――――なんだ……? 何を聞かされているのだ私は……。
腸が煮えくり返りそうな不快さを物にでも当てて、憂さ晴らしでもしようかと思った矢先だった。
あの気に入らないアーチャー達が去ってから、己のマスターからの声が無惨の脳内に響いたのは。
いわく、聖杯戦争をしようと。その為に外へ出して欲しいと。
Mへの苛立ちも一瞬で忘れ、僅かに呆気に取られながら無惨の取った返答は当然ながら拒否だ。
この女の名前も何も知らないが、その性質は異常の一言に尽きる。
無惨のなかで初めて彼女と邂逅した夜、脅しにも屈するどころか誘いをかけるように、その身を差し出そうとした気味の悪い光景が昨日のことのように浮かぶ。
さしたる戦闘力も持たず愛がどうだのと囁くこの女を野放しにすれば、自ら勝手に別主従に命を捧げてもおかしくない。
だがこの女は今回ばかりは強情にも意見を変えない。
業を煮やした無惨は彼女を繋いでいる地下室にまで出向いて、見たくもない包帯だらけの顔を直視しその理由を聞く羽目になった。
(異常者は遺伝するのか……?)
女の話は無惨をして顔をしかめ、気を害するものであった。
この女の姪、
松坂さとうという少女が
神戸しおという幼女を拉致監禁したことにより始まった一連の連続殺人。
金目の物でも要求するのかと呆れて聞いてみれば、その犯行動機は二人の愛を守る為だという理解しがたい思考。
なるほど、血は繋がっているのだなと納得した。
しおが母親に捨てられたというのなら、警察に相談すればよかったではないか。家庭環境に問題があるのなら、そういった問題を処理する施設も存在するだろう。
一連の問題を処理してから、大手を振るってしおと交流すれば世間から妨害されることもない。
だが、しおを然るべき対処をせずに挙句の果てに殺人を犯してまで自宅に押し込め、挙句その身内から追い詰められ最後は心中してその命を絶った。
松坂さとう。
女からの話を聞く限り、地頭は悪くない。要領も良く、冷静沈着で判断力も高い有能な人間ではあるのだろう。
だがその反面、大局を見るという能力には欠けていると無惨は見る。一時の感情や衝動に任せ行動に移し、その弊害を想像できない。
けれども、優秀ではある為にその場を凌ぐことは出来るので、辛うじて修羅場はかわしてこれた。
しかし知らず知らずの内に綻びが積み重なり、彼女の処理能力の上限を超え破滅した。
そもそも何故、これだけの法設備が整った令和の―――この女の世界の時代ではまだ平成らしいが―――日本で法を犯すのか理解がし難い。
ただの一個人が法を破り、警察を敵に回す危険さ厄介さを理解していないのか?
決して、他者の上に立つべきではない人間だ。理由もなしに関わりたくはない。
「うん、だからね。さとうちゃんはしおちゃんは―――」
「……もういい。それはストックホルム症候群というものだ」
こちらの世界に来てから、無惨はその社会的地位を築く傍ら、昼間外に出られない時間潰しもあるが、知識欲を満たすためにインターネットを駆使して様々な知識を吸収してきた。
その中で得た知識の一つに、彼女の語った物語はそっくり当て嵌まる。
「話は大体わかった。お前の知り合いと合流したいのだろう?」
「ええ、それでね。さとうちゃんが居たら、鬼舞辻くんやさっきのおじさまと一緒に協力出来るんじゃないかなって思うの」
「死んでいる。意味がない」
「いいえ、居るわ。しおちゃんが居るんだもの、絶対にさとうちゃんも居るわよぉ」
そんな異常者に、この女は会いたいと抜かし始めた。
冗談ではない。仮に居たとしてそれはマスターだ。不用意に敵サーヴァントと交戦する羽目になるなど御免だ。
共闘も避けたい。よしんば仮初の味方に引き込んだとして、こんな異常者を二つも抱えるなど考えたくはない。
「分かっているのか? 聖杯が蘇生の術を用いて、それで松坂さとうが居たとして私の敵だ。
わざわざ、お前のように保護するとでも? 要石ですらない者を」
「そっか……それは困ったわねぇ。
んっ、べぇー……」
「なに?」
口を大きく開け、舌を唇の上に置き、上の切歯が艶めかしく唾液に濡れた舌先に触れた。
無惨の前で行われた侮蔑の意、いやそうではない。これは無惨をコケにするものではなく交渉の材料だ。
「舌を切って……死ぬ気か」
無惨がこの世界に現界出来るのは、僅かながらでもこの女に魔力を供給されているからだ。
いわば二人の関係は一生宅連であり、無惨は彼女を殺すことが出来ない。
彼女もそれを知っている。だから、それを交渉の切り札として出してきた。
「好きにしろ。その舌がなければ、耳障りな声も聞かずに済む。お前を殺さず生かす術などいくらでもある」
冷酷に言い放つ。その声を紡ぐ口が欠損するのなら、それに越したことはない。
「自害を試みるがいい、そしてその都度命を拾い魔力袋として延命し続けてやろう」
「ふふ……なーんてね。舌を噛んだくらいじゃ死なないわ。鬼舞辻くん、物知りね。
だから、令呪を以て命ず―――」
「おい、貴様……!!」
その命が下される前に、無惨の肉が鞭となり彼女を締め上げる。
彼女に課した呪であり枷の一つ、無惨を令呪で縛ろうとするのであれば即座に絞め殺す戒め。
「私、と……かっ……はっ……ァ……さと、うちゃんを……」
彼女は動じない。出会ったあの頃から、全く何も変わらない。ニタニタと肉塊のなかで笑いながら、声を、甘い甘い蠱惑で甘美な声を紡ぐ。
死ぬと分かっていながら、それ以上力を込めれば人の形を保てず、死を迎えると理解しながら。
「ありがとう。鬼舞辻くん」
結局、無惨が折れる形でその交渉は承諾された。
居るかも分からない松坂さとうの探索、その為の外出の許可を与える事となる。
無論、条件は付けてある。まずそれには無惨も必ず同行すること、その都合上探索時間は夜中のみ。
本当なら一秒も共にすることも避けたかったが、敵主従の襲撃や彼女が気まぐれに令呪を使って、無惨に危害を加える恐れもある。
この条件はあっさり飲まれ、そこでこの話は終わった。
「私、鬼舞辻くんが良い子だって分かってたわ」
「ふざけるな貴様!!」
無惨は認めないだろうが。
そもそもの主従として、無惨は圧倒的に不利な立場にある。
彼女は死を恐れない。例えそれを与えられたとして、それも愛と受け止めて壊れていく。
対して無惨は死を何よりも恐れる。例え何者であろうとも、死を与えるというのなら全力で排除する。
そこに差が出る。
ただの戦いなら、鬼と人間という圧倒的な身体能力の差を縮められたとしても無惨が勝つ。生き延びようとする方が勝つのは当然だ。
しかし、お互いが一生宅連であること前提での駆け引きでは、場合によって容赦なく死に向かって踏み抜ける彼女を止めなければならないのは無惨だ。
その死が、自らの消滅に繋がる以上、どうあってもその凶行を止めなければならないのだから。
殺されるのを覚悟で令呪を使われるのなら、無惨はその要求を飲まざるをえなかった。
「でも、前も言ったけど……あのままスッキリしても良かったんだよ?」
「やめろ」
「だって自分の思うままに壊すって、とーっても気持ちいいでしょう? だから、ね」
「松坂さとうは探してやると言っているだろう!!」
気持ち悪い囁きが、無惨の五つの脳みそを撫ぜるようだ。
何の益にもならない交渉を打ち切って、この気持ち悪い時間を終わらせようとする。
これから毎夜、この女とずっと街を散策しなければならないのか?
頭がおかしくなるようで、鬼となってからはそうはない眩暈を覚えた。
地下室に背を向け、無惨は顔をしかめながら歩く。
忌々しいが、交渉はあの女が優位にあるのは認めるしかない。
やはり別の魔力源を確保すべきだ。
単純に嫌いなのもそうだが、松坂さとうが絡んだ瞬間この女がどんな行動を起こすか分からない。
あまりそういう認識はしたくなかったが、愛を与えるという行動の性質上から無惨を裏切るという事はないという点だけは買っていた。それすらもしおの事を聞き出してからは疑わしい。
(奴らめ……余計な事を)
ここにはもう居ない二騎のサーヴァントを呪う。
奴等との接触から完全におかしくなった。
まさか、そこまで織り込み済みだったのか? Mの情報収集能力は確かに侮れない。
(あまり猶予はない。早く替えを探さなければ)
だが、予選の頃ならいざ知らず本戦になってから、サーヴァントの交戦の痕跡を感じづらい。
運良く別主従を見つけて、戦いを挑んでも万が一という可能性もある。
残されたマスターが契約を飲んでも、サーヴァントの敵討ちで令呪で自爆覚悟で自害を命じるかもしれない。実際、そういった連中に生前殺されたのだ。
(待て……確か……)
あの女の、気持ち悪い話を思い返す。
松坂さとうは命を落とす以前から、その周辺を嗅ぎまわられていた。その内の一人はその友人であり、殺害もしていると。
そしてもう一人、その渦中の神戸しおの兄にも薄々勘付かれていたらしい。
(あの女が言うには、松坂さとうと神戸しおは二人で海外に逃亡し、残った奴が部屋を燃やして証拠隠滅を図る手はずだった。
なのに、さとうとしおは心中した。……逃亡前にしおの兄に特定されたか?)
あくまで彼女の視点からの話を元に推測を立てたに過ぎないが、放火まで指示しながらさとうが自殺をする理由がない。
彼女が生を諦めなければならない理由、無惨の知り得る推理材料の中で消去法で考えるなら、神戸しおの兄に身元を特定されたのではないか。
もし警察なら、たかが女子供二人を自殺させる前に逮捕するはずだ。
(神戸しおが居て、松坂さとうが居るのなら……そのさとうの死の遠因であるしおの兄が呼ばれない理由はない、か?)
さとうが界聖杯内界に呼ばれたかすら定かではなく、あの女の言う事を信じるようで癪だが、その理論で言うならしおの兄も居るかもしれない。
(一連の事件の中ではこいつが一番まともだ。
全く、素性の知らぬマスターを探すよりは『弱点』も把握していて、制御も効く)
しおの兄が聖杯戦争に呼ばれたのなら、その目的はしおの奪還に尽きる。
幸いにして無惨はそのしおの居所に見当は付いている。あの二騎のサーヴァント、ライダーのマスターだ。
(神戸しおをダシにそいつと契約し、この女を切り捨てる……。だが、別のサーヴァントがいるか。
二重契約……現実的ではないが……)
懸念事項はあるが、ようやく新しい贄の候補が上がったのは不幸中の幸いであった。
(探してみるか。どちらにせよ、アレとは早急に縁を切らねばならない)
それも不確定事項も多く、無惨の予想も入れ混じった推測を元にしたものではあるが。
「ねえ、鬼舞辻くん」
「……」
「デートってしたことある? 夜が楽しみねえ。
さっきは怖い思いさせちゃったよね。ごめんなさい。だから、夜はその分一緒にデートを楽しみましょ」
「……」
「怖くない……怖くないよ。安心して。
私は鬼舞辻くんを愛してるから」
今は何よりもの優先事項ではあった。
【中央区・豪邸/一日目・午後】
【バーサーカー(
鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:肉体的には健康、精神的には不快の絶頂
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
1:やむをえないが夜になったら、松坂さとうを探索する。死んでて欲しい。
2:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
3:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
4:神戸しおの兄を次のマスター候補として探してみる。
【本名不詳(さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:無惨の肉により地下で軟禁中
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつもの通りに。ただ、愛を。――ああ、でも。
1:夜になったらさとうちゃんを探す。
2:それはそうと鬼舞辻くん、夜に二人っきりってデートね。
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最終更新:2021年10月24日 00:26