真っ黒な大津波のような何かが、全てをなぎ倒し、押し消していく。
激しい地震と共に、全てを平等に呑み込んでいく。


一本の剣と共に眠る美女と野獣も。
3名の死体と共に崩れ落ちた図書館も。
地面に描かれた美女とその恋人と親友の絵も、その画家の死骸も。
地の底に眠る少女と少年、そして魔獣も。
迎え入れる電車が無くなった、4つの駅も。
1人の少年の力によって掘り起こされた穴も、その真ん中で眠る殺人鬼も。
10人の生存者が殺し合いの中で僅かな希望を見出し、宴を楽しんだ城も。


全てが等しく消されていく。
殺されるのではない。それならば元々死している者や、建物のように命を持たざる者もあるので、恐れることではない。
消滅とは死とは異なる。その存在の歴史も、原因も結果も、一切合切が無くなるのだ。
勿論、一部の者を除き、記憶からも消えてしまう。


様々な色に溢れた世界が黒一色に塗りつぶされた後、被害を受けるのは。
この殺し合いの参加者がいた、8の世界だ。
それらはすべて消されることは無い、悠久の時を超えて生きる魔物の、征服の対象にされるだけだ。




「こ、これは人類の敵って奴の仕業じゃねーのか?」
「モグオさん、どうにかしてくださいよ!!ここでどうにかしてこそ、クラスのリーダーですよ!?」


ある世界で、大柄な坊主頭の少年と、その取り巻きの少年1人が叫ぶ。


「無理に決まってんだろ!!どうすればいいんだよ!!」


彼が所属している学園は、特別な能力を持った者が集められている。
中には、たった1人で無能力者100人を制圧できる能力の持ち主もいる。
そんな場所でも、空一面を覆うカゲをどうにか出来る者などいない。





「うわあああああ!! 何だアレは!?」


ある世界の、小さな町の住人も、空がカゲに包まれることに驚いていた。
その街の人間のほとんどは呪力を使いこなせる。
だが、呪力が万能の道具と言われているのは、このような状況を見越していないからだ。
実際に、あふれ出る呪力をどうにか出来た者は、1人としていない。





「ひえーーーーーーーーー!!おたすけーーーーーーーー!!!」


ある世界の城下町。
昼間は常に人々があわただしく動いているこの場所も、似たようなことになっていた。
勿論、昼夜を問わず巡回している兵隊も同じことである。
狼一匹に慄く者達が、太陽すらも覆い尽くす巨悪と戦おうとする訳がない。


「何やってんだい!兵士としてやる気が無いなら、荷物纏めて田舎へ帰りな!!」


その城下町の酒場の中で、太った中年女性が怒鳴り声を上げる。
辺りは、地震によって散乱した酒瓶が転がっている。それを残った店員が、必死でかき集めている。


「来るなら来てごらん!誰が来るのか知らないけれど……。」


彼女の声は、恐怖を含んでいた。
未知の恐怖に、彼女もまた膝を屈しそうになっていた。




青き星も、カゲに包まれた。
太陽はおろか、天を仰いだ時に見える月も、破滅のベールに隠されてしまう。


「うわあああああ!!こ、これはもしや、世界の滅亡!!?」
「諦めるな!俺達は軍事国家バロンの兵隊だぞ!カインさんやセシルさんがいなくっても……。」
「お前、何を言ってるんだ?」


ある大国の兵隊の1人が、存在しなくなった人間の名前を叫ぶ。


「はあ?セシルさんとカインさんを知らないって…お前……あれ?俺、何を言ってたんだっけ?」


既に、カゲの力の暴走による被害は表れていた。
消された者達の名前は、8つの世界の外れにいた者を除いて、生存者の記憶からも消えていく。




「うわあああああああああ!!!!」


とある行方不明者の多い町で、悲鳴を上げたのは、鉄塔に登っていた青年だった。
正確に言うと登っていたというより、住んでいたが正しいのだが、そんなことはどうでもいい。
腰に巻き付けていた命綱のおかげで事なきを得たが、宙づりという形になる。
その状態から、空の異変に気付いた。


鉄塔の下にいたウサギや、上に止まっていた野鳥も、地震に悲鳴を上げる。


「あれ?そういや俺……どうしてここにいるんだっけ?……てかそんなこと気にしてる場合じゃねーーー!!」


何とも間抜けなリアクションに見えるが、それどころではない。
まずはどうやって、鉄塔に戻るかを考え始める。
地面にはあまり触れたくないものがあるからだ。


(てか……何だよアレ。最近変な料理ブームだからって、あんなもん育てた覚えねえぞ…)


唐突に地面から、男が栽培していた野菜が芽吹く。
いや、それが野菜だったらまだいい。
生え始めたのは、食べたら食中毒に陥りそうな、極彩色の葉を持った植物だった。




空の異変は、天空から見ていても同じだった。


「こ、これはまさか……魔王がまた復活したのか?」


天上の神殿から地上を観察していた兵士が、周囲が闇に包まれたことに驚く。
状況は闇の封印に酷似しているが、状況の禍々しさはそれ以上だ。
飛空石を使い、今すぐにでも地上の者達を助けようという気さえ起きなかった。


「メルビン殿……無事でおられると良いが……。」

かつての仲間であり、封印から蘇った英雄の無事を祈るしかなかった。




「こ、これはまさか……いにしえの魔物の復活!?」


とある宮殿、正確には魔物が宮殿としていた場所の、とある一室。
グルグルメガネが印象的な老クリボーが、突如起こった地震に恐れおののく。
彼の恐怖は、闇の魔物に対してではない。
自分がどこで、何をしていたのか。どうしてこんな所にいるのか、それさえ分からないことだ。




「みんな!無事だったのか!!」


溢れ出す闇に飲み込まれたリンクは、別れた者達の所へ駆け寄る。
キーファやキョウヤ、ミキタカも同じ様子だった。
先程から訳の分からないこと続きだが、それでも再会だけは喜ばしい事だった。


「リンク殿!無事でよかったでござるよ!!そしてそっちの赤い服の少年は、キーファ殿でござるか!」
「ああ。その口調…メルビンさんで間違いないんだな!!」

「ローザさんも無事で何よりです。」
「ええ、何とかね……カインは?」


ローザの方も、すぐにリンク達に気付いた。
同時に、1名いない人物がいるということに。
リンクは何も答えず、ただ首を横に振った。


「そうなのね……。」


カゲの世界で残された光のうち、小さな2つが消えた。


「……一体何が起こってるんですか?」
「ああ、俺も知りたかった所だな。」


リンクとキョウヤ、それにミキタカは、この異様な場所のことを知らない。
全てが黒一色に覆われ、それでいて他の者の姿だけ鮮明に映っているこの世界を。


ローザは説明を始めた。
自分と同じ世界の仲間の姿を奪った、カゲの女王という魔物と戦っていたこと。
追い詰めたのだが、クリスチーヌと覚の幼馴染の力を吸収して、更なる進化を遂げたことを。
そして、完全な力を手に入れたカゲの女王は、全てをカゲに飲み込んだことも。


「ザントや……ガノンドロフ以上に強大な魔物……。」
「デミーラが死に、ザントを倒せたのは大義であった……だが、もはやどうにもならんのか……。」


メルビンは青い顔をして呟いた。
彼が失った血は多く、おまけに剣も持てないときている。


その時だった。
不意にのび太が声を出した。


「スネ夫!ジャイアン!!しずちゃん!!」


虚空に向かって、友の名前を呼ぶ。
誰もいない方向に向かって行って、彼は走って行った。
だが、仲間の手を掴もうとしたのび太は、虚空を掴むことになる。


「え?消えた?」


傍から見れば、何が何だか全く分からない挙動だった。
でも、のび太の行動に、覚は何が起こったのか察しがついた。


「違う。のび太君の友達が消えたんじゃない。俺達の記憶が消されているんだ。」


朝比奈覚は、間引かれた友の記憶を、呪力で消されたことを思い出した。
その内1人のことを思い出した今、彼は考えていた。
もしもその人の重要な記憶が消されれば、別人に、すなわち誰かにとって都合のいい人物にされてしまうのではないかと。
実際に、記憶を奪われてしまった者は、生きる理由が分からなくために、生きていながら屍のようになってしまうという。
自分に反旗を翻す者がそうなれば、支配者にとって都合が良い事この上ない。


「まさか……どくさいスイッチみたいな……。」


彼の言っていることは、半ば当たっていた。
そもそも『消える』というのは死ぬことと似て非なるものだ。
消える人物がたどった歴史そのものが、一切合切無くなってしまう。
当然、第三者にはその人が消えたということさえ分からず、記憶から消え去る。


カゲの中で、大切な記憶が1つ、また1つと消え、最後に残るのは生者とも死者とも区別のつかない人形だ。


「このままじゃ……けれど、どうすれば……。」


この場で、カゲを破る力を持つ者はいない。
メルビンの剣術も、ローザのホーリーも、デマオンの魔法も意味を成さなかった。


「そうだ、キーファ殿が持っているのは、トゥーラでござろう?不思議な曲でどうにかならんでござるか?」
「無理だ。」

メルビンはトゥーラのことは良く知らない。だが、それが特別な力を秘めたというのは知っている。
アルスやマリベルからは、海に沈んだ都市でトゥーラ弾きの楽師に助けてもらったことも聞いた。
だが、キーファの返答は、ひどく力のないものだった。


「さっきの揺れで壁に背中をぶつけた時、壊れてしまった。」

楽器の弱点というのは、わずかな衝撃で本来の役目を失ってしまうことだ。
ローザの世界なら、ギルバートのリュートという例外もあるが、キーファの場合はそれには含まれない。


「リンクさん、その光る剣でどうにかできないのですか?」
「……分かっている!!マスターソードなら、影だって切り裂けるはずなんだ!!
ローザ、魔力はまだ残っているな?回復してくれ。」
「………。」


白魔導士は言われた通り、リンクにケアルをかける。
彼女はホーリーを使う魔力は残されていない。だが、白魔導士の基礎、ケアルならばまだ使える。
幸いなことに、白魔法のほとんどが制限されている中でも、リンクの傷は全て塞げた。


――終の奥義―――――― 


リンクは全ての力を、剣に注ぐ。
使うのは勿論、体力が万全の時にしか使えないあの奥義だ。


――大回転斬り


だが、その力を使っても、景色が変わることは無かった。
もう一発撃てば、何か変わるかもしれない。だが、周りが変わる前に、リンクに変化が起こった。
リンクが持つマスターソードは、カゲに飲まれ、その光を失っていた。
続けざまに、彼の手の甲にある勇気のトライフォースも、消えてしまう。
その力は、勇気、知恵、力と3つ存在する。2つが持ち主ごと消された今、残る1つも力を発揮しなくなる。


「くそっ!くそっ!くそっ!!」


ダメもとで闇雲に振り回してみるが、カゲに傷1つ付けることは出来ない。
そしてすぐに、剣が振られることは無くなった。
リンクの力が尽きたのではない。急に剣が重くなったのだ。
記憶を奪われ、トライフォースの力も無くなった今、勇者の証たるマスターソードを使いこなすことは出来ない。


「剣が……」


振るどころか、持つことさえ許されず、頼みの綱の聖剣を地面に落とす。
それはまるで、ザントの前で降伏を選び、剣を床に落としたゼルダ姫を彷彿とさせた。
剣が地面に落ちたことを皮切りに、辺りは静寂に包まれた。


「うああああっ!!」


剣を落としたリンクは、突然悲鳴を上げた。
両手を握り締め、異様なほどの前傾姿勢になる。
直立しようと抗うも、無駄なことだった。
両腕は毛におおわれ、顔は人のものではなくなった。



「がああああああっ!!」

悲鳴と共に、黒い狼へと姿を変え、そのまま地面に倒れ伏す。
カゲの世界の中では、リンクは人の姿を保つことが出来ない。
マスターソードの力があれば姿を維持することが出来たが、その力も失われた。


「ど、どうしちゃったの?」


のび太は彼の変化に恐れることもない。
元々、動物と友好的な性格の持ち主だ。けれど、のび太はこの状況をどうする方法も知らない。


「ちょっと!起きてよ!!」


残された9人、誰もが感じていた。
知っていた人物の、親しい人物の、憎い人物の、共に笑った人物の、戦った人物の。
名前が、顔が、思い出が、声が、匂いが、得意なことが、共感が。
1つ、また1つと消えていくことを。
消えていくというのに、何が消えたのか分からないことを。


全てが無くなり、消えていくのが先か。それともカゲに飲まれ、他の人間の記憶から消えるのが先か。
トランプの絵が、消えていく。
クラブも、ハートも、スペードも、ダイヤも、全て裏側と同じ、何の違いもない札になってしまう。


既に倒れていたデマオンやメルビンだけではない。
リンクが、ミキタカが、キーファが、ローザが、覚が。
希望を失った者達が、次々に膝をついて行く。


あの殺し合いを生き残った者は、何を糧に強大な敵と戦うのか。
それは、散った仲間の想いや、戦いの経験、そして帰りを待つ者の笑顔だ。
もし、それらがすべて消え去ってしまえば。


「本当に……本当に万策尽きたのでござるか……?」


今まで若い者たちを励ましてきたメルビンでさえ、声には生気が無かった。
こういう時には誰かの手を握ってやるべきだというのに、その手さえもう無い。
残されたわずかな魔力だけで、何をしろという話になる。


「このままただ……黙って消えるのを待つほかないのか?」


小野寺キョウヤの能力は『不死』。
だが、今の状況の先にあるのは、死ではなく消滅。
ただでさえ能力が制限されているというのに、消されてしまえばそんな能力も意味が無い。


「その通りだ。」


キョウヤの言葉に答えたのは、デマオンだった。
彼の両目からは、常に燃え盛っていた炎が消えていた。


「奴はわしの魔力を全て放っても倒すことが出来なかった。あの青ダヌキが持っていた道具も意味が無い。
もはやどうにもならん。」

「それでも……このままじっとして死を待つのは、御免被る!!」

両手を失いながらも、両脚だけでメルビンは立ち上がった。
それは英雄と呼ばれた者らしくもない、生まれたての小鹿のようなぎごちない動きだった。
尤も、両手と大量の血を失った中で、それが出来るだけでも常人離れしているのだが。


「わからぬのか!そんなことをした所で、棒きれ1つ持てぬきさまに……」
「そんなことは分かっているでござる!!それが何の意味もなさなくても!!ワシはただ、老い先短い命尽きるまで生きて、納得して死にたいだけでござる!!
こんな所で諦めては、アルス殿や早季殿、ビビアン殿も浮かばれん!!」


メルビンはふらついた両足で、他の8人から離れていく。
その姿は、冥土へと向かう幽鬼のように覚束ない足取りだった。


「心配しなくて良いでござるよ。みんな。必ず家族のもとに帰れるでござる。」


「何処へ行くんだ!?」


覚が彼を呼び止める。
こんな所で無理をして死なれれば、彼としても目覚めが悪い。
けれど老兵士は振り返ることなく、歩き続ける。
両手を失った上での歩行に慣れて来たのか、足取りは先ほどよりもしっかりしていた。



「この世界の脱出口を見つけるでござる。出口を見つけて、未来を切り開くことぐらいは何度でもやってきたでござるよ。」

「無茶をするな!!」


覚の叫びを無視して、メルビンの姿は小さくなっていく。
いや、メルビンが無視したのではなく、彼の声でさえ、カゲの力に遮られるのかもしれない。


「くそっ!!」


何もかも上手くいかない現状に、舌打ちをしながら床を蹴る。
メルビンは諦めずに出口を探すと言ったが、成功する確率は限りなくゼロに近い。
自分がその確率を上げることも出来ない。
やはり自分は早季にも瞬にもなれないのだ。
そんな現実を何度も付きつけられる。


「あのさ………。」


自暴自棄になった覚に向かって、口を開いたのはのび太だった。
彼もまた、記憶が1つ1つ消えていく中、忘れないうちに聞きたいこと、伝えたいことがあった。


「あの時……僕が美夜子さんやドラえもんは死んでないって言った時……。
朝比奈さんは一緒に探そうって言ってくれたよね。でもさ、本当はみんな死んだと思っていたんでしょ?」

(なんだ、そんなことか。)


朝比奈覚としては、過去に自分がしたことなど、最早どうでも良かった。
確かにのび太を子供と軽んじ、恐れ、体のいい舌先三寸の嘘で宥めようとしたのは事実だ。
だが、やがて記憶が消えていく中、のび太がそんなことをどう考えていようと、最早どうでも良かった。
そんな昔のことを罵倒したければ、好きにしてくれと思っていた。


「僕を慰めてくれてくれてありがとう。」
――……ありがとう。


消されゆく記憶の中で、朝比奈覚が思い出したのは、最初の放送のすぐ後のこと。
あの時も、のび太から礼を言われた。
それがひどく力のないものだったのは、今でも覚えている。
でも、今ののび太から聞いたお礼の言葉は。
小さいながらも、力の入った感謝の言葉だった。


「今更どうしてそんなことを……。」


話をする時間ならば、大魔王の城にいた時など、いくらでもあったはずだ。
尤も、話をする機会があった時に限って、感謝の言葉とは中々伝えられないものだが。


「このまま、朝比奈さんのことを忘れちゃうんでしょ?でも忘れたくないから、ずっと思い出しておこうと思ってさ。」
「ま、俺は昔っから嘘をつくのだけは得意だったからな。バレちゃあしょうがないが。」


そんな言葉を交わしたところで、記憶から消える時間がほんのわずか伸びるだけ。
拷問が長く続くか短く続くかの違いでしかない。


「なんかさ、言えなかったことを言えたら、スッキリした。
やっぱりさ、諦めるの嫌だな。」


言葉というのは不思議なものだ。
胸につかえていたものが無くなり、ほんの僅かだけ気分が晴れてくる。
のび太もまた立ち上がり、拳銃に弾を込めた。



少年1人が立ち上がった所で、事態は何も好転しない。
銃弾を装填させたところで、撃つ相手がいないのでは全く意味が無い。
しかし、野比のび太という銃の天才は。
とあるイタリアマフィアが使っていたその武器を、敵を撃つ以外の方法で使った。
その先は、誰もいない。影に飲み込まれた天空へと発砲した。


ぱん、という音の方向に、残った8人は一様に目を向ける。
離れた場所にいたメルビンも同じだった。


「みんな!もう一度戦おうよ!!」


静寂に包まれた世界で、少年特有のやや高い声が響く。


「こんな所で諦めてどうするんだ!!このままカゲに飲み込まれるだけでいいのか!!」


呼びかけるのは、一人の少年。
されどその姿は、1つの武器を手に巨悪と戦う英雄。
絶望に包まれた群衆を、一筋の希望の光へと導く勇者。


「光が無くなったって、力が無くなったって、何だって言うんだ!!僕達がそれを取り戻せばいい!!」


誰もが立ち上がる気力を失っていた中。
野比のび太という一番力を持っていない少年だけが、武器を携えて立っていた。


「今更そんなことをしたところで同じことだ。この世界から脱出できぬ以上、ヤツと戦う事すらできん。
もう諦めるしか無かろう!!」


やはり地球人とは相いれない存在だ。
目の前の状況をまるで理解していないのに、寝言をぬかすな。

だが、気力を失った魔王などで、のび太を止めることなど出来ない。
今のデマオンより、彼が0点を取った日のママや、エラーをした後のジャイアンの方が、彼を怯えさせることが出来るだろう。


「しゃんとしろよ!!デマオン!!記憶を完全に失ったらそうやって怒ることも出来なくなるんだぞ!!」


人間の小学生が、大魔王を恫喝する。
傍から見れば、異常な光景だ。


「僕達はこの殺し合いで、色んなものを失って来た!!これ以上失うのを黙って待てって言うのか!!」

「そうね。死ぬのだとしても、セシルやカインのことを、忘れたくないわ。」
「まあ、俺も元の世界に帰って、妹を見つけなきゃいけないしな。」
「わしにはきさまが何故そうまでして生き急ぐのか分からぬ。だが、このまま言いくるめられたまま終わるのも癪だ。」


「思い出せ!みんなとの思い出を!!守りたかった友達を!!」


少年の言葉が、影に飲まれた者達の心を照らしていく。
相も変わらず打開策は見当たらない。だというのに、不思議と負ける気が消えていく。


「分かったよ。もう少しのび太に付き合ってやろうじゃないか。」



「けれど、ここから脱出するには、出口を見つけなきゃいけない。何か方法はあるか?」
「そのことなんですが……私がキーファさんの楽器に変身すれば、不思議な力を使えるかもしれません。」
「出来るのか?」

ヌ・ミキタカゾ・ンシの能力は、物体に変身することだ。
だが、機関銃や精密機械のような、構造が複雑な物になることは出来ない。
楽器も、弦の張りや穴の形・向きが一つ違うだけで、音が全く変わる。
しかもトゥーラという彼の見慣れぬ楽器なら、表面を真似るのが精いっぱいだろう。


「分かりません。実際にキーファさんが弾いてみてください。」


無茶な試みなのは、彼が分かっている。
けれど、ミキタカもまた、この殺し合いで生き残った者の1人。
無力ながらも誰かのために戦いたい、戦えないというのなら、誰かの手足になりたい。
そんな気持ちは嘘ではない。


「そんなムチャな……」


キーファの有無を言わさず、ミキタカは姿を変える。
瞬く間に、人の姿をしていた宇宙人は、元の姿とは似ても似つかぬ弦楽器に姿を変えた。


「ジャン……力を貸してくれよ……。」


キーファは祈りを込め、弦に指を通し始める。
思い返すのは、ほんの数刻しか共にいなかった、ユバール族の男。
それでも、彼の人生の転換点になった人物の1人。


「弦の張り方が弱い。これじゃいい音が出ないよ。」
「すいません。」
「おいおい、弦を全部同じ張り方にしてどうするんだよ。」
「え、えーと、こうですか?」


トゥーラがモゴモゴと動き、少しだけ形が変わる。
ミキタカもキーファも、完全に手探りといった状況だ。



「ハハハハハ……くすぐったいですよ。」
「我慢しろよ!!」


宇宙人の身体のくすぐったい所なんて、何処なのかさっぱりだ。
とりあえず、指の位置がまずかったと感じ、弾き方を変える。


「族長から貸してもらった時の音と、少し違う。形が少し歪だからじゃ無いか?」
「え、えーと、もう少し大きくした方が良いということですか?」




「うわ!」

そこに覚が、呪力で楽器となったミキタカを固定させる。
まるで催眠術にでもかかったかのように、髪の毛一本動かずに硬直している。


「こっちの方が、良いんじゃないか?」
「助かるぜ!」


だが、音は音のまま。演奏と呼べるには程遠い。
演奏者と楽器の一体感が、まるで感じられない。
使っているのが、トゥーラとは勝手が異なるということもあるが、彼自身が楽器の才能が無いということもある。


(くそ……こういう時に、ジャンがいてくれれば……アイツ何してんだよ…。)


消えていく記憶の中、思い出したのはユバール族のトゥーラ弾きのことだ。
卓越した才能を持っていたが、最後に1つだけ上手く行かなかったがために、一族を去ることになった青年。
たとえどんなに望んでも、どれほどの才があっても、どうにもならないことがある。
それは彼を見ればわかることだ。
今、彼がやっていることも、それなのかもしれない。
ましてや、楽器への才を持たぬキーファなら猶のことだ。


「ここで諦めたら……アルス達と別れてまで守り手になった意味が無いんだ!!」


もしかすると、あの時ジャンがユバール族を去ったのは。
このためだったかもしれない。その気持ちだけを胸に、弦を鳴らし続ける。


楽器が彼を受け入れ始めたのか、彼が音を手懐けたのか。
次第に、譜面という名の川を、音符という名のおたまじゃくしが泳ぎ始める。
そして、一音節が終わった後。
ほんの一筋、光が生まれた。
曲が終わる頃には彼の願いが通じたのか。
カゲの世界の中に、一筋の光が渦を巻いて現れた。


「おお!!旅の扉でござる!!」
「し、信じられないが、出来るものなんだな。」


覚が、のび太が、他の者達が目を輝かせた。
それは六等星にも劣る小さな輝き。されど未来へと導く、板金にも勝る希望。
早速リンクから、その渦に飛び込もうとする。
始めて見るものだったが、それがポータルのような移動装置なのだとすぐに分かった。


だが、結局どうにもならないのか。
青白い光の渦は、リンクが足を踏み入れる前に、カゲに塗りつぶされてしまった。
やはりライラを望みながら、どうにもならなかったジャンのように、どれほど望もうと、報われぬことがあるのか。


「………今度こそ、全ての希望は尽きた……。」


だが、覚の言葉に反して、まだ希望は終わってはいなかった。



(奇妙な話だな。昔は特別な力が嫌だったのに、今は何も出来ない俺がどうしようもなく憎いよ。)
――本当に全部やったのか?そう思わないなら、こっちに来るんじゃないぞ。
(……だよな。もう一度だけ、やってみるよ。)
――一度と言わず、何度だってやるんだよ。アンタはそうやってきただろ?


トゥーラの音に反応したのか、はたまたカゲの深淵の中で、黄昏の姫の言葉を聞いたのか。
狼になった勇者は、その身をゆっくりと起こす。
武器を使えなくたって問題ない。自分にはハイリア湖を泳ぎ切り、山羊を投げ飛ばせる五体がある。
狼になったとしても、牙が、爪が、人間のときより俊敏な動きが出来る4本足がある。
いくつか大切な人の記憶まで失ってしまい、人間の姿まで失ったが、それでも全てを失った訳ではない。


ほんの一本の蜘蛛の糸さえも切れ、真っ黒な世界へと沈むその時だった。
リンクの言葉に呼応したのか。
はたまた何か知らぬ力の反応か。


リンクの手の甲の、三角形の痣が輝き始めた。
たとえどんな場所だったとしても、人の姿を失っていたとしても、勇気の証は時が満ちれば輝き始める。



「一体何が……?」
「す、すごい力でござる!!」


ローザは、その神々しさはパラディンになったセシルを思い出した。
勇者の雷を、亡き戦友の隣で目の当たりにしてきたメルビンでさえ、驚くほどだった。
眩しい光が、カゲに飲まれた世界を照らす。


「キーファ殿、もう一度やってみるでござる!」
「次は行けるよ!がんばって!!」
「おう、任せときな!!」


再び、王子だったユバールの守り手は楽器を鳴らし始める。
今度は成功できる。そんな気がしていた。
確かに、彼はジャンのような才能に恵まれた人間ではない。
才能以前に、トゥーラをほんの少しかじった程度だ。人生を犠牲にするほど修行を積んだわけでもない。
だが、かのトゥーラの天才にはいなかった。自分の才を支える者が。自分の嘘に寄り添う者が。


さらに、キーファにあって、ジャンにはなかった才が、ここで発揮される。
それは、異なる世界への扉を引き付ける才能だ。
キーファはその力に気付くことは無かったが、ユバールの守り手を担う片手間に様々な世界を渡って来た。
一度旧友と冒険したカラーストーンの採掘所や、異なる世界のリッカの宿屋。
いや、それ以前に彼はアルスやマリベルと仲良くなる前に、タンスから別の世界へ行ったこともあるため、彼と異世界は親和性が高いのかもしれない。


そんな彼の奏でる演奏が、裏と表の先へと導く扉を開こうとする。



「アオオオオオオオオオオオン!!!」


トゥーラの演奏に合わせて、狼となったリンクの遠吠えが響く。
その声は、人に忌み嫌われる獣が発するものとは思えないほど、優しい咆哮だった。
狼の遠吠えは、古の勇者を呼ぶときに使われていたが、今のような使い方は初めてだ。
それでも、神獣の声とトゥーラの協奏曲は、奇跡を呼び寄せる。


彼の演奏に伴って、リンクの落とした聖剣やトライフォースも、光を増していく。
最初は真っ暗だった場所が、次第に明るさを増していくのは、さながらコンサート会場といった所か。
会場に満ち溢れていくのは、音と光だけではない。
喪われたはずの、希望という言葉もだ。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



そして、嘘は再び、本当のことになる。


カゲの世界の中心に、旅の扉が現れた。
先程とは違う、ずっと大きく、力強く輝き続ける。
同時に、全員が思い出し始めた。
忘れていた仲間のこと、戦わなければならない相手のことを。世界の未来を。


「信じられぬ……地球人め……不可能を可能にするとは……。」


リンクとキーファの演奏に呼応するかのように、白銀の光が渦を巻き続ける。
同時に、狼になったリンクが聖剣を取り戻したことで、彼も人の姿に戻る。



「みんな!早くここに入れ!」
「ええ、分かってるわ。」


6人は我先にと、渦に入ろうとする。
折角出来た旅の扉も、いつ無くなるか分からない。
その判断は正しいことだ。


だが、マスターソードを拾ったリンクが、なおも演奏を続けるキーファを慮る。


「ありがとう。あんたも、早く行くぞ。」
「ダメだ。この場所だったら、オレが演奏をやめればすぐに渦が消えてしまう。」
「こんな所に残るってことか?冗談はやめろ!!」


キーファの言っていることは正しい。旅の扉が不安定になっている以上、誰かが維持をしておかなければならなくなる。
だが、リンクは勇者として、仲間をこんな場所に置き去りにしたくはない。


「オレはいつだって本気さ。ただ、楽器になったコイツを巻き込んでしまうのは気が引けるがな。」
「私達は大丈夫です。リンクさんは早く行ってください!!」


覚の呪力が切れたからか、ミキタカが話を始める。
実際に照らされた辺りは次第に光を失い、カゲの侵食が始まっている。
キーファ一人で抑え込めるのも、時間の問題だ。
リンクは意を決して、足を踏み出すことにした。この世界で幾度となく仲間を失ったが、それでも慣れるものではない。


「死ぬわけじゃないんだ。カゲの女王ってヤツを倒せば、オレたちも出られるはずだ。
行ってくれ!!オレの永遠のトモダチのためにも!!」

その言葉を聞いて、涙を零しながらリンクは渦に入った。
キーファの永遠のトモダチは、彼が共に魔王を倒した戦友のことだと、知っているから。


「頼んだぜ……みんな。」
「きっと、皆さんなら勝てると思います……あれ?皆さんって、誰のことでしたっけ?」


さっきまでトゥーラだった者が、元の姿に戻る。
カゲの侵食は、留まるところを知らない。
彼が彼であった理由を、1つずつ奪っていく。


「お、おい、大丈夫か?でも、オレたち、何でこんな所にいるんだ?」
「わかりません……でも、そのひとたちが……たいせつだったことは………。」
「きぐうだな。おれも、あいつとたんけんした……いせきのこと、おぼえているよ。」



最終更新:2023年06月03日 09:53