奈落。
ステージの上と下を繋ぐ、せりあがる床の舞台装置。
スポットライトの届かない人ごみの一人から、誰もが注目する主人公として上がっていくための昇降機。

ステージの下。客席のざわめきを一番感じる場所。
見上げる場所。始める場所。

上りつめた先では、一手の過ちも死につながる。
正しい動きを、正しい時に、正しく振る舞い、ただの一つも間違えない。
ターンの一つでも失敗すれば、身を崩して無様に転落。
観客は落胆し、なんて馬鹿なことをしたんだと好き勝手に口走り、落伍者の印を押す。
そういう場所。

そこを上がった時のために、すべてがある。
けれど、そこを上ったらひとりになる。
そう信じながら、皆が狭くて高いところに上っていく。

だとしたら、どうかこっちを見てほしい。
私の見ている世界に、あなたがいることを見つけてほしい。
そこは危ないから。
だれもがひとりで踊るなら、だれかがふたりにしないといけない。


◆◆◆


リンボを自称する劣等感の魔星から襲撃を受け、電車から飛び出して後。
七草にちかとアシュレイ・ホライゾンは西日が色あせ始めた世界を小刻みに歩いていた。
向かう先は依然として283プロダクションのプロデューサーの自宅であることに違いはないが、そこに電車に乗っている時のようなくだけた念話はない。
ヘリオス(内なる比翼)の存在を封じこめる事、七草にちかにその詳細説明をいったん回避したことで気まずくなったことが原因の一つ。

『マスター』

だが、会話の終わってしまった最大の理由は、七草にちかが徐々に表情を翳らせるようになったことだ。
電車を離脱した時には良かった良かったとハイになっていたものだが、危機から物理的な距離を置くにつれて態度は反転していった。
とぼとぼと、そういう歩き方が似合う有り様に。
だから、励まさなければいけないと思った。その為にアッシュはマスターと念話で呼んだ。

『言えてなかったけど、ありがとうな。あの戦場を耐えて、一緒に戦ってくれて』

それは紛れもなく本心であった。
これまで、マスターを安全圏において立ち会うことを許してくれた緒戦のサーヴァントだとか、剣豪から売られた喧嘩を横で見ていた程度の少女が、いきなり鉄火場で独り耐えて待つことを要求された直後だというのに、アッシュの念話をうけとめて指示にしたがってくれたことには賞賛しかない。
アッシュなど、傭兵時代は何年たってもスムーズな弾込めさえおぼつかず、剣林弾雨にはいつまでも慣れず、己よりも戦歴が短い者にどんどん追い抜かれるような情けない有様であったというのに。
ぶっつけ本番で、『戦いながらも脱出口を抉じ開けるけど、何も知らない顔でいつでも立ち上がれるようにしていてくれ』という無茶ぶりに答えてくれた少女とは、まるで比べるべくもなかった。

だが。
もっと別のことを言えば良かった。
見る見るうちに顔色を青くさせ、眉根をこれ以上ないほど険しく寄せた少女に睨まれると、そう思わされた。

「…………っ、思い出させないで、くださいっ!!」

にちかの悲鳴は、念話ではなく声になった。
たちまちに脂汗をにじませながら走り、駆け込んだのは公衆トイレだった。
住宅街の隙間をぬって子どもを遊ばせるための遊具場――公園と呼ぶにはやや狭い――に滑りこみ、スカートをはいた赤塗りの棒人間がマークされた扉の中へと滑り込む。
アッシュが意図的に音を聞き取らないよう耳をふさいでいると、何分もたってからややふらついた足取りで、血色を失った顔色で、祟り目のにちかが戻ってきた。

当然の帰結だった。
思い出してしまえば、戦場の異臭と、危機一髪の緊張と、一度目に嘔吐した時の体感をよみがえらせるしかない。
否、足取りが力ないものに変わった段階で、すでに彼女の意識はそちらを振り変えることに費やされていたのだろう。

「……すまない。いや、この言葉には答えなくていい。答えるにも気力を使う時はあるよな」

恨みがまし気な顔のままで、頷きをひとつ。
そのまま遊具場のベンチに2人で座り、気まずい沈黙の帳をおろした。
というより、沈黙するしかなかった。余計な言葉は電車内で起こった恐怖の『揺り戻し』にしかならない。

「まだ、続くんですか?」
「続く……?」

口火を切ったことばには、絡むような湿度があった。
会話の切り出しが唐突な時は何かを溜めこんでいる証拠だと、一か月の付き合いで察することはできている。

「私の目の前で、無茶して、世界が変わって、燃やして、ドンパチすることですよ」

言い終えるや、ローファーを履いた普通の女子高生の足が、何もかも気に入らないとばかりに芝生をどすんと蹴りつける。

「私が慣れるしかないんですよね。ライダーさん、私を放ってどっか行けないですもんね。分かってますよ、私が素人なのが悪いんですよね。足手まといが狙われないように相手の気を引くことまでさせてごめんなさい!」

極力抑えた声で、しかし声ではあっても叫びに近い吐き出し方で、にちかは衝動をぶつけた。
ぶるぶると震えを今更のように引き起こす身体は、焦燥感と生理的疲労感だけでなく、自己嫌悪。
そして、これからやってくる新たな恐怖への、不安を体現していた。

「君は足手まといになんかなっていないよ」

にちかが、こういう苛立ちを見せることは初めてではなかった。
むしろ、他者を責める言葉がギリギリで飛び出していないだけ、七草にちかという少女がたまに発露する『悪癖』としては軽い方だ。
これまでもアッシュとの対面時に限った話などではなく、私生活でもバイトとして勤務している職場の人々にたまに言葉をとがらせてしまい、言うだけ言ってからさらに顔を曇らせるという悪循環を、霊体化して寄り添いながら目撃していたことがある。
七草にちかは、己の不出来について落ち込むと言葉を攻撃的なものに変える。
ある程度の毒をぶつけてもいいぐらいには心を許した誰かに、鬱憤をぶつけることに走ってしまう。
前提として気を付けなければいけないのは、何も彼女がすぐに誰かのせいだと責任転嫁するような心根をしているわけではないということだ。
ただ、自己嫌悪の感情を内省として消化することができずに、八つ当たりに換えてしまうだけ。
そして、吐き出すだけ吐いてしまった後は、私はなんて性格が悪いんだろうと更に自己嫌悪の悪循環に走ってしまう。
だからこの子を相手にする時は、己を不幸にするような結論にたどり着かせないことが大事なのだ。

「俺だってあんなのを相手に啖呵を切るのは怖かったし、できればやりたくない事だったよ」
「へー、私のせいでやりたくない戦いをやらされてるんだー。正直なイヤミをどーも」
「そこじゃないよ。あの場で念話の通りにしてくれて、頼もしかったのは本心だってことさ」
「……これからも、私にああいうのをやれって事ですか。ハードルたっかいなー」

念話にもならない声には、皮肉めいた含み笑いが籠っていた。
にちかがこうやって相手の言葉尻を捕えるようになった時に、こちらも捕え返してはいけない。
こういう時に必要なのは、論戦ではなく相互理解なのだから。

「君は頼りになったよ。でも、さっきと同じことをなるべく繰り返さないように、待ち構え方を改善することは必要だと思ってる」

これからも続くのか、これからも慣れるしかないのかとにちかは言及した。
つまりにちかが恐怖している先は、過ぎ去ってしまった危機についてではない。
こういうピンチがこれからも起こるかもしれないという懸念に、先刻の戦いはあくまで本選の緒戦でしかないという予感に恐怖しているのだ。

『改善するところなんて……あったんですか』

これからの話になったことで気持ちがそちらに引かれたのか、にちかも念話に切り替えてくれた。

『マスターも言ってくれたことだよ。俺がマスターを戦場に巻き込みやすくなってる。これが戦場で深刻な問題化する前に、マスターの安全を確保する手段は必要だ』

七草にちかは、脱出策のために令呪を三画すべて残しておかなければならない。
それが意味するところは、すなわち。
『俺はマスターを巻き込まないために単独で戦いに出るけど、身の危険を感じたらすぐに令呪で呼んでくれ』という通常の主従ならば用いる安全策に、寄りかかれないことを意味する。
必然として、七草にちかを先刻のような戦場に立ち会わせる機会が増えてしまう。
『ライダーがにちかの傍を巻き込みやすくなっている』とは、そのことを指すものだ。

『でも、そんなのどうしようもないですよ。私、身を守る武器があったとしても使えっこないですもん』
『二人だけなら難しいかもしれない。でも、協力者を増やせれば、前線組と待機組に別れることはできるようになるだろう?
そういう意味では、今後は同盟を組めたセイバーと共同作戦を組む流れにした方がいいかもなって話でもあるんだが』

カァカァと、鳴き始めた烏がまさに遊具場を寂しい空気にさせてくれる。

『そもそも、向こうのマスターは小学生でもあるからな。サーヴァントがマスターを離れて戦闘せざるを得ない状況に不安があるのは、向こうも同じだと思う。
そういう意味ではWのところもそうだな……『マスターを悪い子にはしない』って言い回しを使ったからには、そこそこ幼い年齢のアイドルなのかもしれない』

だからマスターも、自分が劣ったマスターかもしれないと比べることに意味なんてない、とそう続けるつもりだったのだが。

『え? 『悪い子』……?』

まるで聞き馴染みのある単語のように、にちかが単語にピンポイントで反応しのだった。

『それって、アンティーカの田中摩美々じゃないですか?』
『知っているのか、マスター?』

思わぬところからWのマスターが簡単に特定されて、アッシュは驚く。
しかし、顧みれば283の事務所にいた七草にちかが知っているのも無理はないことだった。
七草にちかに携帯端末を操作してもらい、特定されたアイドルの紹介ページを見せてもらった。

田中摩美々。
年齢18歳。身長161cm。体重49キログラム。
血液型はB型。
趣味、放浪・人をからかう。特技、自分で髪を切る。
第一印象は、七草にちかに比べると、いや、たいていの同年代の少女に比べると、ずいぶん派手だなぁというもの。
ニュースで把握した白瀬咲耶が『凛々しい』『かっこいい』印象を受けるアイドルなのだとしたら、こちらの少女は『小悪魔』というカテゴリが似合うだろうか。
アッシュとしても、身近な『紫色+少女』で印象付けられている存在がとんでもない性欲剥き出し露出過多の合法幼女の義姉であるために全く偏見がないとは言い切れないが。
毒々しい飾りつけのまま宣材写真に写り、実際に『悪い子』『人をからかう』と自称する公開情報から先行するイメージは、言葉は悪いが『ガラが悪そう』に見える。
だが、おそらくそうではないぞとアッシュは『見た目第一のイメージ』に軌道修正をかける。
この公開情報をもとに、この少女は『アイドル』をやっているという情報があるだけだ。
世間に公表されている余所行きのイメージが、本人の人格そのままだと受け止めるなんて元外交官としても失格だろう。

『しかし、白瀬咲耶さんの写真を見た時も正直思ったけど……なんというか、『濃い』よな……。
アイドルっていうのは、デビューしたらこんな風に属性で飾らないとやっていけないのか?』
『いや……ガーリィアンドスパイシー、とか言ってた私達が言うのもどうかと思いますけど、283は極端な方だと思いますよ?
苺プロとかもそうだけど、他の事務所はもっとナチュラルってゆーか、無理に属性をつけたって『作ってる』と思われそうじゃないですか?
しょーじき私も、この売り方で数字取れるのかなーって思ったことがあったぐらいだし』
『この子達は、売れないのか?』
『いや、アンティーカは283でもトップじゃないかなってぐらい売れてますけど……採算度外視、っていうんですか?
283に通ってた時にアルバム見せてもらったんですけど、その売れてる初期メンバー16人を集めてやったことが、親睦のピクニックなんですよ。
そこでカメラ回してたらめちゃくちゃ数字取れたじゃないですかって私は力説したんだけど、曖昧に流されちゃうし。
美琴さんも『283は変わってるから』で済ませちゃうし……』

女子高生にして、交流目的のピクニックでも売上のことが頭にあるのは、アイドルとしての貪欲さだけでなく、姉と妹ふたりの慎ましい生活にも遠因がある気はしないでもなかった。
しかし、283プロが芸能界でも特異な売り方をしているというニュアンスは伝わる。
田中摩美々のプロフィールを観察するうちに、そのニュアンスはたしかな感触に変わった。
18歳にして、『小悪魔系パンキッシュアイドル』として売っているという在り方。
アッシュにはこの国のアイドルファンの需要などは理解しきれないけれど、それでも18歳という年齢が遠からず成人の仲間入りをする歳だということは分かる。
つまりこの少女は、そう何年もしないうちに『その年齢で小悪魔系を売りにするのはきついんじゃないかなぁ』と世間から評価される年齢がやってくる。
その上で、283は『この子はこう輝いていい』という判断をしたのだ。
それが全てのアイドルプロデュースに通じる283の在り方であるなら、七草にちかが『宝石と石ころ』のたとえを持ち出した背景も想像できなくはない。
世間への迎合よりも、アイドルの個性(かがやき)を信頼して伸ばしていく283のスタンスは、彼女に限って言えば私がいちばん普通だという焦燥を生じさせたのだろうから。

(それでもマスターの『プロデューサー』は、七草にちかをアイドルにしたいと思ったんだよな……)

まだ見ぬ、これから会いに行こうとしている男が、従来のプロデュース方針を曲げてまで、どうしてそう思ったのか。
その理由を、『俺が彼女を守りたいと思った理由と似ているのかもしれない』とまで感じ入るのは穿ちすぎだろうか。

『なるほどな、283がどういう空気の事務所だったのかは分かった気がするよ。
Wのマスターがこの摩美々って子で間違いなさそうだってことも』
『え……そこまで私をあてにしちゃうと外れたときがめっちゃ怖いですよ? 私、悪い子ならこの人かも、って言っただけですよ?』
『マスターの手を汚させずに、とか言い方が他に幾らでもあったのに『悪い子』なんて子供っぽい言い回しを選んでるんだ。意図しての発言だと俺は思う』

それに、電車内でアッシュが考えていた『白瀬咲耶の一件はW主従にとって逆鱗だったのではないか』という推測とも噛み合うのだ。
殺されて炎上させられた白瀬咲耶のユニットメンバーなのだから、『大切な友人がマスターであり、既に脱落させられており、その死を利用された』と知った時の衝撃たるや、想像を絶するものがある。
わざわざ『マスターを悪い子にはしない』と誓って発言したのも、かつての諸事の黒幕、ギルベルト・ハーヴェストに対するレイン・ペルセフォネの憎悪を目撃しているアッシュにとっては、『おそらくWのマスターも激昂したのだろうな』と予想させることになった。
だが、わざわざアッシュに対してマスターの特定に繋がりかねない単語を口にしたというのは解せない。

『マスター……もしかして、田中摩美々が『悪い子』を名乗ってるのは、けっこう有名だったりするのか?』
『メンバーの顔と名前を憶えてるぐらいの人なら、まず知ってるんじゃないですか? トークの時もよく『悪い子なのでー』って言ってますし、そもそもビジュアルからして悪そうな路線で行ってるし……』

少なくとも、『283のアイドルで悪い子は誰だ?』って聞かれたら一人しかいないですよ、とアッシュのマスターは答えた。
つまり、『悪い子』という単語が飛び出した時点で、かなり特定余裕だったということ。
こればかりは、にちかとの間で情報共有の言葉が足りなかったアッシュに落ち度があった。

『つまり…………俺は向こうのマスターについて、かなりのヒントを貰ってたのか?』

確かにこちらは信用したいし信用されたいと発言したが、だからと言って初めての接触でマスターの名前をほぼ明かすほどのオープンさまでは期待していなかった。
だいぶガードが緩すぎやしないか、W。
それとも、俺だけを贔屓する特別な理由があるのか?

『それって、いかにも信用できない顔で登場するけどめっちゃいい人だったとか、漫画で味方の新キャラが出た時によくあるヤツですか?』
『いや、ただ信頼されてるだけなら良かったけど、それにしては教え方が遠回しというか……もしかして、こっちを見極める布石だったのか? こうやってマスターと会話ができる信頼関係があれば、推理できる。だから次に会話した時に、俺が正体に当たりをつけてたら主従仲は良さそうだと加点して、ついてなかったら減点する、と』
『それ、意地悪なひっかけ問題を出してくる先生みたいですよ。数学のテストで、グラフの問題に見せかけて、実は図形の公式を当てはめれば解ける問題だったー、とか無駄に意地悪なことをする先生っていますもん』
『俺は高校ってものに通ったことはないけど、言いたいことは分かるよ』

――だから、そうじゃないと言っている。

覚えが悪い。察しが悪い。しかも対応が素直すぎる。
そうやって虚実(フェイント)に引っ掛かるところは何とかしろ、と。
アッシュにとって、口やかましく師に怒られた経験とは、教室で定期考査を説かれる時間ではなく、血まみれになって剣技を叩きこまれる時間だった。
……英霊にまでなっても、変わらずずっと現在進行形で知略(フェイント)には弄されっぱなしだと伝えたら、大いに嘆かれそうだなと内心で苦笑して。

『やっぱり『正義の味方』のやり口ではないんだろうな。神戸あさひの件についての対応からも、それは明らかだ』
『あー、対抗炎上みたいになってましたね。アレはフツーに助けてるんじゃないですか? 炎上を消してるんだから』
『たとえば、マスターだったらいきなり自分の噂を点けたり消したりされて、立ち回りを事故らないと言えるか?』
『たしかに、SNSでもいますよねー。状況に合ってないことを気付かずに呟いて、すぐ発言を削除するけど拡散されちゃう人』

じつのところ、初見での感想は不謹慎かつ悠長ながらも『電車でマスターに語った考察が外れてなさそうで良かった~』という冷や汗だった。
アシュレイ・ホライゾンは蜘蛛たちのような策謀家でも知略に秀でた英霊というわけでもない。
元軍人として、交渉人として、外交官として、必須スキルとなる戦術戦略や分析術、駆け引きでの立ち回りというものはおよそ頭に入れているけれど、あくまで『仕事がら身に着けた』というもので、それを真骨頂とするわけではない。
なので、電車の中で七草にちかにきっぱりと語った『283プロは火薬庫説』だとか『Wによる283プロ掌握説』だの『神戸あさひの炎上は蜘蛛の仕業であってWも対抗するだろう説』だのは、もしかしたら的外れかもしれないという不安と裏腹だったのだ。
だが神戸あさひを擁護する向きが流れ始めていることで、それらが間違ってない裏付けができたという安堵が先に来た。

(思えば俺、『駒になるつもりはない』だなんてずいぶんな大見得を切ったんじゃないか?)

少なくともアッシュには、蜘蛛のように人ひとりを社会的に破滅させる工作などできやしない。
そしてまたWのように、炎上に対する打ち消しを考案するような知恵が回るわけでもない。
神戸あさひに会ってみたいと言っても、探すアテひとつない有り様だった。
生前はそれらの足りないところを、めぐまれた人間関係――ひと声かければ動いてくれる協力者たちや社会人としての常道である根回し活動――によって賄っていたわけだが、現状で明確な同盟者はまだセイバーたち一組しかいないわけで。

(駒にはならなかったとして、じゃあ『差し手』の側に回ろうってガラではないよな……かといって光の英雄たちみたいに、盤面ごと状況を引っくり返すような『暴』の力は持ってない)

正確には、持っていないわけでないのだが絶対に使用させてはならなかったり、令呪三画で一回しか使えなかったりするシロモノだ。

『そういえばライダーさん、神戸あさひに会いたいって言ってましたけど、私達あの人が悪い人に嵌められたって知ってるだけで、べつにいい人だと決まったわけじゃないですよね?』

にちかが疑問点を、別のところに向けた。

『ああ。あくまで交渉目的は、脱出ではなく共通の敵の打倒にするつもりだったからな』
『……それって、サーヴァントがリンボみたいにヤバイのかもしれなかったり、共通の敵がいなくなったら戦いになるかもしれないってことですよね』

嫌だな、とにちかは感想をこぼした。
今さら遅い現状認識と言ってしまえばそうだが、それは聖杯を狙わない主従と立て続けに接触した上でリンボに会ってしまったが故の、当然の揺り戻し。
無理に強気を取りつくろって同調されるよりは、ずっと正直でありがたいし、サーヴァントの立場では見落としてしまいがちな当たり前の感覚だった。
そもそも、集団戦なんてものをやっていれば忘れがちだが『遠くない未来には殺し合うかもしれないけど今だけは仲良くしましょう』という関係がストレスにならない人間はそうそういない。
ライダーは先刻『もっと複雑な勢力図が存在するのかもしれない』と予想したが、そもそも『蹴落とし合いが確定的に決まっている同士で陣営を組む』という状態さえ、常人の精神でなかなか耐えきれることではないのだ。
いつ寝首をかかれるか分からないという不安はぬぐえないし、共に過ごすうちに殺し合いたくはないという情も沸くのだから。

『その見極めは話し合いの時に俺がやるよ。マスターは、相手の警戒を解くことに専心してくれたらいい』

それに、誤解を正しておく必要があることも分かった。
神戸あさひに限ったことではなく、こちら側からは『敵に回すつもり』はそうそうないこと。

『それに少なくとも、俺の方から裏切らないのは嘘じゃないよ。リンボの時にも言ったとおり、俺は【どんな陣営だとしても、俺が協力して丸く収まるなら手を伸ばす】』
『え? えぇ? あれって会話に乗ったふりをして時間を稼いでやったぜ、ってパターンじゃなかったんですか!?』

にちかはバラエティ番組で大きくリアクションを取るかのようなびっくり仰天顔をするしかなかった。

――俺たちの前に現れた理由と目的を教えてくれ。内容次第によっては協力できるかもしれない。

ライダーはWとの通話においても似たようなことを言ったし、あのリンボにもそう言った。
まず理由を教えろ。内容しだいで協力したいのは嘘じゃない、と。
直後に起こった戦闘の初手を見て、てっきり『そうか、相手のことをコピーの宝具で解析する時間を稼ぐために対話に持ち込んだんですね!』とバトル漫画の解説役のようにしたり顔をしたものだったが、事実としてそれは否だった。
アシュレイ・ホライゾンという男は本気で、目的さえ競合しなければリンボのような類に対して協力するのもやぶさかではないと思っている。

『いや、時間稼ぎだったのは本当だけど、説得の意思だって嘘じゃなかったよ。
聖杯を獲った結果として何を為すかにもよるけど、相手が聖杯を獲りたいとしても聖杯を帰還装置として動かす魔力リソースが足りている限りは競合しない』
『それは、そうかもしれませんけど……』

アッシュの語る脱出策が『聖杯の権能の書き換え』に留まる限り、少なくとも『聖杯を改造しているうちに優勝者の願いを叶えるための魔力まで使いきってしまいました、ごめんなさい!』などという事態が発生しない限り、聖杯の願いを叶える機能そのものを残してもいいことになる。
理屈の上ではそうだが、実際にそれを『貴方達が願いを叶える邪魔はしません』という保証として通せるかというと、魔術の知識など皆無であるにちかの視点でも怪しく思えた。

『脱出派の梨花ちゃんたちに聴かせても反応イマイチな話なんですよ? 聖杯の改造が上手くいくかも分からないのに、改造した後の聖杯は好きに使っていいよって言われても、もっとうさん臭いじゃないですか……』

まず、聖杯の改造工程さえ心当たりがない現状で、改造後の聖杯が本来の機能を残すかどうかに保証など出せない。
そもそも聖杯が願望器として働けるのは、脱落したサーヴァントの魔力を一定以上取り込んでからだと予想してしかるべきであり。
つまり、優勝者が出現する前の聖杯を改造してしまったところで、願望器としてきちんと起動するかどうかは未知である。
むしろ俺たちの聖杯に魔改造をするんじゃないと憤激される可能性の方が、よっぽど高くないだろうか。

『だが、切実な願いの成就を必要としている者に初めから『願いを諦めて手ぶらで帰ってくれ』と言うことはしない。
こちらの願いが破綻しないギリギリのところまで、願いをかなえるための余剰魔力の譲渡、あるいは帰還後を見据えた損失補償ができないかどうかを一緒に議論する』

聖杯の権能書き換えの際に余剰の魔力リソースが生じれば、それは必ず聖杯を諦められない者達が被る損失(ねがい)の補填に用いることを確約する……もちろん、願いによって為す所業にもよるけれど。
そもそも『奇跡にすがらなければ叶わない』という前提を抱えている者が多数予想される以上、『願いのスケールを妥協するなど認められるか、馬鹿にするな』と蹴り飛ばされることも承知の上で。
それでも、その一線だけは手放さない。
何故なら。

『こちらが何も与えるつもりはないけど従ってくれと言うなら、俺たちは最初から相手を否定することありきで対話を始めた事になってしまう』

俺が君に手を貸すことで、どうか丸く収まらないだろうかという確認。
それはアシュレイの生前からの本懐であり、絶対のルールだ。
相手が人でも人外でも、異形だろうと破綻者だろうと、敵意があろうとなかろうと。すでに危害を加えられた後だろうとも。
まずは一度、手を伸ばしてみること。
相手が誰であっても『俺にできることはありませんか』と問いかける事。
たとえ相手にとってどうしようもなく余計なお世話で、綺麗言で、手を伸ばすにはもう遅くて、可能性がゼロだとしても。
相手はその一工程さえ省くに足りるほどの奴なんだと決めるのは、あまりにも傲慢が過ぎるだろう。
その一言を欠かした時に生まれるのは、『どうせこいつは最初から否定する気でいるんだ』という諦念だけだ。

だから、こちらの努力と妥協で互いの得になるなら手を伸ばす、と断言する男の背筋は、のびていた。
そこにあったのは、西日を背負ったごく穏やかな笑顔だった。
灰色と金色の混色をなした髪色が、己と夕空の境界を曖昧にするように輝いている。
いつの間にか漫才でも交わすように打ち解けていた青年のことを、にちかは思わず仰ぎ見るように眼を細めてしまった。

(本当に、私と同じぐらいの歳なのかな……)

前々から実感していたことではあったけど、改めて思う。
ライダーの物言いは、まるで美琴が舞台上での演出について語る時だとか、あるいはプロデューサーが忙しい仕事を当然として受け入れている時のように、『自分のするべき仕事は当然こうだと思っている』時の大人のそれに近いように見えた。




(プロデューサーとライダーさんなら、きっと気が合いそう……)



……なんて。
思った。その時は、一瞬。



『あー!! 次に会うサーヴァントはさっきのみたいなのじゃないといいなー!!』

もう気分の悪さは収まりましたという照れ臭さを隠すため、念話であさってのことを言い放ち、立ち上がってぐっと伸びをする。

だがすぐにその足元はぐらつき、にちかはその場に膝をつくことになった。
地面が、巨大怪獣でも蠕動したかのように揺れたからだ。


◆◆◆

プロデューサーから指定された時間は8時だったが、6時頃には品川区の目的地最寄り駅に着いてしまう計算でにちか達は移動していた。
その2時間、ただ何もしないのはあまりに勿体ない。
故に、品川区の最寄り駅まで到着したら、まずは近場で七草にちかの夕食タイムを設けようとアッシュは考えていた。
その間にこちらはWとの連絡を再開し、当初の用事――今やずいぶん過去の事のようだが、ラブホテルでのあれこれ――に関しては済ませた旨を告げて、情報交換に移行。
283プロが危険な状態にあると察している事を伝え、そして283のプロデューサーと接触する予定であることについても根回しをはかり、互いの状況についてすり合わせを行い、プロデューサーに伝えるべきことがあれば引き受ける……という予定のはずだった。
だが、実際には移動中にリンボに襲われ、そのショックがマスターにとって大きかったこともあり、最寄り駅への到着が遅れた。
さらにそこに、予期せぬ『地震』が起こり、にちかから借り受けた携帯端末で状況を調べることにも時間を要していた。

もっとも、こういった思惑を口にしてしまうとマスターが『じゃあ私が吐いてたせいで時間がなくなったんですね』と自傷のこもった結論を出しかねない。
なので、『8時まではまだ時間があるし、夕食がてら状況を整理しよう』と言い換えてチェーン店のファミレスに突入したのが、今現在。

気分で言えば、臓物を浴びて吐いたばかりの身体に、食べ物を詰め込みたくはない。
だが、常識的に考えてそろそろ晩ご飯を意識する時間ではあるし、空腹そのものはやってきてしまう。
その上で、七草家のエンゲル係数はファミリーレストランで予定外の散財が許されるほど緩くはない。
それらの諸事情が合わさった結果、にちかが注文したのは価格として最安値であり、メニューの中でもっとも胃袋にやさしい野菜のリゾットだった。
アッシュが端末からの情報収集で手指を動かさざるを得ない都合上、ドリンクバーに甘んじているのを前にして、もそもそとゆるやかに食欲を回復させながらスプーンを運ぶ。

『梨花ちゃん、ちゃんとあの場から離れられたんでしょうか……』

ファミレス入店前後のSNSやニュースサイト巡りによって、≪地震≫の震源地が新宿方面――あのラブホテルがあった近辺――だということは分かった。
それが地震ではなく、『暴』の桁が違うサーヴァント同士の激突だとしか考えられないことも察せられた。

アップされた現場の遠距離撮影写真を見てアッシュがまず連想したのは、仮想世界で終わりが見えないほどの時間を観戦したダインスレイフとケラウノス(超越者同士)の殺し合いだ。
あの記憶においては余計な人民は廃されていた上で雑兵は蹴散らされた後だったがために被害は足場と建造物に留まっていたたが、あれを周囲への配慮もなく高層ビル群と一般市民を敷き詰めた東京の真ん中で演じれば、かような被害総数になるだろうか。
ともあれSNSにおける被害状況の詳細なデータや映像などは、にちかに見せてしまえばまた胃の中身を逆流させかねないほどに凄惨な有り様で。
そして遠からずSNS運営による通報からの削除待ったなしの地獄絵図まで混じっているために、まだ直接には端末の画面を見せておらず、事件の概略説明のみにとどめている。
とはいえ、その概略の説明――発生した事象と犠牲者について――でさえ少女を『信じられない』という胡乱な顔にさせるには充分であった。
現場写真などを視えないように手で隠しながらトップニュースの記事をいくつも読ませたことで、ようやく冗談ごとではないと理解に至った。
理解にいたっても、呆然とした顔から、言葉は出てこなかった。
シェル・ショック――間近で災害によって人が死ぬところや、あまりに凄惨すぎる事実が脳への情報として流れ込んできた場合において、『受け入れられない』という拒絶だけが先行し、意識だけが貝殻に引きこもったように反応が停止する戦闘ストレス反応のことをそう呼ぶ。
アッシュも傭兵時代に飽きるほど目撃、体感した。
その災害がまぎれもなく事実だと理解した時のにちかは、さながらそれに近いような反応停止をした。

アッシュが気付けをしっかりさせるためにいくつかの精神療法を行い……そして、スプーンを動かせるようになったところで。
こぼれた感想は、やっと同盟を組めた者達の安否についてだった。

『既に遠く離れた後だったか、セイバーの危機回避スキルに期待したいところではあるんだけどな……』

古手梨花のセイバーは強かった。手練であり、達人であり、抜け目なかった。アッシュは実感としてそれを知っている。
仮に新宿区にとどまっていたところで、二次被害の現場に放り込まれてもマスターを抱えて退避を遂げるだけの判断力と地力はある……と、そう当てにできるところはある。
だが、まさに災害を産んだ戦闘行為そのものに巻き込まれていた場合は……マスターごと新宿で暴れた者の『震源地』に巻き込まれてしまったならば、安否の心配どころではなく絶望しかない。

『向こうが固定の連絡先を持ってないのは痛いな。夜時間には連絡をくれると言っていたから、それを待つしか手立てがない』
『でも、向こうだって新宿区で別れたんだから、こっちが心配しそうな事ぐらい察してくれますよね? 無事なら、安心させるために早めに連絡くれたって……』

言葉が尻すぼみにとぎれ、にちかは水を一息に飲む。
のどが渇いていたのではなく、すべき事が見当たらないのをごまかすような挙動だった。
ぷは、と一息をついて、念話の言葉をあさっての方に向ける。

『でも、それにしたって! プロデューサーさん、ちょっと薄情過ぎませんかね!? こっちは時間を指定した上で呼ばれてるんですよ?
今頃にちかは電車に乗ってるのかなー、巻き込まれたりしてないかなーとか、メールぐらいくれたっていいんじゃないですか?』

さすがに口をついての言葉ではなく念話にとどめたけれど、表情はありありと憤慨し、頬を膨らませている。
遊具場にいた時のような自傷の罵倒ではない、『私はいま気を害していますよ』アピールをする構ってほしい女の子のそれだ。
こういうところがこの子は可愛いんだよなぁと、決して浮気心などではないぞと生前の伴侶たちに誓いを立てた上でしみじみ癒される。
かつてアッシュの周囲にいた女性陣は同い年か年上ばかりだったが、もし『妹分』がいれば、こういう時のにちかに向けるような感情を持ったかもしれない。
七草にちかのプロデューサーも、こういう所を眩しく思っていたんだろうなと一方的な共感を覚えた。
こんな風に『いまいち分からず屋の兄』を語るがごとくの言い方をされるプロデューサーに対して、よほど気を許されていたんだろうなぁという羨ましさもあった。

七草にちかが口を悪くするのは、己の貶めたいところを他者に見出してしまった時だ。
裏を返せば七草にちかは『自分に向ける罵倒を代わりに向けることさえおこがましい』という親愛なり尊敬なりを抱いている相手に対しては、遠慮のない口をきくことはあっても、その人自体を貶めるような真似はしない。
とくに相方だった緋田美琴のことを語るときの言葉は尊敬と愛慕に満ち溢れていて、そのたびに聴いているこちらまで微笑ましくなるものだった。
プロデューサーに対して向ける言葉も、憎まれ口だったり、照れ隠しで素っ気ない態度だったりすることはあっても、まるで親愛が欠けたところは見えない。
WINGの敗退を己の非才だと決めつけて自嘲することはあっても、その男のプロデュースを悪く言ったことは一度もなかった。

アッシュは七草にちかの為の、無敵の英霊(ヒーロー)になると誓った身だ。
だが彼女のこれからも続いていく人生に、ずっと寄り添える立場ではない。
そんな彼女のアイドルとしての導き手が、ここまで気安い口を叩かれる男だったことは望外の喜びだったし、まだ見ぬ男への敬意を持たずにはいられなかった。

WINGから墜落してしまった時に、彼女のプロデューサーはどれほど悔しく、彼女の痛みを感じ入ったことだろう。
そんな彼女が、殺し合い蹴落とし合いの舞台に招かれていると察した時は、どれほど衝撃を受けたことだろうか。
きっと今頃、七草にちかがマスターだという事実に気をはやらせ、早く無事を確認して話し合いをしたいと気が気でない想いを募らせているのだろう。
かつて大切な人を護れなかった弱い少年が、『今度こそ君のことを守り抜く』と誓ったように、今度こそ七草にちかが幸福になることを切に願っていると思う。
プロデューサー視点ではおそらく、『彼女を護り導くことを一度失敗した』という認識に陥っていてもおかしくないのだから。

それこそ、蝋の翼しか持っていなかった時の己のような切実さで。



――それ以外の全ての絆を、薪にして燃やしてでも――



……待て。

先刻、内面世界で同調した煌翼(ヘリオス)から、ひとしきり不甲斐ないぞと赫怒を受けて会話をしていたことで。
当時のふたりが、蝋翼として同調するたびに去来していた想いがはっきりと蘇る。

思考回路が、ぎしりと嫌な擦れ方をして、軋みをたてた。
それは、電車からずっと『今の283プロはどうなっているんだろう』と思いめぐらせていたときに、まとまりかけては霧散した想像だった。

七草にちかを今度こそは守りたいと願っているかもしれない、プロデューサー。
どういう伝手によるものかマスターだと察して、対面を望んできたこの状況。
そんな七草にちかに対して、決して戦意からではなく伝えたいことがあるという『283プロダクションの関係者である第三者』。
ここで『その可能性』を視野に入れてしまえば、現在の283プロダクションが、とても嫌な絵図であるようにぼんやりと見えた。

『ライダーさん、なんか急に固まってませんか?』
『ごめん、マスター……ちょっとの間、いや、思いついたことを整理するまでの間、考え事をさせてほしい』

アシュレイ・ホライゾンは探偵でもなければ策謀家でもない。
数々の手がかりから、『真相はこれだ』と組み立てるような神がかりの天分を持ち合わせていたならば、再会した幼馴染の少女たちの想いにすぐさま気付くこともできて、悲しませることもなかっただろう。
だが彼は長らく、策謀に踊らされる側にいた人間だった。
計画的英雄として担ぎ出されるべき駒として、策謀家たちから扱われていた。
その経験則が、『未だに己には全貌が見えていない』と告げていた。
加えて、彼には七草にちかと過ごした一か月間の記憶があった。
アイドルを目指してから、WINGの準決勝で敗れるに至るまでの経緯を聞いていた。
283プロダクションという事務所がどういうところなのか、先ほどピクニックの話を持ち出されたように、微に入り細というほどではなくとも知っていた。

だから、仮定する。
283プロダクションのマスターが、聞いていたとおりの人物だとして。
聖杯戦争の舞台に招かれて、いったい何を想っただろうかと。
にちかは、界聖杯に呼ばれる前にプロデューサーが失踪したなどとは聞かされていなかった。
つまり二人が界聖杯を訪れた順は、まったく同時だったか、あるいはWING敗退直後のにちかが謎の失踪をした後になってから、プロデューサーも消えたという順番だ。
だとすれば。

違和感ならすでに、幾つも落ちていた。
そこに至る導線は、皆無ではなかった。
プロデューサーとWの間に、連携が図られていないこと。
現状の283プロダクションが、火薬庫だということ。
プロデューサーの持つ、283という特異点への絶大な影響力。
283プロの少女たちは、輝きこそあれ『普通の女の子』だとということ。
Wはマスターのアイドル達の心身が傷つくことを徹底して避けたがるという、これまでの傾向。
神戸あさひへの炎上対策にともなう『Wは手段を選ばない傾向はあるが情は解する』とアッシュに伝わるようなやり口。

そしてそこに追加される、『Wのマスターは今日になって脱落が判明した白瀬咲耶のチームメイト、田中摩美々である』という新情報。
Wが、それらを直接ではなく、『それとなく状況が読めるように』『考えて初めて分かるように』『重要さを匂わせるように』伝えてきたという事実。
何より、プロデューサーにとって、七草にちかは『283プロの従来の方針や、己のこれまでの傾向を無視してまでプロデュースするほどの存在だった』という感触。



そこに、『プロデューサーは七草にちかをどう思っているのだろう』という決定的な一滴をぽつんと垂らせば、波紋とともに色合いが変わる。



『マスター、この東京に来てからの、君のお姉さんの働きぶりについて改めて確認したいんだが……』

その上で、七草にちかから、七草はづき経由で得た情報を確認する。
ここ一か月、本来の東京での七草はづきに輪をかけて忙しそうであったこと。
その理由は、どうにもプロデューサーが欠勤している事にあったらしいこと。
お姉ちゃん一人に任せるなんてひどいと憤慨すれば、在宅で仕事は割振ってくれているからちゃんとやれている、とのこと。

考えの真偽についてWにメールで問いただせば、正解を知ることは可能ではあった。
だが、考えている絵図面が真実であれば、『今、それをすることはできない』という確信が深まっていった。
何より、よりにもよってマスターである七草にちかをめぐる企みことに、踊らされるままということがあってはならない。
追いつけ。
追いすがれ。
視界に捉えろ。地平を超えろ。
ことの内側にいる者の視点に寄り添え。
お前、共感するのは苦手じゃないだろう。
がむしゃらに追いすがるのは慣れっこだろう。
ムラサメの直弟子であり、もっと以前から英雄に憧れていた無知の時代から。
何よりも、意思を強く持つたびに負けじと焼き尽くそうとする煌翼(ヘリオス)の相棒として、叡智の才が無いことを諦める理由にしてはならない。

『……やっぱり、最悪の可能性を前提に動いた方がいいな』
『最悪? いま最悪なことがあるって言いましたか、ライダーさん』
『マスター、いったん理由を聞かずに、俺の指示を聞いて欲しいんだ。それが終わったら、店を出ながら考えを説明するから』

アッシュが指示したのは、七草はづきへの電話だった。
七草はづきには、『今、新宿のテロ騒ぎで外が物騒だから、今夜はバイト先の友達の家にそのまま泊まる事にする』と、シンプルに外泊の連絡を。
はづきは283プロダクションの関係者や妹の学校の連絡先は押さえていても、妹のバイト仲間すべてを網羅しているわけではないので、この方が『友達の家に泊まる』よりも幾らかもっともらしい。

『それで、急に慌ただしくなっちゃってどうしたんですか?』

電話が終わるや会計を促されてファミレスを出たタイミングで、にちかが不安そうに尋ねる。
時刻はすでに午後7時を回っていたが、今から目的の住所を目指したところで、指定の時間よりかなり早く着いてしまう頃合いだった。
自動ドアをくぐるや、にちかの手を引いて目的地へと歩き出す。
「わっ」と驚きの声をあげて、少し恥ずかしそうに歩き出しながら、にちかはアッシュの説明を待っていた。
ライダーがちゃんと後で説明をくれると信じている、無垢な二つの眼が見上げていた。
覚悟をする。
この瞳を、これから濁らせるかもしれない覚悟だ。

『マスター、色々考えた末に、さっき思いついたんだが』

仮にこの仮説が外れていた時は幾らでも罵倒されて擦られ続けようという弱気も、ちょっとだけ背負って。



『283プロダクションのプロデューサーは、聖杯を求めて最後の一組になるつもりでいる』



無垢な少女の瞳が、けげんそうに眇められた。

「い、いやいやいや。いやいやいやいや。ありません。無いですって、それだけは!」
『その、マスター。念話で頼む……』

通行人の不審な目線などがないかそわそわしながら、アッシュは冗談ごとのような顔をしているマスターの手を引いた。

『ライダーさんはプロデューサーさんに会ったことないからそんなこと言えるんですよ。
私の知ってる大人の中で、あの人とお姉ちゃんが、いっちばん殺し合いとかやりそうにないですから!』
『プロデューサーさんができた人だったのは聞いている。でもマスター、そんなできた人が、NPCではなくマスターとして、体調に不自由なさそうにここにいたのに、一か月欠勤を続けてマスターのお姉さんたちだけを働かせていたなんておかしくないか?』
『……出勤すれば、周りに迷惑がかかると思ったんじゃないですか?』
『だが、白瀬咲耶が失踪した知らせは届いていたはずだ。失踪届が出れば、家族や同僚に聞き込みを行うのはこの国でも必然だからな。
昨日か、遅くとも今朝の段階で警察が訪れたことは想像できる。
ついさっきマスターにメールしたことから言っても、プロデューサーは白瀬咲耶の事件を受けた後でアイドルにマスターがいる可能性に気付き、マスターがそうであるらしいと察知したんだろう。
他にもアイドルが大勢いる中で、すでに事務所を辞めているマスターに真っ先に対面を望むというのは、すでに【皆に公平なプロデューサー】としての動きから逸脱していないか?
まず出勤してみるなり電話するなりして、事務所そのものに探りを入れるのが筋だろう。
仮にプロデューサーがそう動いた上で七草にちかに会いたがる理由があったんだとしても、そうなるといよいよWと連携していないことが怪しくなる』

そしてアッシュは、数々の違和感を線でつないだ結果を語る。
プロデューサーとWが対立陣営、そこまでではなくとも仮想敵陣営として緊張状態にあるのだとすれば、Wとプロデューサーの不連携には説明がつくということ。
何よりも、『プロデューサーが聖杯を狙っている』という大前提があれば、電車でも語った283プロの余裕の無い印象に、これ以上ないほどの説得力が伴うこと。

『プロデューサーは、アイドルの女の子達全員から慕われていたんだろう?
田中摩美々からしてみれば身内といってもいい関係にいた白瀬咲耶を失ったばかりだ。
信頼していたプロデューサーが、白瀬咲耶を失わせた聖杯戦争を肯定しているようにも見える状況が、精神状態を悪化させないはずがない。
他のアイドル達視点でも、最悪はプロデューサーと戦うことになるのかと爆弾になるだろうしな。
Wがマスターの心身のケアに気を遣っているのは電車で説明したとおりだし、このままでは帰還した先でもアイドル達の居場所は無い、なんてことにもなりかねない』

また、それは『悪の敵』に対して『元祖“悪の敵”のような超越者ではなく、逆襲者たちのような破滅型の精神性に近い』と察する理由でもある。
超越者たちは、総じて孤独など何でもないと自己完結することができた。よって愛情や感傷に由来する心の痛みへの共感を欠いていたが、Wはそうではない。
大切な人の安否は心の生死につながり、それは時として命の生死に匹敵すると思っていなければ、こうはいかない。
であれば、手を伸ばされたのかはともかく、存在はしたのだろう。
蝋翼(イカロス)にとっての死想冥月(ペルセフォネ)のような、対極で向かい合う位置に座する運命が。

『その、ジョウキョウショーコ、がそうなのは分かりましたけど、やっぱり納得できないですよ。
そもそも私、あの人がマスターだって時点で場違いだと思ったぐらいですもん。
それにプロデューサーさんがそんなことを考えてるなら、それこそWさんだって私に会ってる場合じゃないでしょ。
真っ先に事務所の人達をけしかけて、プロデューサーさんを説得するのが先じゃないですか』
『ああ、だから、ことは他のアイドルでは解決できずに、七草にちかというアイドルこそが最も鍵を握っている状況なんだ』
『あの、そういう言い方、さっきから意味深でわからないんですけど……』

ファミレスのある駅近辺から、景色が住宅街のそれに変わり始めたことを確認して、深呼吸。

これから口にする言葉は、これまでの聖杯戦争で発してきた、どの言葉よりも重い。
正直なところを言えば、今でも伝えてはいけないのではないかと迷いさえある。
だが、伝えたい。

七草にちかとプロデューサー。
このまま、知らないまま対峙すれば、必ず『信じられない』という言葉が飛び出してしまうことが、予想できるその真実を。



『おそらく、プロデューサーが聖杯を欲している理由は君なんだ、七草にちか』
『…………は?』



たった一音の呟きに、ありありと『それこそ何を言っているんだ』という不審を込めて、にちかはアッシュを仰ぎ見た。

『これなら、Wの同盟者が会いたいと望んでいる要件にも心当たりができる。
おそらく、プロデューサーが283のマスターと道を分かった原因が七草にちかにあると察したマスターがいるんだ』
『いやいや、いやいやいや。もっと、もっと分からなくなってますよ、ライダーさん!』
『知っている範囲で色々と考えたけど、君のプロデューサーが聖杯に託したい願いとして、俺にはそれ以外を思いつかなかった。
もしかしたら、WING終了後に界聖杯へと失踪した七草にちかと再会することも、願っての上だったのかもしれない』
『な、なに言ってるんですかライダーさん……私がWINGで負けたからって、あの人が殺し合いをするはずないじゃないですか』

WINGで敗退するというのは、べつだん不名誉なことでも、プロデュースした側の能力が疑われるようなことでもない。
たしかに七草にちかにとっては、敗退すればそこでアイドルを諦めるという一生に関わるイベントではあった。
しかしプロデューサーにとっては、敗退させてしまったところでプロデュース人生に傷がつくような出来事ではない。
その後の人生でも、他のアイドル達が輝くための舞台を用意し続けるだけのこと。
だから自分一人のために命を懸けて聖杯を獲るなんて有り得ないと、にちかは主張する。

『マスター、俺は君に、幸せになって欲しいと思っている。君なら、夢をかなえることで、それができると思っている』
『え…………なんで今、そんなこと言うんですか』

七草にちかは、『ありのままの自分』に価値を見いだせない。
オーディションに合格すれば『なみちゃんのパフォーマンスのおかげでラッキーを拾えた』と解釈する。
SHHisというユニットを現場の人間から褒められることがあっても『美琴さんがいるおかげだ』と受け止める。

だから、『俺は君を愛しているので、君の幸せを望みます』なんて言葉を向けられることがあるなんて、人生において想像すらできなかった。
いつか自分の家族を作るという大目標があったにも関わらず、家族になろうとする人間が現れるとは思い描けなかった。
しかし、『ライダーがマスターの夢の為に戦う』という言葉は、何度も貰っていた。
事実として、この男がにちかの為に命を懸けて戦うところを何度も見てきた。
故に、アシュレイ・ホライゾンというサーヴァントは七草にちかに親愛を持ってくれていることまでなら、どうにか理解できてしまう。

『だから、きっと君のプロデューサーも同じことを思っていたんだ。俺より長く、君を見てきたんだから』
『それは……仕事だからじゃないですか?』

愛の告白であるかのような熱い言葉の数々に耐えきれないとばかりに、にちかは目線を落としながら歩く。
ふたりの関係は、プロデューサーとアイドルだ。それ以上のものはない。
283プロで研修を受けたアイドルだからマネジメントをした。
それ以上の感情があったようには受け取れない。

『上手なマネジメントができていたというなら、それは彼の能力が高かったってことなんだと思う。
だけど、『付き添う』ってことは、それだけじゃ務まらないんだ。
自分の時間を削ってまで見守ろうとするのは指導の上手い下手じゃなくて、相手を大事に想ってる前提がないとできないなんだよ』

いつか、どこかの本で、読んだ覚えがあった。
型を覚えているかどうかは視覚的に判断できるが、基礎体力がついているかどうかは印象だけでは測れない。
力を養う基礎トレーニングに付き合えるかどうかは究極のところ根気であり、根気のために必要なのは究極のところ『愛』なのだと。

『それは、他のアイドルの人だって同じじゃないですか……むしろ、私が一番できない子だったのに、困らせてばっかりだったのに』
『俺だって、予選の間に色んなアイドルの映像を見せてもらった。俺はそれでもマスターが一番だと思ったよ?』
『だから、そういうほめ過ぎは要らないです……』

こうやって伝えようとしている事は、あるいは余計なお節介なのかもしれない。
何より、恋愛感情であれ、それ以外の感情であれ、『あの人はお前のことが好きなんだよ』という内心を当人のいないところで暴露する事は、タブー以外の何物でもない。
デリカシーもクソもないのは承知の上で、それでも七草にちかに『そんなものは無い』と言ってほしくない。

『俺の師匠(せんせい)もそうだった。三人いた弟子の中で俺が一番凡庸で、上手くできなかったのに。俺に技を継がせたいと言ったんだ』
『それ……ライダーさんが尊敬してた人じゃないですか』

なぜなら、アッシュの導き手(師匠)は才能ではなく愛情によって、優秀な玉石の教え子たちを差し置いて、石ころのアッシュを選んだのだから。
あなたの全てを継いでみたいという、非才な弟子の幼稚な願いを叶えるためだけに余生のすべてを使ってくれたのだから。
その気になれば世の趨勢にいくらでも関われる立場にいたのに。
アッシュよりも戦いの才能を持った教え子だっていたのに。
師匠は教えたことの十分の一も習得できない最も不出来な弟子を育てる為だけに、全てを捨てた。

――俺で、いいんですか? こんな覚えの悪い弟子なんかで。
――ああ、お前がいい。誰よりも強く優しいお前だからこそ、俺はここにいるんだよ。

師匠は、他のどんな煌く才能の持ち主よりもアッシュを導きたいと選んだ。
それは、真っ当な人間がみればバカだと断じる決断で。
何より、芸術品の域にまで高められた絶対無敵の剣を、そんな相手に託すことはないと誰もが嘆くような選出基準で。

『俺は、マスターがいいと思った。周りがどんなに他のアイドルの方がWING優勝にふさわしいと言っても、マスターの懸命さに輝きを見た。
今なら師匠の選択も理屈じゃないって分かる。他に反論はあるか?』
『それは、――だからって、プロデューサーさんもそうだなんて、言えないじゃないですか……』
『マスターはプロデューサーを軟禁までして無理やりに志願したんだろう? それでも何か月もプロデュースを続けるなんて、情がなければできないと思わないか?』
『ちょ……黒歴史を掘り返さないでください!』

それでもアッシュは、『世界よりもお前のことが大切だ』と宣言されて、それを無碍にすることができなかった。
そこまで師匠から愛されて、誇りにされて、拒める弟子がどこにいるのか。
そんな想いには、どんな正論も差しはさめないことを、アッシュは誰よりも知っている。
だから、プロデューサーが七草にちかの為に他の全てを捨てたという仮説を、有りえると断じるし、理解できると頷けた。

『こういうのは、貴賤じゃないんだよマスター。正解が一つしかないことでもない。
マスターよりもっとうまく踊れる女の子がいても、もっと歌の才能がある女の子がいても。
そんな人達を差し置いて誰かに一番に好きになってもらえることが、世の中にはあるんだ』

そして、察してしまったからには明かすことを止められなかった。
七草にちかにとって、晴天の霹靂で、劇薬かもしれないことを理解していて。
『お前のせいで人を殺すかもしれない』と伝えることの残酷さも、理解した上で。
必ずしも、にちかの為にならない方に転ぶかもしれないことを承知の上で。
あるいは、守護者(サーヴァント)として失格かもしれないと、怯えながら。

『そうでなくとも、プロデューサーは聖杯戦争で真っ先に話したい相手に、七草にちかを選んだんだ。
その時点で、マスターは間違いなく特別に思われているよ。
俺の考えたことが全部ばかばかしい杞憂だったとしても、そこだけはきっと間違いじゃない』

それでも、あまりに理不尽ではないかという熱に浮かされた。
それほどの想いを向けられていることが伝わらないまま終わるなんて、悲しいと心から思った。
七草にちかにも、『そんなこと言われても重すぎる』と拒絶する権利があることは分かっている。
だが、相手に伝わらない一方通行であるより、伝わることにだけは意味があると思いたかった。

――だからどうか、俺にあなたの剣を受け継がせてはもらえないでしょうか
――あの時は、きっとプロデューサーさんから、平凡な女の子だと思われたと思うんですよ……

仮にプロデューサーの彼女を見る眼が、育て子を慈しむような愛情に近いものだったとすれば。
何も知らない未熟者が、『どうか私をあなたの門下にしてください』と夢ひとつを頼りにして殴り込んだことで。
結果的に、どれほど人の心を動かしたのか。
それを彼女は、知らずに生きていくべきではないという想いに負けてしまった。

にちかは、顔をあげなかった。
地面を見たまま、アッシュの言葉にどう思ったのか分からないまま、歩いていた。
しばらく、そんな道行が続いた。

『…………それで、どうして待ち合わせの時間より、急がなきゃいけないんですか』

口を開いたことででてきたのは、感想ではなく、事務的な確認。
表情はうかがえないが、声音は結論を保留するかのように淡々としていた。

『これが、馬鹿な俺の妄想だったらいい。
もちろん『プロデューサーから大事に想われてる』ことは一切の妄想だとは思わないけど。
でも、本当にプロデューサーが脱出を放棄して戦い続けるつもりでいるのかどうか、その真偽を確かめたい
要するに、『不意打ちぎみに約束より早めに到着』をして、どのぐらい動揺するのか反応を見たいってことだよ。
まるっきり検討違いだったら『早く着すぎてごめんなさい』って謝るさ』

まず話をしてみたいという相手側の申し出を過剰に拒絶しにかかることはしないが、最低限の警戒だけは携えて挑みたかった。
アッシュの推測どおり七草にちかの為に戦っているのだとしたら、自宅に招いたと見せかけて襲い掛かってくるようなことは無いだろう。
それでも聖杯戦争が終わるまで戦いから逃れるような頼み事を強要されたりと、荒事に発展する可能性は否定しきれな――



「――あの、283プロダクションの七草にちかと、Hさんですか?」



教えてもらった住所の地番まであと何番も無い、というところで。
声をかけられ、警戒とともに主従そろって振り返る。
そこにいたのは、刈り込まれたいがぐり頭に、左ほおに三本傷のある大柄な男だった。
いかつくて目つきが悪いわりにはどこかのっそりとした風体で、熊というよりも『白熊』のイメージを抱かせた。


◆◆◆


「遅かったか……」

鍵の開いていた窓ガラスからアパートの一室に侵入し、アシュレイ・ホライゾンは歯ぎしりをした。

その自宅が、既にもぬけの殻になっている事に対してであった。

これがアヤ・キリガクレであれば数々の諜報技術を活用してプロデューサーの直近の動向の手がかりでも拾うことができたかもしれない。
あいにくと諜報員でも探偵でもないアッシュにできる最大のことは、マスターから借りたスマートフォンで室内の写真を一通り撮影して手がかりとして持ち帰るぐらいのことだった。
だが、そのために室内を色々と見て回ったことで、目についたこともあった。
ごみの日に出荷される予定だった袋の中の食料品が、すべてインスタントやレトルト、24時間営業店販売の作り置き品やツマミに偏っていることは目撃した。
……ここ数日間の、男の生活が荒れていたことを察した。あるいは、白瀬咲耶よりも以前に参加者の死亡を目撃した……他の主従を既に落としていたのではないかと想像した。
また、衣装棚らしき収納スペースを改めたところ、そこに何かが架かっていたようなポイントに衣装一着分の空白があることも分かった。
……彼の男が、この場を出立する際に、仕事着――勝負服に身を包む覚悟を持っていたことを察した。

これらのことをどう整理して、どう伝えたものか。
この近辺の路地よりはやや駅近く――いざとなれば人の注目を呼べるポイントに待機させしてきた七草にちかと、無いよりはまし程度のお目付け役を依頼した白熊似の男に、どんな顔をさせてしまうかを想像して、暗澹たる心持ちになる。
少なくとも、彼が心配していた『ドブ』という男の生死については絶望的と言えるだろう。

『白熊』の言によれば、彼らはもともとWから指示を受けて、対象Pと呼ばれる男の自宅近辺を交代で見張る仕事を引き受けていた。
そしてドブと呼ばれる同業の男と見張りを交代するため、何よりも情報共有を兼ねて連絡を取り合っていたのだが、突如として仲間からの交信が途絶えたのだという。
Wにその旨を報告したり、問われたことに答えたりといった仕事を一通りした後、いてもたってもいられずにドブのロストポイントに向かっていたところを、七草にちか達に遭遇。
本来、見張りの交信が途絶えた場所に単独で捜索に出るなどどう考えてもリスクの高い行動であり、Wからもそこまでやれと指示はされていない動きだった。
それでも白熊が動かしたのは『ヤノさ………げふん、俺の大切な人と、浅からぬ関係の人だったので』ということらしい。
そこに至っても白熊の態度に『何てことに巻き込んでくれたんだ』というWへの恨み節がないのは意外だったので、それも追及してみた。
すると、『今までお世話になったのは事実なので』とふんわり事情を話してくれた。
始まりは不法行為を見とがめられたところからだったが、行動を共にするうちに、この都市において本当に関わってはいけない集団『半グレを通り越した極道』を避けて活動する手法を教示してもらい、彼の『大切な人』ともども助けられていたという経緯があるらしい。
また、白熊がにちか達を呼び止めた理由は単純だった。
もし対象Pの自宅に七草にちかと若い男の二人組が出入りするようであれば、『訪問することは制止せずに報告だけ入れるように』『自宅から出てきた時は近辺で呼び止め、Wからの使いを名乗り、できる限りは便宜を図るように』という二つの指示を夕方前に受け取っていたと語る。

(Wの方も、『今のプロデューサーは協力的ではないから訪問を呼び止めて連絡を寄越させろ』といった類の指示はださなかったんだな)

本来であれば、まっさきに伝えるべきはずの情報伝達を、Wは『やらない方がいい』と指示した。
その理由は、アッシュであればこそ分かる。
ファミリーレストランでの推測において、アッシュ自身が『Wに確認する』という過程を敢えて避けた。それと同じ理由だ。
アッシュがそう対応することは、電話での答えによって示されていた。

『お前の企てに俺達が協力すれば、全ては丸く収まるのだろうか』

いつだってアッシュは他人に対してその答え一つしか返さない、という電話での受け答えを、Wはそこに一切の嘘はないと信用した。
そして、『こちらはあなたを信用したいと思っている』という言葉もまた偽りのないものだろうと。

もし先にWに真偽を確認して、『プロデューサーは聖杯の為に283プロと袂を分かったのだ』とでも伝達を受ければ。
プロデューサーの立場を推測し、悩むための時間は少しばかり省略できたかもしれない。
しかし、そこに生まれるのは『プロデューサーを敵に回したくないから止める』だったり『馴染みの場所であり七草はづきもいる283プロが損害を受けたくないから対話する』だったりといった利害計算を意識しないではいられない、一方的な説得だ。
その時点で、『善意によって七草にちかに会いたいという願いを叶える』だとか『もし貴方が胸の内を打ち明けたいと思っているなら、こちらは誰にも言わずに受け止めよう』という相談窓口にはならなくなってしまう。
プロデューサーに心を開いてもらうための誠実さを、初手で放棄することになる。
また、プロデューサーの側も『既に283プロダクションの非戦派たちと繋がっている』ことを察知した場合、にちか達に対する警戒度が跳ねあがっていた可能性は高い。
『事情は283所属側のサーヴァントから聞いている』という気配を見せただけで、サーヴァントに令呪を使用しての強制離脱をされる恐れもある。

故に、『もしもP個人から七草にちか主従のみに話をしたいと動いた場合だけは、余計な事情を挟まない方がいい』と判断した。
Hは事情を知らなくとも明らかな失言はしないし、マスターにもさせないだけの話術はある、と。
その上で、『Hとにちか達がその可能性があるところまでは自力で気付いて、内部留保したまま会いに行く』ならばまだ筋が通ると踏んで、幾つかアシュレイが疑問を抱くような点だけは残した。

自身のマスターを『悪い子』だと指定した。
――Wのマスターのプロファイリングを行いやすくすると同時に、その特定作業によってアッシュたちの目を283プロダクションの陣容そのものに向けさせた。

七草にちかに会いたいという要望を、とても意味深に、断片だけ語り残した。
――こちらはあの言葉で『七草にちかに会いたい存在とは誰だ』と潜在的に疑い続けることになったし、プロデューサーから『会いたい』と連絡が来た時に『今の事務所はどうなっているんだ』と考えを巡らせるきっかけになった。

神戸あさひの炎上抑止を『白瀬咲耶の炎上の裏側を知る』アッシュならばWの仕業だと察せられる形で世間にも目が見えるように行った。
――炎上への対応は、別の必要性に迫られて行ったことで疑いない。しかし、『Wはこういう人物で/今現在は手が足りないし火種も多い』というアッシュたち限定での自己紹介は果たした。

アッシュたちは常に、『今の盤上は危ないのではないか』とざわめきだけは察知できる舞台下に置かれていた。
協力関係を要請されながらも、盤上の火種におじけづいたならば、見切りをつける権利だけはいつでも留保された状態で。
それがたった一件のメールで、プロデューサーの思惑に追いつかされる羽目になった――そして、はっきりと間に合わなかった。
どちらにとっても不測の消失、一手の誤りが起こった。

「やられた…………」

長居を警戒して路地へと来た道を辿りつつ、歯を食いしばって軋ませる。
これが致命的な行き違いだということが理解できないほど、アッシュも鈍感ではない。

プロデューサーは単独で旅だったのではなく、連行された。これは間違いない。
それも、対等な同盟関係を結んでの旅立ちではない。実態としては誘拐に近いものだろう。

まず、主従単独による出立であれば、七草にちか達に書置きの一つも残さない理由はないし、自宅周辺にあった新しい戦闘痕に説明がつかない。
プロデューサーがその場で殺害され遺体を持ち去られたのであれば、まだ暖かいアイロンがしっかりと片付けられ、家主が自ら身ぎれいにして出発した痕跡と矛盾する。

だが、友好的な関係を築き上げた陣営と同盟したのであれば、『七草にちかと会話をしてから自宅を出る』という選択肢を取らなかった理由がない。
有無を言わせない相手でもないかぎり『七草にちかの現状を確かめて引き出せるだけ情報を引き出した上で離脱する』という選択肢を取ることは可能であり、その方が今後より動きやすくなったことは間違いない。
つまりプロデューサーを連れ出したのは、『七草にちかの現状確認をする猶予さえ与えてくれないほどの相手』か、もしくは『七草にちかと接触したことを知られたくない相手』だ。
さらに283プロが火薬庫になり、他の主従から注目されているタイミングを合わせて考えると。
プロデューサーを連れて行ったのは『283プロの敵』の元である可能性が高い。

かといって、無理やりに連行されたのとも違う。
白熊がPの自宅近辺に接近する道中で、『嘘通報に騙されたところを帰還する警官隊』の情報を仕入れていた。
誘拐する側がわざわざ通報をしたりしない以上、誘拐される側が自衛のための布石を打っていたと考えるべきだ。

なら、プロデューサーの意思はどこにあるのか。
アッシュは、己が七草にちかの為に、サーヴァントではなくただのマスターであればどうしただろうかと考える。
今度こそ守り抜くためなら、蝋翼ではばたくことを躊躇しなかったアシュレイであれば、どのように思考したか、置き換える。
いや、『当時のアシュレイがプロデューサーをしていたら』という例えの時点でおかしいのだが、判断基準がアッシュと同じであればどう動いたかを予測する。

客観的に経緯を見れば、プロダクションに対するとんでもない翻意だと受け取られかねない行動だ。
しかし、『聖杯を獲る』という一点に目的を絞れば、それはもっとも実現可能性が高い。

283プロダクションの関係者が『いい人』ばかりである時点で、アイドルのマスター達が積極的な聖杯狙いを良しとしない集団であることは読める。
このまま283プロから居所を知られている住所に留まり、七草にちかとの対話を円滑に進めたところで、にちかもやがて283に潜んだ勢力から勧誘され、『プロデューサーを止める為に力を貸してください』とPを抑止する側に回るのは避けられない。
その後に待っているのは、プロデューサーが聖杯を狙って動くことを阻止するためのより強固になった監視とけん制、それらに加えて、彼を想う少女たちからの『どうかもう止めてください』という涙ながらの説得の嵐だ。
とても聖杯に向かって動き出せるような立場ではなくなる。

その点、連行されても監視下には置かれるだろうが、少なくとも聖杯を獲るために自陣以外を排除するという大目的は一致している。
283プロに対して取りえる戦略を意見する、サーヴァントを戦力として貸与するなど、必要であれば功績をあげて、発言力を確かにする余地もわずかにある。
何より、プロデューサーは聖杯を獲るだけでなく、終盤まで少なくとも七草にちかには生き残っていてもらう必要がある。
獅子身中の虫となり、生還させたい少女だけは生き残るよう采配するという博打の駆け引きでもやらなければ、一般人のマスターが聖杯戦争において『特定のマスターを生き残らせたままで聖杯を獲る』という勝ちの眼など狙えないと、逆転の発想にも迫られてしまう。

自分なら、やるだろう。
だがそれは、あくまでも机上の実現可能性の話だ。
実際に挑もうとすることは、いつ奈落に転落してもおかしくない修羅道に尽きる。
誘拐犯たちの情報をアッシュは寡聞にして得ていないが、『人質』である限り、言動をひとつ誤まっただけで容赦はされない。
この部屋の主であった男は、死ぬ気だ。
否、死ぬ気という言葉さえ実際には生ぬるいのだろう。
一手でも誤まれば、一瞬でも気を緩めれば全てを失う博打の中に、これからの全てを投じるつもりでいる。

283プロダクションの陣営は、アイドルの心を左右するアキレス腱を抑えられた。
渦中にいるプロデューサーも、いつ命を落としてもおかしくない。

そして、さらに悪い情報だが、アシュレイ・ホライゾンが駆け付けたところで事態にさほど光明は射さない。
ただでさえ火薬庫であった283プロダクション勢力に、『煌翼(ヘリオス)が苛つき始めている」という厄ネタを一つ投下することになる。
煌翼(ヘリオス)のことは今や大切な相棒だし、そもそも煌翼がいなければ己はとうに死んでいる。
いつでも二人で生きて、二人で世界を見聞きして、二人で解決する関係だ。
だがヘリオスの現界を許すことは、ヘリオスが人々を許せなくなることを意味する。
己を止められなかった『できない』人間に対する赫怒で、世界は救済さ(焼か)れる。紛れもなく災厄になる。
一度ヘリオスの存在を感知させたリンボについては焼き尽くしたが、ヘリオスの感触では本体ではなく写し身を焼いたような印象だったとのこと。
そしてリンボは、地獄の顕現を望んでいる。良からぬことが起こる予感しかない。
……この上で、リンボ以外に、『魂や内面世界をより直接に操作することが可能な英霊』などが、この土地に存在したら悪夢だ。

とてつもなく荷が重い。
荷が重いついでにと、様子伺いも兼ねて、意見を聞くことにした。
サーヴァントになってまで己を悩ませる、先の戦闘でも叱咤されたばかりの魔人に対して。

――とまぁ、マスターのプロデューサーはこういう奴だと思うんだが。お前はどう思う?――
――俺の答えは、以前に死想冥月(ペルセフォネ)に相対した時と同じだ。
  それは罪償いと、愛する者の守護とを混同している。
  男がいなければ女は立てないという前提ありきで杯を求めるなら、依存しているのは男の方だ。違うか?――

いつも通りの極端な正論をありがとう。
もしそれをもって答えとした場合、俺はプロデューサーに『スイマセンスイマセンこいつはこういう奴なんです』と平身低頭するしかないんだが。

――だが、これは俺の答えだ。俺と交わらないお前の答えはまた別だろう――

うん、おかげで参考にはなった。やはり相談とはすばらしい。

――ナギサの時を思い出したのは俺も同じだよ。
  お前も同じ姿を重ねたというなら、俺がたまたまセンチメンタルになったわけじゃないってことだ――

それにしても、この土地に来てから彼女(ナギサ)を引き合いに出す連中は、どうして男ばかりなんだ。
283プロに関係する男性は、みんな愛重族(アマツ)しかいないのか。
閑話休題。

身を滅ぼしても救いたい。
今度こそ、君を守り抜きたい。
そこに至った気持ちなら、狂おしいほどに共感できる。
むしろ、まったく共感も理解できないというなら、そっちの方がどうかしてる。
アイドルのサーヴァントたちは、ここ一か月ずっと多感な『普通の女の子』を見守り続けてきたのだ。
生前からして強敵だったけど、本当に『女の子』は難しい。
自己紹介で真名のリスクを説いただけでバッドコミュニケーションを踏んだような顔になるし、己の実力を謙遜をすれば嫌味に聞こえると叫ばれる。
些細な失言さえも見逃されないという緊張感に、危うくこちらが絆されそうな反則手の数々。
本当に、どんな交渉相手にも負けず劣らず疲労した。
一か月をともに過ごしただけで、これほど眼が離せなかったのだ。
WINGとやらに至るまでの数か月以上をともに過ごしたプロデューサーの心配と思い入れは、幾らでも大きく重く積み重なったに違いない。

大切な彼女が辛い時、苦しい時、悲しい時。
どこからともなく現れて、涙を止められる無敵のヒーロー。
そうなりたいと我武者羅に彷徨ったからこそ、運命は蝋翼を選んだのだから。

――だから、七草にちかだけのヒーローとして、彼女のためなら墜ちるというなら、蝋翼(オレ)はその覚悟を否定しない――

彼だけの勝算と、痛ましいまでの決意を胸に飛ぶというなら、アッシュはそれに輝きを見よう。
たとえアッシュが見捨てられないアイドルの少女たちがそれで傷つくとしても、彼はまぎれもなく優しい男だ。
あれだけの女の子たちの心をつかんでいたこと、七草にちかを育てたこと、心から尊敬する、本当に。



――だが、『まだだ』な――
――ああ、『まだだ』よ――



「反論は、させてもらうぞ」



どんな時でも自己犠牲は良くないなどと、一般論に走るつもりはない。
愛する者のために覚悟の上で堕ちることを他ならぬアシュレイ・ホライゾンが否定するつもりは毛頭ない。
責任の取り方や贖罪の果たし方は人の数だけ存在し、それらを一朝一夕に評価できるほど己は傲慢でも明晰でないとも理解している。

とりたてて凄いことのない一万年の交渉歴でも、数多くの『身を削って飛んだ』存在を見てきた。
そういう連中の相手をするのは、生きていればよくあることだ。
一万年の大半を占める、どうあっても決意を変えようとしなかった頑固な救世主がいた。
たった一つでも答えが気に入らなければ即刻に殺してやるという狂人たちもいた。楽しく話せた。
どうしようもなく戦場に来て、本音では救いを求めるただの兵士もたくさん見てきた。助けられなかった。
むしろ死んでないとおかしいだろいい加減にしろという、勝利の為にいろいろ捨てた亡者たちもまれによくいた。
本当は死ぬほどがんばれるような人間ではないのに、大切な人の為にがんばり過ぎて星になってしまった男もいた。
自分のやったことの責任を取るためにも、愛する者の幸いのためにもと、無理やりにも強い自分であろうとする者については、もう一生分ほど見てきた。

それを、よりにもよって七草にちかをプロデュースしていた男が、にちかの意向と関係ないところでやっているともなれば、言いたいことは、いささかある。
アシュレイ・ホライゾンは、伝えるべき想いと言葉を叩きこむための英霊だ。
そして守るべき少女に対して、まさに伝えているところだった。

どうか、自分が不幸になる方に進もうとしないでくれないかと。
自分は自分でしかないのだから、無理して変わる必要などなく、ありのままでいて欲しいと。

――教えてる真っ最中なのに、アンタがそうじゃない方に行ってどうする――

どいつも、こいつも、どっちの陣営でも。
俺が守る。君のことを守る。
いざとなったら自分だけで全てを終わらせるという強がりは、いい加減にそろそろ止めにしないか。
俺たちは結局のところ、只人で、人間≪サーヴァント≫だろう。
誰かを愛しているなら、それは自分一人で完結できない半端者の証拠だ。
半端者同士でどちらかを一方的に守ろうとして、その結果の幸いなんてたかが知れているんだよ。
一方的に守られて未来を押し付けられた人間がどんな気持ちになるかを、お前らは考えたことがあるのか。
誰かが一方的に犠牲になった結末を、守られた側がああ良かったと諸手を挙げて喜ぶと本気で思っているのか。

繰り返すが。
あれだけ自己嫌悪を他人への攻撃にすり替える七草にちかが、プロデューサーのことは一度も悪く言わなかったんだぞ。
それは、つまり。
『アイドルとしてまた飛ぶための七草にちか』には、プロデューサーが必要だってことじゃないか。
アイドルとプロデューサーだろうがヒーローとヒロインだろうがマスターとサーヴァントだろうが。
人と人との間に、一方通行の関係なんて成り立たないんだよ。

そういう連中の、こういった状況から生まれる論理的帰結。
それはこのままだと、そして今もどこかで、≪誰か(たいせつなひと)≫が涙するということ。


――誰かの笑顔を、よろしく頼む。



一度だけ対面した、本家本元の『悪の敵(カウンター)』から、任された。
お前に、世の中の大きな枠組みを変えるようなことは似合わない。
お前は衆生すべてを救うのではなく、ひとつひとつの小さな声に応えるのだと。
そういう風に、お前には世界のこと託したいのだと。
であれば、涙を止めるために飛び続けよう。
無理やり造った蝋の翼が墜ちるところを見せつけられて、己がマスターを傷つけさせないためにも。
墜落しない飛び方を教えてやると大見得を切った者として、これを看過する是非もなし。

マスターから借り受けた携帯端末に記録されている、教わったばかりのメールアドレスの持ち主に再返信。
七草にちかがどうしたいのかの意向は確認せねばならないが、少なくとも『事情を聴かない』という選択肢はない。
どうせ白熊は今頃、『Hに会った』という報告でも送っていることだろう。
であれば、自分が行うのは状況説明よりもまず、質問の続きだ。

――少なくとも、駒で終わるつもりはない。

そう答えた上で、さらに先方への問い返し。
アシュレイ・ホライゾンがどうありたいかではなく、彼にとってのアシュレイ・ホライゾンは何者か。



『俺はお前にとって、単に計画に必要な駒か? 
そうでないなら、俺を舞台に上げろ。 From H』



駒扱いをされたくはないが、舞台に上がりたいという訴えの意味はひとつだ。
『腹を割って話そう』と。
悪役と不可能男。
肩書からして、まるで足りない二人にもほどがある。
そして、互いに頼りにしている正逆の対存在がここにいないのがまた酷い有り様だが、手を取り合わないよりはずっといい。
何もできない俺だけど、これでも破滅と仲良くなることには慣れている。
それが相互理解(コミュニケーション)なら、言葉だろうと暴力だろうと嵌め手だろうと幾らでも惜しまない。

只人・アシュレイ・ホライゾンと救世主・ヘリオス。
そして、心の行方しだいでは七草にちかもだ。
いつまでも舞台下で庇われ、逃がされているような器じゃない。
ざわめきを感じているだけの時間は、もう過ぎ去った。
真っ白な四角い足場をせりあがった先で、『俺』と『俺たち』が互いを見つけるために。
一つの身体に掛け合わされた比翼同士で、声を合わせる。



――「「求めるからこそ、是非も無し」」――



奈落を上がれ。

【品川区・プロデューサー自宅の最寄り駅近く/1日目・日没】

七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:?????
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:梨花ちゃん達、無事なんだよね……?
4:私に会いたい人って誰だろ……?
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。


【品川区・プロデューサー自宅付近/1日目・日没】

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身に軽度の火傷(回復中)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:Wと腹を割って話す。そしてプロデューサーとどうなりたいのか、マスターの意思を確認する。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:セイバー(宮本武蔵)達とは一旦別行動。無事でいてほしい
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。


時系列順


投下順



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067:テスカトリポカ 七草にちか 085:各駅停車
ライダー(アシュレイ・ホライゾン)

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最終更新:2023年02月26日 07:46