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 学習指導要領は戦後アメリカから導入されたシステムである。戦前の日本は国定教科書だったから、教育課程に関する基準そのものが必要なかった。またヨーロッパでは伝統的に国家基準はないところが多く、今でも学習指導要領に基づいた教科書検定制度をとっている国はほとんどない。
 戦後改革で最初に作られた学習指導要領は「試案」という文字が表紙に印刷され、あくまでも参考であるので、各学校において創意工夫をもって教育内容を創造していくことがむしろ推奨されていたのである。そして参考であるために極めて膨大な量の内容が含まれ、通常の教科書よりも厚い書籍の形態をとっていた。そうしたあり方は第2回の学習指導要領まで続いたが、1958年の第3回から文部省は「法的拘束力」があると主張し、教科書検定を強化した。それから長い間学習指導要領の法的性格をめぐって教育界は大きな対立が生じた。先にも述べたように、現在の学習指導要領は対立的な論点の中間点ともいうべきあり方に落ち着いている。
 最大の論点は学習指導要領の内容が法的に守られなければならないものであるかという点であった。この点の現時点における判例は先の学テ判決が覆されていない。そこでは次のように述べられていた。

 思うに、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教師の創意工夫の尊重等教基法一〇条に関してさきに述べたところのほか、後述する教育に関する地方自治の原則をも考慮し、右教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものと解しなければならない35)判例 S51.05.21 大法廷・判決 昭和43(あ)1614 建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反(第30巻5号615頁)

 そして、学習指導要領がある程度逸脱する点があるにせよ、大綱的基準の枠内にあると判断して違法性がないことを認定したのである。ただ、重要なことは、それまであまり大綱的とは言い難かった学習指導要領が、その後この判決の方向にそって、次第に大綱的なものに変化していったことであろう。文部省の権限は大綱的な基準を超えるものは認められなくなった。
 法令上は、学習指導要領は、学校教育法施行規則25条に規定されている。

第五十二条  小学校の教育課程については、この節に定めるもののほか、教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする。(中学は74条、高校は84条に同趣旨の規定)

 法的にはこのように、学習指導要領が基準であることが明示されていると言える。もっとも、省令であるから「法律」ではなく、このこと自体が国民の代表によって正式に議決されたものとは言えないという考えも成立しないわけではない。しかし、この省令が存在することは明確であるので、国会の意思ではないとは言い難い。
 むしろ、問題はそうした法的拘束力のある基準が存在することの「教育的」是非であろう。これは必ずしも国民の合意を得ているわけではない。
 最高裁も認定しているように、大綱的基準を超える「基準」は違法であるのは何故だろうか。それは教育の本質と関わっている。
 教育内容について国家が詳細な基準を決めたとすると、例えば新しい指導要領において話題になった円周率を考えてみよう。以前は「円周率」は3.14と教えていた。しかし、今後は3ということになる。これが厳格に適応されると教師は適切な対応ができるだろうか。また、最近はなくなってきたが、以前は「送り仮名」は時々変化していた。「表意派」と「表音派」の対立があり、国語審議会での勢力が学校での指導内容に影響を与えていたからであると言われている。つまり、「終わり」と「終り」が時期によって変更されていたのである。良心的な教師であれば、基準が変わったからと、それまで正しいと教えていたことを、次にこれは間違っていると教えることはできないだろう。このように、教室で教えなければならない内容として、詳細を国家が決めることは教育を困難にすることがある。
 通常大綱的基準とは、教科の中の単元及びその若干の説明程度のことを示すとされているが、大綱的であるとすることの意味は、むしろ学校や教師集団が教育的な適切さを判断しながら、持続的にかつ安定的に教育内容について研究し、教育課程を作っていくことが大切であると認識させることであろう。
最終更新:2008年07月26日 11:20