を作るなんて、その
プロデューサーはバカじゃないのか」と悪魔の計画者に当たった時のことだ。
悪魔のような男は、きっぱりと反論した。
「逆ですよ。いなくなるまで、社長と事務員をのぞくたった一人の社員として『この状態』を運営していたことは驚異的です」
片手間とはいえ活動歴の長いマネージャーと本職のコンサルタントが二人がかりで回していた仕事を、二十数人のアイドルひとりひとりと対話してコミュニケーションを図った上でこなしていた青年がいる。
「その人は間違いなく、我々ふたりを合わせたよりはるかに凄腕の
プロデューサーですよ」
その事実に山本は、ぞっとするほどの震えを覚えたのだ。
★☆★☆★☆
ガタコンと、新聞が配達される時に似た音が、郵便受けから鳴った。
郵便配達の時間からはずれている。
嫌な予感が、その男の胸を満たしていく。
こわごわと玄関先に向かうと、集めに膨らんだ封筒がぎりぎり郵便受けの幅を通過して落としこまれていた。
宛名が書かれていない茶封筒を破くように開封する。
「携帯電話……?」
それをくるんでいた布地も、見覚えのあるものだった
白地に青のラインでグラデーションと、283の数字が描かれたロゴ。
「これは……283(ウチ)のタオルじゃないか……」
これを投函した奴は、自分が『283プロの
プロデューサー』であることを知った上でここに来ている。
それは、この携帯電話を『283プロの
プロデューサーとして』受け取れという意思表示のようなもの。
★☆★☆★☆
当初は摩美々に頼まれるはずだった『
プロデューサーの説得役』は、しかし意外なほどすんなり交代された。
連絡が取れると明らかになった時に、当人が逡巡してしまったことが一つ。
『
プロデューサーは
NPCだという思いこみありきとはいえ、283プロのアイドルたちを無視した上で帰還しようとしている』という推測。
それに自力でたどり着いてしまい、横合いから殴られたばかりだ。
信じたい気持ちがあり、伝えたいことがあったとしても、その言葉を紡ぐには時間が足らない。
何より、『元の世界でも、
プロデューサーがおかしくなっていることを訴えたけれど、声が届かなかった』という苦い事実がある。
「なら、電話します!」
そして、そういう思い入れを抜きにして、単に『一刻も早く伝えなければ』と思いたって手を挙げたのが、七草にちか。
「お姉ちゃんを助けてくださいって、言いますよ! だって今いちばん事務所にいそうなのは、事務員のお姉ちゃんだから!」
こちらも同じく、プレッシャーはのしかかる。
自分の声が届くかどうかしだいで、
NPCとはいえ複数名の命がかかっている状況ともなるのだから。
それは、一度もアイドルとして試される機会がなかった少女の蛮勇なのかもしれなかったが。
(もう一人の私に会ったら……『お姉ちゃんが危ないのに何してたんだ』って、言う!)
最後の奮起になったそんな考えが、不謹慎なのか意地なのかは区別ができなかった。
ともあれ、すでにして283との接触を完全に断ち、拒絶する覚悟を決められているかもしれないアイドル達と違って、にちかの接触は向こうも予期していない可能性が大きい。
それだけ不意打ちとして刺さる可能性があると、合理性の観点からも認められた。
「それなら……私は他の皆にかけて、事務所にいるなら、離れてーって、言って回った方がいいのかな」
「いえ、それは止めた方がいいでしょう。別々の方向から切羽詰まった要請を受ければ、誰しも何が起こったのかと混乱し、パニックの元になります
それをするよりは、現場に着いてから我々が対応した方がいい」
何より、今の摩美々が他のアイドル達に電話をすれば、間違いなく『白瀬咲耶さんが行方不明だと聞いた』という流れになり、会話を切らせてもらえなくなるだろう。
それではかえってアイドル達の動きを止める。
だが、同時に『これ以上失いたくない人がいる』ことも、主従ともに理解できている。
「その上で、どうしても確かめたいお友達がいるなら、マスターにお任せします。
ただ、向こうの電話では誰かに盗み聞かれている怖れもあるので、気を付けて」
「……分かりましたぁ」
この世界にいるかもしれない、三人のことを思い浮かべる。
月岡恋鐘。三峰結華。
幽谷霧子。
その中で、『令呪を包帯などで隠すことができそうな子』は、どうしても一人に絞られることを無視できなくなる。
「アサシンさんも、帰ってくるのを一番にしてくださいね」
「アーチャーも、『いのちだいじに』で」
アーチャーが再び装備を点検し、サーヴァントの二人は出発する構えだった。
「現場までの案内は頼めるか?」
「既にタクシーを待機させてあります。霊体化して急ぐより、裏道を知り尽くした専門家に任せた方が早いでしょう」
「あんた、さっきから幾つの話を通してたんだ?」
「必要な数だけ」
★☆★☆★☆
証明問題の、答え合わせ。
Q.問おう。君から見た私は何者カネ?
A.
悪の親玉。
毒蜘蛛の主。
終局的な犯罪者。
すなわち、地上に残された最後の悪魔になろうとする者。
あなたはこちらより優位にいて、炎上という一手でこちらを上回った。
現状、言い訳しようもなくあなたが勝っている。
ただ、あなたの性格を理解することはできた。
あなたは、『人の死そのものをスキャンダラスに喧伝』した。
あなたは、マスターの居場所を悲劇の劇場に、マスター達を『観客』に仕立てようとした。
あなたと僕は共通している。
あなたは企む。
あなたは他人を操って犯罪をやらせる。
あなたは『悪』をもってしかことを成すことができない。
あなたは、社会を破壊するようにしか動けない悪魔だ。
それでも、違うところがある。
僕は、再生の為に破壊するけれど。
あなたは、壊すためだけに壊そうとしている。
だから、理解する。
あなたは、悪を愛している。
あなたは、おそらく『彼』のことが嫌いだ。
あなたは、『彼ではない彼』に痛い目を見たことでもあったのか。
あなたは、『彼』に類するもの……『善』なるものを滅ぼそうとせずにはいられない。
そして。
あなたは僕がそうであるように。
その『善なるもの』には、絶対に叶わない宿命を持っている。
だから僕は、善と義を探す。
不利を理解していても、正しく動く。
僕にとってのヒーローは不動だけれど、それと同じ性質を持った者にとどくことを願う。
マスターの為に、友達(とも)が残した世界の為に。
★☆★☆★☆
何度も、何度も。
着信は呼び続ける。
【渋谷区・渋谷駅近くのカラオケボックス/一日目・午後】
【
田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、咲耶を失った深い悲しみ、咲耶を殺した相手に対する怒り
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:私のイタズラを受け入れてくれるみんながいる世界に帰りたい。
1:霧子に、電話したい。
プロデューサーさんは……。
2:アサシンさんに無事でいてほしい。
3:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]
プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
【アサシン(
ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:283プロダクションに直行し、乗り込んでくる敵対者がいればターゲッティングを引き受ける。事務所に誰もいないようであれば、事務所にあるアイドル達の個人情報隠滅を行う。
3:白瀬咲耶さんの願いを叶えるため、マスターには復讐に関与させない。
4:同盟者を増やす。283プロダクションの仕事報告を受け取る際に噂を拾えた『義侠の風来坊』を味方にできればいいのだが。
5:"もう一匹の蜘蛛(
ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
【
七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、満腹
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
1:『七草にちかをプロデュースしたプロデューサ』に電話し、283プロダクションに避難勧告をしてもらう。
2:電話をして、あとはアーチャーさんに託すしかない
3:WING準決勝までを闘った"七草にちか"に会いに行く。283プロに行けば、足取りがつかめるかも。
[備考]※
七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:健康
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
1:283プロに直行し、七草はづきやその縁者の安全確保をする
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
【
プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神疲労(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)、
283プロのタオル@アイドルマスターシャイニーカラーズ
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:聖杯を獲る。
0:この電話は――
1:聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。しかし…
2:咲耶……
時系列順
投下順
最終更新:2021年08月20日 00:08