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 教師が学校教育の最も重要な役割を担う存在であることは誰も否定できないだろう。しかし、現代は教師に対する不信感が非常に高まっている時代でもある。以前は、教師は地域の最も教養ある存在として尊敬され、「先生の言うことはちゃんと聞かなければいけないよ」と親は子どもに諭したものであった。他方で、教師に対する低い評価があったとする意見もあるが、日本が近代化する過程で、政府が教師に対する優遇政策をとったことにより、優秀な人材が教師に多く集まり、教師への高く安定した評価があることも、先進国では際立った特徴となっている。36)戦前は師範学校は教師になる義務があったが、教育費はほとんどかからず、またその伝統を受けて、現在では廃止されているが、長い間日本育英会の奨学金は教師になったときには返還義務を免除されてい。また、現在でも教師に対しては一般公務員にはない特別手当てがだされており、経済的にも比較的恵まれている。そのために、教師はなることが難しい職業のひとつになっている。
 教師に関して、教育基本法には次のような規定がある。

 六条二項
 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

 通説的には、戦前、教師が国家主義的な政治に奉仕し、戦争に協力したあり方への反省から、教育は、一部の政党や組織、あるいはイデオロギーに奉仕するのではなく、民主主義的な理念にそって、国民全体に奉仕するものであると規定したのだとされている。37)宗像誠也『教育基本法』新評論1968年
 抽象的に考えならばこのような解釈が妥当であるだろうが、現実的具体的に考えてみると、この規定は非常に難しい論点をいくつも含んでいる。
 第一に「全体」とは何かがここでも問題となる。
 通説的な解釈によれば次のようになるだろう。

  全体の奉仕者=公務員は主権者たる国民の使用人として国民に奉仕する者(公僕=パブリック・サーバント)であるというだけでなく,公務員は国民全体の利益のために奉仕すべき(権限を行使すべき)であって,国民のなかの一部の者(一党派や一部の社会勢力など)の利益のために奉仕してはならないということ。38)http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nihonnkokukennpou.htm#koumuinn

 これは通常憲法の規定との関連で理解されており、公務員が全体の奉仕者であることは戦前の官吏服務紀律の原則的変更であるとされている。

  天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ法律命令ニ従ヒ各其職務ヲ尽クスベシ

 教師は実際には特定の子どもたちのために教育実践を行っているのであって、「全体」を相手にしているわけではない。宗像の解釈によれば、「一部の政党や組織、あるいはイデオロギーに奉仕する」のではないということであるが、すると、民主主義的な選挙で選出された議員によって、多数政党が政府となるのが、その「政策」「政治」に奉仕することは、「全体の奉仕」なのだろうか。多数政党は「多数」ではあるが、「全体」ではないだろう。「全体に奉仕」しているのか、あるいは、「一部に奉仕」しているのかは、判断可能だろうか、可能だとしたら、どのようにして判断できるのか。このような問題が出てくる。
 憲法は公務員の規定である15条において、公務員の選挙について「公務員を選定し,及びこれを罷免(ひめん)することは,国民固有の権利である。」と規定している。この後に公務員は全体への奉仕者であることが書かれているのである。とすると、教師に対しても何らかの「選択行為」があることが、「全体性」のために求められるということも解釈上成立する。実際に学校選択制度が実施されている場合には、国民は学校を選択することによって教師を選択するのであるから、この制度がある面で教師が全体の奉仕者であることに根拠を与えるとも言える。しかし、それが十分な理由とはならないだろう。
 第二に教師は全体の奉仕者であることを理由として、労働基本権を制限されている。団結権と交渉権は一部認められているが、争議権は認められていない。しかし、教職が十分な労働条件を認められず、専門職としての責任を果たせない状況に甘んじなければならないとしたら、全体への奉仕も不十分になるという可能性もありうる。全体の奉仕者性と労働基本権の関係は更に考察する必要があると考えられる。
 第三に、職務命令との関係である。
 教育行政の理論では、監督と指導・助言は厳密に区別される。監督は命令を伴うもので、命令に違反すると処分される。命令を受ける側の主観は問題ではない。しかし、指導・助言の場合には、命令ではなくあくまでも専門性に依拠した助言であり、従うか従わないかは受けた側の判断に委ねられる。文部科学省は教育委員会に対して監督をすることはできず、あくまでも指導助言権をもっているに過ぎない。つまり、文部科学省の助言に従う方が現場においてよりよく職務を果たすことができるという水準が求められるのである。
 これは、学校現場における校長や教頭と個々の教員に当てはまるのだろうか、あるいはそうではないのだろうか。戦前の官吏服務紀律と公務員法の大きな相違点として、「命令に従う」という記述の有無がある。現在の学校の管理において「職務命令」が強調されることが多いが、これは本来の原則からすれば様々な問題がある言えるのである。

 さて全体の奉仕者としての教師についての服務に関しては、かなり大きな見解の対立がある。具体的に見ておこう。
 まず教師の服務について、地方公務員法と教育公務員特例法の条文を掲げる。かなり煩雑であるが、大切な規定であるので熟読する必要がある。
 まず地方公務員法。

     第六節 服務 
 (服務の根本基準) 
 第三十条  すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。 
 (服務の宣誓) 
 第三十一条  職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。 
 (法令等及び上司の職務上の命令に従う義務) 
 第三十二条  職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。 
 (信用失墜行為の禁止) 
 第三十三条  職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。 
 (秘密を守る義務) 
 第三十四条  職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。 
 2  法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表する場合においては、任命権者(退職者については、その退職した職又はこれに相当する職に係る任命権者)の許可を受けなければならない。 
 3  前項の許可は、法律に特別の定がある場合を除く外、拒むことができない。 
 (職務に専念する義務) 
 第三十五条  職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。 
 (政治的行為の制限) 
 第三十六条  職員は、政党その他の政治的団体の結成に関与し、若しくはこれらの団体の役員となつてはならず、又はこれらの団体の構成員となるように、若しくはならないように勧誘運動をしてはならない。 
 2  職員は、特定の政党その他の政治的団体又は特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、あるいは公の選挙又は投票において特定の人又は事件を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、次に掲げる政治的行為をしてはならない。ただし、当該職員の属する地方公共団体の区域(当該職員が都道府県の支庁若しくは地方事務所又は地方自治法第二百五十二条の十九第一項 の指定都市の区に勤務する者であるときは、当該支庁若しくは地方事務所又は区の所管区域)外において、第一号から第三号まで及び第五号に掲げる政治的行為をすることができる。 
 一  公の選挙又は投票において投票をするように、又はしないように勧誘運動をすること。 
 二  署名運動を企画し、又は主宰する等これに積極的に関与すること。 
 三  寄附金その他の金品の募集に関与すること。 
 四  文書又は図画を地方公共団体又は特定地方独立行政法人の庁舎(特定地方独立行政法人にあつては、事務所。以下この号において同じ。)、施設等に掲示し、又は掲示させ、その他地方公共団体又は特定地方独立行政法人の庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。 
 五  前各号に定めるものを除く外、条例で定める政治的行為 
 3  何人も前二項に規定する政治的行為を行うよう職員に求め、職員をそそのかし、若しくはあおつてはならず、又は職員が前二項に規定する政治的行為をなし、若しくはなさないことに対する代償若しくは報復として、任用、職務、給与その他職員の地位に関してなんらかの利益若しくは不利益を与え、与えようと企て、若しくは約束してはならない。 
 4  職員は、前項に規定する違法な行為に応じなかつたことの故をもつて不利益な取扱を受けることはない。 
 5  本条の規定は、職員の政治的中立性を保障することにより、地方公共団体の行政及び特定地方独立行政法人の業務の公正な運営を確保するとともに職員の利益を保護することを目的とするものであるという趣旨において解釈され、及び運用されなければならない。 
 (争議行為等の禁止) 
 第三十七条  職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。 
 2  職員で前項の規定に違反する行為をしたものは、その行為の開始とともに、地方公共団体に対し、法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に基いて保有する任命上又は雇用上の権利をもつて対抗することができなくなるものとする。 
 (営利企業等の従事制限) 
 第三十八条  職員は、任命権者の許可を受けなければ、営利を目的とする私企業を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは自ら営利を目的とする私企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない。 
 2  人事委員会は、人事委員会規則により前項の場合における任命権者の許可の基準を定めることができる。

 次に教育公務員特例法である。

第三章 服務
(兼職及び他の事業等の従事)
第十七条  教育公務員は、教育に関する他の職を兼ね、又は教育に関する他の事業若しくは事務に従事することが本務の遂行に支障がないと任命権者(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三十七条第一項 に規定する県費負担教職員については、市町村(特別区を含む。以下同じ。)の教育委員会。第二十三条第二項及び第二十四条第二項において同じ。)において認める場合には、給与を受け、又は受けないで、その職を兼ね、又はその事業若しくは事務に従事することができる。
2  前項の場合においては、地方公務員法第三十八条第二項 の規定により人事委員会が定める許可の基準によることを要しない。
(公立学校の教育公務員の政治的行為の制限)
第十八条  公立学校の教育公務員の政治的行為の制限については、当分の間、地方公務員法第三十六条 の規定にかかわらず、国家公務員の例による。
2  前項の規定は、政治的行為の制限に違反した者の処罰につき国家公務員法 (昭和二十二年法律第百二十号)第百十条第一項 の例による趣旨を含むものと解してはならない。
(大学の学長、教員及び部局長の服務)
第十九条  大学の学長、教員及び部局長の服務について、地方公務員法第三十条 の根本基準の実施に関し必要な事項は、前条第一項並びに同法第三十一条 から第三十五条 まで、第三十七条及び第三十八条に定めるものを除いては、評議会の議に基づき学長が定める。
(勤務成績の評定)
第二十条  大学の学長、教員及び部局長の勤務成績の評定及び評定の結果に応じた措置は、学長にあつては評議会、教員及び学部長にあつては教授会の議に基づき学長、学部長以外の部局長にあつては学長が行う。
2  前項の勤務成績の評定は、評議会の議に基づき学長が定める基準により、行わなければならない。


 この二つの法律は当然相補うものであって、対立するものではない。教育公務員特例法は地方公務員法及び国家公務員法を前提している。
 さて、論点となっているのはどういう点だろうか。
 第一に、「職務命令」についてである。
 以前文部省が「特別権力関係論」をとっていた時期においては、校長が教諭に対していうことはすべて職務命令であって、「たばこを買ってこい」というのも職務命令であり、違反すれば処分できると書かれていた。しかし、今ではこのような解釈は間違っているとされている。東京アカデミー版解説書にも「上司が発すれば何でも職務命令になる訳ではない。当然ながら、職務命令の内容は上司の職務権限に属する事項に限定されるので、それからはずれた職務命令については違法性が問われることがある。」39)東京アカデミー教職教養Ⅱ2004年版 p294と書かれている通りである。しかし、具体的に職務に関するものかどうかは、「肩を揉んでくれ」などというのが「外れる違法性」のある事例であることは明確であるが、微妙な事例もある。特に問題となるのは教育内容や教え方に属することがらの場合である。このことは、教師が教授の自由をもつかどうかという問題と直接関わっている。教師の教授の自由については裁判でも何度か争われている。その代表的な例は最高裁学テ判決である。憲法23条の「学問の自由」について論じている部分で、大学においては教授の自由が認められるが、高校以下の学校においては部分的にのみ認められるとした。

 子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めること
 は、とうてい許されないところといわなければならない。 40)判例 S51.05.21 大法廷・判決 昭和43(あ)1614 建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反(第30巻5号615頁)

 また山口学テ判決での山口地裁判決は以下のように述べている。

 単なる指導助言であればともかく、その指導の内容・方法等を具体的に指示してその実行を命じることは、本来教育は担当教師がそれぞれの生徒の特質を把握し、その時の具体的状況に応じてその最も適当と考える方法でなされるものであって、・・・一義的に決しうるものではないから、明らかにその監督権の範囲を逸脱するものといわなければならない。41)兼子仁『教育法(新版)』p462-463

 全面的に教授の自由が認められるのではないが、一定の自由を認めなければ教育は成立しないという認識が示されている。もちろん、校長は教師を監督する立場にあり、その監督の領域は教師の本務である授業そのものも入るのであるから、これはどのように調和するのだろうか。基本的には、それは教育の内容や方法に対する監督は「指導助言」によって行われるべきものということになるだろう。そして、それが最も「教育的」に妥当なやり方であるといえる。

 第二に解釈上の問題ではないが、「信用失墜行為の禁止」については、近年教職に対する極めて厳しい社会の目があり、十分に注意すべきであろう。猥褻行為等は当然としても、事故を起こさなくても飲酒運転が明らかになると懲戒免職処分を受けることが多くなっている。事故を伴わない飲酒運転はとりあえずは犯罪ではなく、免許資格の問題であるが、教職にある場合には、決して行うべきではない行為を故意に行ったという意味で処分の対象となっている。

  四月に秋田市内の中学教師が酒気帯び運転で停職六か月の懲戒処分。五月から飲酒運転は原則懲戒免職と厳罰化されたが、翌六月に横手市の高校教師が酒酔い運転で逮捕、十一月には秋田市の中学教師が酒気帯び運転で検挙され、いずれも懲戒免職。42)読売新聞2003年12月27日

 教師であるが故に処分等が殊更厳しくなることは、「行為と処分・刑のバランス」の問題として検討の余地はあるが、教職をめざす者は社会の現実は認識しておく必要がある。
 第三に守秘義務について少し検討しておこう。守秘義務はあらゆる職業に付随するものであって、とりわけ教師や公務員に求められているわけではない。しかし、教師は生徒の個人情報に接する部分が大きく、守秘義務はより厳格に守られる必要がある。
 ただ教育実践の過程で問題が生じたときに、問題の解決のためにプライバシーを開示せざるをえない、あるいは開示した方が問題解決が容易になるという場合も存在すると考えられる。たとえばある子どもが家庭環境がひとつの原因でいじめられていたとすると、そのいじめの解決のためには、家庭環境を生徒が知った上で共感的な態度を形成することが好ましい関係を築くことができるという場合も存在するだろう。そして、その生徒と教師の間に基本的な信頼関係があれば、そうした開示を伴った問題解決方法をとることもありうる。しかし、それには、十分な信頼関係と本人及びその家族のしっかりした同意が必要であることはいうまでもない。
 後半の「教員の身分」については、「教育公務員特例法」が定められている。戦前は、軍国主義的な政策にそぐわない教育を行っている教師は、かなりの数、免職になっている。43)坪井栄『二十四の瞳』など参照教員の身分が保障されていることについても、戦前の教訓が活かされているわけであるが、しかし、一方で、M教師と言われる教師も、そうした保障システムに守られているという実態がある。(M教師とは、問題教師を指す隠語で、指導力が著しく欠けていて、学級運営が行えない、猥褻行為等の問題行動を起こしている教師、精神疾患で教育活動を行えない、等々の教師群を指し、東京だけでも3000名ほどはいるとされている。多くは学級担任から外されたり、さらに長期研修と称して、教育実践から離れさせられたりしている。)
 次のような見解は一般的であろう。 

 協力校の校長とミーティング:Colerain Elementary School 2/10(水)
 「問題のある」教師や校長がいても、日本では解雇することがほとんど不可能であるという話をしたら、うなずきながら彼女は、8年前から施行されている新しい人事の仕組みについて話してくれた。教師の場合、仕事ができなかったり精神的に不適応を起こしたら、まずは「パワー・アシスタント・プログラム」というのを受けることになる。これは教師にスーパーバイサーをつけ、相談したり、支援を依頼できるようにする仕組みである。ただし、1年後、スーパーバイザーが改善の余地が認められないと評価したら解雇される。校長の場合、そもそも校長になるともはや「永久就職」ではなくなり、2年間ごとの契約更新になる。契約更新時にはできるだけ客観的で公平な評価が行われ、基準に達しなければ契約は更新されない。すでに何人もの教師や校長が、この仕組みが採用されてから解雇されているそうだ。44)米国における通信制大学院の在り方に関する調査研究(鳴門教育大学)http://www.naruto-u.ac.jp/\~rcse/s\_dlschol2.html

  教育改革国民会議は次のように提言したことがある。
 
 教育改革国民会議の提言            -教育を変える17の提案-
 
                     平成12年12月22日
 ◎教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる 
  学校教育で最も重要なのは一人ひとりの教師である。個々の教師の意欲や努力を認め、良い点を伸ばし、効果が上がるように、[[教師の評価]]をその待遇などに反映させる。 
 提言
 (1)努力を積み重ね、顕著な効果を上げている教師には、「特別手当」などの金銭的処遇、準管理職扱いなどの人事上の措置、表彰などによって、努力に報いる。 
 (2)すべての教師が、退職するまで児童・生徒に直接接し、教える仕事に就くことが望ましいとは限らない。学校内でも適性によって異なる役割を負い、また、必要に応じて学校教育以外の職種を選択できるようにする。 
 (3)専門知識を獲得する研修や企業などでの長期社会体験研修の機会を充実させる。 
 (4)効果的な授業や学級運営ができないという評価が繰り返しあっても改善されないと判断された教師については、他職種への配置換えを命ずることを可能にする途を拡げ、最終的には免職などの措置を講じる。 
 (5)非常勤、任期付教員、社会人教員など雇用形態を多様化する。[[教師の採用]]方法については、入口を多様にし、採用後の勤務状況などの評価を重視する。免許更新制の可能性を検討する。45)http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/houkoku/1222report.html

 最大の問題は、教員採用試験が適切に行われているとしたら、何故教師が十分に育たず、問題教師となってしまうかということであろう。おそらくほとんどの新しい教師は教育的情熱をもって教師になっているはずである。もともと単なる腰掛けとして考えているような者が採用されているとしたら、それは採用システムの問題として考えねばならない。
 情熱をもってなったにもかかわらず、次第に教職に情熱を失い、歪んだ人間観をもって行動してしまうようになる、あるいは教師としての力量を育てることができないというのは、やはり学校の人を育てる環境に問題がある。この点については研修の部分で更に検討することにしよう。
 問題教師にも「非行教師」と「力量不足教師」があるが、前者は懲戒の問題であり、ここでは扱わない。力量不足教師の問題はまずどのようにして認定するかということが難しい。教師に対する評価は人によって多様であり、それぞれ自分の教師像で評価する傾向があるから、同じ教師に対してまったく異なる評価が存在する場合も少なくない。
 自由な雰囲気で子どもたちが多少はめを外すことがあっても、集中するときには集中して学習効果があがっているような場合、その担任を高く評価する人も多いだろうが、規律が保持されておらず、統率力がないと評価する人もいるかも知れない。後者のような評価によって指導力不足と認定することは妥当ではないだろう。その逆も当然ありうる。極めて厳しく、体罰を行うような教師の授業が整然としているとして、それを高く評価する人と好ましくないとする人もいる。
 このような多様な評価がありうる中で、力量不足教師と認定するためには、どのような要素が必要なのだろうか。

Q 教師の身分保障と、そうした問題教師の排除とは、どのような関係をつけたらいいのだろうか。
最終更新:2008年07月29日 10:06