その時櫻木真乃はバスに揺られていた。
 沈み始めた夕陽をぼんやり眺めながら想うのは元の世界のことか、仲間であるアイドル達のことか。
 真乃のスマホは未だ沈黙したままだ。
 ひとしきり迷った末連絡を送ったアイからの返信もまだ。そして灯織達からのそれも然りだった。
 もちろん真乃も暇なわけではない。
 連絡は早く貰えるに越したことはなかったが、だからこそ体と心休められるというのも正直なところを言うとあった。
 真乃は予選の間特にマスターらしいことをしてこなかった。
 もとい、しなくても済んだ幸運なマスターであった。
 だからこそ本戦が始まってから今に至るまでの間で、真乃は他のマスター達よりも強く聖杯戦争という戦いの現実を思い知ることになってしまった。
“真乃さん、本当に大丈夫かな……”
 ひかるはそんな真乃のことを霊体化した状態で見つめながら自分の不甲斐なさを噛みしめた。
 自分がもっとちゃんと真乃に聖杯戦争の過酷さや危険さを伝えていれば、本戦が始まってから受けるストレスももっと小さく済んだかもしれない。
 英霊は一部の例外を除き、その生涯で最も輝いていた時期――全盛期の状態から召喚される。
 宇宙に飛び立ち夢を叶えた後の姿ではなく、キュアスターとして戦っていた頃の姿で召喚されているのはそのためだ。
 輝きの強さが優先された結果背負ってしまった未熟さと青さ。
 それがマスターの首を絞めていることをひかるは心の底から申し訳なく思っていた。
“……なんて、私が弱気になってたら一番ダメだよね。サーヴァントの私には真乃さんを守るっていう大事な大事な役割があるんだもん”
 その自分が弱気になっていては勝てるものも勝てない、守れるものも守れない。
 だからひかるは心に涌いた弱さを蹴飛ばして兜の緒を締め直した。
 これまでがダメだったならその分これからを頑張ればいい。
 明るくて優しくてとても素敵なこの人と、幸せな光の中でお別れするために。
“あ…ひかるちゃん。ごめんね、ちょっとぼーっとしちゃってた”
“そんなことで謝らなくていいですよ! 真乃さんもたまには何も考えずに休まないとダメです!”
“……ふふ。じゃあごめんじゃなくてありがとだね。ありがと、ひかるちゃん”
“えへへー”
 思わず笑みが溢れてしまうような微笑ましい会話。
 主従というよりは姉妹のようなそれを念話で交わし合いながら二人はバスに揺られる。
 そんな穏やかな時間が終わるのはほんの一瞬のことだった。
 和やかに真乃との会話を楽しんでいたひかる。
 その発する雰囲気が刹那にして、素人である真乃にも分かるほど明確に張り詰めたのだ。
“……ひかるちゃん?”
“真乃さん”
 脳裏に響く声も同じだった。
 束の間の安息に浸っていた真乃を一瞬で引き戻すに足る緊張。
 生唾を飲み込む真乃に対しひかるは続けた。
“ダメです。此処、早く離れないと”
 ひかるがそこで感じ取った感覚。
 それを一言で言うなら、"破滅"だった。
 彼女は数多の戦いを経て世界を救っている。
 星の名を持つプリキュアとして輝き続け、人々に希望を与え続けた少女。
 その彼女をして戦慄を覚えた。
 なに、これ。喉元まで出かけた言葉を己の内に留めておけたのは真乃に少しでも不安を与えまいと配慮した故のこと。
 逆に言えばそれくらいの事情がなければひかるをして忘我の境地に立たされ、茫然としてしまっていただろうほどの事態。
 それがどうやらこの町のどこかで発生している。
 いったい今この町で何が――事が爆発的な進展を見せたのはひかるの頬を一滴の汗が伝い落ちたちょうどその瞬間だった。
「…! ごめんなさい真乃さん! ちょっとだけ――」
「っ…!? ひかるちゃんっ……!!」
 サーヴァントの鋭敏な感覚がこの車両に乗り合わせた誰よりも早く"それ"の到来を察知した。
 逡巡している時間はないとプリキュアとして戦ってきた経験から直感的に判断。
 ひかるは霊体化を解くなり、驚愕する乗客と自分のマスターを置いてけぼりにして手近な窓から外へと飛び出した。
 変身は常時維持している。手抜かりなくひかるは押し寄せる"それ"と対面。

 "それ"の正体は衝撃波だった。
 何かとてつもなく巨大な物体同士が衝突した余波のようでもあり。
 また無形の界そのものが断裂した結果生じた空間震のようでもあり。
 しかしそのどちらであれ、触れた人間を刹那以下の時間でグシャグシャの圧殺体に変えるだろう明確な災禍。
 このまま行けばバスはそれと衝突し木っ端微塵に砕け散る。
 そうなってしまったとしても真乃一人だけなら守れるかもしれない。
 しかし他の乗客は例外なく死ぬ。恐らく即死する。
 実の親が見ても判別の付かないような肉の塊以下の何かに成り果てる。
 たとえ自分が助かるとしてもその顛末を真乃は良しとしないだろうし、ひかるもそれは同じだった。
 だから……
「――ちょっとだけ、無茶します!!」
 そうなってしまう前に何とかする。
 理屈を無茶で殴り飛ばすのはプリキュアのお家芸だ。
 硬く握り締めた拳をただ前へ。
 目には見えない、しかし此処まで近付けば常人にも分かるほど致命的な轟音と風圧を伴っている世界の落涙めいた災害へ向けて。
 地を這う流星という矛盾を、顕現させる!
「プリキュア――スター、パァァァァアァアアアンチッ!!」
 星のエネルギーそのものが眩く弾けて。
 世界を白く塗り潰して、そして……。

    ◆ ◆ ◆

 結論から言うとひかるは本懐を遂げることが出来た。
 彼女の勇気は真乃とバスの乗客十数名の命を救い、怪我一つ負わせることはなかった。
 激突の衝撃で道路が抉れてしまい走行を続けるのは不可能になってしまったが、全員の生存を確保できただけで十分過ぎるお手柄だろう。
 ひかると真乃で協力して乗客を外に出し、けが人がいないのを確認した上で彼らを逃した。
 なるべく団体で行動することと、とにかく遠くまで逃げることを言い含めた上でだ。
 本当なら危機に対処する力のあるひかる達が引率してやるのがベターだったのだろうが、そうも行かない事情がある。
 星奈ひかるとそのマスター、櫻木真乃は聖杯戦争の参加者……恐らく新宿を襲った大異変を引き起こした元凶達と同じ身分の存在なのだ。
 そんな人間と一緒に行動していては却って狙われ、彼らを危険に晒してしまいかねない。
 だからひかると真乃は心配な気持ちを抑えて、避難する乗客達の背中を見送ることにした。
 ……また。二人がそうして慈善活動に当たっている間にも新宿の異変は更なる拡大を見せていた。

 ひかるは見事ヒーローとしての務めを果たした。
 だが身も蓋もないことを言えば、彼女達のいた座標が"そうすることが許される"程度の場所であったからだ。
 真乃とひかるはこの新宿を襲う大異変の爆心地から比較的遠い位置にいたのだ。
 だからあの程度で済んだ。マスターだけでなく無関係な乗客まで助けるという慈善行為が許された。
 遠くから聞こえてきては鼓膜を打つ轟音と破壊音がそのことをこの世の何より雄弁に物語っていた。
「なにが、起こってるの……?」
「たぶんサーヴァント同士の戦いだと思います。それもとびっきり強い人達の」
 真乃が思い出したのは学校の授業で見た戦争の教材ビデオだった。
 爆音が響き町は燃え、人々は為す術もなく逃げ惑うしかない。
 そんな繰り返してはならない負の歴史と重なって見えてしまうようなこの世の地獄が自分達のいる町を舞台に起きている。
 もしもひかるがいなければ、恐怖と動揺でパニックを起こしてしまったとしても不思議ではなかっただろう。
「そして……絶対に許しちゃいけないような人達の」
 異様な色をした空から地上に向かって伸びる何百本という雷。
 先刻自分が退けたような衝撃波が町の至るところに飛来しているのだろう、重い轟音が絶え間なく反響している。
 そんな天変地異めいた光景を遠巻きに見つめるだけで済んだのは間違いなく幸運だったと言える。
 それは何も直接の危険に晒される恐れが少ないからというだけではない。
 ひかるはサーヴァントだ。
 どれだけ見目が歳幼くとも、サーヴァントなのだ。
 彼女は直接それを目にしたわけではなかったが……それでも分かった。
“今ので…一体どれだけの人が犠牲になったの……?”
 自分が異変を感知してから今に至るまでのわずかな時間。
 その中で、気の遠くなるほどの人命が失われたのだと。
 一度壊れれば二度と戻ることのない誰かの命がゴミのように踏み潰されてしまったのだと。
「……なんでこんなことが出来るんですか」
 心の中に留めておけず口をついて出た言葉。
 そこには少女らしく直球な、何一つ飾り立てることのない本気の怒りが滲んでいた。
「この世界は確かにいつか消えてしまうかもしれない。
 誰かの願いごとが叶ったらそれで終わりの一瞬の夢みたいなものかもしれない!
 でも…それでも! この世界の人達もみんな、一生懸命生きてるのに……っ!」
「ひかるちゃん……」
 漏れ出た感情に真乃は何も言えなかった。
 ただ彼女の心を落ち着かせるために手を握るので精一杯だった。
 手を握られたひかるはハッとしたような顔になり申し訳なそうに目を細める。
 マスターそっちのけで熱くなってしまったことに気付いたらしかった。
「…すみません。ちょっと熱くなってしまって……」
「ううん…ひかるちゃんのその気持ちはきっと、すごく正しいものだと思う」
 ひかるのように感覚で感じ取っていたわけではないが真乃も馬鹿ではない。
 聖杯戦争絡みの事案でこれだけの規模の天変地異が起きているとなれば、その中心がどうなっているのかには想像がついた。
 真乃の場合、ひかるのように怒りを抱くのではなく……むしろ哀しみの方が強かった。
 どうしてそんなことをするのか。どうしてそんなことをしてしまったのか。
 怒り糾弾するのではなくただ哀しみにその若い心を染める。
 だって櫻木真乃は、兎にも角にも優しいアイドルだから。
「ひかるちゃん。助けようよ、この町の人達のこと」
「……真乃さん。でも――」
「ひかるちゃんは、そうしたいんだよね?」
「……っ!」
 星奈ひかるは英霊だ。
 だがそうである以前に、プリキュアなのである。
 だからこそこの惨状を前にそう思ってしまうのは当然で。
 そのことを誰より分かっているからこそ真乃もこんな言葉が吐けた。
 こくりと頷くひかる。
 その頭を優しく撫でながら真乃は笑う。
 心の中の不安を押し殺して、それでも笑えるからこそ彼女はアイドルなのだ。
「じゃあそうしよ? 私も手伝うよ。ひかるちゃんには今までたくさん助けられてきたから……そのくらいはさせて?」
「…! はい、真乃さん……! よろしくお願いします……!!」
 まるで天が彼女達の善性と優しさを見ていたかのように、この会話から程なくして新宿の戦乱は一旦の幕引きを迎える。
 されど少女達の足は止まらなかった。
 少しでも多くの命を助けるためにアイドルとプリキュアは奔走する。
 その先に待ち受ける再会(であい)の運命など露ほども知らないままに。

    ◆ ◆ ◆

 新宿の町を揺るがす轟音と震動はもう止んでいる。
 それが戦いの終了を意味していることは分かっても彼らの傍迷惑な戦乱の正確な幕切れの形。
 即ち、片方が令呪を使うことによる痛み分けという顛末までは分からない。
 この事態を引き起こした下手人であるサーヴァントは二騎ともまだ生きているというその絶望的な事実。
 それを知らないまま、ひかると真乃は生存者の誘導と負傷者の救助を行うべく歩みを進めていた。
 遠くからはヘリコプターの飛ぶ音が聞こえている。
 爆心地の方には自衛隊や消防隊がもう向かい始めているらしい。
 そこに自分達が向かっても仕方ないし却って邪魔になるだけだ。
 あくまで自分達の近くで目に入った人達を助けていく。その目的で合意した二人。
 彼女達が最初に見かけたのは、十人に届くかどうかという人数の小さな人だかりだった。
「ひかるちゃん、あれ」
「怪我をしてる方がいるみたいですね。行ってみましょう!」
 どうやら地面に蹲っている誰かを介抱しているらしい。
 怪我の程度にもよるが、場合によっては救助を待つよりサーヴァントの脚力で運んだ方が早い可能性もある。
 見つけるなり駆け寄っていく二人だったが、しかし真乃は途中で何かに気が付いたように足を止めていた。
 それに気付かずひかるが駆け寄り話を聞く。
「どうしました? 怪我をされた方がいるんですか!?」
「怪我っていうか…病気、なのかなぁ。とにかく様子がおかしいんだ!
 さっきから何を聞いても痛いとか寒いとか、そういうことしか言ってくれなくて……」
「それは大変ですね…! よかったら私達が運ぶので――って、あれ」
 そこまで話を聞いたところでひかるはようやく真乃がついてきていないことに思い至る。
「真乃さん? どうかしましたか?」
 振り向いて名前を呼ぶも返事はなかった。
 ただその表情はとても真剣で……いや深刻で。
 信じられないようなものを見るような目で人だかりの中心、蹲る二人を見ていた。
 やがてようやく思考が体に追いついたのか彼女は声を絞り出す。
「灯織ちゃん…めぐるちゃん……!?」
 聞いているだけで心が痛くなるような悲痛な声だった。
 止めていた足を動かして駆け寄る。
 風野灯織、そして八宮めぐる。
 真乃が所属するユニット、イルミネーションスターズのメンバー達だ。
 ひかるも彼女達のことは知っているし見たこともある。
 なのに灯織とめぐるだと気付けなかったのには理由があった。
「ダメです、真乃さん!」
「っ…! ひかるちゃん、なんで!」
「お二人の体から魔力を感じるんです! それに見てください。二人とも様子がおかしいです」
 二人の姿が、以前に見た時のそれとはかけ離れていると言っていいほど変わり果てていたからだ。
 肌の色はまるで血が通っていないみたいに青白く、自分で噛んだのか唇がボロボロになっている。
 そして極めつけはその体だった。
 一部がまるで凍りついたように霜で覆われ、それが緩慢だが着々と肉体の侵食を続けている。
「でも…! それなら尚更早く助けないと……!」
「…落ち着いて聞いてください、真乃さん」
 以前会った時、この二人は確かに魔力を持たない一般人(NPC)だった。
 なのに今は微弱だが魔力を感じる。
 その理由が彼女達を襲っている体の異変とイコールで結ばれるものであろうことには容易に察しがついた。
「お二人は恐らく他の参加者に何かされています。それが何か分かるまでは不用意に触れ合うのは危険なんです!」
「そんな……っ」
「分かってください…真乃さん。お二人が心配なのは分かります。でもそれで真乃さんの身に何かあったら元も子もないんです」
「ひかるちゃん……」
 今の彼女達に真乃を接触させるのは危険すぎる。
 そう判断して真乃を止めたひかるの判断は正しかった。
 そんな彼女の背後で、最後に会った時と比べあまりにも酷く変わり果てた少女達が口を開く。
 常に苦悶の喘鳴を漏らし続けている二人だが知覚能力はまだ残っているらしい。
 もしくは真乃が抱く思いと同じくらい、この二人も真乃のことを大切に思っていることの証なのか。
「…真、乃……?」
「真乃…? 真乃、なの? 霞んでうまく、見えないけど……そこに、いるの………?」
 その声を聞いて思わず駆け寄りそうになる真乃。
 それを自制するのが彼女にとってどれほど辛いことだろうか。
 ひかるは胸を痛めながらも、でも何も言えない。
 今はただ話させてあげることくらいしか出来ない。
「いるよ…私はここにいるよ! 二人ともどうしたの……何が、あったの……!?」
「よ、かった…無事、だったんだ……」
 安堵からだろう。灯織が噛み締めてボロボロの唇で笑みの形を作る。
 こんな状態になっても他人のために心を動かせる。
 まさに輝く星のように眩しい善性がそこにはあった。
「真乃…わたしたち、頑張ったよ……。これからも、もっと…もっと頑張るから……」
「めぐるちゃん…! 教えて、何があったの……!? 誰が――っ、二人をそんなにしたの……!」
 真乃は痛ましく声を張り上げて問いかける。
 しかしそれに返ってきた言葉は回答ではなかった。
「っ…寒い……寒い、寒い……!」
「あ、ぁああぁああっ…! 寒いっ、痛い……く、るし……ぃ…っ」
「灯織ちゃん! めぐるちゃん! ――ひかるちゃん……!」
 灯織は右半身のほとんどを例の霜に侵食されている。
 だがめぐるはもっと酷い。顔こそ半分の侵食で済んでいるが、首から下は八割方侵食が終わってしまっている。
 苦痛に喘ぐ二人の名前を呼んでから真乃は縋るような顔でひかるを見る。
 惨すぎる再会を沈痛な面持ちで見守るしかなかったひかるだが、彼女も当然灯織達を見捨てるつもりなどなかった。
「危険ですけど真乃さんの大事な人達をこのまま見捨てるなんて出来ません。
 わたしが二人を隣の区の病院まで連れていきます。ただ、真乃さんを一人残すことに」
「それでもいいよ! 私は大丈夫だから……今は灯織ちゃん達を!」
「分かりました! なるべく急ぎますが、真乃さんはできるだけ安全そうなところに隠れていてください!」 
 医療機関で二人をどうにか出来るかは分からないが何もしないよりは遥かにマシな筈だ。
 そもそもこの新宿は今町そのものが危険すぎる。
 此処に置いておくだけで彼女達にとってのリスクになるだろう。
「うん…! 二人をお願いします、ひかるちゃん!」
「任されました! わたしにお二人を助けることは出来ませんけど…せめて安全なところまでは送り届けてみせますから!」
 そう言ってひかるは二人に一歩近付く。
 彼女達は苦痛で歪んだ顔で真乃を見た。
 がたがたと絶えず震える体。
 駆け寄って抱きしめ温めたくなるがそれは許されない。
「…大丈夫だよ、二人とも。怖がらないで。その子はとっても優しい子だから」
 張り裂けそうな胸、今にも溢れ出しそうな涙。
 その両方を堪えながら真乃は精一杯いつも通りの声を出す。
 星奈ひかるはとても優しいいい子だ。
 ひかるがいなければ真乃はきっと此処まで生き抜いてこられなかった。
 真乃の元に来てくれたのがひかるのような思いやりのある優しい子でなければ、真乃は。
 界聖杯という異世界で生きなければならない孤独と不安で潰されてしまっていただろう。
「わたしの…自慢の、サーヴァントなの。妹みたいにかわいいいい子なんだよ。二人が元気になったら必ず紹介するから、だから……」
「さー、ゔぁんと……」
 その感謝も込めてなけなしの笑顔で言った。
 だから、きっと元気になってね。
 此処でお別れなんて絶対に嫌だからね。
 そう続けようとした真乃。
 しかしそれが彼女の口から発せられることは、なかった。
「さー、ゔぁんと」
 苦痛と疲弊で歪んだ二人の目。
 それが、少しずつ見開かれていく。
 寒さにがちがち鳴らすばかりだった歯がぎりりと噛み締められる。
 アイドルは歯が命。
 白くて綺麗に並んだ、彼女達の美しさと可憐さを示す美点だった筈の歯。
 でも今この瞬間の彼女達に限って言うなら……
「に、げて……真乃!」
「さー、ゔぁんと…サーヴァント、ぉおおおおっ……!!」
 自分達の縄張り。
 大切な巣に近付いた外敵に憤って噛み鳴らす、獣(けだもの)のそれによく似ていた。

    ◆ ◆ ◆

 そこは地獄だった。
 風野灯織と八宮めぐるの全てを壊すに足る時間がそこにはあった。
 体の内側を余すところなく駆け巡る激痛。
 細胞の一つ一つが鋭利な棘を生やして暴れ回っているとしか思えない疼き。
 胃の内容物を全部吐き出したのなんて最初の数分だ。
 以降は喉が裂けて血反吐が出てくるばかりになった。
 こんな喉じゃもうアイドル出来ないかも。
 そんなことを考える余裕すら灯織達には許されなかった。
 彼女達に考えられたのはただ一つ、ただ一人。
 かけがえのない大切な友人であり仲間である櫻木真乃のことだけ。
 真乃は無事だろうか。
 皮下はちゃんと約束を守ってくれるだろうか。
 発狂しそうな苦痛の生き地獄を漂いながら、最後に残った希望とばかりに二人は友を想うことに縋っていた。
 そんな彼女達の耳にやかましく響き渡るのは怪物のような巨漢の笑い声。
『ムハハハハハ! 使い捨てだから問題はねえがこりゃ酷ェ! 日付が変わる前に百パー死ぬなァ!』
 彼の言う通り、灯織とめぐるの二人に施されている人体改造はあらゆる意味で"酷い"ものだった。
 適合率や拒絶反応の大小を度外視した葉桜の大量投与。
 こんなやり方では虹花の影も踏めないだろうが、皮下もそれを分かった上でこの方針を選択しているから始末が悪い。
 むしろ強くなられたら困るのだ。生き残られたら困るのだ。
 皮下が二人に求めているのは人間ならいくらでも殺せるが超人には決して勝てない程度の戦闘能力。
 そして用が済んだら勝手に壊れてくれるような極めて短い活動限界。
 後は何も求めない。強いて言うなら彼女達が友達のために阿鼻叫喚の激痛地獄を耐え抜いてくれることくらいだ。
『ハッピーなニュースだモルモット共! あと一時間もしたら友達のところに帰してやるよ!
 精々頑張って悪いサーヴァントから大好きな真乃ちゃんを守ってやるんだなァ! ムハハハハハハハハ!』
 発狂していないのが不思議なほどの激痛なのだ。
 それに加えて葉桜の過剰投与による悪影響も全身のあらゆる器官に生じている。
 その結果灯織とめぐるの思考能力は極めて鈍麻していた。
 それでも。友達を守るために行動しなけなしの可能性を得た二人の耳に、クイーンのその言葉は深く刻まれた。
“サーヴァント…悪い、もの……”
“真乃を、守らなきゃ…優しい、真乃……わたし達の、大事な………”
 悪いサーヴァントから真乃を守る。
 真乃に自分達のような思いをさせないために。

 実験体に堕ちた二人のアイドルの脳に刻み込まれた強い思い。
 この後灯織達はクイーンの気まぐれで疫災弾を撃ち込まれ"氷鬼"のキャリアーと化した。
 しかしそれからすぐにクイーンはおろか皮下ですら予想外の事態が起こった。
 二体の怪物の激突は空間を崩壊させ、二人はその崩壊に巻き込まれる形で現世に弾き飛ばされた。
 そして二人は崩壊した新宿に放り出され……調整が完了する前に放り出されたことで本来の役目を果たせずにただ苦しみもがいていた。
 サーヴァントという言葉さえ聞かなかったなら灯織達はひかるによって病院に運ばれるか。
 もしくは真乃を守るためにそれを拒むかして、いずれにしても程なく死んでいただろう。

 サーヴァントという言葉さえ聞かなかったなら。

    ◆ ◆ ◆

「え……っ!?」
 灯織が憎悪の形相を浮かべてひかるに飛びかかった。
 首を握り締められることそれ自体はサーヴァントである彼女にとっては大した痛手ではない。
 だがその力は逆に言えば、サーヴァントが相手でさえなければ一息に首の骨を粉砕出来るほどの怪力だった。
“この力…おかしい! 人間のそれじゃない! 灯織さん達、何をされたの……?!”
 ひかるでさえ驚いたのだ。
 普段の彼女達を知る真乃の驚きはそれよりもっと大きい。
「ひ…灯織ちゃん!? その子は危ない人じゃないよ!?」
「真乃…真乃、っ……!」
 病人を無碍に扱うわけにはいかない。
 首を掴まれたまま逡巡していたひかるだがその脇を抜ける形でめぐるが真乃に近付くとなると話は変わる。
 二人の異常を認識した瞬間から既に危険視していたことだが、今それは確信に変わっていた。
 今の灯織さんとめぐるさんを、真乃さんに触らせるわけにはいかない。
「ごめんなさい……!」
「あ、ぐぅっ……!」
 サーヴァントの膂力で灯織を跳ね除けてめぐるの腕を掴み地面に引き倒した。
 ひかるにしてみればそれは当然真乃を守るためのやむなき行為であったし、事実その認識で間違いはない。
 しかし今のひかるの行動は二人に大きな焦りを与えた。
「なんで…なんで、っ」
「あんなに…あんなに、がんばったのに……!」
 あれだけ苦しい思いをした。
 クイーンは言っていた、悪いサーヴァントから真乃を守れと。
 自分達を地獄に突き落とした張本人の言葉を信じる意味がどの程度あるのかという思考にすら今の二人は至れない。
 ただ盲目的に自分達の無力に焦燥を募らせる。
 あんなに頑張ったのに、このままじゃ真乃を守れない……! ――と。
 しかしそこに言葉を挟み込む余地はない。
 そんな救いの余地が彼女達に残されていたのなら、どれほど優しい物語だったろうか。
「「あぁぁああぁあぁああああっ!!」」
 真乃やひかるが何か言うのも待たずに二人はひかるへ憎悪を剥き出しにして突撃する。
 ひかるは彼女達をこんな風にした人間に対して怒りを覚えながら歯噛みした。
“こうなったら、もう……!”
 このままじゃ病院には運べない。
 気絶させてでも無力化しなければ周りの人達にも危険が及ぶ。
 いや、そもそもこんな力で暴れられる人間を病院に任せていいのか。
 問題は山積みだったがとにかく二人を無力化しないことには始まらない。
 なるべくダメージを残さないように意識を落とす。
 次に起こす行動をひかるが決めたその時だった。
 ひかるの目に、最悪の光景が飛び込んできたのは。
「おい…おい、お前! 大丈夫か、おいっ!」
「ぅあぁぁああぁっ! 寒い…寒いぃいい!」
「どうしちまったんだよ…、……!? お前……その手、あの娘達と同じじゃ……!?」
 急に悲鳴をあげて座り込んだ老婦人。
 助けようと駆け寄ったその夫らしき老爺が慄く。
 彼女の右手には灯織達に出ているのと同じ霜が出ていて。
 そして助け起こすために婦人へ触れたのだろう彼の手にもその霜が伝染る瞬間を、ひかるは確かに見た。
“まさか……!”
 灯織とめぐるは別に暴れていたわけじゃない。
 サーヴァントという言葉を聞くまで、彼女達は哀れな病人に過ぎなかった。
 年若い娘が二人揃って異常な状態で苦しみ蹲っているのだ、良心ある人間なら介抱しようともしただろう。
 手で直接触れて体温を測るようなことをしたとしても不思議ではない。
 そして今ひかるの視界の中で……霜の出た人間に触れた者の体が新たに霜で侵された。
「――逃げてください! 真乃さん! 皆さんも!」
 理解した瞬間すぐに叫んだ。
 なんて悪趣味。なんて非道い。
 ひかるは戦慄する。
 要するにこれは伝染病(ウイルス)なのだ。
 触れば霜が伝染る。霜は感染者の体を徐々に覆っていきその過程で耐え難い悪寒が襲う。
 灯織達に限った話ではない。
 もしも感染者となった人間が助けを求めて誰かの体に触れたなら。
 助けを求めるその手は――悪夢を拡散させる凶器に変貌してしまう。
「ひかるちゃん……でも、二人が!」
「わたしが……わたしが必ずどうにかします! だから、今は!」
「…………」
「信じてください……真乃さん!」
「………………、……わかった! 二人を…灯織ちゃんとめぐるちゃんを、お願い……!!」


 意を決して走り出した真乃の方は振り返れない。
 一瞬でも隙を見せればそれが最悪な事態を生むかもしれない。
 目の前には怒り狂った、正気とは思えないほどに変わり果てた灯織とめぐる。
 彼女達だけではない。その後ろで新たに感染した老爺が逃げる若者の背中に触れた。
 若者が悲鳴をあげれば腕に霜が新たに這い、彼がまた寒い寒いと苦しみ始める。
 早く止めなければ最悪なことになると誰の目にも分かった。
「お願いします…お願いだから、今は眠ってください!」
 だからひかるは灯織達の腕を振りほどくと、彼女達の頭部に意識を落とすための打撃を加えた。
 ぁっ――。そんな声をあげて二人が崩れ落ちる。
 それをいいことに踏み出そうとした足がしかし他でもない、今気絶させた筈の灯織によって掴まれた。
“嘘…今ので気絶しないの……!?”
 星奈ひかるはサーヴァントである。
 その力で気絶させるつもりで叩いた。
 なのに気絶していない。脳震盪の影響を受けている様子もない。
 灯織さん達は何をされたのか。
 一体何をすれば人間がこんな風になれるのか……一体何を考えていたら人間をこんな風に出来るのか。
「行かせ、ない……! サーヴァント、っ……!」
「話を…話を聞いてください! わたしは確かにサーヴァントですけど……真乃さんを守りたい気持ちはお二人と、」
「嘘を……つく、な……ぁっ!!」
 どれだけ彼女達が頑張ってもひかるには傷をつけられない。
 身を侵す業病……"氷鬼"の影響でその体は確かに魔力を帯びているがあくまで微量だ。
 その程度ではサーヴァントをどうこうするなど夢のまた夢。
 しかしこうして彼女達が食い下がることは、二人の狙いとは別の形でひかるを焦らせていた。
“灯織さん達から感染した人を早く回収しないと…! このまま広がったら大変なことになっちゃう……!”
 二人に構っていればその間にも感染者がどんどん散ってしまう。
 けれど二人を見捨てることは出来ないし、その結果彼女達が真乃を追ってしまえば本末転倒だ。
 その場合でも感染者が増える可能性は非常に高いのだからリスクを背負う意味がない。
「…ちょっと、手荒にします!」
 握った拳に、人間相手に向けるには強すぎる力を込める。
 少なくとも日中にグラス・チルドレンの構成員を殺めた時のそれよりは格段に強い力が宿ったその拳。
 それで灯織の腹を殴れば、彼女の体は紙切れのように宙を舞った。
「ひ…おり……!!」
 こんなになってもまだ友人を思う心は健在なことが何より痛ましい。
 灯織を痛め付けられた怒りを胸にめぐるが襲う。
 その凶手には作法も何もなく、ただ力だけしかない。
 そしてその力もくどいようだがサーヴァントには通じない。
 ひかるが軽々とめぐるの文字通り決死を受け止める。
 めぐるはそれを押し潰さんと力を込めた――恐らく八宮めぐるという少女の過ごしてきた人生の中で一番の力を。
 それが、いけなかったのだろう。
 ただでさえ葉桜で崩壊寸前の臨界状態にある肉体なのだ。
 元々使い捨て前提の失敗作として作られていた人間兵器。
 そこに更に予定外の調整中断が重なった結果そのもの。
 そんな体で、人間の限界を遥か彼方に置き去るほどの力を出そうとすれば……当然。
「……あ……?」
 こうなる。
「あ、が――ぃ、ぎ……! は、ぁ……あ、あぁぁぁあああ゛あ゛あ゛………ッ!?」
「めぐるさんっ!!」
 一言、それは崩壊だった。
 力を込めていた右腕がひび割れるように張り裂けた。
 噴き出す鮮血がキュアスターのきらびやかな衣装を汚す。
 そして間髪入れず、めぐるはその口からごぼごぼと大量の血液を吐き出した。
 バケツ一杯分は優にあるだろうそれが致死量であることは医学に造詣のないひかるが見ても明らかだった。
「ぉ゛……あ゛、ぁああぁあ……?」
「動かないで! 横になってください、すぐ病院に……!」
「さ、ぁ……ゔぁ、んと、ぉ……!」
 右腕が張り裂けて触腕のようになり。
 内臓は限界を迎えて自壊し絶えず口から血が溢れる。
 霞んでろくに見えない目すらひび割れて。
 それでも八宮めぐるは友人のため、目の前の"サーヴァント"をどうにかしてやろうと奮戦していた。
 もうあと一分も保たずに死ぬだろう体で、それでも必死に。
“……なにこれ?”
 なんでこんなことになっているのだろう。
 ひかるはこうなる前の八宮めぐるを知っていた。
 あの時の彼女はとても可愛くて明るくて素敵で。
 真乃さんはこんな人達と一緒にステージに立っているんだと高揚したのを覚えている。
 よく覚えているからこそ、目の前の惨すぎる姿が現実のそれだと思えなかった。
“なんで、めぐるさんや灯織さんがこんな目に遭わなきゃいけなかったの?”
 この世界は泡沫のそれだ。
 でも、この世界に住む人達だって生きている。
 皆にそれぞれの人生があって心があって大切な人がいる。
 本戦まで勝ち残ったマスターもサーヴァントも、そんなことは当然分かっている筈だろう。
“なんで、こんなことが出来るの?”
 なのにどうしてそれを踏み台に出来るのか。
 人生も心も誰かを思う気持ちも踏み躙ってこんな風に壊せてしまうのか。
 ひかるには理解出来なかった。
 そして、理解したいとも思えなかった。
 それはもしかすると。
 時には敵にも思いやりの心を抱き言葉をかけてきたキュアスターが初めて示した、"通じ合うこと"の拒絶だったのかもしれず。
“ごめんね、真乃さん。わたしにはもう……”
 プリキュア。無限の可能性を秘める星宙の乙女。
 その輝きが翳ることの意味も重さも今のひかるには考えられなかった。
 目の前の現実があまりにも痛すぎて悲しすぎて。
 気付けばひかるはその両手を伸ばしていた。
「こうしてあげることしか、出来ないや」
 八宮めぐるの首を掴む。
 そのまま力を込めた。
 全身を血塗れにして、その状態でもまだ霜に侵され続けて。
 最後まで一片の救いを得ることもなくめぐるのひび割れた両目はひかるのことを睨んでいた。

 ぱきり。
 何かの砕ける音がして。
 ひとつ。もしかしたらふたつ。
 この世から、星が消えた。



 逃げろと言われた真乃は路地裏に一人屈んでいた。
 心を満たすのは不安。ただただ、不安。
 見る影もなく変わり果てた大事な仲間。
 サーヴァントという言葉を聞いた瞬間に豹変して、ひかるに任せるしかなくなってしまった二人。
 二人は無事だろうか。
 ……病院に行けば助かるだろうか。治るだろうか。
 そう考えながらどれだけ待っただろう。
 恐らく時間としては数分くらいだったと思われる。
 だが真乃の体感では永遠に匹敵するほど長い時間だった。
 その果て、不意に念話が真乃の思考へ割り込む。
“真乃さん。大丈夫ですか”
“…! ひかるちゃんの方こそ……大丈夫だった!?”
“わたしは大丈夫です。こっちはもうちょっとかかりそうなので、真乃さんは新宿を出てとにかく安全なところまで逃げてください”
“う…うん、分かった。ひかるちゃんも無理しないでね?”
 大丈夫だとひかるは言った。
 しかし真乃は内心とても心配だった。
 念話で伝わってくるひかるの声が、今まで聞いたことがないくらい平坦だったからだ。
 まるで何かいろいろなものを押し殺して喋っているみたいに。
“ひかるちゃん……その”
 ひかるを置いて新宿を出るのは正直気が乗らなかった。
 だが真乃にも道理は分かる。
 またいつ地獄になるか分からないこの町を自分のような人間が、サーヴァントと離れた状態で彷徨くのはあまりにも危険だ。
 だからそこで食い下がるつもりはない。
 つもりはないが……一つだけ聞いておかねばならないことがあった。
“灯織ちゃん達、大丈夫だった?”
“……”
 真乃が聞きたかったのはひかるの明るい声。
 いや、明るくなくてもよかった。
 ただ一言"なんとかなった"と言ってくれればよかったのだ。
 なのにひかるは押し黙った。
 何を言うか悩むように沈黙していて、思わず真乃は急かしてしまう。
“ひ、ひかるちゃん…? やだな、やめてよ……急に黙らないで。
 二人のことはなんとかなったんだよね。あ、もちろんすぐ病院に運ばないといけないだろうけど……。
 でも、とりあえず助けられたんだよね? だから私にこうして――”
“真乃さん”
 そんな真乃にひかるはただ一言だけ言った。
 何があったのか。
 何がどうなってしまったのか。
 それは真乃の知りたいことを一言で理解させる言葉だった。
“ごめんなさい”


“わたしはまだやることがあります”
 返事はない。
 念話の向こうからは何も返ってこない。
 でもひかるには真乃を気遣う言葉なんて吐けなかった。
 どの口でそんなことを言えばいいのか分からなかったから。
“ちゃんと終わらせたら真乃さんのところに帰ります。その時、ちゃんと……”
 全部話しますから。
 そう言い残してひかるは歩き出した。
 その瞳に星のような輝きはなくただただ虚ろ。
 体は血で汚れており、その中には"彼女達"が吐き出した内臓の欠片のようなものすらもが付着していた。
 ひかるが路地の片隅に寄せて安置した二人は寄り添うようにして眠っている。
 張り裂けた体と全身を覆った霜。
 惨死体と呼んでいい状態にあってもなお二人は仲間で、友達だった。
 友達のまま死んでいた。
 星奈ひかるがその手で殺した。
 全身を崩壊させながら怒りと怨嗟を吐く彼女達の頚椎をへし折った。
 このことでひかるを責めることは出来ない。
 大前提として八宮めぐるはああなった時点で百パーセント数分足らずで死んでいた。
 ひかるが手を下さなければ二人はいたずらに苦痛が長引き、生き地獄のままで死んでいった筈だ。
 ひかるがやったのは言うなれば介錯。
 放っておけば人生の最後まで筆舌に尽くし難い生き地獄の進行を味わうだけになった二人に安息をあげた、それだけのこと。
 しかしひかるは逃げられない。そして逃げるつもりもない。
 一度目の罪ならば前向きになれた。償って背負って生きていく、責任を果たすと決められた。
 二度目も三度目もひかるが悪いわけではない。殺すしかなかった、そういう命だった。
 だが。ひかるに安易な自己弁護を許さない、末期の声が今も彼女の鼓膜に貼り付いて離れずいる。

『よく、も…よくも、めぐるを……!』
 八宮めぐるを終わらせた瞬間に風野灯織が起き上がった。
 葉桜による異常強化と、後は彼女自身の執念の賜物か。
 定かではなかったが憤怒の形相で襲いかかった灯織の体はめぐると同じように崩れていた。
 ひかるのやることは一つだ。
 灯織の攻撃を受け止めて、そのまま努めて優しく地面に寝かせて首を押さえた。
『許さない…許さない、絶対……!』
 ごめんなさい。ごめんなさい。
 でも、こうするしかないんです。
 こうしないと誰も救われない。
 あなたたちが。あの人の大好きなあなたたちが誰かの幸せを壊してしまう。
 だから止めなくちゃいけないんです。
 あなたたちがあなたたちである内に。
 全部忘れてしまうほど苦しんで、痛がって、悶えながら死んでしまう前に。
 こうしなきゃいけないんです。
 分かってなんて言いません。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
『こ、の……人、殺……し…………!』
 星奈ひかるはそうして風野灯織を殺した。
 人殺しと呼ばれたのは言わずもがな生まれて初めてだった。


 ああ、空に星が見える。
 日が沈んでいるからだろう。
 星の残骸を背後にしながらひかるは空を見た。
 まだだ。まだ止まれない。
 幸いにしてこの期に及んで新宿に留まっている人間はそう多くないだろう。
 だから今追いかけて対処すれば氷鬼の拡大はきっと食い止められる。
 早く捕まえてこれ以上の感染を防がなければ。
 そこまで考えて、ひかるの中の冷静な部分が問うた。
“捕まえて。それでどうするの?”
 星奈ひかるには宇宙への夢を叶えた記憶と、そこまで努力した記憶が当然備わっている。
 その中には医学に纏わるものもあるが本職の医師には数段劣るし、そもそも真っ当な医術では氷鬼は治せない。
 病院に運んだってどうにもならないだろう。
 ただいたずらに被害を拡大させてしまうだけだ。
 そしてひかるは知らないことだが、人間だけでなくサーヴァントの手を頼ったとしても氷鬼のキャリアー達を救える可能性は極小だった。
 知略長け万事に通ずる二人の犯罪卿でも異界の科学から成る業病は専門外だ。
 医術の道を志す少女はまだまだ途上で、夢破れた男は今や切り傷一つ治せない。
 そのサーヴァント、機人の少女ならば即座に解析して治せるだろうが彼女は氷鬼を製造した男の所属する陣営にいる。
 全ての器の中で最も優れた万能者の彼でも可能かもしれないがその首を縦に振らせることがまず不可能だ。
 鬼の始祖は無能の手駒を増やす気がなく、そもそも彼を頼った先に待つのは罪に応じた地獄である。
「それでも」
 ――それでも。
 ――この足は止められない。
「これはわたしにしか出来ないことだから」
 キュアスター。星のプリキュア。
 その身と輝きを血で汚して、拭えない罪で自分を縛り付けて。
 氷鬼の拡大を此処で食い止めるのだとそう決めて少女は走る。
 救えない業病を宿した衆生をどう救うのか。
 答えはまだ選ぶことなく、しかし彼女の記憶にその答えはもうピースとして収まっていて。
 一つまた一つ増えていく夜空の星々に見守られながら。
 地獄を見た星はそれでも輝く。
 まるで、悲鳴のように。

【新宿区・路地裏/一日目・日没】

櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、激しいショック、茫然自失
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:ひかるちゃんと一緒に、アイドルとして頑張りたい。
0:――――。
1:アイさんのことを話せない以上、今夜はもうこちらから摩美々ちゃん達には連絡しない。
2:アイさんやあさひくん達と協力する。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
3:あさひ君たちから283プロについて聞かれたら、摩美々ちゃんに言われた通りにする。
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
プロデューサー田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:健康、血塗れ、精神的疲労(極大)
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:プリミホッシーの変装セット(ワンピースのみ。他は灯織・めぐるとの交戦時に破損)
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:真乃さんといっしょに、この聖杯戦争を止める方法を見つけたい。
0:これはわたしにしか出来ないことだから。
1:感染してしまった人達を追いかけて捕まえる。……捕まえて、どうするの?
2:アイさんやあさひさんのことも守りたい。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
3:ライダーさんと戦うときが来たら、全力を出す。
4:おでんさんと戦った不審者(クロサワ)については注意する。

[全体備考]
新宿区に風野灯織・八宮めぐるから氷鬼に感染したキャリアーが解き放たれました。
まだひかるの元からはそう遠く離れておらず、数もそれほど多くはありません。


時系列順


投下順


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065:醜い生き物たち(後編) 櫻木真乃 076:ベイビー・スターダスト
アーチャー(星奈ひかる

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最終更新:2021年11月28日 14:38