一般的には居合は「後の先」であると言われている。
しかし、これは本当であろうか?
あくまで稽古上の方便であると考えられる。
命のやりとりを前提とする武術で後の先を常の心得とするのは
あまりに危険すぎる。
かといって普段の稽古で先の先の稽古というのは難しい。
そこで稽古上の方便として想定を用いてその後の先という形で稽古を行っているのではないか。
後の先という「型」により、先の先の身心操法を学ぶのが居合兵法ではないだろうか。
そして抜かずして勝つという「先々の先」を目指す。
最終更新:2011年09月01日 01:32