(ここは……?)
周囲は真っ暗だった。
不思議と、先程までに感じていた凍傷の痛みも、切り傷の痛みも、猪の牙に刺された激痛も感じない。
(そうだ、早くあの場所に戻らないと!!)
疲れないのを不思議に思う暇もなく、走り出す。
だが、走っても走っても景色は変わらなかった。
まるで、ヒカリゴケがない大灯台の中を歩き回っているような気分だった。
(誰か、誰かいないのか?)
アルスはこれまで薄暗い洞窟の中を歩いたことはあった。
だが、この世界は違う。
闇という闇が濃縮された、黒以外の色が映らない世界だ。
「久し振りね。とはいっても、しばらく会ってないぐらい?」
黒ばかりの視界に、何色かが飛び込んできた。
だが、色の問題ではない。
アルスの目に映りこんだのは、幼馴染の少女だった。
「マリベル?」
アルスは確かめるかのような口調で、不安気に聞く。
「な~に馬鹿なこと言ってるのよ。この可愛らしい顔が、マリベルさま以外の物だと本気で考えてるわけ?」
「そうじゃないけど……君、幽霊?」
マリベルは確かに死んだはずだった。
オルゴ・デミーラのことを鵜吞みにしたわけでは無いが、確かに放送で呼ばれたはずだ。
「まあそんなところかな。」
マリベルは少し困ったような顔をして笑っている。
「うわあああああああ!!!!」
アルスは突然叫び、泣き始めた。
「ごめん!マリベル!!君がいなくなって、僕は君を大切にしていなかったって気付いたんだ!!
本当にごめんなさい!!ごめんなさい!!」
「いいわよ。」
泣き叫ぶアルスを、マリベルは静かに抱きしめた。
「人ってね、死んだときに初めて本当に想っていたかどうか分かるの。だから、あんたがあたしを好きでいてくれたってことが分かって、それだけで十分よ。」
マリベルは優しく、アルスの背中を擦る。
アルスはゆっくりと目を閉じた。
★★★
「うおおおおおおお!!!」
アルスの剣がリンクを刺そうとした瞬間、ルビカンテのタックルがアルスを突き飛ばした。
しかし、腹を剣で刺されたままのアルスは、何事も無かったかのようにむくりと起き上がる。
彼の異変は、腹を貫かれてなお、平然としているだけではない。
その両の眼孔が、人で無いかのような真っ赤な光を帯びていた。
「その剣は!!」
「思い出したか?どうやら貴様はこの剣を刺された魔物と戦ったことがある様だが……。」
リンクはそこまで言われて、ようやく思い出した。
あの剣は、ザントが持っていた物だったと。
かつて砂漠の処刑場の最奥で現れたザントが、竜の化石に突き刺したことで目覚めた、覚醒古代獣ハーラ・ジガントと戦ったことを。
(最悪だ……。)
自分の置かれている状況を分かってしまった。
ザントが持っていた剣は、光を影に、死を生に反転させる力を持つ。
そして、友情は敵意に反転した。
「バギクロス!」
凄まじい竜巻が、リンクに迫りくる。
影の剣は、リンクに偽物の命を与えたのみならず、魔力の供給源にもなった。
かつてその剣を刺された怪獣が、空を飛べた時と同じ原理だ。
「火焔流!!」
しかしルビカンテが炎の渦を巻き上げ、打ち返した。
かつて1つになったはずの2つの竜巻が、今度はぶつかり合う形になった。
「何をしている!!お前は早く魔王を討て!!」
「し、しかし……。」
「早くしろ!!この男は私が食い止める!!」
「分かった!そいつは胸に刺さった剣をどうにかしてくれ!!」
★★★
「暖かいなあ……何で僕は、君のことを大切にしてなかったんだろう……。」
少し背の低いマリベルの肩を、アルスが濡らす。
こうしていると、走馬灯のように彼女との思い出が蘇って来る。
最初に思い出したのは、物語の始まり。真夜中のフィッシュベルの浜辺
―――ふーん、そうなんだ。じゃあどうしても教えられないっていうのねっ!?
―――う~ん、ちょっと教えられないかな
―――だったらもう聞かないわ!でもあたしはあきらめないよ。あんたたちが何をしようとしているのか、いつかきっと暴いて見せるから!!
「あの時も暴くことが出来たけれど、今度もあたしがあんたの気持ちを暴いてやったわ。」
マリベルはどこか誇らしげに、それでいて僅かに寂しそうに笑う。
アルスは、もう見れないと思っていた彼女の笑顔をただじっと眺めていた。
自分の意識と役割を放棄して。
★★★
再びキングブルボーから美夜子の剣を抜いたガノンドロフが、リンクに襲い掛かる。
それを正宗で迎え撃つリンク。
「どうした?剣が乱れているぞ?」
だが、その一撃はあっさりと弾き飛ばされてしまう。
「うるさい!!」
焦りのまま、攻撃を続けるリンク。
だが、その単純な攻撃は、簡単に受けられ、弾かれてしまう。
「うおおおおおお!!!」
戦略もあった物ではなく、怪物か何かの様に吠え、握りしめた正宗を突き付ける。
その姿は、剣という牙を持って暴れる獣の様だった。
紙一重で顔を逸らし、反対に肘鉄を腹に打ち込む。
だが、怒りに痛みを感じていなかった。
地面を転がったリンクは、またしても魔王に向かって行く。
目の前の男は、破壊や殺戮を繰り返すだけでは飽き足らず、死した戦友を道具にし、自分を殺させようとする外道。
許してはおけない。赦してはおけない。生かしてはおけない。
古の勇者から教わった奥義もすべて無視して、目の前の男にぶつかっていく。
★★★
「アルス、ごめんなさい。」
マリベルは突然アルスに謝った。
「何で謝るの?」
「あたしのせいで、アンタを苦しませて……。」
場所は変わり、初めて石板の光に導かれて過去の世界が映る。
名前は後で分かったが、ウッドパルナの森の中。
―――……さてと じゃあ あたしは 家に帰るからね。アルス キーファ。 遊んでくれて ありがと。 つまらなかったわ。じゃあね。
―――え?ちょっと待ってよ!!
その時アルスは、勝手について来ておいて何て身勝手なんだとマリベルに対して少し幻滅した。
だが、その気持ちはウッドパルナの元凶を倒し、その島を覆っていた闇と共に消えた。
―――……わるいけど あたしに 話しかけないでくれる? ……今 何もしゃべりたくないの。
不幸の果てに怪物になってしまったマチルダを殺してしまった後、マリベルが鼻声混じりに言った言葉は今でも覚えている。
最初にこの島に来た時に言った言葉は、自分の弱さを見せたくなかっただけなんだと初めて分かった。
そして、アルスは初めて彼女を悲しませたくないと思った瞬間だった。
「違うよ。何もかも僕が決めたことなんだ!苦しんでないし、後悔だってしてないよ。」
「そう言ってくれると……少しだけ嬉しいわ。」
「この気持ちだけは本当なんだよ。マリベル、僕を支えてくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
マリベルは笑顔に戻った。
その笑顔は、どこか不自然な気がした。
★
「ぬおおおおおお!!!」
炎の爪で、アルスの斬撃を受け止めるルビカンテ。
「目を覚ませええ!!」
ルビカンテの叫びと共に、手に握りしめた炎の爪の熱が、さらに上がる。
両の目に人のものでは無い赤い光を煌々と放つアルスの動きは、どこかルビカンテの上司であるゴルベーザに操られた兵士と似ていた。
だからと言って、対処法を掴んだわけではない。
ゴルベーザに操られた雑兵に比べれば、格段に豊富な技を持っている。
「ぬお!?」
武闘家時代にアルスが培った、足払いでルビカンテはバランスを崩される。
敵は決して、剣に生き、剣に死すを信条とする剣士ではない。
すかさず懐に潜り込まれ、下腹部に正拳突きを撃たれる。
「ぐわあああああ!!」
★★★★
次にアルスが見たのは、床が石畳と赤い絨毯で覆われ、高い天井を持つダーマ神殿だった。
時は流れ、幾つかの大陸を解放し、冒険にも慣れてきた頃。
アルスとマリベルは、互いに転職をした。
―――アルス、あんたは何になったの?
―――僕は戦士になろうと思っていてね。
―――うわダッサ~。ちょっとカシムに剣を褒められたからって、天狗になってんじゃない?
―――なってないよ!そういうマリベルは何になろうとしていたの?」
―――私は魔法使いよ。
―――君こそサジに魔法を褒められたからなろうとしたんじゃないの?
―――はああ?どの口がそう言うのよ!!
「ねえ、マリベル、あの時、本当のこと分かっていたよね?」
「何だ、分かっていたんだ。勝手にいなくなったあいつのこと。」
あの時、お互いに確信していたし、相手のことも分かっていた。
魔法剣を覚えて、キーファが得意としていた火炎斬りを覚えたかった。
己の道を見つけたことで、いなくなった仲間の分を埋めたかった。
それをしたところで何になるのかは分からない。
だが、アルスもマリベルもどうにかしていなくなった彼の思い出を、少しでも残しておきたかった。
残っていたのは手紙だけで、彼が持っていた武器や防具は袋に紛れて、どれがキーファが持っていたのか区別がつかなくなってしまった。
それだけでは、いつ失った仲間を、本当に喪ってしまうか分からなくて、声には出せなくても怖くて怖くて仕方が無かったから。
誰が言ったか。
人は誰かになれると。
「結局僕は、何者にもなれなかったよ。」
しかし、アルスは戦士を極め、魔法使いになろうとしたが、どうにも身に合わなかった。
マリベルもまた、魔法使いを極めたが、戦士がその身に合わず、辞めてしまった。
あの時掴めなかった結果が、今まで身を引いたのだろうか。
例え魔物を倒しても、それでも零れる命は増えていくばかりで、ついには倒したはずの魔王が蘇り、大切な人を失ってしまった。
「なれなくたって、構わないわ。あんたはあたしが好きなあんたであって、あたしが好きなあんたでしかないから。」
「……ありがとう。マリベル。」
「たとえ価値が無くなっても、大丈夫よ。あんたにはあたしがいるから。」
(本当にそれでいいの?)
何かがそっとアルスに言ったが、アルスの耳には届かなかった。
★
吹き飛ばされたルビカンテは、悪いことにリンクの背中と衝突した。
「ぐわあああ!!」
「運が悪かったようだな。」
その様をガノンドロフが見下ろす。
「黙れエエエエエ!!」
リンクはルビカンテを突き飛ばし、再び魔王へと駆けていく。
「つまらぬ。力づくで我を倒そうなど、嘗められたものよ。」
突きを紙一重で躱し、魔王は脚を振り上げる。
鋭い蹴りがリンクの腹に刺さり、地面を転がる。
「もう終わりか?折角楽しみにしていた戦いなのに、つまらぬ終わり方だ。」
魔王は見下ろしながら、勇者を嘲る。
上半身を上げた瞬間、リンクの下腹部に今までとは違う激痛が走る。
肋骨が一本折られたのだ。
だが、その痛みも無視して戦い続ける。
正宗と美夜子の剣が鍔迫り合い、ギイギイと嫌な音を立てる。
「1つ分かったことがあるぞ?さては貴様、我を殺せばあの小僧を助けられると思っているんじゃないのか?」
「!!」
図星だった。
ミドナの援助があれど、基本的に剣を一人で振るっていたリンクにとって、アルスと共に剣を持って戦った思い出は、苦しいながらもどこか充実していた。
共に戦った時間こそ1度きりだが、ゆえに忘れがたい高揚感だった。
あの感覚を、あの気持ちを、こんな形で終わらせることだけは何としてでも食い止めたかった。
「無駄なことよ。奴を操っているのは我ではなく、あの剣だ。
それにあの剣を打ち砕いた所でどうなると思う?骸が1つ転がるだけよ。」
「!!!」
絶望を目の前で突き付け、魔王の称号を持つに相応しい笑みを浮かべるガノンドロフ。
リンクの瞳は、ただ暗い闇を湛えていた。
その瞬間、鍔迫り合いになった状態でガノンドロフは急に力を抜いた。
「!?」
予想外の行動をされ、リンクの力は行き場を失い前のめりになる。
「絶望することは無い。貴様が代わりに死ねばいいだけよ!!」
高く跳躍したガノンドロフの一撃が、リンクを真っ二つにせんとする。
★★★★
場所はさらに移り変る。
今度は冒険の先にあった場所ではなく、二人の故郷、フィッシュベルにあるマリベルの家だ。
―――パパ……。
倒れた父親を見るマリベルは、まるでしおれた花の様だった。
あの顔を見たくなかったけど、それを言えばもっとマリベルやその家族が傷つきそうだから、そんな言葉は言えなかった。
マリベルはきっと戻って来ると、ガボもメルビンも言ってくれた。
けれど、アルスはその言葉を簡単に受け入れられなかった。
せっかくアイラというキーファの思い出が仲間に加わり、彼の生きた証が自分達の所に戻って来た嬉しさも全く晴れなかった。
―――何でみんな、僕の所から離れていくんだよ。
最初に石板を集め、向こうの世界に言った3人は、アルス一人になってしまった。
その分新しい仲間が加わったが、それでもアルスにとってキーファ、そしてマリベルはかけがえのない仲間だった。
その頃には仲間になったメルビンの指導もあり、彼がアルスにもマリベルにも適した道を見極めてくれたことで、魔法戦士を目指すのをやめて僕はバトルマスターに、彼女は賢者になった。
それでもどこか互いに魔法戦士を目指していた時に比べて、息苦しさは減ったと思っていた。
だというのに、マリベルがいなくなり、自分は何をしたいのか分からなくなってしまっていた。
「ねえ、マリベル。実はフィッシュベルが闇に包まれた時……さ。」
そんなことを言うと不謹慎だが、またマリベルと冒険できる、思い出を作れると思ってしまっていた。
魔物が現れ、父ボルカノが行方不明になったというのに。
これだけ沢山思い出があり、そのたびに彼女のことを想い、悩んでいたのは、自分でも気づかなかった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということだろうか。
「それは知らなかったわ。でも、ちょっと嬉しいわね。」
その時、あくびが出た。
「アルス、眠いの?」
「僕、とっても眠いんだ。どこか、一緒に寝る場所を探してくれない?」
「あら、いいわよ。」
景色は変わり、再び闇の中へ。
でも、アルスにとってはどんな世界より落ち着けた。
マリベルが優しく手を握ってくれるから。
(優しく手を………?)
★
「火焔流!!」
ルビカンテの撃った炎の竜巻が、リンクを吹き飛ばした。
勿論ダメージを食らったが、ガノンドロフの剣を頭から受けるよりかは格段にマシなダメージだ。
だが、本来彼の敵になっているはずのアルスに背を向けたことは、ルビカンテにとって致命傷につながる。
「小癪な……だが貴様の敵に構わなくていいのか?」
獲物を逃した。だが魔王は邪悪な笑みを絶やすことは無い。
振り向いた時、もう手遅れだった。
ドス、と腹から内臓、背中にかけて自らが放つ炎より熱い刺激が襲う。
どうにか身体を逸らしたため心臓を穿ち抜かれることは無かったが、それでも大きなダメージには変わりはない。
「ぬおおおおおおおお!!!」
だが、ルビカンテは自ら刺した剣を握り締めたため、アルスは剣を抜くことが出来ない。
上下させようとするが、剣は動くことを許さない。
「お前のような道化に、殺されてたまるかあああああ!!!」
目が合った瞬間にルビカンテは気づいた。
アルスという少年は、蘇らせられた死者のような、慈愛の無い目をしてたことに。
それが一層、滑稽さを感じた。
アルスに対してではない。
弱い自分に勝てなかった挙句の果てにゴルベーザの軍門に下り、自らの目的も無く破壊を尽くしていた自分に対しての情けなさだ。
目的も無く、ただゴルベーザの下で動いていたことに気付いたのはいつからかは分からない。
だが、ルビカンテは、強い者との戦いを好んだ。
強い者と戦うと、自分に目的があるかのように振る舞えるからだ。
(フン……こうして見てみると、自分の情けなさが分かって嫌になるな。)
そのまま強引に剣を抜き、アルスを投げ飛ばす。
「目を覚ませえええええええええ!!!!!」
叫ぶ。叫び続ける。
その反動で激痛が走っても、叫び続けた。
危機は脱したが、ルビカンテの腹からは鮮血が零れる。
それを自らの炎魔法で、痛みも厭わずに焼いた。
「我を、道化に殺される愚か者にさせてくれるなあああああああ!!!!!」
痛みという痛みを無視して、かつて闇に魅入られた男は叫び続けた。
最終更新:2021年12月31日 12:56