この世界でぎゅうぎゅう詰めになっているのは、たくさんの人の命と願いです。
 優しい願いも、誰かを傷付ける願いも、何一つ区別することなくこの世界ではキラキラと輝いています。
 まるで、わたしたちアイドルみたいでした。
 誰かを喜ばせることがあれば、時として他の誰かを悲しませることがあります。
 でも、わたしはそのすべてを受け止めたいです。わたしが輝いた結果、裏で見知らぬ誰かが涙を流すことになっても、その人たちの分まで輝くべきだとあの人は教えてくれたから。
 そして、わたしは輝けなかった人たちのことを、ずっと覚えていたいです。
 この世界で、もういなくなった人たちの命と願いも、忘れたくありません。


 だって、わたしがもう二度と会えなくなったあの人……白瀬咲耶さんだって、同じ願いを抱いていましたから。


 ◆


 わたし・幽谷霧子はお日様の下で歩いています。
 咲耶さんが遺してくれた暖かい想いと願いを失わせないために、わたしは前を見ていました。
 今のわたしに何ができるのかわかりません。皮下真さんみたいにみんなを助けてあげられるお医者さんじゃありませんし、セイバーさんのように誰かと戦う力も持っていません。
 でも、力がないことを言い訳にして、何もしなければわたしは絶対に後悔します。わたしが黙ったままでは、セイバーさんからも失望されるでしょう。

「それで、霧子ちゃんはどこにいくつもりなの?」

 わたしを守ってくれる女の人・ハクジャさんから聞かれます。
 咲耶さんみたいに背が高くて、顔がとても綺麗です。腰にまで届く長髪は大理石のように煌めき、胸元のブローチに宝石が埋め込まれて、神秘的なムードすらも漂わせていました。
 両耳には飾られた太陽のピアスも素敵です。全てが整っていて、理想の女性と呼べるでしょう。

「……はい。283プロのみんなに、会いに行きたくて……」
「もしかして、お手紙のことで?」
「……みんなにも、伝えてあげるべきだと思ったからです。だって、このままじゃ……咲耶さんの心が、みんなに届かないから……」

 私は咲耶さんの最期の願いを受け取りました。
 咲耶さんが最期に何を想っていたのか、その全部を私はわかってあげることができません。
 でも、咲耶さんがわたしたちの幸せを願っていたことだけは確かです。もう二度といい1日を過ごせなくなったにも関わらず、咲耶さんは世界中の人たちみんなを想い続けたでしょう。
 だから、今のわたしがやるべきことは……一人でも多くの人にこのお手紙を見せてあげる。それ以外、何もないでしょう。

「ごめんなさい、ハクジャさん……こんなお暑い日に、ご一緒させてしまって……」
「大丈夫よ。それに言ったでしょう? 近頃は物騒だけど、私にも護身術の心得ならあるって。それに、霧子ちゃんのお知り合いなら……私もあいさつしたいと思ったのよ。いつも、お世話になっているお礼にね」
「……こ、こちらこそ! ありがとうございます……!」

 ハクジャさんのお気遣いにわたしの心がポカポカとあったかくなります。
 今日は暑くて、わたしも汗を流していますが、胸の中は心地いいぬくもりで広まります。

「……そういえば、ハクジャさんは暑くないのですか? このお天気で、真っ黒なお洋服を着ていますし……」

 今日は8月……しかも、夏真っ盛りの天気で、周りのみんなは半袖です。もちろん、UVカットで長袖またはアームカバーが必要になる人もいます。
 でも、ハクジャさんは違うように見えました。それでいて、炎天下の中で黒服を着ているにも関わらず、暑さで表情が揺らぐこともありませんでした。

「ふふっ、大丈夫。私、こう見えて普通の人よりも丈夫だから」
「……そ、そうですか。でも、ご気分が悪くなったら、すぐに言ってくださいね! どれだけ体が丈夫な人でも、熱中症でダウンすることはありますから……!」
「ありがとう、霧子ちゃん。じゃあ、お言葉に甘えて、その時になったらすぐに言うから」
「よ、よろしくお願いします……」

 ハクジャさんの笑みはとても優しいです。まるで、お日様に照らされながらゆらゆらと揺れるタンポポさんみたいでした。
 もしも、ハクジャさんに何かあったら、わたしは皮下さんに顔向けができませんから。



 ただ、一刻も早く283プロのみんなに会いたいです。
 ハクジャさんを炎天下にさらしたくないことはもちろん、今はアンティーカのみんなとプロデューサーさんに咲耶さんのお手紙を見せたい。
 プロデューサーさんはわたしがいい1日を過ごせることをいつも祈ってました。でも、わたしだけじゃなく、咲耶さんに対しても同じことを想っていたはずです。
 もう、咲耶さんの時計の針は動きませんし、わたしたちのアンティーカが元通りになることもありません。
 それでも、今だけはせめて……咲耶さんが遺してくれた心を、みんなに届けたいです。


 その直後でした。
 わたしのスマホがプルプルと音を鳴らしたのは。
 ポケットから取り出すと、画面に書かれた名前にわたしは驚きました。
 だって、そこには……田中摩美々ちゃんの名前が書かれていましたから。




「それでぇ、プロデューサーはどうだったのー?」
「ギタギタにしてやろうかと思いました! もしも私の目の前にいたら、悪口をいっぱい言ってやりましたよ!?」
「……にちか、なんでそこまで怒ってるのー?」
「ムカついたからですよ! ふわっとした物言いで、何を考えているのかさっぱりわかりません! きっと、摩美々さんが電話に出ても同じだったと思いますよ!?」

 私……七草にちかは叫びました。
 久しぶりにプロデューサーさんの声を聞いたと思いきや、ウジウジと煮えたぎらない態度でいたからです。
 こんな人を見込んで、私はアイドルになろうとしたと考えると……いかりだって大爆発しますよ!

「まぁ、プロデューサーも色々ありましたし、283プロもかなりバタバタしてましたけど……にちかには同情するかなー?」
「全くですよ! じゃあ、摩美々さんも一緒にギタギタにしてくれますか!?」
「遠慮するー。私の専門はイタズラであって、暴力は趣味じゃないのでー」
「じゃあ、せめてイタズラのアイディアだけでも教えてください!」
「めんどーじゃなければいいよー」

 私のいかりを軽く流しながらも、田中摩美々さんはクスリと笑っています。

「……今、アサシンさんから念話が来ましたよー? 『では、私もコンサルタントとして、何かアイディアを出すべきでしょうか?』って、言ってますしー」
「ぜひともお願いします!」

 イタズラの天才である摩美々さんとアサシンさんがいれば百人……いいえ、1万人力です! プロデューサーさんをぎゃふんと言わせることができますし、いくらでも泣かせられるでしょう。
 どんなイタズラがあるのか!? 目にデスソースを垂らしてもいいですし、鼻で苦いお茶を飲ませる罰ゲームでもOKです!
 もしくは、この世界で流行っているプリンセスシリーズというアニメを全話ぶっ続けで見せて、1話ごとに感想文を書かせるのはどうでしょう!? 15作以上も続く4クールアニメの全話感想はかなりキツいです!
 もちろん、新シリーズの『トロピカルンバ! プリンセス』だって例外ではありませんよ!

「……そういえば、摩美々さんは霧子さんと電話ができましたか!?」

 メラメラと燃やす熱意を絶やさないまま、私は摩美々さんに尋ねてみます。
 すると、意地悪な笑みは一変して、摩美々さんの表情は深刻な色に染まりました。

「……うん。霧子は出てくれたよー? 場所も、割とすぐ近くみたいだしー」
「本当ですか!?」
「でも、今は他の人と一緒にいるみたい。だから、あんまり長電話はできなかったなー」

 ほんの少しの落胆と、それ以上に霧子さんが近くにいるという希望が込められた声です。
 あれ? ていうか、霧子さんはすぐ近くにいるって言いましたけど……

「……じゃあ、すぐに会いに行った方がいいじゃないですか!?」
「私も、そのつもりだったよー? でも、なんかにちかが不機嫌そうだったから、話だけは聞いてあげようかなーって、思ったんだよ……」

 いつの間にか、私を見る摩美々さんの目が不満に染まりました。
 その目つきに罪悪感を抱いて、私は委縮しちゃいます。プロデューサーさんのイタズラを一緒に考えてくれた裏では、霧子さんに会いに行きたくて仕方がなかったってことですよね。

「う、うぅっ……ご、ごめんなさい……」
「……謝るなら、早く行こうよ。霧子と離れ離れになる前にさー」
「は、はい……」

 さっきまでの大爆発が嘘のように、しおれた花みたいに俯いちゃいます。
 できるなら、もう一人の私のことを探しに行きたいですけど、それは落ち着いてからにしましょう。まだ、アーチャーさんたちも戻ってきてないですし。

『……アーチャーさん、ちょっと摩美々さんと出かけてきます』

 気を取り直して、私はアーチャーさん……メロウリンク・アリティさんに念話を送りました。

『ひょっとして、幽谷霧子のことか?』
『……アサシンさんから聞いたのですか?』
『あぁ。本当なら、マスターたちには無暗に外に出てほしくないと思っている。俺たちはそろそろ、283プロダクションに到着するところだから、今すぐには戻れないからな……』

 アーチャーさんのご意見はもっともです。
 私たちのサーヴァントは二人とも出払っていて、その間に他の誰かに襲われたらひとたまりもありません。
 霧子さんご本人が信用できても、もしも彼女のサーヴァントが暴力的な性格だったら、私と摩美々さんは殺されてしまいます。

『……ご、ごめんなさい……でも、霧子さんのことも心配で……』
『わかっている。ただ、アサシンのマスター曰く……幽谷霧子は、同行者のことを説得したらしい。だから、接触してもすぐに命を奪われることはなさそうだ』

 その言葉に私は確信を得ました。
 やはり、霧子さんも聖杯戦争のマスターですね。同行者とぽかされていますが、絶対にサーヴァントのことでしょう。
 ……霧子さんのサーヴァントがどんな人かわからないので、このまま会いに行くリスクは非常に高いです。それがわかった上で、ここで霧子さんをほったらかしにすることがイヤでした。

『……あまり無理はするなよ。マスターが俺たちの無事を祈っているように、俺たちサーヴァントもマスターのことが心配だからな』

 たった数秒ですが、アーチャーさんの気遣いが伝わったので気持ちが楽になります。
 きっと、摩美々さんも私と同じようにアサシンさんと念話して、霧子さんに会いに行くと伝えたのでしょう。
 ただ、アサシンさんのことですから、私たちが不用意に出歩くことを望まない気がしますが。

「え、えっと……摩美々さん……アサシンさんは、何か言ってましたか……?」
「んー、多分……にちかのアーチャーさんとほとんど同じだと思うよー? いくら霧子が大丈夫でも、一緒にいるのがどんな人なのかわからないなら、とっても危ないのでー」
「……アーチャーも、そんなことを言ってましたよ。あっ、それと……私については……?」
「別にー? あっ、でも『イタズラはほどほどに』とは言ってたかなー?」
「…………」

 私は摩美々さんの言葉に応えられません。
 ひとまず、私のことを責めている訳じゃなさそうですが、やっぱり心苦しいです。

「……私が電話をかける前から、霧子は他の人と一緒にいるみたいだよー?」
「……その人、大丈夫なんですかね? 一応、霧子さんの方はちゃんと説得したみたいですけど……」
「アサシンさんにも、相談をしたよー? 確かにリスクはあるし、正面から会いに行っても……私たちが殺されちゃう危険の方が高いって。
 でも、このまま放置するのも、霧子にとって危ないって言われたんだよね……もしかしたら、霧子と一緒にいる人が、サーヴァントじゃなくて敵対マスターの関係者かもしれないみたいですしー」
「た、確かに!」
「だから、今は霧子を助けるためにも……交渉をするしかないみたいです。私たちの立場を上手く利用して、情報を小出しにしながら……上手く泳がせる以外になさそうだと、アサシンさんから言われましたー
 もちろん、成功が保証されない危険な賭けですが……」
「な、なるほど……」

 もしも、霧子さんもマスターだった場合、一緒にいる人には何か秘密があるかもしれません。
 でも、霧子さんのことを放置したら、今度は霧子さんと会えなくなります。アーチャーさんとアサシンさんが命を賭けているなら、マスターである私たちも頑張るのが筋です。

「……にちかはどうするー? もしも怖かったら、私だけでもいいけどー?」
「いいえ、私も一緒に行きます! そりゃあ、怖いですけど……ここでビビっていたら、あのプロデューサーさんをギタギタにはできませんから!」
「そっかぁ。確かに、プロデューサーのイタズラもあるからねー……その肩慣らしといこうかー?」
「どうもです!」

 私たちは互いに励まし合いながら、走ります。
 もちろん、店員さんに声をかけてから外に出ましたよ。お代は払ったので、アーチャーさんたちには後で念話で知らせないと。
 霧子さんは近くにいるみたいですから、ダッシュしてでも会いに行くべきですね。




 ーーもしもし? 摩美々ちゃん……だよね?

 今度は、すぐに呼びかけに答えてもらえました。
 おっとりとして、美麗な声は間違いありません。スマートフォンの向こうには、彼女がいることを確信しました。

 ーーき、霧子!? 霧子……だよね!? 私だよ、田中摩美々だよっ!

 私は必死に叫びます。
 咲耶がいなくなったトラウマもあって、自然と声に力が出ちゃいました。
 きっと、彼女は困惑するでしょう。田中摩美々はイタズラが大好きで、ダウナーな言動が多いですから、こんなに声を張り上げるなんて滅多にありません。
 でも、今は霧子と話がしたかったです。

 ーーそ、そうだよ……! わたし、だよ……幽谷、霧子だよ……!
 ーー霧子ッ! 霧子……ッ! 今、どこにいるのっ!?
 ーーえっと……渋谷駅の、近くだよ……っ! 場所は……

 スマホから聞こえてくる声に、私は胸が高鳴りました。
 伝えたいことがたくさんありますし、一刻も早く彼女の顔が見たいです。霧子だって、それは同じのはずですから。

 ーーご、ごめんね……摩美々ちゃん! 今は、わたしは……えっと、他の人と一緒にいるの! だから、長電話はできない!

 慌てたような霧子の声に、私はアサシンさんの言葉を思い出しました。
 不用意に電話をかけると、他の誰かから盗み聞かれる恐れがあるので気を付けて、と。
 もちろん、私だってそれは承知しているつもりでしたが……ちょっと、迂闊でした。

 ーーわ、わかったー……じゃあ、今すぐに霧子のところに……行ってもいい!?
 ーー……うんっ! わたしも、摩美々ちゃんに会いたいから……ここにいるよ! 一緒にいる人には、わたしからちゃんと説明するから……待ってるね!

 お互いに期待の言葉をぶつけあいながら、私は通話終了ボタンに触れます。
 私はにちかに伝えようとしましたが、彼女は何やら不機嫌でした。
 だから、にちかの事情を聞いて、プロデューサーへのいかりに頷いてから……私たち二人でカラオケ店を飛び出しました。
 あ、食い逃げなんて酷いマネをするつもりはないですよー? ちゃんと、お金は払いましたし。
 プロデューサーさんともお話ししたいですが、今は霧子を見つけることが先ですね。


 霧子と電話した後、アサシンさんに念話で相談しましたが……

『マスター……正直に言って、このまま霧子さんと接触することは大きなリスクを伴います』

 頭の中に響いたのは、明らかな否定でした。

『その場に居合わせていないので、断定はできませんが……やはり、霧子さんも聖杯戦争のマスターである可能性が高いでしょう。
 霧子さんは、同行者に話を聞かれたくないという理由で、電話を切ったことが大きな理由です。もしも、彼女のサーヴァントが危険人物に該当していたら、マスターたちの命が奪われる危険が大きいでしょう』

 アサシンさんの念話に私は息を吞みました。
 確かに、今は聖杯戦争ですから悪いサーヴァントが霧子の隣にいる可能性は充分にあります。霧子はともかく、霧子のサーヴァントにとって私とにちかは敵ですから、すぐに仕留めようとするでしょう。
 それこそ、霧子の意思を平気で無視する可能性もあります。

『でも……霧子が近くにいるのに、会いにいけないなんてー……!』
『えぇ、それは充分に承知しています。ただ、大きなリスクを伴うことを念頭に置いていただきたいのです』

 アサシンさんも、本心では私と霧子を会わせてあげたいでしょう。
 でも、敵がどこに潜んでいるのかわからない以上、無暗に出歩くことも危険です。私たちを危険に巻き込まないためにも、アサシンさんは忠告してくれています。
 ……それをわかっていた上で、私は霧子に会いに行きたいのです。

『それでも……どうしても霧子さんと合流するのであれば、マスターたちの影響力についても小出しにして頂きたいです』
『え、影響力ー……?』
『はい、現在は東京23区の各地で白瀬咲耶さんのニュースが大々的に取り上げられているでしょう。マスターとにちかさん、そして霧子さんが283プロの関係者と知れば……相手からは利用価値があると判断されます。
 この聖杯戦争では情報量が勝敗を分けるので、渦中の283プロに所属する人物と接触できれば、賢明なマスターであれば咲耶さんに関する情報が得られると考えるでしょう。
 そして、霧子さんの同行者は、霧子さんに危害を加えていないようなので、同行するメリットを提示させれば……泳がせることも可能です。
 ……これは、マスターたちの283プロを利用する形になりますが』

 念話では、アサシンさんの苦しそうな声が聞こえました。
 これは、苦渋の選択というやつでしょう。
 アサシンさんとしても心苦しいでしょうが、私の心だって乱れそうです。だって、生き残るために、283プロのみんなを利用することですからね。

 咲耶だったら絶対に望まないでしょう。
 いくら霧子を助けるとはいえ、他のアイドルたちを危険にさらすなんてありえません。
 でも、こうでもしなければ霧子を助けられないことも事実です。いい人が一緒にいて欲しいですけど、悪人だってたくさんいます。
 だって、咲耶は命を奪われちゃいましたから。

『……わかりました。じゃあ、今は……慎重に、話していこうと思いますー……』
『ただし、これも確実ではないと考えて頂きたいです。霧子さんの同行者の人物像が見えない以上、高いリスクは避けられないですから』

 本当なら、アサシンさんも私たちには出歩いてほしくないでしょう。
 迂闊すぎることはわかっていますし、相手がその気になれば私とにちかはすぐに殺されます。
 ……それでも、わが身かわいさで霧子を見捨てるなんてムリでした。

『マスター……生きることを一番にしてくださいね』

 さっきの私をマネするように、アサシンさんは私の無事を祈ってくれました。
 もちろん、私だって命を粗末にするつもりはありません。でも、大切な友達の危機を見逃すこともできませんよ?
 もしも、霧子が悪い人と一緒にいるのに、私が何もしなかったら……咲耶の願いをムダにしちゃいますから。





 決意と胸に、私とにちかは必死に走りました。
 霧子の居場所を聞くことはできましたし、今からでも充分に間に合うでしょうが……一歩一歩、進むたびに、私たちの足に力が強くかかります。
 咲耶みたいにもう二度と会えなくなるのは嫌だ。
 霧子のことを失いたくない。
 例え、何が起きようとも、私の足を止めることはできません。
 全身に力を込めて、霧子が待っているであろう場所を目指して、真っ直ぐ走り続けました。


「霧子……霧子ー!」
「えっ……ま、摩美々ちゃん!?」

 私が叫ぶと、彼女はすぐに振り向いてくれました。
 ふんわりとした銀髪はツインテールに束ねられて、フランス人形のように整った面持ちは儚く見えます。包帯やガーゼが目立つ外見も合わさって、ちょっとの刺激でもすぐに壊れてしまいそうで、庇護欲も刺激されるでしょう。
 彼女こそが幽谷霧子。283プロが誇るアンティーカに所属し、私と一緒にたくさん頑張ってきたアイドルです。

「霧子……霧子、なんだよね……!?」

 私の声と体は震えています。
 大切な友達に巡り会えた喜びと、かける言葉が見つからないことに対する困惑。色んな感情が、私の中でごちゃ混ぜになっていました。

「……うん。わたしは、霧子だよ。摩美々ちゃんも知ってる、この世界で、たった一人だけの……アンティーカの幽谷霧子だよ」

 一方で、霧子もほほ笑んだ。
 太陽のように暖かくて、世界中のみんなを優しく包む程にふわふわしています。子ども向けの絵本から飛び出してきたように、愛嬌で溢れていました。
 あぁ。ここにいる霧子はNPCじゃない、私と一緒に過ごした正真正銘の幽谷霧子だと……私はすぐに気付きました。

 一緒についてきてくれたにちかや、周りの人たちはお構いなしに、私たち二人は見つめ合っていました。
 まるでここだけが別世界のようで、ドラマのワンシーンみたいに情緒で溢れています。例えるなら、離れ離れになっていた親友同士が再会した時の感動が凝縮されているみたいです。
 実際、私たちは聖杯戦争のせいで引き離されました。自分の生存が保証されるのかわからない状況ですから、いつだって不安でしたよ。
 だからこそ、こうして再会できたことが……私たちにとってとても大きな喜びです。

「……霧子……霧子……!」

 気が付くと、私の瞳から涙がにじみ出てきます。
 他のアンティーカの方々もこの聖杯戦争に巻き込まれて、酷いことをされているかもしれない……咲耶が命を奪われてから、ずっと心の中で不安を抱えていました。
 もちろん、霧子も同じだと思う。綺麗なしずくを瞳からこぼして、笑顔を保ったまま……私を優しく抱きしめてくれます。

「よしよし、摩美々ちゃん……」

 震える私の背中を、霧子は優しくさすりました。
 霧子の両うでの中で、私の涙はどんどん溢れます。その涙で霧子のお洋服が濡れますが、どうにもできません。
 ただ、霧子に対して何を言えばいいのかわからず、感情のまま泣いていました。

「怖かったよね?」
「えっ……? わ、私は……」
「いいんだよ。わたしも、同じだから……こんなことになって、咲耶さんもいなくなって……どうしたらいいのか、わからなくなりそうだった。でも、咲耶さんの声を……聞くことができたの」

 困惑する私の耳に、霧子の声がゆっくりと響きます。
 やっぱり、彼女も咲耶がもういないことを知っているのでしょう。警察から事情聴取を受けて、遺書の原物を渡されたかもしれません。
 そして……私たちを見つけてくれました。でも、みんなを探している間にも、霧子は不安でいっぱいだったはずです。

「……わたし、今だって怖いよ。これから、どうなるのか、わからなくて……本当に怖い」
「そんなの……私だって同じだよー……」
「じゃあ、わたしたちで……力を合わせよう? わたしたちはアンティーカだから……いつだって、わたしたちで運命の鍵を、回し続けたから……」
「……霧子……霧子……!」
「大丈夫……咲耶さんの分まで、わたしたちで運命を開こう……? 恋鐘ちゃんや結華ちゃんにも、咲耶さんのことを伝えて……みんなで、いっぱい泣こう……? それから、咲耶さんのことを忘れないように……
 ----たくさん、お話をしよう? 咲耶さんのことと、わたしたちの思い出……たくさん、たくさん……!」
「……うん! うん!」

 嗚咽を漏らして、上手く喋ることができない私の顔を隠すように……霧子は抱きしめてくれます。
 霧子だって泣いているのに、私のことを優しく慰めてくれました。
 たまたま、大通りじゃなくてよかったです。渋谷のど真ん中で再会したら、人目を集めちゃいますし……私だって、胸がいっぱいになって、泣いている顔は見られたくありませんよ。

「……よ、良かったですね……二人とも……!」

 さっき、一緒に悪だくみをしたのが嘘みたいに……にちかも泣いてくれます。でも、笑顔を浮かべていました。
 もしも、ここにアサシンさんとアーチャーさんもいてくれたら、私たちと同じようにほほ笑んでくれると思いますよ。



「……そう。あなたたちが、霧子さんのお友達なのかしら?」

 そして、霧子と一緒にいた女の人も……この再会を喜んでいるかのようにほほ笑んでいました。
 彼女こそが霧子の同行者だと、私はすぐに気付きました。髪の量が異常なまでに多いですし、炎天下でも厚手の洋服を着ているので……どう見ても普通には見えません。
 霧子のサーヴァントなのか? それとも、霧子を狙っている敵対マスターなのか? 彼女の正体がわからないので、私とにちかは表情をしかめちゃいました。






「ここが、283プロダクションでいいんだな?」
「はい、確かに283プロダクションです。マスターたちの世界とは住所が別のようですが……界聖杯が、独自に用意したのでしょう」

 七草にちかさんのサーヴァントであるアーチャーと共に、僕……ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは283プロダクションの前に立った。
 事前にマスターから教えてもらった通りの外観で、今のところは特に騒ぎは起こっていない。
 どうやら、裏道を通ったおかげで僕たちは先回りできたみたいだ。

「……霧子、だったか? 仕事の前に彼女だけは発見できて、よかったな」
「ええ……今のところ、マスターたちの無事は確認できますが、油断は禁物です。ひとまず、攻撃を仕掛ける気配はないようですが」

 運転手への道案内の最中でも、周囲の観察やマスターたちとの念話は決して欠かさなかった。
 そのおかげか、マスターたちに助言をできた。マスターからの念話によると、幽谷霧子さんと再会できたらしい。
 その場に居合わせられなかったことは残念だが、マスターが友達と出会えただけでも良しとしよう。

 無論、手放しに喜べる訳がない。
 霧子さんの同行者の正体が掴めない現状、マスターたちは未だに危険と隣り合わせの状況に立たされていた。
 現状では攻撃を仕掛けてこないが、もしも僕たちの不在が知られてしまえば、殺害されてもおかしくない。
 最悪、霧子さんもろとも始末される危険すらあった。マスターの代わりさえ見つければ、すぐにでも切り捨てるリスクもある。
 無論、僕たちは情報収集及び敵対マスターとの交渉を行っている最中だと、念話を通じて同行者に説得させることもできるが……そこまで理性的な人物とも限らない。

「……アサシンはどうするつもりだ? 今からでも戻りたいと思うなら、ここは俺だけに任せることもできるが……」
「それも考えました。でも、それでは283プロの皆さんを守ることはできませんし、何よりもマスターたちの契約違反になります。
 迅速に行動、と行きたいところですが……少し、考える時間を頂いてもよろしいでしょうか? こういう状況だからこそ、まずは思考するべきですし」
「了解。じゃあ、決まったらよろしく頼むぞ」

 アーチャーさんは頷いてくれる。
 彼に話した通り、今は緊急事態であるからこそ慎重な行動が必要だ。焦りで思考が乱れては、依頼の成功率は格段に下がる。
 大きな懸念があるからこそ、徹底した思考が必要だった。

(幽谷霧子さんと共にいたハクジャという女性……いったい、何者なんだ?
 炎天下にも関わらずして、厚手の服装をしていることに加えて……異様なまでのボリュームを誇る髪型。僕が見てきたこの世界の人間と比べても、普通とは思えない)

 マスターの念話によると、ハクジャという女性の護衛を受けて、霧子さんは行動していたらしい。
 しかし、ハクジャの存在に、強い違和感を抱いていた。街中で霧子と共に歩いていたため、危険人物と断定することはできないが……このまま放置していい存在とも思えない。

(霧子さんから名前を呼ばれていたから、ハクジャがサーヴァントである可能性は低いが……敵対マスターであることも考えられる。護衛という名目で、霧子さんの内情を探ろうとしているはずだ。
 そこでマスターやにちかさんのことを知られてしまえば、どんな行動を仕掛けてくるかわからない)

 マスターに被害は及んでいないため、現時点で霧子のサーヴァント及びハクジャから攻撃されているわけではない。
 現在、霧子さんは新宿区の皮下医院の病院寮で生活しており、そこで多くの患者と触れ合っているらしい。院長である皮下真の指示を受けて、ハクジャは霧子の護衛を勤めたようだが……何かが引っかかる。
 それも、長時間の思考が必要となる程の何かが隠れている予感がした。

(まさか、283プロダクションに到着した瞬間に、こんなことになるとは……
 いや、今は思わぬ不運を嘆く暇なんてない。せめて、マスターたちにハクジャの動向を監視させて、報告をしてもらいましょう)

 もちろん、アーチャーさんが言うように僕だけがマスターたちの元に戻ることも可能だ。
 しかし、それでは依頼の成功率は格段に下がり、時間と体力を浪費するだけ。
 強い違和感を拭えないまま、僕たちは作戦を開始しなければいけない。
 マスターたちの無事を祈りながら。



【渋谷区・渋谷駅周辺のどこか/一日目・午後】

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、咲耶を失った深い悲しみ、咲耶を殺した相手に対する怒り
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:私のイタズラを受け入れてくれるみんながいる世界に帰りたい。
0:霧子……!
1:霧子と話をしたら、プロデューサーさんと改めて話がしたい。
2:アサシンさんに無事でいてほしい。
3:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています



七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、満腹、苛立ち(小)?
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
1:WING準決勝までを闘った"七草にちか"に会いに行く。あれは、どうして、そんなにも。
2:お姉ちゃんについては、後はもうアーチャーさんたちに任せる。
3:"七草にちか"に会いに行くのは落ち着いてから。
[備考]
七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。


【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り三画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人の思いと、まだ生きている人の願いに向き合いながら、生き残る。
0:摩美々ちゃん……!
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※川下の部下であるハクジャと共に行動しています。

【中野区・中野区と新宿区の境目辺り 283プロダクション前/一日目・午後】


【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:283プロダクションに直行し、乗り込んでくる敵対者がいればターゲッティングを引き受ける。事務所に誰もいないようであれば、事務所にあるアイドル達の個人情報隠滅を行う。
3:白瀬咲耶さんの願いを叶えるため、マスターには復讐に関与させない。
4:同盟者を増やす。283プロダクションの仕事報告を受け取る際に噂を拾えた『義侠の風来坊』を味方にできればいいのだが。
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
6:霧子さんと共にいたハクジャとは一体……?


【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:健康
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
1:283プロに直行し、七草はづきやその縁者の安全確保をする
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、 
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。



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投下順



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023:七草にちかは■■である 七草にちか(弓) 038:283さんちの大作戦〜紳士と極道編〜
020:283プロダクションの醜聞 アーチャー(メロウリンク・アリティ)
田中摩美々
アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
019:寂寞に花 幽谷霧子

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最終更新:2021年09月05日 23:53