余程人生が思い通りに行った者を除き、一生に何度かは思うだろう。
『あの時ああしていればよかった』、『自分が好かれる、自分の真価を発揮できる場所に行けたら』と。
そのような思考に至った者は、少なくともその一瞬だけは、『もしも』によって、万事思惑通りに行くと考えるはずだ。
だが、忘れるなかれ。
仮に何かの奇跡が起きて、その『もしも』が実現したとしよう。
その先に救いなど無く、むしろ余計に事態を悪化させる可能性だって、否定できないのだ。
いや、個々人の事態ならばまだいい。
決して変えてはならない道理を、無理を通して引っ込めてしまった結果、個人の領域を越えて惨禍が広がることもある。
今だってそうだ。
ある少女が、『もしも恋をした人とずっと居られれば』と願ったがために、巨悪は新たな力を手にした。
巨悪と巨悪が異なる世界の壁を越えてつながり、1つの世界では収まりきらない厄災が振り撒かれる。
だが、この物語を著す者はこう思う。
無理に具現化された幻想が世界を滅ぼすなら、人々を未来へ導くのも具現化された幻想ではないかと。
そう、今から始まるのは。
幻想と現実の境目で繰り広げられる、最後の戦いだ。
□
幻想と現実の合わさった殺し合いは、たった1日で佳境を迎えた。
8の世界から集められた52人の戦いが終わったとしても、その爪痕が消えることは無い。
むしろその戦いによって、世界の境界は壊れ、さらなる混沌を呼び込むことになった。
「おい、カイン!!しっかりしろ!!」
リンクの声は、ほんの数刻前まで戦友だった竜騎士には届かない。
彼を飲み込んだ黒い炎を、水をかけて消しても、戻ってくることは無い。
鎧に包まれた竜騎士の心臓部からは、真っ黒な孔が覗かせていた。
勿論、命の中枢となる臓器の存在は、到底期待できそうにない。
人間が心臓を失えば、死ぬのも当然だろう。
「こんなこと……あるのか?」
リンクという勇者は、また戦友を失った。
イリアやゼルダのような、守るべき者が全員死んでしまったと思った矢先にこれだ。
アルスも、ミドナも、ルビカンテも、そしてカインも。
隣で戦っていた者が、次々に死んでいく。
しかも、今度の死はあまりに一瞬の出来事だった。
カインが危険を顧みず飛び込んだ結果。それは分かっている。
ザントが最後の最後で渾身の一撃を撃った。それも知っている。
そんな悪条件を加味しても、あまりに一瞬の出来事過ぎた。
それだけではない。
クリスチーヌの出自も今一つ分からないままだし、彼女を連れ去った黒い手の正体も不明のままだ。
(落ち着け……こういう時こそ、冷静になれ………。)
一瞬の出来事過ぎて、自分の頭が混乱しているのがよく分かった。
今すぐ駆け出したい気持ちがある。
だが、その先にあるのが何なのか分からない以上は、あまりにも危険だ。
天井に開いている穴に飛び込もうにも、高すぎて到底無理だ。
まずは、辺りの観察から始める。天井から攻撃が来る可能性だって、否定できない。
「なあ、あの黒い手、オルゴ・デミーラって奴がやったことじゃないのか?」
そう話したのは、キーファだった。
彼はメルビンから、デミーラが殺し合いに関わっていることを聞いている。
「いや、それはない。奴は死んだ。ザントによって殺された。」
「!?」
唯一の当事者からあまりにも予想していなかった言葉を聞き、一層驚くキーファ。
だがミキタカやキョウヤは、なるほどといった表情を浮かべていた。
既に殺し合いを生き残った者達は、殺し合いの頂点に立っていた者が変わった仮説を、デマオンから聞いている。
正確には川尻早人という少年と同行していた、ヤンという男が最初に立てた推測で、デマオンはその早人から聞いただけなのだが。
「死んだふりをしている可能性もあるが、少なくともあの黒い手がデミーラの可能性は低い。」
「あの2人を倒せたらすべてが終わると思っていたんだが……まだ俺達は帰れないのか。」
いつもは冷静なキョウヤも、いつになく不安そうな表情を浮かべている。
ザントは倒した。カインが槍で心臓を貫き、リンクが聖なる力を帯びた剣で切り裂いた。
デミーラも死んだ。2度も復活し、エデンの戦士たちを苦しめた巨悪は、異なる闇に喰われて終わった。
「恐らく、あの黒い手の先にあるのが、クリスチーヌさんが言っていたカゲの女王なのでしょう。
私の力ならあの場所まで行けます。」
早速ミキタカは、下半身を一反木綿のような形に変えた。
殺し合いの間に、山奥の塔を登って行った時と同じ方法だ。
「やめろ!カインのような目に遭ったらどうする!」
それをリンクが慌てて止めようとする。
天井の穴の先は、闇に包まれている。
何があるのか見当もつかないが、禄でもないものがあるのは確かだ。
「言っていることは分かります。ですが、誰かが行かなければいけません。それに私は、何も出来ないのは嫌なんです。」
彼の言うことは、らしくもなく合理的だ。
誰か一人を危険に晒してでも、相手方の情報を得なければ、何もわからないまま全滅という可能性もある。
この中で戦力の低いミキタカに貧乏くじを引かせ、相手の出方を伺うのは決して間違った方法ではない。
「うわ!」
「じ、地震かよ!?」
今の状況は、選択する暇さえ与えてくれない。
ホール全体に響く揺れのせいで、立つことさえ出来なくなる。
キーファやリンクは、背中から床に転がってしまう。
ミキタカも勿論のこと。地震のせいで、下半身がこんがらがり、上に向かう事さえ出来なくなる。
それは、あの殺し合いで2度目の放送の後に起こったものと酷似していた。
「おい、あれ………。」
地震が起こった後しばらくして、キーファが異変に気付いた。
ミキタカが上へ向かうと言っていたため、上を見ていた他の者も、すぐに天井の変化に気付くことが出来た。
「天井、降りてきてないか……?」
5人の視界の中で、黒の占める割合が、次第に増えていく。
降りてくる天井というのは、盗人除けや侵入者の撃退によく使われる仕掛けだ。
少なくとも、部屋から追い出すのに使える仕掛けである。
現実には見たことが無かったとしても、剣や魔法がある世界ではよくあることなのだ。
中には、降りてくる時だけトゲが生える天井などもある。
「ぼやぼやするな!潰されるぞ!!」
リンクが天井を見上げたまま動かないキーファの腕を掴み、部屋の出口に連れて行こうとする。
幸いなことに、この部屋にはキョウヤ達が入って来るのに使った入り口がある。
ひとまずここから出て、今後のことを考えるべきだ。そう考えていた。
「いや……違う。天井が降りてきているんじゃない。」
「え?」
キーファの言う通りだった。
最初リンク達は、天井が降りて来たのだと考えていたが、それは間違いだった。
降りてきているのは、影だった。
影が落ちる、という言葉があるがそんなものではない。
光を遮る、黒くてもこもこした、それでいて掴めない何かが天井から降りて来たのだ。
壁に掛けられた燭台の炎も、壁に高い場所から消えていく。
「どっちでもいい!早く逃げるぞ!!」
キョウヤは慌ててザックから、『鬼は外ビーンズ』を取り出し、辺りにばらまく。
けれど、特別な力が働いているのか、外へ出ることは叶わなかった。
改めてリンクがキーファの手を引っ張り、出口へと走る。
彼の仲間のミドナは、影の世界は黄昏時のような美しい場所だと言っていた。
だが、天井から落ちてくるカゲは、とてもそのような美しいものだと思えなかった。
人々が忌み嫌う影の部分を濃縮したような、言いようのない悍ましさを感じた。
☆
最後に、のび太たちの前に立ちはだかった敵は。
かつてないほど巨大な敵だった。
何しろ、覆い尽くす視界の全てに、敵の存在があるのだから。
「これは……何が起こったでござるか?」
百戦錬磨の英雄であるメルビンも、現在の状況を理解しきれなかった。
何しろ、今自分たちがいる場所が、何とも奇妙な空間だった。
辺り一面、光一つ見えず真っ暗になってるのに、他の者達の姿は明瞭に浮かんでいる。
黒ずくめの格好をしており、人間らしからぬ漆黒の皮膚を持っているデマオンもその例外ではない。
そして、草原や室内のように、自由に歩き回ることも出来る。
「つまらぬこけ脅しだ。暗くするだけならば灯りを消せば出来ることだろう。」
デマオンは決して、相手を侮った上でそう言ったのではない。
現に魔王の声は僅かながら上ずっていた。
相手の力を知った上で、その言葉を飛ばしている。
「地球人共、まだ余力はあるな?もう一度あの技を使うぞ!!」
「分かってるわ!」
「勿論でござる!!」
メルビンの剣に、ローザのホーリーと、魔王の雷が集まる。
一度は女王を倒す直前まで追い詰めた技だ。
殺すことは出来なくても、傷付けることは可能なはず。
影の世界の中でも、2つの光が辺りを照らした。
「アルス殿……わしに力を貸して下され!!ギガスラッシュ!!!!」
魔法の力によって、刀身が二倍近くに伸びたかのように映る。
高く跳躍した伝説の英雄は、影の深淵目掛けてオチェアーノの剣を振るう。
「ぐはっ……!!」
その刹那だった。
何か黒いものが動き、気が付けばメルビンの両腕が、剣ごとどこかへ飛ばされていた。
勿論、先端が切り株となった両腕からは、止め処なく血はあふれ出る。
「愚かな者たちじゃ……剣でカゲを斬れるか?水でカゲを流せるか?拳でカゲを潰せるか?」
全く持って予想外の一撃を受け、地面に崩れ落ちる。
立ち上がろうにも、出血量が激しく、思うように立てない。
「傷を塞げ!!」
「言われるまでもないわ!ケアルガ!!」
すぐにローザは、メルビンに回復魔法を使う。
彼女の魔法は、制限されている状況でなくとも、欠損や組織の細かい臓器の修復は不可能だ。
影の中へと消えた血の量からして、すぐに回復させねば、英雄といえど出血多量で死に至る。
何とか出血を止めることが出来たが、奇妙なことに気付いた。
彼の欠損痕が、異様なほどに綺麗だったことだ。
まるで斬られたというより、消されたと言った方が正しい。
だが、そんなことはどうでもいい。
乾坤一擲の一撃が効かなかった上に、両腕を失った以上はもうあの技を出せない。
「今一度、そちたちに問おう。わらわに仕える気はないか?今なら許して遣わす。カゲの世界の1つぐらいはくれても良いぞ?」
先ほどもそうだったが、女王の言葉に奇妙な違和感を覚えた。
声が聞こえるというのに、何処に彼女の口があるのか見当もつかない。
この空間そのものがカゲの女王であるのだから当然だが。
今までで一番強大な相手に、歴戦の勇士と言えど、戦意を失いそうになる。
「ワハハハハハ!ワハハハハハハハハハハハ!ワハハハハハハハハハハハ!!!」
デマオンだけは下らないと一笑に付した。
元々地球を自分の手にしようとしていた彼は、この殺し合いを経て、異なる世界の地球も手にしようとしていた。
そんな壮大な野望を持った魔王が降伏するなど、土台無理な話だ。
彼の高笑いが、真っ暗な空間に木霊する。
「きさまは喜劇の女王になったつもりか?地球はわしのものだ!!だというのに誰に渡すかの皮算用をするなど、滑稽にも程があるわ!!」
誰が言ったか。両極端は相通ずると。
勇者が恐怖に打ち勝つ者であるとするなら、魔王もまた、勇者という強大な敵の恐怖に打ち勝つ力を持っている。
そしてデマオンも、目の前の恐怖を押し殺し、野望を叶えようとした。
彼が元々狙っていた地球どころか、のび太たち科学世界の地球、そして他の世界も征服しようとしている彼の精神は、並みではない。
デマオンの両手に、凄まじい魔力が宿る。
右手には炎がごうごうという音とともに集まり、
左手には雷がバチバチといいながら集まり始めた。
その輝きは、デマオンの無限に近い命を象徴しているかのようだった。
「地球人共!!自分の身だけ守れ!!」
「………分かったわ。シェル!」
彼が叫んでいる間にも、魔力はどんどん高まる。
残った4人は、魔王の言葉の意図がすぐに分かった。
それに伴い、両手に宿る赤光と雷光は、止め処もなく大きくなっていく。
やがてデマオンの体躯をも越え、まるで太陽か何かと勘違いしてしまう程だ。
「わしが本気を出せば、他の者まで巻き込んでしまうからな。ここまで力を抑えておった。」
デマオンが今まで、持ちうる魔力の全てを使わなかったのは、様々な理由がある。
あまりに攻撃範囲が広く、配下の者まで殺してしまう。
魔力を全て使うため、獲物が新たに現れた場合に対応できない。
魔法の詠唱に時間がかかるため、相手がその間に姿をくらませてしまう。
そもそも、力を全て使わなくても倒せる相手ばかりである。
かつてデマオンと戦ったのび太はおろか、彼の部下さえもその全ての力を見たことが無い。
メルビンは、はっきりしない意識の中で、オルゴ・デミーラが今際の際に使ったマダンテを思い出した。
ローザは、フースーヤとゴルベーザがゼムスに放った、二重のメテオを思い出した。
「ほう……これほど力を見せつけても、わらわに逆らおうというのか。」
「せいぜい今だけ粋がっておるが良い。わしの全ての魔力を受けても、その態度を通せるか見ものだな。」
さらにさらに、魔法弾が膨らんでいく。
これで終わりかと思いきや、瞬きする間にそれより一回り、二回り。
(くそ……魔王に未来を委ねるなど……だが致し方あるまい!)
大量に血を失ったため、朦朧とした意識の中で、マジックバリアを唱えるメルビン。
絶望的な状況の中、魔王という英雄が決して頼ってはならぬ存在こそ、唯一の希望だった。
両腕を失った今、目の前の怪物を倒すことなど不可能だ。
(頼むぜ魔王さんよ……あんただけがもう頼りだよ……。)
覚も似たような気持だった。
デマオンが人間に友好的な相手だと勘違いしたわけではないが、彼の故郷の鏑木肆星に勝るとも劣らぬ力を持っていることは分かった。
勿論、生殺与奪の権を魔王に握らせるのは、精神的によろしいものではない。
幼いころから、恐怖の象徴として忌み嫌っていた、不浄猫に悪鬼の討伐を期待するような気分だった。
やがて2つの魔力が、限界まで高まった瞬間。
それらがデマオンの目の前で収束して行く。
命の躍動を連想するほど、激しい輝きを放っていた2つの魔法玉が、合わさった瞬間。
一転して死や滅び、溶解を連想させるほど、毒々しい紫色の光を放ち始めた。
今度はメルビン達は、魔力を継ぎ足すことはしない。
凄まじい力に自分の魔法を加えようとしても、凄まじい力の前に霧消してしまうのが関の山だ。
「闇の波動に飲まれるが良い!!」
影の中でも、はっきりと目に映るほど、激しい閃光が弾けた。
デマオンとて無傷ではない。魔力の反動を受け、両腕に稲妻を彷彿とさせる裂傷が走っていた。
だがそれは、確かな威力なのは、見た目だけでも十分に伝わった。
なにしろ無限の空間である宇宙を突き抜けようとする、隕石(メテオ)のように見えるぐらいだ。
まともな者、いや、よほど強靭な肉体を持った者でも、その身に受ければ塵も残さず消えてなくなるだろう。
いつまでも無の空間を疾走し続けると思った魔王の魔法は、カゲの深淵の中で爆発を起こした。
「のび太殿、みんな!!伏せるでござる!!」
暴走した魔力が大爆発を起こす。
凄まじい音が、のび太たちの鼓膜を揺らす。
耳をふさがなければ、爆音だけで脳が悪影響を受けていたかもしれぬほどの轟音だった。
空気がビリビリと揺れ、台風と勘違いしてしまうほどの強風が吹き荒れる。
デマオンの世界は愚か、この殺し合いで集まった8の世界全てを見ても、今の魔法に勝る破壊力は存在しないと言っても過言ではない。
「ホ~ホッホッホッホッホ……今のはわらわにもこたえたぞ?」
「さ、最悪だ………。」
覚の声は、生気を失っていた。
魔王が持ちうる魔力の全てを擲ってなお、女王は笑みを絶やさなかった。
これで倒せないのなら、女王を倒す方法などどこにもありはしない。
「ウソ……あれだけやっても、効かなかったというの?」
「カゲを傷付けるとはわらわも想像していなかった。だが、これで終わりじゃ……。」
デマオンの究極魔法が爆発した辺りで、ほんの僅か、何かが光っていた。
それが彼女が言った、『カゲに与えた傷』なのだろう。
だが、それでは意味が無い。デマオンはとどめを刺すつもりで撃った。だというのに、『効いているだけ』だ。
もう数十発撃てば、まだ話は変わって来るかもしれないが、その魔力はどこにあるのだという話だ。
そして、その光もすぐにカゲに塗りつぶされる。
デマオンの全ての魔力を擲った一打は、一瞬で水泡に帰した。
「バカな……これでも倒せぬと……?」
魔王にとって、今までにない絶望だった。とりわけ、自分より強い敵に会ったことの無い魔王にとっては。
かつてのび太たちに負けた時は、奇妙な道具のせいで力を出し切れずに負けた。
吉良吉影に逃げられた時は、奇妙な運命の力で手玉に取られた結果だ。
だが、力を重んじる魔界星に生まれ、力比べでは勝ち続けてきた魔王にとって。
それが全く通じなかったことは、彼にとって経験したことの無い絶望だった。
人間の数倍生きて来た魔王は、初めて力が抜けていくのを感じた。
力を使い切った魔王は、がくりと膝を付く。
死んではいない。だがそれが、何の希望になるというのだ。
「もう良い。飽きたわ。そのままそこで世界がカゲに飲まれていく様を、黙って見届けるが良い。」
女王は5人を殺しはしなかった。ただ、その空間に残った者達を閉じ込めたまま、姿を消した。
今の彼女にとって、人間など気が向けばいつでも殺せる、虫のような存在でしかない。
ただの人間のみではない。魔王も、英雄も、全て同じである。
高貴さでは右に出る者はいないスペードのキングも、誰をも魅了させる美しさを持つハートのクイーンも、存在価値はない。ジョーカーだってそうだ。
彼らが絵札としての価値があるのは、その面(おもて)が映る光の世界だけ。
カゲの世界の中では、全て同じ模様の札の裏側。全く価値のない札だ。
カゲの力が、呪力が、測り知れないほどの魔力が、止め処もなく溢れ出していく。
最終更新:2023年06月03日 09:50