◇◇◇◇◇◇
.
その日、私は。
生まれて初めて、ドレスを着た。
真夜中のように、深い黒色だった。
物心ついた私にとって、最初の記憶だった。
きれいな青い空だった。
雲ひとつ無くて、ひどく澄んでいて。
その下に、私達は佇んでいた。
空の色には似合わない、黒い衣服を纏って。
私達は、それを看取る。
これから何かが、燃えて失くなる。
ささやかな葬式だった。
揃ったのは、ほんの僅かな両親の知人達。
故人の親族は、私と“あの人”だけだった。
お父さん。お母さん。
突然の交通事故で、遠くへ行ってしまった。
今となっては、記憶も曖昧だ。
どんな顔をしていたのか。
どんな風に過ごしていたのか。
私のことを、愛してくれていたのか。
もう、朧気にしか思い出せない。
窯の中へと焚べられ。
思い出と共に、二人は灰になる。
燃える。燃える。燃える―――。
やがてお父さんも、お母さんも。
小さくて、寂しげな箱へと、詰められる。
幼き日の私がそれを理解していたのかは。
今となっては、分からない。
火葬が終わるのを、外で待っていた。
ただ淡々と、粛々と、時間が過ぎていく。
思い出が、少しずつ灰になっていく。
ひどく綺麗な、青空の下で。
そんな私のすぐそばに、“あの人”がいた。
――はじめまして。
――私は、あなたの“叔母さん”です。
初めて出会った日を、ふいに思い出す。
交通事故で、独りぼっちになった後。
私は、気が付けば“あの人”のもとへ引き取られていた。
私にとって、唯一の“親族”らしかった。
見知らぬ人だった。聞いたこともなかった。
両親は、一度もこの人の話をしてくれなかった。
“あの人”もまた、両親との関係についてはぐらかすばかり。
結局どんな仲だったのかは、今となっては分からない。
だけど、そんな人が。
両親の葬式は執り行ってくれた。
どうして、と私は“あの人”に聞いた。
丁度お金を工面できる宛があったから。
“頼んだら、お金をくれる人”がいたから。
だから、あの二人が寂しくないように。
――――これが、最後の愛だから。
“あの人”は、そう答えてくれた。
果てしない青空の下。
私と同じような、黒い喪服を纏って。
“あの人”は、私の手をただ握ってくれた。
優しげで、底の見えない笑みを浮かべながら。
私と“叔母さん”は、過去が燃え落ちる時をじっと待ち続けていた。
私が記憶している、最初の愛。
私の心の奥で濁り続けた、小さなビターピース。
苦い苦い日々の、はじまり。
.
◇◇◇◇◇◇
洗面台の前に立って。
自分の顔を、じっと見つめた。
むすっとした仏頂面。
目の色からは、どこか疲れが滲み出ている。
――情けないぞ、
飛騨しょうこ。
そんなふうに自分を鼓舞してみても、やはり誤魔化せないもので。
何ともないと思っていた筈だったけど。
思った以上に、疲れていたらしい。
だけど、それも当然なのかもしれない。
本戦が始まって、たった一日。
今日という日を、こんなに濃密に感じたことはなかった。
さとうと再会して。
しおちゃんやあさひくんのことも含めて、真正面からぶつかって。
それから、私達は同盟を組むことになった。
電話で色々と情報交換したり、ぶつかりそうになったり。
さとうとは、微妙な関係が続いたけど。
やがてあの“青い龍”が急に現れて。
とんでもない大暴れをやらかして。
アーチャーが果敢に戦ったけど、家を失う羽目になって。
そうしてひょんなことから、さとうの家へと転がり込んだ。
頼れる相手は、結局さとうしかいなかったから。
そしたらさとうのサーヴァントが、アーチャーと戦ったことのある奴で。
更に、あさひくんがこの世界にいることも分かって。
さとうか。あさひくんか。そのどっちかの二択を突きつけられた。
私はアーチャーに支えられながら、悩んで。悩み続けて。
最後は、あのキャスターから友達を庇うような形で、私はさとうを選んで。
それから、本格的に戦いへと乗り出して―――さとうの叔母さんとも再会した。
神戸しおちゃんの存在も、そこで知ることになって。
―――ねえ、さとう。
―――しおちゃんに会った時は、どうする?
私は、あの豪邸を出る前に。
さとうに対して、そう聞いた。
あの時のさとうが、何を感じていたのか。
何を想い、何を考えていたのか。
私には、その断片しか掴み取れなかったけれど。
それでも、私はその心を知りたくて。
それから少しだけ考えてから、さとうは答えた。
―――いつか出会ったら。
―――その時に、考える。
―――答えを出すのは、あの娘と直に向き合ってからにしたい。
もしも、しおちゃんと遭遇した時は。
あの娘が、どこまで歩けるようになったのか。
どんなふうに成長して、前を向いているのか。
それをこの目で確かめて――そうしてから、先のことを考えてみたい。
さとうは、そう伝えてきた。
今はそれ以上、追及はしなかった。
あの二人の関係については、未だに深くは知らない。
それでも、確かに分かることもある。
さとうには、さとうの喜びや苦しみがあって。
そして、あの娘なりの――決意がある。
だから私は、さとうの今の答えをただ受け止めた。
色々なことがあった。本当に。
たった一日で、私の物語は一気に動き出した。
諦めるのは、もう飽きたから。
何かから目を逸らすのは、もう嫌だった。
だから私は、前を向き続ける。
私の背中を押してくれて、私と共に飛び立ってくれる―――あのアーチャーと一緒に。
バーサーカー達との連絡先は交換した。
向こうがどう動くのかははぐらかされたけど、「必要とあらば連絡は入れる」という断りはあった。
私達は、当初の予定通り動くことになった。
近場のホテルを拠点にして、新宿の動乱にかこつけて動き出したサーヴァントを狩る。
それで、ホテルの部屋を確保したら、荷物を置いて散策に出る筈だったんだけど。
いざ部屋に着いてみると、それまでの疲労感がどっと押し寄せてきた。
色んな出来事がある中で、なんとなく忘れていたけど。
あれだけの出来事を、たった一日で経験し続けるのは―――実際疲れる。
身体が草臥れているというよりかは、メンタルが疲れ切っていた。
ずっと気を引き締めていたぶん、どこかで休息を挟みたかったのかもしれない。
だから私は、暫くホテルで休ませて貰うことにした。
さとうも付き添ってくれた。「しょーこちゃんが元気になるまで待ってるね」とのこと。
こっちの事情に付き合わせてしまうことには、何とも言えない申し訳無さがあった。
因みに私達は同じ部屋で泊まっている。
「部屋代が安く済むし、有事の際の相談もしやすいから」とのことだった。
さとうはそう言っているけど、少しでも気を許して貰えたような気がして、満更でもなかったのは内緒。
アーチャーはキャスターと共に、一旦偵察へと赴くことになった。
本格的な行動に出る前に、周囲の気配や不審な事柄の有無を探るとのこと。
あんな奴と二人きりにさせるのは気が引けるけど、アーチャーは粛々と受け入れてくれた。
「もしものことがあれば、その時はマスターにも情報を共有する」と付け加えて。
暫く見回りをしてから戻ってくるとは、言っていたけれど。
少なくとも、今の私の側にアーチャーはいない。
そのことを改めて認識して、私は深呼吸をする。
すぅ、はぁ――息を整えて、気を引き締める。
鏡の前の自分を、改めて見つめた。
ひどい顔をしていたけど。
疲れ切った顔をしていたけど。
ずっと休んでる場合じゃない。
此処から先、覚悟していかないと。
私は、再び自分を奮い立たせる。
さっきよりも少しだけ、マシな顔になった気がした。
もう大丈夫――そう言い聞かせて、私は洗面所を後にする。
2つのベッドが並んだ部屋に戻ると。
さとうが、窓際で電話を掛けていた。
静かに響き続ける発信音。
その度に通信が切れて。
再びさとうは番号を確認する。
そうして、発信して―――再び通信が切れる。
繰り返し。何度も、何度も、電話を掛け続けて。
だけど、実を結ぶことは無かった。
電話を見つめるさとうは、目を細める。
何かを考え込むように―――というより。
何かを、悟ってしまったかのように。
どこか、冷たい眼差しを落としていて。
私は、何か胸騒ぎを感じた。
予期してない自体が起きたような。
良からぬことが起きたような。
そんなさとうの素振りに、私は思わず不安を覚えて。
ほんの一瞬の躊躇いを感じたけれど。
それでも息を呑んで、私はさとうを見据える。
「さとう……どうしたの?」
それから私は、さとうに声を掛けた。
振り返るさとうの眼差しには――微かな憂いが宿っていた。
◇◇◇◇◇◇
.
これまでも。これからも。
私はずっとさとうちゃんを愛してるから。
ずーっと、ずーっと。
勿論――――会えなくなってからもね。
.
◇◇◇◇◇◇
「あいつから連絡があった」
さとうが、ふいに呟いた。
あいつ――それは、さとうが従える“あのキャスター”のことだろう。
歪んだ愛について吐く、あの妖怪のようなサーヴァントだ
偵察に行ってる彼らが、何かを発見したのだろうか。
しかし、アーチャーからの連絡は無い。
つまりそれは、キャスターが真っ先に察知した事柄ということであり―――。
「あのバーサーカー、“いなくなった”って」
そして、さとうが。
唐突に、そんなことを言ってきた。
いなくなった。そう、いなくなったと。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「……いなくなった?」
「うん。あいつ、上司の気配探れるんだけど。
それが、ぷっつりと消えたって」
私は思わず、唖然とした。
別にあのバーサーカーは強いからとか、アーチャーと互角に戦ったキャスターの上司だからとか、そういう理由じゃない。
ただ、あまりにも呆気なくて―――容易くそれを告げられたから。
さっきまで確かに目の前にいた奴が“消えた”と。
本当にいきなり、伝えられたから。
「それ……消滅したってこと?」
「そういうことになる、みたい」
私は、そう確認して。
さとうも、取り留めのない様子で答えた。
ほんの数時間前に別れたばかりの相手の、唐突な脱落。
それに少なからず驚愕していることは、なんとなく察せた。
「キャスターの勘違いとか、偶々探知の範囲から外れたとか。
そういうのじゃないの?」
「間違いなく、この界聖杯から消え失せたって……あいつは断言してた。
嘘を付いてるようにも、勘違いしてるようにも見えなかった」
自分だって驚いている。
さっきも言ったように――本当に突然のことだったから。
この聖杯戦争において、私は“戦い”というものを直に経験はしていない。
サーヴァントを目撃したのだって、さとうのキャスターを除けばあの“青い龍”だけだ。
アーチャーが予選中は2回しか交戦しなかったこと、そして本戦までは私を出来る限り戦場から遠ざけてくれたことが大きかった。
だからこそ。
一度は顔を合わせた相手が、もうここにはいない。
誰かと戦って―――そして、殺された。
その事実が、何とも言えない尾を引いていた。
何処か遠くの出来事のように感じていた戦いを、改めて“隣り合わせ”のものとして感じ取ってしまった。
「ねえ、さとう」
あのバーサーカーが、消滅した。
それは何とか理解できた、けれど。
そうなると―――もう一つの懸念が浮かんだ。
聖杯戦争は、サーヴァントとマスターという二人一組の主従で戦い。
共に勝ち残ることで、初めて聖杯というものが掴める。
だけどサーヴァントが脱落してしまえば、残されたマスターは勝ち残る権利を失う。
同じように相棒を失ったサーヴァントとの再契約を結ばない限りは、再び舞台に上がることは出来ない。
界聖杯から流れ込んだ知識で、そのことは私も理解していた。
サーヴァントがいなければ、マスターは戦えない。
そういう意味では、捨て置いてもいい存在のように見えるけれど。
それでも、再契約さえ果たせれば――また敵として立ちはだかることになる。
それにサーヴァントの中には、マスターの暗殺を得意とするアサシンのクラスだって存在する。
つまり、マスターを排除することは確かな“戦術”の一つで。
再契約というケースもある以上、サーヴァントを倒したならマスターも積極的に排除した方がいいということになる。
つまり。
私が言いたいことは。
私が抱いていた、不安は。
「その……叔母さんには、連絡入れた?」
私の問いかけに。
さとうは、沈黙した。
何も答えず、黙り込んだ。
さとうの叔母さんにも、連絡先の携帯電話は用意されていた。
あのバーサーカーが用意したもの――通話や簡単なメールが出来る程度の安物だったけど。
向こうは相当に「仕方なく」「嫌々に」といった様子だったけど、外出する時に同盟相手との緊急の連絡手段として持たせていたらしかった。
その電話番号を、私達はすでに控えている。
そしてさとうは、暫く考え込んでから。
それから――ふぅ、と。
ゆっくり、溜息を吐いた。
「電話は、もう入れた」
さとうは淡々と、言葉を紡ぐ。
「何度も確かめたけど」
そう。ありのままに、淡々と。
「……掛からなかった」
そうして。
結論を、告げてきた。
それって、つまり――。
私が言葉を続けようとした矢先に、再びさとうが口を開く。
「あのバーサーカーにとって、叔母さんは枷。信頼なんか無い。
二人で外に出たなら、間違いなく自分の目が届くところに置くと思う」
さとうは冷静に、現状の事態を推察していた。
「叔母さんを放置するとは思えない以上、どこかに一人だけで隠すなんて真似もしないはず」
バーサーカーとあの叔母さんの関係。
それを踏まえた上での行動や思考。
それらについての予想を、黙々と話す。
「だから少なくとも、叔母さんを近くに置いていたと思う。
でも、そのバーサーカーが消滅した」
さとうは、私より要領が良いし。
私なんかよりも、ずっと頭が回る。
「仮にバーサーカーと繋がってる連中が叔母さんを安全な所で保護してたとしても、それなら連絡が一切通じないのは不自然」
だからこそ、それらの推察にも説得力があって。
私達が頭の中に浮かべていた“一つの答え”への道筋を、粛々と作っていく。
「だから……叔母さんも、多分そういうことだと思う」
そう、それはつまり。
さとうの叔母さんは―――。
「叔母さんは、もうここにはいない」
そういうこと、だった。
◇◇◇◇◇◇
.
お葬式だったんですよ。
小鳥と、あの子の。
―――ね、さとうちゃん。
.
◇◇◇◇◇◇
さとうの叔母さん。
初めて会った時のことは、鮮明に覚えている。
それは、さとうの心へと一歩踏み込んで。
そして、目を逸らしてしまった――そんな苦い思い出の中で、顔を合わせた。
忘れもしない。私にとって、「さとうと向き合えなかった」という後悔の始まりだったから。
あの人がさとうの叔母さんで。さとうは、そのあの人の姪で。
その事実を前に、私は躊躇ってしまった。
臆病で、情けなくて。そんな弱い自分を、苛めて。
そんな時に、“あの子”から励まされた――。
さとうの叔母さんと会ったのは、結局3回だけだ。
元いた世界。あのマンションでの初対面。
さとうの居場所について訪ねた時。
そして、界聖杯―――あの豪邸での思わぬ再会。
たったそれだけの面識。
それでも、その存在は脳裏に焼き付いている。
あんな人は、きっとこの世の中。
どこを探しても、存在しないと思うから。
深い深い、夜の闇のような人だった。
誰かを魅了して、底へ誘い込むような禍々しさで。
ぎらついた欲を、丸ごと飲み込んでしまいそうで。
まともなのかどうかさえも、怪しくて。
ひどく気持ち悪くて、理解ができない。
もう二度と会いたくないと思ってしまうほどの、異様な雰囲気だった。
でも。今になって、思う。
なんでさとうは、愛を求めるようになったのか。
その根源はきっと、あの叔母にあるのだと。
あなたを混乱させたのは、あの人の存在なのだと。
私は、直感で悟っていた。
私は、沈黙していた。
どこか気まずくて、居たたまれなくて。
さとうも、黙り込んでいた。
あの娘の顔は、なんとなく見れなかった。
悲しんでいるのか。何とも思っていないのか。
それを確かめることも、躊躇われた。
だって―――仮にも、親友の身内が亡くなったのだから。
だから、私達は何も言わなかった。
背中合わせ。互いのベッドに腰掛けて。
顔を背けるようにして、私は俯く。
静寂。無言。
私とさとうの間に流れる、無音のひと時。
叔母さん達に、何が起きたんだろう。
バーサーカーは、どうなったんだろう。
何処で、誰にやられたんだろう。
答えは知る由もなくて、それを考え合う気にもなれない。
今は、そんな気分になれなくて。
そうして私達は無言の中、ただ黙々と時間が過ぎるのを待っていく―――。
「しょーこちゃんがいなくなった後さ」
そんな矢先。
ふいにさとうが、口を開いた。
「あのマンションで、叔母さんとはもう決別した」
淡々と、静かに。
過去を振り返りながら、さとうは呟く。
「だから、これは二度目のお別れ。
この世にいるか、いないか、それだけの違い」
私がいなくなった後。
――それはつまり、私がさとうに殺された後のこと。
さとうは元の世界で、何らかの形で叔母さんに別れを告げている。
そういうこと、らしかった。
「……色々あったんだね、さとう」
「うん。ほんとに、色々と」
ぽつりと、私達は言葉を交わし合う。
それから、少しの沈黙を挟んで。
私は、あの日のことを思い返す。
言葉さえも融け落ちそうな、あの夜の下。
私はさとうに刺されて、一度命を落とした。
あれからのさとうがどうなったのか、知る術はない。
だけど、さとうはあのままでは居られなくなったのだろう。
しおちゃんとの幸福な生活を守るために、何かをせざるを得なくなったんだと思う。
それはきっと、私を殺したから―――大きく変わってしまった。
そんな中で、叔母さんと別れることになったのだと思う。
さとうにとって。
叔母さんとは、どんな存在だったのだろう。
改めて、そんなことを思う。
きっとさとうは、叔母さんがいたから――何かが変わってしまった。
それだけは、読み取れる。
「……ねえ、しょーこちゃん」
そうして、ふいにさとうが呟く。
私は何も言わずに、耳を傾ける。
「私、小さい頃さ。叔母さんに引き取られて」
ぽつり、ぽつりと。
さとうは、自分のことを語り出す。
思えば――この界聖杯に導かれて。
予選をなんとか生き抜いて。
そしてあの池袋駅で、さとうと再会して。
真正面から、ぶつかり合って。
少しでも、お互いに踏み込めて――。
そうなるまでの過程は、大変だったけれど。
きっと私達は、以前よりも寄り添えているのだと思う
そのおかげで、さとうも話す気になってくれたのかもしれない。
あの人と過ごしてきた日々のことを。
「ずーっと、二人で暮らしてきたの。
吐き気のするような、あの人と一緒に」
絞り出されるような言葉に、感情は乗せられていなくて。
そこにあるのは、ただただ――虚しさのような色だった。
「あの部屋で……あの苦い苦い箱庭で。
甘さなんて一欠片も感じられない、あの檻の中で」
それは、きっと。
さとうにとっての“すべて”だったもの。
「それが、私にとっての世界だったの。
あんなものが、幼い私を取り巻いていた」
あの叔母さんに育てられた日々。
それこそが、今のさとうを作っている。
「……だから」
そうだ。
私が感じ取っていたことは。
「“愛”が何なのか、わからなくなった」
確かな、真実だった。
呆然と吐き出された言葉が、この小さな部屋に響く。
「でもね。愛がわからなくなって。
愛について、迷い続けたから――」
そして、さとうは。
「だから、しおちゃんに逢えたの」
そんな一言を、ぼやいた。
神戸しおちゃん。
さとうにとっての、最愛の人。
あの娘が本当の愛を抱いた、たった一人の存在。
さとうと、しおちゃん。
二人が如何にして出会ったのか。
二人がどうして愛するようになったのか。
そうなるまでの経緯は、分からない。
だけど、確かなことはある。
しおちゃんと出会ってから、さとうは私との“遊び”をきっぱりやめてしまった。
きっと、さとうは――ずっと彷徨っていたのだと思う。
あの叔母さんに育てられて。
歪んだ生活の中で、愛を掴めなくなって。
私と友達になって、色んな愛に触れようとして。
それでも、真実は見つけられなくて。
そんな矢先に、しおちゃんと出会ったのだと思う。
あのさとうが、ここまで焦がれている。
あのさとうが、こんなにも執着している。
そして―――さとうが、本気で想っている。
「たまに、思ってたんだ」
ここでもしおちゃんのことを“教えてもらって”、思い出した。
さとうはそう付け加えつる。
どこか不安げな声色で。
窶れたような雰囲気で。
そして。
「結局……“叔母さんがいたから”なのかな、って」
さとうが、そんなことを言い出したから。
私は、思わず―――さとうの方へと向いて。
「―――さとう。違うよ」
そうやって、言葉を返した。
言わずにはいられなかった。
さとうの不安を、察してしまったから。
「さとうがしおちゃんと会えたのは、叔母さんが居たからじゃない」
さとうの愛は、間違っている。
さとうの愛は、歪んでいる。
そう思っていたのに。
そう思ってたはずなのに。
「お姫様と王子様が、赤い糸で結ばれてるみたいに――」
でも、この気持ちは止められなかった。
さとうが、自分自身の愛を一瞬でも疑う。
そんな姿は―――見たくなかったから。
「二人の間に、運命があったからだよ。
真実の愛って、そういうものでしょ?」
だから私は、伝える。
さとうが信じたものを、さとうに教える。
そうせずにはいられなかった。
そして、何より。
―――しおちゃんには、まだ会えないよ。
あのとき。
しおちゃんがいると伝えられた時。
しおちゃんと会える機会を与えられた、あの場で。
敢えてそう伝えた、あなたの目には。
紛れもなく、真摯な愛が宿っていたから。
間違いなく、愛ゆえの苦悩があったり
だから、放っておけなかった。
「さとうはずっと、しおちゃんを想い続けたんでしょ。
自分を疑うなんて、さとうらしくないよ。
弱音なんか吐かないで。あんたは、あんた自身が思ってるより強いんだから」
さとうは少しだけ、変わってきている。
なんていうか。うまく、説明できないけれど。
さとうにとっては、しおちゃんが全て。
それだけはきっと、変わることはない。
でも。さとうの見る世界は、もっと閉ざされたものだった。
誰も踏み込めない箱庭の中に、心を閉じ込めていた。
だけど―――今は、ほんの僅かだけど。
それでも、あの雨の夜とは、絶対に違っている。
こんな想いも、傲慢なのかもしれない。
でも―――この世に、傲慢じゃない愛なんてないのかもしれない。
だったら私は、傲慢でいたい。
さとうと向き合えるなら、それでもいい。
さとうは、暫くの間。
何も言葉を返さなくて。
そして、ゆっくりと。
私の方へと振り返っていた。
「……そういうとこ、さ」
少しだけ、驚いたように。
ほんの僅かに、目を丸くしていたけど。
やがてさとうは、フッと――ほんの僅かに、微笑んだ。
「しょーこちゃんらしいよね、なんか」
そう呟くさとうの表情には。
微かにでも“安心”を感じられたのは。
私の思い込みかもしれないし、気の所為だったのかもしれない。
だけど、それでも――さとうが微かに笑みを見せてくれたことは、紛れもない事実だった。
「ごめんね、しょーこちゃん。急にあんなこと言っちゃって」
「いいって。アンタらしくない姿なんて、見たくなかったから」
どこかほっとしたような空気が流れて。
私も思わず、微笑んでしまったけど。
それから私は、一呼吸を置く。
息を整えて、柄にもなく真剣な顔をして。
「それに―――さとうが叔母さんのせいで悩むの、放っておけなかった」
私は、さとうにそう告げた。
それを聞いたさとうは、改めてほんの僅かに驚いて。
やがて、何か物思いに耽るように沈黙した。
さとうは、時折。
ふいに寂しげな顔を見せる。
昔からそうだった。
その根っこにあるのは、きっと空虚感だったのだと思う。
だけど、今のさとうの横顔は。
そういうものとはまた違った、複雑な表情で。
「叔母さんは……」
憂いを込めたような面持ちで、さとうはぽつりと呟く。
自分の根幹を形作ったひとに、再び思いを馳せる。
「独りぼっちなんだろうなあ、向こうでも」
――どこか、憐れむような一言と共に。
そんなさとうの顔を、私は見つめていた。
「……さとうはさ」
そうして私は、さとうに声を掛ける。
愛を見つけられなかったさとう。
愛に迷い続けてきたさとう。
そんなさとうを作った、たった一人の肉親。
だから、敢えて聞きたかった。
さとうの本心――みたいなものを。
「叔母さんのこと、やっぱり嫌いだった?」
「うん。大嫌い」
私が、問いかけて。
さとうは迷うことなく、そう返した。
そこに笑顔は無かった。
ただ黙々と、事実を確認しているようで。
「でも」
それでも、なにか気付くものがあったように。
「本当にいなくなったんだ、って思うと」
さとうは、ゆっくりと。
自分の思いを、言葉として紡いだ。
.
「案外、寂しいものなんだね」
.
◆
「いつぶりかな、こういうの」
着替えや日用品を整理して。
最低限の荷物だけを携えて。
準備を整えた矢先に、ふいにさとうが呟く。
「こんなに夜更しして、二人で出かけて」
「さとう、ぶっちゃけだいぶ前だと思う」
カーテンを軽くめくって、さとうは窓の外を見つめていた。
外は真っ暗で、街の光だけがぽつぽつと明かりを灯している。
「そうだっけ、そういえば」
「すぐ懲りたでしょ、ああいうの」
「……あー、確かに」
「夜遊びは程々に、って。あのとき学んだわ」
既に時刻は深夜を回っている。
女子二人で出歩くことなんて、普通なら考えられないことだったけど。
そういえば昔、一回だけやったっけなぁ――なんて、思い出を振り返る。
思えばさとうと二人で、軽くやんちゃしたこともあった。
結局、痛い目を見たり修羅場に出くわしたりする前にすぐ止めたけれど。
「じゃあ、『久々』ってことだね」
さとうの一言に、私はほんのりと笑みを零して。
そして―――ふいに、昔のことを思い出す
「……やっぱり懐かしいなぁ。さとうと二人で遊んでたころ」
「昔は色々遊んだもんね。“どっちが先にあの男の子落とせるか”とかやったし」
「あー、すっごい懐かしい……確か山形くん?だっけ」
「名前は忘れちゃった。男の子なんて一杯いたから」
「さすが、このモテ助め」
思わず私は、笑みを綻ばせてしまう。
向こうがどんなことを思っているのかは、わからないけれど。
それでも、こうやって冗談を言い合えることに嬉しさを感じつつ。
私は――ギュッと、気を引き締める。
ここから先は、聖杯戦争の時間。
軽く偵察を行っている“二人のサーヴァント”と合流して、当初の予定通りに散策へと出る。
つまり、マスターとしての役目を果たす。
サーヴァントはマスターから供給される魔力によって活動する。
そして魔力の出力は、物理的な距離が近い方がしっかりと機能する。
そんな話を、私はアーチャーから聞いていた。
私達が此処までわざわざ赴いたことにも、確かな意味がある。
「ねえ、さとう」
「なぁに、しょーこちゃん」
そうして決意を固めつつ。
私達は、互いに呼び掛け合う。
「私さ、負けないからね」
「こっちこそ。愛する人と生きるためなら」
「でしょうね。でもさ、私だってもう昔とは違うから」
「……しょーこちゃんってやっぱり度胸あるよね。いっかい刺されたのに」
「あんたに刺されたから吹っ切れたってわけ。
今度はもう、やられてやんないから」
傍から見れば、すごい状況だと思う。
掛け替えのない親友と、命懸けの喧嘩なんかして。
なのに、こうして軽口混じりに当時を振り返っている。
「なら、上等だよ。しょーこちゃん」
そんな会話につられてか。
さとうも、仲良しだった昔みたいに。
そう言ってくれた。
久々の夜遊び。
それも、とびきり危険な――命懸けの戦い。
さとうと共に、夜の闇へと。
「行こっか、しょーこちゃん」
「……うん。行くよ」
私達は、そう言葉を交わし合って。
そして二人で、ホテルの一室を後にした。
ねえ、さとうの叔母さん。
あなたはずっと、さとうを苦しめてきた。
さとうの愛を、掻き乱してきた。
そんなあなたを、さとうはきっと許さない。
私も、親友を傷つけてきたあなたを認めたりなんかしない。
だけど、さとうは。
ほんの少しでも、あなたに想いを馳せたから。
僅かにでも、あなたのことを振り返ったと思うから。
だから、今は安心して―――ゆっくり休んで下さい。
【ニ日目・未明/中央区・ホテル】
【
松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:行こっか、しょーこちゃん。
1:しおちゃんとはまだ会わない。今会ったらきっと、あの子を止めてしまう。
2:どんな手を使ってでも勝ち残る。
3:しょーこちゃんと組む。いずれ戦うことになっても、決して負けない。
4:もし、しおちゃんと出会ったら―――。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※キャスター(童磨)からの連絡によってバーサーカー(
鬼舞辻無惨)の消滅を知りました。
※松坂さとうの叔母が命を落としたことを悟りました。
【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
0:うん―――行こう。
1:さとうと一緒に戦う。あの子のことは……いつか見えるその時に。
2:それはきっと"愛"だよ、さとう。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。
[共通備考]
※アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))とキャスター(童磨)はさとう達に先んじて偵察へと出向いています。
二人がどのように行動しているかは後のリレーにお任せします。
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◇◇◇◇◇◇
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黒いドレスを身にまとって。
私は、あなたを見下ろしていた。
真夜中のような闇色は。
無垢に澄んだ世界で、影法師のように佇む。
あの日と同じ、きれいな青い空。
思い出が燃えて失くなる日の、美しい空。
お父さん。お母さん。そして、あなた。
誰かがいなくなっても、世界は変わらない。
空はいつだって美しく、呆然と横たわる。
何もない、緑色の広場。
孤独に佇む、小さな墓碑。
寂しげな棺の中で、あなたが眠る。
ここに眠る人は、あなた以外にいない。
あなたの傍には、誰ひとり寄り添わない。
澄んだ世界が、私達を呆然と見守っていた。
棺の中には、花が敷き詰められていた。
紅く蝕まれた、いびつな百合の花だった。
それはまるで、あなたから溢れ出た――命の証のようで。
鮮やかに濁った色に包まれて、あなたは安らかに横たわる。
これは、葬式。
忌まわしいあなたを葬る、最期のお別れ。
紅いリリイに囲まれて。
全ては土に還り―――灰へと還る。
白と紅のコントラストに抱かれて。
棺の中で、あなたは眠る。
それは、あなたにとって最後の揺りかご。
甘くて安らかな、ホワイトシュガーガーデン。
あるいは、苦さに満ちた、ブラックソルトケージ。
目を閉じるあなたを、じっと見つめて。
穏やかなその表情を、静かに見つめて。
そして私は、棺の中に“それ”を添えた。
クマのぬいぐるみ。
幼い日の私が抱き締めていた、お気に入りの品。
私が“ここにいる”という、唯一の証。
私にはもう必要のない、在りし日の思い出。
あなたの棺へと手向ける、私からの贈り物。
結局、“あの部屋”に。
あなたが戻ることはなかったから。
せめて最期くらい、私から届けようと思った。
これはもう、いらないもの。
必要のないもの。
だから、死にゆくあなたに渡す。
あなたは、愛を貪った。
多くの人を蝕んで。
多くの人を狂わせて。
多くの人から吐き出されて
それが愛だと語り続けた。
そんなあなたが、大嫌いだった。
私と同じように、あなたにも欠落に至る理由があったのかもしれない。
歪みに歪んで、ここまで堕ちてしまった根源が、存在するのかもしれない。
だけどそれは、私にとって――関係のないことだ。
あなたに感謝なんかしない。
憎んでいた。恨んでいた。
忌まわしくさえ思っていた。
あなたがくれた愛は、濁りきった紛い物だった。
あなたの生き方は、私から本当の愛を奪い続けてきた。
あなたというひとは、私になんの光も与えてはくれなかった。
あなたという存在は、私にとって。
愛の形を雁字搦めにする、呪いだった。
けれど。
どれだけ愛を食んでも。
どれだけ愛を受け止めても。
あなたは、独りぼっち。
あなたを弔ってくれる人は、いない。
あなたにとって世界は、飴玉の詰まった瓶。
全てを愛してるけれど、それは“美味しいから”でしかない。
人として愛しているんじゃなく。
満たし満たされる為のモノとして、皆を愛している。
それはきっと、全てを無価値だと思ってるのと変わらない。
誰もが平等ということは、誰も特別に思っていないのと同じことだ。
そんなあなたは、誰にも惜しまれない。
沢山の人から、欲の捌け口に使われて。
“女としてのあなた”を、渇望されて。
やがてあなたは、忘れ去られていく。
あなたの愛は、絶え間ない孤独と共にある。
だから私が、来てあげた。
寂しそうで、ちっぽけで、ひどく惨めで。
そんなあなたを、私は一度だけ看取る。
そんなあなたに、私は一度だけ寄り添う。
両親を亡くして。
独りぼっちだった私を。
あなたが、引き取ってくれたように。
この先も、きっと。
たとえ遠い未来になっても。
二度と逢うことは無いでしょう。
私は、私の愛のために生きます。
生きて、生きて、生きて、生き抜いて。
最期のときまで、あの娘と歩み続けます。
だから、もう。
私は、何があっても前を向ける。
あなたという人は、振り返らない。
きっとあなたは、また独りぼっちになる。
そんなあなたを、哀れんだりはしない。
私の愛を、あなたに教えたりなんかしない。
淀んだ愛に溺れ続けたあなたにとって、これは必然の末路。
―――だけど。
それでも、最期くらい。
たった一度だけでも、家族として。
あなたのことは、見送ってあげます。
だから私は、あなたに告げる。
ほんのささやかな、餞別を。
別れの言葉を、改めて。
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さようなら。
どうか、お元気で。
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最終更新:2022年07月27日 21:12